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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] バーニング・ラヴ、後編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:33079cb2 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/12/16 22:10
「――は?リュウ、オマエ……、本気で言ってんのか?」


 何の予兆も前触れもなく、あまりにも唐突に訪れた現実。それは天使にとってまさしく、晴天の霹靂であった。

 ――事の発端は、十数分ほど前。先週の土曜日に稼動した新作格闘ゲームにおいて何とか兄貴分の信長に一泡吹かせてやる事を目標に掲げ、真昼間から堀之外のゲームセンターに入り浸って腕を磨いていた天使は、兄の竜兵からメールで突然の呼び出しを受ける。気付けば派手に荒れ始めていた悪天候に辟易としながら家に戻れば、狭い居間には既に一家全員が揃っていた。竜兵と、二人の姉。そして、一体何事なのかと首を傾げて訝しむ天使に向かって竜兵が嬉々とした語調で告げた内容は、天使が欠片も想像していなかったものだった。

 曰く。マロードの情報によれば信長の片腕、森谷蘭は現在、まともな戦力としては使い物にならない状態らしく、常と較べて遥かに捕捉が容易である事。支配者としての立場や矜持を考えれば、一の臣下として名高い蘭を餌として用いる事で、まず間違いなく信長自らが動くであろう事。マロードの暗躍によって、現在に限り独軍という強大な戦力を利用できる事。それらの諸要素を考慮すれば――この堀之外に君臨する魔王・織田信長を完全に排斥する機は今を置いて他にないと、マロードが決断を下した事。

 昂揚と陶酔で頬を染めながら語る竜兵とは逆に、天使の表情は話が進むにつれて険しくなっていった。頭を働かせるのが人並み以上に苦手な天使ではあったが、それでも竜兵の言葉が意味するところは理解できる。マロードのプランが現実のものとなった時、どのような事態が訪れるのか――想像するのは容易だった。

「んな事したら、シンはゼッテーにウチらを許さねーぞ。今度こそゲームじゃ済まねー、真剣で殺し合いになっちまうじゃねーか!」

「良く分かってるじゃねぇか。そうだ、今までみてぇなヌルい喧嘩とはワケが違う、正真正銘、命懸けの戦争の始まりだ!ようやく、ようやくシンと俺たち板垣が雌雄を決する時が来た……!くくく、今日は最高の日だなぁ!オマエもそう思うだろう、天!」

「――っ」

 心の底から嬉しそうな笑顔で同意を求める竜兵に、天使は絶句する他なかった。悪夢じみた現実を前に、思考が真っ白になって、まともに頭が働かない。この状況で自分がどう振舞えばいいのか、まるで判らなかった。呆然とその場に座り込んでいる天使をちらりと見遣って、亜巳が落ち着いた態度で口を開く。

「なるほどねェ。マロードにしてみりゃ、今こそ最初で最後の絶好のチャンス、って訳か。で、リュウ。そのマロードの作戦の中で、アタシらは一体何をすればいいんだい?」

「くく、言うまでもないぜ亜巳姉ぇ。シンと踊るのが俺達以外の有象無象であっていいワケがねぇんだからな」

「つまり主人から離れて暴走してる従者をとっ捕まえて、出張ってきたシンとヤり合う――それがアタシらの役目か。ふぅん……それならリュウ、折角だしアンタの部下も有効活用すべきじゃないのかい?」

「アイツらをかぁ?だけどよアミ姉ぇ、あのザコどもじゃあシンの前に立ってる事も出来ねぇと思うぜ」

「最初から戦力として期待しちゃいないさ。ただ、頭数は多い方が人目を惹くだろう?餌ってのは目立つ方が大魚を釣り上げ易いからねェ」

「ああ、確かにそりゃ名案だ。くく、アイツらも溜まってるだろうからな、偶には褒美をくれてやるか。善は急げだ、俺はさっそく召集を掛けてくるぜ。また連絡を入れるから、それまでにアミ姉ぇ達は適当に準備しといてくれよ」

 言うや否や、竜兵は上機嫌に鼻歌を歌いながら弾むような足取りで居間から去っていった。

 その場に残された三人は、食事時に毎度勃発する兄妹喧嘩の所為で傷が縦横に走る食卓を囲んで座り、そのまましばらく思い思いに沈黙していたが、やがて亜巳が静かに口火を切る。

「やれやれだねェ。前々からいつかこうなるとは思っちゃいたが、こうも話が唐突だと流石のアタシも驚きだよ。アンタはどうなんだい、天?」

「……ウチは」

「……。……ったく、何て顔してるんだい。アタシらがシンとやり合うなんざ、何も今に始まった事じゃあないってのに」

 苦笑しながら軽い調子で言う亜巳に、天使は思わず睨むような目を向けて、込み上げる激情のままに叫んでいた。

「だからって、今度の“これ”はゼンゼン話が別だろっ!マロードの言う通りにしちまったら、もう二度と取り返しがつかねーんだ!シンか、ウチらか、どう転んでもどっちかが死んじまうんだぞ!?だってのになんで、そんな風に――いまさら“決着”なんて付けずに、今までみたいにやっていけばいいじゃねーかよっ!」

 自分よりも遥かに賢明で思慮深い姉ならば、闘争の先にどのような事態が待ち受けているか、判り切っている筈なのに。それとも――自分とは違い、彼女にとって織田信長との繋がりとは何ら価値を見出すに足るものではないのか。マロードの指令一つで容易く切り捨ててしまえるような、脆弱な縁でしかないと言うのだろうか。板垣一家にとって、信長は誰よりも長い年月を共に過ごしてきた隣人であり、幼馴染だと言うのに。

「天。少し落ち着いて、アタシの話を聞きな」

 駄々っ子を窘めるような落ち着いた口調で、亜巳は静かに天使を制した。

「いいかい、天。いくら喚いてもジタバタ足掻いても、どのみちアタシ達とシンの衝突は避けられやしないのさ。片方がくたばるまで噛み合うしかない。そういう因縁なんだ。アタシ達は最初から、そういう風にしかなれない●●●●●●●●●●●●歪な関係なんだからねェ」

「な、なんでそんなこと、」

「天、本当はアンタも分かってるんじゃないのかい?アイツが“アタシ達みたいなの”を――心底嫌ってるって事はさ」

 殊更に感情を載せず、至って淡々と吐き出された亜巳の言葉に、天使は打ちのめされたような気分になった。

『俺が許容出来ぬのは――裏の社会を“逃げ場”と捉えている輩だ』

 脳裏を過ぎる記憶は、つい先日に信長が曝け出した憎悪の念。天使はあの時、当人の口から真意を聞かされる事で、信長という兄貴分の心中に在り続けてきた苛烈な激情を初めて悟った。しかし、経験豊富で洞察力にも秀でた亜巳は、天使よりも相当に早い段階から……或いは初めから、織田信長の意志の在り処に気付いていたのではないか。

「勿論、アタシ達の性格やら何やら、全部根こそぎ気に食わないって訳じゃあないだろうさ。もしそうだとしたら、十年近くも付き合いが続く筈がないんだからね。ただアイツは、裏の住人が好き勝手に、自由気侭に暴れ回る――そんな当たり前の光景が赦せないんだろうねェ。理由なんざ知らないが、ずっとそういう目をしてたよ、シンは」

