鉱山での採掘作業が始まったという情報がツェルニに流れたのは昨日のことだった。
この補給が非常に重要なことは間違いないし、今回に限って言えばいつも以上にほっと出来る状況であると、都市の運営者は思っていることだろう。
何しろ、レイフォンが入学してからこちら、汚染獣との戦闘が立て続けに起こり、更に廃都市との接近などと言う非常事態まであったのだ。
補給できることにほっと胸をなで下ろしていることだろう。
願わくば、これが最後の補給になら無ければ良いとも思っているだろう。
そして、何よりも重要なのだが、作業中は授業が完全に停止する。
機械科や錬金科を始めとして、教師役の上級生のかなりの人数が作業に駆り出されるから、その間授業が出来ないのだ。
上級生にとっては辛い作業の連続であり、全然有難くないだろうが、下級生にとってはちょうど良い骨休めだ。
第十七小隊はこの後合宿をするという話ではあるのだが、レイフォンにとっては勉強するよりも身体を動かしている方が楽なので、大した問題はない。
だが、その合宿ももう少し後からになる予定だ。
廃都市の調査という重要な任務から戻った二個小隊だったが、フェリの体調が思いの外優れないことが発覚したのだ。
原因は間違いなく、あの恐ろしいお菓子である。
どれだけ凄まじい物を造ってしまったのか、そちらの方も疑問ではあるのだが、兎に角今は特にすることがないためにのんびりとしている状況だ。
レイフォンを筆頭に、メイシェンにナルキにミィフィとリーリン、ウォリアスとイージェというメンバーで昼食のテーブルを囲んでいる今この瞬間は、とても貴重な骨休めの時間であるのは間違いない。
メイシェンとリーリンとレイフォンの手による、大量の料理が並んだ頃合いになって、何故かフェリとシャーニッドも参加してきたのだが、これは取り敢えず問題無いことにしておこうと思うのだ。
特に、体調が悪いはずのフェリがここに居ることは極秘事項だ。
「ふぁれ? ふぁるき」
「口の中に物が入っている時に喋るな」
そんなのんびりした時間の中で、料理を口の中に目一杯詰め込んだミィフィが、何かに驚いたように何時も大きな瞳を更に大きくしてナルキを見る。
当然、そんなはしたない真似をしたのだから、ナルキは注意するのではあるが、ミィフィにとっては何処吹く風である。
そしてその好奇心丸出しの視線は、ナルキの腰、その左側へと注がれている。
そこには、何時の間にか都市警のマークが入った錬金鋼が収まっていたのだ。
「その錬金鋼って」
「ああ。これは都市警のだ」
校則で、一年生の錬金鋼携帯許可は半年後となっているが、例外が幾つかある。
小隊員になることと、都市警などの公の職業で携帯が認められることだ。
後は、汚染獣戦などの非常事態に、母都市から持ってきている者がいれば、殺傷設定のまま使用することが出来るくらいだろうか。
殺傷設定のまま常時携帯しているレイフォンの場合は、例外中の例外である。
そして制度上許可されると言っても、都市警の錬金鋼は基本的に打棒限定であるため、錬金鋼である必要性はそれ程大きいわけではない。
だが疑問もある。
「それってやっぱり刀なの?」
「いや。打棒だ。と言うか都市警で許される武装は基本的に打棒だけだ」
「へえ」
レイフォンとイージェがサイハーデンを教えている以上、その武器は刀であるはずだが、やはり都市警で働くとなると打棒でなければならないらしい。
そもそも、レイフォンと出会う前のナルキは、打棒による訓練を中心に受けていたから、もしかしたら未だにこちらの方が身体に合っているのかも知れない。
いや。そもそも、ナルキの場合鋼糸でさえ取り縄の延長として捉えている節があるから、もしかしたら刀も打棒の延長として捉えているのかも知れない。
いやいや。それならば刀に反りを持たせる必要はなかったはずだからこれは恐らく違う。
「だからテメェは赤毛猿って呼ばれるんだ。刃物を使えるんだったらそっちにしろよな」
「いえ。打棒は警察官の誇りですから。汚染獣戦ならば刀の方を使いますが、対人戦ならば打棒の方を使います」
