昨夜の一件のせいで、殆ど眠っていないレイフォン達だったが、しかし、異常なハイテンション状態になっていて誰一人として眠そうではない。
そもそも、数百メルトルしか離れていない場所で、レイフォンがほぼ全力の剄を発動させたのだ。
その余波だけで近くに有った建物に損害が出たし、現場に移動している最中だったニーナ達はもっとはっきりと鳥肌だったという。
それはそうだろう。
天剣授受者とは都市一つを完全に破壊することの出来る異常者のことであり、更にレイフォンはその天剣授受者の中でさえ剄量が多かったのだ。
そんな異常者の中の異常者の、全力の剄を近くで感じ取れば、鳥肌の一つくらい立って当たり前だし、恐怖のあまりにレイフォンに二度と近付かなかったとしても何ら不思議はない。
しかしこれも、今考えているからこそそう思えるだけで、あんな意味不明な存在相手に手加減などする余裕は、レイフォンにはなかったのだ。
「信じてくれるんですか?」
「お前が寝ぼけて剄を全力で使ったという落ちはないだろうし、家の念威繰者も不明な存在は確認している。信じないわけにはいかない」
渋々と喋るゴルネオの声を聞きながらも、レイフォン自身は自分の遭遇したあれが本当にいたのか、実のところ疑っていたのだ。
何しろ、通常の生き物ではないし、汚染獣でもない。
こうなるとウォリアスをツェルニに置いてきてしまったことが悔やまれる。
とは言え、いくら何でもあんな物のことを知っているとは思えないが、最悪の場合でも考えることをウォリアスに押しつけて、あれについての問題が解決したつもりになることで少し安心することが出来る。
「お前の言う事を疑う理由がないというのもあるが、私には一つ心当たりがある」
「心当たりですか?」
全員で集まって朝食を胃の中に流し込みつつ、本日の予定の最終確認をしつつ、昨夜のあれについての、意見交換会の最後になって、ニーナが気になることを言い出した。
なにやら自信があるようで、真っ直ぐにレイフォンを見詰めてゆっくりと唇が開く。
「この都市の動力源が生きているのならば、居るべき者がいるだろう」
「!! 電子精霊」
「そうだ」
言われるまでその可能性について全く思い至らなかった。
いや。実際には無意識の内に考慮対象から外していたのだろう。
レイフォンが唯一知っている電子精霊である、童女の姿をしたツェルニからは、あれほど凄まじい気配というか圧力を感じたことはない。
もちろん、他の都市の電子精霊など見たこと無いので、断言は出来ないが、それでもツェルニの仲間にあんな恐ろしいのがいるとは思いたくないのだ。
「・・・・。違うかも知れない」
「電子精霊ではないと思うのか?」
レイフォンは自分の考えにブレーキをかけた。
先入観と言うよりは、思い込みで判断してはいけないと散々ウォリアスに説教を食らっていたからだ。
もっとも、思い込みで判断しないなんて事が、おいそれと出来るはずはないので、現在進行形で練習中なのだ。
その練習の意味合いも込めて、自分の思考にブレーキをかけたのだが、ふと漏れた言葉をニーナは少し違ったように受け止めたようだ。
「いえ。電子精霊かどうかは分からないですが、僕達はツェルニしか知りませんから、どうしてもそこから話を始めてしまうなって」
「ああ。そう言うことか」
納得したようでニーナが軽く頷く。
何しろ、都市の心臓部や電子精霊については殆ど何も知らないのだ。
ここであれこれ考えて答えが出ると言う事も無いだろうと割り切って、本来の仕事に戻らなければならない。
気にはなるが、それにこだわりすぎてしまって、ツェルニを危険にさらすわけにはいかないのだ。
「では、予定通り我々は機関部へと向かいます」
「では俺達は都市部の捜索を続ける。夕方まで別行動だが十分に気をつけろ」
「分かりました」
