「「はあっ!!」」
歴史に残る事の無い白亜の戦場で、天下に轟く技と技が鎬を削り合う。
星の武は華麗に尽きる。その鮮やかな体技は見る者全てを夢幻へと誘う蝶の舞踊。秘された龍牙が、幻惑の内に敵の魂を狩り取る。
愛紗の武は鮮烈に尽きる。強く、激しく、重く、疾く。研ぎ澄まされた青龍の爪は鉄をも斬り裂き、その牙は如何なる敵をも噛み砕く。
二つの剣閃が光の軌跡を無数に刻み、唸る凶刃が風を裂き、噛み合う牙が火花を散らす。
嵐のような乱撃戦であるにも関わらず、完璧な調和すら生み出す拮抗した戦いは、まるで剣舞でも演じているかのような錯覚を抱かせる。
「はぁあああああ!!」
だが、互角の力を有する二人の力量の中に在る歪みを、見る者が見れば気付いただろう。
「ッオオオオォォ!!」
技でも力でも無い、強さ。己の実力を限界を越えて引き出す意志が、一方には在って、一方には無かった。
「見切った!!」
柳の落葉のように斬撃を躱す星の足運びを、打ち合いの中で愛紗が捉えた。青龍刀が風を巻いて奔り、白い影を断ち斬り、散らす。
「甘い!!」
爆ぜたのは、緩やかに流れる星の袖の袂のみ。大振りの隙を縫うように、星の槍が小さく疾く逆撃を繰り出す。
「く………っ!」
槍の穂先は愛紗の顔面を貫かんと迫り………鼻先で止まった。咄嗟に構え直した青龍刀が双刃の間に滑り込み、間一髪で槍を止めたのだ。
「だあっ!!」
そのまま力任せに青龍刀を押し切ろうとする愛紗に、星は抗わず逆らわず………逆に僅か身を退いて、体を捻るようにいなす。
捻った体をそのまま回転させて振るわれた星の横薙ぎを、愛紗は上体を大きく反らして避けた。
星は円運動の延長として、愛紗は不安定な体勢を反動で起こすように―――
((ガッ!!))
互いの頭部を狙った蹴撃が、鏡移しに衝突し、制止した。間髪入れず、両者は龍牙と青龍刀を全力で振り抜き……ぶつかり合った衝撃の反動を利用して距離を取る。
間合いを開けて星と向かい合う愛紗の頬に、思い出したように一筋の紅が流れた。
「つまらんな、今のお前には敗ける気がせん」
軽口を叩く余裕など無い。むしろ実力自体は伯仲している。だが……星の言葉は慢心でも強がりでも無い。
武人にとっては屈辱以外の何物でもない侮蔑を受けて……しかし愛紗は反論しない。ただ静かに、青龍刀を構え直す。
「………この一撃で、最期だ」
何らかの決意を瞳に宿す愛紗。
「ふっ、そう上手くいくかな」
この期に及んでも不敵な笑みを浮かべる星。
必殺の構えを取る二人を取り巻く空気が、冷たく、重く、痛いほどに張り詰めていく。
一瞬とも永遠とも思える硬直を――――
「やぁああああ!!」
先に破ったのは、星。両手にしっかりと握り締めた槍を……体ごと、全身全霊を以て突き出す。
「うぉおおおおお!!」
その刺突を……愛紗の青龍刀が下から掬い上げるような袈裟斬りで迎え撃つ。
二つの刃が交叉して―――――
(キィン!!)
