「僕の事は気にしないで良いよ。少し考え事があってね」
「そうですか」
何を考えているのかとても気になるが、サヴァリスの性格からしていきなり襲ってくる事はないだろうと判断して、赤毛武芸者の後について行く。
何度か訪れた事がある建物だというのに、拭いきれない違和感を覚えつつも赤毛武芸者の後をついて行く。
当然用心は怠らない。
だがある瞬間、先行させた鋼糸の反応が一部おかしい事に気が付いた。
切られたという訳ではない。
いきなり反応だけが消えている場所があるのだ。
レイフォン達の発生させている振動の他には、空気の動く感覚以外に感じないが、その反応さえない場所があるのだ。
脳内でその場所がどこだったのかを検索して、そして血の気が引く音を聞いた。
「隊長の部屋が変だ」
「ああ。やっぱりそこか!!」
ある程度予測していたのか、赤毛武芸者が一気に跳躍して二階へと躍り出る。
更に、ニーナの部屋を知っているかのように迷うことなく扉を蹴破った。
間違っていたらどうするのだろうかという疑問はあるが、それどころでない事も事実なのだ。
だが、そこでまた事態が動くのを止めてしまった。
赤毛武芸者が、蹴破った状態で立ち止まっているのだ。
何故だろうかという疑問もあったが、お構いなしに脇をすり抜けてニーナの部屋の中へと突入する。
「・・・? え?」
突入して目にしたのは、ベッドで眠るニーナを取り囲むようにして佇むお面の集団。
ここでレイフォンも動きを止めてしまった。
「莫迦! そこがどんなところか分からないで突っ込む奴があるか」
「?」
どこと問われたのならば、ニーナの部屋だと答える事が出来る。
他の答えなど存在していないはずだというのに、今のツェルニ以上に、ここがニーナの部屋ではないと断言できる違和感も感じていた。
そして、それは起こった。
「その通りだ愚かなる者よ」
一糸乱れぬ発声で、全員が喋っているのに一人で喋っているとしか聞こえないという妙技を披露するお面集団。
その事態を受けたのだろう、ナルキも部屋の扉のところで止まっている。
「お前のいるところは世界の理が違うんだ!! 武芸者としての能力は使えないんだぞ!!」
「? え?」
慌てて剄息を確認する。
だが、おかしな事は立て続けに起こっている。
「? あれ?」
何時もと変わらなく剄を練る事が出来る。
赤毛武芸者の言っていることと、自分の身体に起こっている現実の間で、一瞬だけ思考が停止する。
その瞬間を見逃すほど、相手は無能ではなかった。
「その命もらった」
ニーナを取り囲んでいたお面集団が、一斉にレイフォンに向かって襲いかかってきた。
その手に持っているのは、武器破壊を主眼に置いたカタールと呼ばれる獲物だ。
凶暴な突起を並べたその武器が一斉に振りかぶられる。
咄嗟に剄を刀に流し込み、そして技を放つ。
天剣技 霞楼
レイフォンを中心に、閃断の檻を形成し、周りにある全ての物を切り刻む。
もちろん、錬金鋼を破壊しないように注意を払ったために、威力自体は大したことはない。
そもそもここは室内なので、そんな大きな威力は必要ないのだが、問題はそこではなかった。
「なに?」
もちろん、ニーナや部屋を傷付ける事はしないが、それでも、襲いかかってきたお面集団は瞬時に細切れとなり空気に溶けて無くなってしまった。
ナルキの話を聞いていたし、外での戦いを見ていたのだが、それでも一瞬目の前で起こった事を理解できなかった。
そして、驚いたのはレイフォンだけではなかった。
もう一人。
「なんだと?」
部屋の外で見ていた赤毛武芸者が、驚きの声を上げている。
武芸者の能力を使えないはずの場所で、レイフォンが天剣技を使ったためだろうが、それは使った本人だって同じ事なのだ。
「普通に使えますよ?」
「そ、そうみたいだな」
喫驚して固まっているというのとは少し違う、少しだけレイフォンを恐れているようなその雰囲気から、この場所では本当に武芸者としての、最終的には剄脈を働かせる事が出来ないはずだと言う事を間接的に確認出来た。
