<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[13860] 堀之外合戦、中編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:20ee6220 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/08/26 18:10
「……ん~」

 昼休みの決闘を終えて以降、クリスティアーネ・フリードリヒは何処か上の空だった。

 ぼんやりと物思いに浸っている間に五限の終業ベルが鳴り、やがて六限の歴史の授業が始まっても、いまいち身が入らない。後三条天皇が延久の荘園整理礼を発布し記録荘園券契所を設置した事など、日本人ならば五歳児でも知っている常識であろうと言うのに、教師より質問された際、クリスはその旨を即答出来なかったのだ。

 これは由々しき事態だ、とどうにか気分を切り替えようと試みるも、いまいち効果は顕れない。

 幾度となく脳裏に蘇るのは、つい先刻に刃を交わした少女の姿だった。一刀の下にクリスの得物を叩き折り、そしてクリスへと紛う事なき殺意を向けた剣士、森谷蘭。

 自分が悪かった、とは思わない。そもそもクリスは自分が心から正しいと信じた言葉しか口にはしないし、日頃の立ち居振舞いもそう在るべく心掛けている。

 しかし、もしも自分の言葉が、あそこまでに歪んだ殺意を生み出す程の“傷”に知らず触れてしまったのだとしたら。その無配慮が切っ掛けとなって、彼女の心を負の方向へと暴走させてしまったのだとしたら――それでも尚、本当に自分が正しいと、胸を張って己の正義を誇れるのだろうか。

 自分を見るクラスメートの目の、何処か白けたような冷たさもまた、クリスの悩みに拍車を掛けていた。織田信長という“悪”を見過ごす事に耐えられず、クリスは直江大和の制止を無視して彼に挑み掛かった。その行為が疑いない正義だと信じたが故に、悪に迎合する大和の言を退ける事に躊躇いは無かった。

 だが、こうして奇妙な形で決闘を終え、改めて冷静に自身を振り返ってみれば、その在り方の正しさには一抹の疑問が残る。2-Fの皆とて、決して織田信長を許容している訳ではない。にも関わらず自分一人だけが、決着の時を預けると言う彼らの意見を否定し、後先を考えず眼前の悪に挑み掛かったのは、単なる我侭と何が違うのか。


――マルさんと、話がしたいな。


 本日を以って隣のクラスに籍を置く事になった姉代わりの女性、マルギッテ。クリスが誰かに悩みを相談する場合、多くの場合は彼女が選ばれた。彼女はクリスの知るどんな女性よりも聡明で、クリスよりも遥かに多くの物事を知っている。今回の場合、自分が何を問いたいのかも漠然としているが、それでも彼女ならばクリスの疑念に何かしらの解答を与えてくれる違いない。

 授業が終わったら、彼女の所へ行こう。そんな風に小さな決心を固め、ひとまず悩みを頭から締め出して授業に集中し始めた頃――唐突に2-F教室の扉が開かれた。単調な授業の最中に響き渡った突然の物音に、大半の生徒達は一斉に戸口へと視線を向けた。

「椎名!遅刻でおじゃる!麻呂は何の連絡も聞いておらぬぞよ、どういう事か説明するでおじゃ!」

 歴史教師の張り上げる甲高い叱声を聴いているのかいないのか、紺青色の髪の少女、椎名京は少し青褪めた無表情で入口に立ち尽くし、2-F教室全体を見渡した。そして――次の瞬間、クリスの方へ視線を向けたかと思うと、廊下側の自分の席ではなく、窓際に位置するクリスの席へと一直線に歩み寄る。

 予想外の行動に誰もが唖然と見守る中、彼女はやや緊張に強張った表情で、早口に言葉を紡いだ。


「大事な話がある。今すぐ、私と一緒に来て」

 













 堀之外町の面積の大半を占める歓楽街。その雑然とした毒々しい街並みを暫く南西へと向かうと、やがて賃貸マンションと一般家屋の立ち並ぶ区域へと辿り着く。悪名高い歓楽街と隣り合っているが故か、何処かしら煤けた、陰鬱な雰囲気を漂わせる住宅街。現在、マルギッテ・エーベルバッハはその入口に立っていた。獣の巣窟と、人の住処――両者を隔てる境界線上に、彫像の如く微動だにせず、雨に身を打たれている。

 こういう時は予期せぬ豪雨もありがたいものだ、とマルギッテは思った。尽きる事無く天空から降りしきる雨粒は、闘争の予感に昂ぶり、内より湧き起こる熱に火照った身体を、程好く冷ましてくれる。

 焼け付いた銃身をそのままにトリガーを引き続ければ、暴発は必然だ。“いかなる時であれ己を冷徹に保つ術を学べば、君は最高峰の戦闘者となれるだろう”――かつて上官から受けた訓戒が、ふと脳裏に蘇った。

「……来たか」

 絶えず研ぎ澄まされ、機械に匹敵する精密さのレーダーと化して周囲を探っていたマルギッテの神経が、前方――歓楽街方面より自身へと接近する気配を捉えた。マルギッテは静かに閉していた双眸を開き、紅蓮の眼を露にする。

