肉体的な疲労は感じていなかったが、精神的には非常に疲れていた。
思ったよりもニーナの攻撃が捌きやすかったとは言え、シャンテ・ゴルネオペアーとヴァンゼの相手は結構大変だった。
剄量を押さえ込んで戦う以上、それなり以上の緊張をすることは経験済みだったのだが、それでも四試合は少々では済まない疲労をレイフォンにもたらしていた。
こっそりと溜息をつき錬金鋼を待機状態に戻して、観客席に向かおうとして。
「流石レイフォンだね。僕と互角に戦える日もそう遠くないだろうね」
そんなウォリアスの声が聞こえてしまった。
別にそれはどうでも良い。
良くはないが、これ以上は安心して戦えないレイフォンにとっては、どうでも良いことだった。
だが、今回も周りがそれを許さなかったのだ。
「それはつまり、君ならレイフォン君に勝てると言う事かね?」
「ええ。少々手間がかかりますが、レイフォンくらいいつでも倒せますよ」
懐疑的なカリアンの発言は良い。
それに乗ってウォリアスが大風呂敷を広げるのも許せる。
問題なのは、観客の殆どがもう一試合を望んでいることだ。
はっきり言って疲れているので、遠慮したいのだが。
まあ、試合放棄は無理だとは分かっているから引き受けるけれど。
ナルキとの立ち会いで少し精神的には回復したし。
「それじゃあリーリンとミィフィとナルキと、後シャンテ先輩?」
何故か四人の名を呼んで筆談を始めるウォリアス。
話を聞かれたくないのだろうが、少々これはやり過ぎだと思う。
確かに活剄を行使すれば、この距離の内緒話は聞こえるが、そんな事をするつもりはないのだ。
そして更に怪奇現象が立て続けに起こった。
何故か四人の女性の表情が怪しい笑いに変わり、メイシェンを伴って観客席から降りてきたのだ。
「な、なに?」
怯えるメイシェンの肩をミィフィが抱き、安心させているのは良いだろう。
何故か観客席からメイシェンを隠すような位置に三人の女性陣が立つのも良いとしよう。
ヴァンゼの立ち位置をウォリアスが変えさせているのも良い。
問題なのは。
「もしかしてメイシェンを武器にするとか?」
「僕をなんだと思っているんだい?」
展開上レイフォンを倒すことを考えるのならば、メイシェンを打撃武器にすることがもっとも考えられたのだが。
避けるわけにはいかないし、迎撃するなどもってのほかだ。
そうなると丁寧かつ慎重に受け止めるしかないわけで、それは猛烈な精神的な疲労を伴う。
そんな事を続けられたのならば、レイフォンに勝ち目はない。
まあ、流石にそこまで悪趣味なことは出来ないのだろう。
「武器はこれを使うね」
その代わりと言わんばかりに、合成樹脂で出来た巨大なハンマーを手に持った。
元々このハンマーはウォリアスのだから、かまわないと言えばかまわないのだが、なんだか非常に馬鹿にされたような気がする。
メイシェンを隠すように位置取りしたところでウォリアスが口を開く。
「どちらかが負けを認めるまで続けると言うことで良いかい?」
「良いけど。意識を失ったら負けね」
「それで良いよ」
大まかなルールが決められた。
ヴァンゼも何が起こるのか分からない様子で、興味津々とレイフォン達を見つめている。
「では、はじめ!」
そのかけ声と共に、ウォリアスが何の躊躇いもなく前進。
一瞬錬金鋼を構えようかと考えたが、余りにも間抜けな光景に思えてそのまま待ち構えることにした。
素手で戦うのは余り得意ではないが、出来ないわけではないというのも判断の一因だ。
それに、あのハンマーなら金剛剄を使えば余裕で防げる。
そして、あっさりと間合いに入り込み、ハンマーが大きく振りかぶられた。
「っぱ」
その姿勢のまま、いきなり横に移動するウォリアス。
「っぱ」
いつの間にかしゃがんでいたミィフィの手が、勢い良く上に跳ね上げられ。
「え?」
「?」
制服のスカートの裾が跳ね上がった!
