機関清掃のバイトを終えたニーナは、寮へと帰る道には付かずにそのまま外縁部へと向かった。
これが初めてという訳ではない。
レイフォンに手も足も出ずに負けてから、度々こんな事をやって来た。
だが、対抗試合でシンに負けてからこちら、殆ど毎日外縁部での訓練を自らに課してきた。
全てはツェルニを守るため。
何故かレイフォンと機関部で会うことが少なくなっているが、それも今はどうでも良いことだ。
外の荒涼とした世界を見ることが出来る、ある意味世界の最も外側に立ったニーナは、バックから錬金鋼を取り出して復元。
基本となる形を始め、攻撃と防御の形を、延々と繰り返す。
全ての動作は既に完成されている。
それを繰り返すことで何が変わるか全く分からないが、それでもほんの少しだけでも強くなれるのだったら、やる価値は十分にある。
そう信じて双鉄鞭を振り続ける。
「はあはあはあはあ」
剄息が乱れて、思うように剄を練ることが出来ないが、それでもなんとか身体を動かし続ける。
だが、いくら活剄で補っているとは言え、休息を取っていない身体は限界に近付いているのも確かだ。
始めてまだ十分ほどしか経っていないというのに、既に足が震えて満足に立つことが出来なくなってきている。
「私は、負ける訳にはいかないんだ」
そう呟いたが、剄息が乱れている身体はもう、殆ど言う事を聞かない。
双鉄鞭が手から滑り落ち、身体が地面に向かって倒れる。
そのまま風になぶられるまま横たわる。
鼓動はもはや外界の音を全て打ち消すほど激しく、呼吸すれども全く酸素が身体に回らない。
レイフォンのようになりたいとは言わない。
他の全てを捨ててあれだけの強さを得たと分かるから、そこまでの力を望んではいないのだ。
だが、目標としては十分だ。
卑怯な手を使われてウォリアスに一敗を喫しているとは言え、ニーナやゴルネオ、ヴァンゼの攻撃を全く寄せ付けないレイフォンの強さにあこがれている自分を認識している。
だからこその鍛錬なのだ。
だが、いくらやっても差が縮まったとは思えない。
それでも続けるのは、ツェルニが笑ってくれるからだ。
今日も中心部から逃げ出したツェルニが、ニーナに会いに来てくれた。
そして笑ってくれたのだ。
ツェルニがあの姿でなければ、きっとニーナは今のような心境には、なれなかっただろう。
それは恐らく間違いない。
そんな心の狭いことも認識しているが、それでもニーナは鍛錬を続けるしかないのだ。
洗面器を頭の上に乗せての鍛錬も試してみた。
開始二秒で殆どの水がこぼれてしまった。
何度試してもほんの数秒しか持ちこたえることが出来ない。
と言う事で、洗面器を使った鍛錬は現在中止している。
困った時には基本に立ち返る物だ。
だからニーナは基本中の基本である形の鍛錬を続けている。
きっと明日にはもっと強くなっていると信じて。
「よし! ?」
呼吸が落ち着いてきたのを確認して、そして立ち上がろうとしたまさにその瞬間。
何かが首筋に触れた。
そしてその何かは、抵抗なくニーナを持ち上げ始めた。
「な、なに!」
驚愕して暴れてみるが、錬金鋼はまだ掴んでいなかった上に、首を捕まれて持ち上げられているために、攻撃が全く届かない。
混乱して嫌な想像が頭をよぎった。
「誰が何をやっているのかと思えば」
暴漢かと一瞬だけ恐怖に身がすくんだ次の瞬間、良く知った声がすぐ後ろからかけられた。
第五小隊員のオスカーだ。
何故こんなところにいるのか非常に疑問だが、それでも少しだけ安心出来た。
そして自己嫌悪に陥ってしまった。
暴漢に襲われたと思った瞬間、恐怖に身体が硬直してしまった。
そしてオスカーだと知って安心して力が抜けてしまった。
小隊長を勤めるほどの武芸者であるはずの、ニーナがだ。
そんなにニーナは弱くないはずなのに。
「このところ外縁部で変な剄の波動がすると思って見に来てみれば、アントーク君が無駄な努力をしていたとはね」
「む、無駄!」
