『白蓮ちゃん……この戦い、わたしに預けて欲しいの』
これほどの大軍勢が荒野を埋めてるって言うのに、刃がぶつかる硬い音が滑稽なくらいに良く響く。
『突然やってきて無茶な事言ってるのも、白蓮ちゃんが曹操さんと正面から戦いたくないのも……解ってる』
私は手にした剣を高々と差し上げて、大声で号令を掛ける。
『でも……信じたいの。戦いなんてしなくても、皆が力を合わせれば、平和な世界が創れるって』
私は……こうなる事を覚悟してた。曹操のやつが、人に言われてあっさり兵を退く姿が想像出来なかった。
『責任は、取るよ。もし………曹操さんが……剣を納めてくれなかったら……』
見てるこっちが苦しくなるような顔でその言葉を絞りだした桃香に………
『白蓮ちゃんの代わりに、わたし達が戦う』
頷いて返したのも私だ。
「(馬鹿だよなぁ……お前は………)」
桃香たちがやられれば、次は私たちの番なんだ。……いや、そうじゃなくても……
「(見殺しに出来るわけないだろ……!)」
私を筆頭に、白馬の群れが突き進む。前方に広がる深緑の軍勢が、水面を切るように道を開く。
……流石、桃香は頼もしい仲間を連れてる。
「(無謀だと思う。綺麗過ぎるとも思う。無茶苦茶だとも思う。……それでも、馬鹿に出来ない)」
放っておけないって、力になってやりたい。そう思わせる優しさ、ひた向きさ。それが……桃香の力。
「こうなったら、とことん付き合ってやるよ」
はっきりとした言葉でも、絶望的な実感でもない。あまりにも呆気なく、そして自然に………
私は、私が王じゃない事を理解した。
「七乃ー、朕は蜂蜜水が飲みたいのじゃ」
「またそんな事言ってー、蜂蜜なんてそんなほいほい買ってたらあっという間に路銀使い果たしちゃいますってば。というわけで、普通のお水で我慢してくださいね♪」
行商の樽に身を隠して宛から逃げ出した私とお嬢様は、とりあえず揚州とは正反対の西へ向かう。まだ全然行き先とか決まってないけど、とりあえずこのまま旧都・長安あたりに向かってみるつもり。
「ぐむぅ……何故帝たる朕がこのような思いをせねばならんのじゃ、大体この水、そこの川で取ってきた物であろう。こんなの嫌じゃ」
城から持ち出した高価な装飾品とかを、偶然出会った結構な美形さんにぜ~んぶまとめて売っちゃったから、実はそれなりに懐豊かなんだけど……蜂蜜よりも宿代とかに回した方が建設的だし。美羽さまを守るのってもう、ホントのホントに私一人になっちゃったから、悪ノリもほどほどにしないと。
「……美羽さまぁ、前から思ってたんですけど……」
「何じゃ?」
「その『朕』って、全然似合ってません♪ 何か響きも卑猥ですし」
「ッッッッ!!?」
私の暴露に、美羽さまは石みたいに固まった。確かに美羽さまが増長に増長を重ねるのは見てて楽しかったけど、この先、人前で自分の事『朕』なんて言ってたら命がいくつあっても足りない。我慢我慢。
「もう私たちはぜ~んぶ放り出して南の楽園目指してるんですし、美羽さまは前みたいに『妾』しかないですって。間違いなく」
「そ……そうか?」
増長もいいけど、こうやって上目遣いに私を見る美羽さまもアリ。妾、も不味いような気がしなくもないけど、そこまで直して良い子ちゃんになられても困る。
「と、いうわけで♪ 張り切って長あ……」
「あ~~ら、そこにいるのは、美羽さんに張勲さんではありませんの?」
私の意気込みを遮るように、どこかで聞いたような声が背中から掛けられた。ふと意識を前に向けてみると、ガタガタブルブルと震えて固まってるお嬢様。
「ど……どちらさまでしょぉ~~?」
嫌な予感を半分くらい確信しながら、私は恐る恐る振り返る。そこに……
「……袁紹さん、ですよね? 痩せました……?」
予想通りの人が、予想に反した格好でそこに立っていた。自慢の金髪のクルクルは瑞々しさを失って萎み、あの無駄に高価な金ぴか鎧もどこへやら。
「………色々ありましたの、色々……」
私の問いに、袁紹さんは応えになってるのかなってないのかわからない返し方。何か悟ったような遠い目で、虚空を見る。
え~、と……。冀州って曹操さんあたりに攻め落とされたのかな? 取り巻き二人もいないし。
「………………」
とりあえず、触れないでおいてあげましょうか。……と思ったのも束の間、袁紹さんはこんな時でも相変わらずな、口元に手を添える高飛車な仕草で偉そうに切り出した。
「わたくし、南方にあると言われる伝説の楽園を目指して旅をしている最中ですの。ここでお会いしたのも何かの縁。お二人も、旅の供に加えて差し上げてもよろしくてよ?」
その言葉に、今まで震えて固まってたお嬢様が弾けるように覚醒する。
「なっ!? 何故妾らが麗羽について行かねばならぬのじゃ!? 大体、南の楽園にたどり着くのは妾らじゃ!」
と、至極もっともな反論。……っていうか、あれ? 南の楽園って、ホントにあるの? 私が適当にでっち上げた話だったはずだけど、袁紹さんも知ってたって事は………。
「あら、元々目的地は同じでしたのね? だったら話は早いですわ。とりあえずは長安に向かって路銀と物資を確保して……」
「な~にが路銀の確保じゃ。そんなもの、妾の名声を以てすれば……」
「甘ったれるんじゃありませんことよっ!!」
私そっちのけの従姉妹の言い争いが、袁紹さんの大喝で一度止まる。
「世の中、そんなに思い通りになるもんじゃありません! 自分ばかりではなく、周りにも目をお向けなさい? 生きる事、それ自体が戦いなんですからねっ!」
「は……はい………」
袁紹さんの言葉に度肝を抜かれたのは、美羽さまだけじゃなく私も同じ。袁紹さん……世間の荒波を乗り越えてきた?