だからと言って、レイフォンがこれ以上何か出来るという訳でもない。
すぐ側で天剣技をぶっ放したにもかかわらず、未だに眠り続けているニーナを起こすべきかどうかさえ分からない。
そもそも、起こし方というのがさっぱり分からないのだが。
「えっと、隊長とかどうしましょう?」
「ああ。それは放っておけばそれで良い。後は勝手に元に戻るはずだ」
「そう言う物なんですか」
「そう言う物なんだ」
半信半疑と呼ぶよりは、かなり猜疑心が強いが、それでも、レイフォンに代案がある訳でもないので、扉を潜り外へと出る。
改めて、ここで意識して剄息をしてみるが、何ら問題無く剄を練る事が出来る。
ニーナの部屋に出入りする時に、何か違和感を感じたが、それだけである。
何が起こっているか全く理解できないが、それでも、取り敢えず事態は収束へと向かっていると思うのだ。
ならば、それで良しとしようとあまり深く考えるのは止めてしまった。
これではいけないのかも知れないが、レイフォンごときに分かる事は限られているのだ。
「兎に角、サヴァリスさん拾って帰ろう。殺し合いは暫く先になるだろうから」
「ああ。出来れば消えて無くなってくれると私としては嬉しいけど」
「それは同感だよ」
ナルキと、そんな会話をしながらゆっくりと廊下を歩く。
サヴァリスが消えている事はないだろうし、危険が遠のくという訳ではないが、それでも訳の分からない事件から日常へと精神が復帰する時間を稼ぎたかったのだ。
赤毛武芸者も一緒に歩く。
そこでふと、彼の名前を聞いていない事を思いだしたが、即座に全く知らないわけではないことにも思い至った。
そう。雷迅を使いこなす事が出来る武芸者など、レイフォンはただの一人しか知らない。
「ディック先輩ですよね?」
「・・・。ああ。そうだ」
返答までに時間が有ったが、レイフォンの予想通りの答えがもらえた。
その答えの瞬間、なにやら不穏な気配を感じたので、少しだけ警戒をする事とする。
実力の程は分からないが、即座に殺しに来るという訳ではない。
ならば、それで十分であると思ったからだ。
だが、聞いておきたい事もある。
「僕は貴方と今日始めて会いますが、どうやって雷迅を覚えたんでしょうね?」
「俺の方こそ聞きたいよ」
自分の方こそ聞きたいと言いつつ、その視線に落ち着きはなく、何か隠しているらしい事は確実だと思われるが、追求しても答えてくれない事は分かったので、それ以上言葉を交わすことなく建物の外へと出る。
そして、騒動はまだ終わっていないのだとそう実感できた。
「サヴァリスさん?」
「やあレイフォン」
今まで見た事もないくらいに上機嫌な戦闘愛好家がいたとあっては、騒動が終わったなどとはとても思えない。
いや。むしろこれから騒動がやってくるのだと、そう断言できるだろう。
そしてその予測は、裏切られることなく実行へと移された。
「考えていたんだよ」
「何をですか?」
刀をサヴァリスに向ける。
殺意は持っていないが、きちんと始末しなければならないと確信している心が、戦闘態勢へと移動する。
「僕は殺し合いを愛しているんじゃないんだよ」
「じゃあ、何を愛しているんですか?」
ナルキではなく、殺し合いを愛していると、そうレイフォンは思っていたのだが、サヴァリスは違う答えに辿り着いているようだ。
レイフォン自身、自分の心の中が正確に分かっている訳ではないし、他人の心を理解できるなどと言うつもりはない。
だが、サヴァリスに関して言えば、ある意味単純なためにある程度予測できると、そう思っていた。
だが、甘すぎた。
「僕は、僕を殺してくれる存在を愛しているんだよ」
「・・・・・・・・」
駄目だこりゃ。
感想はその一言に尽きてしまう。
だが、まだ話は途中だった。
「だけれどね。やはりナルキが僕を殺してくれると嬉しいとも思っているんだよ」
「そ、それはむりですから」
