現在ナルキは絶賛入院中だ。
幼生体という最弱の汚染獣と戦ったのだが、初めての実戦でテンションが上がりすぎたのか、急性の剄脈疲労を起こしてしまったのだ。
ツェルニの武芸者が全体的にナルキと同じような状況のため、当然個室など有るはずもなく、教室ほどもある部屋にベッドを置いているだけの大部屋に寝かされているのだ。
当然の事だが、大部屋に並べられたベッドには怪我人がかなりの数寝かされている。
重傷者がいるという訳ではないが、軽傷者がかなり出たし、剄脈疲労を起こした人間は結構な数に上っている。
そんな状況なので、ベッドの数が足らずに何人もの武芸者が、床に敷かれたマットレスの上で休息している。
汚染獣との戦いは、イージェとレイフォン以外の全員が初めてだったのだ。
無傷の勝利などと言う物を期待する事の方が酷という物だ。
そして、隣のベッドでは見事に金髪を立てロールにした女性も急性の剄脈疲労で寝ている。
第十小隊のダルシェナ・シェ・マテルナという四年生だと言う事は知っている。
ナルキにとって小隊員は憧れの存在ではある。
警察という仕事の都合上、自分がなる事はあまり考えないが、それでもあこがれているのだ。
そしてもう一人。
幼生体を一瞬で殲滅する破壊力の大技を使ってしまい、一撃で剄脈疲労を起こしたウォリアスが床に引かれたマットでゴロゴロしている。
寝ていると言うよりもゴロゴロしているという表現が適切に思えるのは、なぜだろうと非常に疑問が浮かんだが、ウォリアスだからとあまり突っ込まない事にした。
それよりも問題は。
「元気にしているか猿?」
「猿って言うな!」
第一小隊の戦闘区域で激戦を勝ち抜いたはずなのに、何時も通りに斜に構えたままやって来たのはイージェだ。
幼生体を十五体以上倒したその実力は、ナルキの知る武芸者の中でもかなりの物だと判断出来るのだが、なぜかイージェ自身に威厳や凄みと言った物が感じられない。
初めてあった時には感じていたはずなのだが、今は全く感じていない。
それを言うならば、普段のレイフォンも全く威厳や凄みと言った物がないので、サイハーデンの武芸者に現れやすい特色なのかも知れない。
ナルキにとって人ごとではない。
「退屈だろうからこれ持ってきてやったぞ」
そう言って放り投げられたのは、携帯用の映像再生装置。
これでエッチな内容だったら実力差も剄脈疲労も全てを無視して斬りつけたところだが、幸か不幸かあちこちの都市で録られたらしい風景画だった。
とは言え、基本構造がみんな同じな自律型移動都市なので、どれを見てもあまり変わりがないようにしか見えない。
だが、暇なのも確かなので適当に流し見していたのだが。
「ああナルキ。少し戻って」
「ん? ・・。これか?」
何気なく一緒に眺めていたウォリアスの声で、比較的新しい静止画のところで再生を一時停止する。
ついでに見やすいように画面をウォリアスに向ける。
「・・・・。グレンダンだ」
「グレンダン?」
ウォリアスのその呟きで、細心の注意力を動員して映像を食い入るように見る。
だが、ヨルテムと何処が違うのかと聞かれたのならば、さっぱり分からないと答える事しかできない。
都市旗の立っているところが映っているとか言うのならば話は違ってくるのだろうが、今映っているのは都市の居住区、そのかなり外れの方。
なぜそれが分かるかと言えば、防風林と外縁部が僅かに見えるからだ。
外縁部は全て同じだろうからと、居住区の方に何か特色のある建物でもあるかと思って見たのだが、別段そんな物は見あたらない。
一般住宅以外には、道場らしい建物と病院らしい物が見えるだけだ。
「外縁部の更地が他の都市よりも広いんだ。汚染獣を最後に迎撃するためにね」
「へえ。良く知ってるな」
「一応レノスがやり合ったところだからね」
実際にウォリアス自身が見たかどうかは兎も角として、指摘されると確かにヨルテムやツェルニに比べて更地が広いような気がする。
