018
つい先日のことだ。
ようやく偽物語下、まで時間が進んだ。つまり簡単に言うと、ツンドラヶ原さんがツンドロヶ原さんにクラスチェンジし、忍と和解し、僕はと言うと、京都弁を話す素敵なお姉さんにボコボコにされた。そんな感じだ。
良かった。これで僕はメタがどうとか気にする機会がグッと減った。肩の荷が下りたような、けれどどこか物悲しいような、そんな曖昧な気持ちを抱きながら、結局のところ気が抜けたと言うか、いくら吸血鬼に近づいていたとは言っても、あんな殆ど人外認定してもおかしくない女性にボコられた僕は、ダメージ回復の名の元に、少し勉強をサボって自室のベッドに寝転びながら本を読んでいた。
僕と和解し会話するようになった忍がミスドがどうとか、百円セールだとか、ドーナツが食べたいとか、色々と言っている気がしたがそれも無視し続けていると、ようやく忍は影の中に引っ込んで行った。
今頃涙目でDSでもやっているのだろう。
涙目の忍、ぜひとも一度見てみたい光景だが、影の中に入ることが出来ない僕は多分見る機会が無いだろう。
そんな風に惰性に過ごしていた僕に、思いもよらぬ災害が訪れたのは、その直ぐ後だった。勿論今回も怪異も何も関係は無い、僕の愛すべき妹たちが持ってきた厄介事だった。
019
「兄ちゃん!」
「お兄ちゃん!」
互いの呼び方が違う癖にユニゾンしながら、月火ちゃんと火憐ちゃんが入って来た。
声がピタリと重なるならともかく、文字数の違いで微妙にずれて聞こえて気持ち悪い。
「何だよ。僕は今ちょっと疲れてるんだから休ませてくれよ」
言いながら二人を見やり、その表情に、ぎょっとして僕は思わず体を起こした。
殆ど顔面蒼白と言っていい表情の二人が僕の下に近づいた。
「どうした。何かあったのか?」
またどっかの怪異退治の専門家が来たとか、再び約束を破って貝木が現れたとか、そんなことが先ず頭を過ぎった。
厄介事でイコール、怪異に結んでしまう辺り、僕もかなり染められているような気がする。この二人の場合、怪異なんかよりも別種の厄介事に巻き込まれることの方が多いというのに。
「大変なんだよ兄ちゃん」
「大変なの、お兄ちゃん」
もうお前らどっちかだけが喋れよ、耳障りだな。
僕がそう口にする前に、月火ちゃんは火憐ちゃんを、火憐ちゃんは月火ちゃんをそれぞれ指差し、そしてまたも例のユニゾンで声を揃えて言った。
「月火ちゃんが蝋燭沢くんと」
「火憐ちゃんが瑞鳥くんと」
「別れちゃったんだよ! それも」
「別れたんだって! それも」
「兄ちゃんのせいで!」
「お兄ちゃんのせいで!」
「は?」
ズイっと顔を近づけてくる二人の妹を前に、僕は間の拭けた声をあげた。
それぐらいしか出来ることが無かった。
020
別れた原因は僕にあるだと? 何を言っているんだこいつらは、とうとう頭が沸いてしまったのだろうか。
僕はその蝋燭沢くんとやらも瑞鳥くんとやらも、会ったことも無ければ、顔すら知らないと言うのに。
「何で僕のせいなんだよ。何でもかんでも人のせいにするんじゃねえよ」
バカバカしい。心配して損した。
どれ、そろそろ真面目に勉強でもするか。ツンドロになったガハラさんはともかく、羽川さんはなんだか最近ちょっと厳しいからな。まあ、見捨てられていないと分かっただけで、僕としてはほっとしているところなのだけれど。
「ほら。もういいからさっさと部屋から出て行け、僕はこれから勉強タイムだ」
まだ僕に顔を近づけながらジッと睨んでくる二人、怖いよ。特に火憐ちゃんが怖いよ。この場で正拳突きを繰り出しそうな恐怖感がある。
すまん忍、恐怖がお前に伝わっているかも知れないが我慢してくれ。
「兄ちゃんのせいなんだよな? 月火ちゃん」
「お兄ちゃんのせいなんでしょ? 火憐ちゃん」
互いに聞き合い、そして互いに即座に頷いた。
何がちょっとずれて来ただよ、ウザったいほど未だに息ピッタリじゃないかよ。
いつか月火ちゃんの言っていたセリフだ。
そう言えば会合の結果はどうなったのだろう? いい加減兄としてはファイヤーシスターズなんて解散して欲しいところなのだが、解散会の誘いは今のところ僕の元へは来ていない。
「兄ちゃんがあたしにキスしたせいだ!」
「お兄ちゃんが私にキスしてきたせいなんだからね!」
「……」
