「………これでもう何日だ?」
「二週間くらいですねー。……ぐぅ」
「寝るな!」
蓮華が洛陽から呉に戻ってすぐ、華琳との決戦の準備に掛かろうとしていた俺たちの出鼻を挫くように一つの報告が舞い込んで来た。
『蜀の劉障が、漢中に向けて一大決起の許に兵を挙げた。応戦したが、敵には優れた将が揃っており、状況は思わしくない。可及的速やかに援軍をお頼み申し上げたい』
概ねそんな内容の、張魯からの援軍要請。俺たちはすぐに動ける兵を集めて、霞を筆頭に恋、稟、舞无に統率を任せて出陣してもらった。
そして、霞たちが遠征に出てから二日と経たない内にさらなる悪報が届く。―――すなわち、曹魏から王都に向けての出兵。
魏がこれ以上巨大な勢力にならない内にこっちから仕掛ける予定だったのに、逆に先手を打たれた。
雛里たちの話を信じるなら、華琳はとても兵を起こせる状態じゃないはずだけど……それでも無視するわけにもいかない。
俺、星、風の三人は都に散、雛里、協君を残して兵を率い、虎牢関に籠もって魏軍に応戦した。
……というか、している最中だ。
「矢を射掛けろ! 煮え湯を浴びせろ! 城壁に誰も上らせるな!」
今日二度目の襲撃。遠くから近づいてくる夏侯の旗印に向けて、城壁の上から皆が矢を嵐のように斉射する。
虎牢関の城壁は高く、硬い。おまけに地形が守りに向いていて、普通に戦う分には真正面からぶつかるしかない。
城壁を登ろうとしても登り切れずに途中で落とされ、城壁を破ろうとしてもちょっとやそっとじゃびくともしない。
「(難攻不落って、こういうのを言うんだろうな)」
前の世界では恋が自分から打って出てくれたのが幸いしたけど、こっちの手の内にあるとこんなに頼もしい物は無い。
「(でも……いや、だからこそ………か)」
華琳が、それを解ってないとは思えない。虎牢関の防御力は連合の時に経験してるはずだから、なおさらに。
「(一体、何を考えてる………?)」
そんな、もう幾度となく繰り返した疑問を反芻する俺の視界を……
「―――――――」
声を上げる間すら許さず、鈍色の鏃が埋め……
「はっ!」
次いで、紅い軌跡が払った。
「うわっ!?」
遅すぎる悲鳴を上げて跳び退る俺は……砦の下から矢を射られて、それを星の槍が払い除けてくれた、という一連の出来事に今更のように気付いた。
「城壁の上だからと気を抜くな。戦場での気の緩みは即、死に直結する」
「ご、ごめん!」
かなり本気で、しかし静かに怒る星に睨まれて、俺はすぐさま頭を下げる。
確かに気が抜けてた。………危うく、死ぬトコだった。
「………こんな高所にいる人一人の頭を正確に狙い射つとは、流石と言うべきか」
星の感嘆に促されるように下を見ると、矢と兵士のごった返す戦場でも一際目立つ青い影。……秋蘭か。
(ジャーン! ジャーン! ジャーン!)
とても突破に繋がるとは思えない功城戦をしばらく続けて、銅鑼の音と共に魏の軍勢が引き上げていく。
その光景を……
「むー……」
風が、相変わらず飴をくわえたままで、難しい顔をして見送ってる。
「……妙だな」
それは星も同じ。秋蘭……というより、華琳の行動に違和感を覚えてるのは俺だけじゃない。
「いつかのように、遠方から間道を抜けて都を目指すつもりか?」
「曹操が二度同じ手を使うかなぁ」
星の考えにもイマイチ信憑性が無い。連合の時に華琳たちが通った間道は遠回りな上に大軍で通るには不向きだ。
それに、当然今度は俺たちも相応の準備をしてる。……そして、やっぱりそれを華琳が解ってないとは思えない。
「ふむ……これをどう見る。軍師殿?」
「そうですねー………」
俺にも星にも解らない。当然頼りにするのは我らが頭脳。
「囮、もしくは罠、ですかねー」
「どゆこと?」
「本来消耗戦を一番避けたいのは曹操さんのはずですし、何より、曹操さんが袁紹さんのような無謀な功城戦を繰り返すわけもないのです。とすれば、別の狙いがあるという事になるのですが……」
風はそこで区切り、また眠そうな顔になる。
「考えられるのは、ここに十軍を引き付けておく事、もしくは隙を見せて関から兵士を誘き出す事、この二つが有力かとー」
「う~ん……」
風の説明はよく解る。でも………
「引き付けておく事が狙いならば、既に我らは奴らの術中にある事になる。今すぐにでも攻勢に転じるべきだ。しかし、誘きだす事が狙いならば迂濶に打って出るわけにもいかん。……厄介だな」
そう。星の言う通り、あっちの狙いがどっちかによって採るべき行動が変わって来る。大した問題の解決になってない。
「風はどうすればいいと思う?」
「風はこのまま籠もってるのがいいと思うですよ?」
