真室大橋南方10里の地点にある小規模な宿営地。
そこに彼らはいた。
2個旅団8000を相手取り、敗軍にも関わらず驚異的な奮闘を見せたその大隊は、しかし、奮闘に比例した甚大な被害を被っていた。
定数900近くを誇った兵員は半数を切り、大隊本部の壊滅したことにより士官は激減。
軍としての形を失いかけている彼らではあるが、優秀な士官の指揮により温存された16頭もの剣牙虎と、先の戦闘で早期の撤退により失われなかった砲のみが、彼らが普通の大隊ではないことを物語っていた。
漆原が、少し騒がしくなった外の音を聞きつけ、天幕の内側から顔だけを覗かせる。
「どうした、敵襲か?」
自分で言っているわりに、それを全く信じていない様子で兵藤が尋ねる。
「いや、なんか龍が来てるらしい。」
宿泊地中央部に降り立った翼龍から降りてきた二人の男性は、一人は龍士、もう一人は士官と思われた。
その士官らしき男性は手近な兵を止め、何かを尋ねると足早に大隊長のいる天幕へと向かっていく。
「なんかあの男士官っぽいな。ひょっとして撤退命令か?」
「だといいけど、俺たちしかいないのに誰が鎮台主力を守るっていうのさ?きっと別の通達だね。」
「夢が無いなあ、おまえ。そんなんじゃ恋人の一人も作れねえだろ。」
あくまで希望を交えずに想定を述べる漆原に対し、兵藤はからかうように言う。
「余計なお世話だ。それに恋人の話は関係ないだろ。」
生真面目さ故に、あまりそういった発言を受け流せない漆原がムッとした表情で言い返す。
しかし、こういったからかい甲斐のある人間を見つけると、さらにからかいたくなるのが人の定め。
案の定調子に乗った兵藤が言葉を重ねようとするのを、近くにいた西田が軽く制止する。
「ここで騒いだら外に聞こえるだろ。」
言外に士官がするべき行為ではない、少なくともここではわきまえよう、という意を含んだ一言に兵藤は何かをいいたそうにしながらも引き下がる。
「だけどさ、実際こんな人数で何をしろって話だろ。食料だって今日食ったら終わりだぜ?」
真剣に現状を打破しようというのではない一言。
ただ会話を続けようとして放たれた言葉であったが、それが指し示す実情は悲惨だ。
まちがっても、戦闘行為など考えられる状況ではないのだから。
「だけどうちの大隊長は諦めてないみたいだよ?今だって妹尾や松岡は、何か別の命令で動いてるみたいだし。」
「10人くらいと、馬を連れてどっか行ったっていう話だろ?」
昨夜から妹尾少尉は大隊宿泊地を離れている。
どうやら、10人ほどの人員と人数分の馬を連れて行ったらしく、朝には脱走か?という騒ぎが少しおきたが、大隊長による命令という事が通達されその騒ぎもすぐに沈静化していた。
「部隊がこんなだっていうのに、ずいぶんとがんばるよな。再編成だってまだ済んじゃいないんだぜ。」
現在この大隊に残っている士官は、益満、新城、西田、漆原、兵藤、妹尾、松岡。
7人しかおらず、とても大隊運用が出来る人数ではない。
それこそ、平時ならば中隊にさえ士官が6人以上いるのにだ。
「撤退命令はないってわかっているからだろうね。ひょっとしたら俺たちはこのまま戦い続けることになるかも知れないし。」
余りにも濃い死線をくぐり抜けたからだろう、言外に死という意味を含ませた言葉を放ちながらも、漆原の顔に恐怖や嫌悪の色は見られない。
それを聞いた兵藤は露骨に顔をしかめたが。
「正直、最初にこの部隊に編入されたとき、少し残念だったんだ。先輩、新城中尉のいる第3中隊に行きたかったんだけど、うちの中隊長ちょっとあれじゃん。」
西田が少しおかしそうにいう。
「家柄のおかげで、配属されるなり大尉で中隊長。おまけに実戦経験は無しだからな。俺もはずれくじ引かされたかと思ったよ。」
西田がぼかしたあれという言葉を、わざわざ言葉にする兵藤に二人は苦笑する。
「でも、ひょっとしたらうちの隊長はそれなりの人物なんじゃないかって、今は思ってる。」
大隊の兵員の中での、益満保馬の評価はそれなりの水準を持っている。
その最大の理由とは、先日の伏撃の指揮にほかならない。