「……」

「その証拠に、シンは今まさに、闇の中に新しい規律ってヤツを浸透させようとしてる。裏社会の何もかもを自分が定めたルールでガチガチに縛り上げて、違反した奴には自らが制裁を下す。そうやって一度恐怖を覚え込まされた連中は、滅多な事じゃルールに逆らおうとは思えなくなるってワケさ。アイツの渾名、“風紀委員”ってのはなかなか上手いこと言ったモンだよ、実際」

 堀之外の街において信長がどのような立場に在るのか、天使は改めて思いを巡らせる。“信長が来るぞ”の一言で誰もが震え上がるのは――“実際に視られている”という自覚が意識の根底にあればこそだ。あらゆる場所に張り巡らされた信長の監視の目は、常に闇の中を睨み据え、街の動向を実質的に支配している。その事実に反発し、信長の首を挙げんと叛旗を翻した者は、悉くが無惨に叩き潰されてきた。恐怖が恐怖を呼び、獣達は無言の内に息を潜め、静寂が闇を充たす。ここ最近、街中での大規模な組織間抗争が行われていないのは、監視者たる信長が殺意と共にそれを禁じているからだ――そんな風説を、今更のように思い出した。

「だけどねェ、そんな息苦しくて窮屈極まりない、娑婆と監獄の区別が付かないクソッタレな環境にぶち込まれて大人しくしてろってのは、アタシ達みたいな根っからのアウトローにゃどだい無理な相談さ。誰に指図される事もなく、好きな事を好きなようにやるってのが、アタシ達の生き方なんだからねェ。――だから、相容れない。魔王サマがあくまで徹底した支配を押し付けてくる限り、アタシ達はアイツと同じ天を戴けやしない。恐怖政治を布く独裁者から自由を勝ち取る為には、善良な市民が立ち上がって闘わなきゃならないって訳さ。そしてシンはシンで、自分に歯向かう輩は問答無用で皆殺し、って男だ。となりゃ、これはもう、行き付く先なんて端っから一つしかないだろう?」

「け、……けどっ!前に闘って負けた時、シンはウチらを殺さなかっただろ。この街の表をウチらが仕切って、シンは裏から仕切る。そういう役割分担が必要なんだ、って。これからもそうやっていけば、別に殺し合いなんて」

「あんな生温い処置で済んだのは、二年前の時点ではまだ、シンの地盤が固まってなかったからさ」

 必死に言い募る天使の言葉を、亜巳のあくまで冷静な声音が無慈悲に否定する。

「あの時点じゃアタシ達とシンの覇権争いにカタが付いただけで、トップの座を虎視眈々と狙ってる反抗的な連中は腐るほど居た。そいつらを手っ取り早く降して掌握するためには、“板垣一家”の持つ戦力と知名度を利用するのが一番効率の良い方法だったんだ。だけど二年経った今となっちゃ、もはやそれすら必要としない程にシンの影響力は大きくなってる。これが何を意味するか分かるかい、天?」

 言わんとする事は何となく理解は出来ても、認めたくなかった。回答を拒否するように俯いて黙り込む天使に対し、昏い笑みを浮かべながら亜巳は答を突き付ける。

「織田信長にとって、板垣一家の存在は既に用済みになりつつあるのさ。そう遠くない未来に、“表”と“裏”の区別なんざなく、たった一人の支配者としてアイツがこの街の全てを掌握する。――要は時間の問題なんだよ、天。だったら、どうせ殺り合う羽目になるのなら、こちらから先手を打って仕掛けるのは悪い選択じゃあない。シンを出し抜ける絶好の機会が向こうから転がり込んで来たなら、利用するのは当然さね。それが今のアタシ達が置かれてる状況で、もう留めようのない流れってヤツなんだ」

「……」

「ずっと前から、覚悟してた事さ。アタシはもう腹を括ってる。だから、殊更に慌てたり迷ったりする事もない。現状は所詮、来るべき時が来ただけの話なんだからねェ。それに、大体――リュウを放っとく訳にもいかないだろう?」

 苦笑混じりの亜巳の言葉に、はっと顔を上げる。

 そう、信長との死闘に執着する竜兵は、決して講和や恭順の道を選ばない。日頃から公言して憚らない己の願望を果たすため、周囲の情勢など顧みず信長へと闘いを挑むだろう。その果てに待ち受けているのは、確実な死。少なくとも当人にとっては悲願を遂げた上での幸福な最期かもしれないが、傍目には自殺と変わらない行為だ。

 大切な家族の一人を無為な死から遠ざける事こそを最優先事項とするのは、板垣一家の棟梁たる亜巳にとって当然の結論。例え古い幼馴染と血塗れの闘争を演じる未来が待っていたとしても――板垣亜巳が選択と決断を躊躇う事は無い。それは、天使も最初から承知していた事だった。

「うん。リュウちゃんは弱いのにすぐ無茶するからねぇ、私たちが守ってあげなきゃダメなんだよ~」

 眠るがごとく黙然と二人の話を聴いていた辰子が、普段と変わらない呑気さで、しかし明確な意思を以って、自身の立ち位置を示した。即ち、優先すべきは弟の無事に他ならない、と。亜巳はそんな辰子に軽く頷いてみせた後、天使の目を正面から覗き込んだ。

「分かったかい、天?アタシらは自分の生き方を貫くためにも、リュウの馬鹿をむざむざ犬死にさせないためにも、シンとの因縁にケリを付けると決めてるんだ。……今更どんな説得材料を持ってきたところで、アタシらの意志を曲げるのは難しいだろうさ」

 諭すように語る亜巳は、その言葉に偽り無く、覚悟を決めている事が一目で窺えた。頑として揺るがない意志を姉の態度に認め、天使は自身の訴えが決して功を奏さないであろう現実を悟る。自分が何も考えず自由気侭に振舞っている傍で、姉達は遥かな以前から信長の意志の在り処を理性的に見定め、同時に己が意志の在り処を定めていたのだ。感情に任せた稚拙な訴えで止める事など、初めから適う筈も無かった。

「…………」

 亜巳が口を閉ざし、続けて紡ぐべき言葉を見失った天使が力無く項垂れると、居間に二度目の沈黙が漂った。掛け時計の秒針がカチコチと時を刻む音だけが、やけに鮮明に響く。

 大好きな家族と兄貴分が殺し合う最悪の未来。自分がどう足掻いても、それはもはや避けられないものなのか。

 無力感に打ちひしがれ、泣き出したいような気分で俯いていた天使は――不意に己の頭上へと載せられた掌の感触に、目をぱちくりさせた。

「あ、アミ姉ぇ……?」

 全く以って思いも寄らない姉の行動に、天使は落ち込んだ気分も忘れて茫然と呟く。呆れと困惑の入り混じった様な微妙な表情を浮かべながら、亜巳はぽんぽんと軽く天使の頭を叩いて、そしてこれみよがしに大きな溜息を吐いた。

「しっかりしな、天。アタシらの意志はさっき言った通りだけどねェ――それはあくまでアタシらのものでしかないんだ。そこを履き違えんじゃないよ」

「え?」

「アタシ達は“板垣”だ。好きな事を好きなように、やりたい事をやりたいようにやるのがアタシらのモットーだろ。特に天、アンタみたいな筋金入りの単細胞がごちゃごちゃ悩んでどうなるってんだい?アンタは変に小難しく考えず、素直に自分がやりたい事を真剣でやってればそれでいいんだよ」

