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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:cd3b0c4e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/02/10 19:28
 クリスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の魔王を除かなければならぬと決意した。

 クリスには空気が読めぬ。クリスは、独逸の騎士である。剣を持ち、義を胸に暮らして来た。なればこそ邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。






――少しばかり、時を遡る。






『全校生徒の皆さんにお知らせです。只今より第一グラウンドで決闘が行われます。対戦者は2-S所属、織田信長と、2-G所属、蜂須賀栄斗。対戦内容は武器なしの格闘。見学希望者は第一グラウンドに集合しましょう。繰り返します……』

「おおっ、信長公が決闘に臨まれるのか!これは是非とも観戦に赴かなければならないな!ん~、ワクワクしてきた、やっぱり日本に来て良かったなぁ~」

 2-F所属の外国人留学生、クリスティアーネ・フリードリヒは現在、喜色満面の笑みを浮かべて感激していた。

 クリスは生粋のドイツ人だが、尊敬する父親の影響を幼い頃から受け続けていた事もあって、第二の故郷と公言して憚らない程に日本という国を愛している。当然の如く日本語は現地人顔負けなレベルの達者さで、日本文化についても深く精通していた。憧れのあまり奇妙なフィルターが掛かっている部分も少なからず見受けられるとは言え、知識量では生半可な日本人を軽く上回っている程だ。それらの日本に関する文化の中でも、クリスが最も気に入っているものこそ――“武士”そして“武士道”だった。西欧に受け継がれる騎士と対を成す、東洋のサムライ。友人から借りた時代劇のDVDにて、その鮮烈さと厳粛さを兼ね備えた生き様を初めて目にした時から、クリスの心にはいつでも武士なる者への憧憬が根を張っていた。父親に頼み込んで、古今東西のあらゆる時代劇のフィルムを取り寄せ、それらを鑑賞し尽くすと、今度は日本語の勉強を兼ねて歴史小説に手を出した。その中でもクリスが好んだのは、戦国の世を縦横無尽に駆け抜けた幾多の武士達の物語。織田、上杉、武田、直江、真田、島津、石田、今川、橘、豊臣、徳川――綺羅星の如き群雄の華々しい活躍の数々は、クリスの胸に遥か日本国への想いを育むに十分なものだった。

 時代は移り行き、現代は既に戦国の世から幾世紀。しかし日本の地には武士の血脈を受け継ぐ人々が今も尚、その在り方を体現しているのだろう。そう考えると、クリスは居ても立ってもいられなくなった。そして、故郷・リューベックの姉妹都市たる川神の学園への留学――懇願の末にそれを父に認められてからは、お気に入りの戦国武将の名前を付けたぬいぐるみを抱き締め、高鳴る胸を抑えながら、転入の日を心待ちにしたものだ。

 そうして遂にやってきた日本。留学先は、武士の末裔が集うとされる川神の地。

 文明の発達に伴い、街並みや文化の形は変遷を見せてこそいるが、人々の心には武士の魂が変わらず根付いているのだろう――学友たちに囲まれながらその在り方をこれから学べるのだと思えば、浮き立つ心を留める術はなかった。クリスが愛する様々な日本文化にも密接に触れ合えるし、武士の末裔達と切磋琢磨する事で己の武に磨きを掛ける事も出来る。クリスにとって、日本はまさしく思い描いていた通りの楽園だった。これからの学園生活に希望の念は膨らむばかりであったが、そんなクリスを更に喜ばせる情報が級友の口からもたらされる。

『奴の名前は、織田信長』

 織田信長。

 織田信長。

 織田信長、である。

 クリスが愛読していた歴史小説の中でもトップクラスの出演率を誇る、まさに日本の戦国時代を代表する英傑だ。クリスが個人として尊敬してやまない“武士”の一人――学級こそ違えど、そんな大英雄が同じ学び舎に通っているという望外の知らせは、クリスの心を大いに湧き立たせた。

 もっとも、それを教えてくれた2-Fの級友、直江大和は色々と真っ当な理屈を添えてクリスの見解を否定していたのだが、舞い上がった人間に言葉は正しく届かない。普通の人間ならば同姓同名の別人と考えて然るべき場面だが、しかし日本をこよなく愛するドイツ人、クリスティアーネ・フリードリヒの感性は確実に常人とはズレている。思い込んだらどこまでも一直線、それがクリスという少女の性質だった。憧れの武士と会った時、どんな言葉を交わそうか――と、クリスの脳内は期待と興奮で満ち溢れていた。

 そんなタイミングで教室に鳴り響いたのが、先程の校内放送である。歴史に名を轟かせる武士の戦振りを間近で見られるとなれば、喜び勇まない筈もない。ウキウキと弾んだ表情を隠そうともせずに意気揚々と立ち上がったクリスだったが、その時、あたかも昂ぶった感情に水を差すような醒めた声がすぐ横合いから掛けられた。件の級友、直江大和である。

「あー、クリス。昼休みの時間もそれほど残ってないし、行かない方がいいんじゃないか?」

「何を言ってるんだ大和、三十分もあれば十分に事足りる。皆も当然、観戦に行くんだろう?」

 問い掛けながら教室内を見渡すと、観戦に対して消極的な態度を示しているのは大和一人だけの様で、既に席を立とうとしているクラスメートも多かった。その中の一人、明るい栗色のポニーテールが特徴の川神一子が威勢の良い声で答える。

「モチロン、アタシは観戦希望よ!打倒・ノブナガのためにも、今の内に相手のコトを研究しておかないとね」

「かの名高き信長公を倒す?お前がか?フッ、姉の百代殿ならばともかく、犬には荷が重いんじゃないのか」

「むむ、そんなコトはない、って言いたいけど……ちょっと否定できないかも。だけどそれは今のアタシの話!鍛錬と精進を頑張って続ければ、いつかきっと届くと信じてる。勇往邁進の心が大事なのよ!」