だが、そんな思考もオスカーの台詞で吹き飛んでしまった。
一気に活剄を爆発させ、身体を捻り拘束から離れる。
地面に落ちていた双鉄鞭を拾い上げて構える。
努力を無駄と言われて落ち着いていられるほど、ニーナは穏やかではないのだ。
「ほう? その身体でまだ動けるとは驚いたが、そこまでにしておいた方が良いな」
武器を向けられているにもかかわらず、全く動じることのないオスカーを今夜始めて視界に納めて、そしてニーナはいきなり硬直してしまった。
白衣だったのだ。
いや。コック姿だったのだ。
当然剣帯などしているはずもなく、錬金鋼も持っている気配はない。
だが、それでもオスカーは分厚い壁としてニーナの前に立ちはだかっているのだ。
そしてその壁は、ゆっくりと拳を持ち上げた。
「どうしたね? 私の言ったことが気にくわないのならば、その錬金鋼で反論してみたらどうだね?」
「っく!」
無駄という言葉に反応して思わず構えてしまったが、相手はオスカーだ。
人望も実力もゴルネオに劣る訳ではなく、後輩を育成することの方が重要だと判断したからこそ、小隊長を譲った人物だ。
前回の汚染獣戦でも、ほぼ単独で十二体を倒している。
はっきり言って格上の人物だ。
勝てる見込みはないが、それでも無駄と言われたことには甚だ怒りを覚えている。
「良いのですか? 私は武器を持っていますが?」
「言ったはずだよ。無駄な努力だと。無駄なことをしている時点で私の敵ではないよ」
余裕だ。
それに引き替え、確かにニーナの体調は万全だとは言えない
だが、それがなんだというのだという気持ちも有る。
だからニーナは、活剄を最大限に動員して双鉄鞭を胸の前でクロスさせた。
突進しつつ振り抜くことで、最大限の攻撃力を発揮するために。
「無駄だと言ったはずだよ」
ニーナの状況が分かっているはずだというのに、全く動じることなく緩やかに構えるオスカーをしっかりと見据える。
そして次の瞬間、ため込んだ剄を爆発させて突進した。
「無駄だと言っているのだよ」
同じ台詞を続けて使って疲れたといった口調のオスカーが、微かに横にそれた。
当然、全力で突進したニーナの攻撃は掠りもせずに無駄に終わった。
だが、避けられることは予測済みだ。
足を踏ん張り急制動をかけて、身体を回転させて第二撃を放とうとした。
そして見たのは、オスカーの右手人差し指が鼻先に押し当てられるという物だった。
思わず絶句して硬直する。
「兎に角、寝ていなさい」
「っが!」
右手人差し指に気を取られたニーナの鳩尾に、凄まじく重い一撃が打ち込まれた。
オスカーの踏み込みによって、大地が揺れニーナの身体が軽々と空中に持ち上げられる。
双鉄鞭が手から零れ落ちるのを、何処か他人事のように思いつつ、ニーナの意識は吹き飛んでしまった。
次に目覚めたのは、なにやら掃除の真っ最中のことだった。
五人が組織的に動き回り、無駄なく的確にそして何よりも迅速に掃除が行われている。
それは、完成された何かだった。
その中心にいるのは、当然のようにオスカーだ。
コックの姿は先ほどと同じだが、その視線だけは試合に臨む武芸者のそれだった。
本人もモップを動かしつつ周りの状況を的確に把握し、新人らしい女生徒に指示を与えている。
そのオスカーの視線がふと動いて、ニーナを捉える。
「目が覚めたかね?」
「・・・・。ええ。まだ立てるとは思えませんが」
珍しく嫌みっぽくなってしまった。
本来のニーナからすればかなり異常な対応だが、それでも態度を改めようとは思わない。
それだけのことをオスカーはニーナに向かってやったのだ。
「ふう。もう暫くそこで横になっていると良い」
嫌みが通じたのか通じないのか、軽く溜息をつきつつも掃除の作業に戻る。
ニーナが今寝かされているのは、どうやら休憩用のベンチらしい。
ここに休憩用のベンチがあることは十分に異常だが、そのベンチ自体が路面電車の駅にある物だというのもかなり異常だ。