その下から現れたのは、瑞々しく滑らかでいて柔らかそうな何か。
見るからにふわふわの産毛が生え、右に三カ所、左に二カ所の黒子が恥ずかしげに自己主張をしている。
だが、百分の二秒後に現れた物は、それらの存在を忘れさせるに十分な威力を持っていた!
滑らかで柔らかそうで艶やかな、フリルでリボンな青い。
「ひゃああああああ!」
普段のメイシェンからは想像も出来ない勢いで手が動き、スカートの裾を押さえつける。
その動きではたと我に返ったレイフォンは。
「うわぁぁぁん」
取り敢えず悲鳴を上げて時間を稼いでみた。
だが、その次の瞬間に訪れた衝撃は、レイフォンの人生を全て打ち砕くに十分な物だった。
「ピコ」
「ぐわ!」
何の前触れもなく頭にふり降りた衝撃は、卵を割ることさえ出来ない物だったはずだ。
だが、それがレイフォンに与えた効果は凄まじく、仰け反り体勢を崩しその場に尻餅をついてしまった。
見上げた先には当然、細い目を更に細くして喜んでいるウォリアスが居て。
「イエーイ」
快哉を叫びつつ、後方に控えていた加害者たちとハイタッチを交わしている。
つまりこれは全て、ウォリアスの作戦だったと言う事を意味していて、それに参加した女性陣は共犯と言う事で。
メイシェンとレイフォンが被害者だ。
「反則だ! 如何様だ! 八百長だ!」
当然の権利として抗議を行う。
認めたら負けだというルールがある以上、レイフォンはまだ負けていないのだ。
だが。
「成る程。もう一度見たいというのだね」
ウォリアスがそう言った次の瞬間。
「ひゃ?」
ミィフィに羽交い締めにされたメイシェン。
観客席から目隠しをするように立つリーリンとナルキ。
そして、しゃがみ込みスカートの裾を弄んでいるシャンテ。
ホレホレと何時でも良いぞと体現している。
そして、勝ち誇ってハンマーを構えるウォリアスと来れば、もはやレイフォンに選択肢はない。
「ごめんなさい。僕の負けです」
涙を一杯に貯めた瞳でレイフォンを見るメイシェンが見えなかったとしても、降参する以外にはないのだ。
一気に脱力してへたり込んだ先では、加害者たちが多いに喜んでいる。
メイシェンはと見れば、当然のように脱力して座り込んでいる。
戦うと決めた瞬間にレイフォンは負けていたのだ。
「メイ」
「うぅぅぅぅぅぅぅ」
力の入らない足腰に鞭を入れて、やっとの事でメイシェンの側に行き手をさしのべたのだが、猛烈な抗議のこもった視線で見上げられた。
そして。
「・・・・・・。見た?」
「っう!」
メイシェンに見上げられ、そう訪ねられた。
見なかったと答えることは出来ない。
だが、見たと答えることも出来ない。
まさに二律背反。
にっちもさっちも行かない状況が変わったのは、質問が発せられてから正確に三秒後。
「レイとんのことだからしっかり見てるよね」
「にひひひひ。そりゃあ。見えない方がおかしい」
「縫い目の一つ一つから黒子の一つ一つに至るまで、しっかりとね」
ナルキにミィフィにリーリンが保証してくれた。
全然嬉しくないけれど。
それを聞いてメイシェンの表情がこわばり。
「・・・。消去!」
「消去しました!」
鋭く突きつけられたメイシェンの人差し指に命じられるまま、レイフォンの脳はさっき見た映像を消去した。
多分。
「男の性として、墓まで持って行く記憶だと思うな」
いらないことを言うウォリアスに殺意が少しわいてしまった。
具体的に言うと、老性体戦に挑んだ時くらいのささやかな殺意が。
「・・・・・・」
だが、それも長いこと続かなかった。