ウォリアスが言う通りに、ここが最終防衛ラインなのだろう。
だが、レイフォンのような想像を絶する実力者が十二人もいるグレンダンが、ここで汚染獣を迎え撃たなければならない事態というのを想像してみると、相当恐ろしいだろうことだけが予測出来た。
具体的な事態を想像すると言う事は、当然ナルキには出来ない相談だ。
「グレンダンは恐ろしいところだったぞ」
「まあ、あそこは異常ですからね」
「ああ。三ヶ月しかいなかったのに六回も汚染獣と戦ってた」
レイフォンから話には聞いていた。
多い時は毎週のように汚染獣と戦う都市。
基準型都市が半壊する事を覚悟をすれば勝てるかも知れない、老性体と呼ばれる異形の汚染獣に襲われて尚、殆ど都市が傷つかないグレンダン。
疑っていた訳ではなかったのだが、それでもイージェという部外者から聞かされると、やはりかなりの衝撃を受けてしまう。
「ちょっと待て」
だが、その衝撃も予め知っているナルキと全く知らないダルシェナではやはり大きさが違うのだろう。
驚愕にその瞳を大きく見開き、衝撃でかすれた声を出す。
「なんだその異常な数字は?」
「グレンダンという異常な都市にとっては普通でも、僕らにとっては異常に見えるんでしょうね」
「ああ。前にレイとんが一年に一度しか襲われないって驚いていたしな」
実際のところは、ヨルテムが汚染獣と戦ったのは約三年ぶりだった。
それを聞いた時のレイフォンの表情は今でも覚えている。
これでヨルテムだけが戦闘経験が少ないというのだったら話はまた違うのだが、他の都市も五年に一度戦えば多い方だということは知っている。
グレンダンだけが異常なのだ。
「俺の八年の傭兵生活で、汚染獣と戦ったのが四回だが、その内三回がグレンダンだからなぁ」
一連の会話で分かった事と言えば、グレンダンでイージェも戦ったと言う事。
計算が合わないところもあるが、それにはきっとグレンダンなりの事情があるのだろうと、深く突っ込まなかった。
そして、武芸者の質の違いについて嫌と言うほど明確に見せつけられたのだろう。
「そ、そんなばかな」
実際にグレンダンを見た事がない上に、レイフォンの実力を目の当たりにもしていないダルシェナにとっては、全く信じられない事なのかも知れない。
だがふと思う。
ナルキ自身も本当の意味で汚染獣と戦うレイフォンを知っている訳ではないのだと。
ヨルテムの時は残骸を映像で見る事が出来ただけだった。
そしてツェルニでの戦闘は、戦ったはずだと言う事は分かるがどうやって何体倒したか全く知らないのだ。
幼生体は数が多く手を焼くから鋼糸を使う事が多いと、以前レイフォンから聞いていたから、恐らく今回もそうだったのだろうと予測しているだけだ。
「馬鹿なっていってもなぁ。実際に見ちまったんだよ。雄性体がゴロゴロやってきて一日で全滅するのをさ」
「ごろごろって?」
ゴロゴロと言われたので、取り敢えずウォリアスを見てしまった。
心外だと訴えているような細い眼と出会ったが、これはあまりにも比較対象が悪い事にはすぐに気が付いた。
「ゴロゴロだ。二十体くらいいたと思う」
「・・・・。それがたった一日で?」
「ああ。それも圧勝」
ヨルテムだったら、勝てただろうが相当の被害が出ただろうし、一日と言う事もないはずだ。
もし、万が一グレンダンと戦争になったのならば、交差騎士団を中核としたヨルテムと、詳しい戦力を知らないが、レノスとあまり結果が変わらないのかも知れない。
嫌な汗が背中を流れるのを感じつつ、どうにかナルキは理性を取り戻した。
「グレンダンが物騒なのは傭兵だったら知っていたでしょう?」
極平然と質問したウォリアスの声が、ナルキに理性を取り戻させたのだ。
そうでなければ、きっと恐ろしさのあまりレイフォンを見る目が変わってしまっていたかも知れない。
だが、イージェからもたらされた物はそんな事とは全く関係がなかった。
いや。ある意味常識という頸木を飛び越えた答えだった。
