奇っ怪なニーナの行動に驚いたのも束の間、レイフォンはなにやらフェリに拉致されていた。
歩く度に何時もと違った音を立てる、剣帯に吊された錬金鋼の事が気にはなっているのだが、それを突っ込んで調べるとか考えるとか言う事が、全く出来ない状況に陥ってしまっているのだ。
シャーニッドが銃衝術を使う事も少し驚きだったのだが、そちらも考える時間は当分なさそうだ。
そう。フェリに連れ去られているのだ。
別段力尽くという訳ではないのだが、どうしてか逃げるという選択肢が浮かんでこなかった。
怖いというのは多分正解なのだろうが、それが何に由来するのか全く分からない以上、迂闊な行動は死を意味しかねない。
と言う事で、おとなしくフェリの後について歩いている。
「フォンフォン」
「うわ。それ本決まりですか?」
突如としてフェリから呼びかけられたのは、幼生体戦直後に有耶無耶の内に決まってしまった愛称だ。
珍獣のようなその名前は出来れば遠慮したいのだが、フェリが考え直してくれると考えることは非常に少ない確率でしかあり得ない。
「嫌なのですか?」
「出来れば違うのが良いかなっと」
強硬に反対しても良いのだが、それはきっとろくな結果に結びつかないと、ヨルテムからこちらの経験と本能が告げている。
ならば、控えめな反対こそが最も取るべき選択肢であるように思えた。
その判断は正しかったようで、小首をかしげつつほんの数秒考え込んだフェリの唇が開く。
「では」
「はい」
「レイレイ」
「・・・・・。大逆転ですね」
フォンフォンも大逆転的な発想だったが、これは更に大逆転的な発想だと言えるだろう。
だが、まだフォンフォンよりは増しかも知れないと思っている間に、話は進んでしまう。
「レイちゃん、レイ君、レイッチ、レイタン、レイチン」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「フォンチャン、フォンクン、フォンッチ、フォンタン」
なにやらとんでもない方向に話が進んでいるように見えるのだが、フェリは既に自閉モードと呼べる状況で、とてもレイフォンの話など聞いている様子はない。
それ以前に、相当恥ずかしいことになっていると思うのだが気のせいだろうか?
そんな事を思った次の瞬間、フェリの表情が非常に不機嫌な物となっていた。
普段無表情なだけに、この変化はあまりにも鮮烈にレイフォンの心に残ったのだが。
「え?」
その激しい変化のために、全く状況に付いて行けないレイフォンが間抜けな声を出していると、更に険しい表情へと変わって行く。
そしていきなり蹴りがやってきた。
戦闘態勢が全く取れていなかったために、もろに脛に一撃を食らってしまった。
その場で飛び跳ねつつ痛みが引く時間を稼ぎつつ、フェリに向かって抗議の声を上げる。
「な、なにを!」
「これほどの侮辱を受けたのは初めてです」
「ぶ、侮辱ですか?」
いきなりそう言われても反応に困ってしまう。
なぜレイフォンが蹴られなければならないのか、さっぱり分からないのだ。
「これだけの恥を私にかかせるとは、貴男は鬼畜ですね」
「・・・・。あの先輩?」
「なんですか?」
「先輩が一人で盛り上がっていただけだと思うのですけれど?」
「・・・・・・・・・・・・・。そうかもしれませんね」
どう考えてもフェリが勝手に盛り上がって、自滅してしまったように見えるのだが本人的には違うのかも知れない。
もしかしたら、これもウォリアスが言っていたフィルターを通して世界を見るということなのかも知れないと思いつつ、少しだけ妥協をしてみることにした。
「できれば、フォンフォンかレイレイでお願いします」
「・・・・・。我が儘ですね」
「嘘! 僕が我が儘なんですか?」
「始めからそう言っていれば私は恥ずかしい思いをしないで済んだのです。これを我が儘と言わずしてなんと言うのですか?」
どうも、フェリの常識とレイフォンの常識には決定的な違いがあるようだ。
