「わたし達ー! 曹操さんの所じゃもう歌えないのーー!!」
桜色の髪を靡かせる長女・天和。
「今までちぃ達、あいつにひっどい目に遭わされてたんだから!!」
青い髪を側頭で結った次女・地和。
「もう一度、皆のために歌いたいよ!」
不揃いな長さの紫髪の三女・人和。
本来ならば魏の庇護下で夢を広げているはずの歌姫が今、十文字の旗を掲げて戦場に立っている。
「お願い! これ以上わたしのために悪者になるのはやめて!!」
「皆の血で染まった大陸で、私たちは歌えない!」
「ちぃ達を、新しい夢の舞台に連れて行って?」
愛好者殺しの嘆願が向けられているのは、直下の北郷軍ではない。その北郷軍と向かい合っている……魏の大軍だ。
その歌と踊りで大陸の東北を魅力して来た三姉妹の呼び掛けは、魏軍に並々ならぬ動揺を呼び―――
「…………あれ?」
しかし、それだけ。熱狂に駆られた魏兵が三姉妹のために立ち上がる……という、地和と天和の思い描いていた光景へと繋がらない。
「なっ、なんでー!? みんな、ちぃ達のために集まったふぁんでしょ!」
今の魏は自分たちあったればこそ、と強く自負していた地和は、この結果に甚大な衝撃を受けた。それは天和も同じなのか、口に出して「がーん」と言っている。
対称的に、華琳は三姉妹の思い上がりを醒めた眼で睥睨していた。
「浅はかね。王たる者が、国の武力たる兵の手綱をいつまでも預けておくわけがないでしょう」
熱狂に酔って集まった弱卒も、剣を握る意味を持たなければ厳しい訓練になど耐えられない。積み重ねた日々が、強靭な気骨と真摯な忠節を育む。
そして……そういう者ほど強烈に惹きつける風格こそが、華琳の覇王たる所以。
しかし――――
「私たちの役目は、反乱を促す事じゃない。クサらないで続けましょう、姉さん達」
三姉妹が中枢から遠ざけられた時点で、華琳をよく知る一刀はこの結果を予期していた。当然、敵兵を扇動して寝返らせようなどと欲を掻くつもりは初めから無い。
そう聞かされていた人和も同様、慌てたりはしない。
「ん〜っ、なーんか納得出来ない」
「兵隊だろうとふぁんを取られたりしたら、張三姉妹の名折れよ」
「うん……だから、歌いましょう」
そんな理性とは裏腹に、歌姫としての意地がある。相手が覇王であろうと、闘争と狂気に支配された戦場であろうと、“人気”で負けてはいられない。
「新曲・『十文字の牙門旗』、聴いていって下さいね♪」
戦場の中で踊る歌姫。前代未聞の公演を遠く見ながら、華琳は僅か眉尻を落とした。
「(黄巾終結以来、私を見てきたあの子たちの応えが、これか)」
しかし、憂いている暇は無い。兵の反乱など起こらなくても、魏軍にもたらされた動揺と混乱は大きい。
「このままあの三人を裏切り者として討てば、味方の士気の低下は避けられないでしょうね」
「……はい。むしろあの三人は北郷に攫われて脅迫されている、と触れ回るべきかも知れません」
そして……十軍にとって、その動揺と混乱で十分。それが“合図”にもなった。
(ジャーン! ジャーン! ジャーン!)
「っ……今度は何!」
華琳が混乱した軍を鎮静化しようとした矢先、どこからか銅鑼の音が響き渡る。状況を把握しきれない華琳の下に、ほどなくして一人の伝令が駆け付けて来る。
「北方の山間より敵伏兵部隊が出現! 中軍は横撃を受け、隊列が崩れています!」
「伏兵……?」
半ば予想していた事とはいえ、華琳には疑念が残る。相手は数が少ないのだから奇襲は当然の戦術。それが判っていたからこそ索敵に手は抜かなかった。
そしてそれ以前に、華琳は北郷軍の兵力を凡そ把握している。目の前にいる本隊以外に、戦力らしい戦力が残っているとは思えない。
……が、現実として魏軍は混乱に乗じた奇襲を受け、まだ華琳の預かり知らぬ事ではあるが、部隊長が三人討たれている。
「兵数は?」
そうして聞かされる敵兵の数に、その数がもたらす戦果に、後に華琳は驚愕を覚えさせられる事となる。
「数揃えたら見つかってまうからなぁ」
所変わって、中軍だけでも十万を越える魏の大軍に切り込む特攻隊。その先頭で……北郷五虎将が一人、霞が不敵に笑う。
「今週はちょっとハジケようかな、と」
「もう残念だとか言わせない! わたしも歴史に名を残すぞ!」
その右で縞馬に乗る同じく五虎将の、散。左で気炎を巻き上げる元・幽州太守の白蓮。
そしてその後ろに続くのは、騎兵隊。騎馬対策に魏が講じた長槍もまるで意に介さず、無人の野を駆けるが如く魏軍を蹂躙する騎兵隊。
その数は……僅か千にも満たない。
「八百おれば十分や。世に謳われた張文遠が神速、目ん玉ひんむいてよう見ときぃ!」
だがそれは、ただの騎兵ではない。兵の全てが壮麗な白馬に跨がり、その髪に鶩の羽根を差した八百人の戦乙女たち。
霞の部隊の中から選りすぐられ、西涼式の騎馬訓練を重ね、白蓮自慢の白馬隊を乗りこなした……まさに大陸最強最速の八百騎。
「我が紺碧の張旗に続けぇーーーー!!!」