 叱責するような内容とは裏腹に、亜巳の声音は酷く優しかった。次いで、辰子が大らかな笑顔を湛えながら、のんびりとした穏やかな語調で言葉を続ける。

「天ちゃんがどんな道を選んでもね、私たちは家族なんだよ。それだけは忘れないでほしいなあ」

「……アタシ達に言える事はこれだけさ。アンタもそろそろガキって年じゃないんだ、いつまでも甘ったれてないで少しは自立ってモンを覚えるべきだからねェ。さ、あとは自分の心と相談して答を出しな」

 ばしん、と最後に勢い良く頭頂部をはたいてから、「ほら辰、行くよ」と亜巳はきびきびした動作で立ち上がった。呼び止める暇も与えず、壁に立掛けていた得物の六尺棒を掴むとそのまま足早に居間から立ち去っていく。辰子の方はあくまでマイペースを崩さず、その場でゆっくりと伸びをした後、「じゃあねぇ」とにこやかに手を振りながら亜巳の後を追っていった。

 廊下の向こう側で玄関の扉が開いて、閉まる音。

 皆が居なくなった家の中で、天使はひとり呟く。

「――ウチの、やりたいコト」

 床の上に胡坐を掻いた体勢のまま、天使は姉達の言葉を幾度も幾度も反芻する。『状況に流されるな。自分の意志で自分の道を定めろ。それが、大人に成るという事だ』――かつて兄貴分に突き付けられた言葉が、先程の姉達の声と重なって胸中に響いていた。

 やりたいこと。やるべきこと。やらなければならないこと。

 自分にできること。――自分にしか、できないこと。

「ウチは……」

 天使の瞳に、微かな光明が灯る。

 未だ答は見出せずとも、そこに至る道筋が見えたような、そんな気がしていた。

 

















 頭上を覆う天は暗雲の内に雷鳴を轟かせ、彼方の地上からは銃声と爆音が絶え間無く響き渡る。幾多の猛者達が発する氣が街並の至る処から立ち昇り、吹き荒ぶ風と共に轟然と渦を巻く。

 そして今、闘争と云う名の大嵐に包まれた堀之外の街路を、一人の男が歩いていた。鋭く昏い目付きで虚空を睨み、素人目にも危険な気配を撒き散らしつつ雨中を進むのは、和装を纏った壮年の男。顔面に刻まれた凄絶な傷跡と、腰元に一本の真剣を佩いたその立ち姿から、武に関わる人種であろう事は容易く推察出来る。そして事実、その通りであった。男――齋藤龍光は光の射さぬ裏社会を棲家とし、人斬りを生業とする闇の剣客である。双眸をギラリと残虐に輝かせながら、龍光は不意に小さな呟きを漏らした。

「織田、信長……森谷、蘭」

 唇から零れた声音には、怖気の走るような呪詛の念が充ちていた。二つの名が胸中に染み渡るにつれて、龍光の眼には凶猛な殺気が宿っていく。

――そう、彼奴らが。彼奴らが全てを奪ったのだ。

 遡ることおよそ二年。堀之外に拠点を置くとある犯罪組織の用心棒を務め、凶剣を振るっていた龍光は、年若くして裏社会の覇権を握った悪名高き主従と刃を交え、そして奮戦の末に敗北する。不覚の代償として喪ったものはあまりにも大きかった。雇い主たる組織は壊滅し、主と仰いだ男はただ命を長らえるだけの廃人と化し、闇の剣客として恐れられてきた龍光の評価は瞬く間に地に堕ちた。そして何より――剣士の生命たる利き腕を、付け根より斬り落とされた怨恨は、決して消える事は無い。中身の失せた和装の袖が視界に入る度に、既に塞がった傷が痛みを訴え、龍光の胸に激烈な怒りと憎しみを蘇らせる。

――今こそ、復讐の時ぞ。

 敗北者として川神を追われ、暗い憎悪と屈辱を抱えながら雌伏の時を過ごしていた龍光に、待ち望んだ機の到来が知らされたのは、僅か数時間前の事であった。織田主従の内乱と、その隙を衝いた板垣の挙兵。情報提供者のマロードなる者の素性や思想に興味は無かった。龍光の目的はあくまで織田主従の首級を挙げ、血の祝杯を上げる事だ。例え都合良く利用された結果であろうと、失った己が矜持を一刀を以って取り戻せるならば構いはしない。龍光の決断は速かった。激闘の果てに根元より折れた愛刀の代わりに、その筋より新たに手に入れた妖刀を佩いて隠れ家を立ち、そして今、二年振りに、再びかつての古巣たる堀之外の地を踏んだ。

 今まさに各地で衝突している氣の数々を感じ取れば、戦場及び戦力が分散している事は明らかだが――元より龍光の狙うべき首はただ二つ。己の拠って立つ全てを無造作に蹂躙した魔王・織田信長と、禍々しい剣閃を以って己が片腕を断ち切った剣鬼・森谷の娘。故に龍光の足が目指す方向は、板垣一家の陣を突破した織田主従が向かった先とされる住宅街であった。迫る雪辱の時を前に否応無く昂ぶる戦意を抑えつつ、嵐の中を歩んでいた龍光は――不意に足を止める。

「…………五人、か」

 龍光が立ち止まったのは、己へと迫る気配を感じ取ったが故である。呟きの直後、違わず五ツの人影が脇道より現れ、龍光へと歩み寄ってきた。いずれも威圧的な黒服を屈強な体躯に纏った強面の男達が四、そして男達の中心には痩身長躯の貧弱そうな男が一。指揮官と思しき一は数間の距離を挟んで立ち止まると、興味深げに龍光の顔を覗き込んで、妙に丁寧な口調で言葉を紡いだ。

「私めの記憶が確かであれば――今は亡き“黒狼”が用心棒、齋藤龍光様と窺いますが、相違はございませんでしょうか?」

「ふん。其れを知る貴様は、織田の小僧の狗か」

 戦火が堀之外の全域を覆う以上、此処は既に紛う事無き戦地である。いつ何処で敵と遭遇しても不思議は無い。織田信長の手勢は決して“直臣”たる森谷の剣鬼のみではないのだから。戦意を総身に滾らせながらぎょろりと眼前の男達を睨む龍光に対し、中央の男は困ったような笑みを湛えながら口を開いた。

「おや、私をお忘れですか?この丹羽大蛇、以前には黒狼の皆様にも様々な便宜を取り計らわせて頂いたものでして、実のところ齋藤様とは取引の場で幾度かお会いした事も――」

「かっ。意地汚く利を貪る禿鷲が如き商人風情、儂がいちいち記憶しておろうてか。貴様なぞ知らぬわ」

 体躯に精気無く、武の心得があるようにも見えず、加えてこれと云って特徴の見当たらない無個性な顔立ち。剣に生きる龍光がわざわざ記憶に留めている道理が無かった。にべもなく吐き捨てた龍光の返答に別段気分を害した様子もなく、大蛇と名乗った男は胡散臭い丁重さで言葉を続ける。