それを知ることが出来ただけでも収穫だったと思えばいいのか、それともこんな人間しか周りにいない不幸を呪えばいいのか。
非常に判断に苦しむところではあるのだが、その困惑も既に終わりを迎えようとしている。
「あ! では僕はこっちですから」
帰宅のための分かれ道だ。
ここで別れれば、明日の訓練までひとまず平穏な生活を送ることが出来る。
今日はバイトのない日だからニーナの精神攻撃を受ける事もないだろうし、一人部屋なので誰かに引っかき回されるという危険性も少ない。
明日の授業中が平穏であるという保証は、何処にもないけれど。
「・・・・・・」
「え?」
だが、歩き出そうとしたレイフォンの足が止まったのは、フェリの猛烈な視線を背中に感じたからだった。
もし、ここで予定通りの行動をしたのならば、カリアンへの復讐として提案した事柄が、若干アレンジされてレイフォンに向かって実行されることだろうと確信出来る。
それ程までに恐ろしい視線だった。
「用件が済んでいません」
「ああ。そう言えば、呼ばれただけで話が進んでいなかったですね」
よく考えるまでもなく、フォンフォント呼ばれただけで愛称の変更へと話題がそれ、そのまま分かれ道まで来てしまっていたのだ。
これは流石に問題が有ると判断出来てしまう。
「兄が内密な用事があるから、部屋に来て欲しいそうです」
「会長の用事ですか?」
カリアンがツェルニを救いたいと思っていることは十分に理解しているし、その思いには共感出来るところもあるのは間違いないのだが、いかんせんあの腹黒さはレイフォンにはきついのだ。
しかも内密な用事となれば、祭りのために協力しろと言うような気軽な内容ではないだろう事は疑いない。
「愛の告白ですね」
「・・・・・・。ヨルテムに帰らせて頂きます」
「冗談です」
思わず本当に荷物をまとめようとしてしまったほど、それはあまりにも恐ろしい光景だった。
万が一にでもあったら、ツェルニを破壊してでも逃げ出さなければならないと思うほどには。
「内容は知りませんが、食材を買ってから帰りますので付き合って下さい」
「? 何でフェリ先輩が食材を買うんですか?」
「部屋には材料が何もないからです」
全く意味不明だったのは一瞬。
カリアンとフェリは兄妹である。
ならば一緒に住んでいても何ら不思議はない。
食材がないというのも、偶然前回の料理で使い切ってしまっただけなのだろうと判断出来る。
何ら不思議はないので、フェリに促されるがまま買い物に付き合うことにした。
だが、現実はレイフォンに安息の時間を与えると言う事はしないようだ。
「あの。先輩?」
「なんですか?」
そしてすぐにまた疑問がレイフォンを支配した。
あまりにも買い込んだ食材が多すぎるのだ。
料理は出来るが、量の計算が殆ど出来ないレイフォンから見ても、二人分としては多すぎる量なのだが、すぐに仮説を立てることが出来た。
きっとまとめて作っておくのだと。
これならば多すぎるように見える買い物も、それ程驚愕するほどではない。
二人で食べるのならば、おおよそ四日分と言ったところだろうか。
会計を済ませて、巨大化した荷物と共にフェリ達の住む寮を目の当たりにしたレイフォンは、今日何度目か分からない驚愕に支配されてしまった。
明らかにレイフォンの住んでいる寮と比べることが出来ないほど、その建物は立派で大きかったのだ。
自動扉を抜けた先にあるロビーは、グレンダンの王宮に匹敵するのではないかと思えるほど豪華で、思わず後ずさりたくなってしまったほどだ。
「何をやっているのですか? ぐずぐずしないで下さい」
「あ。はい」
フェリに促されなければ、きっと回れ右をしていたに違いない。
それ程に豪華絢爛に見えたのだ。
そして、自動昇降機に乗り、ロス家の扉を抜けたところで貧富の差をまざまざと見せつけられた。
二人部屋を一人で使えると喜んでいたのだが、明らかに目の前にあるのは別次元の空間だ。
扉を入ってすぐにあるリビングだけでも、間違いなく二人用の部屋よりも大きい。
いや。こういう展開はすでに予測していてしかるべきだったのだ。