硬い音と共に宙に撥ね上げられたのは……星の龍牙。
「(馬鹿な―――!?)」
それを信じられないような眼で見た“愛紗”は…………刹那、見失う。
「(何処に―――っ)」
そして、見つける。足幅を広げ、体を沈めて、背中を見せるほどに体を捻った星の姿を。
「(槍は、囮か―――)」
背中を見せて斜に構える姿勢、相手には視認出来ない所から。
「(これで…………)」
―――宝剣の光が、愛紗の視界を埋めた。
「…………………」
「…………………」
刹那の衝突は終わり、再び場を静寂が満たす。二人の時は止まっている。
低い姿勢から青紅の剣を伸ばす星と、その刃を首筋に当てられた愛紗、という光景のままで。
中空を回転し、落下と共に白亜の大地に突き刺さった双刃が……戦いに終止符を打った。
「………これで、少しは気が済んだか」
何事も無かったかのように身を起こした星は、愛紗の首筋から刃を外し、鞘に収める。
「さっさと行くぞ。こんな事をしに来たわけではないのだろう」
そして愛紗の横を通り抜けて、神殿へと歩を進める。その足を――――
「なぜ………」
か細く震える少女の声が、止めた。
「なぜ斬らない!!!」
押し留めていた感情が爆発する。それは怒声と言うよりも、悲鳴に近いものだった。
「なぜ……平然とそんな事が言える………」
愛紗は振り向かない。星の方を見ない。顔を上げる事すら出来ず俯いている。
「私は……自分が、許せない………!!」
だが、その涙声と……血が滲むほど握られた両の拳が、彼女の心を如実に物語っていた。
「………やはり、か」
予想と違わぬ愛紗の姿に、星は呆れたように肩を竦める。
『かつての自分』を取り戻していなければ、この地に来る事すら出来はしない。そうでなくとも、あの時の愛紗の言動はあまりにも不自然すぎた。猿芝居にもほどがある。
「私がここに来たのなら、もう自分が生き続ける理由は無い、とでも思ったか?」
自分を取り戻していながら、あんな言葉を吐いて星を煽る理由。星がそれを察するのは、それほど難しい事ではなかった。
「私に斬られて、死ぬつもりだったか」
強い信念は力になる。今の自分では星に勝てない。星には、無抵抗なかつての仲間を斬る事は出来ないかも知れない。
先ほどまでの言動が、今の姿が、そんな愛紗の意図を正確に星へと告げていく。
推測が確信へと変わり、今の愛紗の心を知った星は………
「臆病者め」
そう、吐き捨てる。未だに顔を上げられない愛紗の背中に向けて。
予期せぬ侮辱に、敗北してから初めて愛紗は振り返った。依然、眼を合わせる事はしない。
「………そうする事しか、出来ないではないか」
「違うな、お前はただ怖いだけだろう」
消え入りそうな“言い訳”を、星はにべもなく切って落とす。
「主に捨てられる事も、主に許される事も、主に会う事さえも、恐ろしくて堪らない。そんな今の状態から逃れる為に、楽になろうとしている」
愛紗がした事、愛紗がしようとした事、今の愛紗の姿、その全てが許せず、星は辛辣な言葉を投げ掛ける。
「…………………」
一方的に決めつけられて、なのに愛紗は黙り込む。否定する事も、肯定する事も出来ない。
「いま全てから眼を背けて安易な死を選べば、お前はこの上……三つの罪を重ねる事になる」
凡百の悪人相手ならば、こんな事を言いはしない。どんな罪を冒そうと、仲間だから。そして、一刀の愛する女だから……星はその手を引くのだ。
「三つの、罪……?」
「桃香殿への裏切り、主への裏切り、そして……お前自身への裏切りだ」
星は槍を翻し、こちらに顔を向かせるようにその穂先を愛紗の喉元に突き付けて…………
「もし、それら全てを承知の上で死を選ぶというなら……私が息の根を止めてやる」
から、外す。
「だが……それは全てを見届けてからだ。お前はここに、何をしに来た」
星は問い掛ける。愛紗の口から言わせなければ、意味が無い。
「私が訊いているのは、おぬしの気持ちだ」
