雛里と舞无の手料理と俺が買い込んで来た点心を、恋と舞无と散が大食い大会でもするような勢いで平らげ、浴びるように酒を呑む星と霞と貂蝉に稟が潰されたり、風がいつもより三割増しで宝慧喋りしたり、程よく皆に酒が入ったところで協君がやって来たり、誕生パーティーは随分賑やかなものになった。
貂蝉って予想外の情報源があったにしても、俺より皆の方がよっぽどしっかりしてたって事だ。……今さらか、そんなの。
「………恋」
「………?」
今は宴会の後片付けを終えて、何となく、俺と恋は鐘楼の上に腰掛けていた。夜の寒さを凌ぐため、厚手の掛け布に二人で身を寄せてくるまって。
「楽しかった?」
「……(コクコクッ)」
訊くまでもなかったか。あんな恋の笑顔は、前の世界でも見た事ないし。
「(約束、守れたのかな………)」
『前』の、恋の誕生日。また来年もお祝いをしようって約束をして………
『来年も誕生日会、やろうな? みんなで』
……約束どころか、世界ごと失った。生まれ変わった皆は、俺との記憶を忘れてしまった。
『あんたにはどこにも行って欲しくないってことよ!』
『私も離れたくないです………』
……二人との約束も、守れなかった。
「………ごめんな」
「……?」
こうやっていちいち沈むのを、引き摺ってるって言うんだよな。口先だけもいいトコだ……って、自覚出来るだけマシになったのかな。
胸の中の葛藤は口に出さずに肩を強く抱いても、恋は特に文句は言わない。………恋は思った事をそのまま口にするから、俺も不思議と隠し事が出来ない。
「…………………」
恋の小さな頭を抱いて、俺の表情を見られないようにする。今、恋の澄んだ瞳で見られたら……霞の時の二の舞になりそうだ。流石にあれほど酷くはならないと思うけど。
「………………」
「………………」
そのまま、言葉を交わすでもなく月夜を見るでもなく、じっと恋の頭を抱き続けていた。スンッ、と気持ちよさそうに鼻を鳴らす音が聞こえる。
解っていても、解っていなくても、恋は何も言わないでくれる。そんな甘えと、見くびりがあった。
―――だからだろう。
「……………一刀」
「っ……」
ただ名前を呼ばれただけで、こんなに動揺してしまうのは。
「……一刀は、偉い」
身体を離して、眼と眼を合わせて、腕を伸ばして俺の頭を撫でる恋。不慣れな言葉の意味するものは、俺にも解らない。
「……恋も、月も、詠も、本当だったら、斬られてる」
「え…………」
意味が解らなかった。百歩譲って月と詠の事ならともかく、俺が恋を斬る理由なんてどこにもない。
「たくさんの人が傷つくのが戦争。みんな、傷つきたくないから相手を倒す。でも………」
黄巾の乱で霞や恋と出会って、それからずっと一緒にいる。心当たりを辿って、ようやく気付いた。
「……一刀は不思議。一刀の周りには、たくさんの人が集まってる」
これは、きっと………
「敵だった人も、元から仲間だった人も……一刀の周りでは、みんな楽しそう」
この世界の話じゃない、前の世界の話だ。
「……みんな、一刀が、大好き」
記憶の混濁とか、矛盾とか、きっと恋は考えてもいないだろう。……ただ、強く理解する。励まされてる、って。
「全部守れるわけじゃない。でも、一刀は……たくさんのものを守ってる」
決して得意じゃない言葉を並べて、懸命に俺を元気づけてくれている。
「………ありがとう」
強く、強く、抱き締める。恋は嘘を吐かない。これは、恋の気持ちを言葉にしてくれたもの。
だからこそ、嬉しかった。
「(強くなる)」
不確かな決意の上から、さらに決意を重ねる。こんな俺でも何かを守れる、そう思ってくれる皆のために。
「強くなるよ」
何の根拠も確信も無い。いや、何をやっても絶対なんてあり得ないって解ってる。
―――それでも、守りたい。
「来年も誕生日会、しような?」
「…………うん」
恋を、皆を、皆と過ごせる、こんな穏やかな日々を。
「約束だ」
小指を、恋の小指に絡める。見つめ合う恋の顔が、赤く染まった。
「………ずっと、一緒」
皆がいれば、どんな壁だって越えて行ける。それを恋に、教えてもらった気がした。
反北郷連合の戦い、青州の平定、突然兵を挙げた袁紹さんの軍相手に、白蓮ちゃんと共同戦線。……そして、お婆ちゃんとのお別れと、徐州の継承。
これまでも目が回るくらい色んな事があったけど、朱里ちゃんが言うには、これからが本番みたい。
みんなが手を取り合えばすぐにでも戦いなんて無くなるはずなのに、どうしてこんな風になっちゃうんだろ……。
……まあ、それはそれとして――――
「玄徳さまー!」
今は警邏の真っ最中。徐州の子供たちも、わたしを仲間に入れてくれてるみたいで嬉しい。
「……桃香さま」
「あ、あはは……ちゃんとするよ? 警邏」
一緒に来てくれてる愛紗ちゃんも、あんな怖い目で睨まなくてもいいのに。子供たちが怯えちゃうよ。……わ、わたしが怖がってるとかじゃなくて。
「愛紗ちゃんも、一緒に遊ぼ?」
「結構です。今や桃香さまは一国を束ねる御方。万が一にも危険が及ばぬよう眼を光らせるのが私の役目なのですから」
わかりやすい言い訳をする愛紗ちゃん。子供たちに混ざるのに気後れしてるだけって解ってるわたしは、その手をちょっと強引に引っ張って輪の中に入れた。
「と、ととと桃香さま!?」
「ほらほら♪ 子供たちの笑顔を守るのだって、わたし達の大事なお仕事だよ」
最初は怖がってた子たちも、真っ赤になって慌てふためく愛紗ちゃんに安心したみたいに飛び付いた。
うんうん、佳きかな佳きかな♪
この笑顔と幸せを噛み締めていると、どうしても欲張りなわたしが顔を出す。こんな光景が、大陸中に広がればいいなぁ、って。
曹操さんとも、孫策さんとも……そして、一刀さんとも。
平和な世の中になって、こんな風に穏やかな街で、腕なんか組んじゃったりして………
「えへへ……♪」
「? 桃香さま、何を笑っておいでですか?」
「そういうのでは全くなくて!」
つい調子の良い空想をしちゃって、愛紗ちゃんに見咎められる。ダメダメ! ここで赤くなったら皆に遊ばれる!
