汚染物質に焼かれ荒廃した大地を進み、ツェルニへ向かう放浪バスの中。
レイフォン達は席替えをしていた。
ヨルテムを出発する際の、混乱のつけを払っているのだ。
当然だが、メイシェンに睨まれたりしているのだ。
大勢の前であんな辱めを受けたら、誰だって睨むに決まっているし、レイフォンだって怒るに違いない。
「ウォリアス・ハーリス。よろしくね」
この時期のバスには良くある事らしいが、乗客の殆どが同い年くらいだ。
当然、目的は留学。
とは言え、入学式が近いこの時期では、満席という訳ではない。
なのでメイシェンとナルキが一つ前の列に移り、そのあおりでウォリアスと名乗った少年がレイフォンの隣にやってきた。
ミィフィは、通路を挟んだ隣の席二つを占領している。
ミィフィだけ、やや荷物が多いのがその原因だ。
「レイフォン・アルセイフです。よろしく」
無難に挨拶を済ませておく。
やや平らな顔をした、黒髪で細目の少年は武芸者のようだ。
その剄の流れは遅滞が無く、かなり綺麗な色をしている。
身のこなしにも無駄が無く、明らかに相当の使い手である事が伺える。
だが、その流れ方に反して、強さや圧迫感をあまり感じない。
まだ剄脈が充実していないのか、それとも生まれつき弱いのかのどちらかだろう。
グレンダンでは生まれつき剄脈が大きく、剄路も太い武芸者は多いが、流れの綺麗な者はあまり多くない。
鍛錬と実戦を繰り返す中で改善されて行くが、十五才くらいとならば珍しい部類に入る。
それから考えれば、目の前の少年はグレンダンと反対の性質を持っていると予測できる。
「どこからですか?」
「古文都市レノスから」
話が途切れると気まずかったのでついでに聞いてみたら、のほほんとした感じで答えてくれた。
あまり力んだ生き方はしていないようだ。
「ごめん。聞いた事無いです」
「うぅぅぅん? 結構有名だと思ったんだけれどな」
細い目を更に細くして、小首をかしげるウォリアス。
小首をかしげるのが癖のようだ。
「アルセイフ君は?」
「交通都市ヨルテムから。ツェルニに留学」
物はついでとばかりにそう言ったのだが、恐るべき反撃を食らってしまった。
いや。予測しておいてしかるべきだったのだ。
「? 新婚旅行じゃないの?」
「ひゃぅ」
「はう」
当然と言えば当然なのだが、見られていた事に驚いて、思わず前の席のメイシェンと変な悲鳴を上げてしまった。
「にひひひひひひひ」
通路を挟んだ隣の席にいるミィフィが、これ以上ないほど嬉しそうに笑っている。
「まあ、冗談は兎も角として」
ナルキの溜息が聞こえたあたりで、ウォリアスが話を修正する。
もちろん荷物を横に置くジェスチャー込み。
「もう少し物騒というか、汚染獣との戦闘が多い都市からだと思っていたよ」
「! ど、どうしてそう思ったの?」
会って間もない人物から真実を言い当てられて、かなり動揺してしまった。
「簡単だよ。戦闘の多いところの武芸者は汚染物質遮断スーツを着込んで、戦場で大声で早口で的確に指示を伝えなければならない」
レイフォンにもそんなシチュエーションの記憶はある。
「だから、似たような意味の言葉を使う時にも、聞き間違えが少ない単語を使う」
言われてみれば、思わず使う言葉という物は、グレンダンの武芸者ではおおよそ共通していたような気もする。
「結局の所、普段でもそう言う単語を優先して使ってしまう癖が付いているんだけれど」
一般人とは言葉の使い方が違うと言うか、単語の選び方が違うというか、そんな感じの認識は確かに有った。
「アルセイフ君のしゃべり方は、戦闘の多い都市の武芸者のそれだったんでね。ヨルテムにしては少しおかしいかなって」
「そ、そうなんだ」
生まれた都市の影響という物が、結構大きいのではないかと改めて認識してしまった。
「生まれはグレンダンだから、その辺が少し残っているのかな?」
こう言っておけば、取り敢えず誤魔化せると思ったのだが。
「・・・・・。もしかして、ヴォルフシュテインなんて、偉そうなミドルネームが」
再び、いきなり真実を突かれて、激しく動揺する。
背中を冷や汗が流れ、嫌な緊張が全身を支配する。