「・・・・。そう言えばエルメンさんの道場で本格的に打棒を習っていたんだよね」
リヴァースがヨルテム出身であることは知っていたが、その父親と会うことになろうとは全く思っていなかった。
そうと知らずに、ナルキに連れられてエルメン道場を訪れ、訓練が終わり昔話に付き合っている内に、息子のことが話題になった。
そして、盾を持って戦争に出て行き、そして今はヨルテムにいないという話と名字から、リヴァースらしいと思い至った。
そして、彼の息子がグレンダンでどう言う生き方をしているかを伝えた時の、老人の表情をレイフォンは未だにはっきりと記憶している。
いくつもあった重要な出会いの中でも、とても印象に残っている事柄だ。
「そう言えばお前は警官希望だったな。悪人斬り殺したくならねえか?」
「なりませんから。ドラマの中みたいに、犯罪者に暴力振るうのは二流以下の警察官です」
「ふん! 自慢じゃ無ぇが、俺は人間として三流を目指しているんだ! 気に食わない奴はぶった切る!!」
ナルキとイージェでは、決定的に物の考え方や見方が違うようだ。
ここまで違うというのも珍しいが、それでも全面衝突にならない辺りに、イージェの大人を感じる。
ただ言うと、どちらかと言うとレイフォンはイージェの側の人間だ。
気に入らないことは力尽くで解決する。
そのせいでグレンダンから追放されたのだし、今ツェルニに居るのだ。
そこでふと思う。
もう少しナルキの側に寄らないと、この先も失敗するかも知れない。
これからは、もう少しナルキの生き方を見習おうかとそんな隠れた決意をしている間にも、話はどんどんと先へ進んでしまう。
「そう言えば、鋼糸って言ったっけ? あれも都市警じゃ使わないの?」
「いや。あれは取り縄と言う事で、少し強引に許可を貰っている。今も一応携帯しているが、剣帯には入らないのでこっちだ」
そう言いつつ、胸のポケットからカード型の紅玉錬金鋼を取り出す。
レイフォンのように、柄の形状をしていれば剣帯に納めることは問題無いが、ナルキやゴルネオのようにカード型だと特殊な形状の剣帯を作らなければならないので、ポーチやポケットに入れていることの方が多いようだ。
「へえ。ナルキでもそう言う制度の悪用ってするんだ」
「悪用って言うな。そもそも私の実力じゃ細い取り縄と同じにしか使えないんだ」
ヨルテムからこちら、ナルキに対して色々と鍛錬を施してきたレイフォンではあるが、残念なことに目を見張るような成果などと言う物とは全く無縁だ。
教えることに不慣れだというのもあるだろうし、そもそもレイフォンは自分が異常者であることを理解しているので、落胆はしていないのだが、それでも少し凹んできている今日この頃ではある。
そして、その典型例が実はナルキなのだ。
本人が認めているように、鋼糸の数は十本に増えているにもかかわらず、残念なことに相手を切り刻むと言ったことが出来ないでいる。
その根本的な理由は、やはりナルキが取り縄として捉えているからに他ならないことがはっきりとした。
それが悪いと言うつもりはない。
そもそも、鋼糸を教えようとしたのも取り縄の妙技を見たからに他ならないのだし、ナルキならばこのままでも良いかとも思う。
警官を目指しているナルキにとって、必要なのは相手を殲滅する力ではなく、相手を無力化する力なのだ。
「ふむ。でも、有って困ることはないかな?」
「・・・・・・。いや。大きすぎる力を持ってしまうのは問題ではないかと思うのだが」
「いやいや。天剣授受者並の犯罪武芸者とかいた時に便利じゃない」
「いやいやいや。そんな物騒なもんは滅多にいないというか、普通の都市にはまずいないから」
心持ち、ナルキへの鍛錬を厳しい物にしてみても良いかもしれないと思うレイフォンと、それを避けようとするナルキの会話は珍しくない。
だが、今日は観客が少しだけ多かった。
「赤毛猿の分際でぐだぐだ言ってねえで、ヨルテムを支配できるくらいに強くなればいいだろうに」
