いつもと変わらない王都の一日。特に示し合わせたわけでもなく、ただそれぞれが仕事の合間に訪れた中庭で、一刀と愉快な仲間たちは集まっていた。
「新刊の執筆ですか、師よ」
「まだ書き記してない単語も多いですから。というわけで皆さん、お茶を溢したりしないように気を付けて下さいねー」
東屋に座ってお茶を嗜むのは、風、稟、雛里の軍師らに加え、星と散。
「うりゃあぁーー!」
「っ!」
「逃げるな一刀! それでも男か!?」
「だっておまっ、刃潰してようと斧で殴られたら死ぬだろーが!」
「受け止めてみせろ!」
「無茶言うなーー!」
「問答無用ーーー!」
広い中庭で舞のような剣戟を咲かせるのが、霞と恋。そして逃げ回る一刀を追い掛けているのが舞无である。
「……舞无さん、楽しそうですね」
「わかりやすい生物ですからね。にしても一刀……敵わないまでも立ち向かう程度の根性見せろと」
「凹ませたままの方が良かったのではないですか」
「ふっ、心にも無い事を」
「稟ちゃんは天邪鬼さんですからねー」
「……“うっかり”お茶を溢してしまいそうですよ。メンマと紙の上に」
「!? う~……………………ぐー」
「………メンマの、茶漬けか。それはそれで」
高笑いを上げる舞无を雛里が見つめ、逃げ回る一刀を散と稟が酷評し、その稟を星と風がからかい、逆襲を受ける。
「さて、あたしも午後の演習の前に腹ごなししようかな、と。りーだー、付き合ってもらえますか?」
「ん……? いいだろう。一度手合わせしてみたかった」
「年増相手と、加減しなくていいですよ」
「自分で言うか……。言われずとも、そんな生温い槍は持ち合わせておらんよ」
そんな、一刀らを肴に興じた雑談がしばらく続いた後、そう言って散と星が立ち上がる。丁度その時、遂に舞无が一刀を追い詰めた。
「ちょこまかと逃げ回りおって、それでも武人か!」
「違うっての! って言うか中庭から逃げ出さなかっただけ褒めてくれ!」
下から掬い上げるように振り上げた戦斧の一撃が一刀の模擬刀を撥ね上げる。舞无はさらに踏み込み、がら空きになった胴に狙いを定めた。
「(ヤバい……!)」
一刀は自分が打ちのめされる様を明確に予見して、しかし腕は痺れて咄嗟に動いてくれない。
出来たのは、危機感のままに後退る事だけ。結果として、岩に足を取られてバランスを崩した。
「うわっ……!」
「もらったぁ!」
仰向けに倒れる動きの生んだ全くの偶然によって、一刀は舞无の突きから逃れた。だけでなく、足で体を支えられなくなった必然とも言える反射で、舞无の戦斧の柄を掴んだ。
「え………」
一刀が足を取られたのは、中庭を飾る池を囲んで居並ぶ石の一つ。舞无は体重を乗せて突きを放ち、倒れこむ一刀にその柄を掴まれた。
「うお!?」
「きゃあっ」
一刀と、思わず女性としての悲鳴を上げた舞无が縺れ合うように倒れる先はつまり…………細々とした薄氷の浮かぶ池。
『あ…………』
書き物をしていた風、茶器を片付けようとしていた雛里、一足先に午後の演習の準備を始めようとしていた稟、変わらずぶつかり合っていた恋と霞、今まさに初合を弾けさせていた星と散、誰もが注目する中で、二人は盛大に水柱を上げて池へとダイブした。
『…………………』
微妙に反応しづらい空気が場を支配した後、やはりというか何と言うか、最初に起動を果たしたのは雛里。
「ご、ご主人様~~!」
「舞无ちゃんはするーですか」
そしてすかさずツッコミを入れるのも風だった。
「………寒中水泳」
「いやいや、そりゃちゃうやろ、恋」
「まあ、十分準備体操はしていましたから、死にはしないでしょうけど」
「こんな半端な時間に風呂は沸かしてませんよ」
「ふむ、水も滴る……というやつか」
無責任な声援を浴びる一刀の耳に、「くちゅん……っ」と可愛らしいくしゃみが届いた。
「ぷはぁー! やっぱ一汗かいた後はこれやなー♪」
稟、雛里、散も交えての城外演習も終わり、それぞれの部隊が帰還する頃、霞は一人、森の奥地で小さな酒壺を傾けていた。
別に酒を呑むために隊を副官に任せたのではない。小用で離れて一人になったついでに呑んでいるだけだ。流石に兵たちの前では呑めはしない。
もちろん今の行動も稟あたりに知られるとうるさいから内緒である。
「あー、砂埃だらけで気持ち悪。もうちょい暖かったら水浴びでも出来んねんけどなー」
丁度いい大きさの岩肌に胡坐をかいて座っていた霞は、戯れに紐の先に括り付けた酒壺を振り回し……
「あんたもそう思うやろ?」
手放した。霞の背後、壺の飛んだ先で………
「ぎゃあ!」
壺の割れる軽い音と、中年間近の男の悲鳴が聞こえた。“ずっと霞を見張っていた”、額を割られて顔面を血塗れにした男は蹲り、顔を上げた時には偃月刀がその首筋に当てられている。
「動いたら斬んで」
男に、そして“男を遠巻きに見ている輩”に告げて、霞は獰猛な笑みを浮かべた。