「いやね。顔に縦線浮かべて動揺していると、本当の事だって白状しているような物だよ」
言いながらウォリアスの視線が、少しさまよう。
「何かするつもりはないから、座席の影から恨めし気な視線で見ないで欲しいな」
その視線の先では、メイシェンが威嚇するような視線をウォリアスに送っているが、迫力はない。
悪夢を見そうではあるが。
「どうしてそれを知っているんだ?」
活剄を高めつつナルキが問いただしている。
すでに錬金鋼を手に持っているあたり、いざとなったら始末すると公言しているような物だ。
「にひひひひひひ。大丈夫だよレイとん。この私が、社会的に抹殺してあげるから」
メモ帳を持ったミィフィが、非常に怖い笑顔でウォリアスを見つめている。
「い、いやね。だから、僕はアルセイフ君の事を批難するつもりはないんですよ」
冷や汗を流しつつ、弁解じみた事を言うウォリアスだが、レイフォンにしてもしっかりと知っておきたい。
「どうして、僕の事を?」
当然のはずのレイフォンの質問に、かなり衝撃を受けた様な表情をするウォリアス。
「・・・・・。古文都市レノス。この名に聞き覚えは、本当にない?」
「全然無いけれど」
記憶を探ってみても、心当たりはない。
相手の認識は違うようだし、もしかしたら、頭の中が筋肉と剄脈で出来ていると言われるレイフォンが忘れているだけかも知れない。
「実を言うと、僕もツェルニに行くんだ」
いきなり話が飛んでしまって、認識が追いつかなかった。
「正確に言うなら、都市の予算が無いから、無能な武芸者を飼っておく余裕がない。半分追い出されたような物だね」
笑っているように見えるが、もしかしたら、かなり腸が煮えくりかえっているのかも知れない。
残念な事に、その細い目からはあまり感情を読み取れないのだ。
「そ、そうなんだ」
「そう。ある意味君と同じだね」
指さされたあたりで、かなり事情に詳しいのだと理解させられた。
「でだね。その原因というのが、二年前の戦争なんだ」
うんうんと、一人で納得しているウォリアスから視線をそらせて、同行者三人を見回す。
ナルキの視線がそらされ、ミィフィが興味津々とマイクを取り出し、メイシェンが不安そうにウォリアスを睨んでいる。
三人とも、話の筋が見えていないようだ。
「その都市と戦った時なんだけれど」
いよいよ話の核心になったと言わんばかりに、声が潜められた。
当然、三人もこちらに体を乗り出している。
「相手は、たった一人だったんだ」
「!」
ウォリアスのその一言で、嫌な予測が一つ出来上がってしまった。
「しかもね。こう言ったんだよ」
人差し指で上を指さし。
「貴様らを殺し尽くすのに300秒はかけすぎだが、一兆分の一の精密さも必要かも知れん。18000秒ほどかけて死人が出ないように手加減してやる」
抑揚に欠けるその台詞は、とても、知り合いの言いそうな事のような気がする。
「18000秒って?」
「えっと。五時間」
「何で普通に五時間って言わないんだ?」
三人の会話を聞きつつ、レイフォンの背中を流れる冷や汗の量は、増大の一途をたどっている。
「その人がさ。目に見えない細い糸を武器に戦ってね。外縁部から奇襲をかけるはずだった部隊も、接岸部に荷揚げされて」
荷揚げという言葉から想像できる事は、十把一絡げにされて乱暴に接岸部に放り出されたのに違いない。
そして、そんな事が出来る人間を、レイフォンは一人だけ知っている。
「死人は出なかったけれど、本当に五時間で敗北。しかも、相手は始めに立っていた位置から一歩も動いていない」
話が見えてきた。
「レイとん。それってもしかして」
実際にレイフォンの鋼糸の技を見ているナルキは、おおよそ話の内容を理解したようだ。
「さてここで問題です。家が戦った都市と、武芸者の名前は?」
質問の形を取っているが、それは単なる答え合わせでしかない。
「槍殻都市グレンダンの、リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン」
「正解」
正解を貰ったというのに、全然嬉しくない。
「その時、都市はそれほど傷つかなかったんだけれど、怪我人の治療には手間がかかってね」
