ゲルニ家で始めて迎える朝は、レイフォンにとって爽快からはかなり遠いものだった。
夕食を作るのに四苦八苦している間に、トマスを問い詰め終わったアイリが参戦。
流石に主婦としての経歴が長いだけあり、レイフォンを効率よく使い料理が完成。
だが、トリンデン家と、ロッテン家が夕食に参戦。
人数とメニューが飛躍的に増えたり、仲の良い家族の会話が、いつしかマシンガントークの乱れ飛ぶ戦場に変化したり、孤児院で不特定多数の会話になれているはずのレイフォンでさえ、酔ってしまった。
眠りについた時間は割と早かったと思うのだが、肉体に比べて精神の回復は遅いようだ。
「おはよう、レイフォン君」
「おはよう御座います」
すでに出勤体制を整え終わっているトマスが、コーヒーをすすりつつ挨拶してきたので、普通に返してしまった。
人の家に泊めてもらったのだから、ほかに色々と言うべきことがあると思うのだが、全くその辺を飛ばしてしまった。
「そう言えば、君には色々と聞きたい事があるので、出来れば警察署に来てもらえないかね?」
「け、警察ですか」
そう言う所とは出来るだけお近づきになりたくないのだが、すでに逃げ道はない。
そんな事を思っている間に、警察署に連れてこられて、昨日の顛末を思い出せる範囲で全て白状させられてしまっていた。
メイシェンを膝枕していた当たりまでは、何とか思い出す事が出来たのだが、なぜか、ナルキの登場とかは思い出せなかった。
「つまり君は、頭のそばで指を弾いただけで、相手を気絶させられると」
「はあ。不意を突いたから何とかなったと」
部屋が空いていないとかで、取調室に連れてこられて、もうすぐ昼食の時間だ。
「成る程ね。不意を突いたはずのナルキの攻撃が、全く通じなかった事を合わせて考えると、君は非常に優秀な武芸者なんだろうね」
「そ、そんな事はありませんよ。グレンダンでは僕よりも凄い人たちがいましたから」
何人くらいいたかは、あえて言わない事にする。
むしろ言わない方が平和的に物事が運ぶと思うのだ。
「成る程ね。では本題だ」
今までのが本題ではなかった事の方が驚きなのだが、実際にトマスの表情はきわめて真剣な物に変わっているのだ。
「あえて言っておくよ。私は、君を批難するつもりはない。野次馬根性と言われようが、知りたいんだよ」
「何をですか?」
なぜか、非常に強い不安を感じている自分がいる。
「グレンダンでの、君の事を、出来るだけ詳しく」
そして、大きく息を吸い込み、決意を固めるように、一つの名前を口にした。
「レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ君」
ミドルネーム付きのその名が告げられた瞬間、レイフォンは自分の表情が徐々に、しかし、確実に抜け落ちて行くのを感じていた。
不要な感情を切り離す事によって、戦闘態勢を確立するために。
「先ほども言ったが、私は君を非難するつもりも、裁くつもりもないよ。ただ、知りたいんだ」
間合いを取るためだろう、ゆっくりした動作で冷め切ったコーヒーを一口すすり、不味そうに顔をしかめた。
「レイフォン君が、何をやったかと言う事は、実は警察関係者の間では割と有名なんだよ」
「闇の賭け試合に出ていましたからね」
闇である以上、違法行為なのは当然だ。
その流れで、警察関係者にも知られていたのだろうが、これは明らかに誤算だ。
放浪バス以外で、都市間の情報は流れないのだが、ここは交通都市ヨルテム。
あらゆる都市から情報が集まってきてもおかしくない。
「他の都市で、レイフォン君が何をしたとしても、それを裁く権限は私を始めとした、ヨルテムの警察関係者にはない」
よほどの犯罪でなければ、都市から出てしまえば有耶無耶になるのが今の世界だ。
裁かれるという危険性を、心配する事はないのかもしれないが、問題はレイフォンを受け入れてくれる都市が、無くなるかもしれないと言う事の方だ。
放浪バスで、延々と旅を続ける事は出来ない。
