何時の間にか接近していた切っ先を刀の横腹を叩く事で逸らせる事に成功したが、次にやってきた柄頭の打撃が頬をかすめた事で、大いに肝を冷やしたナルキは、兎に角距離を取って仕切り直そうと試みた。
だが、ナルキが開けた距離を殆ど時差無く詰められただけでは飽きたらず、低い軌道を描く右からの回し蹴りがやってきた。
一連の攻撃は全て円を中心にした動きで、一撃一撃と言うよりも、連続して相手を追い詰める事を目的とした物だった。
その結果、ナルキは上空へと追い詰められる。
「っち!!」
舌打ちをしつつも軽く、出来うる限りぎりぎりの高さの跳躍で避ける。
そうしなければ、着地の瞬間を狙った追撃がやってくる事は分かりきっているからだ。
だが甘かった。
「っう!!」
刀の横腹での打撃が右腹部を狙う。
この攻撃が決まらない事は分かっているのだ。だからこそ威力が落ちる割には派手な目隠しになる横腹での攻撃をしている。
この次にどんな攻撃が来るかは分からないが、来る事が分かっているのならばあえて腹部への打撃をもらう事で相手の意表を突く。
その覚悟で腹筋に力を入れた。
「ぐわ!!」
甘かった。
確かに刀の横腹による攻撃はナルキの腹部に接触した。
そう。接触しただけなのだ。
次の瞬間、いきなり軌道を変えた刀の峰部分が右脇の下へと突き刺さる。
短い距離の、落下の瞬間を確実に捉えたその一撃は、右腕の戦闘力を大きく奪うという戦果を上げる事に成功した。
更に円運動は続く。
右から左への運動ではなく、下から上へのとその方向を変えて、左足が顎へと迫る。
咄嗟に上体を大きく後ろへ傾けて攻撃を回避してしまった。
「あ」
次に見えたのは、天井だった。
そして首筋に曲刀の切っ先が押し当てられ敗北が決定する。
「なあ、ウッチン?」
「うん?」
「本当に最弱なのか?」
「最弱だよ。剄脈を少しでも使ったらナルキには絶対に勝てない」
「・・・・。それはそうかも知れないが」
マイアスとの戦いを終えて一月半。
汚染獣の襲撃も武芸大会もない平和な時間が過ぎていったのだが、この時間がとても恐ろしい物に思えたナルキは、あちこちに出掛けていって組み手の相手を頼んで回った。
ヴァンゼやゴルネオは元より、シンやディンにも頼んだし、ニーナとだって組み手をやっている。
そして、その殆どで満足行く手応えを得る事が出来たのだが気が付いた事もあった。
剄脈の使い方は上手くなったという実感はあったのだが、それ以外ではあまり変化がないのではないかという疑問だ。
もちろん、レイフォンと始めて出会った頃に比べれば明らかに上達しているし、ツェルニに来てからと比べても成長していると思うのだが、剄脈に頼りすぎているのではないかという心配だと言い換えても良いだろう。
武芸の基本は剄脈である事は間違いない。
だが、力業だけが上達しただけではやはり駄目である事も事実だ。
それはレイフォンを見ていれば良く分かる。
全人類がどれくらいいるか分からないし、その中の武芸者の割合なんて物は知るよしもないが、それでもレイフォンの剄量が恐ろしく多い事だけは理解している。
おそらく全武芸者でも五本の指に入るのではないだろうか。
そんな莫大な剄量を誇っているレイフォンだが、その身に刻んだ技一つをとっても恐ろしい程に洗練されているのだ。
いや。同じ天剣授受者のサヴァリスや、サイハーデンの継承者であるハイアにしても、ナルキと比べるべくも無い程洗練された技をその身に刻んでいる。
達人と呼ばれる武芸者の必須条件だとするのならば、どうにかしてナルキもそこへ辿り着きたい。
