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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] 堀之外合戦、前編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:140f6e9e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/08/23 23:19
「おやおや、コイツは驚いたねェ。随分とまあ……酷い有様じゃないか」

 死人と見紛うばかりの青褪めた顔で天を仰ぎながら、茫然自失の態で立ち尽くす少女。監視役を命じた奴隷の一人から報告を受け、得物を携えて現場に赴いた亜巳が最初に目にしたのは、そんな予期せぬ光景だった。

 事前に亜巳が想定していた少女の姿は、殺意に身を委ね、狂気を振り撒く悪鬼のそれである。かの少女が自身の妹と似通った“暴走癖”を抱えている事を知っているが故に、当然ながら今回の一件もその延長上だろう、と判じていたのだ。森谷蘭が正気を喪った――と云う話をマロードから聞かされた時も、別段驚く事もなかった。蘭との付き合いは浅いながらも、決して短いものではない。その在り方が明らかな歪みを内包している事は、観察力に長じた亜巳は良く承知していた。であるならば、何かの弾みでネジが外れた時、内に潜んでいたモノが溢れ出しても不思議は無いだろう、と。

 だからこそ、意外だった。こうしてこの目に捉えて見れば、その姿は血に飢えた魔物とはどこまでも程遠い。凍えているのか、或いは怯えているのか。小刻みに身を震わせながら雨粒に打たれ続ける蘭は、今にも虚空へ溶け消えてしまいそうな儚さを総身に漂わせていた。織田信長の懐刀、魔王の右腕として悪名を轟かせる少女の、あまりにも弱々しい立ち姿。思わず足を止め、遠目に様子を窺う亜巳の傍で、獰猛な笑い声が上がった。

「くっくっく、丁度イイじゃねえか、アミ姉ぇ。弱ってやがるなら好都合だ。“餌”が楽に確保できるに越した事はねぇからな」

「ま、確かにそうだねェ」

 いつになく上機嫌な竜兵の言葉に、亜巳は頷いた。森谷蘭は標的ではあるが、所詮は大魚を釣り上げる為の餌に過ぎない。この後に控えている“本命”の事を思えば、氣と体力の消耗は最低限に抑えておきたいところだ。見境なく暴れられるよりは当然、無抵抗でいてくれた方がありがたい。

「それに……なかなか甚振り甲斐がありそうだし、アタシとしちゃこれはこれで悪くない。あんな風に自分が不幸のどん底にいると思ってそうな人間を、それよりも深い絶望に蹴落としてやる――フフフ、いいねェ。想像するだけでゾクゾクするじゃないか」

「おお、相変わらずアミ姉ぇは怖ぇなぁ。俺にはそんな残酷な事は到底、出来そうにもないぜ」

 大仰に身震いしながら言う内容とは裏腹に、竜兵の口元はニヤニヤと笑っていた。肉食獣の如くギラついた目で標的を見遣ってから、「なぁ、お前ら」と竜兵は声を張り上げながら振り向く。そこには数十人の男達が、雑然と群れを成して控えていた。一様に並外れた屈強な体格を有し、獣じみた凶悪な雰囲気を身に纏う彼らは、全員が竜兵子飼いの部下である。竜兵は獰猛な笑みを浮かべたまま男達を見渡し、再び口を開いた。

「ドSのアミ姉ぇと違って、俺達は優しいからな。死にそうな面してる女がいたら――身体を張って“慰めて”やらねぇと気が済まねぇ。そうじゃねぇか?」

 それは、飢えた獣に飼い主が餌を放り投げてやるかのような、そんな調子の声だった。先程から好色な視線を隠そうともせず少女へと送り続けていた男達が、リーダーの言葉の意味を取り違える事はない。途端に下卑た歓声が湧き起こった。

「オレ アイツ キニイッタ。オレ オカス サイショ」

「おいおいルディ、間違えんなよ。オレらはあくまで傷心のJKを慰めてやるだけなんだぜ。ぎゃははっ、オレら超イイヒトじゃん?」

「けけけっ、ちげーねぇな!あ、ちなみにリュウさんは最初じゃなくてよろしいんで?」

「ああ?何が悲しくて雌なんぞに触らねぇといけねえんだ、考えるだけで鳥肌が立つぜ。お前らで勝手にやってろ」

「へへへ、そうこなくっちゃなぁ。さすがリュウさんは話が分かるぜ」

 男達は揃いも揃って、目の前のご馳走に舌舐めずりせんばかりの有様である。この大雨の中に呼び出された当初は誰も彼もが不満たらたらの様子だったというのに、何ともまあ現金なものだ、と亜巳は白けた顔で獣の群れを見遣っていた。

「しかし単純な豚どもだねェ。コイツら、自分が手を出そうとしてる相手が誰なのか分かってんのかい?」

「まったくだ、理解に苦しむぜ。女の抱き心地なんぞ所詮、男の足元にも及ばねえだろうによ」

「いや、アタシはそういう事言ってんじゃないんだけどねェ……。まあ豚の思考回路は別にどうでもいいか」

 どうせ一人の例外もなく、下半身だけで物事を考えているような連中だ。わざわざ気にするだけ無駄というものだろう。亜巳は欲望と興奮に鼻息を荒げている男達から視線を逸らし、代わりに自身の隣へと向けた。

「zzz」

 そこには当然のように能天気な寝顔を晒す妹の姿がある。立ったまま、更にはこの大雨に打たれながら、という条件を重ねても、板垣辰子の突き抜けたマイペースを崩す事は叶わないらしい。普段同様に緊張感の欠片もない寝顔に溜息を一つ落としてから、亜巳は拳を握り込んだ。

「ったく、少しでも目を離すとこれだよ。おーい辰!さっさと起きな、出番――だ!」

「おふっ!……んうぅ~、アミ姉ぇ……?」

「お、レベル1程度の威力で目が覚めたのは久々じゃないか。流石の辰と言えども、熟睡は出来なかったみたいだねェ」

「うぅ~、びしょびしょだよ。お風呂入りたいなぁ」

 未だ寝惚け眼で欠伸を漏らしてこそいるが、取り敢えず眠りから呼び起こす事には成功したようだ。これにて準備は万端――亜巳は双眸を鋭く細め、感触を確かめるように得物の棒を虚空にて一振りすると、竜兵へと向き直った。

「リュウ」

「ああ。くくっ、それじゃあ、始めるとするか。……おいお前ら、まだズボンは下げるなよ。食い千切られるのがオチだろうからな」

「そういうアンタも油断するんじゃないよ。アタシにしたところで、“アレ”の底はまだ見えちゃいないんだから」

 どうにも浮付いている竜兵に釘を差しつつ、亜巳は再び蘭の方を見遣った。まだ多少の距離があるとは言え、既に互いの顔を目視できる程度には接近している。にも関わらず、彼女は現在に至るまで何の反応も示していない。竜兵の部下達が上げる下品な笑声は間違いなく耳に届いている筈だが、彼らの存在にも全く気付いていない様子だった。明らかな、異常。しかし、だからと言って手を引く訳にもいかない。マロードも竜兵も、この程度の事で止まりはしないだろう。そもそも――止まるようならば、“こんな事”は最初から実行する筈もなかった。