「ああ? 巡礼だ」
「はい? 巡礼?」
「ああ。全員じゃ無いんだが、サイハーデンを納めて実力に自信のある奴は、グレンダンに行って継承者と戦うんだ」
サイハーデンの継承者と言えば、それはつまりデルクだ。
そしてデルクは、レイフォンの師父である。
実際に会った事はないが、ナルキの想像の中では、もの凄くごつくなって歳を取ったレイフォンという映像で固定されている。
何故か非常に疑問だが、レイフォンとデルクは瓜二つなのだ。
ナルキの中では。
「へえ。サイハーデンにそんな風習があったんですか」
「ああ。実際に巡礼に来たのはずいぶん久しぶりだそうだけれどな」
原因は不明だが、ナルキの想像の中で歳を取ったレイフォン(と言うかデルク)と腕白なイージェが、縁側でお茶を飲みつつ世間話をしているところが出来上がってしまった。
全く意味不明だ。
どうもナルキの想像の中で、サイハーデン=レイフォンという図式が固定してしまっているようだ。
ある意味固定観念と化している。
「デルクさんと戦ったんですか?」
「ああ。あれは凄かったぞ」
「どんな風にです?」
「剄量はまず互角だった。実戦経験じゃ勝てないのは分かっていたんだが」
「力業で押し切ろうとした?」
「いんや。サイハーデンを納めた奴に力業は危険だ」
それはナルキも知っている。
サイハーデンは弱者が作り上げた武門だ。
そこには営々と受け継がれてきた生き残るためのノウハウが詰め込まれている。
熟達のデルクに力業などで挑んだところで、あっさりと返り討ちに遭うのが関の山だ。
「持久戦になったんだが、これでも結局倒せなかった」
「負けたんですか?」
「いや。お情けで引き分けにしてもらった」
デルクはかなり高齢のはずだ。
そんな高齢の武芸者がイージェのような体力絶倫と戦って、持久戦でさえ勝利を収めてしまう。
流石にこんな恐ろしい連中ばかりがグレンダンにいる訳ではないだろうが、それでも層の厚さを実感するのには十分だ。
そんな事をナルキが考えている間に、更にイージェとウォリアスの会話は進んで行ってしまう。
「あれ? イージェがいた時期だとリーリンもまだグレンダンにいましたよね?」
「ああ。あの糞親父。囲いやがった」
「・・・・・・・。成る程。悪い虫が付かないようにしたんですね」
「・・・。なあウッチンよ」
「何でしょう?」
「俺は悪い虫か?」
「害虫と言いましょうか?」
「・・・・・・・・・」
答えは沈黙だった。
デルクにしてみれば、イージェのような風来坊にリーリンを近づける事が非常に危険だと思えたのだろう。
だが、ウォリアスはなんだか他の意図があるようで、少しだけ違ったニヤニヤ笑いを浮かべている。
複雑怪奇で奇想天外なウォリアスの頭の中を想像すると、剄脈疲労が酷くなるような気がしたので深く考えるのはやめにした。
「じゃあ、ここに来たのはレイとん絡みですか?」
一色触発という訳ではないが、害虫と呼ばれそうなイージェへ話題を振って話を誤魔化す。
とは言え、ナルキ自身も興味のある問題だ。
デルクの情けで引き分けにしてもらったから、その弟子であるレイフォンと戦い、何時かデルクを超えるとか言い出すかも知れない。
武芸者とはそう言う思考をしやすい生き物だ。
「いんや。レイフォンがグレンダンを出た事は知っていたけど、てっきりサイハーデン的な理由かと思ってた」
「何ですかそれ?」
サイハーデンをただ今現在学んでいるナルキにとって、サイハーデン的な理由というのは全く未知の概念だ。
もしかしたら、超鈍感大魔王になってしまうとか、そういう事態さえ予測してしまうのは、やはりレイフォンとサイハーデンが同一の存在として認識されているからだろう。
「サイハーデンの技を全て修めると」
「どうなるんですか?」
「放浪癖も付いてくる」
「・・・・・」
沈黙で答えた。
放浪癖が付いてくる武門というのには、少々問題が有るような気がするのだが、気のせいだろうか?
