―――拝啓、愛紗ちゃんへ。
それからの事について、ここに少し書き記します。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、あれから暫くはすっごく大変だったの。
流星が降って来たり、一刀さんが生き返ったり、恋ちゃんが生き返ったり、普通じゃ有り得ない事がいっぱい起きたからね。
勅命の撤回、わたしの免罪、一刀さんは必死に駆けづりまわってくれた。星ちゃんは、それも男の仕事だって笑ってたけど、本当に大変だったと思う。
思うっていうのは、わたしは何しても自己弁護にしかならなかったから、無力な軟禁状態……って、書いてたらまたへこんできた。
朱里ちゃんの話だと、韓遂って“解りやすい悪役”の人がいたから、情報操作はそれほど難しくなかっただろうって。
むしろ、身内を納得させる方が難しいはずだって言ってたし、実際に一刀さんも相当苦労したみたい。
絶対に納得しないと思ってたのは、二人。孫権さんと皇帝陛下。
孫権さんは一刀さんの話を聞いた後で、「私にはお前を裁く資格はない」って、辛そうな顔で言ってくれた。
何でも『前の外史』で似たような状況になって、一刀さんに許された事があるんだって。
他にも心当たりある人が結構いるみたい。う~ん、正史とか外史とか、説明されたけど今一つピンと来ないんだよね。
陛下の方は、まだ解決してない。わたしを許してない、とかってわけじゃないみたいだけど……色々複雑なんだと思う。
皆もあんな戦いを望んでたわけじゃない。ただ、誰かに怒りをぶつけずにいられなかったんだ。
………って、一刀さんが言ってた。
色々あったけど、わたし達はやっと一つになれた。まだわだかまりが消えたわけじゃないけど、これから解り合っていけるって信じてる。
いつか、愛紗ちゃんにも見て欲しい。そして……その輪の中に入って欲しい。
信じる気持ちはきっと届く。それが外史だって言うなら、わたしはいつまでだって待ってる。
愛紗ちゃんが帰って来てくれるのを、ずっと待ってるよ。
―――桃香より。
「ふぅ…………」
書き上げた、どこにも出す宛ての無い手紙を、わたしは引き出しにしまい込む。
淋しさと罪悪感を、同じくらい胸に抱いて。……手紙に、どうしても、書けなかった事がある。
こんなの、書いても書かなくても何かが変わるわけじゃないんだけど……やっぱり書けなかった。
(コンッ、コンッ)
「あっ、開いてますよ!」
のっくの音にビックリして、覗かれるわけないのに引き出しに鍵を掛ける。開いた扉から、水色の髪と純白の着物が見えた。
「もう一度花嫁衣装の寸法を合わせたいそうなので、ご足労願えますか?」
「あっ、うん、わかった」
星ちゃんに、もう何度目かわからない寸法合わせに呼ばれて、立ち上がる。わたしが難しい衣装を頼んだのが悪いんだけど。
「やはり、式の前日ともなれば浮き足立つものですかな」
「うん、ちょっとね」
そう……わたしは明日、一刀さんのお嫁さんになる。ここは荊州でも、洛陽でもない。
幽州、啄群。わたしと、愛紗ちゃん、鈴々ちゃんの三人で、義姉妹の契りを交わしたあの桃園で……わたし達は結ばれる。
場所は変わり、純白の花嫁衣装……うえでぃんぐどれすに身を包んで、わたしは口を開いた。
「ねえ、星ちゃん」
こうして、花嫁衣装に身を包んでいると……どうしても考えちゃう。
「今のわたしを愛紗ちゃんが見たら、どう思うかな………」
もし、わたしがいなかったら―――。
やっぱり愛紗ちゃんは、一刀さんに仕えていたと思う。親愛と恋愛の間で苦しむ事もなく、誰より一途に一刀さんを支えていたに決まってる。
わたしの存在が愛紗ちゃんを苦しめて来た。わたしのせいで、愛紗ちゃんは恋人から引き離されて……亡くなった。
そんなわたしが、一刀さんのお嫁さんになろうとしているのを見て……愛紗ちゃんは、どう思うだろう。
「羨み、妬み、悔しがり……それでも祝福してくれるでしょう」
自信たっぷりに、星ちゃんはそう断言した。
「どうして、そう思うの?」
「貴女より長い付き合いですからな。あやつも、腹の膨れる前にと、それくらいの気遣いは心得ておりますよ」
……説得力はあるけど、それで気が晴れるわけじゃないな。
やっぱり、愛紗ちゃんから直接言ってもらわないと意味が無い。
「(もしその時が来たら、どんな言葉でも受け止めよう)」
今はそう納得して、気持ちを切り替える。明日は、わたしの人生で一番の笑顔でないといけない。
「そういえば、鈴々の姿が見えませんが?」
星ちゃんも、そんなわたしの気持ちの変化を汲んで、話題を変えてくれる。
「鈴々ちゃんなら、西通りの鴻家のお屋敷に行ってるよ。むかし懇意にしてたんだって」