明らかに建物自体立派だったのだから。
「その辺に座っていて下さい。すぐに準備しますから」
「は、はあ」
そして、部屋に入るとすぐにフェリは食材を詰め込んだ袋と共に、キッチンと思われる場所へと向かった。
もしかしたら、前回の芸で味を占めたので今回もレイフォンが料理をするかと思ったのだが、どうやら違ったようだ。
それが良いことなのかどうか非常に疑問ではあるが、取り敢えず言われた通りにソファーに座りキッチンから聞こえてくる音に耳を傾ける。
食材を冷蔵庫や保管庫に入れ終わったのだろう、キッチンナイフが何かを切る音が聞こえてきた。
だが、それは猛烈に恐ろしい音だった。
料理で何かを切る時に、上手い人間がやるとそれは一定のリズムを刻む物だ。
それを意識していれば、メイシェンが料理をしているのかリーリンがやっているのか、それともナルキかは音で判断出来るほどだ。
そしてフェリの音というのは、意識しなくても十分にそれだと認識出来る。
全くリズムを刻まずに、殆ど聞いたことはないが、雨粒が軒から落ちるよりも不規則な衝突音となっているのだ。
「こ、こわぁぁ」
それは聞いているレイフォンの方が怖くなるほどで、これは大惨事になる前に介入しなければならないと決断させるには十分だった。
そしてキッチンを覗いたレイフォンは、一瞬硬直してしまった。
「あ、あのぉぉ」
「なんですか? 気が散るので話しかけないで下さい」
鬼気迫る背中を見せるフェリが、小型のキッチンナイフを握りしめ、親の仇でも見るような視線を芋に向けている。
だが、その手は恐る恐ると芋を掴み、フルフルと震える手でもってナイフの刃を当てて行く。
そして、刃を滑らせることもなく力任せに切断されて行くのだ。
これで良く指が切れないと感心するほどに、危険極まりない切断方法だった。
「一応、一応ですがフェリ先輩」
「なんですか?」
いったん手を止めたフェリの視線がレイフォンを捉える。
その視線には恨みでもこもっているのではないかと思えるほど、鋭く冷たく光っていた。
腰が引けてしまったレイフォンだが、ここは踏ん張らなければならない。
「皮を剥いてから切った方が良いですよ」
「!!」
それを聞いたフェリの反応から、今日始めて料理をしようとしているのだと言うことを予測出来た。
何でそんな気になったのか非常に疑問ではあるが、取り敢えず今は現実に対応しなければならないことは間違いない。
結局のところレイフォンに料理を丸投げしてしまう形になったフェリは、非常に不機嫌になった。
芸と呼ぶに相応しい分身の術を使っている訳でもないのに、非常に効率よくてきぱきと作業をするレイフォンを眺めつつ、何でフェリ自身が料理などしようと思ったかという疑問も湧いて出てきていた。
本来の予定では、何処かのレストランで食事をしつつカリアンの用事とやらを済ませるはずだったのだが、今はレイフォンが張り切って料理をしている。
原因を突き詰めて行くと、どうもフェリ自身も認識していない現象が、心の奥深くで起ったという事は理解出来るが、それがなんなのか非常に疑問だ。
まあ、その辺はおいおい考えるとして、今問題にしなければならないのはカリアンから来た連絡のことだ。
「兄からです」
「これで失礼!」
逃げようとしたレイフォンの脛を蹴り飛ばす。
武芸者のくせに痛みには弱いようで、絨毯の上を悶絶しながら臑を抱えている。
冗談で愛の告白と言ったのだが、どうやらレイフォンはそれを正直に受け止めてしまっているようだ。
見ている分には面白いのだが、当事者の一人となると笑ってばかりはいられない。
「生徒会の用事で少々遅れるそうですので、暫く待っていて下さい」
「わ、分かりました」
絨毯の上で転がっているレイフォンを見下ろしつつ、どうやって暇を潰そうかと考えてしまう。
既に料理はほぼ完成していて、これ以上進めるとカリアンが帰ってくる頃には冷め切ってしまう恐れがある。
フェリだけならば本でも読んで適当に時間を潰せるのだが、流石にレイフォンがいる以上それをすることは出来ない。