記念女子寮に後退しつつ、ナルキの縋り付く視線がレイフォンの背中に突き刺さる。
殺してくれと懇願すると言い換えても、それ程問題無いだろう。
だが、これで一つ分かった事がある。
レイフォンこそ勘違いをしていたのだと。
サヴァリスは、サヴァリスなりにナルキを愛しているのだと。
それが通常の男女のそれとは違ったとしても、そして、殆どの人から共感を得る事が出来ないとしても、それでもおそらく愛しているのだ。
とてつもなく傍迷惑な事に。
ふと気が付けば、ディックまで女子寮内に後退している。
レイフォンだけが取り残されたと言った方がしっくり来るだろう。
「・・・・・・」
「ああ。もしかしてレイフォン? 僕に愛されたいのかい?」
「滅相も御座いません」
これはかなりきつい。
サヴァリスを殺してしまうと呪いがかかるなんて生やさしい事態ではない。
死者に愛されると言う事がどんな事か分からないし、知りたいとも思わないが、相手がサヴァリスである以上何かとても恐ろしい事になる事だけは間違いない。
だが、殺さない限り止まらない事も分かりきっているのだ。
「っと言いたいところだけれども」
レイフォンが動けなかった分、サヴァリスが動いた。
視線は少し後ろに向けられている。
ナルキとは違う人物を標的として、そしてしっかりと追尾し続けているように思える。
「お、おれか?」
「そうだよ。ナルキやレイフォンとは何時でも殺し合えるけれど、君とは今しかやれないと思うからね」
そう言うサヴァリスの手には、既にダイトが復元されていた。
いや。ここに来る前に既に復元されていたから、そのままここで考え事をしていただけなのだろう。
用意がよいと言うべきか、それとも違う反応をするべきか、かなり困ってしまうところだ。
だが、レイフォンにとってはサヴァリスとの死闘を延期できるという一点において、この展開は悪くはない。
「こいつの方が歯ごたえがあると思うぜ?」
「それは認めるけれど、出来ればレアな方とやり合いたいんだよ」
「レアってな」
レアという一点において指名されたディックには申し訳ないが、出来ればこのまま話を進めてしまいたい。
なので、こっそりとディックの後ろへ回り込み、その背中を蹴り飛ばした。
「どわ!!」
サヴァリスの方に注意を向けていたためだろう、全く気が付かずにレイフォンの一撃を受けてしまい、蹈鞴を踏んで前に出てしまうディック。
そして、ナルキと二人で記念女子寮の中へと引っ込む。
「お、おいてめえら」
当然の様に抗議の声を上げるが、視線は既にサヴァリスを捉えて放していない。
一瞬の油断が死につながると身体が理解している証拠だ。
雷迅を連射していた事から考えても、ニーナよりもかなり強力な武芸者である事は間違いないし、不意を突かれたらレイフォンを倒す事も出来るかも知れない。
だが、現状はそんな生やさしくはない。
「さあ、僕と愛し合おうじゃないか」
「てめえ。そんな愛はいらねえ。・・・・・なんてことだ」
そこで何故かディックが溜息をついて、少しだけ身体から力を抜いた。
何か思うところがあるのか、それとも諦めの極致に達してしまったのか。
そして呟く。
「強欲な俺にも、欲しくねえもんが有ると言う事か」
言いつつ首を振り、そしてつと左手を顎に持って行く。
そのまま手を持ち上げると、何故か顔に狼のお面が被さっていた。
一瞬の早業と言うよりも、何か決定的に違う物を感じる仕草に一瞬だけ思考が停止する。
だが、それも一瞬の事でしかなかった。
サヴァリスが、左半身を前にして構えた次の瞬間。
「こうなったらてめえをぶっ殺してやるさ」
「ああ。僕を愛してくれているんだね?」
「俺に愛なんてもんはねえ。有るのは奪い尽くすという強欲だけだ!!」
そう言った直後、青い光が迸り轟音が辺りを支配した。
活剄衝剄混合変化 雷迅。
レイフォンからすれば既に見慣れた技だし、サヴァリスも既に何度も見ているそれは、正面から撃ち込むにはあまりにも愚かだった。
