星の不安や、恋のやきもち騒動も一段落。皆がいつも通りに……いや、星と恋は前よりも元気になって、また日々は巡り始めた(と言っても、あの騒動は稟たちの話を聞いてから丸一日で終結したのだが)。
それから、三日ほど経ったとある日の事である。
「曹操が?」
「遅ればせながら、皇帝の即位を祝したく思い、臣たる自ら足を運んだ次第にございます、だってさ」
華琳の使者がこの洛陽にやって来て、その旨を先んじて伝えてきた。要するに、華琳自身はもう洛陽に向かって来ているという事だ。
「貴様な……今は“阿斗”ではない。公私を混同させるでないぞ」
「うっ……? これは失礼致しました、陛下!」
「……それもよせ、気持ちが悪い」
ちなみにここは協君の私室。協君の注意に、ビシッと敬礼で返したらダメ出しされてしまった。難しいお年頃である。
「……して、これをどう見る? 情けない話、朕にはロクな判断がつかぬ。今さら即位への祝辞など、何か裏でもあるのか?」
「んー、どうでしょう?」
俺は床にあぐらをかいた状態で首をひねる。寝台に腰掛けてる協君を見下ろす形はよろしくない。礼儀云々じゃなく、でかい相手に見下ろされるのは圧力が掛かるだろうから。
「祝辞と言いながら、いきなり都に攻め入って来るのではあるまいな……」
「それは無いですよ。曹操の性格的に」
「……断言しおったな」
「敵ながら、ちょっとした付き合いがあるんですよ。それなりに性格はわかってます」
とはいえ、わざわざ華琳自らが出向いてくるとは、いや、そもそも皇帝即位を祝うなら、人づてなんて真似はしないか。
「しかし……随分と面の皮の厚い者だな。あの戦いの後、のこのことこの洛陽に顔を出すとは」
確かに、反・北郷連合を立ち上げた諸侯は、誰一人として即位の祝辞になんて来なかった。いや、連合に参加しなかった勢力も、“魔王・北郷”を恐れてか都には現れない。
とはいえ………
「面の皮が厚い、ってわけじゃないですよ。あいつの場合」
後ろめたい事があっても、それを自覚してるなら、逃げずに頭を下げる。華琳はそういうやつだ。
もっとも、あの戦い自体は華琳にとって覇道への通過点だったはずだから、後悔なんてしてるとは思えない。気にしているとすれば、それは……夏侯恩が使ったと思われる毒矢の事くらいだ。
「曹操なりに、思う所があるんでしょう。自分自身で出向くほどに」
漢王朝に特別な思い入れが無いのは、前に話した時にわかってる。祝辞は建前だろう。
「……それは、貴様にか?」
「……ええ、おそらくは」
相変わらず、協君は歳不相応に聡い。でも、俺にとって都合の良い情報だけ伝えるんじゃ、本当に傀儡と変わらないから、正直に話す。
「協君への祝辞は、堂々と洛陽に来るための建前みたいなものでしょう。漢王朝に忠実、って柄じゃないですから。……俺と同じで」
「……よい。事実、今の王朝は忠節に足る存在ではない。それで、どうする? 素直に祝辞を受けるのか?」
本当なら、決定を俺に委ねるべきじゃない。文面には俺の名前なんて一言も書いてないし。でも、『自分で考えて決めろ』、なんて歳でもないし。
「……まあ、“俺の意見を聞いた上で”協君が決めてくださいよ」
そう、前置きしてから、俺は自分の意見を並べた。
懐かしい。いや、そうでもないか。色々な事がありすぎて、随分と久しぶりな気がするだけだ。
王都・洛陽。
「何も、華琳様自ら出向かなくても………」
「汚れた衣を纏ったままでは、堂々と覇道を歩く事なんて出来はしない。私の矜持が許さないのよ」
私の斜め後方で、未だにぶちぶちと駄々をこねている春蘭が可愛らしい。
「危険は百も承知よ。だからこそ、あなたを連れてきたんじゃない」
「華琳様ぁぁ………」
褒めてあげると、陶酔したように顔を弛ませた。……今度は逆にいじめてみたくなるような顔ね。
本来なら、こういう護衛は親衛隊である季衣や流琉の役目なのだけど、陛下へ直接ご尊顔を窺う以上、それなりの官位が必要。
魏において、それを持つのは私を除いて春蘭一人。腕も我が軍最強なのだから、問題はないけれど。
しばらく春蘭で遊びながら、あくまでゆっくりと進軍した先の、都の城門。そこで………
「よ、曹操」
「………………」
呑気極まりない声が、私に掛けられる。こいつには、警戒心というものがないのかしら。
「……北郷。あなた、こんな所で何をしているのかしら?」
「何って……お出迎え?」
「私に訊かないでちょうだい………」
相も変わらずふざけた男だ。今まで気を掛けていたのが馬鹿馬鹿しくなる。
「そんな呆れた顔するなって、最低限の礼節ってやつだよ」
「あなたがそれを言っても、説得力の欠片も無いわよ。大体、あなた自身が出てくる必要がどこに……!」
何となく頭に来た。その勢いのままにまくし立てようとして、やめた。私は何で宿敵に説教などしてやろうとしているのか、反動で一気に消沈する。
「大丈夫?」
「……慰めないで。余計に虚しくなるから」
力の弱い勢力が、誠意を見せて取り入ろうとする場合なら、こんな態度も不自然ではない。
だけど北郷は、それに全く当てはまらない。むしろ、魔王として諸侯全てに恐れられている人間。軽率にもほどがある。
……いや、私がとやかく言う事じゃないのだけれど。