即答だった。
「その心は?」
「引き付けておく事が目的なら、狙いは別にある……という事になるのですが、都には散ちゃんや雛ちゃんもいますから。ここで風たちが半信半疑で飛び出す方がよっぽどりすくが高いのです」
「そう、かなぁ……」
「籠城戦とは、そういった心の迷いとの戦いでもあるのだ。常に敵の脅威に曝される環境の中で、少しずつ神経が削られて行く」
風に合いの手を打つように星が被せる。この二人がそう言うなら、きっとそうなんだろう。
「そして、疲労と焦燥に駆られた指揮官が判断を見誤る。それこそが奴らの狙いかも知れんな」
当て付けがましくそう言って面白そうに眼を細める星に、ギクッとなる。心に迷いが出てる指揮官って……まさに今の俺の事だよな。
「だ、大丈夫だって。常に平常心を忘れずに、だろ!」
「流れ矢にも注意するのですよ?」
何だか子供扱いされてるような気がして、俺は二人に背を向ける。……実力ならともかく、気構えで足引っ張るのは嫌なもんだ。
「………………」
風や星の言い分はよく解ったし、こうやってあれこれ考えてるのも敵の思うつぼって気がしなくもないけど……
「(……………何だろう)」
――――何か、重大な見落としをしてる気がする。
「くっ、何だこの統率と練度は……!」
姉様の使者として洛陽に赴き、一刀と出会った。その帰りの道中……呉へと帰る中途の豫州・許晶で、わたし達は突然兵を挙げた魏軍と抗戦していた。
袁術の暴政から解放されたばかりの民に要らぬ不安と圧力が掛かるのを嫌ったわたしは、城から打って出て魏軍と正面からぶつかった。
だけど………
「これが……本当の軍隊……」
甘かった。わたしがまともに戦場の指揮を取るのはこれが二度目だが……姉様に不満を抱いていた豪族共の暴動を鎮圧した時とはまるで違う。
兵の一人一人が鍛え抜かれ、それら全てが連携を以て“徒党”ではなく“軍”として機能している。
豪族や江賊どころか、わたしの部隊とも格が違う。否応なく認めざるを得ない……はっきりとわたしは、圧倒されていた。
「孫権さま、ここは一時撤退を!」
「しかし……!」
「ここで兵を犬死にさせれば、守れるものも守れなくなります。お辛いでしょうが、堪えて下さい」
こんな時でも冷静に支えてくれる思春に気を遣わせている。……そんな自分に腹が立つ。
「っ……全軍、一時退却する! 無駄に命を散らすな!」
「甘寧隊は殿を勤める! 我らが玉を守り抜け!」
当然のようにそう続けた思春に、わたしは思わず噛み付きそうになって……自制した。
これ以上、わたしの未熟で困らせるわけにはいかない。
「(わたしに、出来るの………?)」
姉様もいない。冥琳も祭も穏もいない。傍に居る旧臣は思春一人。
それでも………
「(弱気になるな! わたしは江東の虎の娘、孫仲謀だ!)」
負けられない。呉の……いや、大陸の平和がすぐそこまで来ているのだから。
「………………」
この二年余りで、随分色んな事があった。大陸中で黄巾の乱が起こって、天の御遣いの降臨、先帝の逝去、群雄の決起、韓遂の反乱、そして……母様との別離。
「……それからも、色々あったっけ」
散姉とも離ればなれになっちゃって、月や詠と一緒に張魯殿の厄介になって、霞と戦って……月たちとも死に別れて、今はこうして西涼にいる。
「少し前まで、そんな事考えもしなかったのにな……」
母様にぶっ飛ばされて、たんぽぽが泣き言言って、散姉に遊ばれて、五胡の連中をやっつけて、毎日馬で駆け回る。
そんな日々がいつまでも続くって、何の不安もなしに漠然と思ってた。
「結局あたし馬鹿だから、実際にそうなるまで何も気付けないんだ」
ここにこうしている事もそう。西涼を取り戻すって事ばかり考えてて、そっから先は空っぽだった。
ニコニコ笑いながら槍をブン回してくる母様が、見えた気がした。
「いつまでも、後ろばっか向いてられないよな」
見下ろす墓石に、桶から一掬い水を掛けて洗う。……しばらく来れなくなるから、雑草とかも抜いとこう。
「……西涼にいたからって、昔に戻れるわけじゃないんだな」
どこかにそんな気持ちがあったんだと思う。だからこそ、打ちのめされたんだと思う。
母様は戦って、死んだ。散姉は西涼を取り戻して新しい戦いに歩を進めた。あたしは……周りの状況に振り回されてただけ、あたしだけが大甘だった。
「そろそろ一人前のつもりだったのにさ……」
『十年早い』。目の前の墓石からそんな声が聞こえた気がした。
「……母様、あたし行くよ」
槍を担いで、あたしは母様に背を向ける。いつも背中を追い続けていた母様に、あたしの背中を見せて、振り返らずに歩きだした。