「それは無理ですから。私はそれなりに優秀だとは思っていますが、交差騎士団を相手に全面戦争なんて出来ませんから。そもそも、そんなことしたらヨルテムは崩壊しますから」
ナルキとイージェのこの手のやりとりも最近珍しくない。
なにやら、ヨルテムの首脳陣に恨みでもあるのか、ことあるごとにナルキをけしかけるイージェ。
毎度やっていて飽きないのだろうかと考えてしまうほどだ。
「そう言えばさ」
「なに?」
そんな会話の袋小路に入り込もうとした矢先、いきなりリーリンが話題の転換を図った。
このまま武芸者の話題だけで盛り上がってしまっては、流石に問題有るのでそちらへと注意を向ける。
「ナルキが鋼糸使う時って、復元鍵語ってレイフォンと同じよね?」
「・・。ああ。それには色々と理由があってな」
一つの錬金鋼に二つの設定を持たせているレイフォンと違って、ナルキの場合はそれぞれ違う錬金鋼を使っているので、変える必要は本来無いはずだ。
無いはずなのだが、少々事情があって変えているのだ。
「鋼糸を習い始めた頃にな」
「うんうん?」
「刀と鋼糸と二つ錬金鋼を身につけている状態で」
「状態で?」
「復元鍵語を一種類にすると、問答無用で二つ同時に復元してしまったんだ」
復元鍵語を唱えて剄を流すと、錬金鋼は記憶復元する。
つまり、剄を流さなければ基礎状態を維持するのだが、どうしても片手だけに剄を流すという事に慣れなかったようで、二つ一緒に復元してしまったのだ。
制御に問題がなければ、そのまま両方とも復元しておいて何ら問題無いのだが、最初の頃自分の鋼糸に巻き付かれたりと言う事が何度かあった。
最終的に、復元鍵語を二種類用意することで選択するという方法を採用したのだ。
もちろん、今ならば問題無く鍵語一つで二種類の錬金鋼のどちらかを復元できるのだが、一度染みついてしまった習慣を変えることが難しくなっている。
目立った問題がないからそのままにしてあると言うだけだ。
「へえ。ナルキって割と不器用だったの?」
「普通、複数の武器を持ち歩く事って無いからね。ナルキが不器用と言うよりは、むしろ想定してなかったから試行錯誤だったんだよ」
ニーナの双鉄鞭や、シャーニッドの銃衝術用の拳銃と言った、二つで一セットという場合を除いて、複数の武器を使い分ける武芸者というのは実は希なのだ。
もちろんいない訳ではない。
普段狙撃銃を使っているシャーニッドが、拳銃を持ち歩いているように、たまに見るのは事実だが、ナルキやレイフォンのように同時展開して使うというのは極めて希なのだ。
天剣時代は、剣と鋼糸をその場その場で使い分けていたから同時展開ではなかったが、ヨルテムからこちら何かと同時展開することが多くなっているのは少し不思議だ。
「成る程な。つまりレイフォンがやはり異常だと言うことか」
「それは間違いないですよ。僕は異常者の中の異常者ですからね」
リンテンスではないが、天剣授受者などと言うのは人外の中の人外であり、異常者の中の異常者なのだ。
そもそも他の人と比べることが著しく間違っているのだ。
そして、視線を感じた。
「え、えっと」
レイフォンが異常だという事実も、メイシェンの前には吹き飛んでしまう程度の重みしかない。
不機嫌と言うよりも、悲しそうな視線で見られてしまっては、天剣授受者などという化け物のことなどどうでも良いのである。
レイフォンが人と違うと言う事を、真面目に主張すると酷く悲しむのだ。
事実としてレイフォンは異常者であるのだが、それでもメイシェンの前では普通の人でありたいと思う。
「そ、そう言えばウッチンも錬金鋼持ってきてるんだよね? 普段使っているところ見たこと無いけれど」
「ああ。僕は小隊員でもなんでもないからね。携帯許可はもう少し先でないと下りないよ」
レイフォンも幼生体戦の時に一度だけ見ている。
碧石錬金鋼の曲刀だった。
鍔元に紅玉錬金鋼がはめ込まれ、化錬剄を使うことを前提としつつ、収束率を上げることで技を容易にしているという、特化型の錬金鋼だったと記憶している。