「実を申しますと私、現在は織田様の臣下として働いておりまして。主命を果たすべく奔走している最中なのですよ」

「木っ端の分際で、儂の邪魔立てをしようてか」

「ええ、有体に申し上げれば。現在、この堀之外には織田様のお言葉により厳戒令が布かれておりまして――乱に乗じて織田様の“敵”と成り得る存在は全て、鼠一匹に至るまで監視下に置かれていると考えて頂いて結構です。中でも齋藤様は比較的重要度の高く設定された監視対象でございまして、先刻街に立ち入ったその瞬間から動向を把握させて頂いております。古来より“復讐”ほど判り易い動機はございませんからね。生憎と私めには些か理解しかねる感情ですが、まァ動きが読み易くなるのは大変結構な事でございますとも」

「……その物言い――貴様……、薄汚い“影”の鼠輩かァッ!!」

 飄々と語る大蛇に対し、龍光の憤激に満ちた怒号が轟いた。眼前の男を睨み据える目に宿った殺意と憎悪の凄まじさたるや、これまでの比ではない。俄かに血生臭さを帯びた危険な空気を感じ取り、取り巻きの黒服達が剣呑な表情で臨戦態勢を取る。

「儂は決して忘却せぬぞ。貴様等が――貴様等の如き下賎の輩が、我らを死へ追い遣った事をな……!」

 二年前、十代の半ばにして頭角を現した織田信長は、板垣一家との頂上決戦を経て堀之外に君臨する。其処までは良かった。強者こそが頂点に立つに相応しい――それが裏社会の暗黙のルールなのだから。だが、織田信長という魔王のもたらした新たな支配体系は、裏の住人達の凄まじい反発を招いた。“影”と呼ばれる子飼いの諜報員を用いた監視ネットワークの構築、及び、圧倒的な暴力による制裁を主体とした恐怖政治。やがて魔王への恐怖心から密告と裏切りが蔓延し始めると、猥雑ながら自由な活気で溢れていた街の空気は徐々に失われ、代わりに息詰まるような冷たい静寂が闇の中を覆い尽くしていった。かつて龍光が身を寄せていた“黒狼”の首領であった男は、自身の愛する堀之外を魔王の支配から解放する為に立ち上がり――そして無惨に、徹底的に、壊し尽くされた。恐るべき残虐性と冷徹な理性を兼ね備えた信長と云う少年は、全てを喪った男にも一切の慈悲を与えず、あろう事か他の反抗勢力に対する見せしめの為に晒し者としたのだ。まさしく、悪魔の所業。自身の誇りのみならず、主とも認めた男の生き様をも無情に踏み躙られた怨念は、一時たりとも鎮まる事無く、黒々と蠢く殺意と変じて龍光の内を渦巻いている。

 そして、その恨みは、直接手を下した主従のみならず――織田信長の支配体系の根幹を担った“影”の者共にも向けられていた。陰で姑息に暗躍し、強者に媚を売ってお零れに預かろうとするその直視に耐えぬ浅ましさを、龍光は蛇蝎の如く忌み嫌い、そして憎悪していた。或いは真正面から闘いを挑み、力及ばず敗北を喫した織田主従に対してよりも、戦の場にすら出てこない“影”に対する憎しみの方が深いとすら云える。龍光は汚らわしいものを見る目で眼前の男達を一瞥し、唾を吐き掛けるように口を開いた。

「狗と呼ぶ事すら憚られる鼠賊どもよ。儂の前に薄汚い姿を晒し、何を為す心算だ?よもや、儂の歩みを阻めるなぞと笑止な夢を見てはおらぬであろうな」

「そう仰る貴方様こそ、夢を見るのはお止めになるべきなのでは?この四人は、いずれも私の主催する青空闘技場にて見出された腕利きの武人です。以前と違い五体すら満足に揃わない齋藤様では、例え一対一でも勝機が薄いと申し上げざるを得ませんね。かつては裏に悪名を轟かせた“撫で斬り”齋藤も、既に一介の敗北者に過ぎないのでございますよ」

 相手を見下した表情を隠そうともせず、余裕の態度で大蛇は嘯くと、パチリと宙で指を鳴らした。それが合図だったのか、黒服の男達が一斉に龍光を取り囲むように動き始める。いずれの足運びにも確かな武の気配があり、単なる見掛け倒しの雑魚で無い事は疑いなかった。

 だが――所詮、“それだけ”だ。雑魚に非ねば強者。齋藤龍光を前に、そんな暴論は罷り通らない。

「ぬるいわ、蟲けらが」

 顎。額。腎臓。頚椎。

 各々に一撃、それで事足りた。龍光の隻腕は鞭と変じ、流れるような打撃で瞬く間に四人の男を昏倒させていた。

「なぁっ……!?」

 常人の目には捉える事すら適わない早業を前に、大蛇は眼を剥いて驚愕の声を上げる。

 森谷の凶剣を受けて利き腕を失い、失意の内に川神を追われてから約二年――龍光は復讐を誓い、血の滲むような鍛錬を己に課してきた。腕を失う前より格段に手数は減ったが、代わりに一閃の疾さには益々磨きが掛かっていた。名は地に堕ちたかもしれないが、再び返り咲く為の実力までは失ってはいないのだ。信長当人でも森谷の娘でもない、名も知らぬ有象無象を片付けるに手間取る龍光ではなかった。

「ば、馬鹿なっ、い、一瞬で!?な、何をしたのですか、何も見えな――」

「おい」

「ひ、ひぃっ!こ、殺さないで!情報、情報なら幾らでも差し上げますから……っ」

 龍光の見立て通り、“影”を仕切る当人の戦闘力は無きに等しいのだろう。戦力と頼んだ取り巻きが倒された途端に顔色を蒼白に染め、主君への忠義も忘れ涙ながらに命を乞う姿は、あまりに無様。このような下衆の小物に追い詰められ、己が属した組織が瓦解に至ったのかと思えば、もはや怒りよりも虚しさが先立った。あれほど苛烈に煮え滾っていた殺意すら、虚空へと雲散霧消していく。

 必死に卑屈な笑みを浮かべて尚も言葉を続けようとする大蛇を、龍光は一睨みで制した。もはや聞くに堪えぬ、と。

「安心せい、斬りはせん。この妖刀に吸わせる最初の血潮は、織田の小僧か森谷の小娘のそれと、然様に定めておったのだ。貴様ら鼠輩の腐った血で彩られるなぞ、刀が哭こうと云うものよ」

「あ、ありがとうございます!ありがとうございますっ……!」

 繰り返し卑屈な感謝の言葉を吐きながら拝んでくる姿のどうしようもない惨めさに呆れながら、龍光はゆらりと無造作に大蛇へと歩み寄った。

 殺さないとは言ったが、“殺さない”と“壊さない”は断じて同義ではない。仮にも忌々しき“影”に属する人間を捕えた以上、織田信長に関する全ての情報を洗い浚い吐き出させる心算だった。いかなる手段を用いても、である。

 時間を掛けずに手早く情報を吐かせる拷問法の候補を幾つか脳裏に浮かべた瞬間、不意に大蛇が顔を上げた。

 顔面に貼り付いているのは――怖気が走る程に、酷薄な笑顔。

 戦地にて培われてきた龍光の第六感が危険を察知した時には、もはや手遅れだった。

「いやぁ、本当にありがとうございます●●●●●●●●●●●●●、齋藤様」

 ずぶり、と。皮膚が破れ、肉が貫かれる感触。

 己が脇腹に生えた銀色の刃の鈍い輝きを、龍光は呆然と眺めた。

「こうも見事に油断して頂けたこと、まったく感謝に堪えませんよ」
 
 標的へと突き刺さったシースナイフの柄から手を離し、密着した身体を悠々と離しながら、丹羽大蛇はにんまりと満足気に哂う。龍光は灼けるような激痛を精神力で堪えながら、抜刀すべく腰元の鞘へと手を伸ばすが――急激に全身の力が抜け落ち、体重を支え切れずがくりとその場に膝を着いた。

