洛陽からの移民も一段落して、漸く政務も通常運転に乗り出したある日……っていうか桃香とデートした翌日。
俺は久しぶりに中庭でひっくり返っていた。
「相変わらず虚弱なようで」
「……鳳徳先生、三途の川が見えました」
「よろしい。ついでに素潜りして、なんか珍しい物でも狩って来て下さい」
久々の朝稽古相手は散。……と言っても別にマンツーマンじゃなくて、散、翠、たんぽぽの西涼トリオに俺が混ぜてもらった形だ。
「……容赦無いな、散姉」
「……あたし達、あれでも一応手加減されてたんだね」
翠とたんぽぽの同情の視線が「痛そうだけど他人事だし」みたいでヤな感じだ。
「まったく。またりーだーの足手まといになりたいようで。もしくはひろいん願望でもあるんですか。ぷりんせす・一刀」
「プリンセスて」
しかし……散の言う事ももっともだ。敵陣の中を趙子龍が単騎駆けで生還……と言えば、三国志的には劉備の子供(幼児)が救い出されるエピソード。
つまり………あの時の俺は正に、救い出される赤ん坊ポジション。
「死ぬつもりはない」とか皆の前でカッコつけといて、あれは無い。流石に凹んだ。
だからこそ、皆に叱られても仕方ないと思った。特に星には頭が上がらない。
……そういえば。
「…………………」
「何か?」
「いや、別に……」
俺が自業自得の制裁を受けたあの時、俺に対してある意味一番シビアなはずの散の言い分が、こうだ。
『あたしは別に殴りませんよ。心配された、とか勘違いされても不愉快なので』
……で、病み上がりの俺にスパルタである。相変わらず思考が読めない。
もしかして………
「さっきから何ですか。そんなにこの包帯の下が気になるのかな、と」
「いや…………何だかんだ言っても少しは心配してくれたのかなー、と」
「人の語調を真似しないで下さい。それにあたしの扱きがキツいのは、単にあなたが鈍ったからそう思うだけですよ」
淡い願望だった。散は一足先に東屋で休んでいたたんぽぽの隣に腰掛け、朝飯に持参した炒飯おにぎりを頬張る。くそぅ……片想いは辛いぜ。
「でも、そんな言うほど弱いんかねー?」
「うひゃあ!?」
いきなり耳元で囁かれた声+頬っぺたに触れた冷たい竹筒の感触に、俺はビックリして飛び起きた。
「あっはははは♪ ビビり過ぎやろ一刀」
そこに、いつから稽古を見ていたのか……機嫌良さそうに笑う霞がいた。オーバーリアクションが恥ずかしかったので、差し出された水を無言で受け取る。
「あ、それあたしも思った。確かにあたしらに比べたら下っ手くそだけど、散姉が言うほどご主人様酷くないんじゃないか?」
そんな俺を脇に置き、翠がさっきの霞の言葉に食い付く。………って、何か話が予想外の方向に。
「また皆さん甘やかしますね。これは煽てるとすぐ調子に乗るたいぷですよ」
「これって言うな」
散の言い回しにはきっちりツッコミつつ、俺は翠の言葉を反芻する。俺……褒められた? 武術を?
「おいたんぽぽ、試しにお前、ご主人様と手合わせしてみろよ」
「えぇ!? ヤダよ、今お姉さまと手合わせしたばっかりじゃん!」
「“この北郷一刀と手合わせする者はいるか?”」
「ここにいるぞ! ……は!? しまった!」
翠がたんぽぽを煽り、嫌がるたんぽぽはその習性を散に利用されてあっさり罠にはめられた。……何とも、付き合いの長さを感じさせるやり取りだ。
「頑張れー、たんぽぽー!」
「星姉様!?」
いつの間にか―――
「一刀さーん、ふぁいとー!」
「桃香!?」
ギャラリーまで出来ていて、後には退けなくなる。
「ああもうっ! こうなりゃヤケだ! 戦るぞたんぽぽ!!」
そうして、俺とたんぽぽの模擬戦の幕が上がった。
「「うっそ………」」
俺とたんぽぽの、『信じられない』という声が重なる。
静止画のように映る世界で、ヒュンヒュンと風を斬り裂いて“模擬槍”が地面に突き刺さった。
「一刀さん強ーい!」
「………偉い」
無邪気にはしゃぐ桃香、控え目に褒めてくれる恋。
「………たんぽぽ、お前明日から地獄の特訓始めるからな」
「その前にまず、尻を出しなさい」
呆れたように額を押さえる翠、無表情の中で眼だけを鋭く光らせる散。
「へぇ……言ってみただけやったんやけど」
「むぅ………増長せねばいいが……」
素直に感心して面白そうに笑う霞、何やら呟きながら複雑そうに眉をしかめる星。
「手紙で呼び出されて来てみたら……何の騒ぎだこれ?」
一人、何やら他の観客とは様子が違う白蓮。
そんな外野の声をどこか遠くに聞きながら、最後の一太刀の姿勢のまま固まっていた俺とたんぽぽは………遅すぎる再起動を果たす。
「俺……勝った、のか………?」
「ちょっ! 今の無し! もう一回! 今のはちょっと油断しただけですから!」
不服満々に後ろの翠に抗議するたんぽぽを余所に、俺は現実感を確認するように、手の中の模擬刀を握り締める。
これは………素直に嬉しい。心のどこかで無駄かもと思い続けて来た積み重ねの結実。赤ん坊級のお荷物を演じた後なのも手伝って……こう、込み上げてくるものがある。
「ご主人様! もう一回もう一回!」
「見苦しいぞたんぽぽ、今日のところはお前の敗けだ」
「めいんげすとも来たようですし、一先ずお開きにしようかな、と」
「ぶーっ」
膨れっ面で食い下がるたんぽぽを翠がひっぺがし、散がだめ押しに頭をポンと押さえた。俺としてもこの貴重な一勝は勝ち逃げしときたいから好都ご………なに?
