「くっそ! また逃げられた!」
陣を囲む柵が破られ、食糧に火を放たれ、不意を突かれた兵たちは一蹴される。
こっちが体勢を立て直す頃には馬蹄の音は闇夜の奥へと遠ざかっていく。
「………これで、何度目だ?」
「ぐぅ……」
「寝るな!」
俺の質問に応えずに舟を漕ぐ風(宝慧)をポスンと叩く。が、今回は眠いのも良くわかる。
「コラー! 逃げるな貴様ら! それでも武人か! 正々堂々と戦えーー!!」
一人元気なのは舞无くらいのもんである。
「今まで情報戦を第一としてしてきたツケですね。先手を打たれ、対応が遅れてしまった」
申し訳なさそうに眼鏡を押さえる稟も、頭がふらふらと揺れている。それも当然、ここしばらく、俺たちはまともに睡眠を取れてない。……舞无を除いて。
「……霞の神速部隊でも捕まえられない?」
「準備万端でよーいどん! なら負ける気せぇへんけどな……。流石にこんだけ神出鬼没やと間に合わんわ。……それに、あっちも相当疾いで」
「……だよな」
前の世界で、“彼女”と戦った経験は無い。実際に敵に回してみると、ここまで厄介なもんだとは。
「………?」
ふと、頬に冷たい感触を感じた。肌に突き刺さるような寒さの中で、一際冷たく。
「雪、か」
見上げた空に、その正体を見る。純白の欠片が、黒い空からポツポツと、しかし徐々に勢いを増して俺たちに降り掛かっていた。
「う〜、寒いのです〜」
「よしよし」
天幕の下、ちゃっかり膝上に座している風ごと包むように毛布を被る。俺も寒いから好都合だ。
「……あかんなぁ、このままやったら士気も下がる一方やし」
いつもは肩に羽織を掛けてるだけの霞も、腹丸だしの舞无も、もちろん俺も稟も風も、分厚く着込んだ上から外套まで着てる。
「……このままでは、漢中に着くまで士気が保たないかも知れませんね」
「稟! 軍師とはいえ、将が容易く弱音を口にするな! 全体の士気に影響するだろうが!」
この悪条件でも元気な舞无が、稟に向けて人差し指を突き付けて、ある意味正論を言い放つ。
「つっても、このまま戦い続けて兵に無理さすのも、士気に影響あるやろけどなぁ……」
肩を竦めて応えた霞の言葉もまた、正論。
「……………」
孫策が、俺たちとの同盟を成立させて、自国へと帰っていった直後の事だ。
漢中の張魯が、俺たちが統治していた涼州に攻め込んだという報告が、天水でそれを食い止めていた西(高順)から届いたのは。
俺たちはすぐに、華琳や袁術が動いた時のために、洛陽に星、恋、散、雛里を残して、援軍に駆け付けた。
攻め込んできた張魯軍の退路を断って挟み撃ちにするように、長安から“がら空きのはずの”漢中に攻め込んだ俺たちは、そこの中途に聳える陽平関に続く途中、予想外のものを目にする事になる。
白銀の『馬』一文字。
張魯の本隊と思われる、六万の大軍が天水を攻めていた事で、逆に、鉄壁の要衝である陽平関を突破するチャンスだと思った矢先に、これだ。
韓遂の反乱によって西涼を追われた馬超……翠は、張魯の許に身を寄せていたわけだ。そして今回戦を仕掛けてきたのも、おそらくは西涼を取り戻したいっていう翠の意思が大きく絡んでいるんだろう。
翠にとっては、俺自身が母親の仇じゃなかろうと、故郷を牛耳ってる時点で敵なんだろうし。
それ以降、西涼兵お得意の散発的な遊撃や奇襲が昼夜問わず繰り返されている。俺たちは夜も満足に眠れず、士気は下がる一方である。
そこに、この雪だ。状況はかなり悪い。まだ漢中どころか、陽平関も突破出来てない。
唯一助かったのは、俺たちが援軍に駆け付けた事で、天水を攻めていた張魯の本隊が引き返したらしい事か。
「馬超が張魯の許に居る事を事前に知り、散を連れて来ていれば、あるいは説得も可能だったでしょうか………?」
「う〜………ん」
稟に言われるまでもなく、それは考えた。前の世界での事が恋みたいに思いっきり影響してない限り、俺が説得出来るわけもないだろうが、散は違う。
小さい頃から、翠と花(馬岱の事らしい)のお姉さん代わりだったみたいだから、説得は出来たかも知れない。
だが、実際にイメージしてみると………
『散、馬超を説得して味方に引き込めないか?』
『無理かな、と思いますよ』
『………何で?』
『お嬢はあれで、身内が敵側にいるくらいで考えを変えるほど甘ちゃんではないので。そんな程度の軽い気持ちなら、最初から張魯の手を借りてまで出兵なんてしません。それに……』
『それに?』
『あたしも女将も、そんなぬるい育て方をした憶えはありませんから』
「………いや、無理だと思う」
二人の性格を知ってる俺だからか、みょ〜にリアルにイメージ出来てしまう。