 やるしかない。

 亜巳は肝を括ると、手元の棒を握り締め、一分の隙も窺わせぬ慎重な足取りで蘭へと歩を進めた。その右隣に竜兵が、左隣にはフラフラと緊張感の無い足取りで辰子が。竜兵の取り巻き達は、やや距離を空けながらゾロゾロと三人の背中を追う。

 結局――十数秒の時を経て、亜巳達が自身の前方僅か数メートルにまで迫るに至っても、蘭が何かしらの反応を見せる事はなかった。最初に見た時から変化のない蒼白な顔を天に向けたまま、亜巳達を一顧だにしない。ただ、こうして距離を詰めた事で、亜巳は幾つか新たな事実を発見した。白い頬を伝う涙と、両手を禍々しく染め上げ白地の制服に無数の斑点を残す赤黒い色彩。そしてその唇から絶えず紡がれ続けている、意味の判然としない微かな呟き。

 咄嗟に浮かんだのは、精神崩壊、の四字であった。何が起きたのかは判らないが……これはどう見ても、壊れている。少なくとも、こうして亜巳達が間合いに踏み込んでも尚動こうとしない時点で、彼女が戦闘者としての自己を見失っているのは間違いなかった。

「うっわ、近くで見たらボロボロじゃん?血ィ付いてるし、もしかしてオレら先越されたんじゃねー?」

「バーカありゃどう見ても返り血だろうが。大方、弾みで誰か殺っちまったんだろうよ。さすが噂のバラバラ死体量産機、おっかないねぇ。くわばらくわばら」

「オレ モウ ガマン デキナイ。ハヤク ヤラセロ」

 獲物が弱っていると知れば、俄然活気付くのが野獣たちの性である。込み上げる衝動に身を任せ、無思慮に獲物へと群がろうとする取り巻き達を、竜兵が強烈な眼光の一睨みで制した。途端、主人に「待て」を言いつけられた犬を思わせる素直さで、男達は鎮まっている。基本的に自分の欲望以外には決して従わない野獣達も、暴力を以って彼らに君臨する竜兵に対しては従順だった。

 調子の良い豚共だ、と頭の片隅で呆れながらも、亜巳の注意は依然として眼前の少女に向けられている。相手がこの有様とはいえ、決して気を抜くつもりは無い。亜巳は警戒心も露に油断なく棒を構えながら、更に一歩、にじり寄るようにして蘭との距離を縮めた。

「こんな所で会うなんて奇遇だねェ、ラン。可哀相に、えらく参っちまってるみたいだが……フフフ、シンに捨てられでもしたのかい?」

「…………」

 声を掛けながらも、亜巳は反応を期待していなかったのだが――意外にも、蘭はビクリと身体を震わせて応えた。武器を携えた人間が近付いても無反応だったが、どうやら言葉が届かない訳ではないようだ。ニタリ、と自身の口元が三日月を描くのを自覚する。亜巳は愉悦に呑まれて迂闊に隙を見せない様に心掛けながらも、嬲るような声音で言葉を続けた。

「何と言っても、シンの奴はアタシと張るくらいのサディストだからねェ。自分の力も碌に制御出来ない役立たずは情け容赦なく切り捨てられるってワケかい?何年も何年も、あんなに甲斐甲斐しく尽くしてきたってのに、その末路がこのザマとはね。哀れなモンだ」

「あ、ぁ、ぁああ」

 何物よりも鋭く冷たい言葉の刃は、いつでも無慈悲に心を傷付け、抉り、切り刻む。虚ろな目は未だに亜巳を捉えてはいないが、その悪意に満ちた声は確実に心へと這入り込んでいるようだった。見開いた目から涙を零し、悲鳴のような嗚咽を漏らす少女の姿に、亜巳の嗜虐心は否が応でも昂ぶった。抑えようも無い愉悦の笑みを湛えながら、ルージュの引かれた艶かしい唇が新たな刃を紡ぎ出す。

「シンにしてみれば、アンタは所詮、その程度の価値しかなかったって事さ。人生を捧げて必死に仕えてきても、イカれた殺人鬼に救いなんて与えられやしない。結局のところ、行き着く先はこんなものさ。フフフ、アンタさぁ――何の為に生まれてきたんだい・・・・・・・・・・・・・?」

「――――ぁ」

 瞬間、耳を打ったのは、心に罅が走る音。それは亜巳にとっては聞き慣れた、しかし何度聴いても甘美な音色だった。

 亜巳の言葉が、辛うじて膝を支えていた僅かな力すらも打ち砕いたかのように、蘭は地面に崩れ落ちた。認めたくない現実を拒絶するかのように、血塗れの両手で頭を抱え込んで、悲哀に満ちた慟哭を上げる。正常な感性の持ち主ならば思わず耳を塞ぎ、眼を逸らしたくなるような、悲愴そのものの姿だった。しかし、亜巳は恍惚とした笑みすら浮かべて少女を見下ろし、その精神が軋みを上げる音響に酔っている。亜巳の心には生温い同情心などない。ただ、いかにしてこの哀れな獲物を効果的に追い込むか、それだけが専らの関心事であった。

「くっくっく、毎度ながら容赦ねぇなぁ、アミ姉ぇは。一応は幼馴染だってのによ」

「はっ、何を寝惚けた事言ってるんだい、リュウ?こんなものはまだまだ序の口さ。言葉で責めるだけじゃあ物足りない……身も心も蹂躙し尽くして、魂が絞り出す絶叫を聞いた時、ようやくアタシは充たされるんだからねェ」

「やれやれ、物騒な趣味してるぜ、ホントによ。だが……くくっ、そういう事ならささやかなお手伝いが出来そうじゃねぇか。なあ、お前ら!」

 竜兵が部下達に声を張り上げた途端、野生じみた歓喜の咆哮が木霊する。雨音を容易に掻き消して余りある喧しさに、思わず亜巳は顔を顰めた。

 よほど餌に食らいつく瞬間を待ちかねていたのか、彼らは呆れるほどの勢いで蘭へと殺到し、幾重にも取り囲む。餓狼の表情でその肢体を舐めるように眺めながらも、数に任せてすぐにでも襲い掛かろうとしないのは、彼女の肉体に一見して解るほど大きなダメージが見受けられないからだろう。森谷蘭の悪名は卓越した武力と共に鳴り響いているし、過去、実際に彼女の剣によって痛い目を見た輩も男達の中には少なからず混じっている。心中に植え付けられた警戒心と恐怖心が、ここに来て僅かな躊躇いを生んでいた。

「ナニ ビビッテンダ。オレハ ヤルゼ」

 だが、所詮は欲望に忠実な獣。込み上げる衝動の勢力が彼らの乏しい理性を上回るのに、さほど時間は掛からなかった。男達の中でも飛び抜けて屈強な体躯と、群を抜いて凶悪な面相を有する外国人男性――周囲からルディと呼ばれている男が、少女を囲む獣の群れから抜け出ると、無造作な手付きでズボンのベルトに手を掛けた。

