事態は刻々と悪くなって行く。
接岸部で行われていた戦闘は、明らかにマイアス側へと移動し、その速度は徐々に、しかし確実に速くなっている。
前回の武芸大会で、ツェルニは連戦連敗という不名誉な戦いをしていたはずだった。
その情報が有ったことは事実だが、油断などしているつもりはなかった。
だが、結果的にマイアスは負けつつある。
そして、恐ろしいことではあるのだが、ツェルニの生徒会本塔付近へと攻め寄せている潜入部隊は、その半数以上が途中で迎撃され、残りもかなり消耗してしまっている。
敗色が濃厚となっている。
「っち!!」
自分に向かって放たれた麻痺弾が、偶然に躓いたことで頭の上を通り過ぎる。
本当の事を言えば、悠長にそんな状況判断をしている余裕など無いのだ。
潜入部隊一つを率いてツェルニへやって来た物の、途中で二割近い戦力を失い、更に狙撃によって徐々に追い詰められているという現状を何とかしなければ、マイアスは敗者の席を押しつけられてしまう。
鉱山が残り一つとなったツェルニの、必死さを甘く見ていたのか、それとも、これこそが本来の実力なのか。
狙撃手から死角になる位置へと残り少ない退院を呼び寄せる。
短い距離の移動でさえ、気楽に行えないほどの技量を持った狙撃手を何とかしなければ、近いうちに全員が戦闘不能となってしまうことだけは間違いない。
ならば、取るべき選択肢は一つしかない。
「援護しろ。狙撃手を叩きのめす」
反論を許さない強い調子で命令を飛ばす。
実際問題として、他の選択肢は存在していない。
二百メルトル以上離れている建物にいることは分かっている。
そこから、一秒以上制止していると麻痺弾が飛んできて、よほどの偶然がなければ仕留められてしまう。
移動している最中でさえ、同じ速度でいると危険極まりない攻撃が来る。
命令を受けた隊員が、遮蔽物から一瞬だけ身体を出して、目標と思われる建物に向かって衝剄を放つ。
実際の効果があるかどうかは兎も角として、僅かでも相手が怯んでくれるならばそれは儲け物である。
三人に減ってしまった隊員が、交代で衝剄を放つのを背にしながら、旋剄で一気に距離を詰める。
相手は狙撃手だ。
護衛にもう一人いるかも知れないが、接近戦になれば何とか互角以上に戦えるはずだ。
もし失敗したとしても時間は稼げる。
稼いだ時間で、誰かが本塔に取り憑くことが出来れば、狙撃手からの死角を駆け上ることが出来るはずだ。
そう信じて、二度目の旋剄で更に距離を縮める。
立て続けに二度、銃声が響いた。
最悪二人が倒されただろうが、それでもまだもう一人いる。
そう信じて、三度目の旋剄で目標の建物、その壁にへばりつくことが出来た。
そして見上げる先に、一階の窓から覗く銃身を確認出来た。
勝った。
銃身が見詰める先には、仲間がいる。
自分が、この恐るべき狙撃手を倒すことが出来れば、確実に本塔への道が開ける。
乱れそうになる呼吸を整えつつ、銃身の真下へと移動する。
銃身を掴み、それを引きずることで動揺を誘い、接近しての一撃で仕留める。
勝負は一瞬で決まる。
そっと、相手に見えない位置まで手を伸ばした瞬間、それは見えた。
「え?」
銃口だ。
こちらを見詰めるそれは、明らかに銃口だ。
狙撃手がこちらを向いたのでも、銃がこちらを向いたのでもない。
銃身は、未だに仲間へ向かっている。
だが、その銃身の先端部が曲がり自分を見詰めているのだ。
あり得ない。
そう思った直後、至近距離からの麻痺弾の直撃を受けて意識が途絶えた。
接近していたマイアス武芸者を一撃で仕留めたシャーニッドは、こっそりと溜息をついていた。
そして、溜息をつき終わった直後、呼吸を整えて本塔の向こう側へと向かっている背中へと、二発打ち込み無力化した。
「ふう。楽には勝たせてくれねぇか」
長距離の狙撃だけではなく、銃衝術での接近戦も出来るとは言え、専門職と正面から戦うことは極めて危険であった。
それなので、もう一枚用意することが出来た切り札を切った訳だ。
ネタは簡単。