「ああ、相当に強力な麻痺毒を刀身に塗ってありますから、当分は動けませんよ。それに、無理にジタバタと足掻かない方が宜しいのでは?一応急所は外してありますが、下手に動けば内蔵が抉れてあっさり逝く羽目になりかねないですからね。私としてもそれは少々困るのですよ。さほど答には期待していないとはいえ、貴方様には訊きたい事がございますから」

「――ぐ、ぐぅっ」

 何をした。何をされた。――答は明白、刺されたのだ。油断の隙を衝かれ、一瞬の内に毒牙を突き立てられたのだ。神経を侵す毒に抗う術は無く、もはや指一本を満足に動かす事すら適わない。剣客たる齋藤龍光が、一度たりとも剣を抜かぬ内に、敗北する。滑稽な程に馬鹿馬鹿しく、断じて有ってはならない現実が目の前に広がっていた。

「き、貴様、何故だ!それ程の腕を持ちながら、何故、最初から尋常に闘おうとしなかった!?」

 油断はあった。不意を衝かれたのも事実。だが――ただそれだけの事で、懐までの接近を許し、刀を抜く暇すら得られず無様に致命の一撃を受けるなど、齋藤龍光と云う熟練の武人にとっては有り得ない事態だった。

 驚嘆すべきは、獲物に喰らい付く蛇の如き、刺突の疾さ。初動を目で追い切れない程に爆発的な加速を可能とするのは、己と同様、氣を習得した武人のみであろう。ならば――眼前の男は確かな力を持ちながら、敢えてあのように脆弱な小物を装い、無様な醜態を演じていたという事だ。その腕を以ってすれば正面から果たし合う事も可能だったにも関わらず。

 ――何故か。傷みを堪えながら問い掛けた龍光に対し、大蛇は貼り付けたような薄ら寒い笑みを絶やさないまま、当然のように答えた。

「勿論、“その方が楽だから”に決まっているではありませんか。私は武人でも何でもないので、奇妙な誇りとやらに拘って勝機を減らすような事はしないだけです。尋常に勝負?冗談ではありませんよ。リスクを最小限に抑えつつ最大限のリターンを得る。私の中ではそれが万事における鉄則でございますから。考えても見て下さいよ、ナイフ一本で刀と正面から斬り合うなんてナンセンスにも程があるでしょう?ちっとも合理的ではありません」

「……貴様ァ……ッ!!」

 騙し討ちと云う卑怯窮まる手段で勝利を手中に収めた事に罪悪感を覚えるでもなく、むしろ清々しげな笑顔すら浮かべて嘯く大蛇を、龍光は殺人的な目付きで睨み据えた。

 部下を捨石に用いて油断を誘い、命乞いを装った上で毒の一刺し――その戦法には己が武に対する矜持も、相対する敵手に対する礼も無い。一心に復讐を想って積み重ねてきた二年間の研鑽は、このような外道の下衆な振舞いによって無為に終わると云うのか。何一つとして為さぬ内に、織田信長の姿を視界に捉える事すら適わぬ内に、斃れ果てる。それは受け入れるにはあまりにもおぞましく、しかし決して覆せない残酷な現実だった。

「さて、先にも申し上げました通り、私は主命を果たすべく奔走している最中なのですよ。貴方様お一人にいつまでも時間を差し上げる訳には参りません。手早く話を進めるとしましょう」

「……」

「マロードとかいう叛逆者が声を掛けたのは、齋藤様お一人ではないでしょう?貴方様のような“復讐者”を含めて、織田様の排斥を望む武人を選出し、戦力として招集した筈です。私はその全貌を把握しておきたいのですよ。自分の仕事量がどの程度なのか正確に知っておかなければ、おちおち休みも取れませんからね」

「かっ、儂とて然様な事は預かり知らぬわ。そも、かの鬼畜の骨肉を砕き血を啜らんと心より願う者なぞ、掃いて捨てる程おろう。いちいち心当たりを挙げていけば切りがなかろうて」

 龍光がマロードに求めたのは最低限の情報だけだ。元より誰かと連携して挑む気など無かったので、そもそも己以外の何者が争乱に関わっていようが興味は無い。あらかじめ予測していた答だったのか、大蛇は特に落胆した様子も見せず、ただやれやれとばかりに軽く肩を竦めた。

「成程、やはりご存知ありませんか。実は先程から数人程に同様の質問をさせて頂いたのですが、どうも横の繋がりが希薄なのか、誰も此度の争乱の参加者を正確に把握していないのですよ。こちらとしては終わりの見えない駆除作業を延々と続けている様で中々に気が滅入ります。マロードと言う頭を抑えれば一網打尽なのでしょうが、一向に尻尾を掴ませませんし。……“有象無象の処理に俺を煩わせるな”とのご命令ではありますが、しかし“影”の人員が無限に居る訳でもなし、どうしても対処は間に合わないかもしれませんねぇ。まったく、面倒な役職を仰せ付かったものですよ」

 独り言の如くぶつぶつと呟いている。大蛇はもはや眼前に蹲る龍光の存在には、半ば興味を失っている様だった。

「まあ、貴方様程度の刺客が幾千人徒党を組んで襲ったところで、あのお方がどうにかなるとは思えませんが。もしその程度で斃れてくれる様な甘い人なら、とうの昔に私が殺して●●●●●いますし。……ああ、ちなみに今のはオフレコでお願いしますよ?私は貴方様のような負け犬じみた末路は御免被りたいですから。この私、誇り高き武人こと齋藤様ならば密告などという“薄汚い”真似はなさらないと信じていますよ」

 明確な悪意と侮蔑に表情を歪ませて、大蛇は冷たく嘲笑う。龍光は、身動きの侭ならぬ己が肉体を呪った。眼前の下衆に呼吸を許している現状が我慢ならず、歯を軋らせる。――斯様な輩の跋扈する世なぞ赦せぬ、胸中を渦巻く激情がそう吠え立てる。

「ふむ。この調子では、彼らもしばらく使い物になりそうにないですし」

 だが所詮、力を伴わぬ想念は、いかに猛っても虚しく響くのみ。敗者の弁に耳が傾けられる事は無い。大蛇はもはや龍光を一顧だにせず、地に倒れ伏した四人の部下達の頭を容赦なく蹴り飛ばして状態を確認している。全員が完全に意識を刈り取られている事を確かめて、大蛇は辟易したように肩を竦めた。

「やはりこのままでは人手が足りませんね。――何処かの誰かが都合よく、手を貸してくれると助かるのですが」

 誰にともなく呟いて、大蛇は何の未練も見せず踵を返した。路面に昏倒している部下達の事も、膝を着いたまま身動きの取れぬ龍光の事も、等しく意識を向ける価値すら無しとばかりに冷たく打ち捨てて、熱を宿さぬ毒蛇は次なる獲物を求めて嵐の中へ去ってゆく。

