執務の都合を無理矢理に付けて、カリアンはこの場に出席していた。
オスカーがなにやら難しい顔をしているのは、間違いなくカリアンがここにいることに対して少々困っているのだろう。
だが、実際問題として、レイフォン絡みの問題は非常に重要なのだ。
外す訳にはいかない。
「なんでいるんだ?」
「ふむ。五年以上付き合っているというのに分からないのかね?」
「・・・・・。偶然と言う事にしておきたいな」
レイフォンのところに来た客に便宜を図ったと思っているのだろうが、カリアンの手はそれ程長くない。
せいぜいが第一小隊の念威繰者を動員して監視をしているくらいだ。
それもつい先ほどからやっているというていたらくで、全くこの展開は予測出来なかった。
それは同席しているヴァンゼやウォリアスも同じようで、少々では済まない困惑をその表情に浮かべている。
だが、ここで止まっている訳にも行かないので、話を進めるようにオスカーに視線を飛ばす。
「早々だが始めようか」
「そうしてもらえると助かるよ。私は忙しい身なのでね」
仕切るオスカーだが、この問題について最も心を痛めているらしいので、そのまま任せることにする。
おおよそのところは、オスカーから聞いていたのだ。
レイフォンの入隊試験という体裁を持ったあの試合の直後に、錬金鋼が違うことについて。
「ハーリス君に聞くのだが、サイハーデンは刀の武門だね?」
「そうです。刀術についてはグレンダンでも屈指の奥深さを持つと言われています」
相変わらず詳しいのに驚くが、彼の故郷はそのグレンダンの天剣授受者にボロ負けしたのだ。
次の機会があったら、絶対に負けないために徹底的に調べるのは当然のことだ。
「だが、彼は剣を使っているね?」
「・・・。それには驚くべき理由がありまして」
いきなり歯切れが悪くなったかと思うと、話すかどうか躊躇するウォリアス。
彼の性格からすれば、おおよそ予想も付かない事態が展開したことだけは分かった。
更に話すかどうか考える事十秒。
語られた内容は、あまりにも信じられない物だった。
「・・・・・・・・・・・・・。彼女を心配させたくないから戦わない?」
シャーニッドがやっとの事で呟く。
彼は偉大だ。
カリアンは未だに茫然自失の状態だというのに、既に事の本質を理解し始めているのだ。
その自失の中で考えているのだが、カリアンにはレイフォンの思考回路が理解出来ない。
あれだけの強さを持っていながら、それを捨て去ろうとしているのだ。
そして、捨てた物がどれほど大きかろうとレイフォンはきっと後悔はしないだろうとも思う。
「そんな事は許されん! 武芸者とは都市を守るための存在だ! それをただ一人に心配をかけさせないために、戦わないなどと言う事はあってはならない!」
こういう場合で一番先に激昂するのは、やはりニーナの役目のようだ。
そしてその激昂に頷く者、苛立ちを覚える者と様々だ。
どちらかと言えばカリアンも苛立ちを覚えている。
他の者を圧倒する才能を持ったのならば、それを使うことはもはや義務だと言える。
だが、僅かとは言え時間が空いたカリアンは、レイフォンの気持ちが分からない訳でもない。
複雑な感情をもてあますカリアンを余所に、オスカーがニーナを押さえる。
「それは彼個人の問題だ。そしてツェルニでは武芸科に在籍している。それで良いのではないのかね?」
「ツェルニがどうこうは置いておくとして、彼が都市に帰ればきっと戦力として期待されているでしょう」
グレンダンには帰れない。
家があるとすれば、それはヨルテムになる。
だがここで問題が有る。
ヨルテムは戦力の充実している都市だ。
確かに戦力は多い方が良いだろうが、それでも嫌がる人間を戦わせるほど困っている訳ではない。
ならば、レイフォンはある程度自分の進路を自由に決めることが出来るのではないだろうかとも思う。
サントブルグにおけるフェリの立場とは、似ているようで決定的に違う。
「彼はここに武芸を捨てるために来たと聞いているが?」
「それは未練です! 捨てることは出来ません!」
ニーナは武芸者であることに誇りを持っている。
それは素晴らしいことだと思うのだが、どうしても崇高な武芸者の目的と言う立ち位置からしか物を見る事が出来ないようだ。
視野狭窄というのは簡単だが、あまり良いことではない。
