「……………」
本来なら、ボク達が身を寄せている勢力と北郷の勢力がぶつかるのは、避けたかった。陽平関という防壁があるとはいえ、長安と接しているこの漢中に、長く留まるのは危険だ。……でも、
『詠ちゃん……。私はもう、私を助けてくれた誰かを見捨てて逃げるなんて、したくないよ……』
……月が、翠やたんぽぽと仲良くなりすぎた。もう、他の勢力に逃げるという選択肢は無い。
「(また、泣かせちゃったな……)」
仕方のない事。月がそう強く望むきっかけを作ったのは、他の誰でもない、ボクなのだから。
韓遂に奪われた涼州を、北郷がボク達より先に奪い取った。翠にとっては面白くない話だっただろう。元々、翠は噂を良くも悪くも信じてはいなかった。
でも、それが本来母親の治めるはずの、彼女自身にとっての故郷でもある涼州を奪ったとあっては、話は別。
翠は度々張魯に願い出て、西涼の奪還への協力を取り付けた。首尾良く北郷を討ったなら、手に入れた涼州以外の領土を全て張魯に差し出す事を条件に。
ボクは翠に裏であれこれと助言をして、事が上手く運ぶように取り計らった。……北郷が連合に勝った時から、歯車が大きく狂い始めてる。もう、翠たちに北郷を倒してもらう他無い。
天水を攻めれば、予想通りに北郷は自身と数人の将を連れて援軍に駆け付けてきた。袁術でも曹操でも構わない、この隙に洛陽を攻めてくれると有り難い。
「(翠は、上手くやってくれるかな……)」
翠はボク達が何者なのか知らない。“ただの侍女”のボク達が戦場に同行しないのは当たり前だし、その方が都合が良い。
万一にも、北郷にボク達の存在を気取られるわけにはいかないから。
「月………」
月を守るため、そう信じてやってきたボクの行動は、結果として月から笑顔を奪うばかり。
「ボクは……」
自分が何を望み、どこに向かっているのか、わからなくなってきていた。
「……な~んか、やっぱり気乗りしないよなぁ」
「え? 何が」
冷たい朝の空気を切り裂くように、あたし達自慢の西涼騎兵隊が駆ける中、半分独り言みたいに呟いたのを、蒲公英が目ざとく聞き取った。
「いや、ほら、相手の不意を突いてちまちま攻撃して逃げるってやり方がさ……」
つい本音を漏らすと、
「何バカな事言ってんの! お姉様あっちがあたし達の何倍居るかわかってる!? 正々堂々どころか、単に籠城戦しても負けちゃうの! 真っ向ぶつかって玉砕とか、蒲公英嫌だからね」
打てば響くように文句が返ってくる。詠の受け売りのくせして偉そうに……。あたしは従姉なんだぞ。
「だーから、気乗りしないって言っただけじゃんか。詠たちとの約束破る気はないって」
それに、目先のこだわりより大切な事もある。西涼は、母様やあたし達が体を張って守り続けた、かけがえのない故郷。仇の韓遂を倒せなかったのは残念だけど………
「西涼を取り戻すため、だもんな」
いきなり現れた余所者に、任せてなんておけない。大体何だ、『天の御遣い』って。無茶苦茶怪しいじゃないか。
「散々世話になった張魯殿にも、ちゃんと恩返ししないといけないしな。あんまりわがまま言ってられないか……」
柄にもなくしみじみ語ってしまった後、ハッと気付いて横を見ると、蒲公英が口をぽかーんと開けてこっちを見ている。……しまった。
「………お姉様、成長したね。天国のおば様や散ちゃんが見たらきっと喜ぶよ」
