長安の南門。旅立つ者と見送る者を合わせて、北郷軍の皆が勢揃いしていた。
来るべき曹魏との決戦に向けて、俺たちはその標的を蜀へと定めた。より勢力を広め、万全の状態で華琳と戦うため。そして……決して善政を敷いているとは言えない劉璋の治世を正すため。
……と、俺がそんな御大層な台詞を吐くのは我ながら違和感バリバリだけど、これは前の世界から愛紗たちが願ってる事だ。ついでに言えば……華琳や蓮華とは違って、『信頼して蜀を任せられる』という気持ちを、俺は劉璋に持てない。
儀礼的に降服勧告はしてみたけど、例によって応えはノー。『今の官は魔王北郷に支配されている。古くから劉家が任されて来た蜀を退けなどと帝が仰せられるはずがない』、だそうな。
俺の悪名と協君の存在によって、相手は大義名分を好きに得られる状態にあるのかも知れない。
「蜀を治め、大陸の半分以上を味方につければ、いくら悪名と言えど瞬く間に消えて失せるですよ?」
俺の心境を読んだかのようなタイミングで、風が上目遣いにこっちを見る。
「風が言うなら、そうなんだろうな」
西涼、漢中、そして蜀を手中に納めれば、大陸の西方は制した事になる。伯符は孫呉で俺を悪く言ってないって話だし、それに……………
「桃香殿が心配ですか?」
「う……ま、まあね」
半眼で稟に睨まれる。桃香が自ら異動を願い出たのは、宛と新野。曹魏と、荊州の劉表、それぞれの国境に位置する都市だ。
そんな危険な場所に桃香が自分から向かった理由は、想像に難くない。
『俺に出来ない事だって、桃香になら出来るかも知れない』
………心配じゃないと言えば嘘になる。俺の無責任な言葉が桃香を失う結果を呼んだら……そう考えるだけでゾッとする。
そして―――
「(それでも、桃香なら………)」
その気持ちも、決して嘘じゃない。尊い願いも、危うい生き様も、全部引っ括めて『桃香』なんだ。
「………信じて、待つ」
「………恋、あの時起きてたろ」
「……………………内緒」
俺の脇の下からズボッと頭を出して来た恋の髪を、ちょっと乱暴にわしゃわしゃと掻き回す。……恋の言う通り、俺は信じて待つしかない。………………いや。
「待ってるだけじゃ駄目だよ。……俺たちも、前に進まなきゃ」
恋と、桃香と、愛紗と、星と、皆と……何の気兼ねもなく穏やかな時を過ごす。そんな未来に辿り着くために。
「……一刀は、そのままでいい」
「……ありがとな」
無邪気な瞳でそんな事を言われると、何だか気恥ずかしくなる。それに、恋の言葉に甘えてるわけにもいかないから。
「人前で堂々とイチャつかんで欲しいんやけど? ったく、どいつもこいつも」
「…………?」
霞のツッコミが耳に痛い。まるで解ってなさそうな恋が羨ましいぜ。
「恋……しばしの間、一刀の背中は預けるぞ」
「………任せる」
「何故恋に言う! それは私の仕事だ!」
「耳元で喚くな」
星が恋の胸を叩き、舞无が星に怒鳴る。そう、今回の遠征に総戦力を注ぎ込むわけじゃない。
いくら華琳がすぐには動かないだろうって予測があるとはいえ、それで油断して前と同じ轍を踏むわけにはいかない。当然、長安の守りにも相応の戦力を残しておく必要が出てくる。
まず、前に漢中で戦った経験もある事だしと、恋、霞、舞无が決まった。……で、霞からの要望で俺も参戦(前の時、何か厄介な事があったらしい)。最初は星も加わる予定だったけど、王都撤退戦での活躍ぶりを聞いた舞无に反対された。“功績を立てる機会は平等に”という風の意見もあって、星は留守番組に決定。
後は、蜀の地形に一番詳しい雛里も同伴する予定だったのを、これは俺が反対で押し通した。鳳統と蜀攻めと言えば『落鳳破』の悲劇だ。この世界が既に三国志とは全然違う歴史を辿ってるって言っても、縁起が悪い事に変わりないし、避けるに越した事はない。……で、その代役として稟と散が行く事に。
というわけで、今回のメンバーは恋、霞、舞无、稟、散、おまけで俺だ。
「貴様らには、勅命を果たすという大義名分がある。その利を活かし、一早く蜀の人心を得よ。劉璋の信用が元より低いものであるならば、さして難しい事ではあるまい」
相変わらず歳不相応な聡明さで、協君が低い所で胸を張っている。遷都を決めた時といい、最近の協君は目覚ましい成長期である。
「うん、すぐに帰って来るよ。乱世なんて、長引かせるべきものじゃない」
「さらっと大口叩きますよね、あなたは。足下掬われても知りませんよ」
「……散はすぐ揚げ足取るよな、ホント」
「意地悪お姉様ですから」
何故か勝ち誇ってる確信犯は置いといて、俺は少しの別れを告げる皆に向き直る。
「留守は任せるけど……気をつけて」
「任せとけって。また懲りずに曹操のヤツが攻めて来たら、あたしの槍で真っ二つにしてやるよ」