ならば、都市を一つ占領するという選択肢を取らなければ、のたれ死にしか道が無いのだ。
どちらも、あまり好ましい予測ではない。
「だがね。本人を目の前にして分かったのだがね、君は守銭奴ではない。そんな君が、なぜ賭け試合なんかに出たのか、それを知りたいのだよ」
とりあえずトマスは、騒ぎ立ててレイフォンを追い出すという選択はしないでいてくれるようなので、少しだけ安心した。
「知って、どうするんですか?」
能面のような表情が嫌いだと、幼なじみのリーリンに言われた事がある。
今もおそらく、リーリンが嫌いな表情になっているのだろうと、自覚しつつもそれをやめる気にはなれない。
「メイシェン君が助けられた。アイリも君を気に入っている。短いつきあいだが、私も君の事が好きなのだよ」
言いつつ、煙草に火を点ける。
昨日、酷い目にあったばかりなので、やや視線がきつくなったのを自覚したが、苦情のたぐいは言わない事にした。
「好きになった人物の事を、知りたいと思うのは、それほど不思議な事ではないと思うよ?」
「・・・・・。僕、男ですよ?」
「知っているよ」
今の問答が無意味だと言う事は分かっているが、レイフォンとしても間合いを取りたかったのだ。
「つまらない、話ですよ」
「分かっているよ。この仕事していると、つまらなくて後味の悪い話しか聞かないからね」
逡巡する気持ちは、確かにある。
だが、せっかく親切にしてくれた人に対して、隠し事をするのは、あまり好ましくない事も分かっていた。
それに、既にトマスは事実を知っているのだ。
隠す事は無いし、むしろ全て話した方が良いだろう事も理解している。
「どこから話しましょうか?」
右目がつぶれていて、犯罪歴のある武芸者に対して、トマスは暖かく接してくれた。
その恩に報いるのか、それとも厚意に甘えるのか、出来るだけ話す事にした。
「そうだね。なぜお金にあれだけ執着するつもりになったか、そのあたりから話してくれるかね?」
それはある意味、レイフォン・アルセイフという人物をもっとも効率よく、正確に知るための質問だった。
「つまらない上に、ものすごく不快で暗い話ですよ」
「慣れているよ。警察官なんかやっているからね」
苦笑を浮かべるトマスが、軽く顎をしゃくり、先を促した。
のどを潤すために、冷め切ったコーヒーをすすり、顔をしかめた後、短い割に色々あった人生を話し始めた。
不味いコーヒーをすすると言う行為で、味覚を刺激し、それを起点に感情と表情を戻しつつ。
昨日は、レイフォンの話が思ったよりも長くかかってしまった。
全てが終わったのは、深夜にさしかかろうという時間だった。
使われた時間の三分の一程は、トマスがレイフォンを抱きしめて、孤児のために努力した事を労う時間に使われた。
残りの時間も、実はレイフォンの話を聞くために使ったわけではないのだ。
話自体は、それほど長くかからなかったが、途中で酸素吸入が必要な発作に襲われたのだ。
精神的な傷を、自ら抉ってしまった事が原因だろうと、常駐している医師は言っていた。
そんな非常に不安定なレイフォンには、彼を全面的に肯定する人間が必要だと感じているトマスが居る。
例え間違った方法で稼がれた金だったとしても、言い方は悪いが、汚い金だろうが、それで救われた人間は大勢いるのだ。
警察官なんかやっていると、理想と現実のギャップの大きさに、胃がもじ切れそうになる事がある。
昨日の言動を聞く限り、レイフォンには罪悪感がない。
何が間違いだったかも、今はまだ理解していないだろう。
ならば、それを教える事こそが、レイフォンに関わった武芸者に課せられた使命なのではないかと、そう考えてさえいるのだ。
だが、今の問題はそこではないのだ。
「僕は無実だ。出してください!」
「ああ。分かった分かった。誰でも始めの内はそう言うもんだよ」
「信じてください。僕は何もしていないんです」
鉄格子を両手でつかんだレイフォンが、必死に訴えているのだが。
「三丁目の、下着泥棒。あれはどう考えてもお前の仕業だろう?」
「ちがう。僕はそんな事していません」
