「なんでオレがかずピー部屋に泊めたらなあかんのやろなぁ~」
「………しょーがないだろ。俺の部屋、恋たちに取られちゃってんだから」
「………オレ、関係ある?」
薄暗い部屋の中。ベッドの上から及川の不平不満が飛んでくる。俺は床で雑魚寝。
「お前があの二人連れて来たんだろーが」
「だからかずピーの知り合いなんやろ。とぼけても無駄やぞ」
あの二人に引っ張り回された挙げ句に彼女に逃げられた(らしい)こいつには同情するけど、俺に当たんなと言いたい。知らんっつっても全然信じないし。
「(………何だってんだよ、今日は)」
『恋の友達』という一言説明の後、俺は自分の部屋から締め出された。あんな別れ方したばっかだから気まずい、とか、俺を追って来たのか、とか……思うヒマもない。
しかも、今晩はそのまま三人俺の部屋に泊まるそうな。予想外過ぎる流れについて行けん。
「(恋の友達、か………)」
俺を探してたらしい、二人の女の子。……まるで、生き別れになった家族と再会したみたいだった。
『………我らの事を、お忘れか?』
そして俺の態度を見た時の、あの辛そう顔。……及川が信じないのも無理ないか。あんな“赤の他人”、いるわけないもんな。
「(俺が………忘れてるのか………?)」
だんだん自信がなくなって来て、必死に自分の記憶を掘り返している内に……いつしか俺の意識は微睡みに呑まれていった。
「こうして主のいる世界だ。おぬしがいても、それほど不思議ではないか」
一刀の部屋で、三人の少女が輪を作っている。もはや大抵の事では動じなくなってしまった星は、恋に小さく問い掛ける。これは“確認”でもあった。
「………?」
恋は小さく小首を傾げた。判別し辛い反応に、愛紗が問いを重ねる。
「恋は我らの事を……元の世界の事を、憶えているのか?」
「(………コクッ)」
今度は首を縦に振り、肯定。恋は外史の理を把握しているわけではないが、愛紗たちの言いたい事は理解出来る。
「………月や詠もいる。けど……憶えてない」
「なんと………」
予想だにしていなかった状況に、星は小さく驚嘆を漏らす。
恋は一刀を逃がす為に単身で蜀の軍勢に立ち塞がり、その命を散らした。月と詠は逃避の果てに業火に巻かれて焼け死んだ。
一刀を含め、前の世界で命を落とした者ばかりがここにいる。この外史は死後の世界なのかと、星に思わせる状況だった。
「………二人は?」
今度は恋が問い返す。不都合が無ければ大抵の事には頓着しない恋も、今回ばかりは無関心ではいられない。
「我らは主を追ってこの世界に来た。心配せずとも、記憶はある」
手段や過程には興味を持たないだろう恋に合わせた、短絡的な説明。結果的に……愛紗が一刀を手に掛けた事は隠される。愛紗の表情が、悲痛に歪む。
「………そう」
やはりと言うか、恋はそれ以上深くは訊いて来ない。単純に、友達にまた会えた。一緒にいられるという事を喜び、頬笑む。
「……………あ」
そこで、恋は思い出したように声を上げた。視界に入った一つの物に気付き、四つんばいに近づく。
一刀の、カバン。
恋は元々、一刀の様子が心配で追い掛けて来たのだ。そしてあの時、何か嬉しい事をしてくれそうな気配だった一刀は……カバンの中に手を入れた後、逃げ出した。
恋はまったく無遠慮にカバンを漁り出し、あからさまに浮いた存在を見つけ、引っ張り出した。
「………プレゼント?」
小綺麗な紙とリボンで包装された、小さな箱だった。
「恋に……?」
その見立てが勘違いなどとは思わない。恋もずっと、明日という日を楽しみにしていたのだから。
「恋、それは何だ」
主君の私物を勝手に漁るな、という注意より好奇心が勝り、星が横から覗き込んだ。それは愛紗も同様、止める間もなく恋が取り出した物を食い入るように見ている。
「……誕生日の贈り物」
箱を見つめたまま、恋は簡潔に応えて、続けた。
「でも……渡そうとして、一刀が逃げた」
あからさまな誤魔化しを残して走り去る一刀の背中を思い出し、恋は眉尻を落とす。星と愛紗も、一刀らしからぬ行動に顔を見合わせた。