 押し留められてきた興奮と熱気は今や完全に解き放たれ、最高潮に達しようとしている。こうなってしまえば、例え獣王たる竜兵が指示したところで、もはや獣達の勢いが止まる事は無いだろう。加えて、蘭は抵抗の意志すらも喪っているのか、猛る男達の輪の中に座り込んだまま、未だ身動き一つしなかった。であるならば、彼女の辿るべき運命は既に定まったに等しい。弱者は強者に喰い散らかされる――それがこの街の住人に共通する、唯一絶対のルールなのだから。

 我先にと、粗暴な指先が群がるように獲物へと伸ばされる。

 この人数だと終わるまでは相当な時間を食いそうだと判断し、街路脇の家屋の屋根で風雨を避けるべく、亜巳は踵を返した。


「何を、している?」


 一瞬にして全てが凍て付いたのは、まさにその時だった。

 天を衝くような怒声ではない。地を揺るがすような喚声ではない。どこまでも静かで、欠片の感情すらも載らない、淡々とした声音。

 鳴り渡る雨音の中に儚く消え失せても何ら不思議のない――そんな一言は、しかしこの場に居合わせた全ての人間の心胆を震撼させ、あらゆる活動を瞬時に停止せしめた。餌に群がる野獣達も、その王も。ただの一声を前に身動きを止め、一点へと視線を集めた。

 いつの間にか其処に居た。そう形容する他無いほどに、何の前触れも無く。しかし、ひとたび気付いてしまえば、断じて眼を離せない存在感を伴って、男は嵐の中に佇んでいた。闇を呑み込んだかの如き漆黒のコートを身に纏い、黒革のブーツで傲然と地を踏み付けて、何者をも寄らせない冷厳な眼光にて周囲を睥睨するのは、未だ年若い一人の青年。その正体を知らぬ者は、この場には一人として居なかった。

 川神周辺域に網を広げる裏社会の監視者であり、あらゆる組織への多大な影響力を有する“一個人”。通称。堀之外の裏の支配者、闇の風紀委員――魔王・織田信長。

 闇の世界に遍く悪名を轟かす男が現れたという、ただそれだけの事実に、場が、呑まれる。各々の心中に巣食った織田信長の、あまりにも圧倒的な存在感を前に、誰もが前後を忘れる。表の支配者・板垣一家の長女たる亜巳ですらも、それは例外ではなかった。害意を以って森谷蘭に接触する以上、遅かれ早かれ信長が姿を見せる事など十二分に承知していたにも関わらず、いざそのシルエットを見出した現在、自然の内に身体が強張るのを抑えられなかった。緊張、高揚、恐怖。心中にて渦巻く幾つもの感情を噛み締めて、亜巳は己が得物を強く握り締める。

「……何をしている、と。俺は然様に問うた筈だ。よもや、答を返さぬと云う事はあるまい」

 漂う静寂を切り裂くかの如き鋭い語調で、信長は言葉を続ける。板垣一家、そして配下の獣達という明確な“敵”を眼前に置きながら、その瞳はそれらを捉えてすらいない。注意を割く価値すら無いと云わんばかりの、徹底した無関心。織田信長の視線は、言葉は、全てがただ一人の少女へと向けられていた。

「ふん。従者の分際で俺を煩わせるとは、随分と偉くなったものだな――蘭」

 信長が語り掛けた相手が、自分達が取り囲んでいる少女であると認識した瞬間、男達は弾かれたように蘭の傍から飛び退いた。恐らく当人達にも理由は判っていないだろうが……その反応は正解だ、と亜巳は思う。信長と、蘭。今の二人を下手に妨げれば、命は無い。そんな漠然とした予感があった。

「今一度、問うてやろう。蘭、お前は何をしている?斯様な、語るに足らぬ屑共に屈し、其の身を喰らわせる事なぞ――俺は赦した覚えは無いが」

「ぁ、ぁ…、ある、じ……」

 重々しい信長の声を受け、初めて蘭が明確な言葉を紡いだ。涙に濡れ、掠れ震えた弱々しい声音は、怯えと不安の感情に満ちている。自らの主君へ向ける目には、縋るような色と深い恐怖の色が入り混じっていた。

 対する信長は表情を変えず、無言のままで従者を見返している。対峙する彼らの様相は、嵐に荒れ狂う波浪と、小揺るぎもせずそれを受け止める巌を思わせた。静と動。静寂と混沌。相反する二つの性質が両者の間で絡み合い、時が止まったかのような停滞を場に生み出す。

「蘭」

 数秒の後、停滞を破ったのは、信長の静的な声音であり、其れに対する蘭の動的な反応であった。主に自身の名を呼ばれる事が耐え難い恐怖であるかのように、ビクリと全身を震わせたかと思うと――蘭は、監視の意図を込めて様子を窺っていた亜巳が、思わず面食らう程に猛烈な勢いで立ち上がった。彼女の相貌に浮かぶのは、狼に追われる羊にも似た、恐るべき何かに突き動かされる者特有の必死さ。発作の如き突然さで動き出した獲物に対し、周囲の獣達が何かしらの反応を示す暇すら与えず、蘭は次なる行動に移っていた。

 すなわち、逃走。

 先程までの弱々しさが演技であったかのように、鋭く疾い転進であった。蘭は一瞬たりとも迷う事無く、織田信長の立ち塞がる前方とは逆方向――後ろへ向かって疾走する。未だ理解の追いつかない獣達の群れへと真正面から突っ込み、数十人の人垣の全てを掻い潜って、数秒と経たぬ内に突破した。そうなれば、もはや彼女の疾走を妨げる障害物は存在しない。

 一拍を置いて、獲物が掌から零れ落ちたという事実を悟った瞬間、男達の怒声が飛び交った。

「畜生、逃がすんじゃねぇ!あのガキはボロボロだ、追えば簡単に仕留められるぜ!」

 後ほんの少し。そんなギリギリのタイミングでお預けを喰らっていた獣は、極上の獲物を取り逃がすという事態を決して受け止められない。信長の存在すら脳裏から消え失せ、激昂に猛り狂う。今にも思い思いに蘭を追い始めかねない獣達を律したのは、やはり獣王の咆哮であった。

「誰が追えと言ったんだ、勝手に動くんじゃねえぞ馬鹿どもがァッ!この場でケツにぶち込まれてぇかッ!」

 大地を揺るがす竜兵の怒声を叩き付けられ、浮き足立っていた部下達は瞬く間に統率を取り戻した。見る間に彼方へと遠ざかっていく少女の背中を未練たらしく見遣りはしても、実際にその場から駆け出そうとする者は居ない。彼らの間において、竜兵の命令は絶対だった。

「アイツの事はもはや放っておけ。役目を終えた“餌”に用はねぇからな。そんな事よりも、だ」

 取り巻き達に向ける威圧的な表情とは一転、竜兵は笑みを浮かべる。猛々しく、心の底から嬉しそうで、そして何よりも――念願の玩具を買い与えられた子供のような、無邪気極まりない笑顔。獣の王と恐れられる凶相には全く似合わぬ、純粋無垢な表情の向かう先は、いつでも一人の男だった。