「散、メインゲストって何?」
「朝練なんて余興に過ぎません。あたしには、決着を着けねばならない相手がいるのです」
突如、散の纏う空気が一変する。いつもの掴み所の無い雰囲気とも、戦闘モードに入った時の冷たい雰囲気とも違う。何というか………似合わない熱気を漲らせている。
………決着?
「……また物騒なこと企んでないだろうな」
「お望みとあらば、“必殺関羽!”とか叫んでみようかな、と」
「やめて! あの子すぐ本気にするから!」
「あたしも軽くマジですよ。どうにもあの方を見てると血が騒ぐようで」
三国志では、魏の将になった鳳徳は関羽との激戦の末に敗れ、武人としての最期を遂げている。……前の世界で愛紗も呂蒙の旗に妙なリアクション取った事があったし……まさか正史の影響とかなのか?
せっかく桃香や愛紗たちと和解出来たのに、こんなんで関係拗れるとか冗談じゃないぞ。
「ま、冗談はさて置きます」
「冗談かよ!?」
「めいんげすとは彼女では無いのですよ」
……言われてみたら、ここに愛紗の姿は無い。散はさっき「メインゲストは来た」って言ってたっけ。
……って、つまりターゲットは別にいるって事じゃないか。何の解決にもなってねぇ!
「さて、と」
「待てー! 因縁つけんなー!」
止めに入った俺の手首を赤子のように捻って、散は中庭のど真ん中に舞い降りた。そして、威圧的に双鉄戟の石突きで大地を打つ。
「表に出て下さい、白馬長史」
………予想の斜め上の名前が出た。
「……いや、ここもう表だけど。この挑戦状、お前が書いたのか?」
「モチのロンです。積年の決着、今こそ着けようかな、と」
若干戸惑いながら手紙らしき紙切れを振って見せる白蓮に、散が意味不明な事を言いながらガンたれてる。
「白蓮ちゃん、鳳徳ちゃんと面識あったの?」
「いや、一月くらい前に初めて会ったはずだけど………」
白蓮に心当たりは無い。……何か、この会話おかしくないか?
「散、積年の決着ってなんだよ?」
「あたし達には、切っても切れない因縁があるのですよ。二人の出会いの遥か昔から」
「お前……それっぽいこと言いたいだけだろ」
「どこぞの気障野郎と一緒にされたくないかな、と」
………気障野郎って、もしかして俺? いやいや、気障じゃないだろ、俺は。
「……よく解らんが、帰っていいか? 北郷」
「ああ、うん、いいんじゃない?」
「勝手に帰さないで下さい」
関わりたくないオーラ全開の白蓮に軽く応えた結果、俺は弁慶の泣き所を押さえてのたうち回る羽目になった。
………が、まあこんなのは慣れっこだ。ほどほどに苦しんでから復活する。
「で、何だよ因縁って。いい加減な理由でケンカ売ってるんなら正義の味方呼ぶぞ」
言いながら星とアイコンタクト取ろうとして……やめた。あいつも、すっごい悪戯したそうな顔してるし。
「白馬長史と白馬将軍。この大陸に『白馬に乗ったお姉さま』は二人要りませんから」
「「そんな理由かよ!」」
俺と白蓮のツッコミが綺麗にハモった。何かと思えば単なるキャラ被り?
「“そんな”は心外かな、と。こう見えてあたしも結構焦ってます。居場所を勝ち取るための戦いなので」
…………こいつ、鉄面皮の下でいつもこんな事ばっかり考えてんのか。
「あたしにとってきゃら被りは死活問題かな、と」
「被ってねぇーー! やっぱりくだらん理由じゃねぇか!!」
むしろくだらなすぎる。こんな理由で熱血してたのかよ。
「とあるるーとから、『白馬鹿面』という正義の味方を気取る性癖もあるとの裏も取れてます。華蝶仮面散号としても、やはり野放しには出来ないかな、と」
桃香が明後日の方を見ながら口笛を……吹けてない。散のチラ見に、星が仰々しく頷いている。
「………子供相手だからって、手加減しないからな」
ちょ……!?
「白蓮も何やる気になってんだよ!?」
「止めるな北郷! 白馬まで失ったら私は……私は……!」
「散も考え直せ、歳下の女の子だぞ!」
「心配無用かな、と。弱い者イジメは……まあ、好きですけど、チャンバラする気はありませんから」
俺の説得も虚しく、散と白蓮は翠やたんぽぽ、何故か霞まで伴って去って行く。
当然ほっとけるわけがないので、俺はその背中を追おうとして――――
「…………………」
両手両足を、がっちりホールドされた。右腕に星、左腕に桃香、そしていつから居たのか、両足それぞれに雛里と協君。
「放して……」
「わたしも気になるけど、今日はお仕事があるでしょ?」
「昨日も女を侍らせて優雅な休日を過ごされていた主が、まさか今日も怠業なさるおつもりか?」
だって心配じゃんか!
「ダメ……です……」
「働け貴様」
「はーなーせぇー!」
「ま、事の顛末はウチが見届けたるから安心しーな♪」
俺の解消されない心労と不安を置き去りに、散たちの背中は遠くなっていく。
――――予断だが、これから数日、星や恋の特別メニューによって俺は“身の程”というものを骨身に刻み込まれる事になった。