「これは?」
手始めに、少々露出の大きな服を胸に当て、此れ見よがしに一刀の顔色を見てみる。
「ちょ、ちょっと際ど過ぎるんじゃ……」
ふむ、これは駄目……いや、私には似合わない? いやいや、他の者に見せたくないのかも知れん。
「これは?」
「おぉっ、良いんじゃない? 星が普段あんまり着ないタイプだし、結構新鮮かも」
これは正解。あまり懐に余裕があるとは思えんし、この一着で勘弁してやるとしよう。
私は流水の描かれた緩やかな衣をそのまま……一刀に押し付けた。
「あのー……星さん? これは一体?」
「着て見せて差し上げる、と言っているのですよ。何か文句でも?」
「………ないっす」
ヤバいか? いや、まだ大丈夫。などとブツブツと独り言を並べながら、一刀は私が渡した服の勘定を済ませに行った。
「言っとくけど、これ以上は出せないからな。他にも買いたい物あるんだから」
「解っておりますよ」
常ならこのまま店を出て、洒落た飯店でも探すところだが……私は店を出ようとはしない。
そんな私を怪訝そうに見てくる朴念仁に、わざと呆れを強めた視線を送ってやる。
まったく、まだ買い物は済んでおらんだろうに。
「………で、誰にですかな?」
「……………へ?」
一刀は暫く間抜けな顔で固まってから。
「うぇっ!? な、何で!」
喧しく騒いだ。本当に、この男は。
「何故も何も、日頃の一刀を知る者ならば誰にでも推測が着く」
長旅の休養として作った時間で、一刀が私物の買い物に我らを付き合わせるなど考えられない。むしろ「どこにでも付き合うよ」と言う男だ。
それが「買い物に付き合ってくれ」などという事は、私や張三姉妹以外の女の為に決まっている。
「だから、天和たちは買い物に付き合ってくれなかったのですよ」
「そ……そうなん?」
「ええ」
あやつらは今頃、蜀の絶景を見下ろしながら優雅に温泉に浸かっている。
惚れた男の、他の女の為の贈り物選びなど、面白かろうはずもない。だからこそ……多少の見返りは求めさせて貰った。
『自分に好意を持たれている』事を前提とした思考が出来るようになったのは進歩だが、隠し事が下手なのは相変わらずだ。
「えー、と……ごめん」
「謝らずとも良い。……それより、一体誰への贈り物か?」
一刀が物を贈る女。洛陽で帰りを待っている風や稟たち、初めて会った時から親交が深まる一方の呉王・孫権、敵であった時からその人格を認め合っていた魏王・曹操。例を挙げればキリが無い。
一刀が無言で懐から取り出した一通の手紙の差出人の名前は……その中でも最有力の人物の物だった。
「(桃香殿、か……)」
乱世の渦中。別勢力であるがゆえの確執や距離が在ってなお、我ら臣下とは異なる……何か特別な絆を一刀と持った女性。
わざわざ蜀の地で贈り物を探すくらいの事はしても不思議ではない、私にとっても好敵手と呼ぶに申し分無い相手だ。
しかし、意外性に欠ける。これが意表を突いて白蓮殿あたりだったらもっと面白味も出たであろうに。
などと我ながら勝手な事を考えながら手紙を読み進めて行く内に……
「………関羽が永安に異動?」
その内容に、私は自分の予想とのズレを感じ始める。これでは、まるで……
「まさか、関羽に?」
「? そだけど?」
それが何? と言わんばかりに首を傾げながら肯定する一刀。しかしこれは………かなり意外だ。
一刀は確かに以前から関羽を気にしていた節はあったし、一刀が気付いていたとは思えんが……私の眼力はあの石頭の欝屈した想いを見抜いていた。
しかし……まだ真名すら許されてもいない女の為に、わざわざ蜀の地で贈り物を選ぶとは。
予想外と言えばこれ以上無いほど予想外だが、不思議と面白味が……いや。
「なるほど、あの眉間の皺を取ってやるわけですか」
「そんな大袈裟なもんじゃないよ。……俺が会いたいだけだから」
それもまた一興か、と薄笑いを浮かべる私を見ずに、一刀はどこか遠くを見ていた。
……相変わらず、女と見れば節操なくクサい台詞を吐く。
「あの関羽が自分から桃香の傍を離れるなんて、普通なら考えられない。何となくだけど……凄く苦しんでるような気がするんだ」
「ふむ………」
一刀の曖昧な直感を聞いて、私は再び手紙に視線を落とした。文面からは、関羽が苦しんでいる事や、一刀にそれを何とかして欲しいといった類の事は読み取れない……が、確かに妙だ。
柔軟性の欠片も無い忠誠心があやつの最大の特徴であり悩みの種であると見ていたが、自発的にこんな行動を採るという事はのっぴきならない事情があるのか。……或いは、あのとき居合わせた事が原因か。
いずれにしろ………
「(一刀にしては、聡過ぎる)」
いや、少し違うか。確かに一刀はお節介だが、仮に関羽が苦しんでいると解ったとしても、“自分なら何とか出来る”と離れた地から息を巻くほど極端ではない。
それでも尚、こんな曖昧な手紙で行動を起こすという事は………
「気付いておいででしたか、いつになく鋭敏ですな」
「……鋭いとか以前の問題なんだけどね」
