まだ冬を越えない、肌を刺すような早朝の冷気にも負けず、城の中庭で駆け回る影二つ。
「気迫が足りん!」
一人は、比類なき剛力で木槍を振り回す舞无。
「っ……わかった!」
一人は、その豪撃にも怯まず木刀で捌く一刀。
いや、捌くというほど格好の良いものではない。以前なら無様に逃げ回っていた局面で、逃げずに踏み止まっているだけ。
当然――――
「が………っ!」
凌ぎ切れない。武器の強度自体に差はないのに、舞无の一撃は一刀の木刀をへし折り、返す刀で肩を強く打ち据えた。
「あっ! ………だから、私は加減など出来んと言っただろうが」
「痛うぅ……でも、それくらいじゃなきゃ特訓にならないだろ」
打たれた肩を押さえて片膝を着く少年に駆け寄る舞无に、一刀は痛みを堪えて笑顔を見せる。
「新しい木刀取ってくるから、ちょっと待っててよ」
「……いや、今日はもういい。上がりにするぞ」
「え、でもさっきは気合いが足りんとか……」
「それはそれ! これはこれだ!」
その笑顔を怒声で打って、舞无は木刀を取りに行こうとする一刀を追い払った。付き添いたい、肩の傷の手当てをしたい、そんな気持ちに駆られた舞无の足は結局出ないまま、追いたてられた一刀の背中を見送るに留まった。
「………………」
一人残された中庭で、舞无は白い溜め息を吐く。それは一刀に向けられたものにも、自分に向けられたものにも思えた。
「(何か、おかしい)」
元々考える事が苦手な事もあり『何が』、という事までは解らない。しかし一刀の様子はどこかおかしい、と舞无は思う。
「(………優しい男だからな)」
そして、いくら鳥頭でも原因には想像がついた。彼女自身、まだ立ち直りきれていない自覚はあった。
「ふんっ!」
パンッ! と両手で自らの頬を張る。冷たい外気も手伝ってかなり痛い。武人として生きている身で何をいつまでも、と自身を奮い立たせる。
「(こんな時に、私がしっかりしないでどうする!)」
舞无は、一刀が自分に好意を抱いていると思っている。以前、川に溺れた舞无に人工呼吸を施した一刀の行動を、独自の思考回路によって誤解したのがその原因なのだが、今回はその勘違い癖が前向きに働いている。
武人として、女として、何に於いても単純かつ真っ直ぐなのが彼女の良い所だ。
今回もそう。惚れた男を立ち直らせる、という目標が生まれれば、迷いも憂いも吹き飛ばして驀進出来る。
「よーし! 私はやるぞぉー!」
具体的に何が出来るのかは考えつかず、とりあえず舞无はしばらく戦斧を風車のように回し続けた。
今日は所謂“警邏の警邏”。街の治安を守るために徘徊してるわけじゃなく、街の治安をちゃんと守れているか、を見極めるために視察に来ている。
と言っても、俺じゃ欠点に気付かないかも知れないし、まともな改善案を出せる自信も無い。
だから頭が良くて、かつ護衛としても申し分のない星も一緒だったんだけど、何か騒動があったらしくて、星はこそこそと姿を消した(華蝶仮面になるつもりだろう)。
俺もそこに向かおうとした所で、目の前に巨漢が立ちふさがった。
「あらん、ご主人様じゃなぁい?」
「おはよう、貂蝉」
明らかに意図的に俺の前に出てきた貂蝉は、いかにも偶然といった様子で巨体をくねらせる。
「久しぶりねぇ。最近お城に籠もりっきりみたいだったから………はっ! もしかしたらば、わざわざわたしに会いに街まで? いやぁ〜ん☆」
久しぶり……そんなに久しぶりかな。
「今日は視察だよ。まあ、元気そうで何よりだけど」
何の気なしに応えたら、何故か貂蝉は俺をじ〜〜っと見てきた。……俺、何か変な事言ったか?
「ホントに元気ないみたいねん。まあ、ご主人様の性格や立場なら仕方ないのだけど」
…………え?