 胸を張って宣言するかの如く快活に言い放つ一子。その迷いのない真っ直ぐな情熱は周囲にも伝播する。自身の心に熱が宿るのを感じたクリスは、純粋な感動と共に深く頷いた。

「“勇往邁進”、か……いい言葉だな。それを貫き通さんとする覚悟も天晴れだ。馬鹿にしてすまなかった、犬。その志、自分は応援するぞ!」

「う、たはは、何だか素直に褒められると照れるわね。そ、それじゃあ今すぐグラウンドに出発よ!急がないと決闘が始まっちゃうかも」

「む、それは大事だな。よし、いざ出陣だ、皆!ほら大和も一緒に来るんだ」

「ああ分かった分かった、今行きますよお嬢様。……こうなったらもう、行くしかないさ」

 放っておいたら何をやらかすか分からないし、という大和の切実な皮肉は、既に決闘場へと心の飛んでいるクリスの耳には入らなかった。かくして、クリスと一子を中心とした2-Fメンバーの半数以上が挙ってグラウンドへの移動を開始する。

 目的地を目指して校舎の廊下を歩き、下駄箱で靴を履き替えている間にも、クリスの胸は抑えられぬ期待感に膨らんでいった。英傑の武勇をこの目で見、己の糧とする事ができる――願ってもない幸運だ。織田信長という英雄の人物像はそれを描く作品によって多種多様であり、クリスの中でもこれといった形で明確に定まっている訳ではなかった。しかし、一世を風靡した武士の棟梁であるならば、クリスの学ばんとしている武士道精神の範をこれ以上ない形で示してくれるのは疑いない。強きを挫き弱きを助け、勇猛果敢でありながら仁義と礼節の心を忘れない、そんな“武士”の心を。

 だが――現実はどこまでもクリスの理想とは食い違っていた。

「貴様の道は一つ。俺の覇道に捧げられる、贄となれ」

 暴虐。決闘場にて繰り広げられた光景を言葉にて形容するならば、その一言で事足りた。

 総身に漲る“氣”の、その誤魔化しようのない図抜けた邪悪さと同様に、その振る舞いもまた邪悪そのものであった。凶悪なまでの武勇を振り翳し、誰に憚る事もなく冷酷非情に弱者を踏み躙るその姿は、クリスの思い描く英雄像とはあまりにも乖離していた。

 茫然とした心地のまま決着の時を眺めていたクリスだったが、暴虐の犠牲となり、見るも無惨な姿に成り果てた対戦相手を、信長がゴミでも扱うかのように投げ捨てた瞬間――受けた衝撃の全ては瞬く間に燃え上がる赫怒の炎へと変換された。仁義だけでは飽き足らず、礼にすらも唾を吐くとは!気が付いた時には、クラスメートの制止も何もかも振り切って、決闘場へと飛び出していた。

「おい、お前ッ!」

 込み上げる義憤は、鋭刃の如き怒号と化してグラウンドに響き渡る。もはやクリスは“その男”を自身の憧れた英雄とは認識していない。

――大和は正しかった。そうだとも、こんな外道が、信長公本人であるハズがない。

「お前のような不敬者は、このクリスティアーネ・フリードリヒが義の下に成敗してくれる!――僭越にも織田信長公の名を騙る、恥知らずなニセモノめっ!」

 眼前の暴挙を見過ごせぬ正義感と共にクリスの怒りを煽った感情は、「騙された」という巨大な失望感だった。そう、本物の織田信長でない以上、この男は英雄の名を騙る卑劣な偽者に他ならないのだ。そのような輩の詐術にまんまと惑わされていた自分が恥ずかしい。そういった種類の感情が絡まりあって、クリスをして痛烈な弾劾の言葉を吐かせた。

 この時、ヒートアップするクリスの頭の中に僅かでも冷静さという要素が残っていたならば、或いは別の視点から客観的に物事を考える事が出来たのかもしれない。すなわち、男が“織田信長”という姓名を自ら望んで名乗っているとは限らない、という歴然の事実に。

 だが、ありもしないIfを語ってみたところで意味はない。いかに足掻いても覆水は盆に返らず、吐いた唾は呑めないのだから。この致命的な擦れ違いは両者にとっての災厄を呼び寄せる事になる。それはもはや避け得ぬ、絶対の運命であった。


「――――くくっ」


 始まりは、小さな笑い声だった。

 それが眼前の男、信長が発したものだと気付くのに、クリスは数瞬の時を要した。自身の怒りを叩き付ける様な弾劾の言葉を投げ掛けた以上、よもや「笑う」という反応が返ってくるとは想定していなかったのだ。クリスはその予想外の対応を、侮られている、と受け取った。油を注がれた火はいよいよ勢力を増し、心を焼き尽くす激情に任せて次なる言葉を発しようとした、その時。


「くくくくくくくッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 世界が凍り付いた。

 哄笑が鳴り響く。蹂躙するように、空間を埋め尽くす。

 震撼する。空気が、空間が、身体の芯が、心が。

――なんだ?どうして、自分は――震えている?

 信長はただ、笑っているだけだ。心底からの感情を剥き出しにして、誰に憚る事もなく、遠慮のない笑声を響かせている、ただそれだけの筈なのに……何故、これほどの戦慄が心身を駆け巡るのか。確かに彼がこのように哄笑する理由がない以上、その行為を不可解かつ不気味に感じるのは当然かもしれない。だが、違う。そうではない。“これ”は断じて、そのように平穏無事な理屈で済ませるべき問題ではない。

 右手で顔面を覆いながら、信長は尚も笑い続けている。空気を震わせる声音が鼓膜を叩く度に、呼応するように身体が自然と震え始める。総身をおぞましい悪寒が走り抜け、肌が粟立ち、冷や汗が絶え間なく噴出してくる。ガチガチと五月蝿いほどに歯が打ち鳴らされ、足腰を支える力が抜け落ちていく。

 怖い。怖い。……怖い?そうか、自分は――怖がっているのか。

 自身を襲う感情の正体に気付いた途端、堰を切ったように“恐怖”が溢れ出した。先刻まで心中を埋め尽くしていた義憤の炎は、圧倒的な質量の危機意識に押し潰され、掻き消されていく。肉体に刷り込まれた生存本能に従って、頭脳が必死に警鐘を鳴らしている。今すぐに何もかもを投げ捨てて逃げろ。そうしなければ死ぬぞ、と。

 そして――クリスの予感を現実のものへと変えるべく、禍々しき“死”が形を得て、此の世に具現化する。ふつり、と不自然な唐突さで笑い声が止み、信長は自らの顔面を覆い隠していた手を降ろした。灼熱の殺意に満ちた漆黒の瞳を露にし、彼が唇より紡ぐのは、これ以上なく簡素な呪詛の言霊。