そこでふと思い付いたのが、ツェルニ最弱の武芸者を自称しているウォリアスだ。
剄脈が異常と言って良い程小さく、一般人よりはましな程度のウォリアスと戦う事で、何か得られるかも知れないと思って組み手を頼み込み、そしてあっさりと負けてしまった。
技の切れ、身のこなし、そして流れ。
全てがナルキとは一線を画していた。
「ど、どうやったらそこまで行けるんだ?」
「さあ。僕にとってはこれが普通だからね」
「普通って」
ウォリアスにとっての普通は、他の人にとっての異常であると断言できる。
いや。それはツェルニに来てから何度も見せつけられた事実でしかない。
「まあ、剄脈が小さいから、他のところで何とか勝とうと足掻いた結果だとは思うんだけれど」
「そうなのか」
「化錬剄なんかがそうだね。炎破は一度使うと後が大変だけれど、威力だけならかなり良い線行っているからね」
実際に使っているところを見たのは、幼生体との戦い一度だけだが、その破壊力は確かに警戒するには十分だ。
問題は、連発する事が出来ない上に制御がとても大変だというところだろう。実際にナルキも使えるが、制御の面倒さも手伝ってあまり使いたい技ではない。
「・・・・・?」
制御が面倒だから使いたくないとナルキは考えた。
ウォリアスは、使った後の剄脈疲労が嫌だから使わない。
使わないという事実は同じだが、その事実を支えている理由が全く違う。
いや。ウォリアスは兎に角頭脳が先行する人間なのでこれは当然なのかも知れない。
では、レイフォンはどうだろうかと考える。
「・・・・・。もう一戦してくれないか?」
「いいよぉ。今日はロス家にご飯作りに行く日じゃないし、この後予定は入っていないから」
「・・・・・・・・・・・・。頼むよ」
剄の制御という一点においても、レイフォンは人類最強だろうし、剄脈そのものの大きさにしても人類最強だ。
そんなレイフォンが何故化錬剄を使わないのかという疑問を持ってしまったが、それは本人に確認すればよい事なので考えるのをやめにした。
だが、その疑問を無効にしたとしてもウォリアスの予定には驚かされる。
カリアン達のご飯をレイフォン達が作っている事は知っていたが、ウォリアスまでそれに加わっているとは思いもよらなかったのだ。
世の中、恐ろしい事が多いのだと再認識したナルキは、呼吸を整えウォリアスとの二戦目に挑むのだった。
教導傭兵団は解散となり、多くの隊員が故郷へと帰るはずだった。
だが、実際には殆ど全ての隊員がツェルニに、もっと言えば専用の放浪バスに残っているという事実を前に、ハイアは少々気持ちをもてあましてしまっていた。
二度と会えない事を覚悟してマイアスとの武芸大会が終了した直後に、解散を宣言した身としては、小言の一グロス程は言いたいところだ。
だが、そんな事をしたとしても、なんの意味もない事は理解している。
小言を言ったくらいでどうにかなるような隊員など一人しかいないし、その一人を虐めても気分は憂鬱になるだけだと分かっているからだ。
「たいくつさぁぁ」
「することがねぇ」
少し年上の兄弟に向かって言ったわけでもないのだが、返事は律儀に返ってくる。
いや。別段ひねくれた盗撮マニアの傭兵崩れを兄だと思っているわけではないのだが、それでも、もしかしたら兄かも知れないとか言う考えは存在していたりしなかったりするのだ。
「なんか楽しい事無いかさぁぁ?」
「レイフォンをからかって遊ぶのも飽きて来たしなぁ」
ヨルテム出身の不良武芸者は向かえに座り込み、鼻くそなぞほじりつつハイアの相手をしてくれているが、全くもって有意義ではない。
むしろ有害と言ってしまえるような気がする。