前日は戦力の分散を恐れたのだが、今日の夜にはツェルニがこの付近へと来てしまうために、時間の短縮の方が優先されたのだ。
人数の少ない第十七小隊には、昨日に引き続きナルキが飛び入り参加することになって、変なテンションのまま朝食は終了した。
「シャァァァ!」
「フゥゥゥゥ!」
終了したのだが、何故か威嚇の唸り声が二つほど聞こえる気がする。
恐る恐るとそちらへと視線を向けてみると、銀髪を長くした念威繰者と、燃えるような赤毛をした武芸者がお互いの鞄を大事そうに抱えながら、威嚇の応酬をしてるという恐るべき光景へと遭遇してしまった。
二人のあの鞄の中身は、メイシェンの作ったお菓子が入っているはずで、この廃都市ではそれはそれはとても貴重な戦略物資であることは分かるのだが、それでも目の前の二人はあまりにも恐ろしいほどに威嚇の唸り声を上げている。
「レストレーション02」
何故そんな威嚇の応酬をしているのか全く不明だが、あまり動じないナルキが左手の鋼糸を復元。
十本に増えている鋼糸がフェリをやんわりと絡め取り、そのまま空中に浮かべて野獣の戦場から遠ざけた。
と同時に、ゴルネオの手が伸びてシャンテを捕まえ、自分の肩の定位置へと座らせる。
二人の動きに全く遅滞は存在せず、見事な手並みだった。
特にナルキの鋼糸の使い方はかなり見事な物で、今見ている限りにおいては全く危なげない。
力業で自分と装備を、短距離でさえ一気に持ち上げることは出来なかったが、体重の軽いフェリならば安全で確実に運ぶことが出来るようになっているようだ。
これならもう少し本数を増やすか、高度な使い方を教えても良いかもしれないと思うのだが、取り縄の延長として鋼糸を捕らえている節のあるナルキでは、いくら操れる本数が増えたとしても幼生体の虐殺なんて事には使えないかも知れないと、最近になって考え始めてもいた。
だが、今対応しなければならない問題はそれではないのだ。
「どうしたんですか先輩? 理性を無くすほどお菓子の残りが少ない訳じゃないでしょう?」
「そう言うわけではありません。協定を結んだだけです」
「なんですかそれは?」
持ち上げたフェリを肩車するという快挙を成し遂げたナルキが、話を進めてしまっているのは、きっと良いことなのだと思う。
メイシェンの幼馴染みであるナルキならば、フェリもシャンテも一応の敬意を払うはずだから。
特にシャンテにとっては、敵と認識しているらしいレイフォンよりもずっと敬意を払うべき存在であるはずだ。
「お互いのお菓子に対して相互不干渉を貫き、ツェルニに帰り着くまでは休戦とする」
「休戦をしているから、手出しが出来ない。だから威嚇の応酬というわけですか」
「話が早くて助かります。昨日私のお菓子に手を出そうとした時に、そう言う話になりました」
昨日のいつ頃そういう事態になっていたのか非常に疑問ではあるのだが、取り敢えずここで戦闘にならないならばそれに越したことはない。
だが、おかしな事もある。
シャンテが野獣であることは疑いない事実だが、それでも他人のお菓子に手を出すような性格ではない。
いや。ゴルネオが散々そう言って教育しているから、おそらく手を出すなどと言うことはない。
「私のおやつボックスを弄っていたお礼をしただけだ! 私は悪くないぞゴル!」
「分かった。取り敢えずお互い相手のお菓子には触らないというのならば、それで問題はない。さっさと仕事を片付けてツェルニに帰るぞ」
「おう! 帰ったらアルセイフの目玉をメイシェンが抉るんだな!!」
「いや。浮気はしていないだろう」
「な、なに! まだ浮気してないのか? なんて情けない奴だ!!」
途中からおかしな方向に行ってしまったが、取り敢えず作業開始の準備は整った。
浮気していないと情けないと思われているようだが、その辺は気にしてはいけない。
