「貴様は、孫権さまを愛しているか?」
「…………………」
脅迫じみた有無を言わさぬ口調と、口にするロマンチックな単語との温度差がデカい。
「えっと………?」
酔いなんかすっかり醒めたけど、素で思考が追い付かない。何で思春がいきなりこんな事を?
「質問に応えろ」
睨まれて、まるで剣先を喉元に突き付けられているみたいなプレッシャーを感じる。
ヤバい。ごちゃごちゃ考えて時間を掛けるだけで斬られそうだ。……いや、そもそも考える必要なんて無いか。
「ああ、愛してる」
何はともあれ、俺の解は決まってる。たとえ思春の意図を知っていて、それを回避出来る回答があったとしても、これに関しては嘘を吐く気がないから。
「……そうか」
複雑そうな溜め息一つ、気を取り直して思春は俺を睨み付ける。その表情を訳すなら、『ここからが本場』といった感じ。
「それは孫権さまを妻に迎え、十呉一丸となって大陸を束ねる、という意味でいいんだな?」
……まさか、思春の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。呉が本当の意味で心を開いてくれるのは、まだまだ先だと思ってたし。
……が、俺は思春の意図を取り違えていた事を続く言葉で知る。
「孫権さまだけを愛し、決して悲しませず、夫として誇れる男で在るという意味でいいんだな?」
「…………へ?」
確認っぽい口振りの脅迫だった。怖がるより先に呆気に取られた俺に、思春はさらに続ける。
「貴様は常識外れな女好きだと聞いている。愛しているなどとのたまいながら、孫権さま以外の女にうつつを抜かすなどという事は……もちろん無いだろうな」
ちょ……っ!?
「誰がそんな事言った!? 宴会の時か!」
星、風、霞、その辺りか? そういう話題を平然とぶっちゃけそうなのは。
「鳳徳だ。前に呉に使者として訪れた時に勝手に色々と教えてくれた」
あんにゃろ……陰で何言ってるかわかったもんじゃねー。
と、とにかく! 今は思春の誤解を解かないと。
「あいつに何聞いたのか知らないけど、俺は常識外れとか言われるほど色ボケてないから!」
そう、俺が女好きというより、俺の周りに魅力的な子が多すぎるだけだ。
「そうか。それはつまり、孫権さまだけを愛するという意味で良いんだな」
少し安心したように釘を刺されて、しかし俺は―――
「だが断る」
「……………何だと」
さっきより三割増しに冷たい眼光。だけど俺は退くわけにはいかない。
「……もう一度だけ言うぞ。孫権さまだけを愛せ」
ついに命令形ですか。怖いぜ思春。でも退かん。
「俺は孫権の事を本気で愛してる。だけど、星や恋、桃香に関羽、稟、舞无、風、雛里、散、霞、翠、孔明……同じように大好きな子だっているんだ」
「十分多情ではないか!」
……ごめんなさい、言ってて俺も自分でそう思いました。
「かも、知れない。だけど……いや、だからこそ、嘘でも皆を“好きじゃない”なんて言いたくない。俺が皆を好きだって気持ちを、嘘にしたくない」
俺の気が多いのは……まあ認めるとしても。俺が皆に抱いてる気持ちを軽いものだと思われるのは絶対に嫌だ。
「……言い残す言葉はそれだけか?」
「……言い残す、ですと?」
目の前で膨れ上がった刺すような殺気に、俺は反射的に半歩退った。そこを一筋の紅い光が奔り、剣圧で前髪が揺れる。
確認するまでもなく、思春の斬撃。
「うおわぁっ!?」
遅すぎる悲鳴と共に、俺は大きく二、三歩バックステップ。そんな俺に、思春は太刀を逆手に持って歩み寄って来る。
………何か、青白い炎が幻視出来る。
「落ち着け! ここで俺を斬ったら……えーっと、せっかく上手く行ってる同盟の話がパーになるぞ!?」
「貴様のような軽薄な男と共に行けば、孫呉の未来は地に堕ちる。安心しろ、“貴様の大好きな”孫権さまは、私が命に替えても都から救い出してみせる」
「だから待てって! まずその剣を置こう? 話せばわか……」
「問答無用ーーー!」
言葉通りに容赦なぬ襲いくる鋭い斬撃の初撃を何とか受けて、二撃を跳び退いて躱す。この人マジなんですけど!