「ハハハ――待ち侘びたぞ!良く来てくれたなぁ、シンッ!!」

 大仰に両腕を広げてみせながら、竜兵は歓喜の吼え声を上げた。

 板垣一家と最も縁の深い幼馴染にして、相容れぬ宿敵。全霊を以って越えるべき壁。

 シン――織田信長は、眉一つ動かす事無く、竜兵の咆哮を受け止めた。その表情には、如何なる感情も宿っていない。己の従者が蹂躙されようとしていた事実すら、鋼鉄の心を動かすには足りないのか。相変わらず人間離れした男だ、と亜巳は心中で呟いた。この状況にあって尚、自分達を見据える目に怒りの色が欠片も見受けられない事が、これほど不条理且つ不気味なものと感じるとは。気圧されつつある自身を叱咤すべく、亜巳は唇を噛み締めた。

 判らないものは、怖い。それは人間という生物にとっては本能とも言える、当たり前の感情だ。自他共に認める生粋のサディスト・板垣亜巳ですらも、本能に縛られずにはいられない。それ故に、信長の底知れなさ、尋常ならざる“判らなさ”は、常に恐怖と化して亜巳の心を脅かしていた。釈迦堂刑部という稀代の武人に師事し、万人の届かぬ力を身に付ければ付けるほど、しかし亜巳の内に巣食う信長の幻影は巨大になっていく。だからこそ、亜巳は強いて諌める事をしなかったのだ。闘争を以って織田信長との因縁に決着を付けるという――弟の願望を。それこそが、己の内で際限なく膨らみ続ける信長の影を打ち払う唯一の方法であると、亜巳は悟っていた。

 そして今、賽は投げられた。否――数刻前、マロードの言に従い、森谷蘭を餌として利用する計画に賛同の意を示した時点で、既に運命は決していたのだろう。もはや引き返す道はない。ならば……泣く子も黙らす板垣一家の取り纏め役、板垣亜巳に相応しい在り方は一つだ。

 亜巳は竜兵の隣まで歩み出ると、艶然とした笑みを含んだ表情で信長と対峙した。胸中の緊張をおくびにも出さない余裕の言葉が、唇より紡がれる。

「それにしても惜しかったねェ。アンタがもう少し遅れて来てくれりゃ、最高のイベントを見せてやれたのにさ。あの可哀相な娘が完全にブッ壊れる瞬間をアンタと一緒に鑑賞しようと思ってたのに、残念だよ。フフ、さぞかしイイ声で鳴いてくれただろうにねェ」

「…………」

 聞く者の神経を逆撫でする亜巳の挑発にも、信長の感情は揺らいだ様子を見せない。ただ、酷く詰まらない存在を観る目で、僅かに亜巳へと醒めた視線を寄越しただけだった。憎悪も殺意も介在しない、路傍の石に向けるような目。思わず絶句する亜巳とは対照的に、竜兵は愉しげな笑みを絶やさないまま、上機嫌に口を開く。

「くっくっく、そうだ、そうだったな。ガキの頃、初めて会った時からお前はそうだった。どんな状況でも顔色一つ変えねぇ。付け入る隙――“弱さ”なんて邪魔くせぇモノを一つだって持ってねぇからだ」

 大切な宝物を語るような、愛おしげにすら聴こえる口調で、竜兵は信長を評する。その声音は徐々に興奮の色を帯び始め、やがて熱情に満ちた咆哮と化して轟いた。

「そうだシン、お前は最強だ。俺が認める、最強の雄だ!だから俺はなぁ、お前とヤり合いたくて仕方ねぇんだ……血が滾って、心が躍って、もう自分でも抑えが効かねぇんだよ!」

「…………」

「分かるだろ?俺は今、暴発しちまいそうなくらい昂ぶってんだ。……さぁ、今日こそ白黒付けようじゃねぇか!立場も後先も関係ねえ。余計な事なんざ何も考えなくていい、ただの楽しい殺し合い・・・・・・・・・だ。どちらかがくたばるまで、存分に噛み合おうぜ――なぁ、シンッ!!」

 竜兵は常軌を逸した熱情を全身より迸らせ、満面の笑みと共に吠え立てる。果たしてその胸中をどれ程の歓喜が駆け巡っているのか、身内の亜巳ですらも想像が及ばなかった。弟が抱く信長への執着は、生まれ持った戦闘狂としての性質と結び付き、もはや当人の意志では制御不可能な域に達している。竜兵が信長との“試合”ではなく“死合”を熱望するようになったのは、何時の頃からだったか。

 何にせよ、これだけは確信できる――いかなる手段を用いて説いた所で、竜兵が止まる事は有り得ない。つまるところそれが、慎重な亜巳をして織田信長との闘争を決意せしめた、最大の要因だったのだ。

「言いたい事は、それだけか」

 愛の告白にも似た熱烈さで想いをぶち撒けた竜兵とは、まるで対称的。信長の返答は怖気が走る程に冷たく、醒め切っていた。

「初めに、言っておく」

 過剰に淡々とした語調で前置きしてから、信長は無機質な目で竜兵を見据える。

「俺は貴様等の目的に興味は無い。動機、思想、意志。貴様等の総てが、関心を寄せるに値せぬ。貴様等の語る言に耳を傾ける心算も、価値を見出す心算も無い。俺は――貴様等と云う存在に、興味が無い。故に、俺が貴様等に告げるべき儀が在るとすれば、其れは唯一つ」

 一瞬の沈黙。そして、



「目障りだ。消えろ」



 吐き出された彼の台詞は、酷く端的で、簡潔なものだった。

 だが、信長の目が、表情が、醸し出す雰囲気が――何よりも雄弁に、彼の意を語っている。

 それは、ぞっとする程に冷たく乾き切った、“無関心”。蔑むでも、見下すでもない、徹底的な無感情。信長は眼前に立ち塞がる板垣一家の存在に、一片の価値すらも認めてはいなかった。事実、かつて対峙する度に肌を突き刺してきた刃の如き殺意を、今の亜巳は殆ど感じていない。それはつまり、織田信長にとって板垣一家は敵対するに値しない存在だと、そう宣言されているに等しい。

 まずい、と亜巳は反射的に思った。自身のプライドが少なからず傷付けられた事も問題だが――最も問題なのは、弟の事だ。信長という男へと恋慕にも似た執着を抱き続け、遂に積年の想いを遂げられると昂揚していた竜兵にとって、“これ”はいかなる拒絶をも越えた残酷そのものの対応と言える。

「シ、ン――てめぇ……ッ」

 亜巳が予想した通り、竜兵は既に我を失う一歩手前の様相だった。はち切れんばかりの歓喜の念と来るべき闘争への期待感、そしてそれが裏切られた事による失望感は、その総てが一瞬にして燃え盛る憤怒へと転じたのだろう。地獄の鬼すら遠く及ばぬであろう程に兇暴な形相を浮かべ、竜兵は爛々と光る眼で信長を睨み据えている。