きっと浮気がなんなのか理解していないから。
それよりも問題なのは、あと十二時間以内にはツェルニがここまでやって来てしまうと言う事だ。
その前に安全を出来る限り確認しなければならないのだ。
フェリを肩車したままのナルキを先頭に、第十七小隊は少しテンションが落ちた身体と心で、仕事に向かうこととなった。
子供扱いされているというのに、全く表情が変わらないフェリの後ろ姿を眺めつつもニーナは少々疑問に思っていた。
ナルキを羨ましそうに見ているシャーニッドの後頭部を叩いたついでに、気になる人物の方へと視線を向けてみる。
そうレイフォンだ。
昨日、あの異常ともとれる剄を放出したにもかかわらず、本人は全く何時も通りに生活していることから考えると、別段無理をした結果だというわけではないようだ。
老性体戦の時にも、想像を絶するような剄の放出を感じはしたが、それでも何かの間違いではないかと思っていたのだ。
あの剄量はどう考えても異常だったから。
しかし、やはり異常でも勘違いでもなく、レイフォンの剄量はニーナの想像を絶していると言う事がはっきりと確認出来た。
だが、その異常者であるはずのレイフォンは何時もと少し様子がおかしい。
なにやら考え込んでいるというのか、何かを思い出してそれを追っているというか、頭を使っているようにしか見えないのだ。
別段、レイフォンは頭が悪いから使わなくて良いと思っているわけではない。
だが、普段と違うことを側でやられると、少々不安になるのも事実である。
「何を考え込んでいるのだ?」
と言う事で、不安を解消するために声をかけてみることにした。
声が届かないほど集中しているという訳ではないだろうし、そもそも二本目の青石錬金鋼が鋼糸として復元され、四方八方に伸ばされている以上考えに没頭しているというわけではないはずだ。
もし考えに没頭されてしまったら、この付近一帯が危険地帯となってしまうから、それはそれで何の問題も無い。
「昨日のあれについて考えていたんですが」
「何か気になるのか?」
気になると言えば全てが気になるのだが、それでもレイフォンが考え込んでいる理由にはならない。
もしかしたら、今朝ニーナが言った電子精霊かも知れないと言う憶測を信じ込んでしまっているのかも知れない。
「あれが電子精霊だったとしたらと思うと、少し同情してしまうと言うか、共感してしまうと言うか」
「? 同情に共感?」
そしてレイフォンが考えつつ、ゆっくりと単語を紡ぎ出した。
だが、出てきた単語が上手く理解できなかった。
何故、同情と共感を覚えなければならないのだろうかと疑問に思う。
「あれが使っていた言葉の中に」
「ああ」
「憎悪のせいで狂ったと言うようなのがあったので」
「憎悪だと?」
電子精霊とは、都市そのものだと言い換えても、それ程おかしくない。
都市である電子精霊が憎悪のせいで狂う。
「それはつまり、汚染獣に滅ぼされたことで狂ってしまったと、そのような意味だと?」
「はい。ツェルニからあんな恐ろしい気配というか圧迫感は感じませんでしたけれど、もし憎悪のせいで狂っているのだとしたら、それ程不思議じゃないかなと」
考えつつそう言うレイフォンの歩みが完全に止まった。
そしてそれに釣られるようにして、ナルキもシャーニッドもその場に止まった。
何時もより高い位置にあるフェリの視線も、レイフォンを捉える。
「どう言うことだ?」
もちろんニーナも止まり、レイフォンに向き直り問いただす。
電子精霊が狂うなどと言うことが信じられなかったのだ。
「珍しい事じゃないと思うんです。身近にもそう言う例はいくらでもありますよ。人間の話ですけれど」
レイフォンの視線がフェリを捉える。
何か心当たりがあるのか、フェリの表情が珍しく、本当に珍しく引きつるのを確認することが出来た。