レイフォンがナルキに鍛錬を施している最中に、何度か目撃していた。
そう。剄を流し込んで虎徹を腹筋させていた技の応用だ。
レイフォン自身は、あれで万を超える鋼糸を操るという話だったが、そこまでのことをシャーニッドは望んでいない。
望んだのは、姿勢や銃を動かすことなく銃口の向きを変えること。
実弾仕様の銃にはたまに見かけるが、影に隠れた相手を撃つことが出来るように、銃身が大きく曲がっている物がある。
同じ事を剄弾仕様でやることも出来るが、そのためには銃を二本持ち歩かなければならない。
ならばと、こっそり必死に練習して今日に間に合わせることが出来た。
まさか本当に使うとは思わなかったが、保険は多い方が良いのは間違いない。
だが、問題がない訳でもない。
「百メルトルで、四時方向に三センチくらいずれているか」
剄を流し込んで銃身を曲げた場合、復元する際に微妙なズレが出る。
何度やっても、四時方向に三センチから五センチは着弾点がずれるので、それを計算に入れて撃たなければならない。
今回の最後の狙撃は、距離が二百五十メルトルになっていたこともあり、二発続けて撃つという念を入れたのだ。
結果的に二発とも撃ち込むことが出来たが、シャーニッドが思っていたところからは、やはりずれてしまっていた。
「こりゃあ、終わったらハーレイに見てもらわないと駄目かも知れないな」
口元が弛むのを感じつつ、そう独りごちる。
自分の仕事を終えたという満足感もそうだが、ツェルニ側はかなり優勢であり、旗を取りに向かっているマイアス武芸者の数も、ずいぶんと少ない。
このまま行けば、シャーニッドも始めて味わう勝利の美酒という物と遭遇できるかも知れない。
「いや」
勝利の美酒などと言う物は幻想でしかない。
おかしな方向へ突っ走ってしまっているツェルニ武芸者達は、きっと、そこここの戦場であらん限りの趣味と嗜好を凝らした戦闘を繰り出していることだろう。
そして、怨嗟の声を上げながらマイアスの武芸者達は倒されて行くことだろう。
それを全て見なかったこととして、勝利の美酒などと嘯く強さをシャーニッドは持っていない。
更に、フラッグの側にいるのはツェルニ史上最悪の性格破綻者である。
あの頭の中からどんな罠が出ているのか、シャーニッドは知らない。
だが、それら全てを飲み込んで勝たなければならない。
ニーナは既に気が付いていた。
この戦いに勝ったとしても、もしかしたら、その勝利を誇ることが出来ないかも知れないと。
もしかしたら、ウォリアスはここまで考えてツェルニを導いたのかも知れないと、そんな事を一瞬考えて背筋が寒くなった。
そして、この先に踏み込むのを止めることとした。
現実問題として、武芸大会はまだ終わっていないのだし、ツェルニの危機的状況は何も変わっていないのだ。
強引にそう考えて、次なる標的を探すために念威繰者と連絡を取るのだった。
それは突然としてやって来た。
いや。突然その場所に突っ込んでしまったと言った方が的確だろう。
マイアス都市警に所属する下っ端武芸者である彼は、退院したばかりのロイについてツェルニ奥深くへと進んでいた。
だが、曲がりくねった道を高速で移動し続ける武芸者が、常に視界に仲間を入れていることは非常に困難である。
であるからして、ロイに続いて角を曲がった瞬間に見えてしまった光景に驚愕して硬直してしまったとしても、何ら問題無いのだ。
「・・・あ」
「あぁ」
見えた物は単純だった。
ツェルニの武芸者が、ロイを倒していたと言うだけのことである。
そう。相手が顔見知りでなかったのだったら、何ら問題のある光景ではなかったと断言できる。
その相手は、褐色の肌と短めの紅い髪をしていた。
割と背が高い方に分類されるだろう。
女性にしてはと言う但し書きが付いているのだが。
「ええっと。済まん。ついうっかりというか咄嗟にと言うか、勢いというか」
それは、何時の間にかマイアスから居なくなっていたナルキという女性だった。