ちなみに言えば、レイフォンはまだあの炎破という技を本来の使い方で体得できていない。
「へえ。そんなんで武芸大会に間に合うの?」
「僕は元々前線の戦力としては期待されていないからね。裏方であくどく働いて勝てるようにするよ。それに、基本的に一年生は武芸大会では戦力として、それ程期待されていないからね」
確かにウォリアスの技量は凄まじいと表現できるが、その反対に剄脈が小さすぎて武芸者としての総合戦力では、ツェルニでも下から数えた方が圧倒的に早いだろう。
反対に、頭を使うことには非常な才能を持っていて、もしウォリアスと戦ったとしたらレイフォンでは勝てないと思われる。
実際に一度は完璧な敗北を喫しているし。
そんな事を考えていると、いきなりナルキが何か決心したようにウォリアスへと視線を向ける。
「そうだウッチン」
「うん?」
「あの炎破って技、教えてくれないか?」
「レイフォンに習って。あれは使うまでに十分以上剄を練らなきゃならない上に、一度使うと何日か動けなくなるんだから」
幼生体戦で使ってしまったウォリアスは、実際問題として他の剄脈疲労患者よりも、格段に回復が遅かった。
毎回そんな事になっていたら、流石に色々と問題が出てくると思うのだが、実はレイフォンはまだあの技を完璧に自分の物にしていないのだ。
「無理だよ。僕自身あれを使えないもの」
「・・・? 老性体戦で使っただろう?」
「あれは、刀の先に収束させられなかったから、甲殻の中で無理矢理技を発動させたんだよ。ぶっつけ本番だったけど上手く行って良かったよ」
天剣授受者だった頃から割とぶっつけ本番で技を試していたので、それ程違和感というか非常識さは感じなかったが、今から思い返せば技にしくじって錬金鋼を失い、危うく死ぬかも知れなかったのだ。
その時のことを思い出す度に、未だに背中に冷や汗が流れる。
だが、今問題としているのはナルキにどちらが教えるかと言う事だ。
「・・・・・・・・・・・・。レイフォンが使ったのが本来の炎破だ」
「へ?」
「僕が使ったのは、甲殻を貫けない未熟者用にアレンジされた奴」
「え?」
ウォリアスの言うことを整理する。
つまり、幼生体戦で使われた奴の方が簡易版である。
それはつまり、簡易版の方がレイフォンに再現できていないと言う事。
つまり、技の解析に何か致命的な間違いを犯している危険性がある、と思ったのだが。
「とは言え、炎破・鋭の方が、技の制御が難しくなってしまって使う人間は滅多にいないけれどね」
「ああ。未だに収束させるのに手間取っているもんね」
異常者の中の異常者であるレイフォンが手間取っているのだ。
本来、化錬剄は得意ではないとは言え、ヨルテムで基礎を学んでからこちらずいぶんと使える技が増えた。
基礎が出来ていてさえ、レイフォンが手こずっている技が、おいそれと使えるわけがない。
非常に納得である。
未熟者用に改良しようとして、返って難しくなってしまっては意味がないが、その手の悪足掻きはレイフォン的に大好きだ。
幼生体戦の時には、ナルキが助かっているのだし。
何が幸いするか分からないのがこの世の中だと、再確認した。
「サイハーデンに逆捻子ってのがあるだろう」
「うん」
刀身に逆方向で絡めた二つの衝剄を纏わせ、相手の体内で解いて破壊するという技だ。
現状ナルキが使える数少ない、サイハーデンの技でもある。
鎌首とか焔切りとかも一応は伝えたのだが、残念なことに実戦で使えるレベルには至っていない。
「それと同じように、鍔元から衝剄を螺旋状に流して、切っ先付近でその回転を速くするんだ。そして衝剄を化錬変化させて高速回転する炎の針を作る」
「ふむふむ」
ウォリアスのアドバイスで割とすんなりイメージできた。
青石錬金鋼では少々荷が重いかも知れないが、それでも帰ったらやってみようと心に軽く決心する。
再現できたのならば、ナルキに教えても良いかもしれないが、問題はナルキが体得できるかどうかだ。
そもそも、使っているのが黒鋼錬金鋼製の打棒と、鋼鉄錬金鋼の刀である。
両方とも化錬剄を使うには向かない材質だ。