今のままでは人の上に立つことは出来ない。
せめて自分と違う物の考え方がある事をしっかりと認識して、それを許容できるだけの度量を持ってほしいと思う。
それはニーナの人生にとって、極めて大きな財産となるはずだからだ。
「一つ聞きますが」
「何だ!」
話に割って入ったウォリアスに、噛み付きそうな勢いでニーナが反発している。
既にけんか腰になっているのは、卑怯な戦い方をしたウォリアスを嫌っているからだろうことは理解している。
だが、もしかしたらウォリアスはレイフォン以上にツェルニに必要な人材かも知れないのだ。
出来ればもう少し感情を抑えて欲しい。
「先輩は汚染獣との戦闘経験無いですよね?」
「当たり前だ! レイフォンは五十回ほど戦ったと聞いたが」
「グレンダン以外の武芸者は、全人生を通して十回戦えば多い方なんですよ?」
「だからなんだ!」
ニーナは理解していない。
ウォリアスの言う事を徹底的に否定することしか考えていないかも知れない。
それではこの少年の相手は勤まらないのだ。
「ならば、レイフォンはもう十分すぎるほど戦ったと思いませんか?」
「そ、それは」
「孤児院の経営状況を何とかしたくて戦った。そして今戦わない理由を持っている」
そうなのだ。
レイフォンは今、戦わない理由を持っているのだ。
無目的にこのツェルニに来ているのではない。
大義名分として修行と言う事でツェルニに来ているが、殆ど何もしていないフェリとはやはり似ているが決定的に違うのだ。
「ツェルニの都合で武芸者をやっていますが、それはこちらの都合でしかないでしょう?」
「だが! 武芸者である以上戦うべきだ!」
「本人の志望は置いておいても十分に戦えますよ? レイフォンが本来の能力を発揮出来ない今でも、一体誰が勝てるんですか?」
「そ、それは」
そうなのだ。
レイフォン相手に誰も勝てない。
そうである以上剣を持とうが刀を持とうが、ツェルニにとってはどうでも良いことなのだ。
出来れば本来の道を進んで欲しいとは思うが、それは。
「そうだな。ツェルニ武芸者511人。いや。512人はアルセイフ君が剣を持っていても全く困らない」
少々黙っていたオスカーが気になる数字を出した。
現在ツェルニ武芸科に在籍している生徒は513人。
一人だけ、レイフォンが刀を持たないことで不利益を被る生徒がいることになる。
誰か予測は出来ている。
「ナルキですよね?」
「ああ。ゲルニ君だ」
ただいま現在サイハーデン刀争術を学んでいるナルキ。
彼女にとって、レイフォンが刀を持つかどうかはきっと大きな問題なのだろう。
どれほど大きな問題かは、見当も付かないが。
「ですけれど、かなりの部分は僕がフォロー出来ますから、このままで良いかと思っていたんですが」
「ああ。困らない条件がそろったように見えるね」
見えるとオスカーが言う。
実際には違うのだ。
武芸者ではないカリアンには正確なところは分からないが、それでもそれなりには分かっているつもりだ。
「ええ。細かい所というか本質はやはりサイハーデンからでなければ伝わらない」
「あの人が伝えてくれればいいのだが」
「そうですね。ナルキはレイフォンの弟子ですから、積極的には関わらないのではないでしょうか?」
そうなると、出来れば刀を持った方が良いという結論になる。
カリアンとしてもやはり、レイフォン本来の姿を取り戻して欲しいのだ。
それが、本来の志望と違う事をさせてしまっている事の罪滅ぼしになるかどうか分からないが。
いや。おそらくレイフォンの志望とは逆の事だとは思う。
罪滅ぼしどころか、余計なお世話になる事は間違いない。
「そんなに違うのかね?」
だが、その問題よりも先に解決すべきは、刀と剣との違いについて確認する事だ。
同じ板状の金属で出来た刃物だ。
素人考えだが、そんなに違うようには思えない。
包丁などあまり使った事はないが、物を切る時にさほどその使い方を意識した事はない。
「そうだな。カリアンに分かりやすく説明するとだな」
考えつつオスカーがウォリアスを見る。
どうも明確に説明出来ないようだ。
「斧と鋸は知っていますか?」
「斧というと、消防隊が常備しているやつだね?」
ツェルニにも消防署があり消防隊員がいる。
その隊員の基本装備の一つとして、斧が使われている。
