交通都市ヨルテムの誇る交差騎士団、その中隊以上の隊長が集うオフィスに不気味な笑い声をとどろかせつつも、ダンは非常に上機嫌だった。
メイシェンとレイフォンがツェルニに旅立って既に一月半。
既に妊娠一ヶ月であっても何ら不思議ではない。
いや。むしろ妊娠一ヶ月であるべきだ。
いやいや。もうそろそろ生まれていても何ら問題はない。
二人の間に生まれた子供ならば、さぞかし可愛らしく強いだろうと思うだけでもダンの表情はゆるんでしまおうという物だ。
だがしかし、その事と今ダンが上機嫌なのには、直接的な関係はなかった。
「ぐふふふふふふふふ」
覇気に溢れた若者の視線が、ダンを射殺さんと向けられているのを感じているから。
この覇気が有ればこそダンは今の責任を後継者に譲る事が出来る。
若い連中が後を継いでくれると思うからこそ、年寄りは何とか頑張る事が出来るのだ。
六十を既に超えているにもかかわらず、交差騎士団長をやっているのは後継者がいないからに他ならない。
色々と理由は思いつけるのだが、誰も後を継ぎたがらないのだ。
その筆頭として考えられるのは、なんと言っても団長は名誉な職ではあるのだが、残念な事に非常な激務であると言う事だ。
愛妻家なので、出来うる限りにおいて残業はしていないが、仕事が家にやってくる事も珍しくない。
この辺の忙しさが後継者が定まらない理由だと思うのだが、それももうすぐ解決するのだ。
「ぐふふふ。ぐふふふふふふふ」
「どうしたのですか団長?」
あまりにも恐ろしい笑いを漏らしていたせいだろうが、副団長が恐る恐ると声をかけてきた。
身長はやや低いが、褐色の肌と前後左右に十分な幅を持った四十少し過ぎの男性だ。
もちろん副団長になるほどの人物だから、武芸者としても優秀であるし、指揮官としても組織の運営者としても至上の優秀さを持っている。
残念な事にダンの後継者になる事だけは絶対に嫌だと断っているが。
何故断っているのかは全く理解出来ないが、事実は事実として受け止めなければならない。
「パスを見ていたのだよ」
「ああ。ワトリングですか」
終業間近の執務室にあって、ダンに向かって猛烈な視線を向ける若い武芸者を愛おしむように眺める。
視線だけで人が殺せるのならば、今日だけで百回以上ダンは死んでいるだろうが、その視線こそが頼もしい。
当然、暴力にのみ訴えかけるような馬鹿な人物だったらとっくの昔に騎士団はパスを放り出している。
ここにいる以上、それなり以上には組織人としても優秀なのだ。
そして、ここ十年でパスほどの覇気を持った団員はいなかった。
ダンの後を継ぐべきはもはやパス以外にはいない。
「十年前は、私もあんな感じだったと思いますが」
「む? そうだったか?」
言われて見て思い返してみれば、確かに十年前には副団長を後継者にしようと思っていた時期もあったと思う。
だが、いつの間にか覇気が失われてしまい、未だに団長の席を譲れていないのだ。
この変化こそが団長職を断り続ける原因かも知れないと考えられる。
「うむ。お主のように堕落してしまっては意味がないな」
「堕落と言わないで下さい」
いきなり副団長の瞳が輝き、殺意ともとれる覇気がみなぎった。
堕落したと思っていたが、どうしてどうして、まだまだ見込みがない訳ではない。
「ほう? その息で儂を殺してみるか?」
「・・・・・・。貴男の濃すぎるキャラのせいで、多くの団員が団長職を諦めたという事実に、いい加減に気が付いて下さい」
「!!」
思いもよらない発言に、一瞬息が止まってしまった。
別段キャラが濃いか薄いかは団長の職務とは関係がないはずだ。
だと言うのに、そんな些細な事で責任を取る事を諦めるとは驚いた。
「むん? 儂のキャラが濃いのは儂の個性であって団長職とは関係有るまい」
「普通の神経では勤まらないと、大勢が判断しているんですよ」
「むん? 騎士団長が普通の神経で務まる訳有るまいて。両肩にヨルテムに住む十万人の運命が乗っておるのじゃからな」