逆に待つ対象がカリアンだけだったら、冷め切った料理を出しても全く心は痛まないのだが、ここでもやはりレイフォンの存在が大きく問題になってきてしまう。
冷め切った料理を出すことを、きっと良くないことだと判断するはずだからだ。
「と言う事で」
「どんな事ですか?」
「心が痛くなければ貴男のことを教えて下さい」
「? 僕のことを話して何で心が痛むんですか?」
時間を潰すために、慎重に言葉を選んだのだが、生憎と目の前の鈍感大王は全く認識していないようだ。
キョトンとした視線がフェリへと向けられている。
「グレンダンに帰れない以上、昔話はフォンフォンにとって辛い行為のはずです」
「ああ。なるほど」
やっと理解したようだが、それも表面的なことだけのようで実感は全くこもっていない。
気を遣ったフェリが非常に道化のように見えるのだが、これもレイフォンと付き合う以上避けては通れない現象なのだろうと諦める。
「そうですね。じゃあ、僕の兄弟姉妹について少しだけ」
「ええ。辛くなったら私の胸で泣いて良いですよ」
「いや。それは遠慮させて頂きます」
一瞬レイフォンの視線が、フェリの胸を凝視したように見えたのだが、きっと何かの間違いだと判断してお茶と共にソファーに向かう。
メイシェンの胸で泣いて良いと言ったら、即座に肯定したのかも知れないと思うと、かなり複雑怪奇な精神状態に陥ってしまう。
そして思い返す。
メイシェンのあれと比べたら、フェリのはかなり小さいと。
予定よりも一時間ほど遅れたが、カリアンはツェルニにおける我が家へと帰り着いた。
かなり深刻な問題を抱えているとは言え、それでも住み慣れた部屋へ帰ると少しほっとする。
だが、現状はカリアンの予測すら無視して突っ走っているようだ。
リビングに到着して、一瞬身体が硬直するほどには想像の外だった。
「でですね」
「・・・。はい」
なにやらレイフォンが紙に図を書きつつフェリに説明をしているように見える。
そしてフェリは、それを必死に記憶して理解しようと悪戦苦闘しているように見える。
念威繰者と言うのは、武芸者のために情報処理を行って、その戦闘を支援するために存在する。
当然一般人に比べて脳の処理能力は驚異的に高く、記憶能力は比べることさえ出来ないほど高い。
だと言うのに、レイフォンの話を悪戦苦闘しつつ理解しようとしているのはフェリなのだ。
これが逆の立場だったら話は全く問題無い。
あまり優秀とは言えないレイフォンに、フェリが何かを教えようと努力しているというのでも、おおよそ理解出来るし納得も出来る。
「何をやっているのだね?」
「あれ? お帰りなさい」
何故かレイフォンからしか声が返ってこない。
これも予想外の事態だ。
そして更に驚いたことに。
「兄様」
「うを!」
突如として、涙目のフェリに見詰められたのだ。
しかも、ずいぶん昔の呼び方でカリアンを呼ぶというおまけ付きでだ。
唐突な展開に付いて行けず、のけぞって姿勢を崩してしまった。
ついでではあるのだが、シスコンスイッチが入りそうになってしまったが、これは全くどうでも良いことだ。
「さあフォンフォン。食事にしましょう」
「はい。じゃあ、準備しますから少し待っていて下さいね」
そう言いつつ、なぜかエプロンを装備してキッチンへと向かうレイフォンと、脱力したように図の書かれた紙を眺めるフェリ。
ここで聞かなければ、相当先にならないと事実を知る機会がないと判断できる。
なので、最大限の防御態勢を準備してフェリに声をかける。
「フェリ」
「あれは危険すぎます」
「レイフォン君がかい?」
確かに、ツェルニ全武芸者で総攻撃をしても勝てないだろうが、人格的には極めてお人好しであり、ある意味ヘタレなレイフォンが危険であるとは思えない。
だからこそカリアンはまだ生きていられるのだが、フェリから見せられた物は想像を絶していた。
「これは?」
それは何かの一覧だった。
恐らく人名らしき物がおおよそ二十ほど書かれている。