もしかして無断で持ってきた物かとも思ったが、オスカーの性格を考えるとそれはあり得ない。
廃棄処分になるのをもらってきたのだろう事は予測できたが、ニーナが寝ていない時は何に使われているのかが少々疑問だ。
やや変な方向に思考が走っている間に、掃除はあらかた終わったようだ。
目の前にオスカーがしゃがみ込む。
「気が付いているかね?」
「何にですか?」
全く要領を得ない会話に少し疲れてしまった。
身体が疲れているのは知っていたが、今は精神的な疲労の方が重要だ。
「さっきの勝負だが、普通ならアントーク君の圧勝だったのだよ」
「!」
外縁部での戦いを思い出してみる。
打撃力だけならばヴァンゼさえ上回ると言われるオスカーだが、防御や回避はそれほど上手くなかったはずだ。
だと言うのに、ニーナの攻撃は全く掠りもしなかった。
今から思えば十分におかしな事態だ。
「無駄だといった意味が分かりかけてきたかね?」
ゆっくりと問われた。
そして理解してしまった。
ニーナは自分が思っていた以上に疲労して、本来持っている力さえ発揮出来ない状況なのだと。
ここまで言われてやっと気が付く自分に、自己嫌悪を覚えた。
「さて。では本題だ」
これからが本題だとオスカーは言う。
効果的な鍛錬の方法を教えてくれるのかと思ったのだが。
「君は第十四小隊に残るべきだった」
「っな!」
思いもかけなかったことを言われて、何度目か分からない硬直を起こしてしまった。
第十四小隊に残るべきだった。
それはつまり、隊長として失格だと突きつけられたのだ。
ニーナ自身が未熟なのは知っているが、それでもそれを克服しようと努力し続けているというのに、失格だと突きつけられたのだ。
その事実にすぐに反応することが出来ない。
それを予測しているらしいオスカーが一呼吸おいて、そして訪ねてきた。
「組織の指導者として最もやっていけないことは何だと思うかね?」
「信頼を裏切ることです!」
まだ思考は混乱のさなかだが、それでもニーナは信じるべき答えを返した。
だが、オスカーは微かに首を横に振った。
「アニー。それを処理しておいてくれないか」
「ほい」
突如後ろを向いたオスカーが、近くにいた男子生徒に向かって指示を出した。
それを聞いたアニーと呼ばれた男性は、立てかけてあったモップを手に持ち、保管庫らしい方向へと歩き出そうとしたところで、軽く手を振って止めるオスカー。
何かをニーナに伝えたいようだが、まだそれが何かは分からない。
「彼の行動は正しいと思うかね?」
「・・・・・。恐らく正しいと思います」
掃除はあらかた終わっている。
ならば、掃除道具を保管庫へ戻すのは当然の行動だ。
無造作に立てかけてあった以上、この後使うという確率は極めて低い。
「もしかしたら、それとは今燻製釜から出てきたソーセージを、処理とは冷蔵庫に入れておいてくれという意味かも知れないが」
言われて指し示された方向を見れば、確かに出来上がったばかりのソーセージが台車に乗せられて呆然と佇んでいる。
それを冷蔵庫に入れろという指示にも聞こえる。
どちらが正しいのか、ニーナには分からない。
ここで働いている人間になら分かるだろうが、それもある程度以上一緒に仕事をしてきたからだ。
そして、何となくだが理解出来てきた。
「曖昧な指示を出してはいけないのだよ」
そう言いつつ、アニーに改めてモップを片付けてくれるようにと頼むオスカー。
それを実行するのを眺めていたが、視線がニーナに戻ってきた。
「指揮官とは効率よく作業を進めるために存在しているのだよ」
それは理解している。
武芸大会や戦争で指揮系統を破壊するのは、統制された戦闘を妨害する最も基本的な戦術だからだ。
そこまでは分かる。
「隊長であると言う事は、一人の武芸者である前に集団を運用すると言う事なのだよ」
「それは」
オスカーの言う事に間違いはない。
ここまでは理解出来た。
それでも本来の話に直接関係ないと思う。