「例えば、ツェルニへの愛のために狂った腹黒陰険眼鏡なイケメンとか」
「・・・・・。非常に不本意ですが、ツェルニに来るまでの兄はああいう人ではなかったと思います」
フェリの嫌そうな雰囲気に飲まれつつも、カリアンについて考えてみる。
前回の武芸大会での惨敗後、それまで殆ど知られていなかったカリアンが急速に勢力を拡大したのは確かだ。
その根底にあるのは、ニーナと同じツェルニを守りたいと思う気持ちのはずだ。
だが、それがもしツェルニに対する愛のために狂った結果だとしたら、あまり好ましいことではないと言わざるおえない。
ツェルニにとってカリアンが必要であることは間違いないが、それでも好ましいというわけではないのだ。
「僕自身も、グレンダンでの食糧危機がなければ、きっと今とは全く違った人間になっていたはずですし」
レイフォンを始め、グレンダン出身者の心に深い傷を残した食糧危機。
あれがなければ、レイフォンが金のために闇の賭試合に出ることはなかっただろうし、そもそも今のような超絶的な強さを持っていたかも疑問だ。
良くも悪くも、レイフォンの原動力になっているのは食糧危機での無力感なのだ。
「そうなると、この都市の住民が殺されて怒り狂ったのが、レイフォンが昨日出くわしたっていう金色の山羊な訳か」
「そう言う考え方も出来るなって言うだけですよ。そもそも、電子精霊だったらそうだろうなという程度ですし」
シャーニッドの相槌に応じつつ、レイフォンの脚が前へと踏み出された。
この話題はここまでで、調査を続けなければならないという無言の宣言だ。
その宣言に異を唱えるつもりはニーナにはない。
フェリの発見した機関部への入り口は、もうすぐそこなのだ。
微かな音と共に先行する鋼糸と、宙を漂うフェリの念威端子を追いかけるように、ニーナ達は機関部へと歩み続ける。
だがふと思う。
もし、ツェルニが滅んだのならば、あの愛らしいツェルニも憎悪に狂ってしまうのだろうかと。
そんな姿は見たくない。
見たくはないならばどうするべきかと考えて、すぐに答えが出た。
いや。問われる前に既に答えは用意されていたのだ。
今ニーナはツェルニを守るためにあらゆる努力を続けている。
この努力で結果を出せば、それはつまりツェルニを守ると言う事であり、憎悪に狂うことを阻止することが出来るのだ。
とは言え、言うのは簡単だが実行することは極端に難しい。
その険しさを再認識しつつも、ニーナは目の前の入り口を破壊して機関部への侵入を果たした。
薄い緑色の闇に沈む機関部を進みつつ、シャーニッドはかなり窮屈な思いを味わっていた。
まず第一に狭い。
続いて独特の匂いがきつい。
種々雑多で用途さえ分からないパイプが、ところかまわずに走り回り、その隙間を縫うように人間用の通路が申し訳程度に這いずり回っているという、凄まじく窮屈な場所こそが全ての自律型移動都市共通の心臓部だと思うと、やはり隠れたところで努力することこそが重要なのではないかと、変な方向へと思考が進んでしまう。
そんな自分でも意味不明な思考を切り捨てるべく、普段から機関部に出入りしている二人へと声をかけてみる。
「よくお前さんらこんな場所で働けるな」
『灯りが点いていればもう少し広く感じますよ』
ニーナとレイフォンはここで清掃の仕事をしているのだが、それはシャーニッドの常識を遙かに凌駕する超人的な偉業に思えてならない。
暗いのは、灯りが点けば何とかなるだろうが、広く感じるというのも何となく分かるつもりではあるのだが、それでもここで一晩働くなどと言うことは、全く想像の外だ。
下手に活剄を使ってしまったら最後、機械油と錆防止用の塗料と、その他色々な匂いの集中攻撃で、瞬間的に気絶してしまうだろう。
そう思いつつ、隣を歩くニーナに視線を向ける。