「な、何して遊ぼっかー? 駆けっこ? 蹴鞠?」
必死に誤魔化して子供たちに混ざったわたしは、この後に一つの出会いを迎える。
「…………ふぅ」
石造りの階段に腰を下ろして、私は疲れを抜くように溜め息を吐く。
戦いのそれとも事務のそれとも別種の気疲れが、自分でも驚くほど私の体力を奪っていた。
「(まったく、桃香さまは………)」
決して不満ではない呆れを抱いて、子供たちに手を振る背中を見る。どうしてこんな時だけ元気いっぱいなのか、不思議なものだ。
あれでこそ、桃香さま、とは思うものの、出来ればこういう時は私を傍観者にさせて欲しい、とも思う。
私は、桃香さまや子供たちの笑顔を遠巻きに見ているだけで十分幸せだ。
「………ん?」
ふと、広場の脇を見る。途中から輪から外れていた少女が、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し………あ、泣いた!?
「どうしたの? お母さんが見つからないの?」
と思った時には、もう桃香さまが駆け寄っている。私も遅まきながら駆け付ける。
少女は桃香さまにあやされながら、ぐずぐずと言葉にならない言葉を繰って、しばらくしてようやくちゃんと喋る。
「ぐすっ……お母さん、迎えに来てくれるはず、なのに……暗くて……」
要するに、母親とはぐれたわけではなく、ただ単に黄昏の暗さと孤独に不安を覚えたという事か。
「大丈夫♪ すぐにお母さん来てくれるから、それまでわたし達とお話しよ?」
膝を折って目線の高さを合わせ、柔らかく頬笑む。それだけで少女の泣き声はピタリと止んでしまった。
まったく、桃香さまには敵わない。
「どうして途中から皆と遊ぶのを止めたの?」
ちょこんと少女の隣に腰掛ける桃香さまは、大きな子供にしか見えない。これを全て自然体でやっているのだから恐ろしい。
私も倣って腰を下ろす。至近に自分より大きな者が立っているのは、それだけで圧力になってしまうと聞いた。
「うん……この間、おこづかいで買ったご本、読みたくなって」
「ご本?」
少女のためを思っているのか、本当に好奇心で訊いているのか、小首を傾げるその仕草からは判断がつかない。
そして、少女は持っていたその本を……我々に向けた。
『天界語遊戯 著・宝慧』
「…………………」
「…………………」
それの意味に私が気付くより早く、桃香さまの目の色が変わる。私が何らかの言葉を掛けて諌めるより早く、桃香さまの両手が、がっしりと少女の両肩に掛けられた。
「ねぇ、お願い教えて。それどこで売ってたの?」
「ぎょ、行商のおじさん。もうこの街には居ないと思うけど」
「そ、そんなぁあ~~…………」
異様に真剣な瞳で少女に詰め寄った桃香さまは、その返答に崩れ落ちた。
「桃香さま、あまりに威厳が……」
「お願い! その本を譲ってぇ……!」
私の苦言を遮り、桃香さまは再び少女に詰め寄った。切実に潤む瞳が痛々しい。
「でも、これおこづかいで………」
「ね、ねえ! 何か欲しいもの無い! お人形は? お菓子は? 綺麗なお洋服とかは?」
「う~ん、どうしようかなぁ……」
さっきまで泣いていたのが嘘のように、少女はもったいぶった素振りを見せる。桃香さまの必死さの足下を見られたようだ。……ではなく!
「桃香さま! いくら何でも子供を買収など……」
「じゃ、全部!」
「買った!」
………結局、私の諌言の一切は届かず、桃香さまは本当に様々な品を貢いで手持ちの金を全て失った。
しかし、それでも何かをやり遂げたように天界語の本を誇らしげに掲げる桃香さまに、私は呆れるよりも涙が出た。