「鴻家……鴻家と言えば、大層美しい令嬢がいると聞きますな。道を歩けば誰もが振り返らずにはおれん、清楚そのもののような娘だとか」
わたしもその噂は聞いた事がある。とは言っても、星ちゃんより美人な女の子なんてそうそういないと思うけど。
「名前、何だっけ?」
「確か……芙蓉姫です」
綺麗な名前。……ふんだ。わたしだって負けてない……もん………。
「一刀さんは?」
「あれも姿が見えぬのです。通行手形を持たぬ怪しげな三人組が関所を越えたとの報告もあり、あまり出歩くなと言っているのですが」
気まぐれでわがままな旦那様に一喜一憂する未来を思い浮かべて、わたしと星ちゃんは自然と笑い合っていた。
「この辺り、だったかな………」
何も無い荒野を歩いてると、何となく独り言が漏れた。
幽州啄群。桃香と愛紗が姉妹の契りを交わした場所。そして……俺が、初めて愛紗に出会った場所。
「こんな感じで、グースカ寝てたんだっけ。しかも二度寝」
同じ事をすれば、同じ事が起きる。そんな気がして寝転んでみる自分が……相当バカに思えて来た。
「…………………」
寝転がって、空に手を伸ばす。届かないものを求めるように。
―――瞳を閉じれば、思い出す。
『わたしを愛してくださるのはあなたなのです……。ええ……そう思えば怖くはない……』
『そんなの……嫌ぁ、わたしの気持ちを疑わないでください……っ!!』
可愛くて、臆病で―――
『ええ、ええ。どうせ私には用などないでしょうともっ!』
『いいんですか、わたしがご主人様を嫌いになってしまっても』
意地っ張りで、やきもち妬きで――――
『……大切にします。髪飾り……』
『わたしの心は、これからもあなたと共に在ります。大願を果たした今……それがわたしのただひとつの願いです』
心を結び合わせた、大切な半身。
ずっと俺を支えてくれて、ずっと俺のせいで苦しんでいた愛紗に………
「(俺は……何かを返す事が出来たのかな……)」
鏡はもう無い。外史は巡らない。泰山の頂には……鏡どころか神殿すら無くなっていた。
もう二度と―――会えない。
「…………………」
どれくらい、そうしていただろう。懐かしい思い出からいつまでも抜け出せずに、時間を忘れていたような気がする。
「………帰ろうかな」
眼を開けて、上体を起こす。起き上がった目線の先に……ちょうど一輪の花が見えた。
乾いた荒野にも負けずに咲く、健気で強い白い花。
「何て名前の花だろ」
俺が何の気なしに呟いた言葉に――――
「芙蓉」
後ろから、応えがあった。
こんな広い荒野で接近に気付かないくらいに自失していた………そんな事は、どうでもいい。
「不思議ですよね。本当なら、こんな場所に咲く花ではないんですよ」
胸の動悸が押さえられない。希望と恐怖を抱きながら、緩やかに振り返る。
この声が……俺の願望の呼んだ幻聴でない事を信じて。
そして――――
「こんな所で寝ていては、風邪を引いてしまいますよ?」
―――そこに、いた。
買うだけだと意地を張っていた空色の衣に身を包んで、似合わないと意固地に拒んでいた髪飾りで綺麗な黒髪を彩って。
「………どうして、ここに」
色んな感情がごちゃ混ぜに溢れて、そんな言葉しか出ない。
「失ったものを取り戻す為……だと、思います」
俺の曖昧な問いに、少女は律儀に応える。
「私の名は、芙蓉。この花に因んで、義母がつけてくれた名前です。……私には、ここで拾われる以前の記憶が無い」
その言葉が、彼女が失ったものを、今の彼女の在り様を示していた。
「ここに来れば、何か思い出せるような気がして……足を運ぶのも、実は一度や二度ではないんです」
それでも彼女はここにいる。ここで、俺に頬笑んでくれている。
「……おかしい、ですよね。初めてお会いした方に、こんな話をするなんて。自分でも不思議です」
急に恥ずかしくなったのか、頬を赤らめて視線を逸らす。
その仕草は、ずっと、彼女がそうなる事を怖がっていた……どこにでもいる、普通の女の子。
「あなたは、どうしてここに?」
「………君と、同じだよ」
それでも、解る。
「大切な人に、会いたかった」
俺が愛した、君だって。
「俺の名前は、北郷一刀」
手を差し出す。それに少し眼を見開いて、しかし彼女は手を取った。
今度こそ、届いた。
「一緒に帰ろう、愛紗」
もう二度と放さない。何があっても離れない。
「……………はい」
記憶なんて無くても、心はずっと繋がっている。だから……届いた。
「いつまでも、貴方の傍に……。私の愛しい…一刀様……」
―――穢れ一つ知らない花のような笑顔が……一輪、咲いた。
外史は巡り、繰り返す。誰かの想いが消えない限り。
青白い燐火は燃え上がる。誰かの奇跡に誘われて。
―――それは突端と終焉を繰り返し、在るべき居場所を取り戻す物語。