だがしかし、デルクはグレンダンに住み着いているのだ。
全ての人間に放浪癖がくっついてくるという訳ではないはずだ。
「レイフォンの奴にもその気が有ると思ったんだけれどな」
「レイフォンにもあると思いますけれど?」
「ああ? あんな可愛い嫁さんもらっておいて放浪するのか?」
「・・。確かに今の状態なら放浪はないでしょうね」
ナルキが思考している間に、ウォリアスがイージェの相手を再開してしまっていた。
そして少しだけ安心した。
メイシェンがいればレイフォンは放浪の旅には出ないと。
だが。
「でももしかしたら、都市ごとに嫁さんと子供と家を作ってしまうかも」
「ああ? あのヘタレにそんな甲斐性有るのか?」
「無いですよ。今のところは」
ウォリアスの言う通りに、今のところレイフォンにそんな甲斐性はない。
だが、六年後はどうだろうか?
取り敢えず、ツェルニで知り合った女性陣を渡り歩くくらいの甲斐性が出来ているかも知れない。
それは嫌な想像だ。
どう考えてもメイシェンが泣いてしまう。
「将来的にもそんな甲斐性は出来ねえよ。デルクのオッサンなんか結婚さえしてねえんだぞ」
「へえ」
「最終的にはあのオッサンも武芸馬鹿だからな」
「レイフォンが奇跡的に運が良いんでしょうねぇ」
「伊達に嫁さん探しにグレンダンを出た訳じゃねえな」
話の展開に脳が付いて行けなくなり始めているようだ。
もしかしたら睡眠不足が原因で、集中力が無くなってきているのかも知れない。
取り敢えずレイフォンに浮気するような甲斐性が出来そうもない事がはっきりしたようなので、安心して眠りにつこうかと思ったのだが。
「デルクのオッサンと言えば」
「なんか面白い事でもありました?」
「兄弟子がいたそうなんだが、そいつもグレンダンから出て行っちまったそうだ」
「やっぱり放浪癖があるんですね」
「デルクのオッサンも放浪したかったんだそうだが、サイハーデンを途絶えさせるのが悔やまれたそうだ」
「それで、グレンダンで道場を開いたんですね」
「だけどよ」
「何です?」
男二人の会話が、ナルキの表層意識を滑って行く。
会話の流れは理解しているが、その意味をしっかりと認識する事が既に困難だ。
瞼は開いているのだが、映像は全く脳に届いていない。
「兄弟子が旅立った時の事を今でもはっきりと覚えているそうだ」
「それはそうでしょう。今生の別れかも知れないんだか・・・・・・・・・・・・ら」
いきなりウォリアスの言葉が止まり、なにやらぶつぶつと口の中で呟いている。
複雑怪奇にして奇想天外な上に奇妙奇天烈なその思考が、信じがたい速度で何かを考えているのだろう。
ナルキには想像も出来ないその思考はきっと、レギオスのフィルターを超えて何処か他の都市を見ているに違いない。
だが、次に起こった現象には眠りかけていたナルキも瞬時に完全覚醒するほどの衝撃が混ざり込んでいた。
「あの馬鹿!」
「うお!」
突如の大声に、周りで眠っていた武芸者も殆ど起き出してしまったようだ。
批難の視線がナルキ達に注がれる。
悪い事は何もしていないのに、少々居心地が悪い。
「くそ! 見たくないってそう言う事か! あの馬鹿! 他人の好意に鈍感なだけじゃない! 自分が何を欲しがっているかも分からないじゃないか!」
何やらレイフォン絡みの悪口雑言らしいが、普段の落ち着いた表情から一転、なにやら猛烈に怒りを露わにしている。
更に何かぶつぶつと考えていたが。
「くそ! 取り返しがつかないぞ! どうすんだあの馬鹿は! 本当に脳みそ入ってないのか! 鈍感武芸馬鹿なんかメイシェンの胸で窒息死すれば良いんだ!」
