斬っても死なないと言うなら、相手にするだけ無駄。自分たちの目的は左慈らを倒す事ではないのだから。
目配せ一つでその意識を共有した一刀ら四人は、団結して走りだした。
前方に恋を、左右に星と愛紗を、そしてその中央に一刀を据えて、一直線に銅鏡を目指す。
銅鏡に触れるのは一刀。そしてその時、一刀に全員がしがみついておく事。これはここに来る前から決めていた事だった。
自我を蝕まれるような奔流に耐えて外史を越えるには、どこまでもがむしゃらに求める心……愛こそが必要。それが、初めて“自発的に”外史を越えた星と愛紗の見解だった。
つまり、この役割は一刀にしかこなせない。既に愛する人が傍らにいる他の者には不可能だと考えた。
しかし……それらは二次的な理由に過ぎない。全ては直感に基づく不確定な推測。あんな常識の通じない物に触れて、何が起こるかなど解ったものじゃない。
だからこそ。“何が起きても一緒に”と決めていた。
「………どけ」
突き出された恋の方天画戟を、一人の左慈が曲刀で受け止め、お返しとばかりに別の左慈が鉄棍を恋に振るい、愛紗が止める。
さらに星が、そして残る左慈らが攻勢に回り、両軍の間に乱撃による火花が乱れ飛ぶ。
そんな、“三対四の攻防”を“飛び越えて”―――
「でっ!?」
五人目の左慈が、星たちの後ろにいた一刀の顔面を蹴り飛ばした。
「ご主人様!」
「大丈夫!」
蹴られながらも自ら頭を引いて威力を殺していた一刀が、受け身を取りながら愛紗の悲鳴に応える。
一刀を守る布陣は、あまりに呆気なく崩れた。
「(嫌な予感ばっかり当たる)」
内心で一刀は舌打ちを溢す。この五人の左慈は、その全てが一刀らの知る左慈と寸分違わぬ実力を有しているようだった。
いくら星たちでも、一刀を守りながら戦える相手ではない。
その証拠に、今も一刀の援護に回れずにいる。曲刀の左慈と双節棍の左慈が、二人掛かりで恋を、鉤棍の左慈と鉄棍の左慈がそれぞれ星と愛紗を足止めしていた。
当然―――
「今度こそ、終わりにしてやるよ」
残る一人。武器を持たぬ左慈が、一刀の前に立っている。
「終わらないさ。あの時だって、そうだったろ」
戦るしかない。僅かな昂揚と共に覚悟を決めて、一刀は剣を振るって飛び出した。
「ああ……あの物語は潰れず残り、新たな物語が『想造』された」
一振り―――
「あの結末を否定した正史の人間の想念を使って、貂蝉は俺たちを“ここ”に放逐した」
また一振り―――
「形に為らない想念の残滓。物語に関わる事なき可能性の欠片。俺が望んだのは、こんな結末じゃなかった」
以前の外史にいた頃よりも、遥かに研ぎ澄まされた一刀の剣を……左慈は、涼しい顔でいとも容易く躱していく。
「くそっ!!」
「挙げ句の果てに、またお前だ」
そしてまた、一刀の剣が空を斬り、同時に左慈の言葉に燃え盛る憤激が混ざり―――
「ぐ……!?」
一刀は避ける間もなく、左頬に焼けるような痛みを受けて吹っ飛んだ。
「何なんだよ………」
雪像のような無表情の中、瞳だけを憎悪に燃やして、左慈は一刀を見下す。
「何なんだよ、お前………」
見下して、歩み寄って………立ち上がった直後の一刀の腹を蹴り飛ばし、また這いつくばらせる。
「お前が軽々しい正義感で邪魔しなきゃ、物語は始まる事もなかった。そして……漸く物語から外れて消滅を待っていたのに、またお前のせいでこの様だ!」
立ち上がっては殴り倒され、斬り掛かっては躱され、蹴り飛ばされる。
「お前さえいなければ、俺はこんなくだらない世界に縛られる事もなかった!」
何度挑んでも剣は悉く空を斬り、逆に左慈の攻撃は一刀を一方的に痛めつけていく。
「そしてまた、新たな物語を作り出そうとしている。そうやって、お前は永遠に繰り返すつもりか!」
額を割られた額から血が流れて視界を妨げ、散々に切れた口内に鉄の味を噛み締め、身体中を苛む激痛に耐えながら………
「(……“たったの”、五人?)」
一刀は、必死に思考を巡らせていた。
「(増やす対象が左慈だから、なのか? でも、ならあの時は何で増やさなかった?)」
そう、泰山の決戦では、それこそ何万という兵を一瞬で増殖させてみせたはず。だが、今はたったの五人。
そしてその五人すら、最後の対峙では増やさなかった。
「(何でしない……いや、出来ないのか?)」
そう考えた時―――
『鏡を破壊する儀式をするには―――』
『私一人では、出来る事にも限りがありますが』
一つの事実に、辿り着いた。
「だったら……お前は何で俺の邪魔をするんだよ!!」
剣を振り抜くと同時に、叫ぶ。それは当然のように外され、逆撃として放たれた蹴りを……今度は直撃されず何とか肩で受ける。