もっと言えば、いつからマイアスにいたのかも分からない。
そして何よりも、ロイを女性一歩手前にしてしまった武芸者だった。
更に、恐るべき事に、ロイは股間を押さえて泡を吹いて意識を失っている。
ナルキの足は蹴りを放った後のように、少しだけ左右の位置がずれている。
結論は間違いない。
「折角。折角やっと退院できたのに」
「い、いやな。脇道から突然飛び出してきたんで、思わずというか咄嗟というか勢いというか、そのなんだ、えっとだな」
言い訳をしているが、それはもはや後の祭りでしかない。
いや。もはや後の祭りでさえ無いかも知れない。
なぜならば、おそらくロイは精神的に折れてしまっているかも知れないからだ。
本当に女性としてしか生きて行けないかも知れないのだから。
「そ、そうだ!!」
こちらのことにかまっていられる精神状態にないらしいナルキが、なにやら思い付いたのか大きく手を打ってこちらを見る。
その視線は、明らかに事を有耶無耶にするための犠牲の羊を求めていた。
そして、途中で仲間とはぐれてしまっているので、ここにはロイと自分しかいない。
ついでのように言えば、戦う力を残しているのは都市警の下っ端武芸者である自分ただ一人だけだ。
「武芸大会なんだし、戦ってみようじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言いつつ刀の切っ先をこちらに向けるナルキは、是が非でもこの場を有耶無耶の内に何とかしたいようだ。
ここで疑問である。
咄嗟とは言えロイを瞬殺してしまう武芸者と戦って、勝ち目はあるだろうか?
マイアスを襲った汚染獣を、雑魚だと切り捨てた武芸者と戦って?
戦うことしか考えていない危険人物であるサヴァリスに、熱烈に愛されている女性と戦って?
答えは決まっている。
「しっかりして下さい隊長。こんな傷すぐに治りますよ。再生治療なんて簡単なんですからね。治ったらまた一緒に働きましょうよ」
徹底的にナルキを無視してロイを回収する。
向かう先はマイアス。
きっと明るい未来が待っているのだと信じて、後ろも横も見ずに、懐かしき故郷を目指す。
切っ先が揺れている赤毛の武芸者のことなど、そこに存在しないないかのように振る舞う。
関わってしまっては駄目なのだと、そう心に誓い、マイアスの不利が確定している戦場を、敗残の身を引きずるようにして歩く。
実際にロイを引きずっていることだし、いくら有利だからと言っても、ツェルニ武芸者はこんな状態の敗残兵を襲うほど暇ではないと信じる。
マイアスに勝ち目がないことはやる前から分かっていた。
サヴァリスが心躍らせて莫大な剄を迸らせるような存在が、この学園都市にいるのだ。
しかも、最低一人、最悪の場合二人。
そんな超絶の都市と戦って勝つ見込みなど、最初から無かったのだ。
だったら、ロイを回収するという大義名分を持った下っ端武芸者が戦わなくても、何ら問題無いとそう断言できる。
きっとそうだと自己弁護をする。
こうして彼の武芸大会は、殆ど何もしないで終わったのだった。
散々な戦いだった。
ツェルニ生徒会本塔のてっぺんに辿り着いてみて、そう実感する。
鏡の代わりに、剣の切っ先を出して上に誰かいないかと確認する。
旗の向こう側に、一人だけいた。
しかもそいつは、こちらに背を向けて座り込んでいる。
自軍が優勢であるからと油断しているのだろう。
油断したい気持ちは十分以上に分かる。
ここまで来る間に、殆どの仲間は打ち倒されてしまった。
前年の武芸大会では連戦連敗だったという記録を見たが、それが遙か過去の出来事だったのだと、そう実感できるほどに、今年のツェルニ武芸者は強力だった。
一兵卒に至るまで、マイアスと比べると優秀であり、小隊員などとなれば、もはや冗談抜きに強かった。
この棟を登っている間にも、あちこちに潜んでいた武芸者に少しずつ数を減らされた。
結果的にはただの二人だけになってしまったが、それでもこの状況で勝機が見えてきた。
ゼスチャーで相手のいる位置と、大まかな状況を伝える。