「さあっ! この辛く苦しい乱世を、共に力を合わせて乗り越えましょう!」
……まあ、それはそれとして、心細いのもあるんでしょうけど……。
あ~あ、私とお嬢様の二人旅が~……。
「空が綺麗だなぁ」
火照った体を大の字に開いて寝転がると、朝の冷えた空気が肌に気持ちいい。……まあ、代わりにあちこち痛むけど。
「だらしないな~、一刀は♪ ま、病み上がりな事やし、今日はこの辺でやめとこか」
俺を見下ろしてけたけた笑う霞が、脇に掻い込んでいた偃月刀(模擬刀)をくるんと肩に担ぐ。
しばらく寝込んでたし、久しぶりに体動かそうと思って霞に付き合ってもらったんだけど、見事にボロボロにされた。……鈍ってなくても勝てやしないんだけど。
「まったく、こんな朝早くからよくやりますね。手が痛くて政務に障った、なんて言い訳は聞きませんよ?」
回廊の石段に腰掛けたまま、呆れたような、でもどこか楽しそうな声で稟が釘を差す。
そんな他愛無い仕草もやけに可愛く見えて、少しの間稟に見惚れてたら……
「……せや、大変やった」
やたら苦渋に充ちた呟きと共に、霞が大きく息を吐き出した。
「ただでさえ星たちが出掛けて忙しい時に、一刀に続いて稟まで寝込んでんからなぁ………」
「「っ…………」」
罪悪感という名の刃物が、俺の胸に突き刺さる。見てみれば、稟も動揺してる。……なるほど、今、俺もこんな表情してるのか。
「ウチが化けモンと協力して忙しく警戒しとった時に、一体何をしとったら風邪が移るんやろなぁ~、ナニをしとったら」
「「すいませんでした」」
チクチクと痛い視線を飛ばす霞に、俺と稟は揃って頭を下げた。
普通なら、あの状況で風邪移るなんてそこまで珍しくないんだけど……訊かれた稟が鼻血出すんだもの、そりゃバレるわ。
「ま、それはもうええねんけどな。元気になったみたいやし」
謝られて、霞はあっさりいつもの人懐っこい笑顔を見せる。霞が粘着質じゃなくて良かった。ホント。
「よっしゃ、気張んで~。星たちが戻って来た時、仕事大量に残しとったら悪いもんな!」
「おう」
「はい」
星たちが袁術軍を破り、伯符と挟撃して豫州の残党を平らげたって報告があったのが、つい昨晩の事。
伯符との交渉も星や風が巧くやってくれたみたいで、何もかも良い方向に進んでる気がする。
―――その時の俺は、そんな風に思っていた。
北方に於ける曹操軍と劉備・公孫賛連合軍の戦いは苛烈を極めた。
兵力で勝る曹操軍を、諸葛亮の用いる神算鬼謀の戦術と公孫賛率いる白馬騎兵の機動力が翻弄し、しかし統率された魏の精兵は混乱の中でも将の、そして王の言葉を忠実に貫いた。
王と王の信念と未来は懸けた戦いは続き、そして決着を見る。
劉備・公孫賛軍の敗走という結末を以て。
王都にいる、国境に強い警戒を敷いていた北郷一刀の耳にこの報が届いたのは、それから一週間後。
――覇王・曹操が、実質的な北方の覇者となった後の事だった。
―――理想はひび割れ、誇りは歪む。二つの心はしかし砕けず、一つの道を突き進む。
叶う日を、或いは安らぐ場所を求めて。