 余人ならば恐怖で卒倒しかねない竜兵の眼光を、信長は些かも動じる事無く静かに受け止めて、極めて無感動な調子で口を開いた。

「消えろ、と言ったのが聴こえなかったか?生憎、俺には済ませねばならぬ所用が在り、貴様等と戯れている暇は無い。疾く道を開けるが良い、板垣」

「そんな台詞でっ、俺が素直に引き下がると思ってんのか、あぁ……!?舐めてんじゃねぇぞ、てめぇっ!!」

「ふん。然様か」

 怒髪天を衝く、といった風情で激昂する竜兵と較べ、信長の態度はあくまで冷めていた。嘲る様に鼻を鳴らすと――おもむろに自身の腰元へと手を伸ばす。その指が辿り着く先には、黒に統一された衣裳の中に在って異彩を放つ、鮮やかな朱。

「あれは……、あの娘の刀じゃないか。何で、シンが」

 血飛沫を連想させる不吉な色合いには見覚えがあった。生死を懸けた戦場において幾多の血を吸った、森谷蘭の愛刀。

それが今、何の故あってか、彼女の主の手に握られている。どういう事なのか、と戸惑う亜巳には目も呉れぬままに、信長は鞘から刀身をゆっくりと引き抜いた。白銀の刃が、身を晒す。亜巳の頭に一条の閃きが走ったのはその時であった。

「まさか。それが、アンタの」

 思わず驚愕の言葉が口を衝いて出てしまったのも、無理はない事だった。亜巳の考えが正しければ――目の前の光景は、恐ろしいほどに重大な意味合いを有しているのだから。

 織田信長という男の全貌は闇に包まれている。特に彼の戦闘能力に関しては、“ひたすらに凄まじいものだ”と云う共通認識こそあれど、誰一人としてその底を確かめた者は居ない。或いは――信長の全力を目にした者は悉く、命を以って代価を支払わされたのかもしれなかった。真実はまさしく闇の中だが、とにかく重要な事は、板垣亜巳が未だに織田信長の本気を体験していないという、その一点に尽きる。現時点において亜巳は彼の戦闘スタイルすら把握出来ていないのだ。故に――信長が本来、太刀と云う得物を用いる事で真に力を発揮するタイプの武人である、という一つの可能性を、亜巳は決して否定できない。

 ヒトが蟻を潰すのに、武器などそもそも不要。もしも信長が過去、亜巳達“程度”を相手に刃を振るうまでもないと、自ら武装を封じ、敢えて徒手にて闘いに臨んできたのだとしたら?

 憶測を事実として決定付ける根拠は何処にもなく、未だ闇に覆われた真相は解き明かされない。だが、遠からず知る事になるのだろう。抜き放った太刀を無造作に提げて、悠然と虚空に白刃を泳がせる男の姿を見つめながら、亜巳は掌に滲む汗を自覚する。

「さて」

 信長は感覚を確かめるように太刀を一振りすると、竜兵とその取り巻き達の方へと一歩を踏み出した。気負った様子もない、午後の散歩に興じているような余裕すら感じる一歩。ただそれだけで忽ち、男達の間に動揺の波が走るのが分かった。

 いかに獣じみた連中であるとは言え、堀之外の住人であるならば、信長の脅威は身に沁みて理解している。最凶と畏れられる怪物が曰く付きの凶刃を手に歩み寄ってくるという状況は、恐怖に値するだろう。怒りに顔を歪める竜兵が傍に居なければ逃げ散っても不思議はない程度に、彼らは浮き足立っていた。

 だが、男達の惰弱を嘲笑える程に、亜巳とて余裕ではない。現在の信長は以前に相対した際に感じた、圧し潰すような殺気を身に纏ってはいない。しかし、目に見える解り易い圧力の代わりに、得体の知れない不気味さによる圧迫感を、益々増しているように感じた。

「へェ……、そんなモノまで持ち出しちまって、随分と真剣マジみたいじゃないさ、シン」

 このまま黙っていては、呑まれる。そんな不安感に苛まれる意識が、亜巳の舌先を動かした。

「フフ、女の為に本気を出すなんて、なんとまあ可愛らしい所があるじゃないか。あのイカれた小娘がそんなに大事かい?今までさんざん便利な道具扱いしてきておいて、今更――」

「黙れ。貴様が俺の臣を語るな」

 静かながら、有無を言わせぬ迫力を帯びた一言だった。沈黙が場に充ち、雨音だけが響き続ける。

「“あれ”は俺の所有物モノだ。その血も肉も骨も。魂魄の一片に至るまで、総ての所有権は俺の下に在る。奴を犯し、壊し、殺す……斯くの如き所業を赦されるは、天上天下に唯一人、この俺のみ。板垣亜巳――主たる者の在り方を解せぬ輩が、賢しげに囀るな」

「……っ!」

 一切の反論を赦さない苛烈さに溢れた言を叩き付けられ、亜巳は後に続くべき言葉を詰まらせる。

 仮に言霊と云うものが実在するならば、それはきっとこういうものを指すのだろう、と亜巳は思った。信長の口から吐き出される言葉の全てが凄まじい重圧を伴って、次々と頭上から伸し掛かってくるような感覚。

 気を緩めれば自然と頭を垂れてしまいそうになる自分がもどかしく、そして何より、己をしてそのような心地を呼び起こさせる男の存在が、心の底から恐ろしい。

 圧倒されていたのは、亜巳だけではなかった。獣達もまた、本能にて眼前の“威”を察知し、凍り付いたように硬直している。信長は沈黙する亜巳から視線を逸らし、昏く染まった双眸で男達を睥睨した。


「貴様等が如き鼠輩の分際に、俺の膝元を侵せる道理なぞ無いと知るがいい。今暫しの生を欲するならば、己の分を弁え――早々に去ね、下郎ッ!!」


 偶然か、或いは天意か。

 心胆に響くような大喝が轟くと同時――俄かに黒雲を切り裂いた雷が天より降り注ぎ、轟音と共に大地を震撼させた。

 誰もが、瞠目する。眩いばかりの稲光を背負い、白刃を煌かせて嵐の内に佇む超然たる立ち姿は、あたかも地上に降臨した天魔の如く。神々しいまでの威光に打たれ、この世のものとは思えぬ恐怖に煽られては、獣とて怯え畏れずにはいられない。

「ヒィッ!!や、やっぱり奴はバケモンだ、人間じゃねぇっ!悪魔だ……、奴は悪魔だったんだっ」

「こ、こんなの、付き合ってられるかよ!オレは抜けるぜ、後はてめぇらで勝手にやってくれよリュウさんっ!」

「オレ アクマ コワイ!オレ ニゲル サイショ!WOOOOOO!」

 蜘蛛の子を散らすかのように瞬く間に逃げ去っていく男達を、引き留める術など無かった。雨の中、思い思いの方向へと消える背中を、亜巳は唇を噛みながら見送る。

 元より男達は“本命”を釣り上げる為だけに用意した人数だ、消えたところで戦力的な影響は殆ど無い。歯噛みする程に亜巳を悔しがらせたのは――先の一瞬、信長の発した超自然的な雰囲気を前に、自分までもが完全に呑まれてしまった事だった。他者を手玉に取り蹂躙する、無慈悲な女王である筈の、板垣亜巳が。