ビシッと揃った二つの指先が僕の眼前に突き出される。その指先を眺めながら、ああそう言えば、そんなこともあったな。と僕は他人事のようにあの時のことを思い出した。
そう言えば月火ちゃんが、僕のせいで火憐ちゃんと何君だったか、瑞鳥くんか、その間に不協和音が走ったと言っていたが、月火ちゃんもなのか、しまったな。これは確かにフォローが足りなかったかも知れない。
「そうか。すまなかったな。そう言えば僕の方から説明してやろうと思って忘れてた。どれ、じゃ今からでも行って、僕とお前らとのキスは兄妹間のお遊びだって伝えてやろう」
「余計拗れるって。大体、別に兄ちゃんとキスしたことがバレて別れた訳じゃねーし」
「二人ともこっちから別れを切り出したんだもんね」
やっぱり僕のせいじゃないじゃん。何なんだコイツら。
「だったら僕は関係ないだろ。ほら、さっさと出てけ」
せっかくのやる気が冷めるだろ。
「だーかーらー。兄ちゃんのせいなんだってば」
「お兄ちゃんのせいなの!」
マジウゼェ。二人揃っても馬鹿なのは昔からだが、ここまでだったとは。
物事には順序良く説明しないと分からないことって言うのがあるんだよ。まあ僕もそれを知ったのは最近。羽川に聞いてようやく分かったことだけれど。
「兄ちゃんとキスしたせいで、他の人とキス出来なくなったんだよ」
「そうだよ。責任取ってよね!」
何故か自信満々に言ってみせる二人。追い出そうとしていた僕の手がピタリと止まった。
ああ、全く先ほどから馬鹿た馬鹿だと言ってはいたが、それは要するに結局行動面での話で、知能面ではまともだと思っていたのに、この二人本当に馬鹿になっちゃんたんだな。
こんな一般常識も知らないなんて。
いいよ、分かった。僕も仮にもお前たちの兄だ。如何にお前たちが馬鹿だろうと兄としてお前のことを見捨てたりなんかしないよ。
大きくため息吐いてから、僕は二人の頭に手を載せて、ゆっくりと馬鹿な頭にも分かるようにちゃんと説明してやることにした。
「いいか二人とも。よく聞け、日本ではな。兄妹は結婚出来ないんだよ」
法律でそう決まっているんだ。だからお前たちがいくら責任取ってなんて言っても、無理なんだよ。そう続けてやる。
「知ってるよ! 何で責任イコールいきなり結婚なんだよ! 兄ちゃんの方が馬鹿だろ!」
何言ってるんだでっかい妹。責任と言えばやはり結婚だろう。かつて、神原に対して責任を取って結婚しようと言った時は向こうに断られてしまったが、それが当然だ。
「……私も知ってるよ。だから、うん、事実婚でいいよ」
「月火ちゃん?!」
少しの間黙っていたちっちゃい妹が顔を赤くしながら僕に言った。
何だこれ。どういう状態だ。
何のつもりだと、取りあえず救いを求めて火憐ちゃんを見ると、何やら火憐ちゃんの方も、顔を赤らめて下を向いてしまった。
妹たちがデレた! なんということだ。戦場ヶ原か? 戦場ヶ原のデレが伝染したのか。くそう。まだ連れてきてもいないのに、デレウイルスを撒き散らすとは、流石は戦場ヶ原だ。
これは。紹介するとは言ったけれど、連れて来たら余計に面倒なことになりかねないな。
「さ、さて。僕は今から羽川さんとお勉強会があるから、出掛けないと」
考える時間を下さい。
そう言う意味の発言だったのだが。
「翼さんにはあたしから連絡しておいたぜ!」
親指を立てて、いい笑顔を見せる火憐ちゃん、可愛いじゃないか。でっかいだけが取り柄の妹の癖に。
「お兄ちゃんの彼女さんにも、伝えておいてくれるって」
後を追うように月火ちゃんも続いた。何で? 羽川さん、それはちょっと厳し過ぎるんじゃないでしょうか。
羽川さんに面と向かって叱られるのなら、僕はいくらでも甘受するけれど、こんな風に突き放す叱り方はどうかと思う。
怒っているのだろうか。やっぱり怒っているんだよな。そもそも羽川さん、僕がハーレム作っているの知ってそうだしな。あえて言わないけど、羽川さんが知らない筈ないもんな。今度聞いてみよう。
またあのセリフが聞けるぞ。やったあ!
「さあ。責任取ってもらうぞ兄ちゃん」
「そうだそうだ」
「いや、待て妹たち。特にお前だ月火ちゃん」
「私?」
「月火ちゃんがなんだよ」
にじり寄ってくる妹たちを交わし、ベッドの端に移動して距離を取った僕は、空いた空間で、月火ちゃんに向かって手を伸ばした。
指された本人はキョトンとして首を傾げている。
短めの髪が揺れる。あれ。ちょっと可愛くないか?