「無念……ッ!」

 斯くして、齋藤龍光の復讐は頓挫。敗北者の無念をうねりの中に呑み込んで、闘争は規模を拡大していく。

 ――魔王の戦に、未だ終着点は見えない。




















――或いはこれが、“織田信長”の最期か。

 俺の目は対象を“観る”事で瞬間的に幾多の情報を得る事で、擬似的な未来視すら可能とする。故に、数間の先にて天の足が大地を蹴った瞬間には、俺はその一撃を躱せない事を悟っていた。現在のコンディションで対応出来る疾さではない、と。致命傷を辛うじて避けられれば僥倖。そして仮に命を長らえたとしても――絶対強者たる織田信長の虚像は粉々に砕け散る。

 それは俺が昔日より常に懸念してきた事態であり、本来ならば断じて在ってはならない事態でもあるが、しかし最悪の事態とは常に想定されて然るべきもの。希望的観測の上にのみ成り立つ気楽な計算など、俺の主義ではない。故に、俺の思考は既に先の段階へと進んでいた。

 即ち天の攻撃を避け切れぬ事を前提とし、“その後”のリカバリーに焦点を当てた思索である。予め用意された複数のプランを取捨選択し、或いは組み合わせて、最適と考えられる振舞いを導き出す。人はやはり極限状態に在ってこそ能力を最大限に発揮するものなのか、我ながら恐るべき勢いで思考が組み立てられていった。

 恐らく、現実に流れた時間で云えば、ほんの一瞬。そう、天が俺との距離を詰め、掬い上げるような軌道で逆袈裟に銀閃を奔らせながら――俺の傍を通り過ぎるまでは●●●●●●●●●●●●、まさしく刹那の出来事であった。

 ……。

 …………。

 ………………“通り過ぎる”?

「――この超重要なタイミングでウチらの邪魔してんじゃねーぞ真剣で死ねコラァッ!!」

「ぐぎゃあああっ!?」

 思考ごと停止している間に背後から響き渡るのは、骨を粉砕する凶悪な打撃音と、激昂に猛る天の怒鳴り声である。

「……」

 ……待て、待て待て少し落ち着け俺。俺は誰だ――織田信長だ。織田信長はうろたえない。少々ばかり未来視が誤っていたとしても、俺は焦らない。例え己の認識に決定的な誤解が在ったとしても、その程度の事で冷静さを失ったりはしないのだ。

 あくまで理性的に、そう、まずは事態を把握しなければなるまい。全く以って普段同様の働きを示す脳細胞に満足しながら、俺は悠然たる動作にて後ろを振り返った。

「せっかくウチがちょっとイイコト言おうとしてたってのに台無しじゃねーかボキャー!空気っつー字読めるんかチクショーテメエッ!」

「ひぎゃっ、ぐぎゃ、もうやめ、ぎゃああっ」

 余裕を漂わせながら振り向いた俺の眼前に広がっていたのは、非行少女によるオヤジ狩りの悲惨極まりない現場だった。怒り状態の我が妹分が自慢のゴルフクラブで滅多打ちにしているのは、地面に蹲りながら両腕で必死に頭を庇っている東アジア系の中年男性。

 そこで、俺の目敏い観察眼がある事実に気付いた。天の容赦ない暴力によって顔面が手酷く変形させられている影響で些か判別に苦労するが、横に転がっている朱塗りの三節棍と併せて記憶を辿れば、この男には見覚えがある。名は確か王飛雲、一年ほど前に我がボロアパートへ夜討ちを掛けてきた中国武術家だった筈。結果的に俺の安眠を妨げた事が蘭の怒りに触れ、木刀による無双乱舞で全身の骨を叩き折られた気の毒な輩だった。よもやあの重症で再起してくるとは驚きである。まあ、その結果が現在の光景だと言うのはあまりにも哀れだが――大方性懲りも無く俺の命を狙っていたのだろうから、よく考えれば同情には値しない。

 しかし……この手の輩が俺の下まで到達しているという事は、やはり“影”の面々だけでは対処が追いつかなかったか。

 まあ、それも当然の話かもしれない。決して“影”の指揮を一任している男、丹羽大蛇の怠慢が原因ではないだろう。板垣一家という最大勢力が立ち上がり、同時に独軍特殊部隊の介入というイレギュラーが生じた現在の状況は、監視の目を逃れて潜伏していた反乱因子が蜂起するには絶好の機。仮にマロードが織田信長の殺気に耐え得る有力な武人だけを戦力として選出したとしても、その総数は恐らく数十名を下るまい。限られた人員だけで全ての敵の動向を把握し、処理するのは至難と云えよう。そもそも彼らの本業は戦闘行為ではなく、あくまでも影働きたる諜報活動なのだから。

「オイコラてめーなに黙ってんだ、いい年してちゃんとゴメンナサイも言えねーんか!」

「その辺にしておけ。天」

「止めんじゃねー、シン!だってコイツ――」

「既に意識が無い。喚くだけ時間の無駄というものだ莫迦め」

 俺の思考を余所に一向に止まる気配のない暴行を、冷静沈着な説得にてひとまず鎮める。

 何はともあれ――差し当たって俺が向き合うべき相手は、この恐ろしくキレ易い妹分だ。事態の推移や倒れている男の素性、天の発言などから推察すれば、現在の状況はおおよその所を把握できる。

 俺と天が対峙を始めたその直後、王飛雲は俺の首級を挙げるべく背後から迫ってきていたのだろう。眼前の天に対してあらゆる注意力を集中していた俺は彼の接近に気付かず、一方の天は俺との対話に割り込む邪魔者の存在に怒り、癇癪玉が破裂するままに勢い良く飛び出して、俺如きの目では追えない素晴らしい一撃を以って叩き潰した、と。事のあらましを簡潔に纏めればこんな所か。

 あの一瞬の内に色々と覚悟を決めた事や対策を講じた事を思えば、何とも馬鹿馬鹿しく拍子抜けな顛末ではあるが――しかし未だ事態が終息を迎えた訳ではない。早とちりで誤解してしまった件については一旦忘却の彼方に追い遣るとして、今度こそ正しく見極めなければならないだろう。

 板垣天使という少女の、“意志”の在り処。天が何を思い、何を目的として織田信長の眼前に立ったのかを、俺は知らなければならない。

「天。お前は真に、現状を解しているか」

 敵か、味方か。判ずる術を持たぬままに歩み寄るほど迂闊ではない。依然として数間の距離を保ちながら、俺は静かに問い掛ける。

「あ?分かってるに決まってんだろ。いったいウチを何だと思ってんだよシンは」

「先刻。俺と板垣の、最後の闘争の幕が上がった。戦端を開いたのは、他ならぬお前達だ」

「……分かってるって言ってんじゃねーか。もうこの流れは止めらんねー、そういうコトなんだろ」

 表情に浮かぶやり切れない感情を見る限り、さすがに今がどのような局面であるかは理解しているらしい。まあほんの数日前、まさに“その事”について語ったばかりなのだから、理解が及ぶのは当然か。

 だが、その上で――現在の状況と自身の置かれた立場を正確に解した上で、自ら望んで織田信長の前に立つ。ならば、それはつまり。

「ふん。己の“意志”は確かに見出せた様だな、天」

 少なくともそれだけは、俺の思い込みや勘違いの類ではなかったという事か。達人の常識を逸脱した動きには容易く惑わされる俺の眼ではあるが、双眸に宿る力強い意志の光を見紛う事は無いと信じられる。

 先程は天がその意志を言葉に換えて紡ぎ出す前に無粋な邪魔が入ったが――既に障害は取り払われた。

 ならば、今こそ問うとしよう。莫迦だが真っ直ぐな我が妹分が、葛藤の果てに辿り着いた答を。

 俺が厳かに口を開こうとした時、あたかも機先を制すように天が動いた。びしぃっ、と人差し指を俺に突きつけて、堂々と胸を張りながらこちらを見据える。

「――シン!ウチは、オマエに取り引きってヤツを申し込むぜっ!」

 トリヒキ。取り引き。……取引?