何しろ目の前には、なにやら危険な視線のメイシェンがいるのだ。
普段大人しい人が怒ると恐ろしいというのは、本当の事かも知れない。
そんな事を考えている間に、すっくと立ち上がったメイシェンが一言。
「お預け!」
「きゃん!」
思わず変な悲鳴を上げてしまった。
犬になったつもりはないと思うのだが、そんな悲鳴を上げてみた物の実は違ったのだ。
メイシェンの向いているのは加害者たちの方で。
「ふふん。甘いなメイ」
「そうだよ? 私達にはリンちゃんという強い味方がいるのだ」
つまりメイシェンがお預けといったのは、ナルキ達のおやつが無くなると言う事だったのだ。
だが、ここで問題になるのはリーリンの存在で、無敵な万能主婦である彼女の協力が得られるのならば、メイシェンのお仕置きは怖くない。
と、考えているのだろうが、これには実は非常に大きな落とし穴があるのだ。
「ねえ」
確認のためにミィフィがリーリンを見るが、視線がそらされる。
レイフォンは知っているのだ。
お菓子作りに関しては、リーリンはメイシェンの足元にしか及ばないと。
と言うか、せがまれて作っていたレイフォンの方が上手いくらいだと。
「ごめん。私お菓子は苦手なんだ」
当然のリーリンの告白に、その場が嫌な沈黙に支配される。
これは予定が違ったと顔に書いてある二人は良いのだが。
「ま、まさか、私もお預けか?」
赤毛猫が絶望の悲鳴を上げているのも、実は問題ではないのだ。
そう。ニヤニヤと笑っているウォリアスに比べれば。
「いやぁ。そう言うオチがあるとは思わなかったねぇ」
一人だけ余裕の態度だ。
甘い物がないと生きて行けないというわけではないようだし、当然なのだろうが。
「・・・・・・・」
更に危険な雰囲気に支配されるメイシェン。
あんな辱めを受けた以上、容赦する謂われはない。
「成敗!」
それは命令ではなかった。
あえて言うのならば、死刑宣告。
「うりゃぁぁ!」
「シャァァァ!」
武芸者二人が襲いかかったのを契機として、残り二人もウォリアスに躍りかかる。
抵抗しているのだろうが、剄脈の小さなウォリアスに抗う術はない。
見る見るうちにボロボロにされて行き、なにやら痙攣しているようにも見えるが、助けるという選択肢は存在していない。
「メイシェン?」
余りの惨状から視線をそらせて、恐る恐る声をかけたのだが。
「ふぅぅんだ」
非常にご機嫌斜めなようで、惨劇を背に会場を後にしようとしている。
ここでもレイフォンが摂れる選択肢はたった一つ。
「待ってよメイシェン」
何とか機嫌を直してもらうために追いかける。
ヨルテムに着いた頃から比べると、レイフォンは大きく変わったと思うのだが、メイシェンの変化はレイフォンのそれを大きく凌駕している。
もはや別人かと思う時があるほどだ。
だが、そんな事を悠長に考えている暇はないのだ。
メイシェンを追いかけなければならないから。
四人の少女にボロボロにされているウォリアスを見下ろしつつ、カリアンはこの惨状を止めようとは思わなかった。
止める必要がなかったからだ。
ナルキが一瞬視線を動かしてレイフォン達が居なくなったことを確認すると、マウントポジションで顔をひっかいているシャンテを持ち上げた。
当然というか何というか、まだまだ制裁がたりていないと暴れるが、身長差は如何ともしがたく空中でじたばたしているだけになった。
「シャァァァァァ」
「はいはい。もうそろそろ終わりにしましょうね」
ウォリアスの説明が十分ではなかったのか、それともシャンテが勘違いしたかでこの惨事は起こったのだろうと言う事は理解している。