ほんの少しだけ横にズレさえすれば、その破壊力は驚くほど小さくなる。
後は背中に向かって一撃を放てば楽に無力化できる、そのはずだった。
「なに!!」
レイフォンでさえ迎撃の手段を思いつけるのだ。
他のどんな人だって思いつけるはずだ。
だと言うのに、サヴァリスは雷迅を正面から受け止めた。
その左手が、ディックの放った一撃を正面から受け止め、そして粉砕された。
肩の関節は外れ、肘と手首はあり得ない方向に折れ曲がり、指の骨が皮膚を突き破って盛大に出血をしている。
冗談抜きに正面から受け止めたのだ。
「て、てめえ」
その光景に驚き、鉄鞭を引いて飛び退るディック。
それと比較してサヴァリスは平常運転だった。
飛び散った自分の血を盛大に浴びつつ、その口元はとても楽しそうに、そして恐るべき凶暴さで笑みの形を作っている。
久しぶりに見る、サヴァリスの満足の表情を眺めつつ、レイフォンはこの戦闘愛好家と自分が決定的に違う生き物である事を再確認した。
間違いなく、避けられるのだったら避けるはずの攻撃を、わざわざ受けてその威力を堪能するなどと言う選択は、絶対にしないからだ。
こんな恐ろしい生き物と同僚だったという事実が、強かにレイフォンを打ちのめしたのだが、それも一瞬の出来事でしかない。
まだ戦いは終わっていないのだから。
一瞬だけ固まったディックが、鉄鞭を引いて距離を取る。
「いや驚いたよ。一撃をもらった時に撃ち込んで君に愛されるつもりだったのに」
「俺はてめえなんか愛さねえからな!! ていうか、普通に殺すって言えよ!!」
よく見るまでもなく、左手で受けたサヴァリスの右手は、何時でも拳を撃ち込めるように構えられていた。
ディックの攻撃で身体が痺れなければ、確実に勝負は終わっていただろう。
負傷して使い物にならなくなった左手を気にするでもなく、サヴァリスが再び構える。
それに合わせるようにディックも再び雷迅の構えに入った。
次の一撃で勝負が付く。
サヴァリスの性格上、単純に避けると言う事はないだろうし、ディックの方もそれは分かっているはずだ。
同じような愚者の一撃を放つ訳がない、そうレイフォンが思った瞬間、それは放たれた。
活剄衝剄混合変化・雷迅。
レイフォンの予想などお構いなしに放たれるのは、全く同じ愚者の一撃。
そしてそれは起こった。
雷迅を受けたサヴァリスの姿が、揺らめいたかと思うとかき消えたのだ。
そして次の瞬間、横から現れたサヴァリスの右拳がディックへと迫る。
「え?」
驚いたのはナルキだけだ。
レイフォンは雷迅が発動した瞬間には気が付いていたし、ディックは驚く前に次の行動に移っていた。
剄を纏わせた右の人差し指がサヴァリスの額へと伸びる。
もしかしたら、浸透系の技で脳を破壊するのかと思ったが、どうやら違うらしい事が剄の動きから分かった。
それがどんな意味を持つのかは分からなかったが、次に起こった事は更に理解不能だった。
「え?」
ナルキと共に驚きの声を上げる。
狼面集ならば分からなくはないのだが、サヴァリスの攻撃が命中して明らかに致命傷を負ったと思った瞬間、その身体が溶けるようにかき消えてしまったからだ。
それどころではない。
雷迅の余波で散々荒らされた記念女子寮の周り、それが見る見るうちに何事もなかったかのように元通りになって行くのだ。
記録映像の逆回しを見ているような感覚だったが、明らかに違う事も理解していた。
そう。全く音がしなかったツェルニのあちこちから、色々な雑音が聞こえだした。
そして、ツェルニではないという妙な感覚も消えてしまっていた。
「おや?」
そしてもう一つ。
完全に破壊されたはずのサヴァリスの左手が、こちらも何事もなかったかのように元通りになっているのだ。
だが、それだけではなかった。
「おや? これはどうした事だろう?」
「なんですか?」
用心しつつ、最小限の言葉で状況を把握しようと努力する。
ウォリアスだったら手もなくやってのけたのだろうが、生憎とレイフォンにそんな機能は付いていないので、細心の注意が必要なのだ。