使えるとしたら、左手に付けている紅玉錬金鋼の鋼糸。
「レイとん。今猛烈に凄いことを考えなかったか?」
「それ程意表を突くことは考えてないよ。そもそもこれならナルキでも使えそうだしね」
冷や汗を流しつつ何か言いたげなナルキだったが、その言葉は飲み込んだようだ。
いい加減武芸絡みの話題だけで昼食を続けるのにも、限界が見えてきたこともあり、話題は最近流行の映画へと移っていった。
だがレイフォンは心の底で祈るのだ。
どうか絶叫マシーンへと話題が流れませんようにと。
そしてその願いは叶えられた。最悪な方向でだったが。
「そう言えばレイとんよ?」
茶髪猫のその声でレイフォンの背中に冷や汗が流れ、あまりの緊張に活剄が勝手に最大の密度で身体を支えた。
だが、そんな物は目の前の揉め事大好き茶髪猫には全く通用しないのだ。
そして今回、それは過去最大の破壊力を持ってレイフォンを襲ってきた。
「これまだあるけれど、何時でも使えるように何枚かもって行く?」
「みゃぅ!!」
「ぶしゅ!!」
メイシェンと二人で変な悲鳴を上げてみた。
そしてミィフィの手の中には、何故か二名様ご宿泊招待券が握られているのだ。
前回は、レイフォン自身に色々な理由を付けて利用する事はなかった。
他にも理由があるとは言え、最終的に使わなかった。
それを知っているはずだというのに、このタイミングで聞いてくるミィフィの真意が理解できない。
何故だろうと考える。
前回は、もしかしたらスキャンダルを作り上げてスクープをものにするつもりだったかも知れない。
激しくいたしてしまったために、機関部清掃に出られなかった事を大きく取り上げて、堕落してしまったツェルニ最強武芸者などというスクープ記事をでっち上げる。
あり得ると言える事実に、レイフォンの体温は激しく下降した。
ならば、今回、このタイミングで持ち出してきたのは何故だろうかと考える。
そして、殺気を感じた。
「リーリン?」
「うふ、うふふ、うふふふふふふふふ」
フォークとナイフで武装したリーリンが、ゆっくりと席を立ちレイフォンへとにじり寄る。
両手に持った武器で、レイフォンを骨も残さず召し上がるつもりのようだ。
食べられるのって痛いのだろうかと思ったのも一瞬、何とか生き残らなければならない。
「い、いや。それは実は色々と真剣な理由がありまして、げ、現在前向きに検討しつつ理性と知性を持って対応している最中でして」
「へ、へえ。前向きに検討しているんだ。へえ」
なんだか変なことを口走っている間に、若干ではあるが落ち着いてきた。
もちろんレイフォンがである。
逆にリーリンは、前向き発言で更に興奮状態へと移行したようだ。
だが、まだ望みはあるのだ。
一瞬ほど逃げだそうとしたらしいウォリアスが、リーリンを押さえるために動き出してくれているところを見ると、どうやら今日も何とか生きていられるようだ。
ウォリアスなら採掘作業の間、廃都市で情報をあさりまくっていると思っていたのだが、実際は戦略・戦術研究室に住み込んでいる。
それはなぜかと聞いた事があったのだが、答えはある意味非常に常識的だった。
商業科で情報を専門に扱う有志が廃都市を現在捜索中であるらしい。
そして、ツェルニが武芸大会で勝利したのならば、集めた情報を好きなだけウォリアスがもらえると、カリアンとの間に契約がなされているとか。
好物を目の前にぶら下げられて徹底的に働かせる古典的な方法であると、理解していてなお思惑通りに働いてしまっているのだとか。
もうこうなると、どちらの方が悪人か分からないのだが、レイフォンに直接関わらない事なので見ないふりをしている。
そう。今のリーリンに比べたらどうと言う事のない些細な出来事である。
「そ、それにだね、そ、その、あ、あの、ツェルニに居る間はそう言う関係になるのは危険ではないかと思っているというか、心配しているというか」
「危険に心配?」
レイフォンが呟いたその単語に真っ先に反応したのは、何故かシャーニッドだった。
