―――くだらない。
『描きなさい、貴方の想念を』
―――どんな物語だろうと興味は無い。それが作られたものに過ぎない以上、全て等しく愚劣極まる茶番劇でしかない。
『この世界は、この世界に生きる人たちのものだろ!』
―――それが茶番劇だという事すら気付かずに踊り続ける傀儡ども。虫酸が走る。
『私たちに出来る事なんて何一つ無い。ただ全てを享受し、裁定を待つだけ』
―――全てを否定する。何もかも消えて無くなればいい。……俺がそう願う事すら、傀儡としての役割に過ぎない。
『願わくば否定を』
『願わくば肯定を』
―――反吐が出る。結局最後は正史の裁定に委ねるしかない。突端も終焉も、全ては偽りでしかないのだから。
『お前が本当に否定したいのは、この世界じゃないんじゃないのか』
―――それでも俺は、この外史を否定する。それが俺の、存在理由なのだから。
聖フランチェスカなのに馴染みの無い、一度しか来た事の無い建物の廊下を進む。
……あの時何を考えていたのか、今じゃさっぱり思い出せない。それくらい、本当に軽い気持ちだった。
課題の感想文を書くため、そんなちっぽけな理由で来たんだから当然だ。……でも、それが俺の世界を変えた。
「(女の子を助けたいから、異世界に渡る。……昔の俺が聞いたら、大声で笑ってるトコだよな)」
離れていても、気持ちは繋がってる。……なんて、気取った言葉で誤魔化すつもりはない。
どっちを選んでも別れはあって、どっちを選んでも俺は後悔していたと思う。
この世界で、星や愛紗、恋、それに……月や詠と生きていく。そんな人生も悪くないって思う。
だけどやっぱり……それは出来ない。
「(桃香が、待ってる)」
死に別れた恋人と、また離れ離れになるのは凄く辛い。だけど……また恋人を死なせるのは、絶対に嫌だ。
薄暗い廊下の先、朧気な記憶を辿って行き着いた一室。その扉の隙間から、隠そうともしない明かりが漏れ出ている。
「(あの時は、得体の知れない何かに巻き込まれて外史を越えた)」
今度は、自分の意志で世界を越える。誰に強制されたわけでもない、俺自身の選択で。
「久しぶりだな、北郷」
「二度と会いたくはなかったけどな」
―――俺たちの踊らされて来た全ての因果に、決着をつけて。
広々とした展示スペース。居並ぶガラスケースに納められた骨董品の数々。そんな一室の最奥には、忘れるはずのない敵。そして探し求めた銅鏡。
「儀礼的に訊いておきましょうか。何をしにここへ?」
気持ち悪さが一段と増して見える、スーツ姿の于吉。
「俺たちの世界に帰る。その銅鏡を使って、外史の突端を開かせてもらう」
「そうやってまた繰り返すのか。これは世界を守る物でも、世界を渡る道具でもない。お前は身を以て知っているはずだ」
そして初対面と同じ、聖フランチェスカの制服を来た……左慈。
「終わりなんかじゃない。それは俺が誰より良く解ってる」
星があっちから持って来てくれた倚天の剣を鞘から抜いて、俺は一歩一歩近づいて行く。
最初から話し合いなんか出来るとは思ってない。俺が守りたいものと、こいつらが消したいものが同じである以上、どうあっても相容れる事はない。
「………誰より解っている、だと?」
明らかに空気が変わった。そう感じた時には―――
「ッうお!?」
投げ放たれたナイフが高速で俺の顔面に迫り、寸での所で弾いた時には―――
「くたばれ」
憎悪の炎を宿した冷たい声が、“下から”聞こえていた。一瞬にして懐に潜り込んだ敵は、俺が視認するより早く―――
「!? ……ちぃ!」
蹴り飛ばされ、受け身を取りながら床を転がる。
「一刀に、触るな」
左慈を蹴り飛ばした恋は小さく呟き、そして襲い掛かる。それを頼もしいとか思う暇もなく、あっという間に“戦い”は始まっていた。
他力本願と笑わば笑え。油断してたつもりはないけど正直、俺はフォローが入るのを確信していた。
「相変わらず短気な奴………」
「ご主人様、お下がり下さい!」
愛紗が、星が、庇うように俺の左右前方で得物を構える。その間にも、恋と左慈の戦いは続いてる。
「どけぇ!」
左慈の蹴撃が恋の頬を掠めれば………