 即ち、

「――――死ね」

 深く果てない呪怨の闇が、拡がる。

 それは正しく、殺気だった。一切の不純物が含まれない、只管に相手を死に至らしめんとする絶対的に凶悪な意志。クリスティアーネ・フリードリヒが今生において目にした事のない、どころか実在を想定した事すらない――冥界の瘴気にも似た暗黒の“氣”。宿主の器より溢れ出した死色の濁流が、怒涛の如き勢力を以って現世を浸蝕していく。生命の息吹の総てを拒絶するかのように、信長を中心とした空間の悉くを塗り潰していく。

「っ、まずいっ」

 逃れようにも、満足に身体が動かない。いかなる訳か、爛々と狂気的な殺意に輝く信長の眼を目の当たりにした瞬間から、芯から凍て付いたように全身の自由が利かなくなっていた。今の状態では、どう足掻いても離脱は間に合わないだろう。このままあの奔流に呑み込まれれば、自分はどうなるのか。

 クリスは軍人の家系の出ではあるが、過保護気味な父親の教育方針もあって、戦地へ赴いた経験はない。命を懸けた決闘に臨んだ経験も、暗殺者の魔手に晒された経験もない。内気功を習得した優秀な武人でありながら、“殺気”に対する精神的な耐性は無きに等しかった。凄まじい威圧感を引き連れて音も無く自身へと迫る闇の浸蝕を前に、クリスの思考が絶望で埋め尽くされた、その時であった。

「――お嬢様ァッ!!」

 眼前に躍り出た影が一つ。迫り来る闇へと向けて両腕を大きく広げ、背後にクリスを庇う体勢で仁王立ちしているのは――マルギッテ・エーベルバッハ。幼い頃から共に育った、誰よりも頼れる姉代わりの女性。その彼女が今、不退転の決意を眼に宿しながら、絶望の闇に敢然と立ち向かっている。クリスが凛々しい守護者の背中に声を掛ける暇もなく、殺気の波濤が押し寄せた。

「ハァァァァッ!!」

 烈昂の気合と共に、マルギッテが闇を受け止める。全身から轟々と立ち昇る火焔の如き闘気が殺気と衝突し、その浸蝕の勢いを抑え込んだ。凄まじい規模を誇る氣と氣の激突によって周囲の空気がビリビリと震撼する中、クリスは大きく目を見開いた。

「マルさんっ!」

 マルギッテが――押されている。歯軋りの音がクリスの元まで届く程の必死さで食い止めているが、凶悪無比な殺意の奔流を前に、少しずつ押し込まれている。未だ呑み込まれてはいないものの、このままでは長くは保たないだろう。そして、その敗因は、他ならぬクリス自身にある。恐らくマルギッテほどの傑出した武人ならば、殺気に耐える事は可能なのだろうが――現在の彼女は背後に控えるクリスをも庇おうとする事で、本来よりも巨大な負担を受けているのだ。彼女の口から漏れ出た苦しげな呻き声が耳に届き、クリスは悲鳴のように叫ぶ。

「ダメだマルさん、逃げるんだっ!このままじゃマルさんが!」

「……お嬢様の命令でも、く、そればかりは承服できません!あらゆる脅威からお嬢様をお守りする事こそが、私が此処にいる意味ッ!死神が相手であろうと――絶対に、引けるものかッ!」

 一歩も譲らぬ信念を込めて、マルギッテが咆哮する。クリスに対しては滅多に見せる事のない烈しい口調が、そのまま彼女の余裕の無さを雄弁に語っていた。

 なんだ、これは。

 徐々に蝕まれつつある闘氣の防壁を見遣りながら、クリスは強く、強く唇を噛み締める。日頃より騎士を名乗っておきながら、この様はなんだ?人々を災厄から護るべき騎士が、自身の大切な人を盾にして、ただ震えながら護られているだけでいいのか?

―――否。断じて、否ッ!!

 際限なく込み上げる悔しさは、クリスの心中にて、不甲斐ない己への怒りへと転じる。口の中に鉄の味が広がった時、恐慌に支配された肉体に、熱が灯った。

 未だクリスには知る由もなかったが、それは人間ならば誰しも心に抱く、“死”という概念に対する根源的な恐怖を、純粋な意志力を以って自力で克服した瞬間だった。精神の拘束が解かれれば、自然の内に肉体は活性化する。心身に気力が充実し、凍て付いた身体機能が急速に戻ってくる温かい感覚を、クリスは自覚した。――これならば、いける。

 クリスは眼前の背中へと歩み寄ると、闘氣の放出によって灼けるような熱を帯びた肉体に、後ろから抱き付くようにして腕を回した。

「お、お嬢様っ!?」

 突然の事態に戸惑ったのか、マルギッテは狼狽の声を上げながら首だけで振り向いた。火焔の如き紅色の瞳と、湖水の如き碧色の瞳が交錯する。クリスは揺るがぬ信念と意志を込めて、その言葉を紡いだ。

「――自分は、騎士なんだ!もう守られるだけのお嬢様じゃない。自分にも、マルさんを守らせてくれ!」

「クリスお嬢様……。ふふっ、ならば遠慮なく、力をお借りしましょう!」

 マルギッテは不敵に笑い、その身より更なる闘氣を迸らせた。そして、クリスもまた体内で練った氣を巡らせ、自身とマルギッテの身体をカバーする。紅と碧、各々の気性を体現した性質の闘氣が絡まり合い、寄り添うようにして美しい氣の膜を織り成す。

 凶悪な勢力を以って浸蝕を続けていた闇色の氣は、二人掛かりで展開された氣の防護壁によって、遂にその進行を阻まれた。

「ハァァァッ!」

「はぁぁぁぁっ!」

 結果として生じるのは、押し返す程の余力は無いが、辛うじて凌ぎ続ける事は不可能ではない――そんな拮抗状態。

 だが、この危うい均衡も、いつまで保つのか。全力で氣を放出して殺気をレジストしながらも、クリスの脳裏には一抹の不安が過ぎる。眼前を埋め尽くす闇色の氣は尽きる気配が無く、もはや視界全体が暗黒に塗り潰されている状態だ。二人の力を合わせる事で今はどうにか対抗出来ているが、生身の人間である以上、クリスとマルギッテの保有する氣は当然の如く有限である。この調子で放出を続けていれば、遠くない未来に限界まで消費し尽してしまう。深淵を思わせる氣の外観と同様、その保有量が底無しの無尽蔵であれば――遅かれ早かれ呑み込まれるという未来は変わらない。