決して嘘ではない、しかし本当でもない……そんな応えを星は求めてはいない。求めているのは……愛紗をこの地に駆り立てた、心の奥底から湧き上がる、たった一つの想い。
「……い、たい……」
頑なに鎖していた心の壁が、遂に決壊する。大粒の涙が、ぼろぼろと愛紗の頬を伝う。
「もう、一度……ご主人、様に……会いたい……!」
『関羽』という鎧で守り続けていた本質。弱くて、臆病で、ただ愛する人と共に在る事を願う『愛紗』。
それでいいと、星は思う。自分の弱さを知らない者に、本当の強さなど掴めはしないのだから。
「………これ以上、主を苦しめるな」
膝を折って子供のように泣き続ける愛紗の肩に、星は優しく手を掛ける。
求めた言葉に、応えは返らない。無理も無い。今はそれでいいと思う。
「共に行こう、我らの主の許へ」
―――立ち止まりさえ、しなければ。
神殿最奥の大広間。かつての外史に於いて、世界消滅の儀式が行われたこの場所に……星と、愛紗は戻って来た。
あの時とは違う。左慈はいない、于吉もいない。朱里も、鈴々も、翠も、紫苑も……一刀もいない。
「………思い出すな」
悔やみ切れない敗北が脳裏に蘇り、星は切なく唇を噛む。
誰も彼もが一刀を求めて走りだし、障害である左慈には目もくれず……結果、誰も一刀に手が届かなかった。
愛しい主が白い光に蝕まれる絶望は、今でもその身を震わせる。
「ああ、だが……確かに在る」
朱里はいない、鈴々もいない、翠も、紫苑も一刀もいない。だが……確かに在る物がある。
物語の突端にして象徴。そして終幕の象徴として作られた……一枚の銅鏡が。
星と愛紗が望みを賭けた、存在する事を願った、たった一つの希望が。
「……私たちは、ご主人様が孤独に耐えながら守り抜いた理を……破ろうとしているのだな」
「お前は主の行動全てを肯定的に取り過ぎる。案外、思いつかなかっただけかも知れんぞ」
誰も自分を憶えていないこの世界に、一人で放り出された一刀が、この地を目指さなかった理由を、今の二人が知る術は無い。
思い詰めるように眼を伏せた愛紗とは対称的に、星は軽く失礼な憶測を立ててみる。
時折思いがけない発想をする事はあっても、基本的にはどこか抜けている男というのが星から見た一刀である。
「再び戻って来れる保障は無い。それどころか、この先にご主人様がいるのかも解らない。それでも……行くんだな」
「無論だ」
既に自分が行く事は決めていた愛紗の確認に、星は一切迷う事なく返した。
「勝算が無いわけではない。少なくとも、この外史は『北郷一刀の死』という終端を望んではいないのだから。それに何より…………」
作られた世界・外史。星も、愛紗も、一刀も、この世界そのものも……正史と呼ばれる世界の誰かが生み出した存在。
『物語には必ず突端と終端がある』。剪定者たちはそう言った。だが……一刀が死んだ今もなお、世界は変わらず存在している。
「我が魂の帰る所、北郷一刀の傍を措いて他に無い。そう信じていれば、怖れるものは何も無い」
墓を暴いた夜……一刀の遺体は“星の目の前で消えた”。まるでその死を否定するかのように。
「信じろ、願え、思い描け。我らの想念が、正史にまで届くように」
星の右手が、鏡に触れる。
「ご主人様………」
愛紗の左手が、鏡に触れる。
触れた場所から光が溢れ、二人を、そして神殿全てを呑み込む渦へと変わる。
「(あ―――――――)」
何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。あの時と………同じ。
だが……全てを再現するわけにはいかない。もう二度と、愛しい人と引き裂かれたくない。
『私は惚れた男を逃すほど、甘い女ではありませんよ』
「(届け………っ!)」
星の想い。
『約束したのにっ……ずっと、ずっと一緒にいるって……約束したのに!!』
「(繋がれ!!)」
愛紗の想い。
絆だけを頼りに、一途な願いをただただ籠めて。
『外史を越えろ!!!』
―――光は揺れて、弾けた。