どの辺が有害かと問われたのならば、ハイアの気持ちが弛んでしまうところだと答える。
「汚染獣とやり合っていた時期が懐かしいぜ」
「さぁ? オレッチは見ていただけだったから、あんまり変わらないさぁ」
「考えて見りゃあ。グレンダンは天国だったぞ。何しろやる事が無くなるって事がねえ」
「それは魅力的な話さぁ」
マイアスとの武芸大会が終了してから一月半。
学生であるレイフォンには試験という地獄の戦場があったらしいが、当然の事ハイアやイージェにはそんな物はない。
羨望と嫉妬の眼差しで見詰めてきたレイフォンの顔は一生忘れられない程の見物だったが、それだけで暇な時間を潰す程ハイアは堕落していないのだ。
いや。このまま暇な時間に浸食されてしまえば堕落する事だってあり得る。
つくづく、戦う事しかできない生き物である事を認識したハイアだったが、悩みの種はもう少し違うところにもあったりするのだ。
そう。甘い空気、いや。甘い匂いに支配されつつあるリビングとか。
「ここはね。ダマにならないように少しずつ」
「こ、こう?」
「そう」
金髪眼鏡で巨乳な幼馴染みは、黒髪で癒し系な巨乳とお菓子作りなどしているという事実が、ハイアを更なる悩みのどん底へと叩き落としているのだ。
既に幾つかは完成まであと少しという所まで来ているようで、オーブンは景気よく甘い香りを放ち続けている。
鍛錬以外にする事が無く腐りかけているハイアとは一線を画すその勤勉ぶりに、強かに打ちのめされたような気分になろうという物だ。
ならば、他に何かやる事を見つければいいとも考えるのだが、どうにもやる事が思い付かない。
もしかしたら、レイフォンのように学生にでもなっていれば話は違うのかも知れないが、生憎と無職の少年である事に変わりはない。
いや。今からでも遅くないから、ツェルニに入学してしまおうかと本気で考えてしまう。
だが、そうなるとレイフォンを完膚無きまでに叩きのめしたテストとの戦いが始まる事になる。
それは、出来れば遠慮しておきたい戦闘である。
「・・・・・・・・・・・・・。オレッチも駄目人間さぁ」
「ああ? 駄目じゃない人間なんてつまらねえだけだぞ」
完璧な駄目人間を目指しているらしいイージェにそう言われると、何故かとても強烈な危機感に見舞われてしまう。
こうなったら手段を選んでいる場合ではない。
誰か適当な奴を見つけて時間を潰さなければ、本当の駄目人間になってしまう。
その危機感に支配されかけたその瞬間。
「済まないが。メイッチはこっちに来ているか?」
「さあ!!」
「な、なんだ!!」
危機感に支配されかけたその瞬間、鴨がやって来た。ネギをしょってないのが残念だが、贅沢は言っていられない。
咄嗟に立ち上がり刀を復元して褐色赤毛のオカマ武芸者に突きつける。
「なんだぁぁ!!」
「良いところに来たさあ。お前にサイハーデンを伝授してやるさぁ」
「なんだ!!」
「オレッチが暇な時に来たのが運の尽きと諦めて、オレッチが心ゆくまでしごかれるさぁ」
「まてまてまてまて」
「問答無用さぁぁ」
一応周りを見回して、茶髪猫がいない事を確認する。
今日はナルキだけのようだ。
ならば遠慮する必要はない。
「私はメイッチを向かえに来たんだ!! お前と戦うためじゃない!!」
「問答無用と言ったさぁぁ!!」
衝剄を纏わり付かせた刀でナルキに斬りかかる。
咄嗟に身体が動いたナルキが、やはり咄嗟に衝剄を纏わり付かせた刀でそれを受ける。
狭い放浪バスの中なので、当然威力は加減しているし、そもそもハイアが楽しむためなのですぐに倒れられても困るのだ。
だが!!