「それ以前に、変人でなければ勤まらないと思われているんです!」
「な、なに?」
愛妻家である事は疑う余地のない事ではあるのだが、変人だと思われている事は今の今まで知らなかった。
これは驚愕の真実であるかも知れない。
だが、念のために確認してみる。
「成る程、儂は変人だったのか」
「納得しないで下さい」
何故か半泣きで訴えてくるのを不思議に眺める。
変人だと認めたからと言って、ダンが何か変わる訳ではないのだ。
ならばこそ、認めてより良きダン・ウィルキンソンになった方が良いではないかと考えるのだが、どうやら他の人達の意見はだいぶ違うようだ。
もしかしたら、パスも十年しないうちにこのような腑抜けになってしまうかも知れないと言う危機感が頭をもたげてきた。
それはつまり、引退出来ないという事実に直結してしまう。
折角色々と考えている老後の計画が、全て水の泡と消えてしまうかも知れない。
いや。それ以上に問題なのは家に帰る時間が遅くなるかも知れないと言う事だ。
ならば一計を案じなければならない。
「成る程な。では今宵はパスを家に招待して家族共々食事をしよう」
「何故そうなるんですか?」
「決まっておる」
終業時間を告げる鐘が鳴るのを聞きながら、ゆっくりと立ち上がったダンはきっぱりと言い切った。
全ての計画は瞬時に終わっている。
後は実行に移すだけだ。
「儂のような変人にパスを仕立て上げるため」
「お願いですから止めて下さいぃぃぃぃ!」
絶叫と共に腰にしがみつく副団長を引きずり、パスの側まで行く。
何が起こったのか理解していないようで呆然とこちらを見上げる、若い武芸者の首根っこを引っ掴み持ち上げる。
空いた手で副団長も掴んで逃げられないようにする。
一蓮托生というか、二人も後継者を作っておけば安心だと言う事だ。
「な、なにを!」
「今宵は我が家に来るが良い。そして儂の家族共々食事をしよう」
抵抗するのを無視して二人を引きずるように帰宅の途につく。
きっとこの二人の内どちらかがダンの後継者となってくれると確信しつつ。
前回の汚染獣戦直後は、レイフォンをダンの後継者にと考えていたのだが、それはある事情から諦めざる終えなかった。
レイフォンでは組織を運営する事が出来ないのだ。
交差騎士団という武芸者だけではなく、一般人をも含む巨大な組織を運営すると言う事は、実は政治的な配慮や考察がどうしても必要なのだ。
だが、この重要な要素に関しては、レイフォンは確実に落第点しかとれない。
そしてもう一つ。
レイフォンに見た事もない十万もの人々を守るという考えがない事が上げられる。
これは優劣の問題ではなく特製や性質の問題だ。
例えば、メイシェンを守るためならばレイフォンは全力を尽くす事が出来る。
だが、ヨルテムを守るためにそれが出来るかと聞かれたのならば、メイシェンが無事ならばその必要はないと答えると思われる。
一武芸者としては悪くない答えだが、騎士団長となるためにはこれ以上ないほどの駄目な回答である。
十年以上かければもしかしたら修正する事が出来るかも知れないが、ダンにそれだけの時間はないのだ。
そうでなくても家族と過ごす時間が減ってきている昨今。
レイフォン絡みの問題は若い連中に回しても良いだろうとも思う。
何しろレイフォン自身が、このヨルテムにいないのだ。ツェルニで何か大きな変化が起こると言う事も考えられる。
少年期の六年間はそれほど大きな変化をもたらすのだ。
ならば帰ってきたレイフォンをどうするかは、若い連中の仕事と言う事になる。
と言う事で、二人の若者を引きずって家路を急ぐ。
朝靄の中の稽古は終わった。
近くに住む者達はこれから朝食を摂り仕事に向かう事だろう。
今日も一日が始まるという気分はしかし、すでにデルクの中には存在していない。
そう。銀髪で長身の天剣授受者が朝食の席に付いているから。
「なあサヴァリス?」
「なんだいリチャード?」
