「私は……ご主人様をこの手に掛けた」
今まで口にしなかった自身の罪を、愛紗は恋に懺悔として語った。
広げた両手を見つめる金の瞳は、焦点が定まらず小刻みに揺れている。
『私にあれを受け取る資格は無い』
その一言から始まった独白は、自分の顔を両手で覆って膝を着く愛紗……という事態を以て幕を引いた。
「許せなければ、私を斬れ。お前には……その資格がある」
戦いの日々を忘れて平和な世界に暮らす一刀には言えなくても、記憶を保持している恋になら言える。言わなければならない。
恋が命懸けで守った想い人を、誰より一刀を慕っていると自負していたはずの愛紗が……殺したのだから。
「………斬らない」
愛紗の言葉に、恋は表情を変えぬまま首を振る。そこに殺意は無い。
「……恋たちが喧嘩すると、ご主人様が悲しむ」
いつかと同じ言葉が、あの頃と全く変わらない響きを持って、愛紗の耳に届いた。
「………本当に、単純な物の考え方をするな、恋は」
敢えて“ご主人様”という呼び方をした恋に、愛紗は渇いた微笑を向ける。
そこに在るのは、失意と羨望。罪悪に苛まれて出口の見えない自分への失望。あの頃と同じように一刀の傍にいる恋や星が、どうしようもなく羨ましい。
「ここならもう……戦わなくても、泣かなくてもいい」
拙い言葉で恋は愛紗を支える。これからは、ずっと一緒なのだから。
「……一刀と、一緒にいてあげる」
その言葉は、自分の意志表明のみではない。愛紗に対する導きでもあった。それに気付いて、しかし愛紗は応えられない。
「(私は…………)」
簡単に解を出せない。易々と割り切れるほど軽い咎ではない。
しかし世界は彼女を待たない。淡々と、残酷に、ただ在るがままに時を刻む。
―――迷える少女の脆弱心を、置き去りにして。
「ん……っ」
瞳を閉じて、唇を重ねる。その瞬間、走るように無数の光景が、言葉が、流れ込んで来た。
「(痛ぅ………!)」
私が知らない筈の情景が脳裏に流し込まれたかと思えば、次の瞬間には気味が悪いほど唐突に“それが何だったのか”解らなくなる。
唯一意識に残るのは、“私”に関わる光景のみ。それは恐らく、これが私の記憶ではないからだ。
流入と忘却の奔流に意識が揺さ振られ、頭が割れそうに痛む。
「(だがっ……これで良い!)」
今まさに、私という存在が一刀を呼び覚ます扉となっている。言葉では説明出来ない、感覚だけの確信を得る。
「(怖れるな!)」
精神が破壊される。そんな危機感をねじ伏せて、私は主の頭をがむしゃらに抱き締め、貪るように唇を吸う。
気を抜けば……恐怖に駆られて離れてしまいそうになる我が身を押さえつけるように。
「(ある、じ………)」
想像を絶する痛みの中で、皮肉にも……心を削り取る記憶の奔流が、私を支えていた。
その中に混じる、私との思い出と、私への想いが。
私は……これほどまでに、主に想われていたのか………。
「(だからこそ、手放しはしない……ッ)」
もはや、正義の為でも一刀の為でもない。こんなにも温かい想いに満ちている北郷一刀を、何がなんでも取り戻したい。
私は、そんな剥き出しの願望をひたすらに高める。それこそが、主の記憶を手繰り寄せる最大の術だと悟っていたから。
我を忘れて主を求めている私と、そんな自身をも冷静に使う私。二つの私が混在しているような気分だ。
「(主―――――!!)」
闇とも光ともつかない意識の最奥で、青白い炎が燃え上がった。
「…………………」
何も無い暗闇を、一人で歩き続ける。……いや、何も無いって言うより、全てが在るのかも知れない。
「(何だ………?)」
見えているのに入って来ない。届きそうで届かない。そんなもどかしい群体が俺の周りを取り巻いている。
「(俺は……どうしたいんだ……?)」
知りたいようでもあるし、知るのが怖いような気もする。何も解らないから判断のしようもない。
ワケが解らないものに自分がどんな気持ちを向けているのか、どんな気持ちを向けるべきなのか……。
「(………皆、こんな気持ちだったのかな)」
自分の思考の倒錯具合にも気付けない。
「 」
見えない何処から、誰かに呼ばれた気がした。
「――――――!?」
途端、唇に柔らかい感触が押し付けられた。周りの歪みが治まっていく。世界に色が戻って来る。
何かに引き上げられるような不可思議な感覚に呼び起こされて…………
「お目覚めですか? 我が主よ」
「……おはよう、星」
“俺”は目覚めた。
「………………」
自分に覆いかぶさっている、余裕すら感じさせる星の頬に、一刀はそっと手を伸ばす。
暗闇では判りにくかったが、星は髪が濡れるほどに全身汗だくになっていた。
相変わらず我が強くて意地っ張りな彼女だと、一刀は柔らかな溜め息を漏らす。
「主……?」
何も言葉を口にしない一刀を、星が僅かに不安を覗かせて見つめた。
一刀は――星とは比べるべくもないが――混乱する頭で、しばし逡巡する。
「おはよう」の次に掛ける言葉は、何であるべきかを、だ。そしてやはりと言うか、それに帰結した。
「……ありがとな」
優しく、穏やかで、少し大人びた微笑み。
「っ………」
それだけで、十分だった。星は俯き、間髪入れずに頭を一刀の胸に押しつける。
今……どんな顔になっているか、わかったものじゃない。見たくもないし、見られるなど論外だ。
「っ……ッ………」
同様に、何か言う事も叶わない。口を開けば、情けない声が漏れ出てしまう事はわかっていた。
「……ありがとう」
再び礼を告げて、一刀は胸の中の星を包み込む。何度も何度も、小さく震える背中を撫で擦る。
全て解っているような生意気な態度に、小さな虚勢を張っている事が……何だか馬鹿馬鹿しくなって………
「ふ……ひっく………!」
―――ほんの少しだけ、星は泣いた。
「記憶は、戻られたようですな」
「お互いに、ね」
星が落ち着くまで待ってから、念の為にと確認されて、一刀は可笑しそうにそう返す。
全てを思い出してから省みれば、星たちの変化にも当然気付く。記憶が戻っていなければ、この世界に来れるはずもない。
「…………………」
一刀の軽口に沈黙を返し、星は表情を暗くする。一刀には見えていない。一刀が着替えると言うから、二人は背中合わせに部屋の反対側を見ている。
「…………………」
星らしくもなく、二の句が継げない。さっきまでは一刀が自分を取り戻した事で頭がいっぱいだったが、時間を置けば否が応にも思い出す。
場合によっては、一刀はこれから……記憶を取り戻したが故の苦しみを背負う事になるかも知れないのだ。
そんな馬鹿な考えを、星は頭を振って追い払う。
「(主は……我らよりもずっと強い。それがどんな結果を生もうとも、自らの過去に潰されたりするものか)」
それら全て承知の上でした事。今さら何を躊躇うのか。………そう思って、振り返った先に―――
「………よし、行くか」
陽光に煌めく衣を纏った天の遣いが、そこにいた。
「帰ろう、俺たちの世界に………」