 自らの力をセーブする為、常に隻眼を封じている黒の眼帯は、既に取り払われていた。此処は戦場だ。命を賭して牙を剥き合う場に、“手加減”と云う概念は無用。其れが許されるとするならば、あらゆる強弱、戦場の理をも超越し、武の極地へと至った真の怪物のみだろう。

――さて、ならばこの男は、どうなのか。


「くくっ、斯様な悪天の下にて“狩り”とは、独軍の誇る狩猟部隊とやらは相当な物好きの集団らしい。任務御苦労、とでも労ってやろうか?マルギッテ・エーベルバッハ」

 
 自身の行く先に一人待ち構えていた“猟犬”の存在に驚いた様子もなく、学園の教室にて初めて言葉を交わした時と同様の、不敵な嘲笑を向けてくる男。川神学園2-Sに編入したマルギッテのクラスメート――織田信長は、如何ほどの境地に達しているのか。

 この男は戦場に在って、何の変化も無い様に見受けられた。身に纏う雰囲気に緊張や気負いの色は無い。あたかも平穏な学園の教室に居るかのように、表情一つ変えぬ平然たる態度。かつてここまで“読めない”男に出遭った事があったか、とマルギッテは自問した。加えて性質の悪い事に――自分とは違い、相手の方はどうやら此方の事情を良く知っているらしい。

「……成程。こちらの動きは筒抜け、と言う事ですか。随分と厳重に網を張り巡らせているようだ」

「元よりこの街には余所者を快く思わぬ輩も多い。其れが遠慮を知らぬ無礼者なれば、尚更な。態々俺が命ずるまでもなく、数多の監視の目が貴様らを捉えていた」

「招かれざる客、か――道理で、不快な視線が纏わり付く」

 この街に踏み込んだ時から感じていた粘着質な気持ち悪さは、住人達から漂う腐敗の臭いだけが原因ではなかったらしい。日本という国そのものを些か神聖視している中将はさほど気に留めていなかった様だが、やはりこの川神という土地には、紛う事無き“闇”が在る。光の射さぬ暗黒の中で蠢く者達が居る。そして――氷の瞳で闇を見通し、睥睨し、恐怖を以って君臨する事で統制を保つ魔王こそ、眼前の男なのだ。

「さて。貴様が独り此処に居ると云う事は……足止め、或いは時間稼ぎ、か。くく、部下の狩りを妨げぬ為に命を捨てるとは、いや隊長の鑑だな」

「……」

 全てを見透かしたような信長の嘲笑に、マルギッテは沈黙した。漆黒に塗り潰されたこの男の双眸は、果たして何処まで見通しているのか。

 規格外の力に溺れ、無思慮に暴れ回るだけの愚物ならば良かった。眼前の敵に猪突猛進するだけの獣ならば、幾らでも対処の術はある。だが――織田信長の真に厄介な所は、戦場に於ける情報の有用性を正しく理解し、それを戦術規模で活かす術を有している点だ。自分自身の武力を冷徹に把握した上で、その脅威を自らの戦術に組み込んでくる。自分の力を有効に用いる術を知っているのだ。敵に回した際、最も対処に悩む種類の敵手だった。

「塵芥が徒党を組んだ所で、俺を煩わせる事すら能わぬ。案ずるな、貴様の判断は正しい。犠牲を最小限に止めるは、一軍を率いる者の責務よ」

 能力的にある一定のラインを超えた武人でない限り、信長にとってその存在は零に等しい。彼の発する凶悪な圧力に耐えられない者は、そもそも“闘い”と云うステージに立つ事すら出来ない――上官より与えられた情報と、そして何より自身がこの眼で目撃した暴威を鑑みて、そのようにマルギッテは判断した。そして自身の率いる狩猟部隊の中でも、信長とまともに“闘う”段階まで進めるのは自分一人のみだ、とも。

 だからこそ、マルギッテは“狩場”への経路に陣取り、部下が任務を完遂させるまで、独り魔王の襲撃を防ぎ切る心算でいたのだが――それらの思惑は、信長には全て見通されている様だった。その事実に何とも言えないやり辛さを感じながら、マルギッテは呑まれる事に抗おうとする様に、信長へと強い力を込めた視線を向ける。

「黙っていれば随分と、好き放題に言ってくれるものだな、ノブナガ。足止め?時間稼ぎ?最小限の犠牲? ふっ、過ぎた傲慢は滑稽に映ると知りなさい。その驕りと油断に満ちた心根を叩き砕く為に、私は此処にいる」

「然様か。……貴様の下らぬ了見を、一つだけ訂正してやろう。俺の方寸には、慢心も油断も無い。これは――“余裕”と云うものだ。記憶したか?猟犬」

 あくまで悠然と、あたかも当然の理を述べるかのような口振りで、信長は嘯く。

 余裕。成程、少なくとも当人にとっては疑いなく、その表現こそが相応しいのだろう。この期に及んで戦闘態勢を取ろうとする様子が欠片も見えない事や、そもそも以前の如く容赦なく肌を突き刺す鋭利な殺意を放つ事すらしていない事実が、織田信長の精神の在り方を雄弁に物語っている。この男にとって、戦場とは――戯れに足を運ぶべき遊び場も同然なのだ、と。

 絶大なる実力に裏打ちされた、絶対的な自信。それが根拠のない思い上がりと断ずる事が出来たなら、どれほど楽であったか。眼前の男の怪物じみた武力を感じ取れてしまうが故に尚更、マルギッテの心中には腹立たしさが募る。