ニーナが疑問を持っていることを確かめるように、一呼吸をおいたオスカーが口を開いた。
「隊長とはどういう職業か学ぶ前に、十四小隊から出てしまったね」
「・・・・・・・」
オスカーが言った、第十四小隊に残るべきだったというのは、そう言う意味なのだとここでやっと理解出来た。
勉強不足だと言いたかったのであって、隊長失格だとは言っていないのだと。
そして思い返してみる。
ニーナ自身は第十七小隊員に具体的な指示を出していたのだろうかと。
出すこともあったが、出さないことも多かった。
上手く行かない現実に歯がみしつつ、怒り狂ってしまったことも一度や二度ではない。
「指揮官であるのならば、個人としての武技の腕はそれ程必要ではないのだよ」
更に言葉が続く。
その一言一言は、穏やかなオスカーの表情とは裏腹に、その拳以上の重さを持っていた。
そして理解してしまっていた。
今ニーナがやらなければならなかったのは、外縁部での鍛錬ではなかったのだ。
「アルセイフ君のようになりたいかね?」
「・・・・・。いえ」
レイフォンと戦った直後だったのならば、きっとなりたいと即答していただろう。
だが今は違う。
レイフォンは異常なのだと言うことは理解しているのだ。
一度見た技をそのまま再現出来てしまう能力もそうだし、ニーナの行動を先読みしてしまう能力もそうだ。
錬金鋼無しで化錬剄を使って火を作り出せるなどと言うのは、はっきり言って非常識の極みだ。
常識という頸木から外れすぎているのだ。
「そうだね。天才は模倣の対象にはならないし、目標としても恐らくいけないのだよ」
深く頷き同意するオスカー。
そして次に出てきたのは、あまりにも恐ろしい台詞だった。
「君は、部下が死んで行くのを見届けることが出来るかね?」
「!! そんな事はさせません!」
まだ重い身体に鞭を打って、一気に起き上がる。
一瞬、目の前が暗くなったがそれを気合いで克服する。
「見殺しにすることなど」
「見届ける」
ニーナの台詞に重ねられたそれは、明らかに違っていた。
見殺しにするとは言っていないのは確かだが、それでも部下が死んで行くのを黙って見ていることなど出来はしない。
そうさせないために指揮官がいるのだ。
反論しようとしたが、オスカーの方が速かった。
「戦えば犠牲が出ることは当然だよ。そしてそれを無駄にしないためにも、効率よく部隊を運営して目的を達成しなければならない」
「それでも、私が犠牲など出させはしません!」
そう言いきったニーナをじっと見詰めるオスカーの瞳は、酷く複雑な計算をしているようにころころと表情を変えて行く。
そして落ち着いた。
「今日中に一つの命令が君に下りる」
「命令ですか」
「生徒会長からのね」
それをどうして知っているのか予測出来ないが、何かが起こっていることは分かった。
そしてそれにオスカーが絡んでいることと、もしかしたらニーナもそれに巻き込まれていることも。
とは言え、何が起こっているのかまでは分からなかったし、どんな命令かも分からなかった。
だが、犠牲が出ると言ったオスカーの問いから、おおよそ推測することは出来る。
汚染獣が近付いているのだと。
そして、命令とはレイフォンの事だと。
「レイフォンは私の部下です!」
「それを保証しているのは生徒会長と武芸長だよ」
冷たく突き放された。
確かに、生徒会長と武芸長ならばレイフォンを、ニーナの指揮下から外すことは出来る。
当然納得出来るものでは無いが。
「今の君では十分な指揮を執ることが出来ないからね」
「やってみなければ分かりません!」
「指揮官とは何かも知らないのにかね?」
「!!」
言われて返せなかった。
自分が強くなればいいと考えて暴走してしまったこともそうだし、的確で明確な指示を出せなかったこともそうだ。
今のニーナは恐らく小隊長としては最も無能なのだろうと思う。
今更それに気が付かされた。
前回の汚染獣戦では、レイフォンが単独行動を取った事に酷く苛立っていた。