相変わらず息子は天剣授受者に向かってタメ口を聞いているが、それが別段不思議ではなくなりつつある今日この頃が、少々怖い。
いや。レイフォン相手には常にタメ口だったが、それは全く別の問題なのだ。
「何時も家で食って行くけどさ」
「うん? 食費は払っているよ?」
「ああ。それは良いんだけれどよ」
テーブルの上に乗った料理の数々は、豊富な種類と相当な量を誇っている。
三人分の食事としてはかなり多いのだが、武芸者二人と育ち盛りの少年という構成を考えるのならば、それ程驚く事はないと思う。
だが、デルクの胃はしくしくと痛み続けているのだ。
「自分の家で食わないのか?」
「うん? あそこは作法が五月蠅くてね」
「ああ。そう言えば良いとこのお坊ちゃんだったか」
「僕をお坊ちゃんと呼んだのはリチャードが初めてだよ」
確かにサヴァリスの食べ方は、ガツガツと言った感じで上品さとは縁がない。
一気食いを迫られるグレンダンの武芸者としてはそれで良いのだが、名門ルッケンスの跡取りとしては少々問題ではある。
それを理解しているデルクだが、和やかに進む会話を聞きつつ、ゆっくりと温めた牛乳をすする。
段々牛乳の消費量が増えてきているのだが、もしかしたらリチャードはその理由が分からないのかも知れない。
だから思うのだ。
レイフォンがいてくれたのならばきっと、サヴァリスとももう少し違った関係を築く事が出来たのではないかと。
「そう言えば親父」
「・・・・? な、なんだ?」
突如声をかけられたせいで、一瞬以上反応が遅れてしまった。
これもきっと胃が痛いせいだと思う事にして、リチャードの差し出した紙片を見る。
「兄貴から手紙が来ていた。俺宛だけれど読んでみろよ」
「ああ」
グレンダンを出てからこちら、殆ど連絡のないレイフォンからの手紙だ。
これはきっと、何か異常事態だろうと判断して、心を引き締めて開いてみる。
一読して理解した。
予想以上の異常事態だった。
その手紙には極々短い文章が書かれていたが、それは必死であり真剣でありそして何よりも懇願の心に満ちあふれる物だった。
「・・・・・。リーリンが怖いんだ。助けてリチャード」
「ああ。どうやら姉貴が天剣授受者を殺しかけているらしい」
「元だけれどね」
なにやら非常に楽しそうにサヴァリスが手紙を覗き込む。
っと、ここで気が付いた。
レイフォンの話題をサヴァリスの目の前でやってしまっていると言う事に。
これはかなり拙い事になるかも知れないと思ったのだが。
「いやしかしレイフォンも困った物だね」
「何がだ?」
「天剣授受者の恐怖をグレンダン中に知らしめておきながら、女の子一人に殺されかけるなんて」
「ああ。兄貴が姉貴にボコられるところを見た奴がいたら、天剣授受者とか言う化け物も所詮人だったと言う事になったかもな」
相変わらず和気藹々とした会話が聞こえる。
だがやはりデルクは胃が痛い。
レイフォンはツェルニで、ヨルテムの現地妻と仲睦まじいようだ。
そのせいでリーリンが恐ろしいのだろう事は理解出来る。
だが、もし出来るのならば、やはりレイフォンにはここにいて欲しかった。
若者と老人ではやはり感じる世界が違うのだと言う事を認識してしまったから。
レイフォンならばきっと、デルクに理解出来るように通訳してくれたはずだと思うから。
これほどレイフォンの存在を大きく感じた事は、今まで一度たりともなかった。
これも全て息子を導く事が出来なかったデルクに下された罰なのだと、諦める事しかできない。
と言う事で、もう一口温めた牛乳をすすり、朝食を終えることにした。
雌性体を殲滅したついでに、何ヶ所か危なかったツェルニ武芸者を助けたレイフォンは、あるシェルターの側まで来ていた。
当然だが、ここにはメイシェンやリーリンがいる。
レイフォンが無事だと言う事を知らせるために来たのだが、事態はあまりにも驚くべき方向へと進んでしまっていた。