「お前には言っただろ! 僕は妹とキスしても何にも感じねーって。お前たちは僕にとって妹だけど、それ以上になることは絶対に、無い!」
「普通の妹にあんなことはしないと思うけど」
「あんなこと!? 何だ月火ちゃん、兄ちゃんに何されたんだ」
「何もしてねえよ。いい加減なこと言うなよ」
「裸にされて胸凝視されたあげく、足で胸揉まれた」
「そう言えばあたしもブリッジしている時にいきなり胸揉まれたな」
お兄ちゃん妹の胸触りすぎ! である。言葉にされると僕も結構酷いことしているな、相手が相手ならトラウマだ。いやでも、妹相手ならありだろう。兄妹間のスキンシップとして割とありふれた行為じゃないのか? 僕はずっとそう思っていたが。
「当たり前じゃないし!」
「もしそんなことしてるって学校で知られたら、即刻PTAが動くね」
む。PTAか、それは拙い。八九寺曰く何の権力も無い一般市民たる僕など指先一つでポイ出来る組織が僕の元に来てしまう。
そうか。普通の兄妹はそんなことしないのか。うん、勉強になったぞ。
「分かった分かった。もうしないから。ほら、いい加減子供らしくお外行って来なさい」
「ガキ扱いするな!」
「お兄ちゃん、千ちゃんにも手、出してるくせに」
「ば、馬鹿なこと言うなよ。千石は僕にとって大切な妹キャラだよ。お前たちなんかより、よっぽど妹な妹キャラに僕が手を出すわけが無いじゃないか」
すまん千石。と心の中で謝って置く。千石の家に招かれて、遊んだあの日、ツイスターゲームでちょっとだけ先に進んだのは内緒の話だ。
完全にどもってしまった僕に、火憐ちゃんがムッとした表情を見せた。
「兄ちゃんの妹はあたし達だけだ!」
なんか怒ってる。お前どっちなんだよ。責任迫ってきたり、妹を強調してきたり、やっぱりコイツの知能指数はかなり低いと見た。
「よし、分かった。僕の妹はお前たちだけだ。これで良いな」
「分かればいいんだ……って。立ち去ろうとすんなよ! 月火ちゃん!」
「了解!」
火憐ちゃんの合図で立ち上がった僕の足に月火ちゃんが絡まってきた。
「うわっ」
バランスを崩しかけた僕に今度は火憐ちゃんが襲い掛かる。
あっという間に僕は押し倒され、両手両足を押さえつけられてしまった。
相変わらずスゲー力。僕が本気を出せば外れるかもしれないが、それはちょっとしたくない。
「なんのつもりだ」
押さえつけられたまま、僕の上でニヤニヤと笑っている妹ズを見上げる。
クソ。屈辱だ。火憐ちゃんはともかく、月火ちゃんまで見上げる日が来るとは。
「ふふふ。隠そうとしても無駄だぜ兄ちゃん。神原先生に聞いたんだからな!」
「千ちゃんにも聞いたよ」
あの二人! 神原はともかく、千石までそんな口が軽かったなんて。いや、あるいは神原の仕業か? アイツは妹たちもハーレムに入れる気満々だったからな、千石も神原の頼みならば断らないだろうし、妹たちを焚き付けるためにそんなことを言ったのかもしれない。
それでなくても最近、八九寺攻略後、あまり進展の無い僕に、神原は少々焦れている様だったし。
「待て。分かった、それは認めよう。神原に聞いたんなら仕方ない、それは本当の話だ」
この期に及んで否定しては、神原や千石に失礼だ。
「やっぱり」
「三股とか、お兄ちゃん、鬼畜」
妹に鬼畜呼ばわりされてしまった。
良かった八九寺のことはまだ知られていないようだ。流石にあれが知られると色々危険だからな、怪異的な意味でも。
出来れば二人にはこれ以上怪異に関わることなく(月火ちゃんは流石に無理かもしれないが)過ごしてもらいたいからな。
「後、兄ちゃんが小学生を襲っていたって噂も」
「あ、それ知ってる。ツインテールの小学生に襲い掛かる高校生」
バレてた! この前の時点ではまだ僕だとは判明していなかったのに、とうとう突き止められてしまった。
「翼さんも怪しいよな」
「私なんてこの間お風呂に金髪の幼女を連れ込んでいるところ見た」
「待て、月火ちゃん。それは幻覚だ。そんなことありえるわけ無いじゃないか。痛ッ!」
突然髪を引っ張られた。二人が互いを見ている一瞬の隙を突かれた。
忍だ。
あの金髪金眼ロリめ、何のつもりだ。
なにやら騒ぎ続ける二人を尻目に僕は自分の影の中に消えた金髪幼女を睨み付けた。当然のように僕の心の中の問いかけに、忍が応えることは無く、影はいつも通り静かにそこにあるだけだった。