ここまで話が進んで、やっとの事でレイフォンは思いだした。
二年前の戦争。
リンテンスが戦ってしまったので、レイフォンは見学しているだけだった。
だが、接岸部の両脇から荷揚げされた相手の武芸者を覚えている。
壊れ物注意というラベルが貼られていなかったので、とても乱暴に扱われたと記憶している。
建物も丁寧に切り刻まれ、破片を回収したリンテンスが、その大きさを細かく調べて不満そうな顔をしていたのも覚えている。
「そ、そうだったんだ」
非常な動揺と供に言葉を紡ぎ出す。
レノスのその後はおおよそ理解できる。
治療が終わった後も、たった一人に負けてしまった武芸者達の立場は、非常に悪い物になったに違いない。
そんな立場の悪くなった武芸者たちは、リンテンスの戦い方を見て戦力の増強を図るために、少数精鋭策を取ったのだろう。
この次があったら、無様なまねはしないと。
結局、予算が削減される中精鋭に回され、優秀でない武芸者のいる場所が無くなった。
結果として、今ウォリアスは放浪バスの中で、レイフォンの隣に座っている。
「納得いった?」
「これ以上ないくらいに」
細い目を限界まで細くしたウォリアスが、にこやかに微笑んでいる。
実際に微笑んでいるかはかなり不明だが。
「まあ、今回の留学は、都市を出るための口実なのかも知れないけれどね」
色々な都市を見て回りたいのかも知れないし、もしかしたら対人関係で悩んでいたのかも知れないが、今掘り下げる必要はない。
「そ、そうか」
なんだか安心した様子で、ナルキが錬金鋼から手を離し活剄を納める。
「それで、都市の上の方が躍起になって天剣授受者について調べてね」
「それで僕の事も」
「そ」
思いの外武芸者の世界というのは狭いのかも知れないと思いつつ、レイフォンは新たな危険性について考えていた。
「気にする事はないと思うよ。ヴォルフシュテイン卿とアルセイフ君じゃ、かなり雰囲気が違うから」
「そ、そうかな?」
自分自身の事なのであまりはっきりとは分からないが、確かに天剣だった頃とは違っていると思う時もある。
そもそもウォリアス自身、グレンダン出身と言う事を聞いてから、やっと気が付いたくらいだ。
かなり人に与える印象が違うのかも知れない。
「そんなに腑抜けた顔していたら、誰も天剣だって思わないよ」
「はう」
ヨルテムに着いたばかりの頃も言われたが、他人から見たらそうなのだろうかと、かなりブルーになってしまった。
「確かに。実際に手合わせしてみないと、そんなに強い武芸者だなんて信じられんからな」
「そうよねぇ。にひひひひひ」
「あやう」
三人の意見も、おおむね同じようだ。
「まあ、最後の試合はかなり拙かったけれど、それ以外は割と共感できるからね」
「そ、そうなんだ」
やはり、ガハルドとの試合は問題だったのだと、改めて認識したレイフォンだったが、今更どうこうできる問題ではない。
「取り敢えず、親がグレンダン出身と言う事にしておけば、同姓同名の別人と言う事で、勝手に納得してくれると思うよ」
「う、うん。その辺で押し通してみるよ」
だがしかし、これから先、レイフォン本人の事を知っている人間に出会うかも知れないという危険性だけは十分に認識した。
それについてレイフォンが悩もうかとした瞬間。
「それで、出産は近いの?」
「のわ!」
「ひゃぁぁぁぁぁ!」
いきなりの話題転換で、再びメイシェンと悲鳴を上げてしまう。
と言うか、今までの話題はここでお終いと言う事なのだろうが、普通にそう宣告してくれてかまわないと思うのだ。
非常に心臓に悪い。
「やはり違うのか。紙おむつなんか持ってきているから、もしやとは思ったんだけれどね」
にひひひと笑うミィフィが不気味だが、ウォリアスの方はきちんと認識していてくれる様で、少し安心だ。
「まあ、ゆっくりしようよ。入学式まではもう少し時間があるし、バスもそれまでにはツェルニに着くだろうから」
「そ、そうだね」
武芸者としては優秀ではないのかも知れないが、何かレイフォンとは決定的に違う生き物であるらしい、ウォリアス・ハーリスとの付き合いはこうして始まった。