被害が大きいようだが、それでもやるだけの意味があるのだろうとも思っている。
「それで、この茶番にはどんな意味があるのかね?」
まだ暴れようとしているシャンテを、宙づりにしたままのナルキに聞いてみる。
ウォリアスの方が適任なのだが、生憎とまだ喋ることが出来る状況ではないのだ。
実は、聞いたカリアン自身おおよそ理解はしているのだ。
「酔っている連中に冷水をぶっかけたというのが、正しい表現でしょうか?」
「そうだね。他にも色々と言いたいことはあるけれど」
思ったよりも軽傷なのか、ややふらついているがウォリアスも立ち上がり観客席へと上がってこようとしている。
シャンテの攻撃で顔中に出来ているひっかき傷が痛々しいが、本人はあまり気にしていないようだ。
他の三人は攻撃しているように見せていただけかも知れない。
十分にあり得る。
「レイフォン君が無敵ではないことの証明かね?」
カリアンも気が付いたのだ。
ウォリアスがなにやら悪巧みをしている最中、彼を見る武芸者全員の否定的な視線に。
レイフォンを倒すことなど出来ないと確信しているそれを見て、カリアンも危険性に気が付いた。
レイフォン・アルセイフは、模倣の対象にはならない。
その才能のすさまじさ故に、一般の武芸者は彼のまねをしてはいけないのだ。
だからこそ、幼稚としか言いようのない策略でレイフォンの欠点を指摘したのだ。
これ以上ないほど情けない姿を見た武芸者の多くは、多少ではあるが目が覚めただろう。
唯一の例外として、余りにも恐ろしい物を見たように硬直するゴルネオが居たが、まあ、天剣授受者と呼ばれる超絶の存在があんな姿をさらしたのだ。
その心理的な衝撃は想像を絶しているはずだ。
「貴男にもですよ。生徒会長」
「私もかい?」
その細い瞳から表情を読み取ることは難しいが、かなり鋭い物であることは認識できる。
そして、次の瞬間理解した。
カリアンもまた、レイフォンという眩し過ぎる光に見せられていたのだと。
そして、ウォリアスが示したもう一つのことにも思い至った。
「そう言うことか」
「そうです。貴男にも見てもらいたかったんですよ」
武芸者ではないカリアンに本当のレイフォンのすごさは分からない。
だが、ウォリアスのすごさは理解できた。
ツェルニ最強と呼ばれているシャンテゴルネオコンビでさえ、レイフォンにとっては雑魚だったのだ。
だと言うのに、ツェルニ最弱を主張しかねないウォリアスは勝ってしまった。
それはつまり、戦術の勝利。
相手の弱点を知り、それを最大限攻撃して勝利を得る。
卑怯とも言えるかも知れないが、こんな手を使わなければレイフォンには勝てなかった。
逆に言えば、卑怯な方法を使えば一般人にもレイフォンを倒すことが出来るのだ。
「成る程。私も酔っていたようだね」
それだけのためではないようだが、それはまたゆっくりと聞けばいい。
ウォリアスはきちんとした計算が出来る人間だ。
ツェルニを守るためになら、積極的にカリアンにも協力してくれるだろう。
よほどあこぎなことをしなければ、の話だろうが。
そして、ゆっくりとゴルネオ以外の武芸者に視線を向ける。
眉をしかめて軽蔑一歩手前の表情でウォリアスを見ているのはニーナだ。
彼女の性格を考えると当然だろうが、今目の前で何が起こったのかをしっかりと理解して欲しいと思う。
そして、盟友と結えるヴァンゼを見て少しおかしくなった。
ヴァンゼを寄せ付けなかった武芸者を倒した勇者を、複雑な表情と視線で出迎えている。
どう評価したらいいか困っているのだろう。
