「ふんふん………」
見渡し慣れた玉座の間、見渡し慣れた皆の顔、珍しいのは段差下で窮屈な姿勢で屹立してる高順(だっけ?)と、私が読んでる手紙。
内容はまあ、自国の偵察と高順の態度で大体わかってた事だったけど、私は一先ず………
「れーんふぁ、一刀無事だってさ。良かったわね♪」
あれから元気の無かった可愛い妹に生存報告してあげる事にした。
「ホンッ………ごほんっ! 何故私を名指しなんですか姉さま!」
手拍子で『本当ですか!?』って言おうとした蓮華は、他国の使者の高順の姿を見てギリギリで自制した。いや、自制しきれてないか。……うーん、面白い。
「だって蓮華ってばあれからずーっと元気無かったじゃない? 妹の心配の種を真っ先に取り除いてあげる優しいお姉さまなのよ、私は♪」
「伯符、それくらいにしておきなさい。使者の前よ」
冥琳に怒られた。羞恥心だか何だかで爆発寸前の蓮華を見てると、もうちょっとからかいたくなるんだけどなぁ〜。
「はーい……。ありがとね、高順。客室を用意してるから、今日はゆっくりしていって頂戴」
意外だったのは、劉備と公孫賛の生存と助力くらい。一刀は……前の戦いで呉が自分を助けなかった事に関して恨み言一つ書いていなかった。まるで……こちらの事情も意図も全て見透かしているかのように。
「一刀に伝えて頂戴。呉の大切な玉を救ってくれてありがとうって。……呉の人間は、受けた恩を忘れないわ」
「御意。……必ずや御遣い様にお伝えします」
恭しく頭を下げた高順は、亜莎の案内について玉座の間を後にする。
そして、広間が身内だけになった途端―――
「姉さま! 何ですかさっきの態度は! 使者の前で恥ずかしい!」
蓮華が爆発した。ちょーっとからかっただけなのに大袈裟なんだから。
「こっちが心配してたのが伝わって良かったじゃない。淡白な反応する方が同盟国としてどうかと思うわよ?」
「だからと言ってわたしをダシにする事ないでしょう! 最後の一言だけで充分ではないですか!」
言い合いしてたら長くなりそうだし、話題逸〜らそ。
「にしても、よく何十万って大軍相手に囮なんてして生き延びられたわね〜。見直したわ」
実際、高順の態度を見る前まではこれも意外だった。明命の話を聞いた分には、死んでても不思議じゃないと………いや、正直死んだと思ってた。
明命が最後に見たのは、一刀を救けに向かった趙雲。……ふ〜〜む。
「………まさか、趙雲が一人で北郷一刀を救い出したとか思っていないだろうな?」
「あら? “まさか”なんて随分な言い草ね。恋する乙女は強いわよ〜。ね、れーんふぁ♪」
「知りません!!」
ちょっと水を向けただけで、蓮華は顔を真っ赤にしてから当て付けがましく靴音を響かせて玉座の間から出て行った。
うーん……。
「最初は冗談のつもりだったんだけど、あそこまでムキになるって事は……」
「うむ、本気かも知れんな」
年長者の祭に太鼓判を押されると、より確信が強くなる。
「でも、今までお姉ちゃんが男の人好きになった事ってあるの?」
「おそらくありません、が、見れば解るでしょう?」
「……確かに、わっかりやすいかも」
小蓮や冥琳も話に乗って来た最中も………
「………………」
思春一人が、やけに仏頂面だった。明命も顔赤くして会話には混ざれてないけど、別に思春みたいな不機嫌さは無いのに。あの子は蓮華大好きだしね〜。
「まあ、当の蓮華様が乗り気なら何も問題ないではないか。北郷一刀も生き延びたらしいしの」
「問題ならあるわよ〜、祭。一刀、ああ見えてすっごいモテるんだから。うかうかしてたら蓮華でも―――」
(バンッ!!)