三回目の乗り換えを終了させ、ツェルニに向かうリーリンはかなり真剣に悩んでいた。
レイフォンに女がいる。
リンテンスがそう言った以上、本当にいる確率が極めて高い。
つい先ほど通り過ぎたヨルテムでその真相を調べたのだが、旅行者が行動できる範囲内では何も分からなかった。
レイフォンの仮住まいの住所は分かっていたのだが、そこを訪れると言う事も出来なかった。
グレンダンだったなら、旅行者に認められる行動の自由はかなり大きいのだが、ヨルテムはかなり窮屈だった。
それでも、連絡を取ろうと思えば出来たのかも知れないのだが、乗り換え時間があまりなかった事が災いしてしまった。
乗り換え時間五時間というのは、都市を出た事のないリーリンから見ても異常に短いと言う事は理解している。
放浪バスが寄りつかないグレンダンが全ての原因かもしれない。
その短じかい時間で耳にした情報と言えば、リーリンが到着する前日に停留所で起こった事件についての話ばかり。
曰く。緑あふれる大地を目指して、勇者とその伴侶が旅立った。
曰く。青年の口付けで骨抜きにされた少女が妊娠した。
曰く。純情可憐な少女が少年の姿をした汚染獣に強引に唇を奪われ、どこへともなく連れ去られた。
などなど。
停留所でラブシーンをやった馬鹿がいた事は理解できたし、それがかなり派手で十年は語り継がれるだろう事は確実と言う話だが、リーリンの目的には全く関係がなかった。
小さく溜息をついて、ふと考える。
もし、レイフォンがグレンダンを旅立つ時に、見送りに行ったとしたなら。
無駄だと分かっていても引き留めただろう事は間違いないし、もしかしたのならば、感情にまかせて。
「・・・・・・・・・・・・・・。まさかね」
そんな語りぐさになるようなことは流石にしないだろうが、それでも口付けの一つくらいなら、無いとは言い切れない。
「そ、それよりも今は、あの馬鹿の事よ」
自分のしでかしそうな恐ろしい予測から、強引に話をそらせる。
そもそも、こんなに色々と考えさせられる原因は何かと言えば。
当然、それはレイフォン以外にはあり得ない。
ガハルドとの試合の直後、帰宅したレイフォンを見る弟や妹たちの視線は、確かに非常に厳しかった。
だが、それは、みんながレイフォンの事を好きだったから怒っていたのに、それを全く理解しない馬鹿は二度と帰ってくる事はなかった。
リーリンが何かする暇が無いほどあっさりと、何の未練もないと言わんばかりに踵を返した姿を最後に音信不通になってしまった。
リーリンの気持ちも、デルクの後悔も知らぬげに。
一度だけ、レイフォンらしき人物が子供が路面電車に引かれそうになったのを助けたと聞いたが、怪我をしたはずなのに病院にもかからなかったために確認は出来なかった。
そんな音信不通が続いたレイフォンにツェルニで逢ったのならば、問答無用で正座させて、小一日説教をしてやろうと思っていたのだが、今リーリンの胸と言わず腹と言わず内包する怒りの量はそんな生やさしいものでは無い。
あえて言うならば。
「殺す」
自ら死を望むまでなぶり尽くしてからでなければ、とても慈悲を与える気にはならない。
それだけの殺意と怒りを胸に、リーリンはバスに揺られる。
当然、先ほどのリーリン自身がしでかしてしまうかも知れない、恐ろしい予測の反動も含まれている。
「でも」
実際に逢ってしまったのなら、多分何も出来ないだろう事も分かっている。
何しろ、無事な姿で再び逢う事が出来るのだ。
この汚染された世界では、死はそれほど珍しくない。
グレンダンの天剣授受者とは言え、それは例外ではないのだ。
一度都市を離れたのなら、それは永遠の別れであってもおかしくない。
だから、どれだけ心配していたかそれを知らしめる事はするだろうが、それ以上は出来ない。
「はあ」
溜息が出てしまうくらいに、色々な事が頭の中で渦巻いていて、にっちもさっちも行かない状況になっている。
これも全てレイフォンがいけないのだが、叱る以外の事が出来るとも思えない。
「はあ」
いい加減に思考が迷走している事を自覚したリーリンは、眠ろうと瞳を閉じた。
だが。
