それは唐突に現れた。
平野を進むツェルニの前方に立ち塞がるかのように、現れたのは、ツェルニと同じ学園都市。
そう。武芸大会の初戦が始まろうとしていた。
学園都市マイアス。
この一戦にツェルニの存亡がかかっていると言っても過言ではない。
過言ではないのだが、ある特定の人達にしてみれば、かなり迷惑な相手である。
「落ち着いてナルキ!!」
「そうだよナッキ! 兎に角落ち着いて」
「ナッキ! お願いだから刀はしまって!!」
「そうよナルキ。切腹なんて痛そうなことは止めて!!」
「はははは。この世は所詮弱肉定食。生きていてもなんにも良いこと無いからあの世で幸せになるんだ」
レイフォンの目の前には、何故か刀を逆手に握ったナルキが、今にもその切っ先を自らの腹部へと突き刺そうとしていたりする。
その瞳に光はなく、絶望の闇の中から死という逃げ場所を見詰め続けていた。
それどころか、四字熟語を間違っているようだが、それ程までにナルキは限界の精神状態なのだろう。
それを目の前にして、ミィフィにメイシェン、リーリンと一緒に何とか思いとどまらせようと努力しているのだが、ナルキが止まる気配はない。
気持ちは分かるのだ。
何しろマイアスには、グレンダンから来た天剣授受者がいるのだし、間違いなくツェルニにやってくるのだし、確実にナルキかレイフォンと戦うこととなるのだ。
レイフォン自身が認めている通りに、サヴァリスが来たら真っ先に逃げ出したいところである。
閉ざされた世界では、逃げる事さえ至難の業だが、レイフォンなら何とか出来るかも知れない。
だが、ナルキは無理であろう。
だからこそ、この世からの逃亡を図っていることは理解できるのだが、それは出来たら止めて欲しいのだ。
と言う事で、取って置きの手段を使うこととした。
「待ってよナルキ! そんな刃引き設定の刀じゃ切腹なんか出来ないから!! せめて切れる刀で苦痛の時間が短いようにしないと!!」
「・・? え?」
今にもその腹部へと突き進もうとしていた切っ先が、急激に動きを止めて凍り付く。
汚染獣との戦いのまま、安全設定を施していない虎徹の切っ先がだ。
普通ならこんな幼稚な詐術に引っかかりはしないはずだが、いっぱいいっぱいのナルキには十分に効果があったようだ。
そして、こんな絶好の隙を見逃すほどレイフォンは錆び付いていない。
「確保!!」
ナルキの手から刀を引ったくり、少女三人に命令を飛ばす。
何か叫びつつ突進したミィフィに押し倒され、リーリンに右手を抱え込まれ、更にメイシェンが足に抱きついている状況では、これ以上抵抗することなど出来ようはずが無い。
「うわぁぁぁぁ!!」
身をよじって暴れているが、活剄を使って強引に引き剥がすなどと言う事は出来ないようだ。
間違いなく誰かが怪我をするから、当然の反応である。
それを見越していたからこそ、レイフォンも少女三人に確保命令を出したのだ。
だが、油断は出来ない。
「最終的にこれで」
そう言いつつ、近くにあったタオルで猿ぐつわを噛ませて、舌を食い千切られないようにする。
止めとばかりに近くに有った布団で、簀巻きにしてきっちりと縛り上げる。
四人で息をついてこの件はやっと終了となった。
「それにしても、本当に天剣授受者がマイアスにいるの?」
「それは多分間違いないよ」
一息ついてお茶を淹れたところで、リーリンに尋ねられた。
場所はナルキ達の借りているアパートのリビング。
今ナルキは、簀巻きにされた姿そのままに、メイシェンの膝枕で一休みをしているところだ。
優しく髪を撫でられているが、その瞳からは滂沱の涙がこぼれて、慰められているとはとうてい思えない姿だが、取り敢えず一休みと言ったところだ。
都市が見えたのは数時間前のことだった。
それがマイアスだという知らせがフェリから届けられた瞬間に、ナルキが切腹を計ったという超展開の後が、あちこちに物が散らばった部屋に残っている。
そしてリーリンの疑問はもっともであり、レイフォンだって疑問に思わないではないのだが、ナルキの証言を聞けば聞くほどサヴァリス本人に間違いないと確信できてしまう。