やけに大きな音を立てて扉が閉まった。ふと見渡したら、いつの間にか思春の姿が消えてる。
「悪ノリし過ぎたかしら?」
「あながち冗談でもないだろう? 蓮華さまが北郷に懸想しているのなら、政略結婚の話も現実味が出て来る」
……実際、一日二日で誰かを好きになるほど惚れっぽいとは思わなかったけどね。
それに…………
「思春って、あそこまで過保護だったかな……?」
私の素朴な疑問に、誰も応えを返してくれなかった。
「はぁ………」
新都・長安の西通りを、美しい黒髪を揺らして一人の少女が歩いている。
劉玄徳の家臣として帝に同伴してこの街にやって来た……美髪公・関羽こと愛紗である。
もう、今日何度目かという溜め息を零すその姿は、実際の身長を一回りほど小さく見せる。
「(あの馬鹿者め、警邏の最中にどこに消えた)」
今日、西通りの警邏を担当するのは愛紗と鈴々。しかしここには愛紗の姿しかない。
最初から一人だったわけではなく、ついさっきまでは一緒だった。鈴々がいきなり消えた理由は不明だが、見失った理由は愛紗自身解っていた。
「…………………」
今日一日。愛紗は心ここに在らずで考え込む時間が増えていた。……それも、かなりに頻繁に。
だからこそ、普段なら見逃さない鈴々の奔放な行動を見逃した。
「(………桃香さま)」
そう、この瞬間にさえも―――
「(北郷、一刀………)」
昨日見た光景が脳裏に甦り、不可解な苦悩がその胸を苛む。
「(……杞憂だ)」
首を振って、胸のざわめきに蓋をする。それがつまらぬものと決めつける。
「(桃香さまの気持ちが確かなら……それが太平の未来に繋がるのなら……何を悩む事があるというのだ)」
幾度となく出した結論。もう解決したはずの問題。それでも愛紗は繰り返す。
繰り返す意味さえ解らぬままに。
その思考の海から―――――
『っーーーーー!!』
「な、何だ!?」
地鳴りのような歓声が、愛紗を引き上げた。音を辿れば、一際広い建物から歓声は聞こえていた。
「何だ、あれは……?」
広い、が、高くは無い。柵のような役割しか持たない石の段差で縦長に造られた建物。多忙な日々を過ごし、西通りを歩くのは今日が初めての愛紗は知らない建造物だ。
「競馬場ですよー?」
「わあっ!?」
そして、突然背筋を指先でなぞられて悲鳴を上げる愛紗。振り返れば奴がいる。
「てっ、程立? 一体いつの間に……!」
「風はこう見えて何かと一流なので。それより……鈴々ちゃんなら中ですよー?」
「………た、助かる」
平然と神出鬼没な振る舞いをする風に深入りしては危険、と愛紗の本能が告げていた。
何とも奇妙な組み合わせの二人は、並んで競馬場に入って行く。
劉備陣営の微妙な立場をどこまで解っているのかいないのか、愛紗の隣を歩く風はひたすら無言だった。
そして……人垣を抜ける。
「いぃよっしゃあぁーー!!」
【第五れーすを制したのは“神速”を謳われる張文遠将軍! 今回は大本命が頭角を表しましたが、次はどうなる!?】
紺碧の風が駆け抜けると同時に、歓呼のような叫び声が愛紗の肌をビリビリと震わせた。
ちゃっかり両耳を塞いでいる風と、仕草が実に対称的だった。
「ちょ、張遼まで参加しているのか……?」
愛紗も流石に唖然とする。北郷五虎将にも名を連ねる霞までが選手として出ていようとは思いもよらない。
しかし―――
「霞ちゃんだけではないですよー」
そんな風の言葉を肯定するかのように―――
「ちっくしょー! あそこで出遅れなきゃ……!」
「まだまだ後半があるじゃん、お姉さま」
「やりますね、白馬鹿面」
「バカ面って言うな! 仮面白馬だ仮面白馬!」
翠、たんぽぽ、散、そして白蓮。続々と愛紗の視界に姿を現して行く。
「ぱ、白蓮殿まで……」