「開ける」
「ちょっと待て、そんな勝手に……!」
流石に止めに入ろうとする愛紗だが、恋は構わずリボンを解いていく。下手に手を掴んだりすると包装紙が破れてしまいそうで、愛紗は制止出来ない。
「………………」
恋だって、本当は一刀の手で渡して欲しい。だが、あの時の一刀の背中を思い出すと………何故かそれがいけない事のように思えた。
「っ…これは………!?」
そして封は開かれる。箱の中に在るのは、紫の花を模した髪飾り。
―――かつての世界で、一刀が愛紗に贈った物だった。
「天界の夜は、華やかだな………」
寮の屋根に上り、ややの高地から街を見下ろしながら、愛紗は終わろうとしている今日に想いを馳せる。
たくさんの事があり過ぎて、心がちゃんとついて来ていないような感覚が先に立つ。
「…………………」
冷たい夜風に、艶やかな黒髪が靡く。見下ろす夜景は美しく、まるで色とりどりの星空をそのまま地に敷いたように幻想的だ。下界ではまず目にする事は叶わぬだろう。
「下は、な」
「…………星か」
その背に常と変わらぬ調子で声を掛けた星が、愛紗の隣へと並ぶ。
単にお節介をしに来たわけではない。眠れないのは、愛紗だけではないのだ。
「上はそれほど華やかでもない。主の言っていた通りだな、私は……この空は好きになれん」
星の視線を追って、愛紗も上方に広がる空を見る。地上の光が強すぎて星光は霞み、排煙が月を陰らせていた。
愛紗はそれに応えず、再び顔を俯かせたまま、口を開く。
「……前の世界で我らと再会したご主人様も、こんな気持ちだったのだろうか」
漏れる呟きは、星に向けているようにも、ただの独り言のようにも聞こえる。
愛する人との思い出が、絆が、全て嘘になってしまったかのようで……とても……堪えていた。
「………おそらくな。今から思い返せば、全ての不自然な言動も納得出来る」
応えを求めてはいなかったのだろう。星の言葉に、愛紗は口をつぐむだけ。
記憶を取り戻した時から、解っていた。前の世界で、一刀は自分たちとの思い出を背負って戦っていた事を。
星も、愛紗も、自分たちが心のどこかで一刀に甘えていた事を痛感していた。
自分たちは無様に全てを忘却したくせに、一刀が記憶を失う事など考えもしていなかったのがいい証拠だ。
「恋は憶えているのに、どうして…………」
「……それはわからん」
今度は解を求めている愛紗の問いに、しかし星も応えられない。
これまでの事象を顧みれば、『銅鏡を介して外史を渡った者が記憶を保持出来る』……という考え方が妥当だが、自分たちや一刀はともかく、恋はその仮説に当て嵌まらない。
そもそもが理の外の現象。“理”屈自体、存在しないのかも知れない。
「主は………誓いを忘れ、思い出を失った我らにも、変わらぬ愛を注いでくれた」
聞いた事もないほど優しい星の声に、愛紗は振り返る。どんな暗闇の中も進んで行けそうな、強い瞳がそこにあった。
その瞳が言っている、今度は自分たちの番だと。
「記憶など無くとも、どんな世界であろうとも、主と共に歩んで行ける。私が私である限りな」
今の自分には眩し過ぎる。そんな気持ちを痛いほどに感じて、愛紗は星から眼を背けた。
見ている方が切なくなるような愛紗の姿に、星は軽く吐息を漏らした。そう簡単に整理出来るほど、愛紗の傷は浅くないと解っているから。
「主がいる、恋がいる、月が、詠が……そしておぬしがいる」
一刀に会いたい。ただその想いだけでここまで来た。
最悪、あの銅鏡に触れた瞬間……誰の記憶からも消え失せ、命どころか存在すら失う事も覚悟していた。
外史を渡ったら、同じ世界にいるかどうかも判らない一刀を、一生を費やしても見つけだすと決めていた。
もちろん……“会った後の事”など、考えている余裕はなかった。
それは今でも変わらない。たった一つの希望があった前の世界とは、違うのだ。
心残りが無いと言えば嘘になる。だが、二人は全てと引き換えに一刀を選んだ。
「こんな空の下でも、笑って生きていけるさ」
―――だからこそ、掴み取った大切な人を、決して放す事はない。