戦うこと以外に興味がない天剣最凶の人物だけに、レイフォンのように何かをしくじって追放処分という事にはならないだろう。
何かをしくじるような余地は、サヴァリスにはないのだから。
ならば、何かの理由があってグレンダンを出たと言う事になる。
そうなると、この時期ツェルニでの用事となると、それはもう廃貴族以外には殆ど考えられない。
リーリンやゴルネオに用事と言うこともあるかも知れないが、どんな内容なのかを考えつくことが出来ない。
となれば、想像できる事態について備えておくことしかできない。
以前ウォリアスがそう言っていたので、多分間違っていないと思う。
「だけどさぁ。ナッキに取り憑いている山羊さんだっけ? それをどうにかしないと解決にならないんだよねぇ」
「どうにかしたいのは山々なんだけれど、グレンダンに連れ帰る以外に方法がないってハイアも言っていたし」
お茶を飲みつつ今後の対策を話し合う。
話し合うとは言っても、解決策を思いつける人間などツェルニには存在していない。
頼みの綱のウォリアスでさえ、ナルキに都市外逃亡を勧める始末である。
放浪バスがないのならば、都市外戦装備でツェルニの少し外にいれば良いという、とても乱暴な方法だが、相手がサヴァリスならば有効かも知れない。
誰か優秀な念威繰者の協力を得られなければ、とても有効な方法ではある。
だが、不用意に飛びついてはいけない。
最悪の場合として、カリアンを脅してフェリの強力を取り付けて、都市外でナルキを襲うという事態も想像できるのだ。
そこまで考えたレイフォンの頬に、視線が当たっていることに気が付いた。
突き刺さってはいないが、それでも無視できない圧力を持っているそれをたどってみると、何故かリーリンが少し怖い顔でレイフォンを見ているのに気が付いた。
「え、えっと?」
「レイフォンなら何とか出来るんじゃないかな?」
「な、なんとかですか?」
思わず敬語になりつつもリーリンの提案を受けて、少し引いてしまった。
サヴァリス相手に何とかすると言う事が、何を意味しているのかリーリンが理解できているか、少し疑問になたからだ。
楽しく戦うこと以外に何も考えていないサヴァリスが、ナルキを襲わないように何とかすると言う事は、とても平和的ではない手段以外にはないのだ。
それはつまり、サヴァリスの大好きな殺し合いをすると言う事に他ならない。
そして、同じ天剣授受者同士が戦えば、どちらが勝つかは、その時になってみないと分からない。
だが、無下に断ると言う事もかなり難しい。
絶望という暗闇の中から、ただ一筋の光を見つけたような視線でナルキに見詰められているからだ。
それは膝枕しているメイシェンも、片付けをしているミィフィも同じだ。
むしろ、断ることなど出来ない状況が出来上がってしまっている。
ならばレイフォンに出来ることは、ただの一つ。
「微力を尽くしてみることにするよ」
「レイフォンを倒さない限りナルキと戦えないって事にすれば、サヴァリス様も納得してくれるでしょう」
「・・・・。それが何を意味しているかリーリンは理解していないよね?」
とても小さな声で言ったので、当然のことリーリンには聞こえていないだろう。
認識できたのは、猿ぐつわを外されて息を吹き返したナルキだけ。
とても力強い視線で、頑張ってくれと応援されてしまった。
レイフォンが出てきていないとは言え、訓練場には第十七小隊の面々がそろっていた。
ニーナの視界の中でシャーニッドがベンチで寝転び、フェリが何かの雑誌を読み、ダルシェナが壁に寄りかかり瞑目しているし、ハーレイが端末を弄っているという日常の風景が展開されている。
運命の対戦相手をマイアスだとレイフォン達に知らせたフェリの笑顔が、とても怖かったのは既に過去の話しとなって、日常を取り戻している。
出来れば記憶から永遠に抹殺したいところだが、それはまだ出来ていない。
「前回の戦績は二勝二敗。可もなく不可もなくって感じだね」
「最初の対戦相手には丁度良いと考えるべきか? いや。油断することこそを戒めるべきだ」
ハーレイの情報を咀嚼しつつ、ニーナは改めて決意を固める。
この大会で勝たなければならないのだと。