「あまり動くな、苦しんで死ぬ事になるぞ」
「こんな死に方認めるか!」
手摺りに足を掛け、中庭にジャンプ。三十六計逃げるに如かずだ。
「逃げるか卑怯者!」
「逃げるわ! 大体何で甘寧が俺と孫権の仲人なんかやってんだよ!? しかもメチャクチャなやり方で!」
「今から死ぬ貴様に教える必要はない」
「ふざけんな! 何でそんなワケわからん理由で死ななきゃならないんだよ!」
「刺されても文句の言えん立場だろうが貴様は! それとも蓮華さまのみを愛すると誓うか!?」
思春が追って来る。受けるだけで精一杯の斬撃が俺に止めどなく振り抜かれる。だけど……
「俺は命懸けでこの想いを守りきってみせるぅ!!」
「ならば死ね! 愛する女の手で逝けぬのは不服だろうがな」
「俺、甘寧の事も好きだぞ?」
「っ……やはり死ね!!」
「何でだよ!?」
「会ったばかりで何が『好き』だ! 貴様それでよく想いが軽くないなどとほざけるな!」
「それ誤解だって! そう思われるのも仕方ないけどちゃんと理由があるんだってば!」
「もはや聞く耳持たん! 我が『鈴音』の錆となれ!」
俺と思春の(一方的に)命を懸けた鬼ごっこは、真夜中の騒動を聞き付けた蓮華が駆け付けるまで続いた。
思春が一刀を追い回している光景を、中庭の片隅に縦に置かれた棺が覗いていた。
「あっはっはっは♪ さっすが一刀やなぁ、腹痛い!」
「助ける必要なさそうですね。彼女が本気なら、一刀はとっくにあの世行きかな、と」
その棺の蓋が開き、中から二人の女性が出てくる。一人は霞、一人は散。両者共に北郷軍五虎将に数えられる人物である。
「霞も、潰れたわけではなかったようで」
「あんなんで潰れるほど酒に弱くないよってな」
「りーだーは?」
「今ごろ孫権の部屋でも見張っとんのやろ」
霞と他愛ない会話をしながら、散は手にしていた短戟を背中の鞘に納める。もはや必要ない、という意思表示だ。
「とりあえず『孫権だけが好き』と言っとけばいいでしょうに、根っからのはーれむ野郎なのかな、と」
「はーれむ言うんはよーわからんけど、見たまんまやろ。ただのアホやで」
「さりげにあたし達の名前も混じってましたしね」
言いにくい事をさらっと口にして、近い内に一刀を酷い目に遭わせようかな、と考えている散は、眠たそうに大きく欠伸をする。
「あたしはこれで失礼します。子供の遊びに付き合うのはしんどいですから」
「ほーい。ウチはもうちょいあの追っ駆けっこ見物しとるわ」
「霞も若いですね、おやすみなさい」
眠い、と言ったわりには妙に足取りの軽い散の背中を見送って、霞は一人、一刀と思春の鬼ごっこに目を向ける。
「文字通り自分の撒いた種や、精々気張りぃな、一刀」
その一言だけに万感を込めて、呷った酒のせいにして満面の笑みを浮かべる。
世界を美しく照らす月明かりが、一段と綺麗な夜だった。
「それじゃ孫権、甘寧、また」
「……貴様、死ぬ寸前まで痛めつけたはずなのに、何故夜が明けたら平然と我らを見送っている」
「割といつもの事だしなー……」
思春の不機嫌そうな問いに、一刀が何でもないように応えた。……あれがいつもの事って、一体普段どんな生活を送っているの?