シャーニッドと同じ念威端子を流用した暗視スコープを装着したニーナが、やはり平然と前を見詰めながら進んでいる。
レイフォンの姿は確認することが出来ない。
広大で入り組んだ機関部を捜索するために、ここでも二手に分かれることとなった。
ニーナとシャーニッドが一組で、レイフォンが単独行動だ。
フェリは機関部には入らずに、入り口の外で待っている。
念のための護衛としてナルキもフェリと一緒だ。
「へいへい。それはそうと、レイフォンが見たって奴が電子精霊だったら、ここにいるのかね?」
「その可能性は高いな。機関部の外へツェルニが出たところを見たことはない」
シャーニッドはそのツェルニさえ見た事がないので、全く何とも言えないが、いきなり目の前が真っ暗になったことで、予想もしていなかった何かが起こったことを理解させられた。
瞬時に細心の注意を払いつつ活剄を展開する。
そして剄を、目に集中的に集める。
内力系活剄の変化・照星眼。
射撃系の武器を使う武芸者ならば、誰でも使うことが出来る基本中の基本である活剄の変化だ。
とは言え、今シャーニッドが使っているのは通常のから比べて少しアレンジが入っている。
暗い場所での視界を確保することに特化した照星眼だ。
スコープを使うよりも遙かに視野を広く取ることが出来る上に、殆ど自然色で見ることも出来るという優れものだが、残念なことに非常に集中力を必要とするために、今のシャーニッドではせいぜいが一時間くらいしか維持できないのだ。
だからこそ、緊急事態に備えて温存しておいた。
そしてその緊急事態が起こったので、躊躇無く使ったのだ。
「フェリ! おいフェリ! 返事をしろ!」
隣で怒鳴っているニーナを確認すると、当然のようにかなり色めき立っている。
眉間に皺が寄り、既に錬金鋼を手に持ち何時でも復元できる状態になっている。
流石ニーナで咄嗟の判断は見事だ。
緊急事態であることは間違いない。
ならば、兎に角戦う準備を整えるのは当然のことだ。
だが問題はいくつもある。
「くそ! 何が起こっているんだ! レイフォン!」
残念なことに、通信に関してはフェリの念威に頼り切っている。
と言うか、こんな障害物の多いところでは電波はあまり役に立たない以上、念威に頼る以外にないのだが、それが今回完璧に裏目に出てしまっている。
「落ち着けニーナ」
「ええい! これが落ち着いていられるか! 速くフェリの元へ戻って安否を確認しなければ!」
「だから落ち着けと言っているんだ。取り敢えず錬金鋼は剣帯に戻せ」
ニーナの右手に触れて、力みすぎている手を外側から軽く圧迫する。
混乱したままでは、シャーニッドの誘導に従わないかも知れないので、どうにか落ち着いて貰わなければならないのだ。
「良いかニーナ。俺には見えているんだ。道しるべも残してきてあるから、お前が落ち着いていれば普通に歩く程度の時間で元のところに戻れる」
「ほ、本当なのか?」
「ああ。左手で俺を殴ろうとしているところとかも、きちんと見えているから兎に角拳を降ろせ」
もしかしたら、乙女チックな危機でも感じたのか、怖い顔をしたニーナの左手が危険な状況なのだ。
シャーニッドが行動不能になってしまっては、更に事態がややこしくなってしまう以上、是非とも落ち着いて貰わなければならない。
「よ、よし。では誘導を頼むぞ」
「・・・・・。ああ。だからな、左手の錬金鋼もしまってくれよな」
シャーニッドに掴まるためだろうが、右の錬金鋼は剣帯にしまった物の、何故か左手のは持ったままだ。
やはり、乙女チックな危険でも感じているようだ。
無理矢理何かするほど落ちぶれてはいないと思うのだが、どうやらニーナはそう思ってくれていないようだ。
まあ、今はそれでも問題無いから良しとしよう。
問題を先送りにしたような気もするが、それでも時間が惜しいのでニーナを引っ張って歩き出す。