「……これほど舐められたのは、久し振りだ」

 ギシリ、と手元のトンファーが軋みを上げる。元よりマルギッテは少なからず激し易い性格の持ち主だ。無意識の内に、怒気に呼応するような灼熱の闘氣が噴き上がり、周囲の雨粒を蒸発させた。勢いに任せて暴走しないよう自らを抑え付けながら、マルギッテは猛禽の瞳で信長を睨み据える。

「お前は自分の能力を信じているのだろうが――しかし、私達の目的はあくまで、森谷蘭の確保。お前が余裕に浸っている間にも、優秀な私の部下達が標的を追い立てていると知りなさい。手負いの野ウサギ一匹仕留められない程、狩猟部隊の練度は低くない」

「ふん。貴様等の勝利条件を思えば、俺に猶予は無い、か。成程、道理だ」

 マルギッテの言葉に重々しく同意して見せながらも、信長の立ち振舞いに焦燥の色は見受けられない。一刻を争う状況に自らが置かれていると認識しているにも関わらず、何一つとして具体的な動きを見せない信長に、マルギッテは戸惑った。眼前の障害を突破すべく、すぐにでも仕掛けてくるものだと厳重に身構えていたが――予想に反し、信長は依然として戦意の類を露にしない。

 轟々と滾る闘志の行き場を見失い、如何に動くべきか進退に迷うマルギッテを、冷たい双眸が射抜く。信長は構えを取ろうとすらしないまま、冷然と言葉を続けた。

「狙うはただ一点、標的のみ。然様な、語るまでもない“道理”に対し、俺が何の手も打たぬと思ったか?」

「……何?」

「理解が及ばぬならば、言葉を改めてやろう。――舐めているのは貴様だ、エーベルバッハ」

「―――っ!!」

 傲然と放たれた言葉の意味を解するよりも先に、身体が反応した。

 刹那、マルギッテの優れた察知能力が感じ取ったのは、極限まで細く鋭く研ぎ澄まされた、針の如き殺意。間髪を入れず背後から迫り来る“何か”を、振り向き様に繰り出したトンファーの一撃で迎え撃つ。

 投擲武器によるものと思しき攻撃は相当に疾いが、軽い。飛来物は目にも留まらぬ旋棍の一閃にて容易く薙ぎ払われ、弾き飛ばされた。

「っ、これは……」

 一瞬を経て、マルギッテは路面へと叩き落した投擲物の正体を悟る。

 特殊な形状を有する、両刃の短刀――“苦無”と呼ばれるその得物の使い手には、心当たりがあった。


「ちっ、あわよくば一刺しで終わりにしたかったんだがな。流石にお前相手じゃそうもいかねーか、猟犬」


 次いで空気を震わせたのは、マルギッテが予想した通りの声音だった。

 忍足あずみ――何の因果かクラスメートの間柄となった戦地の顔馴染みが、“標的”が居る筈の住宅街方面から姿を現す。何度見ても違和感の拭えないメイド服の裾を翻し、あずみは音も無くマルギッテへと歩み寄った。両手の十指の間には、既に数本の新たな苦無が挟み込まれている。隙を窺わせない立ち振舞いと併せて考えれば、彼女が戦闘態勢に入っている事は明らかだった。

 マルギッテは咄嗟に跳び退って彼女との距離を開け、全身の筋肉を緊張させながらトンファーを構える。

「女王蜂……、なぜお前がここに」

 マルギッテの疑問には答えず、あずみは視線を余所へと向けた。突然の乱入者の存在に動じた様子も無く、無言のままに泰然と佇む男――織田信長へと鋭い視線を向けて、仏頂面で口を開く。

「ドイツ軍御一行様はあたい達が引き受けてやるよ。織田、お前はさっさと“あいつ”を何とかしとけ。それが英雄様の望みなんだからな」

「ふん――彼奴の思惑なぞ知る所ではない。有象無象の雑多な意志に関わらず、俺は自身の為、自身の手で己が目的を果たすのみ。……が、思えば、従者が主君に誇るべき功を全て奪うも酷と云うものよ。機を供してやる故、過たず己が任を果たすが良かろう」

「はっ、相変わらず可愛くねえ野郎だぜ。このまま南西に直進だ、そこで姿を確認した。とっとと行きやがれ」

 ぶっきらぼうなあずみの催促に無言で応え、信長は静かに動き始めた。あずみへの対処のの為にマルギッテが空けた住宅街への道を、殊更に急ぐでもない悠々たる足取りで歩み出す。

 勿論、その行動を呆然と見過ごすマルギッテではない。すぐさま信長の眼前に立ち塞がるべく地を蹴ろうとしたが――再び風雨を切り裂いて飛来した苦無を防ぐ為には、否応なく動作を中断せざるを得なかった。

「おっと、あたいが相手をするって言っただろ?ここは付き合って貰うぜ、猟犬」

 女王蜂――忍足あずみ。戦場における好敵手として、彼女の優れた実力は良く知っている。単純な膂力では自身に劣るものの、それを補って余りある突出したスピード、豊富な実戦経験により培われた判断能力、そして深く熟達した技術。武人としての総合的な戦闘能力は決してマルギッテを下回るものではなかった。

