「袁術が………?」
「らしいで。嘘ついとるようにも見えんやったしな」
昨日の演習が終わった後、何やら霞は一人で面白い事してたようで。真夜中に百人足らずの山賊を引き連れて帰って来た。
曰く、宛の袁術が突然皇帝を名乗って贅沢三昧。元から酷かった生活が輪を掛けて酷くなり、雁首揃えて都に逃げて山賊にくらすちぇんじしたらしい。
何だっけ。連合との戦いの時に一刀が孫策に投げた玉璽……を、孫策が袁術にあげたんだったか。
自分がまだこの陣営に居なかった時の成り行き(又聞き)を朧気に思い出しつつ、何か面倒になってきたので放棄する。
にしても、皇帝て。随分とまたあぐれっしぶなようで。
「………なるほど」
一刀は大して驚いてない様子。この状況を予測出来るほどキレる男じゃない気もしつつ、あたしはぐるりと部屋に集まった面子を見渡した。
皆、一様にあたしと同じ感想を持ってるらしい顔をしている。
「ッ……ごほっ、げほ!」
ちまみにここは一刀の私室。昼間に池に落ちた一刀は、一刀のくせに一丁前に風邪を引いてだうんしているようで。
同じ目に遭ったはずの舞无娘は清々しいくらい元気に爆睡していたというのに、情けない。
そのへたれの背中に手を回して支えるように、雛が小さい体で頑張っていた。このはーれむ野郎。
「今や朕の血族が大陸を統べているなどとは到底言えぬ……が、それでも下種にくれてやるほど安い肩書きではない」
袁術の蛮行にいたくご立腹なのは、まだ小さいものほんの皇帝陛下。形の良い眉を鋭く歪めて……目を伏せた。
「……されど、まだ若輩の朕に満足な判断が下せるとは思うておらぬ。貴様の良きに計らえ」
怒りを自制して、一刀に目を向けた。帝とはいえ………子供っぽくない子供だ。
その健気な言葉を受けた一刀は、自分の脇の下の雛を見て、軍師さんを見て、師を見て、ついでにりーだーを見てから口を開いた。
「降伏勧告とかしたら、聞いてくれるかな」
「無駄ですね」
間を置かずに切って捨てる軍師さん。さすが、眼鏡がなくても知的なようで。
「民や友軍の事を考えていた張魯殿の時とは場合が違います。暴政を敷いて私腹を肥やす統治者というのは、自らの保身を何よりも優先します」
軍師さんの説明を、雛が引き継いで………
「皇帝を名乗った上で降れば自分がどうなるか、それを考えれば、とても降伏なんて出来ません。……ご主人様のような考え方をするのは、桃香さんくらいだと思います」
そして師が締める。
「平気で皇帝名乗るくらいですから、そもそも自分が敗けるなんて想像もしてないのかも知れませんねー」
しかし、蛇足のように漏らしたりーだーの一言が、一番の決め手だったようで。
「何せ袁術は、袁紹の従妹だからな」
「あー………」
一刀は心底納得な声を上げた。袁家ってそんなに残念な連中なのかな、と。そういえば袁紹って、見事に空中分解された連合のりーだーだったか。
『…………………』
「……な、何?」
そのたいみんぐで、あたしと霞と恋以外の視線が一刀を刺した。一刀じゃなくても何事かと思う。
「お兄さんは相変わらず、あんばらんすですねー」
「連合の時は訳知り顔で袁紹や曹操を手玉に取ったかと思えば、袁術に関しては何も知らない。知識が妙に偏っています」
「恋の誕生日を一刀と貂蝉だけが知っていたというのも、妙な話だしな」
「う………」
雛を除いた古株三人に問い詰められて、一刀が詰まる。詰まって、頭を押さえて寝台に沈んだ。……何ですかね、この疎外感。
「……イジメちゃ、ダメ」
どこまで演技か判らない状態で横たわった一刀の前に、恋が立ちふさがる。
………ホントに皆、甘やかしますね。
「で、どないする? 西の連戦で国に負担掛かっとるし、しばらくは内政優先って事になっとったけど」
「うちは最近戦い続きでしたし、寒い季節の功城戦はあまり美味くありません。東には冀州を手中に収めた曹操さんがいて、ついでにお兄さんが風邪でだうんです」
頭でも痛いのか、不快げに眉根を寄せる一刀。その一刀にセキトを乗せる恋を一瞥して、霞が話題を戻す。すかさず補足する師が眩しい。
「偽帝討伐を梃子にして風評改善を狙うのも悪くありませんが、それならもう少し待って袁術の悪業が広まった後の方が効果的です」
あたし的にも軍師さんの意見が合理的な気がするけど、どうせ一刀の事だから………
「でも、今の段階でもう脱走者が出るくらい酷い状況なんだろ。風や稟の言う事は判るけど……やっぱり袁術は放っておけない」
ほら来た。まあ、今さら突っ込む気にもならないかな、と。しかしまあそれはそれとして………
「出陣はいいとして、あなたは連れて行きませんよ。普段に輪を掛けて役に立たない以上、そこでのたうち回ってればいいかな、と」
「ひでぇ……」
釘は刺しておく。同情はしない。風邪なんて引く方が悪い。
「………………」
何やら変な視線を向けてきた一刀に目潰しを食らわせようとして、あたしの手首は恋に掴まれた。惜しい。