とは言え、前回に比べて戦力は異常なほど強化されているから、そうそう負けることなど無いと思うのだが、絶対に負ける事はないと思い込んで油断することだけは避けなければならない。
戦略・戦術研究室の暗躍もあるから、よほどのことがなければ大丈夫だとは思うのだが。
「そう言えば、ディンがなにやら小細工をしていたが、シャーニッドは内容を知っているか?」
「俺がか?」
ニーナに合わせた訳でもないだろうが、ダルシェナの疑問はとても重要だ。
あのウォリアスと二人でなにやら暗躍している、元十小隊長のことだから、どんな手を使ってでもツェルニを勝利させるだろう。
どんな戦術で戦うつもりなのかについては、ニーナもそれなりには聞かされている。
暴走している間の連携訓練を通じて、各部隊の特色や行動はおおよそ理解できている。
だが、全てを知らされている訳ではないし、その時にならなければ決められない戦い方というのも確かに有る。
だが、戦う前に勝つ算段を付けておくのが戦略だと言うことなので、ずいぶん前から色々と暗躍しているのがあの二人だ。
そう。暴走中のギリギリの状態でさえ、武芸大会の準備をしていたという噂さえある。
そこまでやっている二人の努力に報いるためにも、負けることだけは許されない。
全力で戦い、そして勝つのだと心に決める。
全てはこれからなのだと、そう決意する。
だが、続いた台詞はある意味予想しておくべき物だった。
「何でも、これ以上ないくらいに卑怯な戦い方をするって言っていたから、勝ったとしたら相手に謝りたい気分になるんじゃないか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
予測していなかったために、決意が揺らいでしまった。
勝者となった側が、敗者に向かって誤りたくなるような戦い方などと言う物は、残念なことにニーナの知識の中には存在していない。
それはつまり。
「・・・・・・・。い、いや。勝たなければならない以上、どんな卑怯な手段だろうと選択肢として捨てるべきではないはずだ」
「そうだ。私達には後がないんだ。なんとしても勝たなければならないはずだ」
強引に自らの方向を定める。
それはダルシェナも同じだったようで、表情が引きつっているし視線が定まっていないが、それでも勝つことに貪欲になろうと努力しているようだ。
正々堂々と戦って勝つことこそ重要だという、ある意味負けた時の言い訳をしてはいけないのだ。
結果が全てなのだ。
強引に自分にそう言い聞かせている最中、訓練室の扉がノックされる音が聞こえた。
誰か来る予定があっただろうかと訝しんでいる間に、ハーレイが扉を開けて、そして驚いた。
「ディン?」
「ようタコ」
「タコと言うな」
どんな恐ろしい作戦を考えているか分からないはずのディンが、何時も通りのいかめしい姿でそこに立っていた。
その後ろには、当然のことウォリアスも居る。
当然のことかも知れないが、細目の極悪武芸者の手には手土産とおぼしきお菓子の箱が持たれていた。
これは、何かとても恐ろしい事態になったのだと、それだけが認識できた瞬間だった。
もしかしたら、本当に誤りたくなるような戦い方をすることになるかも知れない。
だが、それでも勝たなければならないのだ。
とは言え、一つ大きな懸念がある。
「私は勝つことに意義を見いだせるだろうか?」
どんな卑怯なことをしても勝たなければならないのだとしたら、勝利の杯とは甘美ではなく苦いのかも知れない。
そんな恐るべき予測と共に戦略・戦術研究室の二人からの提案を聞くのだった。
もはや日常生活の一部となってしまっていることだが、リチャードは四人分の朝食をせっせと作っていた。
自分とデルクの分は何ら問題無い。
作らないといけないというのもあるが、どうせならばきちんとした美味しい食事をしたいから、二人分を作るのは何ら問題無い。
問題なのは、本来ここで食事をする必要がない二人の方だ。
「ねえねえリチャード」
「お腹が空きました」
「待ってろ」
そう。朝食の催促をしている二人のことだ。
料理を続けている最中、視線をずらせて朝の鍛錬が終わったデルクを見てみる。
目の焦点が合っていなかった。