「っ……どかない」
恋の拳が左慈の前髪を揺らす。両手足が目まぐるしく繰り出される、眼で追う事も厳しい攻防………でも、判る。
「嘘だろ………」
得物がない素手同士とはいえ、あの恋が……押されてる。
「(そうだ………)」
こいつは、あの貂蝉とだって素手で互角に渡り合う奴だった。
「紛い物とはいえ、天下無双を名乗るだけはあるな」
「……名乗ってない」
鋭い回し蹴りが、一足飛びに下がった恋の眼前の空間を斬り裂く。それとほぼ同時―――
「恋、使え!」
星の呼び掛けと共に一筋の紅い光が奔り、
「お前に用は無い、消えろ!」
後ろを見もせずに伸ばした恋の手に、吸い込まれるように納まった。
一瞬。
後退した恋に追い討ちを掛けようと迫っていた左慈と恋の影がぶつかり―――
「死ね」
俺には、光の筋が瞬いたようにしか見えなかった。
すれ違い様、赤黒い鮮血が飛沫を上げる。バラバラに四肢を裂かれて転がる、左慈だったものによって。
「………軽すぎる」
「むっ、人の愛槍に文句をつけるな。貸してやっただけありがたいと思え」
恋の手に握られてるのは、星の直刀槍・『龍牙』。さっき投げ渡された物だ。
にしても、何て言うか………
「さすがは恋、見事な武ですね」
「ホントにね……」
愛紗と一緒に、称賛を漏らし合う。いい感じに虚を突けたとはいえ、槍を持った途端にこれかよ。
頼もしいとか誇らしいとか思うより、ついつい呆然としてしまう。
……って、そんな場合じゃない。俺は気を取り直して、于吉に剣を向ける。
………が、
「やれやれ、貴方はいつもそうやって血気に逸る」
仲間を殺された于吉は、まるで動揺していなかった。その意味を、俺は直後に知る。
「……ムカつくんだよ。この茶番劇を生み出した元凶が、全部わかったような顔で好き勝手にほざいてるのがな」
あり得ない所から返された、声。咄嗟に離れて振り返れば、半ば予想していた光景がそこに在る。
「俺たちはこの程度では死ねないんだよ……忌々しい事にな」
恋に斬り殺されたはずの左慈が、何事もなかったように立っている姿。手足はもちろん、傷一つ、服に汚れすら付いちゃいない。
……斬っても死なない。そういや、華琳がそんなこと言ってたような。
「英傑三人が相手か…………おい」
「解っていますよ。とは言うものの、私一人では出来る事にも限りがありますが……」
名前すら呼ばずに求めた左慈に、于吉は嫌な顔一つせずに応えて、一言唱えた。
「『増』」
そして、さらなる驚愕が俺たちを襲う。左慈が復活しても変わらず床に転がっていた手足が、もぞもぞと動きだした。
四つの肉塊はもぞもぞと動き、斬られた断面から這い出るように肉が生えて来る。元の四肢の質量なんて軽々と越えた血肉は形を成し、さらに四つの肉体を生み出した。
そこに立つのは、さっき復活した奴を含めた……五人の左慈。
『こんなところか』
同じ声が、五つ、重なる。
本能的に俺たちは離れ、一ヶ所に固まった。
「化け物め……!」
愛紗が吐き捨て、
「……気持ち悪い」
恋が嫌悪に眉を歪め、
「臆するな。如何に数を増やそうと、本物は一人のはずだ」
星が青紅の剣に手を掛ける。俺もまた、あまりの反則っぷりに腹を括る。
「本物だと?」
一人の左慈が鼻で嘲う。その手に鉄棍が現れた。
「世界の理に触れて、まだそんな戯れ言を並べるか」
一人の左慈が罵る。その手に曲刀が現れた。
「本物などいない。“全て偽物だ”」
一人の左慈が呟く。その手に鉤棍が現れた。
「ここにいる全ての俺も、自分を唯一無二と信じて疑わないお前らも、そしてそんな俺たちを内包する世界そのものも………」
一人の左慈が呪う。その手に双節棍が現れた。
「一つとして本物など存在しない。………この世界がどれほど虚ろに作られているか、少しは理解出来たか? 傀儡ども」
そして武器を持たない左慈が、俺を蔑む。
「……………はぁ」
可哀想な奴。絶対に相容れない敵だけど、そう思わずにいられない。
「見せてやるよ。お前が否定するものが、本当に虚ろかどうかを」
星がいる、恋がいる、愛紗がいる。今の俺に……怖いものなんて何も無い。