「話に因ると、散ちゃんが白蓮さんに挑戦状叩きつけたらしいですよ?」
あまりにもあまりな状況についていけない愛紗の眼に、本来の目的が映る。
「いぃやったわよ鈴々ちゃん! これで1.5倍よん!」
「大金持ちなのだー!」
それは、岩石にも似た異形の肉塊の肩に立っていた……平たく言えば鈴々。
「ちぇー、大本命なんかに賭けてもちょっとしか儲からないじゃんか。男ならどーんと大穴狙いだろ?」
「減るよりいいじゃない。それに文ちゃん、いつから男になったの?」
視線を少し下げると、他にも見知った顔が二つほど。
「…………………」
愛紗は肩を怒らせて歩み寄り、鈴々を捕まえようとして………届かなかったので、青龍刀の柄で足を払った。
「にゃっ!?」
そして、頭から着地するより早く足首を掴んだ。
「変なものに乗るな鈴々! ……ではなくて、警邏を抜け出して何をしている! お前に賭け事など出来る金は持たせていないはずだが?」
「げぇ! 関羽!?」
「やかましい!」
義妹に「関羽」呼びされて、愛紗は掴んでいた足首を放す。必然として、鈴々は脳天を地面に打ち付ける羽目になった。
「っ〜〜〜〜〜!? いったいのだぁ! 鈴々がお馬鹿になったら愛紗のせいだからね!」
「そういう台詞は、少しは日頃から頭を使うようになってから言え! それより、その金は一体どこから………」
「あたしのがま口からかな、と」
騒がしく姉妹喧嘩を繰り広げる愛紗と鈴々。その横合いから、平坦な声が掛けられる。
競争を終えて戻って来た選手たち……その先頭を歩いていた散から。
「……鳳徳殿? この馬鹿者が迷惑をお掛けしたようだが、こやつに金など与えないで頂きたい!」
「カッコいい所を見せたかった形です。あたしは常に、誰かのお姉さん的ぽじしょんを狙ってますから」
「こやつは私の義妹だ!」
「おや、先約有りだったようで。残念無念」
「知っているだろうが!?」
何故、こう、北郷陣営には人を喰ったような輩が多いのだ、と内心でぼやきつつ、愛紗は何とも形容し難い闘志に燃える。
理由は解らないが、この包帯少女を見ていると武人の血が騒ぐのだ。
その血を抑え込むように、愛紗はこの場で一番平和な顔に声を掛ける。
「白蓮殿がこのような競技に参加するとは思いませんでした」
「言いたい事は解るよ。共に戦場を駆ける軍馬は、私たちにとって戦友も同じ。それを見世物にするなんて許せない、だろ? 私も最初はそう言ったけどさ。………走ってみたら、外野の都合なんてどうでもよくなるもんだな」
愛紗の心情……というより少し前の自分の心情をなぞって、白蓮は肩を竦めて見せた。
果ては―――――
『おみこしワッショイ! おみこしワッショイ!』
「おーほっほっほ! おーほっほっほ!」
怪しい仮面を着けた高飛車な女を乗せた筋肉御輿までやってくる始末だ。
「す、凄いぞ七乃よ! これだけあればどれほどの蜂蜜が買える事か……!」
「も〜お嬢様ったら、買い物一つした事ないくせに知ったかぶっちゃって。可愛いぞ、この世間知らず♪」
派手な金髪をクルクルと巻いた女と、それを縮めたような子供、付き人らしき青髪の女、それぞれが怪しい仮面を着けている。
何とも面妖な光景だった。
「本来ここは、ああいう輩から金を巻き上げる所なんですけどねー」
「……風、それちょいぶっちゃけ過ぎや」
「いいなー、あたいは小遣い使い切ったってのにさぁ」
「あたしに賭けるってんなら、ちょっとくらい貸してやるぜ? その代わり、今晩はお前の奢りでな」
「またもパクりなようで。どうしてやりましょうか、あの金髪」
「……民間人に手を出すなよ」
「あの髪型……どこかで見た事あるような……」
少女の悩みを置き去りにして、日々は平和に過ぎて行く。少なくとも、この一時は。