もしかしたら、このまま取り返しの付かない事態へと突き進んでしまうかも知れない。
無いとは思うのだが、認知症にかかってしまうとか。
「・・・・・・・・」
今日も良い天気だなという現実逃避をしたくて仕方が無いが、それを全力で堪える。
ここでリチャードまでが惚けてしまっては、サイハーデンの道場は完全に機能を停止してしまうのだ。
それだけは何とか阻止しなければならない。
最悪の事態に備えるために、ヨルテムにあるサイハーデン道場に応援が欲しいという手紙を送ったのが、暫く前の話だ。
未だに返事はないのだが、人類の住環境的に言って、一年は待たなければならないだろう。
駄目だと言われるにしても、応援が来るにしても、最低限それだけの時間は待たなければならない。
いや。これも現実逃避だ。
「速く速く」
「あまりゆっくりしていると、執務に差し支えが出るので、早めにして頂けると嬉しく思います」
「えええ! 執務よりもご飯の方が遙かに重要よ!!」
「そんな事は御座いません!!」
問題を引き起こしている二人組へと視線を向ける。
何故か手には、フォークを握っているが、これをどうするつもりなのかリチャード本人にも分からない。
分かっていることと言えば、グレンダン女王アルシェイラ・アルモニスと、天剣授受者のカナリス・エアリフォス・リヴィンが、毎日朝食を食べに来ていると言うことだけだ。
そして、夕食も週に二度か三度やってきているという事だけだ。
一般のご家庭にやってくるほど、王宮の食事は酷いのかとそんな事を考えた時期もあったが、違うらしいことは大体分かっている。
きっと、味よりも食事の雰囲気とか、我が儘を聞いてくれる人とか、騒々しい会話とかの方が重要なのだろう事は理解できているのだ。
理解できるが、当然納得など出来るはずがない。
だが、納得できなくても現実問題として毎朝食事に来る二人を何とか捌かなければならない。
と言う事で、リチャードが料理を作る能力は、飛躍的にその精度と速度が向上しつつあった。
もはや、活剄を使わないと包丁の動きを捉えることさえ困難なほどだ。
リチャードに剄脈はないから使えないのが残念で仕方が無いくらいに、凄まじい速度で包丁が野菜や果物を切り分け、そして卵が混ぜられてオムレツが作られる。
その他の料理もどんどんと作られて行くのだ。
そして、全ての料理が食卓の上に並んだ。
「出来たぞ。さっさと食って仕事に行け」
「ええええ!! ご飯が終わったらのんびりとお茶を飲んで、それが終わったらお昼を食べるつもりなのよぉ」
「いつまでお茶を飲んでいるつもりですか!! 働かない者は食べてはいけないのを知らないのですか!!」
朝食を猛烈な勢いで片付けつつ、二人の会話は一切止まることがない。
どうやって口を使っているのかとても疑問だが、一つしかない口で二つの仕事をこなしている二人から視線をデルクへと向ける。
「・・・・・・・・・・・。ああ。お茶が美味しい」
未だに焦点の合わない視線が、食卓を彷徨っている。
ちなみに、デルクの手にあるのはオレンジジュースだ。
もはや駄目かも知れない。
レイフォンさえいてくれたならば、二人の相手を任せてしまえるのに。そうしたら、デルクとリチャードは平穏な世界でのんびりと暮らして行けるのに。リーリンと二人で学校に行って勉強して、帰ってきたらデルクとレイフォンの食事を作ったりして、平穏無事に生きて行けるのにと、そんな埒もない事を考えてしまった。
「兄貴。兄貴がいてくれたのなら」
そうしたら、デルクももう少しシャキッとしていたに違いない。
だが、現実問題としてレイフォンはいないのだし、アルシェイラとカナリスはいるのだ。
その現実を見詰め続け、そしてサイハーデン道場を何とか存続させなければならない。
武芸者でもない一般の十五才が背負うには、あまりにも重い荷物だが、事ここに至ってしまっては仕方が無い。
そう決意したリチャードは、アルシェイラとカナリスによって食い荒らされた食卓に向かって突撃を敢行するのであった。
朝食を抜くことは出来れば避けたいからだ。
だが、それは少し遅かったのかも知れない。
「俺の分を取っておけ!!」
「どわ!!」
「きゃっ!!」