 そんな彼女を後背に置いた状態で信長を追うのは、まず不可能と言って差し支えない。結果、マルギッテに許される行動は、住宅街へと消え行く漆黒の背中を為す術なく見送る事のみだった。自身の失態に込み上げる怒りを歯軋りにて堪えながら、あずみを睨み据える。

「……女王蜂。お前がこの場に居るという事は、つまり……九鬼の“従者部隊”が動いたと」

「ま、そーいうこった。今頃、あっちでお前の部下と仲良くドンパチやってる頃だな」

 感情を見せずに淡々と答えるあずみに、手元のトンファーから響く軋みが更に勢力を増した。

 彼女の言が真実ならば、狩猟部隊の“狩り”が滞りなく遂行される可能性は低いと言えるだろう。九鬼従者部隊――千人の精鋭から成る彼らの能力は一定ではなく、序列によって多大な差が出る。だがこうして序列一位の忍足あずみが出張ってきている以上、それ以外の面子が取るに足らぬ末端の人員だけと言う事はあるまい。

 自身の率いる狩猟部隊もまた、並の武人を寄せ付けぬ精鋭揃いではあるが――九鬼財閥が世界規模で人材を掻き集めて結成された従者部隊の、その上位に列せられる強者達が相手となれば、容易に勝利を掴む事は出来ないと考えるべきだろう。

 だとすれば。このままでは、任務を果たせない。誇り高きドイツ軍人として、在ってはならない事だ。瞬く間に理性を飲み込みかねない怒涛の激情を抑え付けながら、マルギッテは努めて平静に言葉を紡ぐ。

「何故、織田信長に手を貸す?今回の件、敢えて九鬼が介入する理由は無い筈だ」

「あー。正直、あたいもそう思うよ。所詮、一クラスメートの問題だ。わざわざ従者部隊を動かして、ましてや独軍と事を構えてまで……首を突っ込むだけの理由なんて無い。心からそう思う。――だけどな」

「……」

「“目の前で泣いている領民クラスメートを放っておけない”――英雄様にとっては、“理由”なんてそれだけで十分なんだろうよ。そして、英雄様がそう望んでるってだけで、あたい達が動く理由には十分過ぎる。簡単な話だろ?」

 そう言って、あずみは誇らしげにニヤリと笑った。表情に顕れているのは、主君に仕える従者としての、眩いばかりに真っ直ぐな忠誠心。それはマルギッテが軍人として、己の属する組織に対し抱いている忠誠心とは、また種類を異にしているものなのだろう。

「後は、強いて言うなら……あたい個人が、お前に訊きたい事があったってのもあるな」

「私に?」

「ああ。何もしなくてもてめぇで勝手に追い詰められてるガキを、よってたかって追い掛け回すオトナってのは、一体全体どんな気分なんだ――ってな」

 あずみの表情から笑みが掻き消え、手にした刃よりも鋭い目が冷酷に細められた。途端、氷を差し込まれたかのように、背中に寒気が走る。

 それは、マルギッテが努めて自らの思考から除外し続けてきた感傷を、無理矢理に引き摺り出すかのような台詞だった。

「さっき、遠目に見てきたけどな……あいつ、今にも自殺しちまいそーな位に酷い有様だったぞ。“お嬢様”から危険を遠ざけるってのは、あんな弱々しいガキに問答無用で追い討ち掛けてまでやらなきゃいけねえ事か?どうにも、あたいには理解できねえな」

「……私は軍人。任務に私情を差し挟む事は無い。それが命令であれば、従うのみです」

「その命令が下されたのは、お前が上に決闘の顛末を報告したからだろ?大事なお嬢様を護り損ねて苛立ってたのは分かるけどな、他にやり様は無かったのか?“娘が殺されかけた”なんて聞いたら、あの親バカ中将が暴走するのは判り切ってたろうに」

 敬愛する上官を貶す言葉に、咄嗟に反論が口を衝いて出そうになったが、堪える。事実、マルギッテに指令を下すフランク・フリードリヒは、日頃の冷徹さを完全に失っていた。愛娘へ危害を及ぼすあらゆる可能性を片っ端から抹消しなければ収まらない程に、その怒りは凄まじいものだった。それ故に――マルギッテの諫言は一切が聞き届けられなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のだ。

「私では、ない」

 ぽつり、とマルギッテの唇から零れ落ちた呟きに、あずみは訝しげに眉を顰めた。

「私は、中将にありのままを報告する気は無かった」

 あずみの言う通り、愛娘が危うく首から上を飛ばされる所だったと聞けば、中将は問答無用で、手段を選ばず下手人を排除しようと動くだろう。それが十分に予測出来ていたからこそ、マルギッテは正直な報告を躊躇った。

 過保護も更に行き過ぎれば、却って護るべき対象の心を傷付けてしまう。妹とも想う“お嬢様”の為にも、今暫く様子を見ようと考えたのだ。

「ですが、数分と経たない内に、私以外の誰かが中将へと事の顛末を報告した。私の部下ではない――恐らくはあの決闘を目撃していた人間の誰かが、中将を焚き付けた」

 敬愛する上官の口から烈火の如き苛烈さで真実を問い詰められれば、軍人たるマルギッテは虚偽を貫き通す事は出来なかった。その後、中将から直々に下された命令を拒む事もまた適わず――マルギッテは川神に待機していた狩猟部隊を召集し、狩人の衣裳に身を包んで、嵐の中、“狩り”に赴いたのだった。

