あれから一月。目も眩むくらいに忙しい日々が過ぎた。
ただの異動ならここまで忙しない事にはならなかったのだけど、洛陽から多くの民草も連れて来たから、仕方ない。
家も、畑も、お店も、これまでの生活全てを捨てて来た人がたくさんいるから。
「お疲れ様です、雛里」
「稟さん」
漸く皆さんの身の振り方が一段落着いて、机に突っ伏していたわたしに、稟さんがお茶を差し出してくれた。熱いから気をつけながら両手で持って、ちびちびと口に運ぶ。
「貴殿は働き者ですね。もう少しワガママになっても良いと思いますが」
「いえ……わたしだけが忙しかったわけじゃないですし、足手まといに……なりたくありませんから」
あまりに忙しくて、劉備陣営の皆さんの処遇はまだ決まってない。そんな微妙な立場の中で、朱里ちゃんも……他の皆さんも頑張ってくれた。
西涼から駆け付けてくれた翠さんやたんぽぽちゃんも、まだ慣れていない環境で頑張ってくれた。
……それに、ご主人様も。先の戦いで大怪我した上に、星さんや舞无さんや稟さんや……何故か関羽さんにいっぱい殴られた体で、いっぱい頑張ってくれた。
……自業自得だって皆は言うけど、やっぱりお痛わしい。
あれから、星さんは少し雰囲気が変わった。敵軍の中を単騎駆けしてご主人様を救い出した時に、何か心境の変化があったのかも知れない。
舞无さんはああだから、考えても仕方ない気がする。
稟さんは…………
「………………」
「? ………私の顔に何か?」
「い、いえっ、別に!?」
面と向かっては言えないけど………結構……情緒不安定だと思う。
でも一番解らないのは………関羽さん。ご主人様に心を開いているようには見えないのに、どうしてご主人様の無茶を怒るのかな。
………ちょっとだけ、嫌だな。
「…………あ」
そういえば今日、ご主人様はどうしていないんだろう。
そんな気持ちが顔に出てたのかも知れない。稟さんはわたしの顔を見て苦笑した。
「一刀殿なら、今日は…………」
「休みだぁあーー!!」
中庭の真ん中で右腕突き上げて咆える俺。一時のテンションに任せた行動が恥ずかしくなって、周りを挙動不審に見回す。……よし、誰にも見られてない。
「最近メチャクチャ忙しかったもんなぁ……」
軽くハイになってたのが一瞬で醒める。こう、疲れがズッシリ溜まってる感じだ。せっかくの休みが勿体ない! みたいな考えも湧かない。
「……ここ、いい感じだな」
東屋の後ろの茂みの裏に、日陰と日射しのコントラストが絶妙なベストプレイスを見つけた。
誰か暇なやつを探して遊びに行こうか、とかは無しの方向で。今日の俺は恋を目指す。昼間っから日向ぼっこに興じる……なんて贅沢なんだろう!
「…………何か老けた思考回路だな」
これも全部疲れてるせいだ。俺は木陰で大の字に転がり、春の陽気を全身で受け止める。
あぁ~……気持ち良い。最近は怪我のせいで風呂も満足に入れなかったし、この脱力感久しぶり。
「(あっという間に寝れそう………)」
柔らかい芝生に全身を沈み込ませる感触と、自分の意識が沈んでいく感覚がダブる。
――――――が、
「………………………………………………………」
眠れない。不眠症とか、ベッドじゃないと眠れないとかじゃなく、何かモヤモヤした何かが突き刺さって気になって眠れない。
平たく言えば………
「(……見られてる)」
別に俺の個室でもないし、こんなトコで転がっといて「見るな」は無いけど、気になるもんはやっぱり気になる。
「(侍女の子、とか?)」
まあ、用があるなら声掛けて来るだろうし、用が無いならいつまでも観察したりはしないだろう。
俺は気にせずそのまま惰眠を貪る事にした。そんな俺に――――
(そ~~………)
何か、気配が近づいて来る。俺は寝返りを打って横向きになり、耳を地面につけた。
(ソソッ…ソソッ……!)
抜き足差し足、のつもりなんだろうけど、地面越しに足音が丸わかりだ。
「(こういう事するのは………)」
星や霞、散(あと、何故か風も)あたりなら俺に接近を悟らせない。恋や稟ならコソコソ近づいたりしない。となると、雛里、舞无、協君、後はあの子が有力かな。
コソコソじわじわ、気配は俺に近づいて来る。………ちょっと、遊んでみようか。
「うぅ~ん……」
「!!!?」
寝言っぽく唸ってみたら、物凄い驚いた気配が伝わって来た。今のリアクションで誰だか確信ついたけど……ちょっと楽しくなってきた。
「……………………」
今度は死体のように動かなくなる事にする。俺が寝てると思って油断したところで、逆に驚かしてやる。さあ来い、桃香。
「………………はふ」
俺が内心でほくそ笑んでるとも知らずに、零れるような溜息は随分近くまで迫っている。顔、ニヤけてないよな?