まだ朝日が昇ったばかりだが、汚染獣戦の後始末は最低限しか終わっていない現在、安心して眠っていられる人間などいないのだ。
と言う事で、当然メイシェン達三人も起きていた。
それは良いのだが。
「メイ?」
「あう」
リーリンとミィフィの持つ担架に乗せられたメイシェンは、冷却用ジェルシートを目の上に乗せていた。
何が有ったかは非常に不明だが、とても恐ろしいことがあったらしいことは理解している。
少し離れたところをフラフラと歩くカリアンの様子が、全てを物語っているようないないような。
取り敢えず本人に聞いてみる事にしたのだが。
「それは聞いては駄目です」
と、やんわりと断られてしまった。
担架を持つ二人も頷いてメイシェンを支援している。
これ以上は前に進む事は出来ない。
ならば取り敢えず保留にしておいて問題はない。
そう。メイシェン達は問題無い。
「さあレイフォン君。このフリーシーを全部食べてくれ給え」
「ああん会長。私はフリーシーではありません」
とても虚ろな視線と共に、カリアンがそんな事を言っているのは、放置しておくと拙いかも知れない。
生徒会役員と思われる女性を差し出して、それを食べろと言う辺りにも非常な問題が有るし。
そして何が最も問題かと問われるのならば、それはもう汚染獣戦の後始末に他ならない。
厳密に言えばレイフォンの後始末だが。
雌性体を殲滅するために出撃したのは良いのだが、実はニーナの事をすっかり忘れていたのだ。
流石にレイフォンだってあれは拙かったと思っているのだ。
直属の指揮官に無断で出撃して戦闘を終えてきた。
天剣時代で言えば、アルシェイラに断りもなく老性体を駆逐して帰ってきたような物だ。
即座にレイフォン自身が殲滅されても文句は言えない。
ニーナの怒りも十分に理解出来るのだが、怖い人はあまり得意ではない。
ならばカリアンに、怒りに怒りを積み重ねているニーナを何とかしてもらわないと、レイフォンの安全な生活が保障出来なくなってしまう。
だと言うのに、頼みの綱がこの有様では、かなり拙いのだ。
何とか現世に復帰してもらわなければならない。
「レイフォン」
「はい?」
そんな困った状況を打開するかのように、声がかけられた。
念威で一晩中支援してくれていたフェリだ。
やや眠そうではあっても、十分な気力を持ち、その銀髪が朝日を浴びて耀いている姿は、正直美しいと思う。
無表情の中にも何か楽しそうな雰囲気を持っている事も含めて、非常に魅力的だ。
だが、そんなフェリからの提案はあまりにも常軌を逸してしまっていた。
「刀を貸して下さい」
「・・・。駄目です」
現在レイフォンが持っている刀は、全て実戦用の切れてしまう物ばかりだ。
念威繰者とは言え、一般的な運動の得意な人間並みの筋力を発揮出来るフェリに、切れる刀を渡してしまったのではカリアンの命が危ない。
現役生徒会長が戦死したごたごたに紛れて、ニーナ絡みの問題を有耶無耶にとか思ったが、それはあまりにも問題が有りすぎる展開である事はレイフォンにだって十分に分かる。
だが、当然と言えば当然だが、フェリはその辺の事を十分に考慮していたようだ。
「峰打ちにしますから」
「・・・・・。本当ですか?」
「ええ。切れてしまいそうだったら止めてくれてかまいません」
そうまで言われたのでは貸さない訳には行かない。
と言う事で青石錬金鋼の刀を復元して、慎重にフェリに渡した。
鋼鉄錬金鋼も考えたのだが、何故かこちらは渡してはいけないような気がしたので青石にしたのだ。
渡された刀の向きを確認したフェリが、大上段に振りかぶる。
朝日に耀く銀髪と蒼銀に耀く刀の、見る物を圧倒する美しさは驚くしかない。
正直言って、近付きがたいくらいに美しい。
と言うよりも、出来るだけお近付きになりたくない迫力があるような気がする。
そしてフェリが右斜め上に構えたところを見ると、思い切って振り下ろすつもりのようだ。
これはこれで危険極まりない。
レイフォンが使う刀は好みの問題で、非常に重い設定になっているのだ。