何か心当たりがあるのか、それとも廃都市でのことを覚えていて反応したのかは不明だが、僅かにリーリンの瞳に知性と理性が戻ってきたような気がする。
今を逃してはならない。
「一般人が武芸者を生むのは危険だから」
今の一連の言葉で、リーリンが完全に平常心へと復帰したように見える。
これで何とか話を聞いてもらえる下地が出来上がった。
後は、理性と知性を総動員しつつ、何とか欲望というか欲求を抑えるために、みんなに協力してもらう。
特に何かに驚いているミィフィの協力が得られるかどうかで、レイフォンの学園生活は大きく変わってしまうのだ。
「なに、それ?」
驚いた表情そのままにミィフィが訪ねてきたが、それはあまり不思議ではない。
一般人が別種の生命体である武芸者を生むことは危険性を孕んでいるとは言え、そうしょっちゅう起こることではないのだ。
もし頻繁に起こることだったら、武芸者と一般人の婚姻は制限されているはずだし。
そのようなことをどもりつつも何とか説明する。
「そう言えば、父さんのお母さんがそれでなくなったとか聞いたわね」
「うん。それで苦労したって言うからね、少し慎重になった方が良いかなって」
突発的武芸者だったデルクを出産したことで、その母親は亡くなったという。
父親も何かの事故で既に死亡していて、孤児として育ったというようなことを聞いた記憶がある。
滅多に起こらないとは言え、避けられるのだったら避けた方が良いのだ。
あれだけ嫌っていたルイメイと同じ轍を踏むことに対して、引っかかりがあるというのも事実として存在するが。
「ツェルニでは、って限定的だったのは?」
もう一つのキーワードに反応したのは、当然のことウォリアスだった。
実はこちらの方もかなり重要なのだ。
結果を見届けてはいないが、ルイメイの場合はまだ救いがあった。
天剣授受者である以上、それなり以上の金銭的な余裕が有る。
ならば、十分な治療を受けることが出来れば、身体を損なっても生きることは出来たかも知れない。
そこがデルクと決定的に違うところだが、実はツェルニにはもっと大きな問題が有るのだ。
「ツェルニじゃ、十分な治療が受けられないと思うから」
「・・・・。ああ。成る程な」
当然のことだが、ツェルニは学園都市である。
そして、人口の殆ど全てが十代中盤から二十代前半くらいまで。
そう。妊娠して出産するという基準型都市ならば当然あるはずの営みが、ここでは殆ど無いのだ。
もちろん、僅かではあるが毎年妊娠と出産は記録されている。
それでも、ここの医師の間では、一般人が武芸者を生み、そして身体を損ねるという経験はおそらく無い。
つまり、最悪の場合メイシェンを喪うという危険性を孕んでしまっているのだ。
「いや。それって相当珍しいはずだぞ。家の父さんも突発的武芸者だったけど、爺ちゃんも婆ちゃんも元気だし」
そう言うのはナルキだ。
レイフォンも何度かトマスの両親に会っている。
武芸者ではなかったが警官だったという話も聞いている。
そう。出産時に身体を損なうという危険性は極めて小さいのだ。
普通なら小さいのだが。
「相手が僕だからだよ」
そう。相手がレイフォンだった場合、危険性は極めつけに高くなってしまうような気がするのだ。
シャーニッドやウォリアスだったら、無視して問題無い程度の危険性だと思うのだが、自分で言うのも変だがレイフォンは違うのだ。
「・・・。あり得ないほどの不運を呼び寄せる男だからな」
「・・・。なんでこんなに不運に見舞われるんだろうって程だからな」
「そうだな。レイとんならば最悪に備えておいてさえ不安かも知れないな」
シャーニッドにウォリアスにナルキに肯定されてしまった。
出来れば否定して欲しかったのだが、残念なことに三人もレイフォンと同じ見解のようだ。
「そんな事有りません。レイフォンは頑張っているんだから、きっと大丈夫です」
そう言ってくれるのはメイシェンだけだが、最も危険なのはそのメイシェンなのだ。
素直に頷くことが出来ない。
いや。そもそもまだ頑張っていないのだし。