 果てしなく続く殺気の攻勢を前に、胸に抱いた危惧が現実味を帯び始めた、その時――場違いに陽気な声音が、頭上から降り注いだ。

「ははっ、良く耐えたな二人とも!よーし、ジジイ、いけるな?」

「当たり前じゃ、誰に向かって物を言っとるんかのぅこやつは。ルーよ、そちらは片付いたかの?」

「ええ総代、生徒達の避難は無事に完了しましタ!君たち、良く頑張ったネ!ここからはワタシ達が引き受けるヨ」

 流星の如く暗闇を切り裂いて地に降り立ったのは、規格外の氣を纏う三筋の光条。川神鉄心、川神百代、ルー・イー。武道の総本山たる川神院の頂点に君臨する、紛れもなく世界最高峰の武人達。その気になれば一国を容易に攻め滅ぼせるであろうマスタークラスの三人組は、眼前を埋め尽くす深淵の闇へと向けて同時に両の掌を突き出した。厳粛さと力強さを思わせる青白い光芒が一挙に収束し――力が顕現する。


『川神流極技――“天陣”!』


 それは天高く聳え立つ、規格外の大結界。

 眩いばかりの蒼の煌きは、見た目の優雅さからは想像し難い強度を以って、暗黒の侵入を拒絶する。クリスとマルギッテが協力して織り成したものとは比較にならない、呆れるほどに圧倒的なその堅固さは、もはや城砦に喩えるべきだろう。清浄なる蒼の壁面に汚濁の黒が衝突する度、烈しい光の明滅が眼を灼いた。結界の維持の為に氣を放出しつつ、川神百代が愉しそうに笑う。

「はははっ、織田の奴、“あれ”でもまだ本気じゃなかったのか!本当に底が見えないなぁ……どれだけ引き出しを隠し持ってるのやら。あ~、闘いたい、闘いたい闘いたいぞ!なぁジジイ、ほんのちょっぴり位ならやり合っても別に――」

「良うないわアホ!まったく、お前という奴は本当に我慢弱いのう。少しは一子の勤勉さを見習わんか」

「あーうるっさいなぁ、ほんの冗談だよ、冗談!まったく、美少女の小粋なジョークにマジ説教とか。頭の固いジジイはこれだから」

「モモヨの場合はどうにも冗談に聞こえないのが困りものだネ……。ほらほら、ブーたれてないで結界の維持に集中スル!この中で一番若いんだから、モモヨがしっかりしてくれないと困るヨ」

「ルー師範代も見た目十分若いでしょうに。……それに、信長のヤツはどーせ、無駄な事はしないタイプなんで――ああ、やっぱりか」

 百代が言葉を終える前に、事態は動いていた。

 結界の外を隙間なく覆い尽くしていた闇が、急激に霧散していく。晴れ渡る青空が姿を見せ、雲間から降り注ぐ陽光がクリスの冷え切った身体を芯から温めた。あたかも、今まさに恐ろしい悪夢から醒めたかのような心地だった。十秒と経たない内にあらゆる暗黒は視界から消失し、残されたのは闇の根源たる一人の男の姿。

 これほどの暴威を振るった直後であると云うのに、織田信長は普段と変わらぬ平静そのものの顔付きで、静かな無言のまま百代達を眺めている。武神とそれに次ぐ実力者を眼前にして尚、超然とした余裕すらも窺わせるその態度は、もはやクリスの理解の範疇を超えるものだった。同じ人間と相対しているとは、まるで思えない。こういった規格外の存在こそ、真に人外と呼ばれるべき者なのだろう。

――だが、そんな事は、義の前には無関係だ。

 どれほどの怪物であれ、恐怖を以って騎士の心を折る事は出来ない。クリスは総身に活力を漲らせ、凛たる眼差しで信長を射抜く。

「幾ら何でも殺気だけで川神院トップ3の“天陣”は抜けやしない――無理に張り合うだけ徒労だ。まーお前なら当然、そう判断するだろうな。お前はおねーさん的には苛めたくなるくらいムカつく自信家だが、別に馬鹿ってワケじゃないし」

「…………」

 尚も、無言。そして無表情。

 何一つとして目に見える形での反応を示さない信長に対して、しかし百代は気分を害した風もなく、ニヤリと笑みを貼り付けて、親しげな調子で問い掛けた。

「――で。こんだけ暴れれば、さすがに気は済んだんじゃないか?信長」










 

 

 我を忘れる、という言葉がある。俺こと織田信長が、心の底から忌み嫌う言葉だ。

 それはつまり、自己を喪失すると云う事。人生の中で培ってきた人格を見失い、思考力・判断力を強制的に放棄させられるなど、想像するだけで震えが走る恐ろしさではないか。特に俺のように慎重な立ち回りを常に求められる立場の人間の場合、たった一つの判断ミスで積み上げてきたモノが一気に崩れ去りかねないのだ。感情に流されるべからず――俺という人間が常に胸に刻み付けている心掛けである。訓戒として心に刻むだけではなく、現実的な手段として、俺は昔から己の感情を制御する訓練を積んで来た。演技を交えた駆け引きを行う際、状況の変化にいちいち動揺していては柔軟な対応など不可能だ。怒りも哀しみも呑み込んで、精神状態はいつでもフラットでなければならない。

 ならないのだが。たまに、本当にたまにではあるが、俺には致命的なまでに“我を忘れて”しまうタイミングが存在する。勿論、そのような不本意な事態を避けるための努力は日頃から欠かしていない。会う人間の殆どには“その旨”を強烈な殺気と共に警告しているし、大抵の場合はそれだけで決定的な失態は回避できた。俺が最後に本気で自分を見失ったのは、既に幾年も昔の話だ。織田信長の威信が強大になるにつれて、命知らずな誰かが“その旨”をネタにする可能性も低くなっていく訳で、このまま行けば、一生“我を忘れる”事はあるまい――そんな風に安堵していたのが、果たして天のお気に召さなかったのか。