レイフォンの前に居る男は冷静沈着に、しかも、徐々に反論を封じつつ相手を攻撃する。
「ああ。六丁目の女風呂覗きの方を先に自白するか?」
「僕じゃないんです。信じてください」
鉄格子をつかんだ両手に力を込め、涙を流さんばかりに訴えるレイフォン。
「・・・・・・・・・・・・。そろそろ良いかね? レイフォン?」
「あ、はい。おはよう御座います」
泣きそうだった表情から一点、朗らかに挨拶を返された。
「旦那さぁ。せっかく興が乗ってきたんだから、もう少し良いじゃねぇですか」
「あほ! 下着泥棒も覗きも、お前の仕業だろう」
「このあんちゃんのノリが良いんで、思わず俺の罪を着せようかと」
「レイフォン。とりあえずそこから出てきてくれるかね?」
「はい」
深夜になってやっと終わった、レイフォンの事情聴取。
家へ連れて帰るという選択肢も有ったのだが、双方疲れ切っていたので、警察署に泊まる事にした。
そして、なぜか宿直室が全て埋まっているという不運に見舞われた。
トマスはソファーで寝るから良いとして、レイフォンには出来れば寝室を用意したいと考えた。
留置所の檻が、一つだけ空いているのを確認。
いささか変わった体験だろうが、鍵をかける必要もないし、本人が了承したので、そこに泊まってもらった。
で、朝起きて、レイフォンを迎えに来たら、このような始末。
「どこまでページを無駄にすれば気が済むんだい、レイフォン?」
「え、えっと。一度やってみたかったんです」
五歳の頃から武芸の鍛錬に精を出し、八歳の頃から汚染獣との戦闘に明け暮れ、一般常識の多くが欠落しているとは思っていた。
違う意味で予想外の展開になった事に、少々では済まない疲労感に見舞われていた。
「とりあえず、朝食でも摂ろうか」
「はい」
「旦那ぁぁ。俺にも飯下さいよぉぉ」
「分かった分かった」
下着泥棒と覗きの常習者で、変にノリが良いこの男の前にレイフォンを泊めた事を後悔しつつ、彼の朝食の指示を飛ばした。
女性警官に捕まったら、事故死に見せかけられて殺される。
そう言う噂が流れているのを、この男が信じているかどうかは不明だが、捕まる時には男性警官と決めている節がある。
まあ、重罪を犯さないだけましだと思って、トマスはつきあっているのだが、かなり激しく精神力を削られるのも事実だ。
「やれやれ」
ため息とも愚痴ともつかない言葉を、無意識的に零しつつ、場所を移動する。
「それで、昨日結局聞きそびれてしまったのだが」
留置所から昨日使った取調室へと移動し、配達された朝食を前に切り出す。
「・・・。はい。猶予が一年もあるのに、グレンダンを出た理由ですね」
「ああ。私が同じ状態に置かれたら、猶予のある時間を最大限使って、これからの身の振り方を考えると思うので、少し気になってね」
僅かに三週間で都市を出てしまったレイフォンの、その行動に何か不振な物を感じているわけではない。
理由が分からない行動という物に、不安を感じているのだ。
「陛下から、追放処分のお達しが出て、家に帰ったんです」
もしかしたら、また酸素吸入が必要になるかもしれないので、その辺の手配もすでに終わっているが、おそらく必要ないだろうとも思っている。
「弟や妹たちが、裏切り者とか、卑怯者とか言う言葉で、僕を迎えたんです」
かなりきつい話だというのに、レイフォンはトーストにジャムを塗りつつ、平然と話している。
「それは別に良いんですが、敵を見るような視線で僕を見たので、戦うわけにはいかないので、逃げる事にしました」
敵と戦うか逃げるか、二つしか選択肢がないと思ってしまったようだ。
「それは」
守ろうとした人たちからそんな視線で見られたのなら、全てが終わったような気持ちになって、人生を投げ出してもおかしくない。
今までの犯罪者には、結構多いタイプの話なのだが、レイフォンは少し違っているようだ。
「まあ、僕は見たくなかったから、勝手にやっただけなんで、ある意味覚悟は出来ていましたね」
微笑みつつ、トーストを囓る。