「・・・・・・」
瞼の裏側に現れたのは、どこの誰とも知れない女性を妊娠させて、平謝りに謝るレイフォンの姿。
「・・・・・・・・」
猛烈な殺意がわき上がってきた。
いま、もし、レイフォンがすぐそばにいたのならば、確実にその喉笛を食い千切っていたに違いない。
思わず拳を握り力が入る。
「?」
その殺意を何とか押さえようと努力している最中、隣に座っていた少年が身じろぎするのを感じた。
薄目を開けてみると、何かに恐れおののいたように、リーリンから遠ざかろうとしている。
もしかしなくても、リーリンの殺気が漏れていたようだ。
「こほん」
小さく咳払いをして取り敢えず自分を落ち着かせつつ、隣に座った同級生になるかも知れない少年が、これ以上恐れないように注意する。
よくよく考えてみれば、ヘタレで恋愛経験が無く武芸馬鹿の鈍感王レイフォンに、そんな大それた事が出来るはずはないのだ。
「うん。きっと手をつないだとか、その程度よね」
自分に言い聞かせる。
どちらにせよ、ツェルニで逢えば分かるのだ。
自分に言い聞かせたリーリンは、今度こそ眠ろうと必死に瞳を閉じる。
隣にいた少年が音を立てないように、必死に席を替わる気配を感じつつ。
「これも、レイフォンのせいよね」
もしかしたらツェルニで恐れられるかも知れないが、その責任は全てレイフォンに有ると、自己弁護をしつつ、リーリンは少し早いが眠りについた。
まだ、目的地まではかなり遠いのだ。
今から全力疾走していては、体が持たない。
放浪バスで移動する事十日。
体を動かせない事と拷問の区別が付かなくなった頃合いに、やっとの事でツェルニに到着した。
停留所の周りには、当然の事ではあるのだが、同じ目的でここに来た同年代の少年少女がたくさんいる。
日差しはそれほど強くなく、割と穏やかな昼下がり。
「つ、つかれた」
忘れたふりをする訳にもいかないので、ヨルテムから持ってきてしまった紙おむつと共に下車すると、今まで通ってきた都市とはやはり微妙に違う空気の匂いと遭遇した。
「うん。なんだか学園都市といった空気だ」
当然の事が思わず口を突いて出てしまうくらいに、レイフォンは浮かれていたのだ。
「いや。まあ、気持ちは分かるんだが、もう少し落ち着こう」
呆れ気味のナルキの声と溜息が聞こえるが、体を動かさないと死んでしまうレイフォンにとっては、まさに水を得た魚状態だ。
実のところ、ナルキもあまり変わらないようで、せっせと伸びをしたり屈伸をしたりして、固まった体をほぐしている。
「レイとん。嬉しそうだね」
そう言うメイシェンも、背伸びをして開放感を満喫している。
「にひひひひひ」
「な、なんだよ?」
何時も通りに笑うミィフィが、やはり怖いが。
「いや。私も私なりに開放感を味わっているだけだよ? にひひひひひ」
こういう笑い方をするのが癖になっているようだ。
「いや。途中で汚染獣の襲撃とか無いかって心配だったけれど、無事に着けて良かったよ」
大きめの鞄を肩から提げたウォリアスも、その細い目を日差しに更に細くしている。
武芸者とは言え、動かない事にそれほど苦痛を感じない様子で、軽く伸びをしただけで普通の状態に戻ってしまった。
「取り敢えず、宿に泊まってから寮を探さないと」
ヨルテムの時とは違い、今回は割と計画的に物事を運べそうで少し安心している。
一人ではないと言う事が、これほどありがたいと思った事はかつて無かった。
「そうだな。案内板はあそこか」
ナルキの視線の先を追うと、確かに立派な柱に固定された、地図らしき物が存在していた。
それに書いてある道順を覚える。
この辺は割と得意だ。
「じゃあ、行こうか」
メイシェンとミィフィの荷物と合わせて四個を、両手に抱える。
だが、ナルキの視線が少し横にずれている事に気が付いた。
「錬金鋼は、預けなければならないのか」
地図が貼り付けられている柱の脇に特設された、新入生用の注意書きを読んでいたナルキが呟いた。
注意書きがある事を示すためだろうが、大きなビックリマークの形をしているこれを作った人は、きっとジョークがなければ生きてゆけない人だろう。