整備の手間が掛からずに、確実に動作する信頼性の高い装備として。
当然それはカリアンも知っている。
鋸についても、知識としては知っている。
両方とも実際に使った事はないが。
「斧は、重量や運動エネルギーの全てを一点に叩きつけて、相手を粉砕する事で破壊します。それに比べて鋸は小さなひっかき傷を連続して付ける事で削ります」
ウォリアスの言う事は分かるような分からないような。
だが、違うと言う事は理解した。
「刀は鋸に似た使い方ですし、剣は斧に似た使い方です」
「成る程。似ているが全く違うのだね」
同じ効果を得るにしてもそこにある原理は全く違う。
ならば、その動きに決定的な違いがある。
だからこそここまで問題がこじれてしまっているのだ。
「困ったね」
自発的に刀を持ってくれる事はおおよそ望めないが、強制する事は出来ない。
そして、説得する事が出来るかも知れない人材が、偶然にツェルニに居る。
いや。恐らく偶然ではないのだろう。
あまりにも都合が良すぎるし、レイフォンを知っている事と合わせると、グレンダンかヨルテムからやって来たと考える方が妥当だ。
他力本願になってしまうが、それでも外的因子で変わる事を願ってしまう。
出来うるならば、時間をかけてレイフォンに考えて欲しいのだ。
本来学園都市が果たすべき事柄を果たせない今だが、それでも考えて選択して欲しいのだ。
ここ数日、溜息の多いレイフォンに視線を向けつつ、少々では済まない胸の痛みと共にメイシェンは授業を受けていた。
授業は聞いているがその内容は全く頭に入ってこないが、今は勉強よりもレイフォンの方が重要だと思っている。
レイフォンに何かあった事は間違いない。
だが、一緒にいたはずのナルキもその事については何も話してくれない。
武芸者と一般人では住む世界が違うと言う事は知識としては知っていたが、実際に目の当たりにするとやはり疎外感に似た思いを感じてしまう。
それはとても苦しい事なのだが、ウォリアスには暫くすれば復活するはずだからそっとしておいてくれと頼まれている。
戦いに出て帰ってこないかも知れないレイフォンを待つと言う事も辛いが、メイシェンのせいで好きな武芸を止めてしまう事も辛い。
我が儘だと分かっているだけに、答えを出す事が出来ない。
だからそっと視線を向けるだけに留めている。
そしてふと思う。
汚染獣がいなければレイフォンは戦う事がないはずだと。
汚染獣がいなければレギオスは歩き回る必要はない。
そうなればセルニウムの消費も大きく減るだろうし、そうなれば戦争もなくなるかも知れない。
もし、そうなったらレイフォンは好きな武芸を競技として楽しめるはずだ。
それは素晴らしい事だ。
その競技でお金がもらえれば、万事丸く収まる。
そこまで考えて絶望した。
この願いは世界を変えると言う事に直結しているから。
汚染獣のいない世界を作る事は、人間には出来ない。
もし出来るのだとしたら、誰かがとっくにやっているはずだ。
「はあ」
小さく溜息をついて黒板の方を見る。
いつの間にか授業内容が変わっている事を確認した。
どうやら一度以上休憩時間があったらしい。
これは少々では済まない驚きと共にメイシェンを打ちのめした。
そして、恐る恐ると教室に掛かっている時計を見る。
授業時間はあと十五分ほど残っている。
「あう」
小さく呟く。
下腹部の圧力がかなり大きい事を認識してしまったから。
このまま何とか我慢出来ればいいのだが、そうでなければ恐ろしい事になってしまう。
冷や汗が背中を流れているような気もするが、きっと気のせいだと考えてレイフォンの方を見る。
「あう」
何故か視線が合ってしまった。
しかも心配げな視線とだ。
何故今まで見つめている時に気が付かないのに、こんな時だけ気が付くのだろうと不思議に思いつつ、それでも何とか耐える。
決して手を挙げる事などしない。
いや。正確には出来ない。
そんな二重の意味での地獄の苦しみを味わいつつも、ゆっくりと時間は流れて行く。
それはもう一時間経ったはずなのに、時計の針は五分しか進んでいない程にゆっくりと。
顔から血の気が引いて行くのを実感しつつ、レイフォンの視線が更に心配気になるのを確認しつつ、更に待つ事五分。
あと五分で授業が終わる。