「なるほどな。そいつは多分――利用されたんだろうよ」

 黙したままマルギッテの話に耳を傾けていたあずみが、苦々しげに吐き捨てた。

「利用?一体、何者が」

「さっきまで蘭の動きを追ってたなら承知してるだろうが、この街には、織田の野郎を排除しようと躍起になってる連中が居る。敵の敵は味方――そいつらにしてみれば、狩猟部隊っつー勢力が織田の敵に回ってた方が色々と動き易くなるのは当然だ。実際、あの決闘の結果は連中にとって渡りに船だっただろうな。何せタレコミ一本で軍の特務精鋭部隊が動いてくれるんだから、こんなお手軽な増援はないぜ」

「……そういう、事か」

 闇の支配者たる織田信長への叛逆者。恐らくその一員が、何らかの形で川神学園に潜り込んでいるのだろう。そしてあの日集った観客達の一人として決闘を観戦し、経過の全てを見届けた。娘を溺愛するフランク・フリードリヒの性格を何処かで嗅ぎ付け、その性質を利用して狩猟部隊を動かす事を計画した。それが真実だとするならば――自分は顔も見えぬ輩の策謀に完全に踊らされる形で、この不本意な任務に従事させられている事になる。怒りに震え出したマルギッテの手の中で、トンファーの上げる悲鳴が最高潮に達した。

 ……だが。

 噛み締めた唇が破れたのか、鉄錆の味が口の中に広がる中、マルギッテは強く念じる。

 だが、それでも、と。

「それでも――私は、軍人です。いかなる形であれ、与えられた任務は遂行しなければならない」

 例え自身の行いに正義が無いと知っていても、例え自身の大切な人に恨まれようとも。あらゆる思想と感情を度外視し、冷徹に自らの役割を果たす事が出来ないならば――軍人を名乗る資格はない。マルギッテ・エーベルバッハ少尉の在り方に、余計な感傷は無用だ。

「女王蜂。これよりお前を倒し、標的を追う。容赦は有り得ないと、心得なさい」

 静かな宣言と同時、マルギッテの全身から闘氣の焔が噴き出し、赤熱のオーラと化して空気を歪ませる。燃え上がるような気迫とは裏腹に、眼前の敵を見据える紅の双眸は凍えるような冷酷な光を帯びていた。世界各地の戦場で“猟犬”と恐れられた戦闘機械の現出に、あずみはやれやれと首を振りながら口を開く。

「あたいも今じゃ従者の身だ、お前の考え方もある程度は分かる。だがまあ、英雄様の為にも、あたいが退いてやる訳にはいかねえからな」

「そうですか」

「互いに退けねえ以上、どっちかが道を譲るしかない訳だ。だったら、久々に――本気で闘るとするか、猟犬!」

 言葉を終えると同時に、あずみの手がブレた。同時に投擲された六本の苦無を両手の旋棍が瞬時に打ち払い、甲高い金属音が雨中に浸透する。

 それが、開戦の合図。一呼吸の間に間合いを詰め、咆哮と共に猛然と躍り掛かるマルギッテを、何時抜いたとも知れぬあずみの小太刀が迎え撃つ。斬り突き払い、攻め防ぎ躱す。並の武人ならば視界にも捉えられない連撃の応酬が瞬く間に繰り広げられ、幾多の技が互いの命脈を断たんと行き交う。

 
 この瞬間、二人はまさしく、閃刃舞い散る戦場に立っていた。



 
 第四死合・忍足あずみ 対 マルギッテ・エーベルバッハ―――開戦。











 



 拝啓、総じて莫迦だったりアレだったりする従者の皆様。

 お前達の心優しく偉大な主君は今、戦場にいます。

「…………」

 こんな風に言うと大袈裟に誇張された比喩表現の類だと受け取られがちだが、別にそんな事は無い。むしろ比喩表現であって欲しかったと心の底から願うくらいである。此処は真剣で冗談抜きの、嫌と言う程に正真正銘、徹頭徹尾本物極まりない――戦場なのだ。

 現在地は堀之外町南西部に位置する住宅街。俺が起居するボロアパートからさほど離れていない地点にて今まさに、激しい銃撃戦が行われていた。住宅街らしい閑静さなど何処へやら、絶え間ない発砲音と爆発音、そして悲鳴と呻き声で周囲は埋め尽くされている。この様相を戦場と言わず、何と言えば良いのか。

 住宅街の玄関口にてマルギッテ・エーベルバッハを突破してから数分後、徐々に聴こえ始めた物騒極まりない音響に嫌な予感を募らせつつも、覚悟を決めて南西へと進み続けた結果、目の前に現れたのがこの地獄の如き光景である。思わず足を止めて呆然としてしまった俺を誰が責められようか。

「くっそが、ファックにしぶとい連中だぜッ!……んん?なんだオマエ、ウチの連中じゃねえな?」

 黒服に身を包んだ屈強な軍人達――ドイツ連邦軍の狩猟部隊隊員に向けて、実に活き活きした表情で二挺拳銃をぶっ放していたメイドさんが、数歩分後ろに佇む俺に気付いて振り返った。