そして何よりも、うら若い女性が口走ってしまっては、色々と問題のある台詞を発してしまったのだが、今頃になってからそれに気がついた様子で、凍り付きつつも蒸気を吹き上げている。
とりあえずナルキが冷たいジュースで冷やしているが、いつまで持つかかなり疑問である。
そんな弛緩気味の空気だったが、例外がいた。
「なんだ、そう言うことか!!」
そう。すべての現況である茶髪猫だ。
なにやら納得したと言いたげに頷き、そして上着のポケットから何か小さな箱を取り出す。
凄まじく嫌な予感がする。
具体的には、リーリンに解体処分されそうな感じの、嫌な予感だ。
「さあレイとん! これもぼ」
何か叫びかけたミィフィの口をウォリアスが塞いだ。
それと同時にナルキが小さな箱を奪い取り、シャーニッドへと放り投げる。
最後にシャーニッドが小さな箱を、自分の服のポケットへとしまった。
「もがごがむご」
「はいはい。そのうちね」
口を塞がれていても尚、講義するミィフィの相手をしつつウォリアスがこちらを向く。
少しだけ真剣な表情だ。
「最終的には、ヨルテムに帰ったらかまわないと言うことだな」
「ひゃぅ」
「ぢゅぁ」
攻撃は凄まじかった。
もはや、レイフォンが生きていられるのが奇蹟と言えるほどに。
そして、それは間違いではない。
ツェルニでは危険だが、ヨルテムならばかなりの確立で安心なのだ。
潤沢な予算に支えられ、十分に高い医療技術を持ち、更に過去の治療記録も豊富に残っているヨルテムならば、ほぼ安心してメイシェンとの間に子供を作る事が出来る。
それでもやはり、抵抗を感じているレイフォンがいるのも確かだが、今問題にしなければならないのはもっと別な事である。
そう、死が立ち上がったのだ。
それはリーリン・マーフェスという人の形をしている。
「うふ、うふふ、うふふふふふふふふふふふふふ」
帰れないかも知れない。
天剣授受者だった頃、死を覚悟したことは何度もあった。
それでも、文字通りに死力を振り絞って生き抜いてきた。
だが、それでも今日この場でレイフォンは死ぬことになる。
本能がそう叫んでいるのだ。
食肉加工店のオーナーであり、経営責任者であり、更に品質管理責任者であり、おまけに営業責任者でもあるオスカー・ローマイヤーは、自らの預金通帳を眺めて深い深い溜息をついてしまった。
その深さはレギオスの足元から、エアフィルターの頂上を軽く越えてしまうと言うほどに、凄まじい深さである。
何故かと問われたのならば、話は非常に簡単であり、そして深刻だ。
残高が非常に少ないのである。
「珍しいですね、社長が溜息つくなんて、おおよそ四年半ぶりですか?」
「やあ、アニー。そんなに久しぶりだったかい?」
人気のないところで溜息をついていたはずだが、それでもやはり仕事場である以上誰かには聞かれてしまう物なのかも知れない。
そして、その相手というのが入学直後から一緒に働いてくれているアニーであることに、自分が少し甘えているのではないかとそんな疑念を感じてしまった。
「そりゃあ。ツェルニが負けた時もつかなかったですからね。あれは確か、自信満々で出荷した製品が売れなくて、大量の返品を貰った時でしたか」
「ああ。あの時も酷かったね」
先代のトーファーキーのことだ。
今から思えば、学生しかいない学園都市という物を甘く見ていたと言えるのだが、その時は全くもって自信満々だった。
そのあげくに破産一歩手前の損害を出して、全身の血の気が引く音を聞いた物だ。
学園都市特有の援助金制度がなければ、きっと何処かの枝にぶら下がっていたに違いないほどには、非常に衝撃的な出来事だった。
「で、今回はなんですか?」
「うん。先日の第十七小隊との試合でね」
「珍しい武器使っていましたね」
「そうなのだよ。あの錬金鋼は非常に維持費がかかる物でね」
「ああ。今回も金絡みですか」
「うん。今回の方がまだましだけれど、しばらくは呑みに行けない」
実はオスカーは非常にエールが好きなのである。
それもヘーフェヴァイツェンと言う特殊な銘柄が大好きで、ツェルニでは非常な高級酒に数えられている。