後できっちり説明しなくてはならないかも知れない。
他の連中はおおよそヴァンゼと変わらない反応だが、ただ一人だけ全く違う人物が居た。
「フェリ?」
そう。実の妹たるフェリだ。
なにやら猛烈に不満そうな、あるいは不安そうな表情がその顔に出ているような居ないような。
「・・・・・・・」
なにやらウォリアスに猛烈な殺意を覚えているのか、その視線は非常に冷たい。
フェリの視線を感じたらしいウォリアスが、冷や汗を流しているのを見つめつつフェリが呟く。
「お預けと言う事は作らないと言う事でしょうか?」
「え?」
間近まで接近していたリーリンとミィフィが、意表を突かれて固まる。
シャンテを持ったナルキは全く意味不明だと言わんばかりに、小首をかしげ。
「餌付け完了?」
一瞬だけ考え込んだウォリアスの台詞が会場を支配する。
つまりフェリは、加害者達がお預けを食らったとばっちりを受けて、自分も食べられないかも知れないと考えたのだ。
それが分かったからこその餌付け発言で。
「不愉快です」
そう言いつつウォリアスの臑を蹴るところを見ると、予測通りのことを考えていたようだ。
いつの間にお菓子で餌付けされたか、非常に気になるところではあるのだが、取り敢えずフェリに友達が出来たらしいことをカリアンは喜んだ。
ツェルニに来てから、誰かと交流を持っているという話は聞いていなかったから。
「ああ。レイフォン君に頼んでフェリの分だけ確保とか、出来るのだろうか?」
「シャンテ先輩を暴走させて良ければ」
フェリの分を作ってもらうことは可能だが、そうするとお預けを食らったシャンテがフェリを襲撃しかねない。
ツェルニの貴重な戦力を失う危険性は是非とも避けたいので、カリアンの結論は決まっている。
「それは困るね」
フェリを立てればシャンテが立たずと言う現象が起きてしまっているようだ。
これは非常に困る展開だ。
メイシェンの機嫌が直る以外の解決策が思いつかない。
「まあ、レイフォン次第ですけれど三日ほどで制裁解除になるんじゃないかと」
「だと良いのだがね」
取り敢えずウォリアスの臑を蹴り続けるフェリをなだめつつ、カリアンは思うのだ。
レイフォンだけでも僥倖だと言うのに、ウォリアスを得られたことは素晴らしいことだと。
「ナルキ・ゲルニ。ウォリアス・ハーリス」
カリアンがそう考えている間に、いきなりゴルネオが立ち上がりシャンテを回収しつつ二人に話しかける。
その表情には先ほどまでの驚愕はなく、何かを決意しているように思える。
そして何の前兆もなく頭を下げた。
「頼む! 第五小隊に入ってくれ」
その巨体を折り曲げて新入生二人に頼み込む。
その突然の行動に会場中が唖然とするが、そんな物をゴルネオは気にしていない。
そして沈黙の降りた世界が続くこと数秒。
「私のような無能非才をそこまで評価して頂きましたこと、これに勝る名誉は御座いません」
同じように深々と頭を下げるウォリアス。
作戦参謀として第五小隊に加わる事になれば、戦力は飛躍的に上昇するだろう。
レイフォンを加えた第十七小隊でさえ、勝てるかどうか疑問なほどに。
「ですが、此度はそのご依頼を断らねばならぬ事、どうかお許しください」
更に深々と頭を下げて断りを入れるウォリアス。
きっと何か理由があるのだろう。
出来ればそれを知りたい。
「何故だ?」
当然ゴルネオも疑問に思ったようで、ウォリアスにやや詰め寄る。
「小隊に入ったら他に面倒を見なければならない連中が、ほったらかしになるかも知れないじゃないですか」