 四月二十七日、月曜日。昼休み。

 俺はものの見事に我を忘れ――そして我に返ったその時には、世にも恐ろしい光景が俺の眼前に広がっていたのである。

「――で。こんだけ暴れれば、さすがに気は済んだんじゃないか?信長」

 フランクな調子で問い掛けてくるのは、言わずと知れた最強生物・川神百代。その右隣には全世界に名を轟かせる武神・川神鉄心。左隣には釈迦堂のオッサンに並ぶ実力者にして武神の右腕、ルー・イー。更にその三人の背後には、殺人的な目付きでこちらを睨み据えている赤髪の軍人。ドイツの猟犬、マルギッテ・エーベルバッハ。更に更にその傍には、この面子の中では幾らかレベルが落ちるものの、学生としては破格の武力を有する転入生、クリスティアーネ・フリードリヒ。

「…………」

 思わず沈黙を選びたくもなろうというものだ。何だこの面子は、これから世界征服でも始める気なのだろうか。攻め込まれる対象は何処の国かは知らないが、こんな核弾頭レベルの戦力と衝突させられるとは哀れなものだ。本当に何処の誰かは知らないが、冥福を祈るとしよう。AMEN。

「流石にこれ以上は見過ごせぬのう。学園の生徒達は皆、人様から預かった子息。万に一つも傷付けさせる訳にはいかん。ましてやクリスの場合、わざわざ口頭で釘を刺されておるのじゃからの」

「キミは自分が何をしたのか分かっているのカ?この前の決闘の時といい、無差別に生徒達を巻き込んデ――あの“氣”は危険ダ、皆を狂わせル!間違ってもこんな一般人の多い場所で使っていいものじゃないヨ!」

「…………」

 ……どうやら呑気な現実逃避をしている場合ではないらしい。心の底から気が進まないが、この残酷な現実をまずは受け止め、現状を把握しなければ。僅かに視線を走らせ、周囲の状況を素早く確認する。

 俺が“我を忘れる”前には結構な数の生徒達が周囲を取り囲んでいた筈なのだが、現在ではその囲みが随分と遠巻きになっている。前回の風間翔一の決闘の時とは異なり、気絶して倒れ伏している生徒の姿は見当たらない。

「成程、な」

 先程のルー・イーの発言――川神院の怪物達が俺の前に揃い踏みしている事実。そして何より、全身を襲う強烈な疲労感と倦怠感が、俺に空白の記憶を埋め合わせる為のヒントを与えてくれる。

「まあ、アレがお前の地雷だって事はなんとなーく分かってたが、それにしてもここまでやるか普通?私達が全員で防ぎに掛かってなかったら真剣でヤバかったぞ。そこの外人コンビが自力で持ち堪えられるレベルの持ち主じゃなかったら、どっかに手が回らなくなってたかもな」

 百代がチラリと背後を振り返りながら言う。その視線を追うと、マルギッテの射殺すような眼光と、クリスティアーネの澄んだ双眸がこちらを真っ直ぐに見返していた。

 ……ああ、事の発端を今になってようやく思い出した。思い出したついでに再び意識がフェードアウトしそうになったが、自制心を総動員して持ち堪える。落ち着け落ち着け、織田信長はクールでクレバーで、そして何より心の広い男だ。小娘の戯言を真に受けてキレるなんて大人気無い事はしない。うむ、まずは深呼吸してゆっくり呼吸を整えてあいつ殺そ――違う、素数を数えて心を落ち着けながらあいつ殺そ――違う。本気で落ち着け、俺。

「……ふん」

 良し。概ね、状況は理解した。空白の記憶は、経験と推測で埋め合わせた。ならば――次は未来を考えるとしよう。

 俺の計算からは著しくズレてしまったが、不幸中の幸いにして、取り返しのつかないレベルの致命傷は受けていない。まだまだ、絶望して全てを放り投げるには程遠い。この程度の窮地、何度も何度も潜り抜けてきた筈だ。真の意味で何も無かったあの頃の俺とは違う。昔日の悔恨を胸に研鑽を重ね、手札を増やし続けてきた。そうだ――俺なら、やれる。

 腹を括り、肝を据えたならば、後は脳細胞を働かせ、舌先三寸を動かすだけだ。俺は小さく呼気を吐き出すと、悠然たる無表情で口を開いた。

「然様な泣き言がお前の口から漏れるとはな、川神百代。俺自らが手を下した訳でもなく、只気迫を以って威を示したのみ。何を無用に騒ぎ立てる?この俺が態々、学園なぞの温いルールに従い、何者にも傷を付けぬよう振舞っているにも関わらず――お前達は、俺を弾劾する心算か?」

「いやいや、殺気もあそこまで行くと単なる気迫じゃ済まないからな。“気で呑まれる”ってのがどういう状態か、お前なら分かってるだろ?耐性のない連中の場合、ショック死ってのは普通に有り得るんだ。特にさっきのアレなんか、本来なら大量に死人が出ていてもちっとも不思議じゃないぞ」

「だが、現実として死者はおろか負傷者すらも出なかった。何となれば――この川神学園には、川神鉄心とルー・イー。そして何より、お前が居る。川神百代」

「お、なんだなんだ、随分と買ってくれてるじゃないか。お前ってヤツは自分以外の人間は誰も彼も見下してるもんだと思ってたが」

「ふん、以前にも言った筈だがな。俺はお前を誰よりも高く評価している、と。その川神百代が居る以上、俺が貧弱な凡夫共に気を遣う必要性など皆無だ。故に、俺はお前の実力に信を置いた上で、規律に抵触しない振舞いを選んだまでよ。其処に何の不都合が、不合理が在る?」

「ん~……そう聞くと別に大した問題は起こしてないような気がしてきたぞ。ウンウン、私がいる以上、学園の平和は約束されてるしな。ご機嫌なおねーさんは鼻歌なんか歌っちゃったりして、~♪~♪」