別段、ニーナが心配しているような事態が起こったとは思っていないのだが、それでも万が一と言う事が有るのだ。
まず目指すのは、当然ついさっき曲がったばかりの角だ。
「しかし、目印を残したと言っていたが」
「ああ。念のために曲がる度にケミカルライト性のテープを貼ってきた。活剄で視力を強化すればニーナにも見えると思うが」
実際には、活剄を使わなくても見えるのだが、急激に暗くなったために目が慣れるまで時間がかかってしまうのだ。
これはもしかしたら、暗視装置の欠点かもしれないと思いつつも、暗性視野を確保するためにも、ニーナには活剄を使ってもらう事とした。
「やってみよう」
そう言うと、何か力み出すニーナ。
視力の強化は日常的にやっていると思うのだが、暗闇の中でと言うのは初めての経験なのだろう。
なかなか上手く行かないようだったが、暫くすると歩調が普段のそれに近付いてきた。
ほのかに光る夜光塗料を目印にすることで、移動への恐怖がだいぶ和らいだのだろう。
これならば、思ったよりも速く戻れるかも知れない。
「フェリに何が有ったと思う?」
「思ったほどの緊急事態じゃないと思うぜ」
「何故そう思う?」
沈黙を嫌ったのか、ニーナに問われたので頭をぶつけたりしないように、細心の注意を払いつつ、先を急ぎつつ答えることにした。
そもそもフェリは一人ではないのだ。
「フェリちゃんの念威繰者としての実力は、間違いなくツェルニ最強だよな?」
「・・・・。ああ。あれだけの能力を普段から使っていてくれれば、なんの文句もないくらいには」
普段、やる気が全く存在しないフェリの行動に、色々と思うところがあるのだろうが、今はそれに関わってしまっては話が前に進まない。
関わったら面倒だというのもあるが、兎に角進めることにする。
「でだ。そのツェルニ最強の念威繰者の側にナルキが居るんだぜ?」
「それは分かるが」
歯切れが悪いのは、ナルキの実力を正当に評価しているからだろう。
幼生体戦で確認出来たように、攻撃力だけならば既にツェルニでもかなり上位である。
そして、防御力に関しても金剛剄を体得している以上、相当優秀である。
更に、鋼糸による感覚の補助と警戒、移動補助などと言う便利な機能まで持っている。
はっきり言って、小隊員でないことが不思議なくらいに、非常に優秀な武芸者である。
そして何よりも、レイフォンに一年にわたり訓練されているのだ。
格上の相手だったとしても瞬殺されると言う事は、あまり考えられない。
それこそレイフォン並の実力者がいきなり現れて、あの二人を襲うなどと言う事でもなければ、フェリは確実に異変が起こったことをシャーニッド達に知らせているのだ。
だと言うのに今回、ノイズ一つ無くいきなりフェリとの接続が断たれた。
何が起こったかは全く不明だが、全く未知の武芸者の攻撃と言う事は殆ど考えられない。
「つまり、レイフォン並の強者なら、俺達が急いだところで全く無意味だし、そうでないならばナルキがきちんと対応しているだろうから、あまり焦らなくて良い」
「う、うむ。確かにそうだな」
行動が先行しがちなのは、やはりニーナの本質なのだと改めて理解した。
シャーニッドが言った程度のことは冷静になればニーナだって分かるはずである。
冷静になって考えるよりも先に、行動してしまう人間に必要なのは、やはりウォリアスのような、悪巧みの出来る人間だ。
あるいは、一歩引いたところから観察できるシャーニッド。
ならば、隊長さんの足りないところを補うために、もう少しだけ頑張ってみるかと、ほんの少しだけ前向きに考えることにした。
ディンが自分で蹴りを付けた以上、シャーニッドももう少しだけ前向きに行動を起こしても良いはずだから。
「その歩き方は、隊長とシャーニッド先輩ですね」