 いかなる時も感情最優先の単細胞たる天とは全く以って結び付かない単語に、数瞬ほど正しい認識が遅れる。俺が言葉を見失っている間に、天は活き活きとした調子で言葉を続けた。

「ウチは、ウチがこれからシンに手を貸す!その代わりシンは、アミ姉ぇとタツ姉ぇとリュウのヤツを見逃す!いわゆるアレだ、コーカンジョーケンってヤツだ」

「……成程」

 ふむ、そう来たか。想定していたよりも“まとも”な天の答に少々の驚きを覚えながら、俺は慎重に思慮を巡らせる。

 感情に任せて無闇やたらと吼え立てるのではなく、現実性の高い利と理の両者を以って織田信長の意を翻させる。――狙いは悪くない。眼の付け処としては百点満点をくれてやりたい位だ。

 だが同時に、甘い。取引と云うものは、前提として天秤が釣り合わなければ成り立たないものである。俺は心を平坦に保つよう努めながら、意識して冷徹な声音を天に投げ掛けた。

「天、お前には理解が足りぬ。板垣亜巳。板垣辰子。板垣竜兵。彼奴らは此度の乱における主たる叛逆者であり、俺の直臣に手を出した。何れも万死に値する罪業よ。其れを赦す事が容易く叶うなぞと、何故お前は然様に考えられる?」

「だからそれは、ウチがこれから――」

「態々お前の手を借りねば俺がこの事態を打破出来ぬと、本気で思うのか?随分と軽く見られたものだな。自身の助勢に如何程の価値が在るか、正しく見定めてから物を言うべきであろう」

 勿論、虚勢もいいところである。今の俺のコンディションは察しの通りだ。仮に天がこの場に居合わせていなかったら、先程の王飛雲に討ち取られていても何ら不思議は無かった。また、彼の如くこの先に俺を襲うであろう刺客に対して、俺には殆ど備えが無い。切るべき手札の大半は使い果たし、満足に身を支えるのは意志力のみという惨憺たる状況。板垣天使という人外級の戦力の助勢は喉から手が出るほどに欲しいのが本音である。

 だが、虚飾と欺瞞に慣れ親しんだこの口は多くの場合、赤裸々な本音を語る為のものではない。未だ天の心中に織田信長の虚像が息づいていると判った限り、俺はその威信を保つ為の努力を続けなければならないのだ。故に――天の持ち掛けた取引は、“俺”に対しては有効でも、“織田信長”に対しては適当なものとは言えなかった。

「え、えっと、あー。いや、そーじゃなくて……」

 あくまで冷徹に突き放す俺の態度に対して、天は何やら奇妙な反応を示した。気まずげに俺から目を逸らし、いまいち要領の得ない曖昧な言葉を口から漏らす。

 焦っている?いや、これは、照れている……のか?

 何にせよ想定していなかった種類のリアクションに戸惑っていると、天は顔を赤く染めながらしばらく逡巡した後、自棄になったような調子で大声を張り上げた。

「ずっと!これからずっと●●●●●●●、ウチが力を貸すって言ってんだ!」

「……」

「な、何だよ……。なんと驚き、このウチが“じゅーしゃ”になってやるっって言ってんだぞ?もっとこう、なんていうか、と、とにかく何かあんだろ!黙ってんじゃねーぞっ!」

「……ふむ」

 そう言われましても。さて、いかなるリアクションが求められているのやら。

 確かに驚いた事は驚いたが、それは主に怒鳴り散らすような伝え方に対してであって、言葉の内容自体はまあ想定の範囲内だと言える。期間を限定せず、長期的、或いは恒久的な戦力として織田信長に己の武力を貸与する。板垣一家の免罪と天秤を釣り合わせようと考えるならば、妥当な選択だろう。実に合理的で良い事だ。だがその旨を取引材料として切り出すだけならば、あたかも一世一代の大告白をするような気合溜めは不要だろうに。

『――いや、俺は改めて感心してんのさ。お前って男の面の皮の厚さによ』

 …………。

 まあ、良い。この場において何よりも重要な事は、織田信長と板垣一家の因縁に関して、天が示して見せた“答”と向き合う事。余計な思考は纏めて脇に置くべきだろう。自身の胸中に在る感情の一切を封じ込めて、普段と同様、冷徹な理性に意識の主導権を委ねる。

 そうして、俺は天を見遣った。未だ表情に羞恥の色を残しながらも、天は正面から真っ直ぐに俺の眼を見返した。

 これこそが己の辿り着いた答だと、己の掲げるべき意志だと、誇るかのように。

「――ふん、成程な。お前の考えは判った。だが、俺の問いは変わらぬ。お前は己の価値が板垣全ての命に匹敵すると、然様に思うか?智に昏く、心技体の何れに於いても未熟な小娘に過ぎず、自身の歩むべき道にすら迷うお前を従者に迎え、俺に如何程の利が在る?」

「うげっ、ひでー言われようだな、ウチの繊細なハートにヒビ入ったらどう責任取ってくれんだよ。……でも、ま、割とホントのことだし。しょうがねーか」

「ふん。認めるのか?直視に耐えぬ己が脆弱さを」

「おぅよ。無ッ茶苦茶ムカつくけど、この際認めてやんぜ。認めて、受け入れて――そんでもって乗り越える。今のウチじゃアミ姉ぇ達の命に釣り合わねーってんなら、いつかぜってーに釣り合うウチになってやる!今この時にウチを従者にしといて良かった、未来のシンにそう思わせてやる!それがウチの答で、ウチの意志ってヤツだ」

「……例え首を取らぬとしても、かくも明確な形で俺に牙を剥いた以上、連中を川神の地に留め置く訳にはいかぬ。即ち、お前が俺の傍に在ると云うならば、其れは彼奴らへの裏切りと、離別を意味する。総てを承知して尚、お前は己が意志を貫けるのか、天」

「けっ、ウチらを舐めんじゃねーぞ。どれだけ離れても、たとえ敵味方に別れたって、ウチらは家族なんだっつの。ぜんぶ覚悟して、やりたいコトをやりたいようにやるために、ウチはここに来てんだ。――それでもまだ、何か文句あんのかよ、シン?」

 いかなる揺さぶりを以ってしても不惑不動の、確たる芯の通った意志を明るい橙の双眸に載せて、天は俺を見つめた。

 文句だと?……否。文句など、在る筈も無い。

 ――完璧だ。此処が戦場でさえ無ければ今すぐ仮面を剥ぎ取って、誰に憚る事も無く哄笑を響かせたい程に、完璧な答え。

 幼い頃から俺や姉に依存し、何一つとして自分の考えを持とうとせず、我欲だけを膨らませ続ける姿に、幾度と無く危機感を抱いた。いずれ袂を別つ運命ならばと、先んじて冷たく突き放す事を考慮する度に、己の後ろを付いて回る無邪気な姿に躊躇を覚えた。