いや。学生しかいない都市である以上、飲酒が出来る人間の方が少ないために元々酒類は割高なのだが、その中でもヘーフェヴァイツェンは生産量が少なく、驚くべき高値になってしまっているのだ。
目の前にある預金通帳の残高では、当分は呑みに行けない。
「なんでそんなもん使ったんです? 何時もみたいに剣なら安かったでしょうに?」
「うん。今年の武芸大会で敗北は許されないのだよ」
「ああ。久しぶりだから感覚を忘れているかも知れないと」
「うん。アントーク君ならば十分に感覚を思い出せると踏んで使ったのだが」
「思った以上に手強くなっていたと」
「六発全弾使う羽目になるとは思わなかったよ」
第十七小隊戦で使った散弾銃の正体は、銃剣術という特殊な格闘術を前提に作られた散弾銃だ。
ある意味オスカーの奥の手だと言っても良い。
そもそも散弾銃を使う銃使いが珍しい。
その理由は幾つかあるが、最も問題なのはコストパフォーマンスが悪いからだろうとオスカーは考える。
そもそも散弾銃には二種類存在している。
拡散型と収束型だ。
拡散型というのは、簡単に言ってしまえばシャワーのように一本の銃身を幾つかに分割して、衝剄などを撃ち出すものだ。
構造が単純で扱いやすいが、その構造上大出力には耐えられない。
目くらましや牽制、あるいは威力を必要としない対人戦でしか使われない。
そして問題は収束型だ。
厳密に言えばこれは散弾銃ではない。
言って良ければ、複数の弾薬と複数の薬室と、複数の銃身をひとまとめにしたようなものだ。
実際オスカーの散弾銃は、一つの薬莢に九発分の麻痺弾が詰め込まれている。
そして銃身の外壁に散弾範囲調節用の器具を取り付け、九本の銃身をどの程度の範囲で散らすかを決めているのだ。
そう。はっきり言って普通の銃に比べたら、その製造維持費は遙かに高いのだ。
だが、出費を惜しんでツェルニが敗北してはたまらない。
と言う事で奮発して使ったのだが、予想以上の被害が出てしまったのだ。
とは言え、実際には銃以外の出費の方が大きかったのだ。
対人工作費という名の出費だ。
具体的にはレイフォンが勤めている機関部の責任者への賄賂とか、商品を置いて貰っている店の責任者への接待とか。
レイフォン絡みの出費は、後でカリアンにでも請求しようとは思っているが、取り敢えず預金残高が非常に少ない。
「と言うわけでアニー」
「なんですか?」
嫌な予感でもしているのか、若干引いて行く友人を追い詰める。
具体的には、退路を塞ぐように移動して、部屋の隅へと追いやる。
「今夜おごってもらえないだろうか?」
「いやです」
「・・・・・。即答だね」
「社長の飲み代なんか払ったら、俺は破産しますから」
「私はそれ程飲まないよ?」
「無茶苦茶高い酒ばっかり飲むでしょうに」
「心外だね。私が好きになる酒が、たまたま高いだけだよ」
「自分で言っていて違和感を感じませんか?」
「うん。猛烈な違和感を感じているね」
あまり従業員にたかるのはよろしくない。
と言う事で、オスカーは暫く禁酒することにした。
好みに合わない酒を呑むほどには、飲酒の習慣があるわけではないのだ。
ヘーフェヴァイツェン
原材料の一部に小麦を使った白ビールの一種。
濾過の工程を省いているので、蛋白質などを豊富に含んでいるが、その分濁ってしまっているかなり癖の強いビール。
ただし、俺自身が呑んだ事はないので詳しくは不明。
後書きに代えて。
第五話と、諸々の説明不足を補うためにこんなもの書きました。
ナルキがリヴァース父の道場に通っていたと有りましたが、DVD付属の月刊ルックンにて連載されていた、レター・トゥ・レターの設定を利用しています。
この中で、ミィフィとハイアが知り合いだったり、フェリとシャーニッド父が知り合いだったり、ニーナの家族関係が明らかになったりとかなり面白かったです。
俺は中古のを買いましたが、それでも四万円ちょっと。かなり痛い出費でしたけれど、もしよろしかったら挑戦してみてください。