会うのは初めて、それは間違いない。
「だけど、そんなに簡単に援助を約束していいの? あなたが呉にそこまで助力する理由でもあるの? それに……他国の問題への過干渉は感心しないわ」
いくら考えても理由は解らない。だけど……懐かしい。話しているだけで、とても安心する。
「何言ってるんだよ、そのうち俺たちで大陸全体の問題と向き合わないといけないのに、これくらいで過干渉どうこう言ってられないだろ?」
「……“俺たち”というのは?」
「ん~……星たち、桃香たち、伯符たち、後は……これからの頑張り次第かな」
こんな事を、平然と言ってのける。怪しいという表現すら生温いと頭では解っているのに……疑う気にもならない。
そんな自分が解らない。
「真名で言われても解らないわ。……本当に非常識な考え方をするのね、あなたは」
「元が余所者だからさ。それでも大分染まって来たつもりだったんだけど」
「……思い違いよ、それは」
そんな心に抗するように努めて真面目な話題を出しては見るけれど、主導権は完全に一刀が握っている。
これが水面下での腹の探り合いなら、わたしは容易く手玉に取られている事になる。
利益を求めて他国に干渉するための薄っぺらな甘言。普段のわたしなら、絶対にそう思っているはずなのに………。
「思っていたより普通だなって、最初にあなたを見た時はそう感じたわ」
「へぇ……ん? なら会う前はどんな風に思われてたんだ?」
口が不思議なほど動く。渇きに水を求めるように………
「天の遣いを名乗り、都の実権を握り、地獄の使者に貶められ、悪辣な手段を以て連合を瓦解させた男。………もっと不気味な印象を持っていた」
「……改めて聞くと胡散臭いな、俺」
まるで――――
「………………」
「孫権?」
「……いや」
不意に心に浮かんだ言葉を、わたしは口にしないまま飲み込んだ。
「何でもないわ」
―――まるで、亡くなった大切な人と話しているようだ、なんて。
「ごひゅりんはま、ヒック……また知らない女のひろろ……」
「……雛里、酔ってるだろ」
「酔ってまふ……ごひゅりんはまに……」
「そんな台詞誰に習った!?」
「せーさんれふ!」
あれからしばらく、重要な話から他愛もない話をわたしと続けていた一刀は、フラりとやってきた鳳統に捕まった。
泥酔して足取りの覚束ない鳳統に縋りつかれながら、一刀は片手を上げて「ちょっとごめん」とわたしに言って宴会に戻って行く。
「………………」
わたしは一刀と共に宴会に戻る事はせず、月明かりに照らされた広い庭園をゆっくりとした歩調で回る。
そして、一刀が宴に戻ってから十分な時間が過ぎた頃に、“呼ぶ”。
「思春」
「ここに」
打てば響くように声が返って来る。声を便りに振り向けば、さっきから普通に視界に入れていたはずの木の影に思春が立っていた。
目の前にいるというのに、まるで霧か朧のように気配が希薄。これが隠密を旨とする思春の本領だ。
「いつから見ていたの?」
「この都に入ってから、一瞬たりとも蓮華さまから眼を離した憶えはありません」
「(やはり、か)」
思春の居場所を知っていたわけでも、その気配に気付いていたわけでもない。
それでも、確信があった。
魔王と怖れられる男の治める都で、思春がわたしを放っておくはずがないと。
「彼をどう見る?」
「余程の大物か、類稀な阿呆か、いずれにしろ変わり者ですね」
思春の言葉に心から頷く。一刀は結局、最後まで思春の存在に気付かなかった。
身を守る術も持たずに平然とわたしと二人になり、その首を無防備に差し出していた事になる。
もはや演技とは思えないが、しかし命を狙われる可能性に気付いていなかったとも思えない。
『君は、絶対にそれを望まない』
……あんな理由で、簡単に相手に手を広げて歩み寄る。解っている、一刀はそういう男だと。
「静観を貫いてくれたのは、ありがたかったわ」
「蓮華さまが途中から語調を変えられましたので、それを静観の合図と受け取りました」
………………え?
「語調?」
「……お気付きでなかったのですか。奴の事を名で呼んでもいたようですが」
「え? えっ!?」
意外そうな思春に言われて、わたしは自分の言動を振り返る。
……そういえば、途中から全然違う喋り方をしていたような。そうだ、“一刀”とも呼んでいた。
「(なっ、なんで……)」
口にしていた事に気付かなかった。頭の中で彼を指す時も当たり前のように“一刀”と呼んでいた。
「ほ、北郷の将たちが皆そう呼ぶから、つい……っ!?」
「……いえ、私に抗弁して頂いても」
咄嗟に出た言い訳に、思春も眉を困ったように潜める。自分でも苦しいと思うけど、他に理由が思いつかないし……。
「ところで……」
わたしが少し動転していたその時、思春の眼が鋭く細まる。その視線の先はわたしの……後ろ?