それは危険な戦闘を一人で行ったからだったが、もしかしたらもっと醜い心の動きがあったのかも知れない。
レイフォンに対する嫉妬とか、自分の思い通りにならない現実に対する苛立ちとか。
それを差し引いても、潔くない自分を見詰めてしまった。
そしてもう一つ思い出したことがある。
「汚染獣戦に関する特別措置法」
「そうだ」
汚染獣特措法とは簡単に言ってしまえば、武芸大会を意識している小隊編成を一時的に解体して、迫り来る汚染獣に対して迎撃態勢を取る、そのために作られた制度だ。
ここ十年以上発令されたことがないが、それでも制度は残っている。
当然その中には、生徒会長命令で小隊員を選抜して、汚染獣との戦闘に出撃させるという内容もある。
そして今回選抜されたのがレイフォンだったのだ。
指揮官として現在失格なニーナを放り出して。
「汚染獣にツェルニが接近している危険性がある」
「ツェルニが接近ですか?」
汚染獣から逃げることが大前提である自律型移動都市が、迫っているという異常事態を前に、ニーナは一瞬色々な思考が停止してしまった。
内容がきちんと理解出来るように時間をおいてから、オスカーが続ける。
「脱皮する時に仮死状態になることがあるそうでね。今回はそれではないかとアルセイフ君が言っているよ」
レイフォンの戦闘経験は凄まじい。
普通の武芸者は十回汚染獣と戦えば多い方だというのに、五十回以上の戦いを経験している。
その経験から出てきた予測ならば、それなり以上の信憑性がある。
「無論、本当に死体かも知れないが、念のために準備を整える必要がある」
万が一に備えると言う事は、残りの九千九百九十九は無駄に終わると言う事だ。
だが、万に一つの確率でも汚染獣と遭遇するのならば、出来る限りの準備を整えなければならない。
カリアンやヴァンゼの判断は正しいと思う。
「今まで君に声をかけなかったのは、目的を達成出来ないことが予測出来ていたからだが」
そこで小さく溜息をつく。
さっきの死を見届けるという質問は、ここに絡んでいたのだと今更ながら理解した。
そして、あれが最後のチャンスだったのだと。
それでも、犠牲の上に立って平然としていることはとてもニーナには出来ない。
だが、オスカーから発せられたのは、また脈絡のない話題だった。
「今日、午前の特別カリキュラムは知っているね?」
「午前最後に突然入った奴ですよね」
昨日の午後に突然おかしなカリキュラムが入り込んできた。
突然入ってくること自体が既に異常だが、参加者が更に尋常ではなかった。
武芸科の小隊員だけが参加者なのだ。
何か重要なことを伝えたいと企画されたのだろう事は予測していたが、誰がそれを望んだのかは分かってしまった。
脈絡がないように見えて、オスカーの話はそれなりには一貫しているのだ。
「レイフォンですか」
「自分が帰らなくても、最低限の戦力強化をしたいと言ってね」
死ぬつもりなのかも知れないと一瞬思ったが、それは違うだろうと言うことはすぐに分かった。
メイシェンを心配させたくないからと、あれだけの才能を放り出して戦いから遠ざかろうとしたレイフォンが、始めから死を覚悟しているとは思えなかったからだ。
ならばこれは、本当に念のための措置なのだという事が分かる。
「外で戦う時には、命を都市に残して行くことにしているそうだよ」
「それは」
実戦などこの間の一回だけだ。
外での戦闘がどう言う物か話には聞いているが、実体験として全く理解していない。
恐らく、レイフォンの言うことの方が正しいのだろうと思うのだが。
だが、やはり納得は出来ない。
納得出来ないが、今のニーナに何か出来るわけではない。
それでも、何もしないと言う事が出来るわけがないのだ。
「しかし! 私達は都市を守るために存在しているのです! 一人だけに危険を押しつけて安全な都市の中にいるなど!」
「黙れ!」