「まあいいけど、曹操の軍を街に入れるわけにはいかないから、外で待機させといてくれ。んじゃ、行こうか」
横に華雄を従えた北郷が、人の気も知らないで歩きだした。
「何も考えてないわけじゃないって、都に軍は入れられないから、曹操は暗殺とかの心配してたろ?」
城へと続く街道で、北郷は弁明するように喋っている。こんな間の抜けてそうな顔をして、諸侯が集まった連合をバラバラにするのだからわからない。
「それで?」
「曹操は、俺が真横にいたらいざという時にすぐバッサリやれる。保険が一つ出来るだろ?」
「何が保険よ。意味がわからないわ」
天の人間というのは全く理解出来ない。いざという時私に斬られる事が、何の保険になるというのか。
「だーかーら! 俺がこうやってりゃ、暗殺とかしませんよって意思表示になるだろ?」
「……………」
その発言で、私はようやく、『保険』という言葉が“私に対して”使われていたらしい事に気付く。
「(まったく、この男は………!!)」
「あなたね……。私がその気になれば、本当にすぐあなたの首なんて落ちるのよ?」
「だろうね。けど、曹操はやらないよ」
疑問ですらない、断定だった。忌々しい。
「前に言ったはずよ。王とは孤独なもの。敵を信じるなど愚の骨頂よ」
「俺も言ったはずだよ。それは君の価値観に過ぎない。俺には俺のやり方がある」
あぁ……今わかった。何故この男を見ていると、イライラするのか。
「その甘さのせいで、あなたは大陸を脅かす魔王にまで貶められた。違う?」
「まあ、そうだけどね。信じた事を後悔はしてないから」
この男と話していると、私の信じるものを、真っ向から全否定されているような気がするからだ。
以前なら好ましくすら思えたその反発が、今は何故か疎ましい。口ばかり達者な愚者の妄言に聞こえた。
「あなたはっ……!!」
大声で怒鳴りつけそうになって、ここが都の街の真ん中である事を思い出して、思いとどまる。
「(何をやっているの、私は………)」
こんな事をしに都に来たわけじゃ、ないのに。
後ろでは、春蘭と華雄が武器を握り締めて私たちの様子を窺っている。
「…………北郷、あなたは何もわかってはいない。相手が拳を握っていれば、怖くなって殴り返そうと思ってしまう」
自分で、自分が不思議だった。どうして、この男の事になると、私はこうまでムキになるのか。
「殴られるかも、殴られるだろう。殴られる前に、殴ってしまえ……。力とはそういうものよ」
私一人が噛み付いているみたいで、無性に気に入らなかった。
「殴って、殴って、殴り抜いて……降った相手を私は慈しむわ。そうして、殴る相手がいなくなった先に、平和が訪れる。……たとえ一時のものに過ぎなくても」
一泡、吹かせたくなった。歩くうちに、丁度良く人通りのほとんど無い所に来ていた。
「あなたが仲間と呼ぶ部下ならまだしも、宿敵たる私までも信じるなんて、そんな薄っぺらな信頼を掲げるのはやめなさい。そういう口先だけの偽善が、私は一番嫌いなのよ」
「俺はこれでも真面目なんだけどね……。ま、偽善ってのは否定しないよ。俺はやりたいようにやってるだけだし」
私は素早く、大鎌・『絶』に手を掛ける。華雄がそれに反応して動いた。春蘭が、その華雄に反応して動く。
「「「ッ………!!」」」
一瞬の、交錯。私に向けられた華雄の戦斧を、春蘭の大剣が受け止め、私の大鎌が……北郷の喉元に突き付けられていた。
「曹操っ……貴様ぁ!!」
「かっ、華琳様!?」
主に突然斬り掛かられた華雄はもちろん、春蘭まで困惑な瞳で私を見る。当然だ、今の私は少しどうかしている。
「……………」
春蘭を信じて、敢えて初動を僅か遅らせた。北郷が剣に手を掛け、私はその剣を弾いて、言うのだ。
『ごらんなさい、本当に信じているなら、なぜ私が少し力をかざしただけで剣に手を掛けるのか』、と。その口先の言葉を嘲笑ってやるつもりだった。
しかし………
「舞无、興奮しないの」
北郷は剣に手を掛けるどころか、眉一つ動かさずに私を見ていた。特に怯えた様子もない。……どこまでも、思い通りにならない男だった。
「はあっ……わかったわよ。今日の所は私の負けよ」
何だか、色々な鬱憤が、どうでも良くなった。ここまでくると腹も立たない。
「この街であんまりそういうパフォーマンスしない方がいいぞ。反・北郷連合に参加してた勢力、あんまり良く思われてないから」
またわけのわからない単語を使いながら、北郷は華雄を後ろから抱きしめて押さえている。……何故だか腹が立つ。
まったく、どうやったらこの男は………
「(っ……!?)」
そこまで考えた所で、自分の脳裏によぎった言葉に愕然とする。……本当にどうかしている。
「非礼を詫びましょう。北郷一刀。先ほどの、そして……連合との戦いで起きた、我が軍の恥を」
そう、あの失態に、少なくとも正面から相対さなければ、私は前に進めない。
だから今日、ここに来た。
「もうこの先、我が矜持に恥じる事は二度と無い。高き誇りを持って、覇道を歩む事を誓いましょう」
自己満足、北郷は自分の理想を、そう言った。
結局、私もそうなのかも知れない。
(あとがき)
今回、かなり勢い任せに書いた感が……。あまりにあれだったら書き直しも考慮に入れようかと思いつつ、そろそろ本筋を進め始めます(けど、そろそろ年末で忙しくなる)。