研ぎ澄まされた刃は分厚い肉を突き破り、覇王の心臓へと穂先を伸ばす。
「すっごーい、何あれ?」
遠く、凄絶な矢の嵐で魏の大軍を追い立てる劉備軍の奮闘を眺めて、雪蓮は場にそぐわない間延びした感嘆を漏らした。
その遥か後方では、東方の魏軍が遠大な火計に飲まれて煉獄の中で奔走している。
「連弩と呼ばれる連発式の弩だ。本来実戦に活用出来るような代物ではないはずだが……諸葛亮あたりが手を加えて改良したか」
冥琳もまた、期待以上の働きをする劉備軍に関心を示す。無為な闘争をこれ以上なく嫌う桃香の人柄を知っていた事もあり、これは嬉しい誤算であった。
何より、天機が大きく味方している。
「ねーねー、急いだら、奴らが洛陽に引き返す前に挟み撃ちに出来ないかしら?」
「際どいところだが……まさかお前が先頭きって飛び出すつもりではないだろうな、雪蓮?」
「あら、もちろん行くわよ。そのために、蓮華に王位も『南海覇王』も託して来たんだから」
その天機に躊躇わず飛び込もうとする親友に、冥琳は明るい溜息を漏らす。もう“王なのだから”と諫める事も出来ない。
孫呉の王ではなく、ただ敵を喰い散らす虎として、雪蓮はこの戦場に立っているのだから。
「命の賭け所は間違ってないつもり。ここで躊躇するくらいなら、初めから乱世に名乗り出たりしないわよ」
「止めても聞かないだろう。だが……一人では行かさんからな」
「もーっ、だから冥琳って好き♪」
この乱世に終止符を打つため、妹が安心して平和な世を築けるようにするため、虎の牙が唸りを上げる。
「………最悪ですなぁ」
取る行動取る行動が全て裏目に出る現実に、音々音が弱音ではない実感を吐き出す。
劉呉両軍を相手にする事を避けるために追撃を掛けた劉備軍には迎え撃たれ、劉備軍の殿として残った季衣と流琉も戻って来ない。
まだ劉呉合わせても兵力差を覆されたわけではないはずだが、明らかに分が悪い。
「…………………」
これまでも、魏軍は決して順風満帆に勝利を治めて来たわけではない。襲い来る百難を苦戦の末に乗り越え、生き残った結果……大陸最大の勢力にまで上り詰めたのだ。
だが秋蘭は今……かつてない危機感と焦燥に苛まれている。
華琳と肩を並べる英雄を相手にしているという実感が、戦慄となって総身に染みていく。
『貴女が不要だから連れて行かないのではないわ。貴女の力を認めているからこそ、この王都の守りを任せるのよ』
それでも……負けられない。主君が寄せてくれた信頼に、命を懸けて応えなければならない。
「一度、城に戻って攻勢を凌ぎましょう。勝負を急いでいるのはあちらの方なのです。わざわざ相手に合わせてやる必要はありません」
「しかしまだ………いや………そうだな」
民に負担を強いる籠城戦は避けたいところではあったが仕方ない。音々音の進言に僅か躊躇ってから、秋蘭は承諾の意を示した。兵力で上回っていようと、余裕を持てる相手ではない。
「呉軍が東方の攻略に向かわずここに来たという事は、都の戦力を釘付けにするつもりか、或いは主殿の決戦に横槍を入れるつもりなのでしょう。ここは一度守りに撤し、もし奴らが洛陽に構わず西に向かうようなら、その時こそ討って出て強襲を掛けてやれば良いのです」
「………うむ」
先ほどの攻防も、自分の見立てに慢らず音々音の忠告を聞いていれば、少なくとも今よりはマシな状態が保てていたはず。
秋蘭は全軍を引き連れ、一目散に洛陽へと向かう。
背を向けた相手に益々勢いづく劉備軍に追われながら撤退する秋蘭の眼が――――
「(あれは…………)」
赤い鎧兜に身を包んだ、呉の強行軍を遠方に捉えた。その進路を追えば、部隊の目指す先は秋蘭たちと同じ。
「(あと少し判断が遅れていたら………)」
自分たちは背後を取られて挟み撃ちに遭っていた。
「(だが、間に合う)」
危うい綱渡りではあったが、敵の動きは看破したのだ。このまま行けば、自分たちは背後を取られる事なく入城出来る事も確信する。
しばし、競走でもするように両軍は洛陽に向かって走り―――――
「………?」
異変に気付く。敵軍に追われた味方が近づいて来ているというのに、洛陽の城門がいつまで経っても開かない。
近づいて、近づいて、近づい………そして、遂に辿り着いてしまった。城門の開かないまま。
「私は曹軍の夏侯淵だ! 城兵、何をやっている!? 早く開門しろ!!」
怒声を張り上げても応えは無い。代わりに聞こえて来るのは、戦火から逃れていたはずの都市から響く喧騒と怒号。
「まさか……都の民が反乱を起こしたとでもいうのか……」
信じたくない想像が口を突いて出る。
華琳の歩む道が覇道である以上、理解を得られない事も覚悟はしていた。
………だが、動乱に脅かされた人々を救い、大陸に泰平をもたらすため、その手を血に染め、辛酸を舐めて戦い続けて来た想いは………いつか必ず報われると信じていた。
「(それなのに……)」
信じたくない。認めたくない。それでも門は開かない。
逃げ込むはずの城門に逃げ道を塞がれた秋蘭たちに、劉呉の兵が襲い掛かった。