必死の思いでこらえつつ、二時間もそうしていたように思って時計を見ると、僅かに三分しか進んでいない。
必死に秒針が進むように既に滅んだ神に向かって祈ったが、滅んでしまっては願いを叶える事が出来ないようで、ゆっくりとまるで止まっているのかと思えるほどゆっくりとしか進まない秒針。
「あ、あう」
既に涙目になりつつも何とかこらえる。
そしてとうとう終了のベルが鳴った。
まさか、少し延長するかとか思ったのだが、今回そんな地獄を見る事はなく終了が告げられた。
急いで立ち上がった瞬間。
「メイ」
「ひゃ!」
いきなり目の前にレイフォンがいたのだ。
これはある意味予想しておくべき事柄だった。
あれだけ心配げな視線でメイシェンを見ていたのだ、終了直後にやってくる事は当然だ。
当然だからと言って嬉しいという訳ではないのが、今回の問題の複雑怪奇なところなのだが、おそらくレイフォンは分かってくれないだろう事も分かっているのだ。
「どっか身体の具合ぐわ」
そう続けようとしたレイフォンの側頭部に、ミィフィの鞄が激突。
よろめいたところに更に蹴りが打ち込まれる。
「ええい! この愚か者が! 馬鹿者が! 乙女の都合という物をしっかりと認識しろ!」
更に蹴られるかと思ったのだが、いきなりミィフィがメイシェンの方を見る。
その視線は必殺の間合いに獲物を捕らえた、猫科の生き物にそっくりだ。
実際に見た事なんか無いけれど、きっとそうなのだ。
今蹴られたら終わりだ。
乙女として致命的に終わってしまう。
だが、それでも何とか耐えなければならない。
奥歯をしっかりと噛みしめて衝撃に備える。
「何やってるの! さっさと来る!」
「あ、あう」
どうやら蹴られずに済んだようだ。
そしてミィフィに引っ張られるまま、目的の場所へと足を向ける。
かなり足腰に力を入れにくいが、それでも何とか移動を開始する。
「このたわけ者めが! 貴様は鈍いのか鋭いのかどっちだ!!」
「おごわ」
後ろでは、レイフォンを肩に担いで背骨を折ろうとしているナルキも見えるが、今は目的を果たす事こそが重要だ。
あまりここで時間をかけてしまうと、もしかしたら混んでしまうかも知れないから。
そうなったら、さらなる地獄を体験する事になる。
殺剄を使ってレイフォン達の授業に参加していたイージェ・ハジマは、笑い出したいのを必死でこらえている。
ここで笑ってしまっては殺剄が解けて、隠れている事がばれてしまうからだ。
まあ、レイフォンには分かっているようだし、やや離れたところから監視している念威端子を通して、誰かにも伝わっているようではあるのだが、教室内の他の生徒に分かってしまうと少々面倒だ。
殴り倒して解決出来る問題なら是非とも呼び込みたいのだが、生憎とそう言う類のものでは無いので、ばれない方が断然良い。
そして、タワーブリッジで締め上げられるレイフォンを眺めつつ思う。
ヨルテムからツェルニに来て良かったと。
これほど面白いやつを見る事が出来る事になるのならば、旅をする価値は十分にあった。
イージェ・ハジマはヨルテム出身の武芸者だ。
幼い頃からサイハーデンを学び、それなりの実力を身につけた時には十八歳になっていた。
身についた実力が本物かどうか試してみたくなり、ヨルテムから出て傭兵家業をしつつ世界を放浪する事八年。
久方ぶりに実家の道場へ戻ってみると、父親が少々煤けている事を発見。
事情を聞いてみれば驚く事ばかり。
僅か十五歳かそこら辺でサイハーデンを完璧に使いこなし、父を遙かに凌駕する実力を持つ人間が現れた。
刀を持てばという条件がついていたけれど。
しかもそれがグレンダンのレイフォン・アルセイフだった。
強いやつを見たら戦いたくなるのが武芸者の本能。
と言う事で探し出して勝負を挑もうとして再び驚いた。
つい先日学園都市に向かって出発した後。
更になんだか複雑な事情があるとかで、交差騎士団長と会ってみたりもした。
結局のところ事情を全て聞き終えて、イージェ自身がツェルニに来る事になった。
やって来て早々、小隊対抗戦という物があると聞きつけ、物見遊山のつもりで見学に行ってみて驚いた。
話に出ていた少年が、話に聞いていた通りに長剣でサイハーデンもどきを使っている。
その身のこなしは恐ろしく不自然で、同じ武門の者とはとうてい思えなかった。