「家には帰れないから、隠れ家で放浪バスが出るのを待ちました」
「隠れ家?」
守銭奴ではないにしても、倹約家のレイフォンが、そんな物を用意していると言う事は非常に驚きだ。
「廃ビルの一室を勝手に使っていただけですけれど」
「ああ。不法占拠ね」
それなら家賃はかからないし、誰かに見つかる危険性も低い。
「おいてあったのは、青石錬金鋼が一本と、着替えと食料に水が少々。後、少しのお金ですね」
「ヨルテムに持ってきた鞄の中身が、それか」
「はい。あれが僕の全財産です」
悲鳴を上げて、泣き叫んでも不思議ではない事を平然と話しつつ、朝食を食べるレイフォン。
すでに、ここで非常に危険な状態だ。
「悪かったね。好奇心丸出しで聞いたみたいで」
「ただ飯が食べられましたから、お得でしたよ」
トマスはこの時、非常に不安定なこの少年を、何とかする事がとてつもない難事業である事を理解した。
そしてもう一つ。
時として、お約束以外の何者でもない、バカな行動を取るのは、レイフォンが無意識的に自分の精神の均衡を取ろうとしているからかもしれない。
その危険性にも気が付いた。
トマスの取り調べを生き抜いたレイフォンは、とりあえずゲルニ家へとやってきていた。
荷物がここに置きっぱなしだし、当面行く宛てもなかったからだ。
午前中最後の日差しを浴びつつ、ゆっくりと扉を開ける。
「あら、お帰りなさいレイフォン」
「た、ただいま?」
ここを自分の家にしたつもりはないのだが、お帰りと言われた以上、ただいまと返さなければいけないような気がするのだ。
そして、台詞の最後が疑問系になっていたのは、有る特殊な事情があったからに他ならない。
「ほかの人たちは、居ないんですか?」
玄関まで出迎えに来たのは、アイリを始めとする、女性が三人だけ。
「みんな学校とか仕事とかよ。私たちも曜日が違うだけで働いているし」
「ああ。僕くらいの歳だと、学校に行くんでしたね」
五歳の頃から時間という時間を最大限使って鍛錬に打ち込んで、八歳頃から試合に出て積極的に汚染獣と戦っていたレイフォンには、学校に行った記憶がほとんど無い。
天剣授受者に選ばれてからは、その傾向が激しくなり、今ではグレンダンでもっとも学力の低い武芸者になっているという、変な自信があるくらいだ。
「・・・・・・・・。レイフォン?」
「はい?」
アイリの視線に、何か危険な物が宿ったような気がするが、すでにレイフォンに逃げ道は存在していないのだ。
「一緒に、勉強しましょうね。私たちが、強くして上げるわ」」
「そうよ。武芸者としてはどうか分からないけれど、一般人としては、少し頭を使った方が良いわね」
両肩に手を置いた、ミィフィ母とメイシェン母。
「え、えっと」
「さあ。私たちでも、何とか教えられる所までは教えて上げるから」
アイリに持ち上げられて、家の奥へと連れ込まれてしまった。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
取りあえず、悲鳴一つ上げてみたが、きっとなんの慰めにもならないだろう事は、十分以上に分かっていた。
トマス・ゲルニは一昨日に続いて、帰宅した瞬間に異世界へと飛ばされた事を否応なく理解させられた。
「お、お帰りなさい。ご飯になさいます? それともお風呂を先にしますか?」
縦断する傷に右目を潰された背の低い少年が、フリフリでピンク色でレースのエプロンを着けて出迎えてくれば、誰だって異世界の住人になれるというものだ。
「レイフォン?」
哀れな少年の後ろでは、にやにやと笑っている女性が三人と、当惑していたりおろおろしたりしている子供が数人いたりする。
「アイリ」
「何かしら?」
首謀者はおそらく自分の妻だろうと、半ば確信しつつ思い切って聞いてみた。
「私がレイフォンと浮気したら、どうするのかね?」
「殺す」
問答無用の即答だった。
「い、いや。ほかの選択肢はないのかね?」
「そうね。女の子と浮気するんだったら、半殺し程度で済ませるつもりだけれど、男の子と浮気したら、即座に殺すわ」