「モモお前嬉しそうじゃのう……」

 川神百代・攻略完了。ふっ、チョロいな。この織田信長、伊達にストーカー顔負けの緻密さでMOMOYOの人格データを徹底分析してはいない。彼女が武力に見合わぬ単細胞で助かった。武神級の武力に相応以上の智謀まで併せ持つような反則パラメータ持ちならば少なからず手こずるだろうが、まあ天は二物を与えず、だ。よもやそんな完璧超人にはお目に掛かる機会もあるまい。

「ゴホン、織田よ。お主の言い分は分かったがの。じゃがしかし、いくらワシらがおるからといって、学園内でしょっちゅうあんな殺気を撒き散らされては堪ったもんじゃないわい。当事者だけならまだしも、無関係の生徒を巻き込むのは感心できんの」

「ふん、成程。其れはつまり、愚昧な連中の学習能力に期待した俺が莫迦だった、と。つまりはそういう事か?風間翔一との決闘にて、“確実に安全な観客席”など存在せぬ、と俺は実例を以って示してやった筈だが。好奇心は猫をも殺す――物見高い群集どもが観戦に集うのは連中の勝手であるが、其処に些かの危険が伴う事実を連中が承知している以上、仮に巻き込まれようが自己責任と云うものだ。多少の代償を支払う事を恐れるならば、最初から大人しく教室の窓からでも覗いて居れば良い。元より、俺が武を魅せる観客は、価値在る強者のみで十分よ。――この学園の生徒共は揃いも揃って、然様な危機管理すらも侭ならぬ程に愚昧なのか?」

「む、むぅ。確かに決闘の観戦は基本的に自己責任で行うよう規則に定めてはおるが……、しかし今回の場合、また話は別じゃろう。お主とクリスティアーネは決闘していた訳でもないのに、いきなりとんでもない殺気を開放しようとするもんじゃから慌てたわい。ワシが見ておった限り、クリスティアーネの発言がよほど気に障ったようじゃが、それにしても問答無用であそこまでするのはどうかと思うがの」

「価値観の相違、だな。人には誰しも譲れぬ意志が在り、退けぬ一線が在る。その域内を見ず知らずの小娘に遠慮なく踏み荒らされて黙っていられるほど、俺は腑抜けではない。川神鉄心、貴様は川神院の誇りを踏み躙られて、それでも仏の如く笑っていられるのか?――同じ事だ。手を出さず、警告のみで済ませてやった寛容さを称えられこそすれ、然様に責められる謂れはない」

 “織田信長”。この忌むべき名前は、俺にとっての戒めだ。救い様のない弱者だった昔日の自身を忘却しないよう、俺は常にこの名を掲げて生きている。だが、いかに象徴としての役割を果たしていても、反吐が出るほどに嫌いな名である事に変わりはない。無神経に触れられれば平静を保てないのも仕方がないのである。

 ……まあ、ここまで暴走による被害が深刻になってくると、「仕方がない」で済ませるべきではない、か。何かしらの対処策を早急に考案せねばなるまい。

「……キミの力は圧倒的ダと思うヨ。それこそモモヨと較べても遜色ナイくらいにネ。キミが力を身に付けるタメにどれ程のクンフーを積んダのか、ワタシには良く分かル。デモ、だからこそ!だからこそ、その力をそんな風な形で振り翳しちゃアいけナイ!キミの誇るべき“武”は、暴力で他人を押さえつける為に鍛え上げた訳じゃないハズだヨ!」

「……」

 川神院師範代、ルー・イーの熱情に満ちた叱咤を受けて、俺は心中で秘かに苦笑いを浮かべた。

 ああ、あんたの言ってる事は正論だよ。全く以って正しい。だけどな。

――“正しさ”で万人が救われるなら、俺達の世界はこんな風にはなっちゃいないんだ。

 ……力を持つ連中が皆、ルー・イーのように高潔な人格の持ち主だったなら、或いは俺も、蘭も。

「ふん」

 無用な方向へと思考が逸れている事を自覚し、小さな吐息と共に軌道修正。

 少なくとも今は、然様な下らない雑念に囚われている場合ではない。益にならない思考を放棄し、表向きを取り繕う為の仮面を被り直す。

「貴様の武に対する解釈は兎も角――“護身”として武を揮う事が、糾弾されるほどの邪悪であるとは思えぬがな。この学園の中で、俺は自ら他者に攻撃を仕掛けた記憶は無い。何時如何なる場合であれ、降り掛かる火の粉を払ったのみだ。それも相手を壊さぬよう、加減に加減を重ね、手心を加えた上で、な。……此処までの忍耐を俺に強いておきながら、今度は手前勝手な非暴力主義でも押し付ける心算か?ふん、俺はルー・イーを稀代の武人と認識していたが、見込み違いだったやもしれぬな」

 まあ実際には色々とグレーゾーンに踏み込んでいるのだが、それでも真っ黒と言うほどに明確な嘘は吐いていない。2-Fクラスへの侵攻には不死川心の仇討ちという名目があったし、その他のクラスにも侵攻宣言こそしたものの、実際に自分から攻め入った訳ではない。危機感を抱いたり功名心に逸ったりした連中が自分から俺に決闘を申し込み、そして勝手に返り討ちに遭っただけの話。

 無論、言うまでもなく屁理屈だ。絶対的にどうしようもなく屁理屈だが――しかしそれでも、理屈は理屈。最低限の筋は通っている。そして頭の固い武人と云う生物は得てして、相手の言い分に一筋の理でも通っていれば途端に身動きが取れなくなるものだ。ネコや直江大和のような柔軟さがあれば容易に反論が可能だろうが、良くも悪くも武道に生きる男、ルー・イーには難しかろう。そんな俺の目論見の通り、彼は適切な言葉を見つけられなかったらしく、渋い表情で唸っている。

「む、ゥ、しかし――」

「要領の得ぬ説教ならば後の機会にして欲しいものだな。……どうやら、俺に物申したい輩が未だ残っているらしい。くくっ、彼奴らを何時までも待たせておくのは、教師として如何なものだろうな」

 俺の視線が向かう先には、赤髪と金髪の鮮烈なコントラスト。ルーは俺の意図に気付くと、渋面をそのままに引き下がった。

 さて、ここからが本番だ。今回における川神院の面々は、あくまでゲストに過ぎない。俺が真に本腰を入れて対処せねばならないのは――この火種だらけのドイツ人コンビ。背景に控える巨大な権力と軍事力、そして個人の傑出した武勇。総合的に考えて、転入以来に相手にした敵手の中でもトップクラスに厄介な二人だ。間違っても油断など出来る筈もない。