「うわ……お姉さま調子に乗ってる。すっごい不安」
「んだとぉ!?」
強気な笑顔を見せてくれる翠と、いつもの掛け合いに興じるたんぽぽ。
「……御武運を、お祈りしています」
「あまり時を浪費するなよ」
解り易い心配を見せてくれる雛里と協君。
そして………
「何度もしつこいみたいだけど、気をつけてくれよ。星は時々無茶するから」
「まさかそれをお主に言われるとは、な。……しかし、主命とあれば是非も無い。望みとあらば、地獄の門番すらも討ち倒してご覧に入れましょう」
この上なく頼もしい言葉を聞かせてくれた星に手を振って――――
「いってきます」
―――俺たちは旅立つ。その先に待ち受ける未来に、今はまだ一抹の不安すら感じぬまま………。
成都より北方の蜀の要害・綿竹関にて、二人の将が酒を飲み交わしていた。
「蜀軍は連戦連敗。……剣閣も抜けられたか」
「くそっ、ワタシ達ならこうも容易く敗れたりしないのに……!」
一人は厳顔こと桔梗。一人は魏延こと焔耶。いずれも蜀を代表する名将である。
「どうかな……。正直、当初の見立てより十軍は遥かに強く、勢いがある」
「何を悠長な事を言っているんですか! このままでは本当に手遅れになってしまいますよ」
北郷軍が蜀攻略の兵を挙げて数週間。この大戦に向けて誰よりも闘志を燃やしていた二人は、前線に向かう事も許されずにこの成都に続く最後の砦を守っていた。
蜀主・劉璋は、先の漢中侵攻戦での撤退、そして彼女らと親しくしていた紫苑が降服を進言したという経緯によって桔梗と焔耶への信用を失い、二人を此度の戦に重用しなかったのである。
「まあ待て焔耶。儂は何も兜を脱いだわけではないぞ? 正面からぶつかれば儂らもただでは済まん、と言っておるだけだ」
「……では、籠城戦を?」
「いや、それも悪あがきにしかならんだろうな」
二人がその牙を燻らせている間も十軍の攻勢は続いた。山兵戦に長ける蜀軍を相手に初戦こそ苦戦を強いられたが、局地戦を重ねる毎に実戦経験の違いが如実に現れ、次々と城や砦を落として行った。
今や破竹の勢いを得た北郷軍を止めるのは、歴戦の精鋭でも難しい。
「真っ向勝負でも籠城戦でもないなら、一体どうするつもりなんですか」
「こちらから攻め上り、敵の背後を突くのだ。“迎え撃つ”などと余裕を持って構えていては、逆にこちらが飲み込まれる」
悪辣に笑った桔梗の真意に気付き、焔耶は僅かに眼を見開く。
「軍令に背き、綿竹関から出る……と?」
「その通り。たとえ軍令に背こうと、結果として蜀を守れれば小僧も文句はあるまい。……何より、『命令を守って国を守れませんでした』など笑い話にもならん」
今から成都の劉璋に許可を求めていたのでは間に合わない。間に合ったとして、劉璋が桔梗の提案を受け入れる保証もない。
だからこそ桔梗は、己の判断一つで兵を動かし、国を守ろうと決めた。焔耶も元々、劉璋ではなく桔梗に信を置いている。迷う様子もなく当然それを受け入れる。
「しかし……背後を突くと言っても、一体どこからですか?」
「無論、生半可な奇襲で崩せるとは思っておらん。軍略も智謀もあちらが上、ゆえにこちらは……“地の利”を最大限に活かす」
思わせ振りな口調にもどかしそうな表情を浮かべる焔耶に、桔梗は不敵な……それでいて意地悪そうな笑顔を向けた。
「戦う前に命を落とすかも知れん。それでも儂について来るか?」
「それも、戦いの内でしょう」
その真意すら確認する事なく、焔耶も見事なまでの信頼で応えたのだった。
「二将軍は何と?」
「相変わらず無茶をする奴らだ。読んでみろ」
北郷軍を相手取り、劣勢に追い込まれている蜀軍前線の天幕で、一人の青年が手紙を副官に投げ渡す。
彼の名は張任。その智謀機略は衆を越え、桔梗や焔耶に並ぶ蜀の名将である。大陸一、二を争う北郷軍を相手に辛うじて蜀軍が持ち堪えているのも、一重に彼あってのものだと言っても過言ではない。
「!? これは………お止めした方がよろしいのでは……」
「もう遅い、この文は相談ではなく報告だ。奴ら疾うに綿竹関を放り出して強行軍を始めている頃だろう」
主命を蔑ろにする桔梗のやり方に憤りを覚えながら、張任は返された手紙をもう一度眺める。
「奴らなりに蜀を守ろうとしての行動か。生きて成し遂げられるとは限らんが……犬死にさせるには惜しい事も確かだ」
もちろん、張任は桔梗らの独断専行に合わせて作戦方針を変えるつもりはない。だが奇しくも、張任の思惑と桔梗の思惑は噛み合っていた。“また”見抜かれているかも知れないという張任の迷いを振り切らせるには絶好の報せだったと言える。
「後は……天が誰に味方するか………」
天幕を出て空を見つめる張任の眼に、荒れ狂う雷雲が映った。