俺が中庭に駆け付けた時、すでにそこは修羅場だった。
「「ッ……!!」」
頭と同じ高さで、二人の蹴りと蹴りが真っ正面からぶつかり合う。模擬刀とか槍とかを使ってないあたりに、本当の喧嘩っぽい生々しさを感じる。
「貴様、大概にッ………!?」
文句を言おうとした星の顔の真横を、恋の左拳が通りすぎる。いや、星が首をひねっただけで、拳は正確に顔の真ん中を狙っていた。
「いい加減にしろ!」
その左腕に交叉させるように、星の右の拳撃が奔る。だが、それは恋の顔に届く前に………
「ふっ……!」
恋に取られ、そのまま一本背負いに投げ飛ばされる。投げられた星は、宙で器用に体勢を整え、地面に足から着地した。
「あの……散? 一体何でこういう事に……?」
そこでようやく、アホみたいに呆けていた俺は口を開いた。
「りーだーのちょっとした発言に過剰反応した恋の暴走、って所なようで。まあ、元を正せば原因は一人かな、と」
そんな俺の横でギャラリーと化してるのは、自分の双鉄戟と二人の得物を抱えてのほほんとしてる散。
「原因……俺か!?」
「ほう……。自覚があるのは結構ですが、それはそれで自信満々みたいでイラッときますね」
どこまでも呑気に、悠長な事を言っている散である。
「そんな事言ってないで止めてくれよ!」
「他人の恋事に首を突っ込むと、ロクな目に遭わないので」
そんな間にも、二人の肉弾戦は続いている。恋に押され始めたせいか、星もだんだん眼がマジになってきてるし。
「まあ、友情を確かめるためには時として拳も必要かな、と。実際、あたしもよく女将と殴りっこを………」
「ああっ! もういい!」
本当に大した事だと思ってないらしい散はもう頼らない。案外正論なのかも知れないが、俺はほっとけない。
「星! 恋! やめろって!」
全く反応しない。二人とも、目の前の相手に全神経を集中しているようだった。
「(くそっ……!)」
考えてみれば、すぐにわかりそうなもんだった。実際に思う所があるらしい稟たちは、それでも結局は、直接の関係はない第三者だ。
でも、恋は違う。俺に好意を向けてくれてる恋には、嫉妬っていう強い感情が湧く。しかも恋は、かなり直情型だ。
前の世界でも似たような事、あったっていうのに………。
「やれやれ……。止めたいですか?」
「是非とも!」
いい加減見兼ねたのか、置物からクラスチェンジした散が救いの手を差し伸べてくれる。ああ……さすがはお姉さんだ(見えないけど)、頼りになる。
「足を揃えて」
「? うん」
何か秘策があるらしい散の指示に従って、俺は気をつけの体勢を取り、
「顔を前に突き出して」
「? うん」
言われた通りに、顔を突き出し……
「よし、ごー」
た瞬間、尻に結構な衝撃を受けて、俺は無防備に前に飛び出した。
そして向かう先は、蹴りや拳が飛び交う二人の間。
「散ーーーっ!!」
前言撤回。全っっ然頼りにならん。
「!! か、一刀っ!?」
今初めて気付いたみたいな、可愛らしい悲鳴が聞こえた瞬間……何やら柔らかいものに俺は受けとめられた。
視界には、ただ白い肌の色だけが広がっていて……
「…………あれ?」
そこで“来るはずの”恐ろしい怒声が来ない事を訝しげに思って、俺は間抜けな声を上げる。体制的に、“俺を受けとめた星”の顔が見えない。
しかし、そんな俺の疑問は、すぐさま吹き飛んだ。背中の方から、何やら殺気のような気配が高まっていくのを感じる。恋だ。
「いでっ!?」
今さらと言うか、星は俺を突飛ばして体裁を保つ。俺は無様にしりもちをつく。ここに到ってようやく、俺はいつの間にか喧嘩に水を差す事に成功している事に気付いた。
「れ、恋………?」
しかし、状況はむしろ悪化してる気がしないでもない。無表情な恋の瞳の奥で、冷たい炎が燃えていた。
「……いつも、星ばかりが、独り占めする」
怒っている。それは間違いないのに、恋の瞳は寂しそうでもあった。
「……一刀は、皆の中心にいる。恋のじゃない。わかってる」
その表情を隠そうとするように俯いた恋の前髪が、その寂しげな瞳を隠す。
「でも………」
そこまで言って、恋は顔を上げてキッと星を睨む。そこには、理不尽に反発するような憤激が宿る。
「星のでもない……!」
バキッ、と音を立てて、恋は拳を握り締める。そのまま一歩踏み出した所で………
「っ………!?」
唐突に止まった。ハトが豆鉄砲でも食らったような顔して虚空を数秒眺めて、ぱちぱちと、何度も瞬きした。
「…………恋?」
その様子をおかしく感じた俺が声を掛けると、恋はゆるゆると俺を見て、星を見て、俺を見て、また星を見た。その目には、先ほどまでの憤激は無い。何か、おかしな生き物でも見つけたような目をしている。
そのまま星をじーっと見つめてから、口を開いた。
「愛、紗……?」
「は?」
全く、脈絡ない単語を呟いた。当然のように、星が怪訝な声を出す。そもそも、この世界で俺たちは愛紗に真名を許されてない。
………けど、俺には心当たりがあった。
「(……記憶の、欠片か)」
前の世界で、恋は同じような理由で愛紗に殴りかかった事がある。多分、今のやり取りでその記憶が蘇ったんだろう。
