「………………」
道行く人が皆……とは言わないけど、結構な割合で振り返る。もちろん、俺一人ならここまで注目される事なんてまず無い。
「えっと……星?」
「何か?」
俺と一緒にいる星が、明らかに人目を引いてる。本人は全く気にしてなさそうだけど。
ゆったりとした艶やかな白の着物の上から、透き通るような水色の羽衣を纏う姿は、いつもの格好みたいに肌が多く見えてるわけでもないのに、不思議な色っぽさがある。……かなり。
普段の星ならまずしないような艶姿と、俺と腕を組んで肩に頭を預けるような仕草。
『趙雲将軍』を知ってる人間なら自分の目を疑い、知らない人間でもその魅力だけで思わず振り返ってしまう。
今の星は、そういう存在だった。
「都の話題を独り占め、か。ふふっ、なかなか悪くない気分ですな」
気晴らしって言葉に嘘はなかった。この星、かなりノリノリである。
「もうちょっと人目を気にしようぜ。俺は正直恥ずかしい」
「おや、主はこの私を隣に侍らすのを恥ずかしいと仰るのか」
……あー、こいつズルい。意地悪そうに『ニヤリ』って顔しても、俺が否定出来ないって解ってるあたりかなりズルい。
「大体、何でまた敬語なんだよ。機嫌悪いの?」
「たまには気分を変えてみるのも悪くないと思いまして。さしづめ今の私は、没落し、悪の魔王に無理矢理娶られた哀れな貴婦人……といった所ですかな」
……素直に夫婦とか恋人とかいう発想は出ないのかね、君は。
けど………
「そうだな」
たまには、いいか。
「毒を食らわば皿までってね。どうせサボるんなら思い切り楽しむか!」
妙な事を言うのはいつも通りだけど、今日の星の笑顔はいつもよりずっと“含み”が無い。
せっかく女の子らしい部分を見せてくれる星との時間を満喫しないのも勿体ない。
「あ…相変わらず開き直りは一人前ですな」
突然肩を抱き寄せられて、星はちょっと吃る。さっきまで振り回されてたから、してやったりな気分だ。
「しかし………」
星は俺の顔をじ〜っと見てから………
「……この話し方、隔意なく話すと不思議と違和感が無い」
何だか考え込むように呟いた。まあ、不思議に思うのも無理ない。最初はただの荷物持ちだったし、この世界で星は俺に敬語なんてほとんど使ってなかったんだから。
「……さあね。前世で星が、俺にそういう話し方してたのかも」
「……ほう」
誰が聞いても冗談にしか聞こえない俺の言葉に、星は満足そうに溜め息を吐く。
―――そして、伸ばした両腕を俺の首に絡めて………
「ッッ!?」
その桜色の唇を、俺の唇に押し当てた。
「んむっ……ふぅ……」
触れる、なんて生易しいものじゃない。頭を抱え込んで放さず、食らいつくように唇を重ね、積極的に舌を絡ませる。
「(えっ!? あっ! おっ……!?)」
完全にパニック状態になった俺には、星の唇の感触と、目の前で閉じられた瞼に揃う睫毛しか認識出来ない。
「ぷはっ……」
やがて、星は息苦しさから唇を離す。半ば放心状態で呆ける俺は、考えもまとまらないままに手を伸ばして……軽く飛び退いた星に躱された。
「ふふん、間の抜けた顔をしているぞ」
ここら辺で、頭が追い付いて来る。要するに、人目も憚らずにディープキスされて、周りからメチャクチャ見られてる自分たちに気付いた。
「お、お前なぁ……!」
これじゃ完全に馬鹿ップルだ。顔が赤くなってるのがはっきり判るくらいに熱い。……っていうか、星の顔も赤い。
「これで互いに一本ずつ、痛み分けといったところか」
「何の話だよ……」
そもそもいつ俺が一本取った。赤面するくらい恥ずかしいくせに、何故差し違える覚悟で俺をおちょくる。
そんな色んなツッコミも、意地悪というよりは楽しそうな星を見てるとどうでも良くなって来る。
「あらん、星ちゃんってば天下の往来で昼間っからご主人様とイチャついちゃって! わたしも混ぜてぇ〜〜〜ん☆」
寄るな化け物。
「羨ましいか、反対側の腕なら組んでも良いぞ」
「許すな!」
途中で死ぬほど濃い奴に出くわした事を除けば、心底幸せな時間だった。
―――だけど、俺は気付かなかった。
「…………………」
そんな俺と星の姿を、茫然と見ていた仲間の存在に。
「まったく、一刀殿は………」
今日何度目かという不満を漏らしながら、私は城の回廊を歩く。
どうせ劉備殿の事で上の空にでもなっているだろうと思って様子を見に行ってみれば、上の空どころか仕事をほったらかしにして当人は姿を消していた。
そして日が暮れる頃に、綺麗に着飾った星と二人で帰って来た。
ちょっとでも心配した私自身も含めて腹が立ったので、散々小言を聞かせ、今は(当然)残しておいた仕事の山を星と二人がかりで片付けさせている。
拙いながらも最近政務に尽力してくれている陛下の爪の垢でも飲ませてやりたい。
「まったく、一刀殿は…………」
口癖になりつつある台詞をまた口にして、私は疲労に任せて肩を落とした。
うちの陣営には変り者が多すぎて、いつだって私や雛里のような真人間が苦労するように出来ている。
日頃大変な分、もう少し報われてもいいはずだ。
『いつも迷惑ばっかり掛けて、ごめんな?』
謝るくらいなら、態度で示して下さい。
『ほら、そうやって眉間に皺を寄せない。綺麗な顔が台無しだ』
あっ、ダメ…気安く女性の顔に……綺麗だなんて……そんな軽口に騙されませんよ。
『ホントは嫌がってなんか無いくせに、稟の体はこんなに悦んでるんだよ』
ダメ! こんな場所で……そんな淫らな……!