なぜか見過ごしてしまった事は、全力でごまかしつつそう思う。
「へえ。そうなんだ」
「ああ。これ」
指し示す先にある文言を読み上げる。
「武芸科生徒は、入学より半年間錬金鋼の携帯を禁止とする。個人的に持ち込んだ物も事務所にて保管する」
過去に何か問題でもあったようで、丁寧に赤く太い文字で書かれている。
「ふぅぅん。じゃあ、荷物を置いたら預けてこようか」
「そうだな」
ナルキとウォリアスがそんな事を話している。
取り敢えず、関係がないとレイフォンは聞き流した。
「レイとん。平気?」
「うん」
両手に四つの荷物を持っているとは言え、それほど重さがある訳でもないので全く問題無いのだが、メイシェンは少し心配気だ。
「じゃあ、とっとと落ち着こうか?」
誰からも異論は出なかった。
だが。
「しかし、四畳半の寮って有るのかな?」
「よじょうはん?」
いきなりウォリアスが意味不明な単語を使ったので、思わず硬直して聞き返してしまった。
「うけけけけけけ。貧乏な夫婦の新居というのは、四畳半と相場が決まっているのだよ」
「ひゃぁぁ」
「はぅぅ」
当然、ここで話題に上っているのは二人しかいない。
「にひひひひひ。やはりここが二人の新たな門出の地になるのだね」
ミィフィとウォリアスは、どうやら似たような生命体らしい。
「冗談はさておき。安い寮があると良いね」
「そうだね。あんまり高いところだと、家賃払うのも大変だし」
楽しそうに笑いつつ、被害者の事などお構いなしに先を行く加害者。
「ほら。お前らもいつまでも固まっているな」
「あうあう」
「ahahahaha」
ツェルニでの生活は、レイフォンにとって非常に刺激の強い物になる事が、ほぼ確定した。
「それにしてもウッチンは色々知っているねぇ」
「ねえミィフィ。その名前止めない? タイプミスしたら問題有るよ」
「にひひひひひ」
いつの間にか、前を行く二人は非常に仲良くなっていた。
加害者同士で、通じる物があるのかも知れない。
バスに揺られる事十日。
やっとの事でツェルニに到着したリーリンは、思わずバスから降りた瞬間、大きくのびをしてしまった。
「はあ。きつかった」
長時間乗る事を前提としている放浪バスとは言え、その大きさには限度がある。
そのせいで割と窮屈な思いをしたのだが、それももう終わりだ。
気が付けば、リーリンの周りから同年代の少年少女がいなくなっていたが、そうまでして恐れられるのも終わりだ。
何度となくレイフォンに対する殺意がわいたが、それに悩まされるのも、もう終わりなのだ。
と、思いたい。
そう。ここはツェルニなのだ。
そう認識しながらグレンダンとは違う、どこかのんびりしたと言うよりも弛緩した空気を胸一杯に吸い込む。
外縁部の更地が小さい事を除けば、構造自体はあまり変わらないのだが、それでも、新鮮な感動と共にツェルニの町並みを見渡す。
色とりどりの建物で、少し賑やかな感じのする風景を眺め。
「さて」
伸びをして、ざっと空気に体をなじませて気分を入れ替えたので、次は当面の宿を決めて、そこから六年間過ごすための寮を選ばなければならない。
左右を見回して、案内図を探しながら歩く。
それはすぐに見つかったが、問題なのは隣に立っている新入生用の注意書き。
「他の都市のもめ事を持ち込む事を禁止する」
錬金鋼の携帯禁止などと一緒に書かれている、赤い太い文字を読み上げる。
「いろいろあるのね」
学園都市とは、いくつもの都市から学生が集まるところだ。
ならば、敵対している都市の住人同士が鉢合わせする確立も十分にある訳で、この手の注意書きは是非とも必要だ。
だが、ふと思う。
ここならば、グレンダンの事を知っている人は多くないだろうし、そもそも、もめ事が禁止されているのだ。
レイフォンにとっては過ごしやすい場所かも知れない。
ここで一生過ごす訳にはいかないだろうが、それでも、穏やかな時間を送る事が出来るはずだ。
以前調べたところによると、学園都市が汚染獣と遭遇する確立は、グレンダンはおろか他の都市に比べてもかなり低い。
それはつまり、戦場に駆り出されるレイフォンの姿を見ないで済むと言う事。
そう思うだけでも、少し気分が軽くなる。