「ふん。俺は貴様等に、消えろ、と言った。理解の及ばぬ愚物を案じ、去ね、とも告げてやった。さて、次なる言葉は不要であろう」

 場に残されたのは、僅か四人。未だ魔王の前に立ち塞がっているのは、亜巳、竜兵、そして――辰子だった。

 信長は醒めた表情のまま三人を見渡し、おもむろに太刀を持ち上げた。鋭く光る切っ先が、真っ直ぐに三人へと向けられる。未だ十数歩の距離を隔てていると言うのに、あたかも喉元に刃を突き付けられているかのように感じるのは、ひとえにその太刀の担い手が織田信長であるという意識故だろう。

 緊張感に口内をひりつかせながら、ふと隣の様子を窺った亜巳は、唖然とした。

「ZZZ」

 辰子である。板垣家最強を誇る亜巳の妹は、見間違え様もなく――寝ていた。器用にも立ったままの状態で、頭だけがうつらうつらと舟を漕いでいる。かの織田信長に刃を向けられている最中であるにも関わらず、安らかな寝顔には欠片の緊張感も見当たらなかった。

 有り得ない、と亜巳は混乱した。確かに辰子は有り得ない程に呑気で、有り得ない程に寝るのが好きで、有り得ない程に何処でも寝付けるという特技の持ち主だが、しかし同時に紛れもなく一個の武人でもあるのだ。信長という規格外の怪物が戦闘態勢を取っている目の前で眠りこけるなど、殺してくれと自ら懇願しているようなものではないか。

 ……いや、そもそも。辰子は、いつから。

「成程。最も間が抜けて見える輩こそ、真に己を知る者と云う事か。実に皮肉なものよ」

「なっ――そいつは、どういう意味だい」

「ふん、意味など無い。敵を知り、己を知る事こそ戦の要。勝機の見出せぬ戦に臨む程、其奴は愚かではない……それだけの話であろう」

 淡々と語る信長の言葉を、そんな馬鹿な、と一笑に伏す事は出来なかった。幸せそうな寝顔を横目で見遣って、亜巳は逡巡する。

 亜巳自身も含め、とにかく好戦的な性格の持ち主が多い。それが板垣一家の特徴だが、唯一、次女の辰子だけは例外だった。内に抱える兇暴な“竜”の存在を考えなければ、辰子は常に温和で、無益な争い事を嫌う。実際、今回の信長との闘争についても、辰子が乗り気でいるようには見えなかった。闘争を求めた訳ではなく、自分が戦わない事で家族が傷付くのはイヤだ、というただそれだけの理由で辰子はこの場にいるのだろう。

 ならば、もしも辰子が、自身が不戦の意を示す事で闘いを避けられると判断し、敢えてこのような態度を取っているのだとしたら?それはまさしく、今しがた信長の語った言葉と合致するのではないか。

 亜巳は複雑な気分で、妹の能天気な寝顔を眺めた。辰子は論理的に物事を考えて、計算尽くで態度を変えられるような種類の人間ではない。しかし、本能的な部分で家族が傷付かない道を導き出し、直感に従って現在のように振舞っている可能性は十分に考えられる。つまり――信長との闘いを避ける事こそが辰子の、愛すべき妹の望みなのだろうか。

 だとしたら――。

 もう一人の妹の、今にも泣き出しそうな悲痛な表情が、亜巳の脳裏を過ぎる。

 だとしたら、自分達が本当に選ぶべき道は――


「くくく、くははははははっ!!!」

 
 沈みゆく亜巳の思考を途絶えさせたのは、猛々しい笑声だった。

 先程まで憤怒に身を震わせていた筈の竜兵が、笑っている。眼をギラつかせ、口元を歪ませて、食い入るように信長を見つめる。

 亜巳そんな弟の姿に、どこか危険な雰囲気を感じ取った。

「敵を知り己を知るだと?なんだそりゃ、バカバカしい。相手を選んで喧嘩売るのが上等ってか?そんなクソみてえな考え、オレは認めねえぞ。なぁシンよぉ」

「……」

「ああ、お前は昔から強かったなぁ。初めて会った時、俺は震えたもんだぜ。俺より強ぇ雄がいる。ずっとずっと強ぇ雄がいる。そうだ……サシでやりゃあ、俺はお前に勝てねえだろうよ。アミ姉ぇやタツ姉ぇでも届かねえんだ、俺の手が届く訳ねえのは嫌でも分かる。んな事ァ分かってんだ、でもよぉっ!」

 かっと目を見開いて、竜兵は吼える。乙女のような一途さで、胸中の想いを訴え掛ける。

「関係ねぇんだよっ!俺はお前と闘いてえんだ。遊びたいんじゃねえ、相手になろうがなるまいがどうだっていい、ただ互いに全力でっ、魂削って喰らい合って、この想いに決着を付けてぇだけだ!なのに、その目だ。お前はいつもいつもいつもいつもいつもォ、“その目”で俺を見やがる。ふざけんな、ふざけんなよ、俺を見ろ、俺という雄と向かい合ってみろ!俺は死なんざ恐れちゃいねぇ、お前がどんな化物だろうがビビって尻尾巻いたりはしねぇ!だからシン、俺は――俺と――」

「黙れ」

 やや支離滅裂の様相を呈してきた竜兵の叫びは、氷の如く冷徹な言葉に遮られた。

「言った筈だ。俺は貴様等の語る言に耳を傾ける心算も、価値を見出す心算も無い。独り言ならば余所で吐き出せ。耳障りだ」

 信長が虚無の相貌で紡ぎ出した言葉は、手にした刃よりも尚、何処までも冷たかった。

 欠片の容赦も含まれない氷の台詞に刺し貫かれ、竜兵の顔色が蒼白に染まる。今度の今度こそ、激情が真に限界を超えた事を示すサインだと、長い付き合いの亜巳は知っていた。こうして全身を覆う強靭な筋肉が小刻みに痙攣し始めた以上、もはやどう足掻いても戦闘突入は避けられない、と言う事も。

 亜巳は小さく息を吐き出すと、掌の汗を服で拭い、得物を握り直した。

「……」

 数間の距離を隔てて構えを取る亜巳の姿に何を思ったか、信長は僅かに目を細める。

 そして、おもむろに抜き身の太刀を翳し――横薙ぎに振るった。無論、亜巳達と信長の立ち位置は、ニ尺五寸の刃の間合いから遥かに遠い。何の意味も有さない不可解な動きに、眉を顰めて訝った瞬間だった。