念威繰者の支援が滞っているのか、それとも近くの戦場が混乱しているのか、こちらにはまだ気が付いていないようだ。
ならば方法はただ一つ。
二人一緒に飛び出して、そして座っている奴に牽制の攻撃を放ちつつ旗を奪い取る。
何時マイアスの敗北が確定するか分からない以上、悠長にしている余裕もない。
微かに頷き合い、そして一気に飛び出して、そして驚愕の事実を向き合った。
「どわ!!」
「ぎゃ!!」
視界に飛び込んできたのは、銃身を短くし、水平に並んだ拡散型散弾銃の銃口。
近距離に特化しているが、その分密度の高い弾幕を張ることが出来るという恐るべき武器である。
そして、こちらに背を向けたままの武芸者の人差し指が、気楽な動作で引き金を絞り込むのが見えた。
咄嗟に錬金鋼を放り出して、屋根に張り付いて麻痺弾の効果範囲から逃れる。
「ひぃぃぃぃ!!」
「え?」
だが、相棒は思わず仰け反ってしまったらしい。
悲鳴を聞いて振り返った先には、虚空だけが広がっていた。
ここから落ちて助かるだろうかという疑問が、一瞬だけ脳裏をよぎったが、それをあえて無視して次の動作を実行に移す。
近距離で高密度な弾幕を張ることは出来ても、あの形式の銃は再装填に時間がかかるはずだ。
水平二連構造だから、もう一発撃つことが出来るかも知れないが、それを何とか回避すればこちらの勝ちだ。
屋根に着いていた手を離して、飛び出そうとして、違和感に気が付いた。
「な?」
手が離れないのだ。
身体が硬直しているという訳ではない。
手が、屋根に張り付いているのだ。
「瞬間、強力接着剤を屋根全体に塗ってあるから、下手に剥がそうとすると掌が全部剥がれるからね」
黒髪を背中の辺りで縛った、細目の武芸者がこちらを向く。
その手には、再装填が終わった散弾銃が握られていた。
気が付いていないのではなく、準備万端整えて待ち構えていたのだと、この時になって気が付いた。
やられた。
後一歩で旗を奪取できるが、この場に戦力は存在していない。
錬金鋼は遙か下の方だし、両手が屋根に張り付いている状況では、どうすることも出来ない。
「ところで、落ちた人は助けた?」
「きちんと空中で保護したよ」
「・・・・・え?」
高性能らしい望遠鏡でマイアスの方向を確認していた黒髪の武芸者が、問いを発した。
そして、その問いに応じた声は、恐るべき近さから聞こえた。
具体的には、すぐ右隣から。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
茶色の髪と紫色の瞳をした武芸者が、手を伸ばせば触れられるほど側に佇んでいた。
今までその存在を感知することは出来ていなかった。
いや。今だって感知しているとは言えない。
思わず挨拶されたので、どもりつつだったが返してしまった。
更にその武芸者は、この場にいて、落下した仲間を空中で保護したと言っている。
更に驚くべき事柄として、瞬間、強力接着剤が塗られているという屋根を、平然と歩いて旗の側まで移動している。
接着剤が塗られていないのかとも思ったが、よく見ると彼は屋根の上に立っていなかった。
少しだけ、ほんの一センチくらいだけ空中に浮いていたのだ。
そして止めとばかりに、その手に持っているのは剣の柄だけという錬金鋼。
全てが異常で規格外な武芸者が、すぐ側にいることに気が付いたが、全ては遅すぎるのだ。
「どうやって歩いているんだ?」
「うん? 足の裏から衝剄を常に出し続けているだけだよ。僕の体重を支えられる分」
「・・・・・・。やっぱり、聞かなきゃ良かった」
マイアスを見続けている武芸者が、溜息混じりに発した台詞は十分に共感できる。
自分の体重を支えられるだけの衝剄を、延々と放ち続けられる武芸者など、そうそういないだろう。
一瞬だけだったら何とかなっても、長時間となると殆どいない。
「想像できてたから、今まで聞かなかったんだ」
「鋼糸を使っているとか言うオチなら良いなと思って聞かなかった」