 ちなみにその間もトリガーを引く指先は休めない。取り敢えず銃を撃つ時は前を見るべきではなかろうか、という人間として至極真っ当な突っ込みを飲み込んで、俺は無言で欧米系と思しき金髪ツインのメイドを見返した。

 碧色の瞳がジロジロと俺の顔を数秒ほど観察し、そして口元が獰猛な弧を描く。

 瞬間、猛烈に嫌な予感が俺を襲った。

「アタシには見覚えがない。つまり敵って事でFAだな!ブッ殺しとくか」

 言うや否や、目にも留まらぬ早業で右手の拳銃が俺の眉間に向けられ、

 そのまま引き金が――

「待ちなさいステイシー。話を聞いていなかったのですか?彼を援護するのが私達の役目です」

「ん?ああ、そういやそんな感じのファックに面倒クセー話だったな。頭から吹っ飛んでたぜ」

 頭が吹っ飛びそうになったのは俺の方だがな、と喉元まで出掛かった皮肉をどうにか堪える。

 それにしても危なかった。何処からともなく現れた、クールな雰囲気の東洋系黒髪メイドが止めてくれなければ、冗談抜きでデッドエンド直行だった。額を伝う冷や汗が雨のお陰でバレない幸運に感謝しつつ、俺は鉄壁の無表情を装って二人を見遣る。

「でもよ李、あずみの奴から聞いてた話だと、もっとファックにヤベェ印象だったぜ。それこそヒュームのジジイと同レベルのバケモンとか何とかさ。こいつそこまで大したオーラ出してねえし、アタシに分からなくても仕方ねえって」

「雰囲気以外にも外見的特徴は通達されていましたよ、ステイシー。まあ、確かに少々、イメージと食い違いがあるのは確かですが」

 落ち着き払った口調で言って、李と呼ばれたメイドは訝しげに俺を眺める。

 なるほど、確かに現在の俺は無用な氣の消耗を抑える為、身に纏う殺気の総量を大幅に減らしている。既に織田信長の強大な虚像が心中に棲み付いている人間ならば、この状態で過ごしていても勝手に様々な思考を巡らせ、都合の良い解釈をしてくれるのだが――このメイド達のように実質的な初対面の人間にしてみれば、“現在の俺”こそが織田信長の全てなのだ。その辺りの認識の齟齬のお陰で、驚くほどに呆気なく射殺される所だった。この大いなる失敗の経験は必ず次に活かすとして、取り敢えずはこの場を凌ぎ切る事を考えなければなるまい。

「九鬼従者部隊、か」

「はい、序列十六位の李です。あなたがノブナガで間違いありませんね?」

「ああ。相違無い」

「アタシは序列十五位、ステイシーだ。何故かアンタのファミリーネームは教えられなかったんだよな、どーしてだか知ってるか?」

「…………」

 ちなみに戦闘中である。今も尚、嵐の中を無数の弾丸が飛び交い、そこかしこで小規模な爆発が生じ、或いは格闘戦にて二つの影が揉み合う混戦状態だ。そんな中に在って、呑気な自己紹介に加えて興味津々と質問まで投げ掛けてくるという、恐ろしいまでの余裕っぷりだった。九鬼従者部隊の上位に名を連ねる精鋭にとってはこれが正常なのだろうか、と戦慄を覚えずにはいられない。俺も彼女達に合わせて表面上は平静を保っているが、いつ流れ弾が脳天を直撃しないかと内心ヒヤヒヤものである。

「で、ノブナガだっけ?このファックな状況、どーするよ。“猟犬”のヤツはいねーけど、アイツらかなり粘りやがるぜ。アタシらでも突破にゃしばらく掛かりそうだ」

「……突破に関しては、あなたが到着すれば何も問題はないだろう、と聞いています。一体どういう事でしょうか?」

 ステイシーと李の言葉を受けて、俺は自分の置かれている状況を把握する。同時に今後辿るべき道筋と、それに伴う幾多のメリットとデメリットがはっきりと脳内に浮かび上がった。

 やはり今日の俺は調子が良い、と自身の処理能力の好調を確かめながら、俺はすぐさま発すべき言葉を選出し、口を開く。

「ふん。元よりお前達が如き有象無象の助力に期待する程、俺は惰弱ではない。黙して観ているが良かろう」

 嘲笑うような調子で言い放つと、俺はおもむろに前方へと一歩を踏み出した。ステイシーと李のメイド二人組が慌てた様子で制止を試みるが、構わずに突き進む。

「ちょっ、そっちは制圧終わってねーぞ!ファック、幾ら仕事だろーと自殺志願者に付き合わされるのはゴメンだってーの!」

 無論、俺はステイシーの言う様に自棄になった訳ではない。

 確かにこの混戦状態の中を真っ直ぐに突っ切って無事でいられる可能性は、皆無とは言わずとも絶望的に低いだろう。だがそれは、何の備えもなく無防備に戦場へと突撃した場合だ。幸いにして――俺にはあらゆる銃撃と爆撃から身を護る為の手段がある。