「―――!?」

 ぞくり、と凄まじい勢いで亜巳の肌が粟立つ。実戦の中で鍛え上げた武人としての直感が、警報を鳴らしていた。

 ほぼ同時に、亜巳は一つの“氣”を察知する。

 巨大で雄大で強大で、そして何よりも荒々しい気配。総てを砕き、穿ち貫くイメージの具現。

 その発生源が“上空”だと悟った瞬間、亜巳の喉からは絶叫が迸っていた。


「リュウゥゥゥッ!避けなァッ!!」


 自分一人ならば問題は無い。辰子も既に目を開き、迫り来る危険に対し反応しようとしている。だが、弟は――竜兵の自力では、退避が間に合わない。刹那の思考で結論を導き出すと、亜巳は僅かな迷いも無く身体を動かした。

 竜兵の服を引っ掴み、外観からは想像できない膂力を以って投げ飛ばす。百八十センチ超の巨躯が宙を舞った瞬間に、亜巳は全力で路面を蹴り付けた。

 
 衝撃は直後。

 
 天空より降り注いだ暴虐が、大地を抉り穿つ。落雷にも劣らない轟音が鳴り渡り、そして落雷をも超える破壊の力が、一瞬前まで竜兵が立っていたアスファルトの路面を割り砕いた。その地点を中心に、水面に波紋が広がるかの如く、破壊のエネルギーが広がっていき――数瞬を経て、爆砕。粉々に砕け散ったコンクリート片が渦を巻きながら天に舞い上がり、そして雨粒と入り混じって地面へと降り注ぐ。


「く、一体何が――」


 顔を顰めながら身体を起こした亜巳は、眼前の路面の変わり果てた様相を見、驚愕に目を見開いた。

 
 そこには、一つのクレーターが出来上がっていた。ただし、天体衝突によって出来上がるモノとは明らかに異なる。その形状は綺麗な円錐状であり、穴の内側はヤスリを掛けられたかのように滑らか――この時点で、どう考えても自然の手によるものではない事が判る。ならば、果たして何者の手によるものか?

 答は、一目瞭然だった。


「ふむ。今のは思わず自画自賛したくなる程に美しい一撃だったのだが……流石は板垣、素晴らしい反応をする。しかしアレだ、殿に対してあれだけ自信満々に豪語しておきながらまさか仕留め損なうとは汗顔の至りだね。命中精度……否、今回の場合は気配の消し方に問題があったのか。ふむ、この反省を糧にしなければなるまい。失敗を失敗と認め失敗を失敗で終わらせず失敗から学び失敗を己の成長に繋げてこその人類なのだから」

 
 先程までには何処にも居なかった人間がクレーターの中心にて立ち上がり、ブツブツと独り言を吐き出している。

 それだけの情報で、下手人の特定は容易だった。ならば、次にすべき確認は――

「リュウ、辰っ!二人ともくたばっちゃいないだろうねェ!」

「な、何とかな。助かったぜ、アミ姉ぇ……」

「私もだいじょうぶだよ~」

 間髪入れずに返って来た返事と、視界に入った二人の無事な姿に、亜巳は安堵の吐息を漏らした。手放さずにいた棒を構えると、突然の襲撃者へと再び鋭い視線を向けて――初めて気付くその風体の奇抜さに、唖然とした。

 腰まで届くダークグレーの長髪の、長身の女。そこまでは普通だ。問題は、顔の上半分を覆い隠す、装飾過多の仮装用マスク。そしてそのパーツと何処までもミスマッチな、さながら老舗の和菓子屋の売り子服を連想するような和の装束。

 何だコイツは、と呆気に取られる亜巳の様子に気付いたのか、ようやく襲撃者は独り言を止め、亜巳に向けて仰々しい礼をしてみせた。

「これはこれは私とした事が、挨拶が遅れて申し訳ない。事情あって本名は名乗れないので不躾ながら通り名の方で名乗らせて頂くよ。ごほん――ある時は愛の使者、ある時は愛のネゴシエイター、はたまたある時は貴方を想う愛の鞭。愛のために槍を取り、愛のために敵を討つ。愛・戦士ことサギ仮面、ここに参上。しゃらん、しゃららん、しゃらららーん。――愛のままに、我侭に。私は君だけを傷付けたい――」

「………………」

 取り敢えずどの部分から突っ込めばいいのか亜巳は迷って、そしてわざわざ相手をしてやる義理が無い事に思い至った。

 あくまで冷静に無視を貫こうと必死に試みる亜巳の横で、辰子が場違いにのんびりとした声を上げる。

「あー、サギ仮面ちゃんだー。やっほー、元気だった~?」

「ご覧の通りだとも。タッツーも壮健そうで何よりだ。フフフ、お陰で挽肉にし損ねてしまったがね」

「って知り合いかよタツ姉ぇ!?」

「えっとねぇ、たしかぁ、二年くらい前にお友達になったんだよ~」

 友達は選ぶようにしっかりと教育をしておくべきだった、と今後の教育方針を考え直す事を頭に刻み込んでから、亜巳は素早く思考を切り替えた。

 今はイカれた相手に付き合っているような場合ではない。外見と言動こそふざけているが、一瞬の内にあれだけの破壊をしてのけた仮面の女は見過ごせない“敵”であり、そして――ありとあらゆる注意力を費やして対峙すべき相手が、この場には居合わせているのだから。

 ほんの僅かな間でも視線を切ってしまった事を悔やみながら、亜巳は周囲に素早く視線を巡らせる。目的の人物は、労せずして再び視界に捉えられた。亜巳が見たのは――自分達に“背中を向けて”、悠々と歩き去っていく織田信長の姿。その段階に至って、ようやく亜巳は彼の意図に思い至る。

「ちぃっ、やられた……っ!」

 派手な破壊と、奇抜な衣裳、そして全く以って意味の判らない言動。全ては板垣一家の目を一点に惹き付け、ペースを乱し、その隙を衝いた突破を容易にする為の陽動に過ぎなかったのだろう。

 遠ざかる背を追撃する為、すぐさま駆け出そうと動いた亜巳の前に、当然の如くサギ仮面と名乗る女が立ち塞がった。

「おっと。オフェンスは言うに及ばずディフェンスにまで定評のある多才な私としては、そう易々と此処を通す訳にはいかないな。ましてや我が殿へと通じる道ならば、命に代えても死守するのが臣の務め。フフフ、人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまっても文句は言えないし損害賠償は請求できないと、私の中の法は告げているのだ。よって一切合切容赦はしないので悪しからず」

「アンタ……見ない顔だけど、シンの部下かい?」

「フフフ、可笑しな事を言うな。見ない顔も何も顔は見えないだろうに。おっと失礼、例え腰を折ろうとも骨を折ろうともフラグを折ろうとも、ひとたび受けた質問には極力答えて差し上げるのが私の流儀」 

 内容の割に抑揚の乏しい調子で淡々と言い終えると、女は自ら作り上げたクレーターへと腕を突っ込み、そこから巨大な“何か”を引っ張り出した。亜巳の身長を軽く超える程に長大なサイズを誇るソレは、形状こそ奇妙だが、どうやら槍の一種の様に見受けられた。路面に不自然な風穴を空けたのは、まず間違いなくこの得物による一撃なのだろう。相当な重量のありそうな大槍を、女は片手で軽々と地面に突き立て、静かに言葉を続けた。