鋼糸という武器が、実際にどんな物かは分からないが、旗の側に佇んでいるのが想像を絶する武芸者であることだけは十分に理解できた。
噂に聞いた、グレンダンからやって来た武芸者と同じ類の生き物だろうと言う事も、何となく分かった。
この戦いは、やる前から敗北が決まっていたのだと、そう確信させられる展開だった。
恐るべき事に、マイアスの戦線は殆どその機能を失っていた。
マイアス側の部隊は、その殆どが孤立させられて各個撃破されてしまっている。
そして、既に生徒会本塔の直前まで押し込まれてしまっているという状況だ。
だが、ここで易々と負ける訳には行かない。
望みは薄いのだが、ツェルニに潜入した部隊が勝利をもたらしてくれるかも知れない以上、時間を稼ぐための努力を放棄することは許されない。
その一心で、マイアス武芸長は指揮を執り続けているのだが、それも既に限界を迎えつつある。
巨大な刀と収束型散弾銃を使い分ける、恐るべき武芸者が障害物を粉砕し、その粉砕された場所に銀髪の巨漢と赤毛な生き物が飛び込み、傷口を広げるという基本戦術に、もはや最終防衛戦も崩壊寸前なのだ。
更に、打撃専門の部隊が退くのと入れ替わりに、双鉄鞭で武装した気の強そうな、防御専門の武芸者がやってくると有っては、反撃する糸口さえなかなか掴めない。
何が一番の問題かと問われたのならば、いくら攻撃を当てても全くもって平然としている、双鉄鞭の武芸者だ。
不死身ではないかと疑いたくなるような撃たれ強さで、打撃部隊が息を吹き返す時間を稼がれてしまっている。
このままでは、時間稼ぎをすることさえ不可能になる。
だが、そんな事を考えている間にも、事態は突然としてあり得ない方向へと突き進む。
「全員そこまでだ!!」
「なに?」
突然発せられた声に、思わずその場にいた全員がそちらの方向へと視線を向けてしまう。
ツェルニ側も同じ状況であることを考えると、何かの問題が起きたのかも知れないと思ったが、事態はそんな甘いものではなかった。
「な、なにを?」
視線の先には二人いた。
金髪を見事な縦ロールにした女性と、その首に腕を巻き付けて良く切れそうな包丁を持った、禿で無精髭の男だ。
意味不明なその光景に、一瞬思考が止まる。
その一瞬の隙を見逃すまいと、禿で無精髭の男が動いた。
巨大な包丁が、女性の戦闘衣、それを止めているベルトの内側へと差し込まれたのだ。
念のために言っておくのだが、明らかに二人ともツェルニの武芸者である。
ツェルニ武芸者が、ツェルニ武芸者を人質に取っているようにしか見えない。
他の解釈が存在しているのだったら、是非ともそれを聞きたいところだが、そんな疑問を持つ時間さえ与えてくれなかった。
「それ以上戦うと言うのならば、この女がどうなっても知らないぞ!!」
「・・・・? は?」
意味不明だ。
マイアス武芸者を人質にとって降伏を迫るのだったら、何とか許容範囲内で収まったかも知れないが、残念なことに全く状況が違う。
リアクションを取ることが出来ず固まっている周りなどお構いなく、禿の無精髭は先に進んでしまった。
「特にこいつの下着がどうなっても知らないぞ!!」
「っちょ!! 待てディン。そんな話は聞いていないぞ!!」
人質に取られている女性にも予想外の展開だったようで、慌ててその拘束から逃れようとしている。
い、いや。女性の服を切り刻むと主張しているらしい禿の無精髭はどうでも良い。
むしろ派手にやって欲しいと心の底で思ってしまっている。
だが、それと現状の乖離は恐ろしいまでに大きい。
そこでふと、視界が暗くなったことに気が付いた。
「え?」
「ふん!」
「ごふ!」
試合が始まる前に見た、ツェルニの武芸長が目の前にいた。
そして、その棍が振り下ろされた。
最終的に、呆気ないほど簡単に地面に転がされてしまっていた。
「迎撃しろ!!」
事、ここに至ってから、ようやく周りの人間が反応した。
周りで始まった乱戦をかいくぐり、三人がツェルニ武芸長へと迫る。