そして、その努力は報われた。
「とても満足行く戦いが終わった後のような感覚がするんだよ。心地よい熱が冷めて行く時のなんかこう、もの悲しいような満ち足りたようなそんな感覚が」
「そ・う・で・す・か」
あえてぎこちない調子を作って答えを返す。
平常を装うなどと言う事は、到底不可能である以上、異常さを前面に押し出す以外に道はないのだ。
「それに、なんで僕達はこんなところに居るんだろうね? さっきまで外縁部で睨み合っていたと思ったんだけれど。そうだ。ナルキに殺されたら幸せだという結論に達しているんだけれど、それはここで考えていたんだったかな?」
「・・・・・・・」
無反応を通す。
反応する事は、全て墓穴を掘るような気がしているので、全力で無反応を押し通す。
そして、何とか話題を変えなければならない。
必死の視線を飛ばし、そしてある物が視界に飛び込んできた。
全高三十メルトルになろうかという、棟だ。
これしかないと、肘でナルキを突いて視線で目標物を指し示す。
「あれですよ。あそこの棟を見ようと言う事になったんですよ。ツェルニ最強の絶叫マシーンを見ておくのも一興だと言う事になったんですよ」
「うん? そうだったかな?」
明らかに疑っているが、これで押し通す以外の選択肢など存在していない。
ツェルニが勝利を収めた日というのもあるが、そもそも深夜に絶叫マシーンなどやっているはずはないのだが、常識が通用しないのが天剣授受者である以上、この線で押し切るしかないのだ。
「それとも、予備知識無しで体験してみますか? 僕はそれで死にかけましたけれど」
「うん? レイフォンが生きているんだったら僕も大丈夫じゃないかな? それに、予備知識なんか無い方が断然楽しいよ。老性体との戦いみたいにね」
そう言いながら恐怖の棟に背を向けて外縁部へと向かうサヴァリス。
取り敢えず誤魔化す事が出来たと、心の底でこっそりと安堵する。
だが、甘かった。
当然考えておくべき事柄という物が、確実にこの世の中にはあるというのに、レイフォンはそれをやらなかった。
そのツケがいきなりやってきてしまったのだ。
「そうだレイフォン」
「なんです? 殺し合ったりはしませんよ?」
「違う違う」
念のための予防線を張ったのだが、絶叫マシーンが体験できない以上、これから殺し合いになるとは考えていないが、それでも予防線を張らずにはいられない。
そして、レイフォンの張る予防線などざるである事が直後にはっきりと分かった。
「泊めてくれないかな?」
「・・・・・・。はひ?」
「いやね。ツェルニに入った後の事は何も考えていなくてね、今夜泊まるところがないんだよ。だから、レイフォンの部屋に泊めてもらったら嬉しいなって、そう思ったんだよ」
「あ、い、え、お、う、うぅぅ」
視線がナルキを向きそうになるのを、必死に堪える。
そう。ナルキから、とても深い哀れみの視線がレイフォンの背中に注がれている事を認識しているから。
マイアスでナルキが体験した物と比べても、遙かに恐るべき夜がこれから始まるのだ。
だが、現在のツェルニの状況的に言って、今から宿泊施設を探すと言う事はほぼ不可能である事も事実だ。
野宿させても心は痛まないが、どんな化学変化が起こるか全く分からないというおまけが付いている以上、出来るだけ穏便な方法をとりたいのもまた事実なのだ。
「今夜だけですよ?」
「仕方が無いね。明日はナルキの所に泊めて」
「女の子三人で暮らしているんですから、そう言う事は止めて下さいよ」
「僕は気にしないけれど、ナルキが気にするのは良くないね。折角なんだから楽しく殺し合いたいからね」
サヴァリスにしか理解できない理論の展開で、どうやら納得した事だけが分かった。
こうして、意味不明な騒動はやっとの事で終わる事となった。
問題は、むしろこれから連続してやってくるかも知れないが、当面の安息は得られたかも知れない。
