「ふむふむ、なるほど」
涼州を平定し、洛陽に戻ってきた俺たち。新たに陣営に加わった散の事やら、久しぶりに戻ってきた俺への何かよくわからんしわ寄せやらが一段落した今日……執務室で報告書に目を通す俺と、その脇で仕事する風、稟、雛里の軍師トリオである。
「大体は、予想の範疇内……だよな?」
反・北郷連合を皮切りに、諸侯が慌ただしく動き出している。
華琳がエン州を平定し、袁紹が伯珪の領土・幽州への攻撃を開始、伯珪は応戦。
昔言った俺のアドバイスからか、あるいは連合の時の行動からか、人が良くて油断してそうな伯珪も、ちゃんと抗戦に移れているらしい(まあ、連合の時にそうなるよう仕向けたのは俺たちなんだけども)。
ただ、実質足手まといな袁紹はお留守番で、顔良と文醜が出ているらしいし、兵力差もかなりあるから相当厳しいとは思う。
ここで華琳が、顔良と文醜が留守の冀州を狙えば、袁紹の指揮じゃ一溜まりも無いんじゃなかろうか。
「その隙を、我々に突かれるのを警戒しているのではないでしょうかー?」
「あ、そっか」
俺のモノローグが読まれている事はこの際スルーしつつ、風の言葉に納得する。
こういう他国の報告書読んでると、ついつい自分たちの事を意識し忘れてしまう。
現に俺が留守の間も、風や稟がこうやって抜け目なく諸侯の動きをチェックしてたんだから、警戒するのは間違ってないわけで。
「それに、エン州を平定したばかりで曹操自身の領内も万全ではないでしょう。前に一刀殿自身が言っていたように、東北は文字通りの四面楚歌の状態。勝機があってもおいそれとは動けませんよ」
風に続いて、稟が丁寧に説明してくれる。頼りになる先生たちだ。
「……袁紹さんが、そこまで読み取っていたわけではないと思いますけど」
最後の雛里の一言で、微妙に落ちた。確かに、袁紹が考えたわけじゃなく、結果的にそうなってるだけだろう。
「んじゃ、次行ってみよう」
パラリと別の報告書を広げる。次は孫策だ。
「揚州統一。やっぱりこっちも出てきたなぁ」
気になるのは、袁術と密に連絡を取り合ってるらしいって部分くらいか。
ただ、どっちとも前の世界で面識がないから性格がわからない。何を考えているのか、想像の域をでない。
「(とりあえず、宛が隣接してる袁術の動きを警戒しとくしかないか)」
後は、まあ劉表には目立った動きはなく。劉璋や張魯への密偵はまだ帰って来ていないらしい。
そして………
「(桃香………)」
黄巾の残党相手に都市を守れず、殺された孔融に変わって青州を治め、その黄巾の残党を討ち、それとほぼ同時に徐州の陶謙と同盟関係を結び、大変良好な関係を築いているらしい。
「あの子らしいな………」
つい、口から突いてでた小さな呟きに、俺を今更ながらに口を押さえるが、どうやらバッチリ聞かれていたらしい。三人の視線が、俺の持ってる報告書に集中する。
「はぁ………」
稟が、やたら疲れたようなため息をわざとらしく吐く。
「あくまでも、民を苦しめる者から民を守るためだけに力を使い、たとえ勢力が違っても民の生活を守る者とは手を取り合い、戦いで大陸の平和を目指す事を望まない」
雛里が、独り言みたいにポツポツと語るのは、おそらくは桃香の事。
両国は、ほとんど自由に互いの領内を行き来して助け合っているらしい。実際、そのやり方で青州と徐州を守ってるんだから大したもんだ。
「おうおう! 兄ちゃんはそんなあの子に夢中ってか?」
「そういう話じゃなくて!」
風の頭の上の宝慧がいらん事を言うから一応否定しておく。……っていうか、宝慧が微妙にイメチェンしている。
胸に太陽のマークがあるのはそのままなんだけど、何か頭にライオンのたてがみみたいに綿が付け足されてる。羊モードだろうか?
「ちなみに、陶謙さんは結構なお歳のお婆ちゃんですよー?」
「誰もそんな心配してないってば!」
とか言いつつ、微妙にほっとしたのは黙っておこう。うん。
「まあ、この場で正式に今後の動向を発表するわけではないですし、劉備とは国も離れていますから、そこまで深く追及する必要はありません。………しかし」
何やら物憂げな仕草でぼそぼそ言ってる稟の不安そうな目は、何故か伏し目がちに俺を見ている。
っていうか、俺が報告書読んでた時は仕事の片手間に応えてた三人が、桃香の話題になった途端全力でこっち見てるのはどういう事?