だから、試合終了後に探し出して詳しく本人から事情を聞こうとしたのだが、赤毛猿に稽古を付けているところに遭遇。
赤毛猿の素振りは明らかにレイフォンの影響を強く受けていた。
もの凄く不自然で、更に悪い事に、刀を持つ前の赤毛猿が使っていたのが打棒だった事も災いして、信じられないほどに無様な形になっていた。
これは事情を聞き出す前に一発殴るべきだと判断して実行した。
その時、他の連中もいたが、まあ、そんな物はどうでも良いとその時は思っていた。
いや。今も思っている。
金髪でやたらに負けん気の強い小娘がいたが、それも一瞬で黙らせる事が出来たし。
その後三人で話し合った。
結局、三時間ほど話し合ったが、結論を出す事は出来なかったのだが、それもまあ良いかと今は考えている。
イージェ自身、正式なサイハーデンも使えるが少々変化もしている。
ならば、長剣を使ったサイハーデンをレイフォンが興すのならば、それもありでは無いかと考えてもいる。
そうはならないだろうとも思うが、もう暫く見ていても良いかと思うのだ。
ちょっとやそっとでは見る事が出来ないラブコメを、こんな間近で見られるのだ。
傭兵家業で貯めた金もあるし、ここらで一息つくのも良いだろうという考えもある。
当然だが、このイージェの心境をレイフォンに正直に話す事はない。
迫った選択肢は四つ。
そのどれを取るかはレイフォン次第だが、まあ出来れば、刀を持って欲しいとは思っている。
本来の技を使うレイフォンと戦うためには、どうしても刀である必要があるのだ。
「さて」
小さく呟き、花摘みと呼ばれる行為に向かった黒髪の少女が戻ってきたので、イージェは教室を出る事にした。
念威端子の向こうにいる誰かが、そろそろ話をしたくてウズウズしているだろうと思うから。
政治的な話し合いなんて物はご免だが、レイフォン絡みだとどうしても通らなければならない。
武芸者を止めるためにここに来たはずなのに、何故未だに戦い続けているのかとか、その辺から聞かなければならないから。
出来れば肉体言語で話がしたいと思いつつも、イージェは校舎から外へと出る。
いつも通りにサンサンと降り注ぐ太陽の光で、一瞬視界がホワイトアウトしかけたが根性でそれを押さえつける。
殺剄を維持しつつ校舎から離れること一分。
適度な距離を持っていた端子が、急速に接近。
「俺に何か用か?」
機先を制するつもりはないが、基本的に積極的な性格なのでこちらから話しかける。
いきなり念威爆雷で攻撃してきたら楽しいのにと、ほんの少しだけ思いつつ、そうならないことは理解している。
『少々お話があるのですが? お時間いかがでしょうか?』
「ああ? かまわねぇよ」
丁寧な言葉遣いはあまり好きではないのだが、相手に強要するつもりもない。
合わせるつもりもないが。
『では、ご案内いたしますので』
そう言いつつ移動をする念威端子を追いかけて、イージェは学園都市を歩く。
学校に通った事はあったが、結局勉強は苦手なままだった。
武芸者である以上、剄脈さえあればいいと考える時もあるが、まあ、ここは学園都市なのだ。
少々違った物の見方をしても良いかもしれないと思いつつ、念威端子について歩く。
授業中は基本的にみんな校舎の中にいるせいで、町中は非常に静かだ。
これなら犯罪天国かも知れないと思っているが、あちらこちらに監視カメラがあるし、そもそも旅行者の行動範囲を大きく超えているのは、イージェの方なのであまり大きなことは言えない。
規則を徹底されてしまったら、バス停のそばで静かにしていなければならないからだ。
それは非常にうっとうしいことになるので、いい加減な規則のままが良い。
歩いているだけでは退屈なので、そんな埒もないことを考えているのだ。
「っとそう言えばよ」
『何でしょうか?』
退屈を紛らわせるために、念威端子に向かって話しかけることにした。
相手が少女だったら良いのだが、あいにくと男のようなのは、少々残念かも知れない。
「さっきの可愛い生き物達の映像って、録画してねえか?」
『俺にそう言う趣味はありません』
「何でねえんだよ?」
『俺のかってです』
どうやら決定的に趣味が違うらしいことが分かっただけでも、収穫としては悪くないかも知れない。
今度から映像記録装置を持ち歩こうと、密かに思っているのは公然の秘密だ。