元来、衆民や皇民の、将家への好感度というのは高くない。
むしろ、皇国の自由化に伴い発生した貧富の差や、新たな将家を認めぬその態度などから嫌われているといっても良い。
新城直衛が入ってきた時でさえ、その経歴にも関わらず若干の反発があった。
ならば、それ以上の身分の人間が入ってきた場合どうなるのか、想像に難くない。
ましてや剣虎兵は、自分の領地で編成された軍ではなく、皇主の勅命により公民で構成された部隊である。
益満保馬が入ってきたときなどは、配属と同時に中隊長となったことも加えて、若菜以上の反発が起き、それは、一部兵による命令不履行さえ引き起こすほどのものであった。
高橋曹長という歴戦の人間がいなければ、保馬が若菜のような道を辿る可能性もあったわけである。
しかし、その状況は開戦と同時に急速に改善されることになる。
撤退戦においては、当然士官として行える最良の行動をとり、無駄に兵を死なせることをせず、伏撃においては、自らが先陣を切り奮闘、その後に負傷するも、指揮権を委譲した後に独力で帰還という、並の士官以上の働きをこなしたのだ。
また、それほどの地位にいる人間が、自分たちと同じ死地に身を置いているということも大きい。
すくなくとも、兵が「皇国は衆民だけを捨て駒のように扱い、将家の人間のみを特別扱いしている。」という印象を持つことを防ぐことができる。
これらの要因により、益満保馬を高く評価する人間はいなかったものの、したがっても良い士官と考える兵は当初よりも大きく増えていた。
龍から降りたった笹島を迎えたのは、よく言えば無骨な、正直にいうのならば凶相に近い容貌の男性であった。
「私は転進支援本部司令の笹島中佐、水軍だ。」
「第11大隊、戦務参謀の新城中尉です。」
この死地において、わざわざ中佐クラスの人間が来たというのに、特に感情を浮かべていない表情で新城は淡々と敬礼を返す。
何も、希望をいだいていないのだろうか、ひょっとしたらこちらの意図も読まれているのでは?
見ているものに、そういった不快感に近い疑心暗鬼を抱かせる態度に、一筋縄では行かなそうなものを感じながらも、表情には出さずに話しかける。
「おめでとう、新城大尉。君の野戦昇進が正式に認められた。今日にも連絡が入るだろう。」
無理やり笑顔を浮かべ話しかけるも、やはりあちらの表情は変わらない。
しかし、ピクリと僅かに眉毛が上がったのが見て取れた。
鋭い。
これでこちらの意図を完全に把握したのだろう。
「しかし、自分が大尉では、大隊長殿と階級が重なりますが?」
「それに関しては心配ない。益満保馬少佐の昇進に関する連絡は、大尉へのものと同時に入るだろう。」
一つの情報からすべてを見抜き、一喜一憂せずに現実的観点に基づいた行動が取れる。
敵には絶対に回したくないタイプだな。
「保馬少佐がどこに居るかはわかるかね?」
まあ、しかし今回用事があるのは彼ではない。
間抜けなのか、常人には理解の及ばない人間なのか、騎兵将校を生業とする名門武家の出身でありながら、こんなところにいる青年。
それが、今回笹島が会いに来た対象であった。
「天幕までお連れします。」
新城はやはり、何を考えているのか分からない無表情でそう言い、笹島の先導として歩き始めた。
歩いたのは数十間程度だった。
連れてこられたのは、大尉のものとしては少し大きく、身分としては小さい、微妙な大きさの天幕。
「失礼します。」
無造作に天幕の入口をめくった新城に続いて、天幕の中に続く。
外と比べるとやはり薄暗いが、中には火鉢がおいてあり、この北領においては十分暖かいと言える温度が保たれている。
冬用の天幕は生地が厚く、外の明かりが差し込まないため昼も扉を軽く開けるなどして明かりが確保されるのだが、少し大きめの火鉢が光源となっていた。
その隅の簡易寝台、そこに益満保馬はいた。
「転進支援本部司令の笹島中佐だそうです。」
笹島に対するものと比べれば、幾分柔らかい口調。
そういって自分の仕事は終りと、出ていこうとした新城を呼び止める。