「ところでお兄さんは、本当に星ちゃんに手を出してしまったのでしょうか?」
「ッッ……げほっ、ごほっ!?」
風の突然すぎる質問に、平静になろうと飲んだお茶が喉に詰まる。
以前に星が爆弾発言した時は何とか誤魔化したし、星がああいうおかしな発言するのは珍しくもないからてっきり忘れ去ってくれてると思ってたのに……。
「な、何でいきなりそんな話に………?」
「……桃香さんの話題が出たからだと思います」
言って、雛里は帽子の鐔を両手で下に引っ張って表情を隠す。
「以前から星ちゃんは、『自分は恋愛の達人だ』とか、『色恋の相談なら私に任せろ』とか言って、適当な自分理論をひけらかしていたのですが………」
飴をパクリとくわえながら、風がつらつらと語りだす。………星、皆にもそんな感じにバレてたのかと思うと、若干同情の念が……。いや、風が見破って言い触らしたのかも知れん。
「最近は寝ても覚めても歩いても踊っても、いやらしいことこの上なしです」
ビシッ! と風の人差し指が離れた俺に突き付けられる。……そう言われましても。
「あいつは元からそんな感じじゃ……?」
「お兄さんは見る目がないのです」
失敬な。むしろ星の一番可愛い所は俺しか知らない自信があるぞ。
「恋愛で持論を持ち出す時も、妙に言う事が現実的になったというか……。たまに話しだしたら口が止まらなくなりますしね」
……何か、俺が知らない間にとんでもない事が暴露されてる気がしてきた。
稟がそう言うと、風と雛里がウンウンと頷いた。何だろうこの、妙な連帯感を感じさせる三人の雰囲気は。そして、そんな中で異様なまでに浮く……というより矢面に立たされてるような俺。
「ところで一刀殿。先ほどから一度も否定していませんね」
「…………………あ」
言われて気付く。と言っても、そもそも俺だって真剣に考えた末の行動で、言葉の上だけでも否定する事など出来ないし、嫌なわけだけども。
……そもそも、何でこんな頑なに隠してんだ俺は? 星との事は、確かに気恥ずかしいけど……決して恥ずべき事じゃないはずだ。
………よし。
「ああ………俺は、星が好きだ」
胸を張ってればいい。後ろめたい事なんてない。
『っ……!!』
何故か、皆の空気が急速に強張る。まあ、自分の所の君主のそういう話を気にしないわけもないんだけど。
「……それで」
俺の応えが予想の範囲内だったのだろう。わりとすぐに立ち直って、稟が訊いてくる。何だ? さっきのが一番重要な質問なのかと思ってたのに、どういうわけか今の方が切羽詰まってる。
「“桃香殿”の事は?」
敢えて、普段は呼ばない真名で桃香を呼んだ稟が絞りだした問いが、それ。
ちなみに、桃香は義勇軍で一緒だった皆に真名は許してる。ただ、稟の方は許さなかったから、普段稟は桃香を真名では呼ばない。
それを今使うのは、どんな意図があっての事なんだろうか。
……しかし、確かにこれは最初の質問以上に緊張する質問なのかも知れない。
俺は………こういう立場になるのは初めてじゃない。
『たかだか女一人を愛することで精一杯の男になど、興味はありませんからな』
『国も、愛紗も、朱里も、翠も、みんな存分に愛してくだされ。そして、そこで得たもので私を満たしてもらえれば……何も言うことはありませんよ』
『幸いにも、主は私が惚れるほどの佳き男。さして難しいことではありますまい』
前の世界で、星本人から聞かされた言葉だ。
「ああ、桃香の事も好きだ」
目を逸らさずに、断言する。言葉に偽りはない。後ろめたいとも思う必要はない。
無責任、で終わらせるつもりもない。きっちりと責任は取る。
俺の真剣極まりない、しかし元の世界の価値観なら殺されても仕方ない発言の後、奇妙に場の空気が弛緩して………俺は執務室から追い出された。
「はぁ……よかったぁ……♪」
一刀殿のいなくなった執務室で、最初に響いたのは雛里の安堵極まる呟き。
「……あなたは呑気でいいですね」
「え? ……でも、ご主人様が星さん一人を生涯の妃に選ばれるより、ずっと良かったんじゃ……」
雛里の言う事は、もっともではある。一国の王が一人の女性しか愛さないなんてあり得ない。自分たちにも可能性が出てきただけ、喜ぶべき所かも知れない。
ただ、一刀殿は元々は単なる私塾で学ぶ……そう、学生だったはずだから、星一人を選ぶ可能性も十分あった。それが不安で、確かめたくもあったのだ。しかし………
「あなたは初めて会った時、一刀殿が啄県を治めていましたからね」
でも、私や星や風は、彼とは完全に対等な関係から始めたのだ。主君に選んだのは自分自身とはいえ、「王だから当たり前」と簡単に受け入れるのは少し難しい。……あとは、雛里と私たちの性格の違いか。
「稟ちゃんもすっかり素直さんになっちゃって〜」
「………風、うるさいわよ」
非常事態というやつだ。それに、もし星一人が選ばれた場合、一緒に悲しみを分かち合いたかった。……杞憂だったみたいだけど。
「にしても、やっぱりお兄さんの反応には少し違和感がありましたねー」
「………確かに」
元々が一市井に過ぎないにしては、複数の女性を愛する事に対して落ち着きすぎている。というより、前々から一刀殿には不可解な点が多すぎる。
それが、天界という、世界が違う事によるものなのか、何かの秘密によるものなのかは判断出来ない。
何しろ、私たちは一刀殿の素性について知らなすぎるのだから。
『あなた達がそれを知る事自体が、彼の重荷にはなっても、救いにはならない』
貂蝉の言葉が、重くのしかかる。もどかしい。
「何にも気付いてない舞无が、羨ましいわね」
心底、そう思った。
「あ〜あ………」
追い出されてしまった。仕事もまだ途中なのに、後で戻ってきたら丸々残ってたりするんだろうか。
「……………」
表情を確認する暇もなかったし、三人がどう感じたのかわからない。
前の世界では、星はもちろん朱里も、この世界の君主が複数の后を持つ事に疑問すら持ってなかった(やきもちは妬かれたけど)。
けど、前の世界とは決起する以前の行動から何から、色々と違いすぎるし、そもそもあの三人とはこの世界で初めて会った。
失望、されたのか………?
「ああっ、くそ………」
こういう時に一番相談に向いてそうなのが人外だっていう事に不満を感じながら、俺の足は街へと向かい始める。
(あとがき)
寒い。非常に寒い。
年末は忙しくなるしで今のうちにせっせと更新(ただ、そろそろ別作の方も更新せねば)。