 だが――そんな板垣天使は、もはや俺の記憶の中にしか存在しなくなったのだろう。幼少の頃より十年近くの年月を傍で見守り続けてきた兄貴分として、其れは何よりも喜ばしい成長の証。否応無く湧き立つ心中を理性にて抑え付けても、紡ぎ出す言葉に微かな感情が滲み出るのを止める事は出来そうになかった。

「ふん。お前にしては随分と上出来な答だな、天。あたかも亜巳や辰子辺りに入れ知恵を受けたかのようだ」

「な、何のコトか分かんねーなー?あんまヒトを疑ってばっかだと老けるぜシン!」

「ふん、まあ答に至る過程なぞ如何でも良い。肝要な事は、今此処に在る意志の形。喜べ――お前を認めてやろう、天。其の意志に免じ、取引に応じてやる」

「――うっしゃあ!いちいち上から目線ってのが超絶イラっとくるけど、確かに聞いたぜぇウチは!」

 天は喜色を満面に表し、ぴょんぴょんと飛び上がって交渉成功を祝した。

 本当に俺の選択は正しかったのか――胸中に生じた自問に対し、俺は確信を以って、是、と答える。

 確かに妹分の心からの願いに応えてやりたいという感情が在ったのは事実だが、実際問題、板垣天使ほどの優れた武人を自身の戦力として数えられるメリットは計り知れない。将来性まで含めて考慮すれば、織田信長の主義を幾らか曲げてでも引き込む価値は十分にある。情と理の双方が互いを排斥する事無く結託して背中を押すならば、敢えて否定する理由は無いだろう。

 ……。

 ……さて、そろそろ思考を切り替えよう。平穏無事な日常の中ならばいざ知らず、現在は抜き差しならぬ非日常。一つの問題が一定の解決を見たならば、間髪を入れず次なる問題へと取り掛からねばならないのだ。現状に思いを巡らせ、俺の辿るべき最善の道筋を模索する。

 そして数秒の沈思の後、天の興奮が鎮まってきたタイミングを見計らって、俺は空気を引き締めるべく、強い重圧を込めつつ声を発した。

「――天。俺の臣下として果たすべき、最初の任を与える」

「ヘイヘーイ、ウチにお任せだぜ。何たって今のウチはやる気バリバリだかんな、超頼りになるぜぇ?」

「ふん、精々期待しておくとしよう。お前の任は――」

 言葉を切ったのは、こちらに迫る気配を感じ取ったが故である。王飛雲の時と同様の失敗を犯さない為に周囲へと意識を割いていたからこそ、明らかな害意の接近に気付く事が出来た。

 俺が睨み据える先、曲がり角から姿を現したのは、巨大な戦斧を携えた隻眼の大男。全身の傷跡が醸し出す歴戦の雰囲気と、全身の毛穴から噴き出すマグマの如き殺気には、やはり覚えがある。甘利熊山――約一年前に俺が解体した、とある暴力団の若頭を張っていた男で、組長含む幹部が一網打尽にされる中でただ一人、“影”の執拗な追跡から逃げ果せてみせた実力者だ。それ以降は行方不明となっていたが、返り咲きと復讐の機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。残された隻眼が、殺意と昂揚に爛々と輝きながらこちらを見据えていた。

 やれやれだ。処理の間に合わなかった大蛇を責める気は無いが、それにしても面倒な事である。

――まあ、降りかかる火の粉を払うに打ってつけの人材が、此処に居る訳だが。

「天。お前の任は、羽虫に等しき有象無象を此処から先へ一歩たりとも踏み込ませぬ事と心得よ。恐怖と絶望を徹底的に刻み込み、愚かしい反抗心を根底より砕け。其れが、俺の臣たる武人に求められる戦の形だ。良いか」

「合点承知だぜぇ!へへ、アタマ使わなくていいなら余裕だなこりゃ。要は思いっきり暴れりゃいいんだろ?な、シン」

「くく、然様。存分に舞い踊り、おぞましき屍の山を築け。戦場で俺の名を聞けばそれだけで臓腑を吐いて死ぬように、な」

 重々しい声音で言い残して、俺は背中を向けた。些かたりとも焦りを窺わせない、悠々たる歩調でその場を離れる。

 完膚なきまでに存在を無視され、置き去りにされる形となった甘利熊山の猛々しい怒声が雨中に響くが、俺は一顧だにせずそのまま足を進めた。負け犬どもの吠え立てる手前勝手な復讐心に付き合ってやる義理なぞ無ければ、そのような暇も無い。

 俺には、急がねばならない訳があるのだ。逸る心を抑えようとしても、歩調は自然と速まる。

 望みは一つ――僅か一刻一秒でも速く、あいつの元へ。










「……近い」

 天と別れてから、数分と経たぬ頃であった。

 慣れ親しんだ森谷蘭の気配は、今や目と鼻の先の距離に在る。俺は遂に、辿り着いた。

 確信と共に、俺は足を止めた。眼前に広がる光景を網膜に映し込んで、一度、目を瞑る。

 ――ああ、やはり。ここにいるんだな、お前は。

 其処は、公園だった。砂場があって鉄棒があってブランコがあってジャングルジムがあって、そしてそれ以上は何もない、見事なまでに何の変哲も無い小規模な公園だ。住宅街の中央付近に位置するこの場所は、周辺一帯地域に住む子供達が遊び場として利用している。――かつての俺達と、同じように。

 変わらない風景。変わらない世界。ただ俺独りが、酷く変わった。


「…………」


 そして、蘭はあたかも思い出の中から抜け出してきたかの如き佇まいで、其処に居た。鎖が錆付き、塗料が剥げたブランコに腰掛けて、じっと嵐の空を見上げている。

 泥と血に塗れた白の制服。血の気が失せて青褪めた顔。虚無の渦巻く漆黒の瞳。

 世界の何もかもに疲れ果てたかのような風情で、微動すらせず天上を眺めていた蘭は、不意に俺へと視線を移した。


「ああ」


 もはや、蘭は俺の前から逃げ出そうとはしなかった。

 ただ、観念したように。総てを諦めたように、儚い微笑みを浮かべて、蘭は言葉を紡ぐ。


「――ひさしぶりですね、シンちゃん」


 十年越しの再会を告げる挨拶は、どこまでも弱々しく、嵐の中に掻き消えた。


 壊れた時計の針は動き出し、新たな時を刻み始める。


 行き着く果ては――未だ窺い知れぬ暗闇の中であった。

 





 













 次回から現在の章の根幹部分、信長と蘭の過去に話が移ります。が、頂いた感想を拝見する限り、引っ張り過ぎ……なんでしょうね、やっぱり。プロットの段階で予め挿入するタイミングはここと決めていたのですが、そこに到達する前に読者の方を飽きさせてしまうような構成は物語として論外です。本当に自分の至らなさを痛感するばかりですね。絶賛猛省中でございます。
 ちなみに今回、何人か新しくオリキャラが登場しましたが、基本的にモブですので名前を覚えて頂く必要はありません。当初はそもそも全員が名無しでしたが、多少は個性を設定した方がいいかな、と思い立って現在の形に変更された次第です。
 毎回の如く、ありがたい感想を下さった皆様に感謝を。創作意欲の糧や反省の材料として最大限活かさせて頂きますので、宜しければこれからも忌憚無いご意見・ご感想をお願いします。それでは、次回の更新で。


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