突如として、それまで穏和だったオスカーの表情が激情に支配された。
それは怒りであり、憎しみであり、そして憎悪だった。
おもわず身体が強ばって呼吸が止まった。
「無力なんだよ! 私達は弱いんだよ!」
その激情のまま、剄が放出されニーナの髪をなびかせる。
ただ、剄が活動を激しくしただけでこんなことが出来るなどとは、今まで知らなかった。
「頼るしか無いんだよ我々は! 武芸大会も汚染獣戦も弱い私達では役に立たないんだよ! アルセイフ君の足手まといにならないように遠くで小さくなっているしかないんだよ!」
怒りも憎しみも憎悪も、全て弱いオスカー自身に向けられていることが分かった。
普段穏和なだけに、オスカーの中にそれだけの感情が潜んでいることを初めて知ることが出来た。
内に秘めているだけに、その激しさは恐らくニーナの比ではないだろう。
「分かるかニーナ・アントーク! 私達が弱いから武芸大会で負けたのだ! 幼生体でさえアルセイフ君がいなければツェルニは滅んでいたんだ!」
「!!」
その一言で理解した。
前回の汚染獣戦は、レイフォンによって勝たせてもらったのだと。
本当ならば、ニーナ達は負けて食われていたのだと。
「そしてそれは私達、上級生の責任なんだよ! 弱い武芸者しか育てられなかった! 私達上級生の失敗のつけをアルセイフ君に押しつけているんだよ!」
理解してしまった。
レイフォンが戦いに出ることに最も憤りを覚えているのは、目の前にいるオスカーと武芸長であるヴァンゼだと。
本当ならば、上級生であるはずの彼らが戦いに出なければならないのに、勝てないどころか足手まといになるからレイフォンに任せるしかないのだと。
そして前回の武芸大会。
完膚無きまでに叩きのめされたツェルニ武芸者を、何とか鼓舞して鍛錬を続けさせ、そして目前に迫った武芸大会のために準備をしているのだと。
思い返せばおかしな話だった。
ツェルニに残された鉱山はあと一つ。
この状況ならば、下級生からもっと大量の脱落者が出てもおかしくなかった。
ニーナ自身は諦めるという選択肢を持っていなかったが、同級生達の中には不安がる武芸者が多かった。
だが、その不安の声も何時の間にか消えていた。
いや。オスカーやヴァンゼ、敗北直後から武芸科で責任有る立場にあった者達が何とか消し止めて崩壊を防いだのだ。
今までそんなことにさえ気が付かなかったニーナの目の前で、オスカーの右手が挙がり顔を覆う。
そして大きく一つ深呼吸をした後に手が離れると、そこには何時もの表情のオスカーが戻ってきていた。
「済まなかったね。少々取り乱してしまった」
「い、いえ」
どれだけの重圧がヴァンゼとオスカーにかかっているのか、それがほんの少しだけ分かった。
指揮官という責任者がどうあるべきか、ほんの少しだけ理解することも出来たと思う。
「取り敢えず、アルセイフ君の講義があるまで、そこで寝ていなさい」
ついさっきまでの激情が嘘のように、平常心を取り戻したオスカーが、コック姿のまま外へと出て行くのを眺めつつ、ニーナは考え込んでしまった。
恐らく、一人の武芸者としてそれなりの強さを持っているとは思うのだが、そんな物はこれからレイフォンが向かう戦場では、全く無意味なのだろうと思う。
だからと言って、指揮官として役に立たないことは理解してしまった。
だが、作戦を考える参謀としてはどうだろう?
「・・・・・・・」
駄目だと言う事がすぐに分かった。
あのレイフォンから勝利を勝ち取ったウォリアスがいる。
頭脳戦で彼に勝つことが出来なければ、参謀としても役に立たない。
そして思い知らされた。
今までやって来た自己鍛錬が本当に無意味だったのだと。
もしかしたら、無意味だと言う事が分かったことこそが、今までの鍛錬で得られた成果なのかも知れない。
警告。
次回の復活の時は、グロテスクな内容となっています。
食前食後に読むと少々消化に悪いかも知れません。
出来るならば、食間に読む事をおすすめします。