大量に用意したはずの朝食は、その残骸を残して全てがこの世界から消滅していたのだ。
納得することは出来ないし、怒りにまかせて持っていたフォークを二人の眉間に向かって投げつけたとしても、何ら文句を言われる筋合いはない。
残念なことと言えば、二人共が寸前でフォークの接近に気が付いて回避してしまったと言う事だろうか。
二人が恐る恐るとこちらを見ているのを無視しつつ、取り敢えず何か食べる物が残っていただろうかと冷蔵庫を開けるために席を立つのだった。
マイアスとの接触は翌日の午前中に行われた。
轟音を立てて、双方の接岸部が接触するのを待ってから、カリアンは相手の生徒会とのやりとりのために歩き出す。
ルールのある武芸大会である以上、それなりの形式は必要なのだが、今回は色々と特殊になってしまっている。
まず何よりも、ここで負けたのならば、ツェルニは本格的に滅びの準備に取りかからなければならないと言う事。
都市外作業指揮車を始めとする、セルニウムの採掘準備はおおよそ整っているとは言え、消費量を上回る補給が出来るかは全く未知数である以上、使わないに越したことはない。
続いて問題なのは、つい最近までナルキがマイアスにいたという事実だ。
電子精霊の強奪と思われる事件に巻き込まれ、それを解決するためとは言え、都市警に所属する武芸者を一撃必殺の元に倒してしまったという事実は、少々問題が有るかも知れない。
そして三つ目が最も厄介なのだが、ナルキの証言が正しいのならば、マイアスにはグレンダンの天剣授受者がいるのだ。
しかも、天剣最凶と恐れられているらしい戦闘狂という話も聞こえてきている。
これからの大会がどんな物になるかさっぱり分からないが、当面サヴァリスの引き受けは遠慮しておきたいところではある。
これ以上揉め事が起こることに、いかに陰険腹黒眼鏡の生徒会長とは言え、精神的な限界が近付いているのだ。
とは言え、受け取り拒否が出来る状況でないことも事実なので、何とか平穏無事に事を進めたいと、そう思いつつマイアス生徒会長が近付いて来るのに合わせて進み出る。
マイアス側の生徒会長は、やや気弱げだったが、それでも十分な自信を持ってカリアンと向かい合っている。
事実はどうあれ、汚染獣との実戦をくぐり抜けたことにより、自信が付いているのだろう。
だが、それは所詮一度きりのことに過ぎない。
つい最近までツェルニは、連戦に次ぐ連戦をくぐり抜けてここまで来たのだ。
潜った修羅場の数だけならば、そんじょそこらの都市には負けない自信がある。
だが、それでも油断は出来ない。
自分を戒めつつも、形通りの挨拶と取り決めを行い、このまま何事もなく過ぎますようにと踵を返す。
「実はですね」
「はい?」
用件は分かっているので、そのまま逃げ出したい気持ちを抑えて返したばかりの踵をもう一度回転させる。
とても健やかな笑顔と共に紡がれた言葉は、やはりサヴァリス絡みだった。
「どうしてもツェルニに渡りたいという人がいるのですが、武芸大会を始める前にお引き渡しを済ませませんと」
「後ほどでは駄目でしょうか?」
出来れば、これ以上の揉め事はごめん被りたい。
サヴァリスがツェルニにやってくれば、間違いなくレイフォンと戦わせろと言うだろうし、もしかしたらナルキを殺させろと主張するかも知れないのだ。
そんな事態は出来るだけ避けたかったのだが。
「いえ。もう貴方の後ろにいらっしゃるので」
「!!」
慌てて振り返ると、息がかかるほどの至近距離に銀髪を首の後ろで縛った青年がにこやかに佇んでいた。
一瞬以上心臓が止まってしまったような、それ程の恐ろしい体験だった。
だが、恐怖はまだ始まったばかりだった。
そう。カリアンの後ろに控えていたヴァンゼを始めとする武芸者達全員が、驚き喫驚し硬直しつつサヴァリスを見詰めているのだ。
それはつまり、マイアスの生徒会長が指摘するまで、気が付いた人間が誰もいなかったと言う事になる。
もちろん、レイフォンならば話は違うだろうが、生憎とここにはいないのだ。
(こ、これが天剣授受者か)
レイフォンが穏やかな性格だからカリアンは生きていられるのだと、それを心の底から認識することが出来る事件だった。