「ハイアちゃん!!」
「な! なにさぁ?」
すぐ側でお菓子を作っていたミュンファの、何時にない強い口調で全てが打ち砕かれる。
少し、恐る恐るという気持ちがある事は認めよう。
その気持ちを殴り倒してミュンファの方を見る。
未だにサリンバンの制服を着ているのはよいとしよう。他の服など殆ど持っていないから仕方が無いと諦めるという意味でだが。
だが、その先はよろしくない。
「さぁ!!」
ピンクである。
何がと問われたのならば、エプロンであると答える。
だが、それだけではない。
あえて言わせて頂ければ、巨乳である。
今まで意識する事はなかったのだが、ピンクのエプロンを押し上げる事で強調された戦略破壊兵器がハイアをロックオンしている。
思わずその付近へと視線が向いてしまった。
そして、その視線に飛び込んできたのが二つの巨大な固まりだけではなかった。
「さあ?」
お盆である。
そして、その上に乗せられたのは、歪な形をした何かであった。
真っ黒になっているとか、おどろおどろしい気配を放っているとか言うわけではない。
単に形が悪いと言うだけに見えるお菓子だ。
そのお菓子を、あろう事かお盆ごとハイアに突き出しつつ接近するミュンファ。
「味見して」
「さぁ?」
「味見して」
「お、おい?」
「味見」
その瞳は、まるで単身汚染獣との戦闘に挑む武芸者のように真剣であり、そしてあろう事かハイアを圧倒する迫力を備えていた。
思わず後ずさろうとしたが、それは出来なかった。
そう。後ろから押されたのだ。
いや。退く事を許さないとナルキがその手でハイアを押しとどめたのだ。
ならば選択肢はただの一つ。
慎重に、ミュンファの視界から手が消えないように細心の注意を払いつつその型崩れしたお菓子をつまみ上げる。
そして、ゆっくりと口元へ持って行き、中へと放り込みゆっくりと噛みしめる。
「?」
やや、口当たりに均一性を欠いているが、それでも甘さ控えめの、普通のお菓子の味がする。
最大の技量を注ぎ込んだ一撃が効果を上げているのか、それを確認しようとする視線がハイアをつぶさに観察して、そして解体して行く。
一撃で仕留められたという自信がないのだという事は分かった。
ならばハイアは、ミュンファに向かって効果を言葉として告げる義務がある。
「不味くはないさぁ」
次の瞬間、熟練の武芸者は姿を消し、認める事は憚られるのだが、とても可愛らしい感じの少女の、笑顔が目の前に存在していた。
そして気が付く。
ミュンファの後ろにいる垂れ目脱臼女も、何故かとても嬉しそうにしているという事実に。
更に、すぐ後ろから何か良からぬ気配が漂っている事にも気が付いたし、もっと言えば、横合いから何かの機械が駆動する音が聞こえていた。
そして理解した。
これがレイフォンの見ている地獄なのだと。
だが、逃げ場は存在していない。
最終的に、気合いの抜けたハイアと、始めからやる気の無かったイージェに無理矢理付き合わされ、駄目人間になるための特訓に参加させられてしまった。
午前中は割と有意義だと思っていたのだが、午後はこれでもかと言うくらいに駄目な時間を使ってしまったナルキは、現在レイフォンとの組み手の真っ最中だ。
一日の終わりくらいは、きちんと何かをやったという達成感と共に過ごしたかったからだ。
外縁部に近く、多少の音を出そうが振動を放とうが問題にならない場所での組み手は、レイフォンにとって制限が少ないからと言うだけの理由で選択された。
思い返せば、ニーナの秘密特訓もこの付近で行われていたと聞いたから、武芸者の考える事は最終的には似通ってきてしまうのかも知れない。
そして、そのレイフォンはと見れば、テストが終わったためにとても元気溌剌の状況だ。
頭は悪くないらしいと言われては見た物の、最終的には身体を動かす事の方が得意だという事実に、なんの変化もないのだろう。
「ま、まった」
一分に満たない組み手で、完全に息が上がってしまった、ナルキの静止の声で放たれようとしていた斬撃は急速に停止した。