いや。むしろ安息は遠のいたと言って良いだろう。
ふとした何かを感じて、ゴルネオは目覚めた。
反射的に時計を見る。
色々有りすぎた武芸大会の日付が、過去へと旅立って二時間少々。
真夜中であるにもかかわらず、ツェルニの町からは未だにお祭り騒ぎが聞こえ続けているが、ゴルネオの眠りを妨げるような危険な物は存在していない。
何故目覚めたのか疑問に思う。
昨日は色々有りすぎた。
サヴァリスがやってくる事は覚悟していたが、あそこまで変わってしまっているとは全くもって思っていなかった。
武芸大会で勝利を収めて、ツェルニの滅びを回避する事が出来たのは僥倖である。
その後、考える事さえ恐ろしい嫌疑をかけられ、そしてその嫌疑から逃れる術を持ち合わせていないという事実はあるが、しかしそれは、日が昇ってからの騒動であり、やはりゴルネオの眠りを妨げる物ではない。
酔って服を脱ごうとしているシャンテを、合い鍵を使って自室に放り込んだのは既に四時間以上前の話だ。
同室の女性は外出していたが、自分の部屋で裸になろうと多少の奇行に走ろうと、それはゴルネオには何ら関係のない話である。
では、何故、ゴルネオは目覚めてしまったのか?
「ん?」
考える事数秒。
異変はゴルネオの寝室、ベッドの中で進行していた。
何かとても体温の高い生ものが、もぞもぞと蠢いて足にすり寄ってきているような。
「な、なに!!」
文字通り、体温の高い生ものが、あろう事かゴルネオのベッドに潜り込み、そしてすり寄ってきているのだ。
こんな事をするのはシャンテ以外に思い付かないが、決定的な事実として、ゴルネオの部屋の鍵を持っているのは、本人ただ一人なのだ。
シャンテの都合上ゴルネオは合い鍵を持っているが、その逆は危険極まりないために作っていない。
例えば、夜中にシャンテの侵入を許してロリコンの嫌疑が証明されてしまうとか、そう言う危険を避けるための措置である。
こっそり進入する事が不可能な状況を作って置くに越した事はないのだ。
そのはずだった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
そしてゴルネオは、掛け布団をめくり、あまりにも恐ろしい光景をその網膜に焼き付けてしまった。
全身の血の気が引く音というのは、既に聞いていた。
だが、今聞いているのはそんな生やさしい現象が発する音ではない。
あえて言えば、以前レイフォンが戦った老性体二期が暴れて、山を崩した時の轟音。
あれ以外に匹敵する物とて無いほど、恐るべき音を今ゴルネオは聞いている。
そう。全裸のシャンテがゴルネオの足にすり寄ってきている光景を前にして、一体何をどう認識すればよいのか全く分からない。
だが、一つだけ確かな事がある。
ロリコンという罪で裁かれると言う事だ。
こっそりと隣の部屋に放り込んでおきたいところだが、この状態のシャンテを引き剥がすと言う事はとても危険だ。
寝ぼけて全力の活剄でも使われた日には、間違いなくゴルネオの足が粉砕されてしまう。
いや。足一本を犠牲にする覚悟があるのならば、シャンテを隣の部屋に・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・。はあ」
シャンテの保護者が帰ってきた音を捉えてしまった。
既に隣の部屋は無人ではなくなっている。
全てが終わった。
何をどう言おうと、誰も弁護してくれない未来に向かって進むしかない。
ゴルネオの未来には、槍衾が待ち受けているのだ。
後書きに代えて。
少々間が開いてしまいましたし、思っていたよりも長いですが閑話をお送りしました。
原作の槍衾を征くです。
タイトルが変わっていますが、これは未来の絶望をあえてタイトルとしたためです。
誰の絶望か?
もちろんゴルネオの絶望です。
この先、ツェルニ生徒会公認のロリコンとして在学中白い目で見られ続ける事となるでしょう。
あるいは、シャンテの成長が再開すれば話は違ってくるかも知れませんが。