だが、カリアンはまだサヴァリスという男を理解していなかったようだ。
「やあ。始めてお目にかかるね。僕はサヴァリス・ルッケンス。何時も弟が世話になっているようだね」
「始めましてサヴァリスさん。私はツェルニ生徒会長のカリアン・ロスと申します。貴方の入都を認めましょう。事後承諾のようですが」
「いやいや。なんだかとても楽しそうだったから、平和的に挨拶をしたくなってしまってね。驚かせてしまったようで申し訳ないね」
皮肉を込めた攻撃も、あっさりと受け流されてしまい、しかも平和的に挨拶をしていると本人はそう確信しているようなのである。
これほど恐ろしい生き物だとは、思いもよらなかった。
想像を上回っていた。
だが、まだこんな物ではなかったことがすぐに分かった。
「ところで相談なんだけれどね」
「なんでしょうか? これから武芸大会が始まりますので、貴方にはシェルターに避難していて頂きたいのですが」
「そう、その武芸大会のことなんだけれどね」
「伺いましょう」
出来れば聞きたくないが、都市の運営に責任を持つ身としてそれはやってはいけないことだ。
そしてサヴァリスはちらりと、都市の中央付近へと視線を投げた。
そう。都市旗が立っている生徒会本塔の方向へと流し目を送ったのだ。
その流し目はしかし、色っぽいという表現からはほど遠い物だった。
あえて言うならば、堪えきれない闘争本能の迸りだろう。
「マイアス武芸者は僕が始末するから、ナルキと戦わせてくれないかな? もちろん、レイフォンとも戦いたいけれど、僕は今、ナルキととても戦いたいんだよ」
「・・・・・・・・・・・」
戦いたいのではなく、殺し合いたいのだと言う突っ込みを何とか飲み込む。
そしてサヴァリスが何を見たのか、それを理解できた。
だが、それでも、事態を先延ばしにしなければならないのがカリアンの立場だ。
「申し訳ありませんが、それは学園都市連盟規約違反となりますので、どうしてもと言うのでしたら、武芸大会が終わった後にお願いします」
「うん? 成る程ね。流石に僕も都市連盟なんて組織を完膚無きまでに破壊するのには時間がかかるね。それだったら暫く待っていた方がマシかも知れないね」
どうやら納得してくれたようで一安心だ。
そして、溜息をついたまさにその瞬間、いきなりサヴァリスが視界から消えて無くなっていた。
周りの武芸者全員が呆然としているところを見ると、やはり彼らにも見えていないのだろう事が分かる。
そして遠くで、良く知っている武芸者の悲鳴が微かに響いたのだった。
これからが地獄だと、そう実感できる悲鳴だった。
第五小隊長であるゴルネオは、別段油断しているつもりはなかった。
何しろマイアスには実兄であるサヴァリスがいるのだ。
ゴルネオはそんな状況で油断など出来るほど、大物ではないし、万が一のために最大限の警戒をしているのは当然のことだ。
このところの訓練と連戦で、一昨年とは比べものにならないほど実力が上がったと思っていたし、それは恐らく間違いのない事実だったはずだ。
だが、それでも、目の前に現れた銀髪の青年を認識した瞬間、咄嗟に千手衝を発動させて全力で殴りかかってしまっていた。
そう。覚悟していたし、最大限の警戒をしていたにもかかわらず、何の前触れも察知できずに目の前に現れた天剣授受者に驚き、全力で攻撃をしてしまっていた。
その攻撃の激しさや鋭さは、幼生体戦の始まる前にレイフォンに向かって打ち込んだ物の比ではなかった。
そう。レイフォンとの遭遇のように予想できていなかった前回と、サヴァリスがいることが分かっていたために準備できている今回では、比較にならないほど凄まじい攻撃が出来たはずだった。
だがしかし、明らかに強くなっているはずのゴルネオの全力の攻撃だったというのに、サヴァリスはほんの少し驚いた表情をしただけで全てを回避してしまった。
防御する必要さえないと言わんばかりに、全てギリギリのところで回避するという念の入れようだった。
そして、ひとしきりゴルネオの攻撃を避けたサヴァリスが少しだけ距離を開けて、そしてとても嬉しそうな笑顔で頬笑んだ。