剄を使わない状況でのウォリアスはかなり強かった。
全力全開、本気を出したイージェもかなり強い。
そして、ハイアの実力はナルキの遙か上を行っている。
その三人と比較して尚、レイフォンはとてつもなく強く感じる。
だが、息が上がってしまった理由にはならない。
ここ最近の鍛錬はかなりきつい物があったが、それでも一分に満たない時間で息が上がるなどと言う事はなかった。
当然、ナルキとの鍛錬が多いレイフォンも疑問に思ったのか、少し距離を置いてから刀を剣帯に納めて、心配げな視線と共に近付いて来る。
一度距離を置いたのは、鍛錬と日常を明確に区別するためのようだ。
「どうしたの?」
「わ、分からないんだが、とても剄脈を使う事が辛いと感じているんだ」
駄目人間になるための特訓をしている時には、もちろんこんな症状は感じなかった。
とは言え、レイフォンとの鍛錬を始める直前と比べても体調が悪くなっているような気がしている。
風邪でも引いたのだろうかと、ふとそんな事を考えたが、レイフォンの視線が少しだけ厳しい事に気が付いた。
「な、なんだ?」
「風邪薬は飲まない方が良いよ」
「なんで?」
風邪を引いているかどうかさえ疑問だというのに、何故かレイフォンは風邪薬を飲むなと割と真剣な表情で言うのだ。
何かレイフォンにしか分からない事情があるのかも知れないと思い、先を促してみる。
「剄脈の拡張かも知れないから」
「なんだそれは?」
剄脈というのは、成長と共に大きくなる事は確かだが、それも本来持っている許容量に向かって増える。
容量の決まった容器に水を注ぐような物だと例えられるが、拡張となるとまるで話が違う。
容量そのものが大きくなって行くように聞こえてしまうのだ。
「極希にあるらしいんだけれど、成長の途中で剄脈が拡張するんだ。そうなると身体のバランスが崩れて上手く剄がコントロールできなくなったり、体調を崩したりするんだ」
「そ、そうなのか?」
「僕も小さい頃に何度かやって酷い目に合ったから間違いないよ」
「そ、そうか」
どうしてこう、レイフォンは揉め事というか不幸に愛されているのだろうかと疑問に思う。
だが、経験者の言葉はきちんと聞かなければならない事は間違いない。
これ以上の鍛錬は止めて、家に帰って早めに寝てしまう事としようと心に誓った。
だが、その前に少しだけ確認しておきたい事もある。
「風邪薬を飲むとどうなるんだ?」
「僕の場合」
「うん?」
「意味不明な事を延々と喋り続けたらしい」
「らしい?」
「記憶があんまりはっきりしないんだ。リーリンは気持ち悪かったって言って居たから、相当酷かったんだと思う」
「・・・・・。風邪薬は死んでも飲まない事にするよ」
「そうした方が良いと思う」
リーリンでさえ気持ち悪かったと言っているのだ。それがもし、ミィフィだった場合どうなるか想像するだけで背筋が寒くなる。
背筋が寒くなったついでに、全身が冷えてきているようなほてってきているような。
「・・・・・・。ああ、レイフォン」
「・・・何が起こったのかな?」
本名で呼ぶ時には、たいがい何か問題が起こって助けを求める時だと認識されてしまっているようで、少しだけ後ずさられてしまった。
そして今回も、レイフォンのその危機意識は間違いではない。
「足腰に力が入らないんだが」
「・・・・・・」
「家まで連れて行ってくれないかな?」
「・・・・。いいよ」
嫌がられているというわけではないのだが、それでも少し腰が引けているのは事実だ。
原因は理解できる。
こちらもミィフィの影に怯えているのだ。
そんなに心配する事はないと思うのだが、それでも完全に否定は出来ないのだ。
それこそがミィフィのミィフィたるゆえんである。
映画館を出たフランク・タコスは大いなる衝撃と共に深い溜息をつく事しかできなかった。