「おう。レイフォンか? 今どこにいる?」
そう決意した瞬間、すぐ側からレイフォンの声が聞こえたので、あちこちに視線を飛ばしてみたが、生憎と狭い通路上に後輩の姿を発見することは出来なかった。
もしかしたら、角を一つ曲がったところにいるのかも知れない。
足音で誰なのかを予測しているそぶりからして、あながち間違っていないのだろうと思っていると、何か違和感を感じた。
シャーニッドの身体のすぐ外側に、微弱な剄の波を感じるのだ。
そして、唐突にそれは見えた。
「ってをい! 俺達を殺す気かお前は!!」
そう。ニーナとシャーニッドの体の周りを、まさに蜘蛛の巣のような密度でおおっている、微かに耀く、細い糸の集団が見えたのだ。
それはもう間違いなく、レイフォンの使う鋼糸の群れであり、あの幼生体を虐殺してのけるという、物騒な代物だ。
「大丈夫ですよ。二人の周りを取り囲んで怪我とかしていないか確認しているだけですから」
「いやいやいや。それってもっと簡単にできるだろう? 足音の響き方とか声とかでさ」
何しろ相手はレイフォンである。
こちらが思っても見なかったことを平然とやってのける、異常者と思えるほどの器用さを持った人間である。
まあ、だからこそ殺す気など無いのだと言うことは理解している。
理解はしているのだが。
「レイフォン! フェリのことが心配だ。先行して確認してくれ」
そんな漫才を見なかったことにしたのか、割と真っ当な指示をニーナが出す。
だが、残念なことにその指示に意味はないのだ。
「鋼糸を先行させました。フェリ先輩とナルキ以外に大きな生き物は居ないみたいです」
そう。レイフォンの鋼糸は十キルメル以上平然と伸びるのだ。
シャーニッド達を捉えたと言う事は、既にその先へと進んでいて当然だし、あのレイフォンが落ち着いている以上、誰かと戦闘になっていると言う事も無い。
そんな会話をしている途中で、レイフォン本人がシャーニッドの視界に現れた。
そして驚いたことに、鋼糸を操っている以外に何か剄を使っている気配がなかった。
いや。レイフォンほどの達人だったらシャーニッドごときに探られるような使い方はしていないのかも知れないが、それでもその歩く姿は全く普通通りでありすぎた。
「お前、見えているのか?」
「へ? 見えていませんよ。ただ、行きの時の歩幅と歩数を正確にたどっているだけで」
「「・・・・・・・・・・・・」」
そちらの方が凄いと思うのだが、どうやらレイフォンにとってこの手の芸当はそれ程珍しいことではないようだ。
一体どれだけの特殊技能を持っているのか、一度ゆっくりと聞き出してみたいと思う。
「それよりも、入り口が見えました。一緒に上げますか?」
「・・・。いや。念のためにレイフォンだけ先に上がってくれ。万が一の戦闘になった場合、私達が居たのでは足手まといだ」
「分かりました」
ニーナの指示を聞いたレイフォンは、次の瞬間猛烈な速度で上昇を始めた。
その異動先を視線で追ってみると、確かに外の灯りが微かに見える。
「何処まで化け物なのか、本当に疑問の限りだな」
「・・。ああ。だが、私達はなんとしてもレイフォンに近付かなければならない」
「気が重いねぇ」
ニーナがやると言ったら、それは並大抵の決意ではない。
そしてそれに付き合わされるのは、当然シャーニッドだ。
ツェルニ最強の念威繰者であるフェリは除外だし、当然レイフォン本人も除外だ。
となれば、消去法でシャーニッドしか居ないのだ。
気が重くなっても、全くもって文句を言われる筋合いはない。
内心でそんな事を考えつつ、降りる時に使ったワイヤーグリップを掴んだ。
電動モーターで上がるのは少々時間がかかるが、他の選択肢は存在していない。
ニーナにもグリップを掴ませて、何か異常事態が起こっているらしい地上へと向かうことにした。