 本番を前にして気を引き締め直している内に、件の二人はこちらに歩み寄ってきていた。警戒しているのか、俺の立ち位置とは3メートルほどの距離を置いて立ち止まり、じっとこちらの様子を窺う。クリスティアーネの正義感に満ちた綺麗な瞳が俺を見据える横で、獰猛な戦意に満ちたマルギッテの眼が監視するように俺の一挙一動を追っている。そんな何とも落ち着き難い状態で、俺達の対話は始まった。威圧的な声音で口火を切ったのは、我がクラスメート――マルギッテ・エーベルバッハ。

「……警告した筈だ、ノブナガ。お嬢様に危害が及ぶような事があれば、私が必ずその喉笛を噛み千切る、と。ただの脅しで済むなどと思わない方がいい。我ら狩猟部隊の本分は、血煙に塗れた“狩り”にこそあると心得なさい」

「ふん。狂犬が、飼い主に従順で在ろうとするあまり、己の頭で物事を判じる術すらも喪ったか?俺はその“お嬢様”とやらの口舌より受けた許し難き侮辱を、些細な懲罰で赦すと決めた。故に、その肌に一筋の傷すらも負わせてはいない。斯様に温情在る処置すらも、貴様の目には“危害”と映るのか?些か、度し難いな。くくっ、それほどまでに小娘が大事ならば、早々に故国へ帰り、己が箱庭の中で丁重に囲ってやるがよかろう」

 その方が確実に互いに迷惑を掛けずに済む。些細な諍いの度にドイツ軍が押し掛けてくるような学園は願い下げだ。親馬鹿の都合で振り回される特殊部隊の面々も負担が減って大助かりだろう。そんな誰もが笑って、誰もが望む最高なハッピーエンドって奴を、俺は待ち焦がれている――いや真剣で。

「マルさん、自分の事を気に掛けてくれるのは嬉しい。でも、今は自分にこの男と話をさせてくれないか?」

「……はい。お嬢様がそう仰るなら。ただし、警護のため、傍に控えさせて頂きますが」

「勿論だ。うん、マルさんが護ってくれていると思うと、自分も安心して話ができるな!」

 朗らかな笑顔を向けるクリスに、マルギッテは柔らかに微笑みながら「光栄です」と答えた。主従のような、姉妹のような。いずれであったにせよ、強固な信頼関係が窺える遣り取りだ。張り詰めた空気が途切れたのは一瞬、クリスはこちらに向き直ると、一転して峻烈な眼光で俺を射抜く。

「まずは、先程の事。話を聞いている限り、どうやら自分はお前にとって、随分と失礼な事を言ってしまったらしいな。お前は織田信長公じゃないが、織田信長公のニセモノでもない。たまたま織田信長公と同姓同名の、織田信長という珍しい名を持つ生徒なんだな?」

「……。……然様」

 こいつまさか俺を怒らせる為にワザと言ってんじゃねぇだろうな、と嫌でも湧き上がる疑念。もしそうだとしたら途轍もなく狡猾な策士だ。そんな思考と同時に、吹けば飛びそうな自制心に必死にしがみ付いて、遠ざかり始めた意識を瀬戸際で繋ぎ止める。どうにか自制出来たのは、相手が素で言っている事が本当は一目で分かったからだ。天然を相手に本気で向き合っていたら絶対にこちらの精神が保たない。適度に流しながら対処していくとしよう。

「そうか、ならば改めて非礼を詫びよう。人が気にしている事に触れるのは良くない。それくらいは自分も分かっているぞ」

「ご立派です。お嬢様(慈愛の目)」

 この二人は俺のスルー力検定でもしたいのだろうか。俺の冷たい視線に気付いた様子もなく、クリスが言葉を続ける。

「自分は、詫びるべき非礼は詫びる。だが――それとこれとは、話が別だ!」

 碧眼の内に煌くのは、義憤の炎。クリスは突き刺すような鋭い目付きで、真っ直ぐに俺の眼を見つめていた。

「先の決闘の中で、お前の悪行、自分は確かにこの目で見届けたぞ。しかも級友から聞いた話によれば、お前はその武を用いて生徒達を脅し、この学び舎を支配しようと企んでいるそうではないか。そのような無法、暴虐、断じて見過ごせるものか!もしもお前のような悪漢を見逃すと云うならば、自分が騎士として掲げる義は廃れてしまう」

「……ふん。で、あるならば、貴様は如何する?」

 一応の形として訊いてはみたが、しかし態々問うまでもなく答えは判り切っていた。数日前、このグラウンドにて初めて互いの視線を通わせた瞬間から、遅かれ早かれこの時が来る事は予想出来ていたのだから。俺は静かな心地でクリスの碧眼を見返し、続く言葉を待った。

「無論、そんな事は決まっている!我が白刃は悪業の輩を裁く為にある。義の名の下に、いざ成敗してくれる!――2-F所属、クリスティアーネ・フリードリヒ!川神学園の掟に則り、お前に決闘を申し込むッ!!」

 通りの良い明朗快活な声と共に、ワッペンが地面へと放り投げられる。真っ直ぐで力強い、堂々たる宣戦布告だった。織田信長の叩き付ける強大な殺意を前にして臆する事無く、彼女はひたすらに己の信じる正義を貫き通さんと剣を取る。

 本当に――吐き気を催すほどに凛々しく、美しい。

 彼女の如く精神に一本の芯が通った人間は、時に信じられない程の強靭さを見せるものだ。掛け値なしの俺の全力……ある意味では“殺風”の勢力をも凌駕する殺意を浴びせられたであろうにも関わらず、彼女はその脅威と恐怖を乗り越えて、怪物退治に挑む騎士の如き勇敢さで、俺の前に立つ。