「しみじみ言うな! 大体、散姉(ねえ)はまだ行方不明なだけだろーが!」
それに、こんな程度で褒めてくれる人たちじゃない。「可愛い可愛い」って別な部分はよくからかってたけど、身内のそういう言葉ほどあてにならないものはない(蒲公英も含む)。
「ホント、散ちゃんどこ行ったんだろうねぇ」
「……だなぁ」
詠や月に伝言を頼んだ、彼女たちの手を借りなければならないほど、状況は切迫していた。だから、死んだ可能性は十分ある。
でも、あたし達は極力それを考えないようにしていた。
「(………いや)」
もっと正確に言えば、死んだと“思えない”んだ。明確に戦死したとされ、墓まで立てられたらしい母様の事でさえ、未だに現実味が湧かない。生死不明の散姉なんてなおさらだ。
………あんな強い人たちが、死んだなんて思えない。
「ま、あたし達が西涼取り戻したって広まれば、お土産持って帰って来るんじゃないか?」
「ホント!? 蒲公英可愛い服が良い! お姉様が着るやつ!」
「そうそう蒲公英は可愛………は? あたし?」
「だってお姉様、ほっとくと自分の服はすっごい適当なんだもん。……あ、散ちゃんもか」
「……どっちかって言うと、お前が少数派なんだよ」
母様も、“自分の”服に関しては結構適当だったし。
「………馬超様、馬岱様、そろそろ敵陣に到着します」
「ああ、わかった」
無駄話が過ぎたか、部隊長の一人に言われ、戒める。こうやって相手を疲れさせるために奇襲を繰り返すのが、詠の助言だ。実際効果覿面だし、一体何者なんだろう。
朝靄を抜け、今日も朝駆けに奇襲を一発ぶちかましてやろうと走った、先で………
「………ん?」
目を凝らし、信じられず、擦ってからもう一度見て………
「ッ……全軍、止まれ!」
今度ははっきりと見えた。昨日の昼には確かに無かった、今まであたし達が再三に渡ってその建造を阻止してきたもの……紛れもない、“城”がそこに建っていた。
「うそ………」
「たった一晩で、一体どうやって……?」
雪も降り始め、これからが北郷軍にホントの野戦地獄を味わわせてやれるはずだったのに、これじゃ台無しだ。
「……見てくる」
「あ! お姉様、蒲公英も!」
兵を伏せ、あたし達はこの不気味な一夜城の正体を暴きに走る。大した危険は無い。あたし達に馬術で勝てるやつなんてそういないはずだから。
…………………
「これ………」
蒲公英が、城壁を槍で叩いて、その正体に気付く。あたしも同じく。
「……ああ、“氷”だ」
緩くて脆い土質、今までは軽い奇襲で簡単に崩れてしまっていたそれの上から、水を掛けて凍らせ、立派な城にしている。確かにこれなら、小さな手間で素早く城を建てられる。
「氷の城、かぁ………」
結構、面白い事を考えるやつだ。北郷一刀本人か、その軍師の考えかはわからないけど。
「お姉様、感心してる場合じゃないって! これじゃ条件五分だよ。こっちも城攻めなんて出来ないんだから」
確かに、こんな急増の城とはいえ、あたし達の兵力じゃ城攻めは難しい。何より、騎兵隊の長所が活かせない。
「……いや、五分じゃない。あっちは士気が回復すれば、いざとなれば陽平関を力押しで落とせるんだ」
そんな風に苦手な知恵を必死に絞っていると………
(ジャーン! ジャーン! ジャーン!)