そしてその横には、意味不明の数字がいくつか並び、そしてそのいくつかには意味不明な記号が振られている。
さらに、なにやら細かな字で色々と書かれているという、非常に奇っ怪な内容の一覧表だった。
「フォンフォンの家族構成を一覧にした物です」
「フォンフォンというのは、当然レイフォン君だよね」
レイフォンは孤児である。
そうであるならば、その家族とは同じ孤児であり、相当の人数であることは容易に想像出来る。
二十人の中には、当然のようにリーリンの名もあり、カリアンの予測が正しいことを物語っていた。
「結婚した人や亡くなった人も含めて、事細かな個人情報があの頭の中にきっちりと入っているのです」
「・・・・・」
二十人の個人情報が、事細かにレイフォンの頭の中に存在している。
だが、それだけならばフェリをこうまで消耗させることはなかったはずだ。
恐らく、カリアンが帰ってくるまでの短い時間に、二十人の十年に及ぶ人生を語られてしまったのだろう。
そうでなければフェリの今の状態は説明出来ない。
だが、疑問もある。
もう二度と会うことが出来ない家族のことを語ったならば、それは相当の苦痛を伴うはずである。
それなのにレイフォンにはそれが全く見られなかった。
どちらかというと、非常に上機嫌であるように見える。
いや。苦痛を伴うという予測自体が間違っているのかも知れないが、それでも今のレイフォンが非常に上機嫌であることだけは間違いない。
この問題に比べたのならば、人の家のキッチンで腕を振るうレイフォンなど、どうと言う事はない些細な問題である。
「ご飯出来ましたよ」
にこやかな表情で、エプロンで手を拭きつつ、レイフォンが料理を運んできた。
腕が六本有ることについては、今更突っ込む気は起こらないのでそのまま流すことに決めたカリアンは、用件は食事の後にすると宣言するに留めた。
食事が滞りなく終了したところで、カリアンが鞄の中から写真を出してきた。
今ソファーに座っているのはカリアンとレイフォンの二人だけだ。
片付けまでレイフォンにさせることには抵抗があるのか、それとも料理に比べたらハードルが低いと判断したのか、キッチンの方でフェリが洗い物をしている音が僅かに聞こえてくる。
お茶を目の前にしたレイフォンに写真を渡したカリアンの指先が、ゆっくりと表面をなぞって行く。
「前回の幼生体の襲撃で、汚染獣への警戒が不十分だと言う事に気が付かされてね。予算を割いて無人偵察機をツェルニの進行方向へ放ったのだが」
「良いことだと思いますよ」
ツェルニの戦力では、汚染獣に襲われることは極めて危険だ。
グレンダンだったら全く問題にならない前回の襲撃でさえ、ツェルニは壊滅の危機にさらされたのだ。
「でだ。最初の偵察機が持ち帰った写真がこれなんだが」
「・・・・・」
「ここに山のような物があるね」
ゆっくりと写真の表面をなぞっていたカリアンの指が止まった。
汚染物質の影響だろうが、粒子の粗い写真で非常にわかりにくいが、確かに山のような物が映っている。
そして、カリアンが指し示したのはその山の中腹付近だ。
それ以上は先入観を持たせないためだろうが、沈黙を保っている。
ゆっくりと見る方向や距離を変えて、間違いがないかを確認する。
いや。間違いであることを期待して散々見詰める。
洗い物が終わったのか、フェリが隣に座った頃合いになってから、眉間を揉みつつ写真をテーブルに放り出すようにして結論を口にした。
「ご懸念の通りかと」
「・・・。そうか」
レイフォンの見解も、残念なことにカリアンと同じだった。
だが、当然二人の会話から取り残されているフェリにはさっぱり分からないようで、放り出した写真をしげしげと眺めている。
「何なのですか?」
「汚染獣ですよ」
興味半分と言った感じで質問されたので、気楽を装って答えてみたが、当然そんな表面的なことに騙されるほどフェリは愚かではない。
驚いたように一瞬だけ硬直して、次の瞬間には必死の形相で写真を凝視する。