「新城大尉、少し待って欲しい。笹島中佐、参謀も同席してよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。」
そう答えた笹島に、保馬は小さく会釈を返す。
「第11大隊大隊長、益満保馬大尉です。少し負傷しておりまして、このような姿勢でお話をさせていただくことをお許しいただけますでしょうか?」
そう話す顔つきはやはり若い。
少し顔色は悪いものの、話を出来る程度には回復しているのだろうか。
「構わないよ。負傷者に立礼を強要するほど私は冷酷な人間じゃない。」
「ありがとうございます。それで笹島中佐、いったいどのような御用でここに?」
新城と正反対の人間なのではと思えるほど口調は軽く、まるで今の苦境をそれほど懸念していないようにも見える。
このような状況で、柔らかく笑顔を浮かべることが出来る人間などどれほど居るのだろう。
「まあ、急かさないでくれ、その前に君の野戦昇進の知らせを持ってきた。おめでとう益満少佐。」
「ありがとうございます。」
余計な言葉を返さず、ただ一言感謝を示す。
これはそんなことはいいから早く続きを言えということか。
促されるままに、こちらから口を開く。
「この大隊はどの程度の作戦行動なら取れる?」
「撤退を含めた、ほぼあらゆる行動が不可能です。兵は今日の食事にも事欠く有様ですから。何を命令されるにしても、まずは補給ですね。」
撤退を含めた、という表現をつかうのは、戦闘を命じられるだろうことを察しているからか。
この青年も現状を把握している一人というわけだな。
精神論者がいないのは剣歯虎の部隊に特有のことなのか、それともそういう人間だけが生き残ったのか?
「わかった。急いで手配しよう。それ以外にも、そちらが望むことは可能な限り実現する。」
こちらとしてできる最大限の敬意を表した発言。
にもかかわらず、あろうことか保馬は苦笑を浮かべる。
馬鹿にされたのかと思い、少し腹が立つが、続く言葉でその考えも払拭される。
「中佐は親切な方なのですね。初陣以来始めて聞いた、上官の優しい言葉です。」
優しい、そう形容されるとは思わなかった。
自分は彼らを地獄に置き去りにしようとしているというのに。
そして、この青年はまだ初陣を迎えたばかりなのだ。
「……君が望むのならば、君の後送を上申してもいい。負傷している、実戦経験の乏しい青年を指揮官にするのは、どのような職場や場所でも好まれない。」
保馬の隣に居る新城が少し顔をしかめる。
「もし、自分が後ろに下がったらこの大隊の士気は崩れますよ。将家の出の人間が前線にいるっていうのは、それなりに精神的支柱になるものです。」
まるで達観しているかのような笑顔を浮かべてそう語る。
それにしても、書類では21という話だったが、本当か?
今の任務では周りにいるのが守原の息のかかった人間ばかりで、将家への失望を感じることが余りにも多かったが、今も殿軍を続けている実仁殿下といい、この目の前の青年といい、案外将家や皇室の人間も捨てたものでは無いのかもしれない。
「作戦行動の話でしたね、投入される戦況によります。こちらがどの程度の指揮権を与えられるかも重要です。」
「それもそうだな。こちらから頼みたいのは殿軍だ。美奈津に今だ残っている1万2000。彼らが脱出する期間を稼いでもらいたい。友軍はおらず、指揮権は君に一任されることになる。」
「撤退が順調にいっているならば6日という辺りですか?」
自分が言おうとしていることが、無情であることはわかっている。
それでも、誰かが犠牲にならなければ鎮台主力は壊滅する。
「10日だ。海が荒れて、予定が遅延している。君がそれだけの時間を稼いでくれるのならば、我々は撤退しきれる。」
「我々を犠牲にして、ですか。」
新城が初めて表情らしい表情を浮かべてつぶやく。
苦虫を噛み潰した、そう形容することもおこがましい表情。
それを直視することができずに視線をそらす。
「美奈津港が使えれば良いのだが。」
それさえ、それさえあれば、ここにいる兵たちに地獄を強要しなくてもいい。
彼らにこんなことを言っても無駄だとわかっているのだが、どうしても愚痴をこぼしたくなる。