「いつまでそこに隠れているつもりだ?」
「きゃっ!?」
思春が睨んだその場所に、いつからあったのか、幅の広い黒塗りの棺が転がっていた。……何故、こんな所に棺が?
そんなわたしの疑問を余所に、棺がゆっくりとその蓋を開く。
「おや、バレた」
悪びれもせずに顔を出したのは……趙子龍。
「盗み聞きとは……趣味が良いとは言えんな」
「それはお互い様というものだ。そうした理由も含めて、な」
殺意すら籠もった思春の眼光をそよ風のように受け流して、趙雲は薄く笑う。笑って、わたしに眼を向けた。
「もっとも、無用の心配だったようですがな」
軽く頭を下げ、「では、私も宴に戻ります。失礼」と断ってから、趙雲は棺を引きずって戻っていく。
棺の端の方にHOUTOKUと書かれた不思議な紋様が見えた気がした。……あの棺、何?
「部下の方は、主ほど無用心ではないようですね」
「……彼女たちの苦労が忍ばれるわ」
一刀の非常識を支える趙雲の背中に、姉様に振り回されるわたし達の姿を重ねて、親近感にも似た同情を抱く。
覗き見については、別に咎めるつもりはない。こんな庭園の真ん中で隠し話もないものだ。何より趙雲の言った通り、隠れていたのはお互い様。
でも……
「思春、趙雲に気付いていながら、あんな意地悪な質問をしたの?」
語調が変わってしまっていた事、彼を一刀と呼んでしまっていた事、それを思春に指摘されて狼狽えた事、それらを見られていた事と趙雲の意味深な笑みを思い出すと……少し恥ずかしい。
でも思春は………
「…………………………………いえ、実は趙雲の存在に気付いたのは、蓮華さまと話している最中でした」
長い沈黙を挟んで、申し訳なさそうにそう言った。
「思春が、本当に気付いていなかったの?」
「……恥ずかしながら」
……………………………………あの棺、本当に何なのかしら。
などと、どうでもいい事を考えてしまっている頭を振って切り替える。
「………思春、わたしも姉様と同じように、北郷を信じてみようと思う。それが呉と、この大陸の未来に繋がると」
これから呉へと帰り、『姉様の気まぐれ』を皆が肯定的に思えるように働き掛ける。
信頼出来る盟友と有益な利害関係を長く続けていけるのならそれは、少なくとも覇道などより余程魅力的な道であるように見えた。
「御意の儘に。ただ……」
「ただ?」
「釘を刺しておく必要は、あるかも知れません」
思春がボソリと呟いた一言は、小さくてよく聞き取れなかった。
「水…………」
あれからしばらくして、蓮華と思春をそれぞれ客室に案内した後も、俺を含めた何人かは飲み続けていた(風と散と恋以外)。
自分が酔っ払った時でもやっぱり俺が皆のフォロー役になる法則でもあるのか、ふと小用から戻ったら皆潰れてた。
散と風は酔ってもないくせに棺の中で二人して寝てるし、俺は一人一人を部屋まで運んで寝かしつけ(貂蝉は放置したけど)、さっきようやく自分も寝ようかと思ったところで……気持ち悪くなってきた。
元々酔ってたのにおんぶや抱っこで何往復もしたんだから無理もない。
というわけで現在、俺は水差しでももらおうと廊下を千鳥足で歩いているのだ。
「水…………」
頭フラフラする。こんなに酔ったの久しぶりかも。
「飲め」
寝言みたいにぼやいた俺の前に、器に注がれた水が差し出された。
「あ、サンキュー」
頭回らないまま、差し出されたそれを一気に飲み干してから………
「(ん? 誰?)」
と気付く。
手にした水から視線を上げて、俺にこの水を寄越してくれた人物を見つけた。
「……………甘寧?」
「酔っ払いと話すつもりはない。少しは正気に戻ったか」
予想外の人物の登場に、俺の思考は大分クリアになっていく。言われなくても一応正気なつもりだけど。
「一応大丈夫。どうしたの? 廁?」
「……………………」
無視された。しかも、何だか値踏みするような不躾な(で良いんだっけ)視線で頭から足先までジロジロと見られる。
「……何か、用?」
流石に落ち着かなくなった俺は、若干引きつり笑いを浮かべながら訊いて…………
「貴様は、孫権さまを愛しているか?」
不意打ちかつヘビーなクロスカウンターをお見舞いされた。