軽く答えてはいるが、それがどれほど大変かは理解しているつもりだ。
レイフォンだけではない。
恐らくニーナも面倒を見なければならない人間のリストに入っているのだ。
もしかしたら、ツェルニの武芸者全員かも知れない。
それが分かったかどうかは不明だが、ゴルネオの視線がナルキに向く。
「申し訳ありません。私もお断りさせて頂きたいと」
「理由を知りたいのだが」
一度断られて落ち着いたのか、平静を装いつつナルキに対応している。
だが、多少の付き合いがあればそれが薄皮一枚であることは分かる。
少しでも気を緩めれば、取り乱してしまいそうだ。
「都市警での仕事に集中したいのです」
それを理解しているのかどうか、ナルキがおずおずと答える。
そしてそれは、都市警への就労を希望している以上、本当の事だろう。
これで続けて三人、小隊入りを断った新入生が出た。
ツェルニ始まって以来かどうかは別として、かなり珍しい現象であるのは間違いない。
「・・・・・。そうか。騒がせて済まなかったな」
ゴルネオもそれを理解したのか、今回のことはなかったことにするつもりのようだ。
だが、カリアンはこの二人の小隊参加を望んでいる。
レイフォンに唯一傷を負わすことが出来たナルキの実力は、是非とも小隊に入れて活用したい。
だが、問題は二つ。
どうやってナルキを説得するかというのは、まあ時間をかけて考えればいいし、最終的には本人の了承を取る事も出来ると確信している。
二つ目の問題が入れる小隊だ。
そして、今のところナルキが入れそうな所と言えば、第五か第十七小隊。
ゴルネオの所なら問題はないのだが、ニーナの所に入れることを考えるとかなり問題が有る。
レイフォンとの試合中、足払いを食らって倒れた時ナルキは刀を振り回して防御した。
それを見たニーナは、はっきりと不快そうな表情をしたのだ。
潔くない行動だと判断したのだろう。
レイフォンは同じ行動を見て好感を持ったことを考えると、恐らくナルキに教えたのは彼なのだろう。
そこにレイフォンが使う武門の基本があるのかも知れないが、問題にしなければならないのはニーナの方だ。
負けそうになって刀を振り回した行為を無様だと評価していたのならば、第十七小隊にナルキを入れることは難しい。
これは些細では済まない問題になる。
「時にナルキ君」
「・・・・。何でしょう?」
先ほどレイフォンと戦う切っ掛けを作ったことを恨んでいるのか、ナルキの視線は非常に冷たい。
いや。はっきり殺意がこもっている。
今夜は生徒会の執務室に泊まり込もう。
そう決意したカリアンは気を取り直して疑問を口にする。
「足払いを食らって倒れた時に刀を振り回したが、あれはレイフォン君がそうしろと?」
「はい。悪足掻きが出来ないやつに教えることは出来ないんだそうで」
「やはりか」
おおよそ予想通りの答えが返ってきたが、こっそりと見たニーナの表情は更に険しくなっている。
やはり潔くないと判断しているようだ。
レイフォンが教えたと聞いてもあまり変わらないというか、更に評価が悪くなっているかも知れない。
昨夜機関部で何かあったらしく、二人の関係は改善されていると思ったのだが、それでもまだかなり大きな溝があるようだ。
「サイハーデン刀争術だったっけ?」
「あ? ああ。そうだけれど」
ウォリアスが補足説明をするつもりのようで、割って入って来た。
どうでも良いが、良く知っている物だと感心してしまう。
ここでふと疑問に思った。
レノスの情報収集力は理解できる。
だが、その課程で得られた情報を、何故ウォリアスが知ることが出来たのか?