なにやら結論でも出たのか、いきなり落ち着きを取り戻したように見えるウォリアス。
周りの注目を集めている事は気が付いているだろうが、それを無視していきなり毛布を引っ張り上げる。
そこでやっと声をかけたのだが。
「ウッチンよ?」
「ああ? 僕は寝る! ツェルニが滅んでも起こさないでよ!」
ナルキが事情を聞こうとしたのだが、それを遮って三秒で眠ってしまった。
何が起こったのかさっぱり分からない。
「こいつどうしたんだ?」
「さあ。ウッチンの頭の中は、入ったら生きては出られない迷宮ですから」
「・・・。そうか」
付き合いの短いイージェでもウォリアスの複雑怪奇さは理解しているようで、ナルキの説明で納得してくれた。
だが、眠ってしまったウォリアスは良いとしても、叩き起こされた、周りの武芸者の視線がナルキ達に突き刺さり、非常に痛いような気がする。
「一つ聞いて良いですか?」
「ああ?」
そんな痛い沈黙を打ち破ったのは、隣のベッドで横になっていたダルシェナだ。
その表情はなにやら思い詰めた物があり、下手な誤魔化しは出来そうにない。
「グレンダンは常に月に二回は汚染獣と戦っていたのですか?」
「いや。俺が到着する一月前から急に忙しくなったそうだ。それ以前は三ヶ月も襲撃が無くて暇だったとか聞いたが」
たった三ヶ月襲撃がなかっただけで、暇という表現が出てくる事が信じられないが、グレンダンとはそう言う都市だと諦めるしかないのだろう。
小隊長としてツェルニ最強をうたわれるゴルネオが、問題無くグレンダンを出る事が出来たのも、きっと武芸者の質が異常に高く層が厚かったからに他ならない。
「平均すると年間十八回くらいだとか聞いたが」
「十八回」
レイフォンの対汚染獣戦参加回数は、今回を含めて五十回に到達した。
ナルキが知らされていない非公式の出撃もあったはずだから、実際はもっと多いはずだ。
そして、追放されるまで七年間レイフォンは戦っていた。
年十八回が平均値だとしたら、七年間で百二十六回。
グレンダンの戦闘、その半分近くに出撃していた計算になる。
それがグレンダンの基準として多いのか少ないのか全く判断出来ないけれど、ヨルテムの基準からしたら異常な数値だ。
改めてレイフォンというかグレンダンの異常性を認識してしまった。
「そうですか。そんな恐ろしい都市から来たから、あれだけの強さを持っているのですか」
「あれが強いのは別に都市のせいじゃないと思うがな」
何か考え込んでしまったダルシェナに、小さく呟いたイージェの言葉は、恐らく届かなかっただろう。
だが思うのだ。
レイフォンのような異常者を目標としてはいけない。
僅か一年という時間でナルキが会得した、それが最も重要な真実だった。
一晩中起きていてレイフォンの支援をしたり、ツェルニ武芸者の戦いを見学していたフェリだったが、少々の眠気を張り倒してリーリンの寮へとやって来ていた。
目的はカリアン虐待計画をみんなに推奨するため。
一人の力は弱いが、多くの人が集まればカリアンに胃潰瘍を起こさせる事も出来る。
それと朝食の確保。
と言う事で来たのだが、それは少々先の話になりそうだ。
「良く来たなレイフォン! さあ武器を取れ! そして私と戦え!!」
なぜか絶好調のニーナと遭遇してしまったのだ。
いや。ここにニーナが住んでいる以上、遭遇する事は始めから分かっていた。
そして、無断出撃の件で怒っている事も十分に理解していた。
だが、この異常なテンションの高さはどうだろう?