咄嗟だったとは言え、その三人の行動は見事な連携が取れていた。
微妙に到達時間を変えることで、一撃で全員が戦闘不能になることを防ぎつつ、相手の防御も困難にしていた。
だが、事態は恐るべき結果へと突き進む。
活剄衝剄混合変化 棍旋激。
水平に伸ばした棍が轟剣によってその長さを伸ばす。
更に、一方方向から衝剄を打ち出すことで、一気に恐るべき加速を得る。
棍のその加速を殺すことなく、身体を大きく振り回し、射程内の全てに決定的な打撃を与えた。
接近することさえ出来ずに吹き飛ばされる三人を見送りつつ、必死の思いでツェルニ武芸長の足にしがみついた。
「一つだけ、一つだけ教えろ」
問答無用で止めを刺そうとする、ツェルニ武芸長の足を抱え込みながら、聞きたいことはただ一つだ。
武芸大会が始まってからこちら、ずっと疑問に思っていたことを何とかしなければ、死んでも死にきれない。
「普通に戦っても勝てたはずだ。それだけの技量をお前達は持っていた」
どう控えめに考えても、明らかにツェルニ武芸者はマイアスの武芸者よりも強かった。
実際の腕っ節もそうだが、戦術に関しても、圧倒的とは言わないが、かなり上を行っていた。
なのに、なぜか、おかしな罠を張り巡らせ、精神的な奇襲を仕掛けてきている。
こんな戦い方をする理由を、是非とも知りたい。
「何故だ? 何故普通に戦おうとしない?」
「ふん。それは簡単だ」
蔑むと表現するには、あまりにも同情がにじんだ視線で見下ろされた。
なんだか、それはそれで腹が立つが、疑問の答えを聞きたいという思いの方が強かったので、そのまま聞くこととした。
「折角考えたのに、使わないともったいないだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・。あぁ。そうかもしれないな」
全ての力が抜けて行くのが分かった。
このまま、二度と目覚めることがないかも知れない。
そんな覚悟をしてしまうほど、深い闇に向かって意識が落ち込んで行くのが分かった。
決着は付いた。
ヴァンゼの目の前には、マイアスの都市旗が翻っている。
この場には、隣にオスカーがいるだけで、後は竿を破壊して手にするだけだ。
まだ戦闘が終わったという訳ではない。
未だに抵抗を続けるマイアス武芸者は確かにいるが、それはしかし、遙か下界での出来事でしかない。
オスカーの手が伸びてきて、ヴァンゼに竿を握れと急かす。
抗う理由など何処にもない。
そっと手を伸ばし、ヴァンゼの手には少し細い竿を握る。
それと呼応するようにオスカーの蹴りが放たれ、根本から破壊した。
その瞬間、マイアスが自らの敗北を認めるサイレンが鳴り響き、ツェルニは滅びの危機から逃れることが確定した。
下界では、今まで戦っていた武芸者達が、喜び肩を叩き合い、あるいは敗北感に打ちひしがれて肩を落としている。
前回の敗北から二年。
折れそうになる心を自ら奮い立たせ、部下の前では決して弱気を見せず、今年になって入って来たレイフォンとウォリアスという規格外の生き物の手を借りて、ツェルニの暴走では見殺しにしろと命じることを覚悟しつつ、その命令を出さずに何とか乗り切った。
長かった。
その思いだけが胸を埋め尽くす。
「拙いな」
「どうしたねヴァンゼ?」
小さな呟きを、隣にいたオスカーだけが拾った。
喜んでいるツェルニ武芸者に向かって、大きく旗を振りつつ決してそちらを見ずにヴァンゼは答える。
「泣いてしまいそうだ」
「ふん」
「なんだ?」
自らの弱みを見せられる数少ない友人に、今の状況を端的に教えたのだが、鼻で笑われるという予想外の現象が起きてしまって少しだけ気分を悪くしてしまった。
だが、それも、横目でオスカーの姿を確認するまでの短い時間だった。
「私はもう泣いてしまっているよ」
「そのようだな」
満面の笑顔を浮かべるオスカーの瞳からは、止めどない涙がこぼれ続けている。
そして、ヴァンゼもこれ以上堪えることは出来ずに、決壊してしまった。
オスカーがどれほど嬉しいかヴァンゼには分かる。