その軽くなった気分と共に、取り敢えずの宿を目指して歩く。
荷物は鞄一つだが、実は結構重い。
途中でレイフォンに出くわしたら、持たせても良いかもしれないとそうリーリンが考えていたところ。
「へえ。あちこち回って古い資料を集めて回っているんだ」
「そ。そのための古文都市レノス」
茶髪をツインテールにした好奇心丸出しで質問している同年代の少女と、長い黒髪を後ろで束ねた目の細い少年が、買い物袋をぶら下げながら脇道から出てきて隣に並んだ。
目的地は同じ宿泊施設のようだ。
もしかしたら、同級生になるかも知れない二人連れだが、問題はそこではないのだ。
(こ、古文都市レノスって)
二年前に、グレンダンとセルニウム鉱山争奪戦を繰り広げた都市の名前だ。
話によれば、リンテンスが一人で、しかも半日で勝利を収めたと聞いている。
それだけなら問題はないだろうが。
(資料を集めて回っているって)
もし、その話が本当ならば、細目の少年はレイフォンの事を知っている確率が高い。
いきなり、リーリンの楽観的な予測は打ち砕かれた。
「でも変だな。あちこち回っているせいで、割と有名だと思ったんだけれど」
「もしかして、ヨルテムの周りにはあまり来ないだけかもよ?」
「それはあるね。ここ百年くらいの記録を見ると、ヨルテムと戦争してないから」
「いやいや。集めるためだけに戦争仕掛けるのかい?」
「接岸するのが、一番確実に接触できるからね」
言われて思い返してみれば、レノスは戦争が終わった後も、暫くグレンダンと接岸したままだった。
接岸している間ならば、情報も物資も移動するのにそんなに手間はかからない。
その間に、色々とグレンダンの出版物とかを買いあさっていったのかも知れない。
リーリンの悪い予測が、少し現実味を帯びてしまった。
だが、疑問も残る。
情報だけならば、放浪バスを使って集めた方がずっと早いのは確実なはずだと。
なんだか、猛烈に手間暇かかる収集癖を持った都市からの留学のようだ。
「はあ」
周りを見るふりをして、二人から少し距離を置いた。
別段やましいことをしている訳ではないのだが、それでも二人の会話を聞き続けることが、少しきつくなってきたのだ。
この調子では、レイフォンの事を知っている人間が大勢いるかも知れないと、悲観的な予測を立ててしまったから。
「これも全部、レイフォンが悪い」
まだ再会していないにもかかわらず、やきもきさせられるのも、色々心配させられるのも、全てはレイフォンが後先考えずにいなくなったからだと、そう結論づけた。
「まったく。どこにいるんだか」
溜息をつき、二人が見えなくなったのを確認して、歩みを再開させた。
落ち着いたら、レイフォンの事を探さなければならない。
一万人の新入生の中から、一人を捜す。
結構大変な作業ではあるのだが、学年ごとに校舎が集中しているのだ。
一月有れば問題無く探せるだろうと、そう考えていた。
だが。
「寮が見つかったよ。割と安いところ」
「へえ。じゃあ、明日あたり引っ越ししようか」
「私達も、三人で大きめの部屋を借りたから、そっちに引っ越す」
少し先。
割と大きな通りとの交差点に、さっきリーリンの脇を歩いていた二人が、知り合いにでも会ったのか、こちらを向いて話している。
当然、その話し相手というのはこちらに背を向けているのだ。
目立つ赤い髪と長身、褐色の肌をした女性と、長い黒髪で小柄な少女は良いだろう。
問題なのは、記憶にあるよりも背が伸びて肩幅も少し広くなったような気がする、焦げ茶色の髪をした少年。
とても誰かに似ていると言うよりは、本人だろう。
「僕の部屋は、二人用なんだけれど、一人で使って良いみたい」
「にひひひひひ。メイッチを連れ込み放題だね」
「うけけけけけ。さっそく紙おむつが役に立つね」
そんな会話が聞こえてきた。
それは、放浪バスで想像してしまった光景が、現実の物としてリーリンの前に現れようとしている事を、意味しているように思える。
と言うか、実現秒読み段階に違いない。
だからリーリンは、一歩前へと踏み出した。
凍り付いた様に冷たい頭と、灼熱を封じ込めた胸と共に。