「俺たちが撤退する瞬間を馬超たちも狙ってるはずだし、何よりこの先常に西方に脅威を抱えとくってのは美味くない。出来れば今回で張魯とは決着つけたい所だよな……」
「せやったら、どないする? 今のまま陽平関に力押し掛けるんも無理やないやろうけど、相当な被害になんで」
「野営に対する奇襲の連続で、我が軍の士気はかなり下がってますからね〜」
俺の呟きに、霞と風が至極もっともな意見をよこしてくれる。確かに、出来れば余計な大被害は出したくない。
奇襲に対するために、急造の拠点をもう何度も建てようと試みたけど、その建造中にも何度も奇襲を受け、結局失敗している。
「……………」
俺は、自分の中にある少ない知識を総動員して、対策を立てる。とりあえず、奇襲続きで疲弊しきった現状を何とかしないと、力押しで陽平関を破る事も難しい。
「………稟、風、こういうのって、出来るかな」
出来れば、翠を傷つける事もしたくない。誰にも言えない痛みを、俺は決して口にする事は許されない。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
北郷には、感謝しなきゃいけない。
『袁紹には、気を付けろ』
どういう事かわからないけど、あいつはあの時からすでに、麗羽がこういうこういう行動を取るってわかってたんだ。そして、私に忠告してくれた。だから私は、迅速に事に対処する事が出来た。
「公孫賛様! 第三の防柵まで破られました! ここは一時撤退してください!!」
なのに……結局はこれか。私は……この乱世を生き抜ける君主じゃなかったって事か。
騎兵隊の機動力と突破力なら、こちらが上だった。不意を突かれたわけでも、策にはまったわけでもない。ただ、数が違いすぎた。
「……ここで退いたら勝ち目は無い。たとえ敗北する事になっても、少なくとも幽州の民を戦火に巻き込む事は無い」
「しかし!」
「聞こえなかったのか! 討って出ると、そう言ったんだ!」
私を信じてついて来てくれた兵たちには、堪えがたい事だろう。こんな所で終わるのは。
「私が死んだら、全員降伏しろ。こんな無能に、死後まで付き合うことは無い」
この中には、北郷に託された啄県の人間もいる。そして私が敗れた後は、私より無能な麗羽が啄県を治める事になる。
『見てろ、いつかお前たちが仕えなかった事を後悔するくらい立派な君主になってやる』
いつか悔し紛れに言い返した言葉。今では、自分で笑ってしまう。
「……すまないな」
誰に呟いたのか、自分でもよくわからない。そのまま白馬に飛び乗り、睨み据えた先には、荒原に広がる、悪趣味な金色の鎧の群れ。
「……ただじゃ死なない。顔良か文醜の一人くらい、地獄への道連れにしてやる」
鞘から剣を抜き、駆ける。こんな無様を晒した私を見捨てずについて来てくれる兵たちを率いて、袁紹軍の兵士を次々に斬り倒す。……キリが無い。
「はぁあああ!!」
横に薙いだ一閃が、敵兵の首を宙に飛ばす。返り血が髪を、鎧を汚していく。
馬術には、少し自信がある。何をやっても『普通』と言われる私の、唯一の長所かも知れない。
馬首を左右に揺らし、必死に剣を振るう。時間の感覚すら薄れる疲労の中で、ただひたすらに戦い続ける。
「(麗羽は、何を望んでる……?)」
北郷に、桃香に、曹操に、君主として劣っているのは認めよう。でも……
「(どうせ、大した事を考えてすらいないんだ)」
自己顕示欲、かも知れない。自分が一番に見られたいだけなのだとしたら……。
「(あいつには、絶対に屈したりしない)」
私は、王の器じゃないのかも知れない。それでも、気持ちだけは負けてないと、信じたかった。
(ジャーン! ジャーン! ジャーン!)
どこからともなく、銅鑼の音が響き渡る。
「助けに来たよ、白蓮ちゃん!!」
「数に怯むな! 奴らは浅はかな欲望に駆られる袁紹の手先! 我らとの志の違いを見せてやれ!!」
「狙いは顔良、文醜! 頭を潰せば後はホントに烏合の衆なのだ! 皆、鈴々に続けぇーー!!」
遠くて、何を言っているのかまではわからない。でも、風に靡く旗は、しっかりとこの眼に焼き付く。
緑の良く映える、劉旗。
「桃、香………?」
この二ヵ月後、顔良と文醜という袁家の二枚看板を欠いた袁紹軍は、勢いに乗った公孫賛、劉備の連合の猛攻を受け、その兵力差を覆されて敗北する事となる。
(あとがき)
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
年末年始でしばらく停止しておりましたが、そろそろ復活といきたいと思います。忘れられてるかと恐々としつつ、久しぶりの更新を。