「改めて名乗り直そうか。――織田信長が“客将”、サギ仮面こと私がお相手仕る。いざ、尋常に立ち合い願おう」

 女が口上を言い放った途端――蒼色に迸る荒々しい氣の渦が、さながら龍の如くその全身に纏わり付いた。それは先程、亜巳が上空に感知した巨大な氣と同質のもの。

 かなり、出来る。

 相手がこのレベルの武人ともなれば、相対しただけである程度の実力は推察出来る。恐らくは自分と同格か、或いは更に上、と亜巳は見積もった。無論、勝負は単純な氣の保有量でのみ決まるものではないが、それを差し引いても――眼前の女からは、底知れない何かを感じていた。

 亜巳の冷静沈着な判断能力は一瞬で情報を解析し、状況を分析し、相応しい対応策を導き出す。

「アタシがコイツを抑える!リュウ、辰、アンタらはシンを――」

 早口に指示を飛ばし掛けた瞬間、二度目の感覚が亜巳を襲った。ぞわり、と全身の肌が粟立つ感覚。刹那、凄まじい速力で手元の棒が回転し、背中にまで迫っていた凶刃を弾き落とした。キィン、という冷徹な金属音が耳に残響する中、無闇に愉しそうな笑声が響いた。

「あはは、私もしくじっちゃったよ。この大雨で視界が悪い分、奇襲の難易度も相応に下がってる筈なのに……我ながら不甲斐ないったらありゃしないね。でもまあ相手が相手だし、ご主人もめくるめくお仕置きタイムに突入しちゃったりはしないよね。うんうん、きっとそうさ。ポジティブに行こうポジティブに、上を向いて歩こう」

「アンタは……、いつぞや天とやり合ってた小娘か。見ないと思ったら、シンの小間使いでもやらされてたのかい?」

 嵐の中、新たに現れたのは、丈の合わないローブで全身を包み込んだ小柄な少女。今しがた亜巳の命を狙った紅の鉤爪をぶらぶらさせながら、少女はニヤリと不敵に笑って見せた。

「いやぁその通り。ご主人ってば意地悪だしサディストだし人使いは荒いしでさ、ホントに私の苦労ったら独りで蜀漢を背負ってた諸葛孔明もかくやって感じだよ。賃金値上げを要求し続けること数週間、よくよく考えたら私ってばそもそも賃金なんてビタ一文貰ってないことに気付いちゃってさ。嘘、私の待遇、悪すぎ……?とか何とかショック受けることしきりな今日この頃だったり。うん、改めて考えるとホント酷い話だ。――でもさ」

 へらへらとした軽い態度から一転、ぎらりと、少女の猫を思わせる目が暗く光った。

 其処に宿る感情は、憎悪と、殺意。

「私は気に入ってた。好きだったんだ、今の生活が。私がいて、ご主人がいて、ランがいる毎日が……大好きだったんだよ。だからさ、私、キミ達のこと、結構――殺したいって思ってるんだよね」

 言葉に込められた想いに誇張は無く、紛れもない本物だったのだろう。吐き捨てるように言い放つや否や、少女は両腕の鉤爪を煌かせ、肉を抉り命を刈り取る為の一閃を躊躇なく繰り出す。亜巳は己の得物で斬撃を受け止め、返す一撃で小柄な身体を押し戻しながら、呼気鋭く声を発した。

「辰、“起きて”いいよ!そっちのふざけた仮面女をぶっ潰してやりなっ!リュウ、アンタは――」

「ああ亜巳姉ぇ、言われるまでもねえぜ、当然、シンを追うに決まっている!あいつは絶対に俺が喰うと、ガキの頃から決めてたんだよぉっ!!」

「何を寝言ほざいてるんだい、アンタ一人じゃ犬死するだけだよ!」

 鉤爪少女と斬り結びながら鋭い制止の声を飛ばす亜巳に、竜兵は無言で狂気じみた笑みを向けた。

 命を賭けて挑んだ末に果てるならば本望だ――弟がそのような刹那的な思考に至っている事が手に取るように分かり、亜巳は戦慄する。

 骨の数本くらいはへし追ってでも止めるべきか、と真剣に悩んだ時だった。

「全くだ。てめぇなんざが相手じゃ、あの野郎にとっちゃ役不足もいいところだぜ」

「あァ!?何だてめぇは……」

 またしても、新たな人物の登場だった。しかも、まず間違いなく敵だ。剃刀の如く鋭い目で竜兵を睨み据えているのは、亜巳にとっては何処となく見覚えのある年若い少年。少々記憶を探り、あの夜の“人質”だ、と思い至る。

 いまいち記憶が定かではないが、確か彼は特筆する程の戦闘力を有していなかった筈だ。ならば竜兵の気晴らし相手にはもってこいだろう、と亜巳はむしろこの増援の出現に感謝したい思いだった。

「俺はシンとヤりに来てるんだ、ザコはお呼びじゃねぇんだよ!喰い殺すぞ、カスが……!」

「ザコ、か。はっ、確かにそうかもしれねぇな」

 吼え猛る竜兵を前に、少年は自嘲的に呟いた。数秒ほど瞼を閉し、遠い昔に過ぎ去った何かを思い出しているかのように佇む。渇望と憤怒に狂った獣王の恫喝を耳に入れてすらいないのか、彼は小揺るぎさえする様子はない。

 そして――彼が再び目を開いた時、その中には強い信念と覚悟、決意の光が宿っていた。

「ザコでも、抗える。流れに身を任せて、いつの間にか取り返しのつかない所まで流される――そんなクソッタレな結末は、二度と御免だ」

「あぁ、何言ってやがる!?どけ、失せろカスがッ!シンが、シンが行っちまうだろうがよぉぉおおおッ!!」

「あいつらは、オレの……オレの、大事な、幼馴染だ。てめえみたいなケダモノに、一人だってくれてやる訳にはいかねぇんだよ!」

 響き渡るは獣の咆哮と、人の願い。

 二つの想いが肉体を突き動かし、互いの譲れぬモノを懸けて拳と拳が交錯する。



 斯くして――――
 

 

 第一死合・柴田鷺風 対 板垣辰子。

 
 第二死合・明智音子 対 板垣亜巳。

 
 第三死合・源 忠勝 対 板垣竜兵。






――――堀之外合戦、開幕。












 と言う訳で、ようやく本番スタートです。どう考えても準備を引き伸ばし過ぎですね……今後は出来る限り内容を絞って書くように心掛けたいと思います。無駄な文を書いているつもりもありませんが、やはり文章のスリム化は大事です。

 本日のヤンデレ枠:リュウちゃん ツンデレ枠:タッちゃん  でお送りしました。それでは次回の更新で。


>ありすさん

ご指摘ありがとうございます。当時の自分がどういったつもりで書いていたのか、もはや記憶の彼方ですが、仰る通り些か不自然さを感じる描写ですね。違和感の出ないように修正しておきたいと思います。作者的には今後ともこういったご指摘を頂けると非常に助かりますね。


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