ツェルニが汚染獣へと突き進んでいた頃に制作が決まった映画がある。あろう事か、汚染獣の食欲を刺激するという特異体質を持った、フランクを主人公にしたという脅威の戦意高揚映画だった。
それは、まあ、仕方が無い。
あの当時のツェルニはまさに崖っぷちを延々と歩き続けているような物だった。
何かの間違いがあれば、即座に全滅という事を常に覚悟し続ける極限の日々だった。
その極限の精神に、ほんの僅かでも余裕を与える事が出来るのだったら、それに越した事はないという思いも確かに有った。
実際には、断る事が出来なかっただけなのだが、それを気にしてしまったら人生やっていられないので、完璧に流す事とする。
「はあ」
再び溜息をつく。
映画の出来が悪かったというわけではない。
ツェルニに居るイケメンを総動員した感のある、豪華すぎる出演者と切迫した空気を体験した演出家が力の限りを注ぎ込んだ、ある意味渾身の一撃だったと言って良いだろう。
そう。渾身の一撃が強力すぎたのだ。
フランクの精神を粉砕し、背中を丸めるくらいに、その出来映えは恐ろしく素晴らしかった。
どんな苦境に陥ろうと諦める事を知らず、どれほど強大な敵を前にしても怯む事を知らず、仲間を助けつつ都市を守り通す姿は感動を覚えずにはいられなかった。
フランク以外の観客は、武芸者を含めて涙を流さない物は居なかったと言っても良いくらいだ。
主役のモデルが自分でなかったのならば、フランクだって感動の涙を流したかも知れない。
だが、だがである。
「俺は平凡な武芸者なんだがなぁ」
映画の中の自分と、現実の自分の、あまりの落差に背筋は曲がり、心はねじ切れてしまった。
もはや戦う事など出来ないかも知れない。
そう。レイフォンのような化け物と違って、フランクは一般的な武芸者でしかない。
特に心はごく平凡な武芸者でしかない。
「いや」
聞くところによると、レイフォンも一般的な武芸者であるらしい。
取り敢えず、心は一般的な武芸者の範疇に入るらしい。
ならば、映画の中の自分と比べるべきはもっと高燥な魂を持った誰かと言う事になる。
そこでふと思い出す人物がいた。
第十七小隊長のニーナだ。
「・・・・・・・」
実を言うと、少し離れた席に座って映画を観賞していた。
だが、その瞳は観賞などと言う平和的な行動をしている人物のそれではなかった。
あえて言うならば、人生の目的を見いだした人物の、いや。自分が向かうべき目的地を見いだした迷い人のそれだった。
レイフォンのような、武芸の能力だけを見れば規格外の人物を部下にしている以上、彼女にかかる精神的な負担は恐ろしい物があるだろうと想像できる。
ニーナ自身は優秀な武芸者でしかない以上、どうあっても何らかの重圧を受け続けているに違いない。
そんな潰されないために必死になっているニーナが、あの映画を見てしまったらどうなるか?
自己犠牲の上に都市を守ると言い出すかも知れないが、映画の主人公は必死に戦い、そして都市を守り抜き自分も生き抜いた。
自己犠牲を尊いと主張する内容ではなかった事だし、大勢を引っ張るというある意味指揮官として最も重要な要素も含まれていた。
だから、ニーナは考えるかも知れない。
指揮官とは、あのようにあるべきだと。
「まあ、俺には関係ないかな?」
あの主人公は、おそらくニーナの理想像として定着してしまう事だろう。
そして、今のニーナと理想の間にある通り道には、武芸長という職業が存在している。
つまり、何年か後の武芸長はニーナと言う事になるのだが、濃すぎるキャラに引っ張られる、平凡な部下の悲哀は既にあちこちに散在している。
第五小隊の副隊長とか、第十四小隊の隊長とか。
最終的には、ツェルニ全武芸者の悲哀として長く学園の歴史に残る事となるだろう。
フランクには関係ないので完璧に他人事である。
なぜならば、その頃には卒業しているからである。
いや。
「・・・・・・・・・・・・。留年だけは絶対に避けよう」
この決意を胸に、残りの学園生活を無難に過ごす事がフランクの至上命題となったのだった。