おそらく、この気持ちを理解できるのは五百人を超えるツェルニ武芸者の中でも、十人といないだろう。
他にいるとすれば、カリアンを筆頭に暗躍した生徒会役員くらいだろう。
だが、実はまだ終わっていないのだ。
「ここから降りる時に気をつけないとな」
「ああ。アルセイフ君の鋼糸も、ここまでは届かないだろうからね」
ツェルニ生徒会本塔で、万が一の落下事故に備えているレイフォンの鋼糸も、ここまでは届かないはずだ。
涙で視界がぼやけているまま、降りるとなれば何時も以上の用心をしなければならない。
勝った直後に、武芸長が転落死したのでは、ツェルニ武芸科末代までの恥となってしまうだろう。
大きな荷物が肩から降りた、それを実感しながらも、ツェルニにある部屋に戻るまで、決して油断は出来ない。
例え嬉し涙だとしても、他の武芸者にそれを見せることは褒められたことではない。
勝って当然だと、そう強がらなければならないのだ。
そう決意したヴァンゼは、流れる涙をそのままに、細心の注意を払いつつ、オスカーと連れだって地表を目指したのだった。
ツェルニ生徒会本塔の屋根に陣取ったウォリアスにも、マイアスの敗北を知らせるサイレンは聞こえていた。
散々悪辣な罠を張り巡らせ、負けないようにしてきたつもりだったが、実際に勝つとやはり感慨深い物がある。
一年でしかないウォリアスでさえそうなのだから、連敗記録を伸ばし続けてきた上級生達の喜び様は想像に難くない。
今夜は夜通しの宴会だろうと、そのくらいの予想しかできないが、おそらく明日一杯まであちこちでどんちゃん騒ぎだろう。
「ああ。武芸長も泣き出してる」
「なに?」
そんな事を考えている最中、あまりにも恐るべき報告をレイフォンがしてくれた。
別段、もはや人間とは思えない人外魔境のレイフォンが、マイアスの中心部にいるヴァンゼを視認できていても何ら問題無い。
未だに屋根に張り付いたままのマイアス武芸者は、驚きのあまり凍り付いているが、ウォリアスにとってこの程度は日常となり果てているのだ。
だが、問題はヴァンゼが泣いているという事実。
あのごつい顔で泣くのかという突っ込みは兎も角として、驚いてしまう事実だ。
だが、それもすぐに納得の現象へと変わった。
この戦いに負けたのならば、滅びが現実味を帯びてくるところだった。
もちろん、この一戦に負けたのならば、即座にツェルニの足が止まるという訳ではなかった。
それでも、人心に与える精神的な打撃は恐ろしい大きさになったはずだ。
暴走している時には起こらなかった暴動が、ツェルニの社会を破壊してしまっても何らおかしくないほどに、巨大な一撃となったことだろう。
それが分かっていたからこそ、ヴァンゼは勝利と共に涙を流したのだろう。
だが、もう一つ疑問もある。
「武芸長と一緒にいるのは、誰?」
「オスカー先輩だね。鋼糸伸ばして万が一落ちたら拾えるようにしているけど、二人ともおっかなびっくり降りてるから大丈夫そうだよ」
「その触手何処まで伸びるんだ?」
「鋼糸ね。ギリギリ向こうの旗に触れるくらい」
「・・・・・・・・・・・・。そうかい」
戦略も戦術も、天剣授受者という化け物には全く無意味なようだ。
思えば、リンテンスも都市戦で一歩たりとも動いていなかった。
師弟では、その技の威力や切れに決定的な違いがあるだろうが、それはもはやウォリアス達の踏み込めないところの話である。
流石にこの辺まで来ると、日常の風景としては処理できなくなってしまう。
だが、これで一つ山を越すことが出来た。
次の戦いに向けて準備をしなければならないが、来週武芸大会があるなどと言う事はないだろうから、少しゆっくりしようとそう心に誓った。
「あのぉぉぉ。そろそろ剥がしてもらえませんか?」
「ああ。えっと中和剤は持っているよね?」
マイアスが敗北した以上、都市はまた別々の方向に歩き出す。
その前に元のところに戻っておかないと、とても大変なことになるのは確実だ。
レイフォンに指示して、接着剤を中和する。