双鉄鞭を構えて今にもレイフォンに躍りかかりそうだ。
「あ、あう」
情けない事に、取り乱してフェリの後ろに隠れてしまうヘタレが、本当の意味でツェルニを救ったと知ったのならば、目の前の怒れる隊長はどうするだろうかと、少し意地悪な考えが浮かんでしまった。
だが、そんなフェリのことを知ってか知らずか、話はどんどん先へと進んでいってしまう。
「落ち着いてよニーナ。取り敢えずご飯を食べてからにしよう」
「そうよニーナ。腹が減っては戦は出来ないわ。ならば食事こそが最も重要よ」
リーリンとレウがニーナを押さえているが、そんな物で止まる類の生き物ではない。
精神力で空腹を押さえて、戦闘を続けられるのも武芸者の能力の一部だ。
ならば、朝飯前の一戦くらいニーナがやっても何ら不思議はない。
「ええい! 私はこいつの隊長だ! ならば生殺与奪の権利も私にはあるのだ!!」
ここで理解した。
初の実戦と徹夜のせいで、やや理性が飛んでしまっているのだと。
これはこれで面白いかも知れない。
普段見る事の出来ないニーナを見る絶好の機会だ。
何か話を振って事態をややこしくしないといけないと決意する。
そして咄嗟に一つだけ妙案を思いつくことが出来た。
「フォンフォンが芸を披露しますから、それを見て納得したら怒りを収めて下さい」
「ぬん? 芸だと?」
やはり何時もと少し違う精神状態のようで、即座に反応するニーナ。
このまま押し切る事が出来れば、レイフォンの芸とニーナの珍しい姿が拝める。
内心ほくそ笑んだのだが。
「ぼ、僕にそんな芸なんか無いですよ」
ヘタレで情けない男は相変わらずフェリの後ろに隠れたまま、そんな事を言っている。
これはあまり良い事ではない。
非常にレイフォンらしいと言えばらしいが。
だが、フェリへの支援が横からやって来た。
「にひひひひひ。レイとんよ」
「な、なんだよ?」
「私も芸を見たいんだけれどな?」
ミィフィがなにやら映像再生機をちらつかせている。
何か弱みを握っているようだ。
やはりミィフィとは仲良くした方が良いだろうと、打算的な思考をしている間に。
「・・・・。分かりました。取り敢えずご飯を作ります」
「おお! あれをやるのか!」
「ああ。あれは何度見ても凄いわよね」
料理をするというレイフォンに反応したのは、ミィフィとリーリンだ。
フェリ自身料理などした事はないのだが、それでも、ニーナが納得するような芸だとは思えない。
一人暮らしのレイフォンは何時もやっているはずだから。
そうは思ったが、玄関前で何時までも騒いでいる訳にも行かず、取り敢えず寮に入る事になった。
相変わらずメイシェンは冷却シートで目を冷やし、担架に乗せられたままだし。
「それではご覧下さい」
冷却シートを一時的に取ったメイシェン達三人と、セツナにレウにニーナそれにフェリがソファーに座った直後、レイフォンが一礼した。
三人一緒に。
無言のどよめきが辺り一帯を支配する。
何の脈絡もなく、宣言した瞬間に三人に増えたレイフォンの内二人が掃除を始める。
その動作に全く違和感はなく、訓練場でよく見かける動きでリビングと食堂の掃除をする二人のレイフォン。
これだけで一生食べて行けると思うのは、フェリの気のせいだろうかと思えるほど見事な芸だ。
だが、衝撃は更に続く。
「レストレーション02」
剣帯から青石錬金鋼を引き抜き、何もしていなかったレイフォンが一声呟く。
復元の光が消えた後には、本来刀身があるはずの場所には何もない。
鋼糸だ。
念威端子を通して精密検査をやらなければ、フェリには全く見えないその糸達が踊り、冷蔵庫の扉が開かれ野菜や卵が宙を飛ぶ。
衝撃に打ちのめされたように、口を大きく開けて驚いているニーナ達三人と違い、何度か見た事のあるらしい三人は既に拍手をして喜んでいる。
フェリ自身はどうかと聞かれると、レイフォンは何もしていないのに食材が勝手に下ごしらえされて行く様を見て、無表情を通り越して驚いていた。
正確に言えば、何かリアクションを取るという行為をすっかりと忘れているのだ。
理屈では分かるのだが、それでも目の前で起こっている現象が信じられないのだ。
これならば、ヨルテムで十分に芸人としてやって行けると思うのだが、レイフォン的には何か違うのかも知れない。
「す、凄いな」