 一歩。二歩。

 “それ”の発動が完了したのは、三歩目を踏み込んだ時だった。

 どろりと内より溢れ出した漆黒の氣が、俺の身体を中心に渦を巻く。数瞬の間、とぐろを巻くような形で俺の周辺に留まっていた殺気は、俺が大地に新たな一歩を刻むと同時に、雨に濡れたアスファルトを浸蝕するかのようにして、一気に周囲へと拡散を開始する。

「――沈め」

 その瞬間、あらゆる音が静寂に呑み込まれた。耳を劈く発砲音も爆発音も、悲鳴も怒声も、一切が纏めて彼方へ消え失せる。理由は単純――それらの物音を生み出す人間が全て、硬直しているからだ。九鬼従者部隊のメイド姿も狩猟部隊の黒服姿も区別なく、その場に居合わせた総勢数十名の全員が、物言わぬ彫像と化していた。

 彼ら彼女らの足元には、闇。踝の辺りまでが漆黒の闇に沈み込み、見通せぬ黒色に覆い尽くされ、その姿を隠していた。上空から見れば、墨汁で出来たプールに足を突っ込んでいる様に映るかもしれない。

 住宅街に戦場を形作っていた誰もが足元に広がる暗黒に身動きを絡め取られ、各々の武器を握ったままピタリと停止している。傍目には間違いなく異様に映るであろう光景を見遣りながら、俺は悠々と彼らの間を闊歩し、真っ直ぐ進んでいった。

 織田流威圧術・黒水――任意の範囲に所謂“殺気の水溜まり”を形成し、其れに接触した者に束縛を加える、広域威圧術の一種だ。奥義である殺風と較べれば威圧効果は低く、効果範囲も劣り、更には上空に逃れる事で回避が可能、と性能的な欠陥が多いが、しかしこの技には殺風に勝る大きなメリットが二つ程ある。

 一つは、氣の消費量が比較的少量で済む点。クリスティアーネ・フリードリヒとの一件で無駄に消耗し、氣の残存量が心許ない俺にとって、このコストの軽さはかなり重要だ。

 そしてもう一つは――発動に伴っての移動が可能、という点。殺風は膨大な殺気を扱う為に、まず最初に自身の現在地を“嵐の目”として設定しなければならない都合上、発動中は自身もほぼ身動きが取れないのだが、その点、この“黒水”は一度発動させてしまえば任意で移動が可能である。

 無論、集中力を欠かせば誰かが“動き出して”しまうので油断は禁物だが、基本的には足元に広がる闇へと新たな殺気を注ぎ込み続ける作業を怠らなければ問題は無い。

 所詮この技は人外レベルの武人には全く通用しないし、“それなりに殺気への耐性がある”程度の人間が相手でも意識を奪う事すら難しいと言う、些か使い所に窮する威力だ。だがしかし、今回のパターンに限ってはこれ以上に相応しい威圧術は存在しない。敵は全体的に精鋭だが、マルギッテや忍足あずみの如く突出した実力者が不在で、しかも俺の目的が殲滅ではなく突破に置かれている以上、無理に敵を気絶させる必要もない。あくまで俺が戦場の真ん中を突っ切り終えるまでの間、銃弾が飛んでこなければそれで良いのだから。

 一面に広がる漆黒の絨毯を踏みしめて歩き続け、やがて誰にも妨害される事無くその範囲限界に辿り着いた事を確認してから、俺はおもむろに振り返り、屹立する彫像達に向けて滔々と音声を発した。

「さて――任務御苦労、走狗共。後は狗同士、好きなだけ、望むがままに喰らい合うが良かろう」

 静寂の戻った住宅街に俺の声が反響すると同時、黒水の発動を解除する。

 当然、殺気から解放されて身動きが取れるようになれば、狩猟部隊の連中は俺を追ってくるだろうが、そこはあの二人組を始めとする九鬼従者部隊の面々が確り抑えてくれるだろう。仮に取り逃がして追ってきたとしても、一人二人ならば返り討ちにする程度の自信はある。

「往くか」

 呟いた直後、背後から再び発砲音と爆発音が響き始める。

 己の通った道が戦場へと瞬く間に立ち返っていくのを感じながら、俺は振り返らずに歩を進めた。



「……あずみの言ってた意味がやっと分かったぜ。最ッ高にファックでロックなクレイジー野郎だな、ありゃ……ピクニックみたく戦場を歩きやがった。ん?どうしたよ李」

「それが……何と言うか、先ほどのアレで何かが掴めた気がします。次回開催の世界死んだふり大会では優勝を狙えるかもしれません」

「ああ、お前なら出来るだろうよ、ここで本物の死体になっちまわなけりゃな!これからも元気に死体のフリがしたいなら悩んでないでさっさと手伝いやがれ!」

「死体のフリがしたい……、ぷっ、戦場で笑わせるのはやめて下さいステイシー」

「ファーック!良ーく分かったよ。てめーも大概にクレイジーだぜ、李!」


 
 魔王が立ち去った後も、各々が自身に課せられた役割を果たすまで、戦場に終わりは訪れない。


 
 第五死合・九鬼従者部隊 対 狩猟部隊―――継続中。










「くそ。流石にキツい、な」

 九鬼従者部隊と狩猟部隊、二つの勢力が争う危険地帯を無事に突破してから数分――未だ響く銃声を遠くに聞きながら、俺は住宅街の歩道を緩慢な動作で歩いていた。

 人の目が無い場所では威を取り繕う必要もないので、必死に走ってでも蘭を追うべきと思われるかもしれないが……残念ながら体力面の問題で、そんな余裕は無い。氣の消耗は即ち、肉体全体へと深刻な負担を及ぼす。これまでは身に纏う殺気すらも限界まで節約する事で誤魔化してきたが、先程の“黒水”の発動が決定的だった。あれで体内に残されていた氣の大部分を使い果たしてしまったのか、どうにも身体が重くて仕方無いのが現状だ。軍人の一人二人なら倒せると豪語したばかりで何だが、この分ではそれも怪しいものだった。