『本当に? やめていいの?』
あっ……うぅ……ごめんなさい。素直になりますから……意地悪しないでぇ………。
「何でやねん!」
「痛っ……は! ここは……?」
後頭部に突然走った軽い痛みと同時に、私の周りの景色が変わっていた。
おかしい。私はさっきまで玉座の間で一刀殿に………。
「目が覚めましたかー?」
「………風?」
聞き慣れた、間延びした声に振り返ると、竹筒を握った風が立っていた。
……よく見れば、ここは風の部屋。さっきのおかしな口調は……風?
「たまには霞ちゃんでも見習って、鋭いツッコミでもと思いましてー」
見習う部分を明らかに間違ってるわよ。それより………
「どうして私が風の部屋に居るんですか。私はさっきまで取り込み中だったはずなのに、何か急用でもあるんですか?」
「やれやれ、鼻血の海に沈む前に助けてあげたというのに、何とも酷い言われようなのです」
「ま、元気だせ風! 稟が妄想爆発させるのは今に始まった事じゃねーだろ」
「それもそうですねー」
……あなたはぬいぐるみと一緒に何を納得してるのよ。
………………………………………………妄想?
「(またやった……?)」
風の何気ない一言に思い到って、私はガックリと両掌を床に着いた。
時々ある、記憶の前後が飛んでいたりする時、私は鼻血を噴いて気絶してたり妄想の世界に浸って帰って来てなかったりするらしい。
最後に正気だったのは………………回廊を歩いていた時? どちらにせよ、風の部屋に私が居る理由が解らない。
「ん」
そんな私の心を読んだように、風が私たちの右の方を指差した。
指差す先に………
「ひっく……ぐすっ……」
「……舞无?」
さっきは気付かなかった寝台の上、布団の端から銀髪が僅かに覗いている。
机に並んでいる徳利の数を見る限り、大分呑んでいるみたい。
「いい大人が、何を泣いているのですか?」
「泣いてないもん!」
何が“もん”ですか。
「もうずっとこの調子なのですが、風はあまりお酒も呑みませんし、そろそろ稟ちゃんに交代して欲しいと思ったり、思わなかったり」
「何で私が泣き上戸の相手をしなければならないのですか」
大体、私と舞无はお世辞にも仲がいいとは言い難い。しかも舞无の酒癖は、多分うちの陣営で一番悪い。
「………ぐぅ」
「寝るな!」
「おぉ!?」
「自分で拾って来たんなら、最後まで自分で面倒を見ればいいでしょう」
「それは聞くも涙、語るも涙の出来事でー」
……聞いてない。風はこうなると押しが強い。こうやってのらりくらりと話を躱しながら強引に話を進める。
「わっ!?」
私がもう半分諦観した気持ちになった時、いつの間に布団から這い出して来たのか、舞无の両手が私の足首を掴んだ。
「めがねー、お前も付き合え! 呑まずにやっていられるかぁ!」
「……もう眼鏡じゃないと何度言えば解るんですか」
「うるしゃい! わたひの酒が呑めないって言ふのくぁ!?」
「…………はぁ。わかりましたよ、付き合えばいいんでしょう? 付き合えば」
「うん!」
鬱陶しくまとわりついてくる舞无と、さりげなく杯に酒を注いで差し出してくる風の姿に、私は今日の睡眠時間を節約する事を諦めた。