「一刀さーん………」
起こしたいのか起こしたくないのか判断しにくい、恐る恐るな呼び掛けをくれる。当然、俺は狸寝入りを決め込む。
「寝ちゃってる……最近、忙しかったもんね。仕方ないか……」
残念そうに、そんな言葉が耳に届いた。……いかん、悪戯仕掛けられたらお茶目な逆襲に移るはずだったのに、段々「狸寝入りでした」って言いだしにくい雰囲気に。
「かわいい寝顔……♪」
楽しそうに頬っぺたをつついてくる。大いに異論を挟みたいところだけど、それどころじゃない。寝たフリ保つのに必死だ。
「…………………」
ややの間を置いて、頬っぺたをつついていた指はそのまま下に下りて来て、俺の唇をなぞる。
「……きす、しちゃったんだよね……この唇に……」
「っ……」
思い出される情景と…………
『……忘れないで下さいね。さっき一刀さんがわたしに言ったみたいに、あなたを大好きな人だって、たくさん居るっていう事』
熱っぽい声色が………
「一刀、さん………」
寝たフリしたままの俺の鼓動を加速させる。心臓の音が、うるさい。
いよいよ寝たフリだって言いだし辛くなってきた時…………
「(っ~~~~~~!?)」
頬っぺたに、両手が柔らかく添えられた。内心でひたすらパニクる俺の鼻先に、微かに当たる吐息。
「(ど、どうする!?)」
このまま寝たフリしてて良いのか? そんな騙し討ちみたいな真似……いや、待て? この状況はむしろ桃香の闇討ち……って違う違う! 問題なのはここで俺が起きたら今までの盗み聞き(?)してたって事がバレて……でもこのまま黙ってたらさらに罪を重ねる結果になるんじゃ?
「(どうする!?)」
………などと、狸寝入りのままで煩悩と純情と罪悪感に挟まれている俺に訪れたのは―――キスなどではなく………
「か・ず・と・さん?」
「んぎっ!?」
頬っぺたを両側に引っ張られる痛みだった。あっさり狸寝入りがバレた俺の眼前には、半眼で顔を膨れさせた桃香。
「顔、真っ赤だったよ? 寝たフリしてたんですね」
「いや…これは…その………なあ?」
何が『なあ?』なのか、自分でもさっぱりだ。俺の寝たフリを最初から見抜いてたのなら結構な悪女だけど、桃香の方も恥ずかしそうに顔を赤らめてるあたりからして、本当に気付いてなかったらしい。
恥ずかしそうに、拗ねたようにそっぽを向いた桃香が横目でこっちを見た瞳に……僅かな不安が覗いた。
「(何で、そんな顔……?)」
窺うような、遠慮するような……もっと言えば怖がってるような、そんな顔だ。
「………もしかして、お邪魔だった?」
「へ? 何で?」
上目遣いに予想の斜め上な事を訊かれ、俺は間抜けな声を上げる。さっきの俺の下心満載な行動から、何でそういう結論に行き着くのかさっぱり解らん。
兎にも角にも、桃香にこんな顔させたくない。衝動的に伸ばした手で、桃香の手を取る。
「何で、そう思ったんだ」
「だって……一緒に居たくないから、寝たフリでやり過ごそうとしてたんでしょ。最近ずっと忙しかったし……やっぱり、お邪魔だったかなって……」
……………あー。なるほど、そういう風にも取れるのか。俺が悪ふざけを企んでたって知らなかったら、『寝たフリして無視』してると思われても仕方ない。
……にしても、桃香ってこんなにマイナス思考だったっけ。
「……お昼寝の邪魔しちゃったね。わたし、もう行くから!」
「ストップ」
解りやすい強がり、無理のある笑顔で逃げようとする桃香の手を、強く握って引き止める。あんな顔させたまま、放っておけるわけがない。
「せっかくまた会えたのに……今まで忙しくて、ゆっくり話す時間もなかったよな」
「え………?」
惚けたように振り返った眼に、解りやすく期待の色が浮かぶ。へばって昼寝に突入しようとしてたさっきまでの俺を殴ってやりたい。仕事以外にもやり残してる事、やりたい事はたくさんあるのに。人間、やっぱり余裕を無くしたらダメだ。
「この後お時間よろしいですか? お嬢さん」
「それって……でーとの、お誘い?」
「そ」
わざとらしく気取って恭しく頭を下げた俺に、桃香はまだどこか遠慮気味に渋る。
「邪魔じゃ、ない……?」
「もちろん」
「でも、お昼寝してたよ?」
「誰かさんのおかげですっかり眼が冴えちゃったよ」
「もうっ、意地悪」
少しむくれて、でも楽しそうに、桃香はぴょこぴょこと俺の隣に並び、腕を絡めた。
「喜んで、お付き合いさせてもらいます♪」
花が咲くような笑顔に、俺は数秒見惚れる事になる。