「あぁ!?」
「何で俺に……物語に関わるのかって訊いてんだよ!」
受けて、お構い無しにさらなる連撃に繋げる。僅かに意表を突かれた左慈の袖口が浅く斬られた。
「お前には、本当なら于吉以外にも仲間がいた。だけど今はいない。違うか?」
再び、左慈の拳が一刀の顔面を襲う。しかし一刀は怯まず、頭突きをそれにぶつけた。
脳が揺れ、額から血が吹き出し、だが眼の色は死んでいない。
「そしてそれは……正史の記憶に、印象に残らなかったから。“物語に深く関わらなかったから”だ!」
「ッ……!」
図星を突かれて表情を歪める。そんな左慈の直情が有り難い。
「そんなに消えたきゃ引っ込んでろよ。地味にしてれば、正史の人間だっていつかお前の事を忘れてくれるぜ」
「黙れ! 外史の否定こそが俺の存在理由だ!!」
一刀にとって、この挑発には敵の戦力を探る以上に大きな意味がある。
「(“儀式”ってのは完成してない……!)」
星と愛紗がこの外史に渡って来た。そう判った時点で、違和感はあった。あの銅鏡は、突端と終幕の象徴。外史を渡る扉などではあり得なかったはず。
―――そう、かつて外史で一刀が触れた時のように。
しかし、それこそが左慈らの“儀式”によるものだったとしたら? 何の邪魔もなかったからこそ、星と愛紗は外史を越えられたのだとしたら?
「(確信した……俺たちは“帰る”事が出来る!)」
それはそのまま、今の一刀らの希望に繋がる。
「行くぞ左慈ぃ!!」
思い切り剣を振りかぶる。当たるはずのない大振り。
「無駄だ、お前の剣は当たらない」
「だろう……なっ!」
そう、“左慈には”。
一刀の剣は大きく弧を描いて―――
「な………!?」
一刀の傍らのガラスケースを粉々に砕いた。粉砕された硝子の破片が、細雪のような光の粒となって左慈に襲い掛かる。
「貴様……!」
「くらえェ!!」
硝子の破片に手や顔を傷つけられ、堪らず眼を閉じた左慈に、一刀は今度こそ当人に向けて剣を振るい―――
「!!」
―――躱される。
眼を閉じたまま、前宙の要領で跳び上がった左慈は……芸術的なまでに鮮やかに一刀の剣を躱していた。
「惜しかったな」
「そうでもねーよ!」
だが、“それでいい”。
一刀は剣を躱された事には眼もくれず、突っ込んだ勢いそのままに駆け抜けていた。
「行かせるか…っ…」
それを確認し、すぐさま追撃に転じようとした左慈の頭に、何か硬い物がぶつけられる。
「行け、主!」
「助かった!」
攻防の最中、一瞬の隙に乗じて放たれた……星の下駄である。
その隙に一刀は、部屋の最奥に納められた銅鏡……には向かわず、僅かに逸れて―――。
「おや、私ですか」
擦れ違い様、避ける素振りすら見せない于吉を一太刀で斬り捨てた。
これで死なない事など百も承知、だが………
「皆、走れ!!」
左慈の『増殖』の元凶がこの于吉だとすれば……。その推測は、的中していた。
「はぁああああ!!」
愛紗が、
「お見事……!」
星が、
「………行く」
恋が、糸を失った操り人形のように不自然に動きを止めた左慈らを、一撃の下に葬った。
葬って、走りだす。愛する人の背中を追い掛けて。
「はっ!!」
仲間たちの足音が近づいて来るのを背中に聞きながら、一刀はガラスケースを割り砕く。
割り砕いて、手を伸ばして…………
「(届いた………!)」
遂に、触れた。
あの時と同じ。しかし全てを再現するわけにはいかない。
「皆………」
鏡から光が溢れ出すより早く、一刻も早く、仲間の許に駆け寄ろうと振り返った先に……見る。
既に再生を果たした五人の左慈が、星たちの背中に各々の武器を投げつけている様を。
「避けろぉ!!」
その声に従って、星たちはそれぞれ背後からの強襲を防いだ。
それを見て、安堵して、今さらのように一刀は気付く。
「(光が、出ない……?)」
新たな外史の突端となるはずの鏡が、自分の手の中で、何の反応も示さない事に。
「な、何で……がっ!?」
信じられない。隠し切れないその感情に思考を止めてしまった一刀の側頭を、左慈の右足が弾く。
思わず手放された銅鏡は、いとも容易く左慈の手に渡る。そしてそのまま、やはり何事もなく復活していた于吉へと投げ渡された。
「貂蝉から聞かされていなかったらしいな。この世界は外から中への一方通行。……やはり、お前でも無理だったか」
静かに、ただただ残酷に、外史の理は一刀を拒む。
「(銅鏡に触れても、帰れない………?)」
肯定も否定もそこにはない。打ち捨てられた者を、零れ落ちた者を内包して、新たな解を基点に求める。