恐る恐ると手を離すマイアス武芸者を眺めつつ、いい加減ウォリアス自身もここから移動したいところだ。
そう。接着剤の効果時間は実はあまり長くない。
放っておくと、空気中の埃をくっつけてしまって、急速にその接着力を失ってしまうからだ。
だから、武芸大会が始まる直前にウォリアス自身が散布したのだ。
そこまでは良かった。
問題は、一瞬の油断だった。
そう。足を滑らせてしまい、罠を仕掛けた本人が屋根にくっついてしまったのだ。
まあ、これはこれで見晴らしが良いからかまわなかったのだが、長いこと同じ姿勢を取っていると、とても疲れるのもまた事実。
武芸大会も終わったことだし、最後の防衛戦としても十分に機能したことだし、ウォリアス自身も勝ったことだし、そろそろ屋根と決別をしたいところだ。
「まあ、負けずに済んだことだし収支は黒字かな」
「? 勝ったでしょ?」
「ツェルニはね。僕は負けなかった」
「?」
下へ向かって行くマイアス武芸者を見送っていたレイフォンの視線が、疑問を湛えてウォリアスを見る。
ツェルニの勝利と、ウォリアスの不敗が別であることが疑問なのだろう。
「レイフォンが戦わなかった。戦っていたら、それは僕やツェルニ武芸者の敗北だったさ」
「えっと? 僕はツェルニ武芸者に数えられてないの?」
「ああ。うぅぅん。ツェルニ武芸者なんだけれどね」
改めて正面から聞かれて、答えに困る。
ディンとも一致した意見だったが、レイフォンを戦略的に使うことはあっても、戦術的に使うことは出来るだけ避けるつもりだった。
レイフォンが戦うと言うことは、去年までの弱いツェルニと何ら変わらないと言う事だったからだ。
レイフォンがツェルニ武芸者かと問われたのならば、ツェルニの武芸者だと答える。
だが、戦力として計算してしまうことには反対だった。
レイフォン自身が認めているように、単独で一つの都市を滅ぼすことが出来る武芸者に頼ってしまったら、そこで終わりなのだと、そうディンもウォリアスも考えている。
この辺をきちんと伝えるためには、恐ろしいほどの時間と労力を費やさなければならないだろう。
だが、事を単純にしてしまうことも出来る。
「今回の武芸大会で、僕が立てた目標だよ。レイフォンを戦わせないというのはね」
「ああ。成る程ね」
取り敢えず納得してくれたようで一安心だ。
念のためにと、屋根中に中和剤を振りまいているレイフォンを眺めつつ、ウォリアスは少しだけこの先に不安を覚えていた。
この、驚異的な能力を持った武芸者を支えている精神は、あまりにも普通すぎるから。
サヴァリスとまでは行かないが、もう少し強固な何かがないと、また失敗をしてしまうかも知れない。
自分の行動を決定するための指標として、レイフォン自身の持っている何かを使えないだろうか?
そう考えるウォリアスはしかし、何時もの間にかレイフォンがいなくなっているという驚愕の事実に、打ちのめされるのだった。
後書きに代えて。
と言う事でマイアス線終了です。
実を言うと、しばらく前に自律型移動都市の大きさを計算した事があります。
アメリカの、小麦収穫量を基本に、人口から自律型移動都市の大きさを逆算したのですが、年一回小麦を収穫するとなると、だいたい北海道くらいの面積が必要になってしまいました。十万人を養う小麦を生産するだけで。
どんなに生産力を上げたとしても、最低限北海道程度の大きさが必要であると仮定した場合、明らかにリンテンスやレイフォンの鋼糸は長く伸びすぎると思ったのですが、今回そのまま使いました。
厳密に言うと、リンテンスは接岸部から都市旗を奪ったのに対して、レイフォンは中央から中央に糸を伸ばしているので、その長さはリンテンスの倍となってしまいます。
この辺書いていてどうかとも思いましたが、とりあえず考えたとおりに書いてみました。いかがだったでしょう?
そう言えば、どなたか自律型移動都市の大きさについての資料って持っていませんか? 有ったら是非参考にしたいのです。