「だが――あと少し。あと少し、だ」

 周囲に漏れないよう小声で自身を叱咤し、全身を苛む疲労に屈しそうになる惰弱な肉体に檄を飛ばす。板垣一家、マルギッテ、狩猟部隊――数多の強力な障害を突破して此処まで辿り着いたのだ。たかだか疲労程度のものに屈して全てを無為にするなど、断じて在ってはならない事だろう。

「何と言っても。今の俺は、絶好調なんだからな」

 俺は自身に言い聞かせると、無理矢理に口元を歪め、笑みを浮かべた。

 実際、氣の過剰消費に起因する肉体の不調を別にすれば、今日の俺はすこぶる調子が良い。運が向いている、と言うか、波が来ている、と言うか。特にあの、あたかも計ったかのようなタイミングでの落雷には心底仰天したものだ。あの場に居合わせた面子の中で最も驚いていた人間がいるとすれば、それは間違いなく俺だろう。

 もう少しで仰天のあまり太刀を取り落として全てを台無しにする所だった事を考えれば、或いはアレは天が俺を試したのかもしれないな、などと戯れに思う。

 それに、あの件を除いても――俺の纏う殺気が常よりも弱々しい事が良い方に作用して辰子が起きなかったり、足りない威厳を補うために初めて持ち出した“小道具”の存在に亜巳が見事に動揺してくれたり、隠行が些か不得手なサギが悪天候のお陰で奇襲の直前まで気取られる事なく気配を隠せていたり、忍足あずみがマルギッテの下に到着するまでの時間を会話で巧く稼げたり。他にも色々だ。

 勿論、前提として俺の仕込みと工夫が在る事は言うまでもないが、それでも様々な幸運が俺に味方してくれなければ、決してここまでは到達出来なかっただろう。

 ただし、然るべき代償として、もはや持ち札の殆どは使い切った。
 
 織田信長の客将、柴田鷺風――今回の戦に際して俺が用意した最大最強のワイルドカードも、既に手元には無い。板垣辰子という規格外の怪物を抑え得る手札を他に持たない俺には、あれ以上に最適な札の切り所は無かったとは思うが……やはりあの絶大な戦力を失ったのは辛い所だ。まあ奴の置かれた立場の微妙さを考えれば、この舞台に引っ張り出せただけでも大戦果と思うべきか。

 ツルの奴が居ればもう少し作戦の幅も広がったかもしれないが、現時点で国内に居るかも分からない輩の事をとやかく言っても仕方が無い。

「やれやれ。愛と勇気だけが友達、か」

 自嘲しながら、重い足を引き摺るようにして一歩を進めた時、俺のお粗末な気配探知能力が一つの氣を捉えた。

 俺の良く見知った気配が、すぐ近くに居る。だが残念ながら――それは我が第一の臣のものではない。俺は一瞬だけ足を止めて、荒れ狂う曇天を仰いだ。

 そうか、お前がここで出てくるのか。

「…………」

 それから一分と歩かない内に、先程の気配の持ち主は姿を現した。俺がその存在を感じたのと同様に、あちらもまた俺の気配を感じ取っていたのだろう。じっと食い入るような目でこちらを見つめる表情に、驚きの感情は見受けられなかった。


「くく。雨の中で待ち人とは、酔狂だな」


 嵐の中に独り佇むのは、華奢な少女のシルエット。

 明るい橙のツインテールと、鈍く光るゴルフクラブが地面に向けて垂れ下がっている。

 デートの待ち合わせの際と同じ様に、街灯に背中を預けて、彼女は立っていた。


「おせーぞ。待ちくたびれたじゃねーか、シン」


 疲労困憊の我が眼前に立ち塞がるは、悪名轟く板垣一家、最後の一人――板垣天使。

 
 さてどうしたものかな、と、俺は嘆息した。



 
 

 第六死合・織田信長 対 板垣天使―――開戦。














 
 

 
 
 
 
 キリの良い所で終わらせたかったので、今回は前回よりもやや短めになりました。
 ちなみに登場回全てに言える事ですが、マルさんの独特な丁寧語の再現には割と苦労させられています。あれは一体どういう基準で使い分けているのだろうか…。これでも割と四苦八苦していますが、それでも読者の皆様が違和感を覚えてしまったならどうかご勘弁を。直後登場のステイシー&李のコンビが妙に書き易く感じたのは間違いなくマルさんの所為です。
 前回までに感想を下さった皆様に最大限の感謝を。それでは次回の更新で。
 


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.029549121856689