「い、いや。だったら、この有様は?」
「勉強の成果よ」
「なんの勉強をさせたんだ?」
「一般常識」
レイフォンの一般常識が危険なレベルである事は十分以上に理解しているのだが、目の前の自分の妻の非常識ぶりは、もはや言語道断な程に危険だ。
「ああ。貴男が浮気する前に、私がレイフォンと浮気しましょうか?」
「それは犯罪だ」
青少年を保護する条例が、ヨルテムにはあるのだ。
それを無視するアイリに恐ろしい物を感じつつも、トマスは思う。
その半生において、戦いの連続だったレイフォンではあるのだが、孤児院で家事をしていたのもまた事実ではある。
つまりトマスが何を思ったかというと。
「似合っているかと聞かれれば、非常に似合っているが」
ふとここで、右目の傷がどうして出来たのかまだ聞いていない事を思い出し、訪ねようとしたのだが。
「ahahahahahahahahahahahahahahahaha」
尋ねたい本人は、それどころの状況ではなかった。
「壊れてしまったか」
「誰の、どの台詞が切欠だったんでしょうね」
「追求はしないほうが身のためだな。お互いに」
「そうね」
すべてを流すことに決めたのだが、問題から目をそらせていることは、きっちりと理解している。
「また煙草を使うか?」
「それは駄目でしょう」
即座にいろんな人から突っ込まれてしまったために、却下だ。
「なら、どうするのだね?」
「傷つき疲れ果てた男なんか、女の子と一緒に寝ればすぐに直るわよ」
「いや。だから、それは犯罪ですって」
そう言いつつも、アイリの視線が違う方向に向いている事を確認。
「メイシェン君?」
脱力して、目を回したメイシェンが、ナルキに抱きかかえられていた。
「いつから?」
「父さんの、レイとんとの浮気発言から」
原因はトマスだったようで、この後完全に発言権はなくなった。
「良いのかい?」
事ここにいたって、アイリの視線の意味を正確に理解する事ができた。
その意味を理解しているだろうメイシェン父に尋ねてみたが、非常に喜んでいるように思えるのは、気のせいではないようだ。
「俺は、息子と酒を飲みたかった」
三人の子供がいるトリンデン家だが、全員女の子なのだ。
彼の気持ちも分からないわけではない。
「俺の野望を手っ取り早く叶えるためだ。全然問題ないさ」
「そうよ。来年の今頃、メイシェンがお母さんになっていても、なんの問題もないわ」
メイシェン母が言い切ってしまった。
「そうよね。メイシェンじゃあ、いつになったら彼氏が出来るか分からないし」
「そうそう。私もお兄ちゃんが欲しいし」
メイシェン姉と、メイシェン妹も計画推進派のようだ。
「じゃあ、ナルキ。二人を運んでちょうだい」
「あ、ああ」
納得しては居ないようだが、空気に飲み込まれたナルキが、二人を一緒に運んで行ってしまった。
「良いのか?」
トマスには、疑問の声を上げるしか方法がない。
朝起きたらメイシェンと一緒のベッドで寝ていたために、危うく違う世界へと旅立ちそうになったレイフォンだったが、何とか現世にとどまる事が出来た。
朝食の席上、集まった三家族のほとんどから、なんだかさげすみの視線を感じたのは、非常に理不尽だとは思ったが、気にしてはいけないのだと自分に言い聞かせた。
「へたれ」
「根性無し」
「腑抜け」
「腰抜け」
言い聞かせはしたのだが、トリンデン家の四人から、そんなお言葉を頂いてしまっては、反論しなければいけないような気にもなってきた。
懸念していた罵声とは、かなり違う内容だったので、その反論もオドオドした物になってしまうだろうが。
「あ、あのぉ」
「よくやったぞ、レイフォン」
何か言うよりも早く、トマスに抱きしめられてしまった。
身に覚えのない事で、褒められたレイフォンは、とっさに反発してしまった。
「や、やったって、僕は何もしていないですよ」
一緒のベッドで眠っていただけで、メイシェンに対して何かやったなどという記憶は、全く存在していない。
それなのに、トマスは立派にやり遂げたと、レイフォンをほめるのだ。