普通なら“あり得ないはずの情景”が頭をよぎっても、それを口に出したりしない。それを言ってしまうのが恋の恋たる所以だろう。
「はい、そこまで」
状況が変な形で硬直したのを見計らってか、散が俺たち三人のど真ん中に進み出る。そのままポイッと槍や戟を星たちそれぞれに投げ渡して………
「で、一刀は……」
完全に部屋の荷物整理の口調で俺の胸ぐらを掴み……
「あっち」
「っとわ!?」
星の方に押しつけた。姉御っぽい強引さだ。
「まあ、先にけじめを着けるならそっちかな、と。あたしは子供の世話なら慣れてるので」
言って、散は恋の手を取ってぐいぐいと引っ張っていく。
恋は頭上に?をたくさん浮かべながらされるがままだ。……さすが散。完全にペースをものにしてる。
……しかも、あの口振りからすると、俺と星の事にも確実に気付いてるな。もう稟たちから話を聞いてるとも思えないし……これが人生経験の差か。
「(けじめ、か……)」
隣にいる星を見下ろす。確かに、こんな事態にまで発展した以上、もう悠長に構えていられない。
そして、一番俺の態度を不安に感じているのは、星のはずだ。
「……星、行こう」
俺は星の手を引いて、どこへともなく歩きだす。星は、恋の行動がショックだったのか、遠慮がちに俺と繋いだ手に視線を向けていた。
……俺との事で、内輪揉めになるのに抵抗があるのだろう。でも、繋いだ手を放そうとはしなかった。
「……………」
貂蝉が言っていた通りだ。全く星らしくない。戸惑いを隠しきれずに、迷っている。
そのまましばらく歩くと、やがて意を決したようにぎゅっと唇を引き結んで………
「……どこへ、行く?」
繋いでいた俺の左腕に、両腕を絡めて、寄り添った。
「さあ、どこにしようか?」
不謹慎かも知れないけど、そんな仕草が可愛らしく思えて、俺は少しだけ微笑みかけた。
それを直視してうつむく。でも、絡めた腕を解かない星を連れて、俺は目的地も決めずに歩いていく。
いつから、私はこんなに弱くなったのだろうか。
一刀は、寄り添った私を連れて、まるで自慢するように街中を堂々と歩いた(私の、羞恥心からくる被害妄想なのかも知れない)。
……それでも、結局腕を解く事は出来なかった。放せば、二度とこの手に戻らない気がして。
馬鹿馬鹿しい。そう、わかっていて……なお。
一刀の腕を引っ張って、人目を避けるようにしていたら……いつの間にか森へと歩を進めていた。……静かで、丁度いい。
「桃香殿の事が、好きなのか?」
「………ああ」
道中、あまり利かなかった口を開き、気にしていた事を訊く。あっさりと応えは帰ってきた。
……わかっていた。嘘でも、否定する男ではないと。
一刀が応えた瞬間、抱いた腕に力を込めてしまう自分が情けない。
「私の事は…………好きなのか?」
「もちろん、好きだ」
こんな言葉で、心奪われてしまっては、一刀の真意など掴めない。なのに………。
くらりとよろけた私の動きに合わせるように、一刀は私の肩を抱き、そのまま二人で草地に腰掛ける。
抱いた肩を引き寄せられると、私の頭は、自然と一刀の胸にもたれかかった。
「星も、桃香も、恋も、舞无も、皆大好きだよ」
全てが台無しな言葉……のはずなのに、私の気持ちは冷めない。不満を込めて、頭を軽く一刀の胸にぶつけた。
「『俺の力で大陸の平和を!』なんて自惚れるつもりはないけど、自分が好きな女の子くらいは、守りたいんだ」
こんな時に、王の理論。私は……もっと一刀個人として話して欲しかった。
「俺が好きで、俺を好きな女の子を、幸せにしたいって思う。……でも、軽い気持ちで接してるわけじゃない」
私は、何を不安に思っていたのか。馬鹿馬鹿しくなる。後宮を侍らせて、女を道具のように扱う。そんな王は、当たり前にいる。
……でも、一刀はそんな男じゃない。はじめから、わかっていた事ではないか。
「覚悟は出来てるよ。皆の気持ちも、俺の気持ちも、蔑ろになんかしない。絶対、俺が皆幸せにしてみせる」
堂々と言い放つ。私だけを愛してくれる。そんな言葉ではなかったけれど、胸に深く響いてきた。
「………強欲な、男だ」
「……うん、わかってる」
私のわがままを通す事は出来ない。今日の、恋の事でよくわかった。
それに、私のために他の娘の想いを切り捨てる一刀を想像出来ないし……そんな一刀を、私は喜べそうにもない。
一刀へ抱いた、我々の噛み合わない想い。この……どうしようもない問題も全て、一刀に任せてやろう。
私たちの、主なのだから。
「……甘えたい」
「うん、おいで」
一刀の腕の中では、素直になれる。さらに身を寄せて、間近でその瞳を見つめる。……吸い込まれそうだ。
「不安も、不満も……嫉妬も、全部俺が拭いさってみせる」
「………バカ」
瞼を閉じて、あごを上向ける。その大言のほどを、示してもらうつもりだ。
「大好きだよ、星」
唇に唇が重ねられ、頭が蕩ける。今まで築き上げてきた自分自身が、一人の男に染められていくのを感じながら、私は身も心も、全てを委ねた。
(あとがき)
とはいえ、今回は特にあとがく事ないかも。
あまりにあっさりと“周りが”ハーレムを認めるのもあれなので、必要な回でした。