遠方から、突然銅鑼の音が響き渡る。城からじゃない、これは………
「まずい! 戻るぞ蒲公英!」
「う……うん!!」
あたし達が伏せていた部隊が、偵察にでも出ていた部隊に見つかったのかも知れない。
その予感は、当たってしまっていた。この時になってようやく気付く。奇襲は、あたし達の専売特許じゃないのだと。
「うっし! いつでも行けるで!!」
「? 私は最初から行けたぞ」
「ま、舞无ちゃんは色々と神経太いので」
「誰が太っているか!! 確かに私の胸はやや寂しいが、腰だって細いぞ!!」
「……舞无、誰もそんな事は言っていませんよ」
「え?」
霞、舞无、風、稟と回って、舞无のビックリしたような顔で締める。うん、ようやくいつものペースだ。
「睡眠はバッチリ、今日に備えて皆にも飯をたらふく食ってもらったし……行くか」
『応!!』
氷城作戦で、十分に休息も取れた。あの時に霞が奇襲のお返しをしてから三日、翠たちは何のアクションも起こしていない。おかげで反撃する勢いを取り戻す事が出来た。
「……………」
城壁の上から見下ろす雪原に、士気を取り戻した兵力・八万。翠たちは精々二万とちょっとだ。一気に撞車で城門をぶち破って雪崩込む。
……出来るなら、翠には劣勢を悟って撤退して欲しい。乱戦になれば、捕らえる事もなく戦死する可能性は格段に上がる。
「ふんっ!」
「か、一刀殿?」
気合い一発、いきなり自分の頬を両手で叩いた俺を、稟が変人を見る目付きで見ていた。
「何でもない」
相談すら出来ない俺の悩みで周りに迷惑掛けられない。大体それを言ったら、今までの星たち、いや、俺だって戦場でいつ死んでたっておかしくない。翠のその立場が敵に回ったくらいで、何怖じ気づいてんだ俺は。
「行こう、迅速に終わらせて、最小の被害で済ませる」
「御意」
短く応えた俺と稟。その、城壁からの高い視界に………
「(あれ………?)」
吹雪とは違う。煙みたいに白く舞い上がる雪を認めて………
「ッ……うそだろ!?」
すぐに、それが乱れない足並みを揃えて走る、屈強な騎馬の一団だと気付く。確認するまでもなく、翠の騎兵隊。
「向こうから、真っ正面から突っ込んできた……?」
自殺行為だ。こっちは出陣前で準備万端。兵力差は歴然。将の質だって、こっちには霞と舞无がいる。最小の被害での鎮圧が目的なこっちとしても有り難いけど………
「(翠……一体、何を考えて………)」
臨戦体制に入っている俺たちの軍の手前まで、二騎の騎馬が進み出る。
………懐かしい。長い茶の髪をポニーテールでまとめ、十文字槍・『銀閃』を担ぐ、少し眉毛の太い彼女だ。
勝手に僅か潤む目頭に気付かれないよう、出来るだけ気丈に隣の稟に話し掛ける。
「いきなり仕掛けてこないって事は、何かの話し合いのつもりか、な?」
やべ、最後ちょっと涙声に……
「……知り合いですか?」
「違うって!」
バレた。どんだけ鋭いんだこの眼鏡っ子は。
「前々から、貴殿の言動には不自然な点が多すぎますからね」
「……何で若干機嫌悪いんだよ」
「しかし妙ですね……。今まであれだけ奇襲を仕掛けてきたくせに、今さら話し合いとは考えにくい」
……あっさりとスルーされたけど、確かに妙だ。というか、話し合う事があるんだろうか?
「私は西涼の馬騰の娘、馬超! この度は、天子により任された西涼の地を奪還すべく兵を起こした!」
翠が、静まり返った雪原で、大声を張り上げる。言い分は全く今さらな事。
「元より、我らが西涼を追われる原因となった韓遂は既にいない。そちらに言い分もあるだろうが、西涼は本来我らの地、我ら自身の手で守る事こそ我らが正義!」
何とも、似合わない口上だ。そもそも、とっくに戦いが始まった段階で舌戦なんて仕掛けてくる時点で翠らしくない。……華琳みたいに、性格が変わってるのか?
「だが、今や膠着した戦局に両軍の兵たちは凍えるばかり、この上は将と将の武によって、この戦いの雌雄を決しようぞ!!」
……何か、台詞がわざとらしい。誰かの入れ知恵の匂いがする。
「馬鹿な事を……。こちらは完全な優勢、わざわざ危険を冒して錦馬超と一騎討ちなんて………」
「ふん、良かろ……」
「乗ったぁー!!」
稟が、至極尤な意見を言おうとして、舞无が面白そうに肯定しようとして、霞が遮るように歓声を上げる。振り向けば、もう走りだしていた。
『………え?』
駆け出した霞を除いた全員が、遅すぎる疑問符を頭上に浮かべた。
『絶対の窮地になった時、張遼か華雄が敵陣にいたら、一騎討ちを申し込んで。翠の腕前なら、それが一番の活路になる』