ほかの人たちからの視線は、きっと、レイフォンが獣になったとでも思っているのだろうと、心の底から理解した。
それにしては、台詞が違うような気もするのだが。
「何も、しなかった事を、よくやったね」
「へ?」
そう言いつつ、頭を撫でられた。
「えっと」
レイフォンを見つめる人たちの視線が、トマスの行動と反対のものだと言う事は理解している。
つまり。
「僕がメイシェンを襲ったりしなかったから、みんなの視線が痛いんですか?」
「そうだ」
いつ、どうやってかは不明だが、メイシェンと一緒に眠っていたのは、とても褒められない状況になる事を期待されたからだと、理解した。
「え、えっと。僕、色々問題がありますけれど?」
グレンダンでの事もそうだし、これからの展望がない事もそうだし、もっとも問題なのは、実はレイフォンの方ではないのだ。
「問題ないさ。メイシェンが嫌いだとか、メイシェンが憎いとか、大きな胸の女の子が嫌いだとか、そう言う事がなければ、是非ともお婿さんになってくれ」
メイシェン父が、なぜか涙を流さんばかりの勢いで、レイフォンに迫ってくる。
「え、えっと。僕はまだ十四歳なんですけれど?」
今年の誕生日が来て、やっと十五歳になるのだ。いくら何でも結婚は早すぎる。
「結婚なんて、年齢制限さえクリアーすれば出来るさ」
「え、えっと。年齢制限があるんですし、ほかにいい男だって、いっぱい居るでしょう?」
「メイシェンがなついている男の子となると、レイフォン君くらいしか居ないのだよ」
「僕たち、まだ知り合ってから三日ですよ?」
「俺達夫婦は、知り合った次の日には入籍していたよ」
大きく頷きつつ、ほおを染めるメイシェン母。
どうも、この人達に常識を求めるのはかなり問題がありそうだと、レイフォンは結論づけた。
自分の常識にも自信はないのだが、ここまで飛んでいると言う事は、さすがにないと判断しているのだ。
「とにかくだ。俺は、早く君と酒を酌み交わしたいのだ。だから、メイシェンと結婚してくれ」
飲酒可能年齢には、まだかなりあるのだが、その辺は無視する事に決めているらしい。
「メイシェンの意志を無視していませんか?」
そう。これが最も大きな問題なのだ。
短いつきあいではあるが、メイシェンがレイフォンの事を嫌っていると言う事はないと思うのだが、それと結婚相手として考えているかと言う事は、別なのだ。
「! そ、そうだったな。考えてみれば、メイシェンが君の事を、ペットと同じだと思っているかもしれんな」
「ペットは、流石にないんじゃ?」
そうは言う物の、メイシェンに鎖をもたれ、散歩する自分を容易に想像出来る。
「う、うわぁぁ」
あまりの情けなさに、涙が流れそうになった。
「それで、メイッチはまだ寝ているの?」
「え? 一度起きたんだけれど、目を回して」
なぜか、ほぼ同時に目覚めてしまったのだ。
そして、視線があって二秒後。
全身から湯気を立ち上らせ、目を回して失神してしまったのだ。
「うぅぅぅむ。メイッチも情けない。一押しで全てが片付いた物を」
ミィフィが、問題のありすぎる事をぼそぼそと呟いている。
「良いのか?」
「まあ、レイフォンさんですから、平気でしょう」
ナルキとシリアが、何やら感想だか展望だかを口にしている。
だがしかし、レイフォンにとって女の子とは謎の生物だ。
よほど汚染獣の方が理解出来ている。
しかも、結婚となれば、一生のパートナーの事だ。
安易に決めて良いものでは無いと思うのだが、もしかしたら、世間的にはそうではないのかもしれないとも思う。
多分幻想だろうが。
「レ、レイとん」
そんな、ある意味限界の精神状態に表れてしまったのは、もう一人の主役、メイシェン。
気が付いてしばらく立っているはずなのに、その頬は桜色に染まり、瞳には涙があふれんばかりになっている。
「メイシェン」
何やら決意も固く、唇をかみしめ、スカートの裾を力の限り握りしめたメイシェンの視線が、レイフォンをとらえた。
「わ、私が眠っている間に、何をしたの?」