それはつまり、単純な鈍器としてもかなりの破壊力を持つと言う事に他ならず。
「死して名を残して下さい」
ニヤリと笑みを浮かべつつ振り下ろされる刀。
と言うか、はっきりと殺すつもりで振り下ろすようだ。
そして、鈍い打撃音と共に地面に倒れ伏すカリアン。
悲鳴一つ起こらなかった。
痙攣一つ起こっていない。
即死かも知れない。
それを確認すべく、恐る恐ると近付く。
「ふ、ふふふふふふ」
「うわぁぁ!」
呼吸を確認すべく顔を近づけていたところ、いきなり不気味な笑い声と共に復活するカリアン。
とっさに後ろに下がって、思わず鋼鉄錬金鋼に手を掻けてしまった。
あれだけの打撃を受けているにもかかわらず、動作に支障を来した様子もなく起き上がる。
もしかしたら、武芸者並に身体が丈夫なのかも知れない。
だったら、武芸大会でも自分で戦えとも思うのだが、もしかしたらフェリが無意識で手加減をしていたのかも知れないし、安易な答えを出すことは危険だ。
「危なかったですね。精神攻撃の後の物理攻撃。さしもの私ももう少しでご先祖様のところに逝くところでした」
「そうですか。では止めを」
フェリが今度は切れる方向である事を確認して、カリアンに一歩迫る。
その構えは一分の隙もなく、念威繰者とはとても思えない堂々とした構えだ。
冗談だと思いたいのだが、どうも二人の間にあるのは本気の殺意。
「フェリ。私を殺して自由を得るかね?」
「ええ。私は貴男を殺して自由になります」
問答はこれまでと言わんばかりに、フェリが更に一歩前へと出て間合いにカリアンを捕らえる。
それに受けて立つカリアンは、しかし微動だにせずに、それどころか一歩前に出て迎え撃つつもりのようだ。
これほどの統治者がそうそういるとは思えず、レイフォンは一瞬尊敬しそうになってしまった。
だがしかし、そのカリアンはレイフォンを武芸科に転科させたのだ。
今、転科自体はそれほど悪いことではないと思っているが、好意的に思えるほどレイフォンは人間が出来ていないのも事実。
などと考えている間に、フェリの手に力が入る。
これは少々困った事になった。
カリアンが死んでしまえばレイフォンが解放されると言う事にはならない。
取り敢えず武芸大会が終わり、ツェルニの危機が去るまでは今のままで居た方が良いと判断している。
ならば、カリアンも居た方がましな状況であるとも考えているのだ。
と言う事で。
「ふん!」
一気にフェリが振り下ろした刀の切っ先をつまんで、蒼銀に耀く刀を奪い取る。
空振りして体勢を崩すフェリと、衝撃に耐える準備をしていたカリアンが、やはり少し体制を崩す。
その崩れた体制のまま、何故か批難の視線がレイフォンに突き刺さった。
なぜか二つ。
「何をするのですか?」
「なんと言う事をしてくれたのだね?」
フェリからの抗議や批難は十分に理解出来る。
だが、カリアンからのは非常に理不尽だ。
どう控えめに考えても、命を救われた以上感謝されることはあっても、恨まれたり批難されたりすることは考えられない。
「駄目ですよフェリ先輩。兄殺しはいけません」
「問題ありません。全ては汚染獣の仕業に」
どうあってもカリアンを殺したかったようだが、それを諦めてもらわなければならない。
ならばもう一度、昨夜と同じ手を使うしかない。
「復讐を果たす前に殺してはいけませんよ」
「!! そうでしたね。私とした事が一時の感情に流されるとは」
どうやらフェリの方は何とか納得してくれたようだ。
カリアンはまあ、放っておいて問題はないだろうと判断する。
なにやら心底嫌そうな顔をしている事だし。
「私の大儀を思い出させてくれた事に対して、報酬を授けたいと思います」
「そんな大げさな物じゃないですよ」
「そうですね。これからは貴男の事をフォンフォンと呼んで差し上げましょう。嬉しいですよね」
「・・・・・・・・」
全くレイフォンの事を考えていないように思えるのは気のせいだろうか?