やはり、か。私や桃香殿を除けば、本人を含めて誰も気付いていなかっただろうに……この鈍感男が、関羽の好意を見抜いていたとは。
……しかし、妙な言い回しだ。
「そう思えるのは、星のおかげでもあるんだよ」
「? どういう………」
含みのある言い回しに問い返しても、一刀はまた女性物の服が並ぶ一画に逃げるように向かっていた。
「やれやれ」
しつこく追及する気も起きず、私も服を選ぶ一刀の横に並ぶ。女性的な感性が必要なのは間違いないし、口出しくらいはしてやるが、選ぶのはあくまでも一刀本人でなければ意味が無い。
「あのテの武骨者は、まともに女性らしい服を着た事があるかも怪しい。その反面……“可愛くありたい”と憧れめいた気持ちは持っているものだ」
「………ありがと、星」
唸りながら服の山と睨み合う一刀に軽く助言を挟んだら、面と向かって礼を告げて来た。
既に対価は受け取っているのだから、不要のものではあるのだが。
その後も暫く、あーでもないこーでもないと悪戦苦闘を続け、そろそろ店を変えようかという段になって………
「……………あ」
不意に、一刀の視線が止まった。魅入られるように手にした一着の服は……楚々とした造りの可愛らしい青の衣。
少しおとなし過ぎるような気もするが、いかにもあの石頭が憧れそうな印象も受ける。
少し想像してみたら、これしかないと言うほどにピッタリなように思えた。
「これにする」
と、私が感性を褒めてやるより早く、一刀は私に意見も求めずに即決した。
「……せめて意見くらい訊いてもらわねば、私が同行した意味が無いのですが」
「あ……ごめん」
謝って、しかし撤回するつもりはないらしく、一刀はその服を手に小走りで店主を探しに行った。
「………まったく、妬けますな」
そんなにその服を、関羽に着て欲しいのですか。
成都にて張三姉妹や部隊の者らに休息を与え、贈り物として服を買い、私と一刀は蜀の山道を駆けていた。
永安は紫苑の管轄から外れていたとはいえ、益州に属する都市。大所帯でなければ成都から直接向かう事も出来る。
巴城を抜け、関所を抜け……永安に入ろうかという所まで来て――――
「………主、どうして我らは花摘みなどしているのでしょうか」
花畑で仲良く座り込んでいた。別に和に寛いでいるわけではない。私の隣では、一刀が「これも違うこれも違う」と血眼になって何かを探していた。
「紫の花が欲しいんだ。本当は髪飾りが良かったんだけど、それは売ってなかったし」
………どこまで完璧な仕上がりの晴れ姿を妄想していたのか、この男は。
「どうしてそこまでしてやる必要がある。服選びに付き合い、こんな無駄な道中の護衛を勤め、おまけに花摘みまでしろと? 納得のいく理由があるのだろうな」
語調を変えて、キツく睨んで、私は一刀を問い詰める。関羽の気持ちは大方理解しているが、だからと言って一刀がここまでしてやる理由にはならない。
わけも解らぬまま振り回されるこっちの身にもなって欲しいものだ。
一刀は長い沈黙を続けてから、躊躇いがちに口を開く。
「……ホントはずっと、傍に居て欲しかった」
懐かしむように、寂しがるように………
「でも、“それ”が正しい事なのか解らなかったし、愛紗の為になるのかも判らなかった」
そもそもそんなの出来っこ無かったんだけどね、と一刀は自らを嘲う。
「なるべく考えないようにしてたんだ。愛紗がそれを望まないなら、俺は独り善がりに苦しむだけだって思ったから」
そこで私は、一刀が関羽の真名を呼んでいる事に気付いた。
「そんな俺の弱さが……愛紗を苦しめてたのかも知れない」
いや、それも言い訳か。一刀は頭を振って言い直す。
「俺自身が、彼女との絆を諦められないんだ。平和を掴んだ今になって……“傍に”愛紗がいない事が、凄く寂しい」
傍……というのは、単純な距離の意味ではないだろう。私は直感的に確信する。
やはり………一刀は明らかに、関羽に対して相当に深い愛情を抱いている。
「あの時、届かなかった手を……もう一度伸ばしたいんだ」
自身の掌を見つめて、深い悔恨と未練を握り締める。
その姿がどこか遠いものに見えて、私は掛ける言葉を失った。
目の前に居るのに、一刀が遠い。まるで自分だけが蚊帳の外に追い出されているような錯覚さえ覚える。
そんな私の眼を……一刀は穏やかに見た。ここにいる、私の眼を。
「星にまた……手が届いたみたいにね」
そう言って一刀は、私の手を取る。とても、とても嬉しそうに。
「(今なら………)」
応えてくれるのではないか。今までのらりくらりとはぐらかして来た不可解な言動の理由を、話してくれるのではないか。
そんな衝動のままに口を開こうとした私を……一刀は見ていなかった。
その焦点は私の背後……東の空に向いている。
「……何だ、あれ?」
私もそれを追って振り返れば、青い空を濁らせて、黒い煙が立ち上っていた。
通常の生活で出る煙にしては……些か以上に大き過ぎる。
「行ってみよう、星!」
「承知!」
私と一刀は立ち上がり、矢の様に駆け出した。
背を向けた場所に、人の居なくなった花畑に、見つけられる事の無かった一輪の花が………ただ静かに、咲いている。