「なぜ使えないのですか?」
当然の質問を新城が返す。
「証拠はないが、既に寝返っているのだろう。武力で制圧したくともあそこは大協約の市邑保護条項によって守られている。こちらが使えるのは寒風吹きさらしの北美奈津浜だけだ。」
自分でも女々しいと思う。
彼らに強要するのが嫌で、話題をそらすためにこんな話を持ち出す。
目の前の彼らは、自分がこの作戦の立案者ではないことを知っている。
だから表立って責めるということはしない。
そして、責められないが故に心が痛む。
「家名は上がる。君たちは救国の英雄と言われるだろう。」
にもかかわらずこんなことしか言えない。
そんな時、笑い声が聞こえた。
新城の方を向く、彼ではない。
ということは、目の前の青年に視線を落とす。
苦笑なのだろうか。
この状況で笑えるという神経が理解できないが、それでも苦笑ならば理解できる。
だというのに、こちらに顔を向けた保馬の顔は、まさにおもしろい洒落を聞いたと言わんばかりの表情であった。
「なるほど、家名があがるというのも魅力的ではありますね、特に年金の額が上がるのはありがたい。ですが笹島中佐、その言い方では自分たちが死ぬみたいではないですか。」
自分は生きるという明確な意思表明。
この命令を下されてなお、自分が生き残る可能性があると考えている。
凡人ではない。
ではなんだ?
常人では理解出来ないほどの馬鹿か、それとも天才か。
あっけに取られているこちらを置き去りに、保馬は話を進めて行く。
まさに、絶望のかけらも感じさせない口調で
「新城大尉、笹島中佐の要求を満たすためにはどれだけの物が必要だ?」
「補給は前提として、最低でも1個中隊の増援、あとは馬車ですね。それ以外の優先順位としては砲、導術、剣牙虎という順になります。もっとも中佐殿の指揮権にもよりますが。」
「本当ならばもう少し欲しいところだけどね。」
生き残ることを目的とした会話。
多数を生かすために少数を犠牲にしようとした笹島に取って、その少数が足掻く姿は痛い。
「手配しよう。」
ならば、その姿には可能な限り答えなければならない。
表からは読み取れない決意を込めた口調で、笹島はそう返した。
生き残った兵の待遇や、捕虜のとり扱いに関するいくつかの約束事を新城と交わし、その後しばらくの間雑談を重ねた笹島は、益満保馬少佐の正式な任務受諾を受けとり、美奈津浜の友軍の元へと戻る翼龍に騎乗した。
自分よりも若い青年に、全てを押し付けて帰らなければいけないという罪悪感を抱えて。
ここから美奈津浜までの距離はそう遠くはないが、翼龍のうえで会話をすることは困難なため、物事を考える時間は十分にある。
死地にて戦い続ける彼らの期待に沿うためにはどうすればよいのか。
彼らはこの先どうなるのか
答えの無い問いがひたすらに頭を駆け巡る。
その中で一つ、先程の会話を回想していた笹島の頭に引っかかるものがあった。
あの保馬という少年は、入ってきた新城を中尉ではなく大尉と呼んでいた。
その情報を知る方法がないにも関わらずだ。
僅かな会話でさえ、これほどまでに強い違和感を覚えさせる青年。
その隣で戦務参謀の役割を担っていた凶相の大尉。
「一体あの大隊は……」
そう呟いた笹島の声を聞いた人間は誰もいなかった。
あとがき
はい、更新が遅れて申し訳ありません。文章のレベルも低く、言い訳の仕様がありません。
理由はリアルがかなり忙しいからですね。
昨日ぶっ続けで、10時間勉強やり続けたときは気持ち悪くなりましたwww
適度な休憩は挟むものですwww
そして、Call50さんに心からの感謝を。返答が遅れて申し訳ありません。
まさかこのようなものを作っていただけるなど、心にも思っていませんでした。
特に、皇国の昔の歴史だとか、天狼開戦以後の混沌とした戦況は、原作を注視して読まなければならず、それをこれほどまでに簡潔にまとめていただけるなんて、なんというか、感激です。
この気持を文字にするのは、非才の私には余りにも難しいのですが、本当に感謝しています。
ありがとうございます。