それよりも……
「興覇、何か隠しているのではないだろうな」
少し厳しい口調で再確認する。昨晩、何か慌ただしい音を聞き付けてわたしと、偶然行き当った趙雲とが向かってみたら、一刀が死にかけていた。
何でも、一刀がいきなり思春の真名を呼んだ、と一刀本人が言うものだから、それ以上深くは訊けなかったけれど、そもそも何故あんな時間に思春と一刀が会っていたのかは謎のままだ。
「滅相もありません。私はただ、この浮ついた不埒者に相応の鉄槌を下したまで」
「酷い言われようだ」
「何か言ったか」
「とんでもございません」
思春が太刀の柄に手を掛け、一刀が背筋を伸ばす。……とても一国の主の振る舞いではないわ。
「こやつが女に追い回されるのはいつもの事、そして大抵は自業自得。孫権殿も気にせぬ事です」
「まあ……そちらが納得しているのなら良いのだが」
趙雲の言葉に、わたしは渋々引き下がる。はぐらかされているのは一目瞭然だし、気になる事が幾つもある。
だけど……時間が無い。
「こほんっ……!」
思っていた以上にわざとらしい咳払いに自分で気まずくなりつつ、わたしは一刀の方へと向き直る。
そんなわたしの意図を察したのか、一刀がいつもの緩い笑顔でわたしを見る。
「今度はこっちが遊びに行くよ。大陸が平和になった後にでも、ね」
「わ、わたし達は別に遊びに来たわけではない。それに……」
昨日の夜、一刀と別れた後からずっと考えていた事を……口にする。
「…………蓮華でいい」
「え………いいの?」
「昨日からわたしは、いつの間にか何度もあなたを“一刀”と呼んでしまっていたからな……。盟友となる以上、対等な関係でありたい」
昨日程立に聞いた話だと、天の国では親しい者しか“名”を呼ぶ事はしないらしい。それはつまり、わたし達でいう真名と同じようなものなのだろう。
わたしの一大決心を受けた当の一刀は、釈然としないようにポリポリと頬を掻いていた。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺の“名前”ってこっちの真名とは結構ニュアンス違うよ? 確かに仲良くもない奴に呼ばれたら『馴れ馴れしいなこいつ』くらいは思うけど」
「……良いのだ。少なくとも、わたしはそれを真名だと認識していたのに呼んだ。そこに大きな意味があるのだから」
「………無理してない?」
気遣うような、労るような視線が、今はただただ腹立たしい。
そんなわたしの気持ちを代弁するように、趙雲が一刀の足を踏んだ。……彼女、北郷軍一の忠臣だと聞いていたのだけど。
「じゃあ、有り難く呼ばせてもらうよ、“蓮華”」
途端―――――
(ドクンッ)
一際大きな胸の鼓動と………
『……私を女として認めるならば、私のことは真名で呼んで欲しい』
『これで私は……んっ、ただの女になれたんだ』
『ああ……一刀……初めての人があなたで良かった……』
頭の奥に響く、“わたし自身の声”。
「(これは……なに……?)」
一瞬視界が眩むほどの自失から―――
「蓮華?」
「はいぃっ!」
覗き込んでくる一刀の顔が引き戻す。鼓動がうるさい、顔が熱い。
「わかったなら良い! では、わたしはこれで失礼する!」
この顔を見られたくなくて、わたしはそのまま背を向けて呉を目指す。
「わかりやすい御方だ」
聞こえるように漏らす思春の一言は無論無視する。
「(認めたくないものね)」
結局姉様の思惑通り、それを認めたくなくて、わたしは自分の気持ちに薄っぺらな蓋をする。
「(また会いましょう、一刀………)」
子供のように手を振っている姿を振り返りもせず確信して、心の中だけで再会を約束した。
――――そう、近すぎる再会を。