そう。ゴルネオの背筋を冷たい汗が大量に流れるような、死を覚悟させる笑顔で頬笑んだのだ。
「ツェルニが連戦連敗していたと聞いたから、戦況を変えるだけの実力を持っていないのかと思っていたんだけれど、どうやらそれは少し違ったようだね。学園都市の武芸者のレベルは思ったよりも高いようだね」
「うげ」
そう言いつつ、左手をついと持ち上げ、右頬に付いた血をぬぐった。
そう。ゴルネオの攻撃がかすって皮膚が切れて出来た傷口からにじんだ血を、とても嬉しそうにぬぐったのだ。
もちろん、大前提としてサヴァリスが油断していたというのがあるだろう。
更に、千手衝はある意味レイフォンのオリジナルであり、始めて見たためにその対応が遅れたというのもあるだろう。
だが、それでも、グレンダンにいた頃のゴルネオだったら、あるいは去年のゴルネオだったら、かすり傷一つ付けることさえ出来なかったのは間違いない。
だが、今は出来ている。
自分の実力が上がったという事実を、実兄で確認出来たことを喜ぶ気持ちはしかし、ゴルネオには存在していない。
サヴァリス相手にそんな事を考える余裕など、ゴルネオにはないからだ。
合計六本の腕を構えて、サヴァリスの攻撃に備えつつ、今日死ぬことを確信していた。
「プシャァァァァ」
「うん?」
だが、そんな状況だというのに、ゴルネオの肩に乗っていたシャンテが、何時の間にか前に出てサヴァリスを威嚇していた。
疑問符を浮かべたサヴァリスが、興味津々とシャンテを観察する。
これはかなり拙いことになったかも知れないと思いつつ、おもわず身体の奥底から力が湧いてくるような錯覚を覚えてもいた。
そう。錯覚に過ぎないのだ。
シャンテのために戦うと決めた瞬間に、力が湧いてくるなどと言うことは有ってはならないことなのだから。
「成る程ね」
そんなこちらの状況など知らぬげに、サヴァリスがなにやら納得していることを認識した。
そしてその視線が、ツェルニのある一点を貫く。
視線を送ったのでもなく、見詰めたのでもない。
それは明らかに貫いていた。
「僕は幸せ者だね」
「・・? な、なにをいっているのですか?」
続いた台詞が理解できず、一瞬以上心と身体が硬直してしまった。
だが、驚愕はまだこれからだった。
「二人掛かりで僕を殺したいだなんて、こんなにもゴルに愛されているなんて思わなかったよ」
「? ふぁ、ふぁにを?」
「でもだめだよ? 僕は真っ先にナルキと愛を育みたいんだ。ゴルとはその後だよ」
「に、にいさん?」
「そう。愛のために戦う僕こそ、愛の戦士なんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
驚愕のあまり、もはやあらゆるリアクションを取ることが出来なかった。
五年。言葉にすれば短いが、人が変わるにはあまりにも十分すぎる時間だったようだ。
ふと視線を向けると、シャンテの姿が消えていた。
いや。ゴルネオの後ろに隠れて、服の裾をしっかりと握り、涙を堪えて必死に縋り付いてきていた。
その姿に思わず心の中で、何かとても熱い物が噴出するような気がしたが、断じて錯覚であると自分を騙す。
シャンテに萌えてしまったなどと言うのは、確実に錯覚でなければならないのだ。
そこまで自分を騙してから、視線を前方に向けてみると、当然の様にサヴァリスの姿は消えていた。
これで一安心である、と普通ならば言えるのだろうが、相手は天剣授受者である。
何時何処から襲撃してくるか予測など出来はしないのだ。
「ああ。隊長」
「な! なんでひょう先輩」
途中噛んでしまうくらいに、オスカーからかかった声で動揺してしまった。
恐る恐ると後ろを振り返る。
視界に収まった武芸者は、全員が事の成り行きを全く理解していないことが分かった。
「いまのは、もしや」
「兄です。天剣授受者の」
隠してもなんの意味もないので、正直に重要なところだけを話す。
次の瞬間、オスカーの手が伸びてきて、労うように励ますように、あるいは同情するように肩を叩いたのだった。
後書きに代えて。
這い寄ってくる暴走超特急を見ていた時期に書いたために、リチャードの武器がフォークになっているだけです。
深い意味はありませんのであしからず。