だが、レイフォンは理解してしまっていた。
ロス家の人間は言い出したら聞かないと言う事を。
抗議したところで聞き届けられないのは分かっているし、そもそもそんなに問題のある愛称という訳ではないのでそのままにする事にした。
問題なのは、なにやら後ろにいる三人から微妙な空気が漂い出てきている事の方だ。
「あ、あのぉ」
恐る恐る振り返り確認する。
担架を持っているリーリンとミィフィに、冷却剤で目を冷やしているメイシェン。
さっきと全く同じ光景だ。
だが、リーリンの表情が非常にこわばっているのが分かるし、ミィフィはニヤニヤしている。
メイシェンは良く分からないけれど、何時もと何かが違う。
どう違うかは全く分からないが、何かが決定的に違う。
「ふふふふふふ。レイフォン君」
「ひぃぃぃ」
少女三人を見ていたレイフォンだったが、突如としてカリアンに肩を掴まれた。
その手は猛烈に冷たく、瞳は更に冷たく、そして宿された魂は形容する事さえ出来ないほど冷たかった。
何か訴えかけているようにも思えるのだが、正直に言って怖すぎてそれどころではない。
「ふふふふふふふぅ」
だが、突如として倒れ伏すカリアン。
フェリの一撃を受けて立ち上がった物の、流石に限界が来て気を失ったようだ。
当然の現象ではある。
そそくさとやってきた生徒会役員の手によって、運び去られるカリアンが再び目を覚ました時に、レイフォンの新たなる地獄が始まるのかも知れない。
出来れば遠い未来の出来事であって欲しい物だ。
だが、別な問題が既にレイフォンの目の前で持ち上がってしまっているのだ。
「それはそれとしてフェリ先輩」
「何でしょうか?」
「大儀って何ですか?」
「その事ですか。良かったら一緒にやりませんか」
ミィフィが突っ込んでは行けない場所に突っ込みを入れてしまっている。
これではカリアンの私生活は本当になくなってしまうかも知れない。
話を振ったのはレイフォンだけど。
「じゃあ、ご飯を食べながら詳しく聞きましょう」
「そうですね。でもトリンデンがその状況では、料理が出来る人はいないでしょう?」
「リンちゃんが出来ますよ」
何故か担架に乗せられたメイシェン共々、リーリンの寮へと移動を始める少女四人。
そしてフェリに掴まり道連れにされるレイフォン。
リーリンの寮にはニーナもいる。
これはかなり拙い展開かも知れないと思ったが、既にレイフォンがどうこうできる状況ではなくなっている。
やはり、誕生日を迎える前に命日がやってくる事は覚悟しなければならないようだ。
汚染獣戦が終わり、危機の去った一時を照らす朝日の中、レイフォンだけが地獄を見ようとしていた。