この短い台詞を言う間に、その瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちるのを確認。
「う、うわぁ」
思わず、後ずさる。
女の子の涙は、老性体六期よりも恐ろしいと感じてしまった。
だが、その台詞はメイシェンが何か決意を持って発せられた言葉だと言う事は、十分に理解はした。
「同じ台詞なのに、言う人間が変わると、こうも違うもんだとは」
「ああ。メイッチは凄いな」
ミィフィが何か感動しつつカメラのシャッターを切り、ナルキが感銘を受けているが、問題は断じてそこではないと言いたい。
「レイフォン君」
何か言わなければならないと、そう決意した物の、何を言って良いか分からないという、切羽詰まった状況のさなか、いきなり肩を掴まれ、後ろを向かされた。
「ここは、言うべき台詞は二種類しかないわ」
「お前はもう俺の肉奴隷なんだから、言う事だけ聞いていれば良いんだ」
「あるいはね、誠心誠意メイシェンに向かってこういうのよ」
メイシェン母と姉と妹が、小さな声でレイフォンにアドバイスをくれた。
「や、やってみます」
肉奴隷という物がどんな物かは皆目見当がつかないが、選択して良い物でない事は、何となく分かった。
なので、もう一つの方を若干アレンジして、伝えるためにメイシェンの前に跪いた。
「はえ?」
いきなりの展開に動揺激しいメイシェンが、一歩後ずさろうとするが、それを許さず、力の限りスカートを握りしめている手をそっと引きはがした。
その手を、やはり出来る限りそっと包み込み。
「結婚してください」
その瞬間、ゲルニ家の音という音が、一斉に停止。
「ひゃう? ひゅう?」
やっとの事で、メイシェンの意味不明な声が発せられ。
「おいおい」
「私たちは、付合って下さいってお願いしたらって、進めただけなのよ?」
「そうよ。いきなりこんな展開、嬉しい誤算だけれど」
「レイフォンさんって、もしかして天然暴走少年?」
トリンデン家の人たちの、そんな声も聞こえるが、レイフォンは実はそれどころではないのだ。
何しろ、謎の生物たる女の子に、こんな事をいきなりお願いしてしまったのだ。
この後どうなるか、全く予測出来ない。
未知なる恐怖が、レイフォンを支配しようとした、まさにその瞬間。
「あぅ」
一声発したメイシェンが、いきなり活動を停止。
その場に崩れ落ちてしまったのだ。
「うわ」
どういう状況になっても反応が出来るように、活剄を最大限発動していなかったら、倒れた拍子にどこか打っていたかもしれない程、それは急激な展開だった。
「え、えっと。取りあえず、寝室に逆戻りかな?」
「そうだな。流石にこのまま学校というわけにはいかないだろうな」
「それはそうかもしれないけれど、たしか、皆勤賞を狙っているとか言ってなかったっけ?」
「そういえば、今年こそ休まずに学校に行くって張切っていましたね」
なにやら、話が危ない方向に進みつつあるような気がするが、レイフォンにどうこうする事は出来ない。
「と言うわけでレイとん。メイッチを抱きかかえて、登校に付合え」
「もちろん、拒否は許さないよ?」
「そうですよね。メイシェンにあんな事して、こんな状況になったんだから」
何時も以上の連携を見せるナルキとミィフィとシリア。
「わかりました」
もはや受け入れる以外に、方法はない。
「学校の準備とかわ私がするから、レイとんは取りあえず、出発の準備をしておいてくれ」
「にひひひひひ。これでメイッチも安泰だね」
「じゃあ、僕も登校の準備しますね」
異常な手際の良さを見せ、それぞれに散っていってしまった。
「じゃあ、私たちも登校の準備を」
「ねえねえ。もしかして、そろそろ遅刻ぎりぎりじゃない?」
「あれ? そう言えば、もうこんな時間だ。朝ご飯食べ損ねた」
トリンデン家とロッテン家の子供達も、それぞれに登校準備をするために、自分たちの家に帰って行く。
「あれ?」
今更ながらに、レイフォンは不思議に思った。
なんで、全員がここに居るのだろうと。