「……わかった。総大将は星、参謀は雛里。それから風、恋、舞无、散で出陣。霞と稟は俺と一緒に洛陽に残る。……って感じで、いいかな?」
主君のくせに伺いを立てるように顔を覗き込む一刀に、雛は帽子で紅潮した顔を隠してこくこくと頷いた。……萌える。
「それと、散………」
「ん?」
「一つ、頼まれてくれない?」
寝汗に濡れた引きつったにやけ顔を見せられて、あたしは今度こそ鮮やかな目潰しをキメた。
「十からの使者、か。ふむ……一体何用じゃろうのう?」
祭が、呑気にあごを撫でている。けど、今はまだ輸送や援助もあんまり円滑に行える状態じゃないし、わりと深刻な用件かも知れないって私は思う。
「皇帝の名を借りての理不尽な要求、という可能性もあります」
「蓮華、先入観で物事を判断しないの。それとも、私の眼はそんなに信用ないのかしら?」
「そ、そういうわけでは………」
蓮華は相変わらず頭がお堅い。まあ、本当ならそれくらいが丁度いいのかも知れないんだけど。
扉が開き、思春と明命に迎えに行かせていた使者が入ってくる。短い黒髪に顔の半分を包帯で隠した少女。
「お久しぶりね、鳳徳」
「おや? ちゃんと自己紹介した憶えは無いんですが」
「一刀に紹介はしてもらったからね」
「なるへそ」
奇妙な相槌で納得したらしい鳳徳が、外套の中から一通の書簡を取り出す。
「早速ですが、うちのぼすから手紙を預かって来ましたので、読んでもらえるかな、と」
「……ぼす?」
「主君の事です」
何語? とか、「かな」って、読まないとあなたが困るんじゃ? とか、そういう疑問を飲み込んで、私は書簡を受け取る。
鳳徳の奇妙な言動が蓮華とか冥琳の警戒心を高めちゃってる気がするなぁ。
「………へぇ」
手紙の内容に、私は隠そうともせず、いかにも面白そうに声を出す。そのまま冥琳にも手渡した。
「偽帝・袁術、か……。玉璽を手にしたからといって本当に皇帝を自称するとは、馬鹿もここに極まれりね」
それを読んだ冥琳も、私と同じ感想を抱いたみたい。皇帝を名乗るなら、それを周囲の誰もが認める大徳と実績が必要。そうでなければ不必要な反感を買うだけ。そんな事もわからないなんて。
やがて、この場にいる全員が書簡の内容を頭に入れた頃、鳳徳が口を開く。
「豫州を押さえれば、両国の国交もかなり円滑になりますし。そちらにとっても悪い話じゃないかな、と」
「そぉねぇ……」
嘘じゃないと思う。袁術ならやりそうな事だし、わざわざ使者を鳳徳にしたのも、他国の謀略だと疑わせないための念押しって所かしら。
チラッと冥琳に目配せをすると、迷わず首肯が返ってきた。今回は冥琳も大賛成。何と言っても……“私たちの元々の方針”と利害が一致する。
「わかったわ。一刀にもよろしく伝えてちょうだいな」
「了解。これであたしも肩の荷が降りたってやつですね」
最初から重荷に感じてなかったように見えたけど………。
「まあ、今日の所はうちでゆっくりしていって。丁度美味しいお酒が入ってるから」
「むしろあたしはお茶がいいです」
素直に要求する鳳徳の返事に、祭がホッとしたように肩を落とした。
「……………………」
いつもと同じ部屋。いつもと同じ城。しかしどこか霧が掛かったようにぼやけた光景の中を、私は歩いていた。
「まったく、ご主人様は」
目を離すとすぐに執務室を逃げ出される。昨今では少しは自覚が出てきたかと思った途端、これだ。
また月に鼻の下を伸ばしているのか、恋に振り回されているのか、鈴々や翠に唆されているのか、星や紫苑に誑かされているのか………。
「………………」
想像していたら、段々腹が立って来た。大陸を統べる王たる御方が、仕事を放り出してあちらこちらで色目を使って、不謹慎にもほどがある。
………………などと、自分の想像を勝手に事実にすり替えつつ、無理な言い訳を繰りながら肩を怒らせる私。
……自分でもどうかと思わなくもないが、これもそれもご主人様が悪い。
私を変えたのも、私を掴んで放さないのも、全てあの方なのだから。
「(でも…………)」
こんな私でも、いいのだと思う。大願を果たした今、私の願いは一つだけなのだから。
向かう先、日の当たる温かな中庭に、鈴々が、星が、翠が、紫苑が、恋が、月が、詠が、そして……ご主人様がいる。
彼が振り返る。私は手を伸ばして…………
「ご――――っ」
――――跳ね起きるように、手を伸ばしていた。
いつもと同じ部屋。いつもと同じ城。いつもと同じ、“徐州の”私の寝台の上。
「………どうかしている」
夢の中というのは、おかしなものをおかしなものと認識出来ないから始末が悪い。
……いや、あんな夢を見る事自体がどうかしている。私の主は劉玄徳ただ一人。
大体、趙雲や呂布はともかく、誰だ? 月だの詠だの紫苑だの。
(ズキ……ッ)
「っ…………」
頭が、痛い。寝起きだからだろうか。欠伸もしていないのに、一滴の雫が頬を伝った。