恋の誕生日に散が獲ってきた猪は美味かった。自分も熊か何かと遭遇出来ればいいな、などと考えていた霞は、思わぬ獲物に舌なめずりなどしてみる。
「(見張りが少ない、この分なら全部足しても百……いや、五十もおらんか)」
演習の怒号や砂煙に怯えて森に引っ込んでいた山賊だろう。屶を手に震える目の前の中年男をとりあえず蹴り飛ばして振り返り、霞は舞いのように偃月刀を踊らせた。
「かかって来ぃや! 弱いもん苛めて物掻っ払うんは出来るくせに、女一人は遠巻きに眺めるしか出来んのかい!」
威嚇と挑発。そもそも山賊が女一人を狙う体勢としては連中の警戒は強すぎる。自分が何者かある程度察しが着いているのだろうと推測しての挑発だった。
怒り狂って向かって来るなら良し、怯えて竦むならそれも良し。要するに、霞はもう暴れる気満々なのだ。
万の精兵をも凌ぐ、などという言葉を証明出来るとすれば、それはおそらく彼女が死ぬ時だろう。しかしたかが山賊の百人足らず、彼女一人でやれない事は無い。
「(でも、森ん中追い回すんは大変やろーなぁ……)」
いくら強かろうが彼女の体は一つ。散り散りに逃げられれば全員捕まえるのは骨が折れる。
ゆえに霞は―――
「ホラホラどないしてん! そないなへっぴり腰でよう山賊なんてやっとんなぁ! 外道なら外道の意地ゆうもん見してみい!」
出来れば纏めてかかって来てくれんかなー、などと望み薄に考えながら罵倒していた。
その希望は………
「…………お?」
予想外にあっさりと、叶った。それまで隠れて霞を見ていた山賊の何人かが堂々と姿を現し、一人がどこかへ駆け出した。おそらくは仲間を呼びに行ったのだろう。
「(………何や、こいつら?)」
槍や剣を持っている者はごく僅か、ほとんどの物は木斧や竹槍、鍬や屶などの、武器とも呼べない武器を手にしている。
はっきり言って、兵士どころか山賊にすら見えない。ただの村人のようだった。
「……自分ら、ホンマに山賊?」
「……そ、そいつを放せ!」
霞の質問には応えずに賊の一人が指したのは、霞が先ほど蹴倒し、気絶させた男。それで霞は、山賊たちが逃げ出さない理由に思い到る。
「何や、悪党のくせに随分可愛えトコあるやんか。その心意気に免じて………」
仲間に呼ばれて、次々と山賊たちが駆け付けてくる。不意を突いて霞の背後から斬り掛かった青年が、返り討ちとして受けた裏拳に鼻を潰されて吹っ飛んだ。
「半殺しで許したるわ」
半刻も待たず、四十三の哀れな男たちが泡を吹いて天を仰いでいた。
「で、自分ら何で山賊なんてしてん?」
ウチをこそこそ見張っとった奴らは、見た目だけやのーてホンマに山賊っぽくない奴らやった。
戦い慣れとらんっちゅーより、脅ししかした事ないみたいな。酷い奴は棒立ちのまんましばかれとったもんな。
「へ、へい姐さん!」
「誰が姐さんやねん」
まるでウチがお山の大将みたいやんけ。
「『へい』やのーて、何で山賊なんかしとるんかって訊いとんの」
山賊の皮も被りきれとらん市井。おまけに仲間一人見捨てられん考え方。今までぎょうさん山賊はのしてきたけど、こいつらはちょい違和感ある。
半日は起きんようにどついた連中とは別に、ウチは最後の一人だけは眠らせんかった。そのまま縛り上げて話聞きながら歩かせとる。
「あの、俺たちこれからどうなるんでしょう?」
「知らんわ。取っ捕まえたやつの処罰決めるんはウチの担当やないねん」
残すやつ間違ったかも。動揺しとるんは解るけど、こいつ耳ついとんのか?
「ここです」
なんて話しながら獣道を抜けた所で、連中のねぐらに到着。……なーんか、手作り臭い山小屋が並んだ、山ん中ってのを差し引いてもへんぴな場所。
その周りには、女子供が二十人くらい。
「……家族連れの山賊か?」
「へい。お上は私腹を肥やして宮殿を飾り、民は高い税金を課せられ、安い給金で徴兵され、家族と引き離され、耐えられなくなった俺たちは、同じ思いの仲間と徒党を組み、家族を連れて山賊に身をやつしたんです」
ようやくウチの質問に応えたか。……ちゅーか、いかにも悲劇っぽく語っとるけど、ちょい聞き逃せん話やったぞ。
「ええ加減な事ぬかすなドアホ! いつ一刀がそないな弱いもん苛めしたっちゅーねん!」
城外の邑とかまでは政治の手が行き届いとらん、とかはあるんかも知れんけど、それやと重税とか私腹肥やすとかおかしい所が出てくる。
大体、一刀だけならともかく、稟や風や雛里までおってそないな酷い事になるとは思えん。
「? かずとって……」
「天の御遣いだの地獄の使者だの言われとるウチの大将や! すっとぼけんな!」
呆けとる男の胸ぐら掴み上げて凄んでも、不思議そうな顔を崩さん。……本気でわからへんのか?
「……俺、北郷一刀の事なんて一言も言ってませんぜ?」
「言ったやろが思っきり!」
このまま絞め殺したろか、ホンマ。
「だ、だって俺らは洛陽の南……宛から落ち延びて来たんですぜ!?」
それ早よ言えや、ウチはそう言ってそいつを放り投げた。