「本当。一家に一人いたら家事が楽なのに」
「外食産業に打って出ても成功間違い無しよね」
ニーナ達が呆然と感想を口にしている間に、どんどんと料理が完成して行く。
卵が割られボールで黄身と白身が混ざって行く。
レタスがちぎられ、トマトがスライスされ、タマネギがみじん切りにされる。
タマネギが混ぜられた卵に放り込まれオムレツの準備が終了。
そしてパンがトースターで焼かれ始める。
これはもう、特撮もかくやと言える異常な光景だ。
もしかすると、技とは極めると芸になるのかも知れない。
そう思えるほどレイフォンの技は凄まじい芸だった。
そして失敗した事を悟った。
映像を記録しておく事をすっかり忘れていたのだ。
フェリ・ロス一生の不覚である。
「にひひひひひ。これが欲しいですか先輩?」
「・・・・。いくらですか?」
いつの間にかミィフィがモノクル型のカメラで全てを録画していた。
片方だけの眼鏡と言った感じの、シンプルなデザインのカメラだが、非常に軽く両手が拘束されないので、取材をする時の必需品と言われている。
ミィフィの仕事を考えると当然持っているべき品物だ。
「にひひひひひ。ただで良いですよ? にひひひひひ」
「・・・・・・・・・・・」
ただより高い物は無い。
後々どんな無理難題をふっかけられるか分からない以上、安易に飛びつくのは危険極まりない。
強引にミィフィから視線をレイフォンへと戻す。
そして全ては順調に進み、もうすぐ朝食が完成する。
掃除もおおかた終わったようで、三人のレイフォンが並んだ。
皿に盛りつけられた料理を二人のレイフォンが運び、鋼糸を操るレイフォンが後片付けを始めている。
完璧だった。
これで納得しないなどと言う事は考えられない。
「お粗末様でした」
全てが終わり、湯気を立てる朝食がテーブルに並んだところで、二人のレイフォンがかき消えた。
一人になったレイフォンがお辞儀をして本当に終了したようだ。
「み、見事だったぞレイフォン!」
あまりの事に怒りを忘れて拍手するニーナ。
武芸を止めるためにツェルニに来る必要がなかったはずの少年は、若干照れたように頭を掻きつつ、朝食の席に付く。
だがここで気が付いた。
今の芸は全て武芸の技の応用だと言う事に。
恐らくこれでは武芸を捨てた事にならないとレイフォンは考えているのだ。
実にもったいない。
「うちの寮に住まない?」
「あ、あの。ここ女子寮でしょう?」
「平気よ。女の子で通せば良いんだもの」
「無理ですからそれ」
セツナが何か猛烈にアタックしている。
フェリにも十分その気持ちは分かる。
ロス家はかなり裕福だ。
その富を使ってレイフォンを雇ったら、さぞかし面白いだろうとか思ってしまっているのだ。
だが問題はもう少しあるのだ。
レイフォンの芸が作りだした朝食、それが美味しいかどうか?
流石に不味かったら見せ物としてしか意味をなさない。
これは折角の芸が無駄に終わる、と言う事なのだ。
取り敢えずオムレツを一口食べてみて。
「・・・。美味しいですね」
「本当に。やっぱりうちの寮に住みましょうよ。エプロン付けてれば女の子に見えるんだから」
味を確認した直後から、セツナの攻撃が激しさを増す。
それを受けるレイフォンはしかし、幼生体に見せた絶対的な強さを何処かへ置き忘れたのか、徐々に劣勢に追い詰められているようだ。
だが、フェリはもう少し違うところに注目していた。
「眠ってしまいましたね」
「? 誰が?」
「隊長です」
指さす先にいるのは、朝食を食べ終えたニーナが、テーブルに突っ伏すようにして眠っているというかなりレアな姿だった。
これはこれでなかなか見られるものでは無い。
「疲れているんですよ。初めての実戦でしたからね」
「徹夜の上に緊張を重ねたのは同じですよ?」
「僕は論外として、フェリ先輩もだいぶ眠そうですよ」
「・・・・。そうかも知れませんね。仮眠を取ってかまいませんか?」
寮長だというセツナに向かって問いただす。
これで駄目だったらかなりきついが、自分の部屋に帰るしかない。
だが、流石にそんな無情な事をするようには、セツナは出来ていなかったようだ。
快く空いている部屋を一つ貸してくれた。
ベッドだけしかなかったが、今はそれで十分なのだ。
こうして本当に汚染獣との戦いの夜は明けたのだった。