これについての説明は全くされていない。
とは言え、こちらもおおよそ予測は出来ているのだ。
カリアンの実家のように、情報を扱う家の出なのだろうと。
だから色々なことに詳しく、情報や知識を集めることに躍起になるのだと。
「サイハーデンは、生き残ることを目的にした流派だよね」
「ああ。だから足掻かないやつは破門だそうだ」
一連の会話で理解できた。
そして、グレンダン時代のレイフォンの行動も全て納得できる。
生きるのに邪魔だから誇りを捨てたのだし、名誉や栄光では食べられないから必要としないのだと。
迂闊な判断は出来ないが、やや行きすぎであるとは思う。
そしてもう一度ニーナを見る。
今度はなにやら考え込んでいるようだ。
汚染獣戦に出ることはないカリアンだが、それでもどんな世界かは知っている。
実戦を経た大人達の話も聞いた。
生きて帰ることこそが最優先だと。
そして貿易という戦場でも、やはり生き残るために必要ならば誇りを捨てることはある。
幸いロス家はそんな憂き目にあわずに済んでいるが。
「成る程。良く分かったよナルキ君」
「いえ」
未だに殺意の視線がカリアンに刺さったままだ。
レイフォンとの試合以外に何かしたかと思い返してみたが、会ったのは今日が初めてだ。
考えるまでもなく、何かあったはずはないのだ。
そしてふと視線を感じて振り向いたことを、カリアンは後悔した。
「・・・・・・・」
実の妹であるフェリも殺意の視線を送ってきていることに。
なにやらナルキとアイコンタクトを繰り返しているようにも見える。
もしかしたら、すでに小隊員レベルの強さを持ったナルキと、ツェルニ屈指の念威繰者であるフェリに襲われる日が来るかもしれない。
この二人を敵に回して生きて行くことは、非常に困難だ。
生徒会執務室に泊まり込むだけでは、不十分かも知れない。
ヴァンゼの所にでも泊めてもらおうと決意を新たにした。
カリアンがそう決意を固めるのを待っていたかのように、ゆっくりとした動作で少女達に歩み寄る影があった。
オスカーだ。
なにやら決意の色も堅く、ゆっくりと威厳のある動作でリーリンの前に立つ。
「失礼だが、マーフェス君は料理をするのだと思うのだが」
「? そうですが」
いきなりの展開で動揺しているようだが、リーリンを第五小隊に入れようとしているわけではないと分かると、若干緊張がゆるんだようだ。
そして、オスカーの手がゆっくりと懐に伸ばされる。
「これは正常な経済活動の一環なので、受け取って欲しい」
「はい?」
出てきた手が持っていたのは、なにやら印刷された紙が一枚。
いわゆるチラシというやつだ。
端の方にミシン目が入っているところを見ると、割引チケットか何かが一緒に印刷されているのだろう。
「ローマイヤー食肉加工店?」
「うむ。私が経営している食肉加工店だ」
そう言われてリーリンがチラシをしげしげと眺める。
ゆっくりとその内容を理解するために、何度も読み返す。
そして一言。
「何で小隊員がハムとかソーセージとか作っているんですか?」
「私の実家の家業だからだ」
「えっと? それって家では先輩だけが武芸者と言う事で?」
「いや。代々武芸者の家計だ。百年ほど前の先祖が趣味で始めてな」
「はあ」
「いつの間にか評判になり今では本業になっている」
「それは凄いですね」
カリアンもその辺は知っている。
オスカー・ローマイヤーという武芸者は、今現在ツェルニで食肉加工業を営んでいて、かなり流行っているらしい。
小隊員という武芸者のエリートがやっていると知っている人は少ないが、非常に美味しいと言う事を知らない人間は居ない。
実際に武芸と燻製を子供の頃から叩き込まれて、両方が好きだというオスカーであるからその腕はかなり凄いらしい。
生憎と食べたことがないので良く分からないが。
「成る程。そう言うことでしたら今度寄らせて頂きます」
「うむ。君に料理されるのならばハムやソーセージベーコンも本望だろう」
食べられて嬉しいと思うかどうかは別として、全く料理をしないカリアンがオスカーの店から色々買っても、結局として食材を駄目にしてしまうことは目に見えている。
ならば、それなり以上の技量を持つリーリンに使ってもらうことの方が望ましいのは確実だ。
「トリンデン君にも渡しておいてもらえるかね?」
「はい」
素直に頷いて二枚目のチラシを受け取ったところで、何故か急激に活動を停止。
疑問を湛える大きな瞳がオスカーを捉える。
「何故私達の名前を知っているのですか?」
「アルセイフ君絡みでね。君達は割と有名なのだよ」
「そ、そうだったんですか」
数日前の大通りでの痴話喧嘩に始まって、数々な揉め事を公衆の面前でやってのけたことを思い出しているのだろう、リーリンとナルキの顔が真っ赤に染まる。
何故か嬉しそうなのはミィフィだけだが、彼女の場合きっと違うことを考えているのだろう。
まあ、取り敢えずこの会場は平和だ。
いつまでカリアンの周りが平和化と聞かれると、非常に疑問ではあるのだが、この会場だけは平和だ。