「俺、元気ないように見える?」
別に凹んだり沈んだりしてないと思うんだけど。洛陽に戻ってからそんな事言われたの、こいつが初めてだし。
「元気ないわよん。かく言うわたしもご主人様の滾りに滾った突っこみがなくちゃ、不完全燃焼で夜も眠れないんだから!」
断定。って事は、他の皆にもそんな風に見えてるんだろうか。
「気にすんなよ。別に落ち込んでなんてないから」
申し訳ないけど、正直勘違いだ。霞に散々情けないトコ見せて、俺は俺なりに気持ちを整理した。実際落ち込んでもないし、心配される事なんて無い。
「…………………」
「…………………」
「……何でそこで黙るんだよ」
観察するみたいな貂蝉の視線が落ち着かない。………って、そうだ。星を追い掛けないと。
「俺、そろそろ行くよ。お前はやらなくていいのか? 華蝶仮面」
「もちろんすぐ行くわよん。真打ちは遅れて登場するものなの」
落ち着かない会話を切り上げる意味でも、俺は貂蝉の横をすり抜けて走り去る。
そしてそのまま十メートルくらい進んだ所で、
「ご主人様ぁ!」
「なに!?」
少し大きめの声で呼び止められた。立ち止まる気にもならなくて、首だけで振り返る。
「しあさって、仕事空いてる!?」
突然の問いに、俺は軽くスケジュールを思い返して………
「空いてない!」
即答して、今度こそその場を後にした。
「……………困ったものねぇ」
俺が去った後の貂蝉のぼやきは、当然聞こえなかった。
それぞれがそれぞれの仕事を終えて、夜。私たちは数人連れ立って外食に出ていた。
もちろん全員というわけではないし、午前の視察で仕事が遅れたという理由で一刀殿と雛里は執務室に残った。
結果として揃ったのは、私、霞、散、風の四人。奇しくも、陣営の中では比較的精神年齢の高い面々だ。
「そっか、皆のトコにも雛里が来たんか」
その道中、霞がぼんやりと呟く。どうやら雛里は私だけでなく、色んな人に相談して回っていたらしい。
「舞无娘も今朝、一人でてんしょん上げてましたよ。揃いも揃って過保護なようで」
霞の呟きに、散がわざとらしく肩を竦めた。てんしょん……は何となく解るけど、愛娘て。
「稟ちゃんは参加しないでいいんですかー?」
「……何よ、参加って」
あの時、窓の外で話を聞いていたはずの風は、知ってるくせに私にそんな話を振って来た。
もちろん素直に反応してやるつもりは無い。
「だって、ねぇ?」
何が『ねぇ?』よ! と怒鳴りたかったけれど、釣られたように集まった視線に尻込みしてしまう。
その視線は、以前は後ろで結われていた……今は解いて流している私の髪形と、眼鏡の掛かっていない顔に向けられている。
「単なる気分転換です。他意はありません」
霞や散に毅然と言い放つ。下手に勘ぐられるのも不本意なので、私は話題を戻す事にした。
「一刀殿は、私たちに心配を懸けるのを何より嫌いますから。余計な気遣いは、却って逆効果です」
雛里に応えたのと同じ言葉を告げると、皆に納得の気配が漂う。霞だけが気まずそうに視線を逸らした。
「ま、男はタコ殴りにして伸ばすものですしね」
「……タコ殴りて、それもどーなんよ」
「元々、風たちのきゃらじゃないですしねー」
無遠慮なまでの優しさは、無垢な子供に任せよう。何となくそんな空気を共有しながら、私たちは飯店に入る。
料理も酒も美味しい、知る人ぞ知る隠れた名店。私も風に教えられて初めて知った。
私と風は古い付き合いだし、散は風と仲が良い。酒が入って上機嫌になった霞も交えて、私たちは楽しい一時を過ごす。
一刀殿を中心に回る私たちだが、時々はこんな……女だけの時間も悪くはない。
丁度、私がそんな感慨を抱いた時だった。
「ん?」
飯店の入り口から、馴染みの顔が現れた。それは良かったのだが、続くもう一人が問題だ。
「せせせ星!? どうしてこんな所に!」
「………酔いが醒めたわ」
星と一緒に岩の塊……もとい、貂蝉がやってきた。私たちだけじゃなく店中がどよめく。
「おう、丁度良かった。少し話したい事が……稟、か?」
「もー! 女の子同士で楽しそうにしてるじゃない。どうしてわたしも誘ってくれなかったのよん!」
寄るな、筋肉。
「この季節の夜にほぼ全裸で外を歩くとは……一体どんな生物ですか、貴殿は」
「オ・ト・メ・よん☆」
「…………………」
これの仲間だと思われるのは不本意極まりないが、せったく卓に並んだ料理や酒を置いて去るのも惜しい。
頬をひきつらせる霞や私をよそに、平然としている星や風や散があっさり化け物を席に着かせてしまった。
この変態どもめ。
「おぬしが眼鏡を外すとは、どういう風の吹き回しだ?」
「呼びましたかー?」
「「呼んでない」」
「むー………」
私と星に即答されてむくれる風をよそに、再び会話を再開する。
星……というより貂蝉が持ってきた話題は、慮外に興味を惹かれるものだった。
笊のように杯を重ねる星と霞(ついでに貂蝉)。全く呑もうとしない風と散。ほどほどにしか呑めない私。
その日の夜、明日からの動向予定に花咲かせる私たちは、結局深夜まで語り明かしていた……らしい。
翌朝、鼻血塗れの自室の床で、私はそう聞かされた。