「山の大きさがはっきりしないのですが、どう少なく見積もっても雄性体の三期とかではないでしょうね」
「そうか」
ツェルニにある資料と照らし合わせて、既にある程度答えを得ているらしいカリアンはまだ冷静だったが、当然フェリはそうはいかない。
レイフォンに向けられている訳でもないのに、その小さな身体から凄まじい怒気が吹き出すのを感じる事が出来た。
「貴方はまた!」
「私だって、レイフォン君には武芸大会に集中して欲しいさ。だが、現状がそれを許さない。全く不本意だがね」
ついこの間幼生体と戦ったばかりだというのに、すぐにまた他の汚染獣と遭遇しようとしている。
これはもしかしたら、やはりレイフォンの誕生祝いとして世界から送られた祝いの品かも知れない。
全然嬉しくないけれど。
それよりも問題なのは、ツェルニ自身の方だ。
「一直線に向かっているんですか?」
「ああ。今のところ進路を変える兆候はない」
「死体だったら良いんですけれど」
「死体だったら何の問題も無く通り過ぎるだけだからね」
写真に写っているのが死体だったら、何の問題も無いのだが、誕生日云々は兎も角としても、危険であると判断して行動しておいた方が良い。
汚染獣は、脱皮する時に仮死状態になるらしいことは分かっている。
もしそうだったら、ツェルニが気が付かずに接近してしまっても何ら不思議はない。
そして、雄性体三期以降だった場合、ツェルニの現有戦力で対抗出来るのはレイフォンだけだ。
質量兵器を全て使いきるつもりで挑めば、あるいは勝てるかも知れないがそれは出来るだけ避けたい。
とは言え、レイフォン自身は戦いたくはないのだ。
幼生体くらいの雑魚なら兎も角として、今目の前に現れようとしているのはもっと強力な敵なのだ。
死の危険にさらされるのは天剣時代と同じだが、今レイフォンが背負っているのは孤児院の経営状態ではない。
生き残らなければならないと言う事に変わりはないが、出来るならば危険は犯したくない。
折角ダンが取りはからってくれたのだから、ヨルテムに帰って若い武芸者の育成に力を注ぎたいとも思っている。
そしてそれと同じだけ、ツェルニの武芸者にも伝えたいことが多くあるのだ。
「対策が必要ですね」
「ああ。だが、サントブルグも久しく汚染獣との戦闘が無くてね。感覚的に汚染獣の強さが分からないのだよ」
「・・・・・・。成る程」
カリアンの言葉にレイフォンは少しだけ自分の異常さを再認識してしまった。
今のようなやりとりは、グレンダンでは絶対に起こることが無かったからだ。
「今まで戦った中で一番強力だったのは」
「トリンデン君かい?」
「? 何でメイシェンが汚染獣なんですか?」
「いや。私が戦った中で一番恐ろしかったのでね」
カリアンが遠い目でそんなことを言っているのを聞きつつ、実はレイフォンは少しだけ理解してしまっていた。
前回の幼生体戦、その時にメイシェンがカリアンを睨み付け続けたという話は聞いた。
それはミィフィやリーリンの冗談だろうと思っていたのだ。
だが、カリアンの様子を見る限り、無いと言い切れなくなってしまった。
「それでですね」
取り敢えず話を元に戻す。
時間を無駄にしてはいられないのだ。
「老性六期というのとやり合ったんですが」
「勝てたのだよね?」
「ええ。僕達天剣授受者三人がかりで、三日三晩戦い続けて何とか」
ベヒモトのことは今でも良く覚えている。
今もしあんな非常識な汚染獣と遭遇してしまったらと思うと、とても生きた心地がしない。
リンテンスとサヴァリスがいないというのもあるが、何しろ天剣がない。
レイフォンの剄を受けてビクともしない、対汚染獣戦究極の錬金鋼がなければ、とても実力を発揮することは出来ないのだ。
となれば、何らかの策が必要不可欠になる。
「一人飛び入り参加させたいのですが」
「一人と言わずにもっと呼び集めて、出来るだけの準備をするとしようか」
こうして、武芸長であるヴァンゼを含めた汚染獣対策実行委員会が発足することが決定した。
細目で極悪な武芸者も当然参加予定者に名を連ねている。