――参ったな。“今の俺”では、到底敵いそうにない。

 純粋な力量云々ではなく。正直に言えば、今の俺は、こうして立っているだけでも限界を突破してしまいそうな程に追い詰められているのだ。

 “我を忘れていた”間の俺はどうやら、怒り狂うあまり滅茶苦茶な殺気の運用をしたらしい。無意識の内にリミッターを解除した俺は、継続力もコントロールも一切考慮しない、文字通り全力全開の暴走という形で殺気を放出していたのだろう。結果、威圧効果の瞬間的な火力は“殺風”をも超えていたかもしれないが、お陰で精神力が完全なガス欠状態だ。もはや常時展開している小規模な威圧を継続する程度の余力しか、俺には残されていない。“殺風”はおろか、“蛇眼”も“死の鷲掴み”も“氷陣”も発動不可能。精神力の消耗に伴い、集中力も反射神経も大いに鈍っているので、生命線たる回避行動も満足に行えないのが現状だ。

 まさしく手足を捥がれたかの如き惨状。だが……焦る必要は無い。幸いな事に、自身には成し得ぬ仕事を託せる“手足”が、俺には居る。従者第一号の状態を考えれば、ここはやはり第二号の出番だろう。

 遠巻きに俺達を囲む観客の中に紛れて、虎視眈々と登場のタイミングを窺っているであろう二人目の直臣に指示を出すべく、俺がポケットの中に忍ばせた指先を動かそうと試みた、その瞬間だった。


「――お待ちを。その決闘の相手、僭越ながら、私に務めさせて頂きましょう」

「―――ッ!?」

 
 不意に響き渡った静かな声音に、クリスとマルギッテの両者が驚愕に眼を見開く。否――彼女達だけではない。恐らくは、俺も。ほぼ確実に、何かしらの反応が面に漏れ出ていた事だろう。織田信長の強固な仮面が一瞬とはいえ剥がれ落ちる程の驚愕と、衝撃。

 声の主は、蘭。森谷蘭、だ。織田信長の一の従者にして、懐刀。俺の幼馴染で、共犯者。地獄の旅の、道連れ。

 長年を共に生き抜いた一蓮托生のパートナー。顔を見忘れる事など、有り得ない。しかし――それでも。それでも、疑問に思わずにはいられない。これは本当に、“森谷蘭”なのか、と。

「お初に御目に掛かります。私は、畏れ多くも信長様の従者を務めさせて頂いている、森谷蘭と申します」

 容姿そのものに何かしらの変化があった訳ではない。爪先から頭頂部に至るまで、何処を眺めても普段通りの蘭だ。しかし、その身に纏う雰囲気は、まるで――幽鬼のそれだった。青褪めた顔色に、虚ろな双眸。異常にまでに稀薄な存在感と、欠落した生命の息吹。妄執だけで肉体という器を操っているかのような、不気味な空虚さを総身に漂わせている。

 確かに昨日の一件以来、蘭の調子が普段通りでなかったのは事実だが、しかし間違ってもこのような有様ではなかった。どこか心此処に在らず、といった様子でぼんやりしていた程度のもので、ここまで異常な様相を呈してはいなかった筈なのだ。

「……知っているかもしれないが、自分はクリスティアーネ・フリードリヒ。それで、決闘の相手を務める、とはどういう意味なんだ?自分は信長公、じゃない、ノブナガの悪辣な振舞いを見過ごせなかったからこそ、決闘を申し込んでいるんだ。お前と刃を交える理由はないんじゃないか」

「貴女には無くとも、私にはあるのですよ、フリードリヒさん。私は信長様の忠実なる臣下なれば、その御身をお守りするのが使命。故に、貴女が主に刃を向けると云うならば、まずは私と刃を交わして頂かなくてはなりません。――蘭の忠義に懸けて、主の“敵”は悉く、討ち果たしてご覧に入れます」

 違和感はそれだけではない。“忠”の一字が人の形を取ったと形容しても過言ではない、忠実無二の従者たる蘭が――俺の命令もなしに、完全な独断で動いているという矛盾。確かにこの場面においては、満足に動けない俺の代わりに手足たる蘭が動く、という構図は何ら不自然ではない。だが前提として、何の合図も打ち合わせもなく、蘭が自身の判断で自主的な行動を起こす事は有り得ない筈なのだ。

 その表情から思考を読み取ろうと試みるも、空虚を掴もうとしているかの如く、手応えがまるでない。考えが読めない。心を見通せない。それは人間として至極正しい在り方で――だからこそ、不可解。

 …………。

 そもそも――蘭は、何時から其処にいた?

 俺とて拙いながらも気配探知の術は心得ているし、何より慣れ親しんだ蘭の気配は眼を瞑っていても容易に探り当てる事が出来る。であるにも関わらず、こうして肉声を発する瞬間に至るまで、俺は蘭の存在に欠片も気付かなかった。まるで何事も無かったかのように、俺の三歩後ろの定位置に平然と控えている忠実なる我が従者は、今まで何処に居たというのか。

「おおっ、忠義!そうか、ランはサムライなんだな!主君として選んだのがあの悪党と言うのは自分にはちょっと理解し難いが、まあそこは重要じゃない。遂に本当の“武士”と剣を交えられる――そう思うだけで自分は、まさに血湧き肉踊る気分だ!」

「……では、承諾と受け取っても宜しいですね。ならば、2-S所属、森谷蘭。偉大なる主の代理として、決闘の申し込みを受諾します」

 蘭が自らのワッペンを静かに投擲し、クリスの放り投げたそれと交差するように重ねる。それは、決闘の成立を万人に知らしめる儀式。

 淡々と。驚く程に呆気なく、事態が進行していく。別に誤った方向に進んでいる訳ではない――蘭の行動は、間違いなく“正しい”。俺が脳裏に描いた最適解を、そのままの形で実行に移しているに過ぎない。そして、正しいが故に、下手に口を差し挟んで流れを阻害する事も出来なかった。

 いかに蘭の行動が計算外のものであったとは云え、織田信長に実質的な不利益をもたらす訳でもない以上は、こんな風に殊更に騒ぎ立てるべきではないのかもしれない。が、しかし。

「……お待ちください、お嬢様ッ!私にもクリスお嬢様をお守りするという使命があります。ですから、ここは私が――」

 蘭の発する得体の知れない雰囲気を感じ、曖昧な不安に駆られているのは俺だけではなかったらしい。マルギッテは険しい表情で歩み出ると、諌めるような口調で声を上げる。

「ん、何を言ってるんだマルさん?これは他ならぬ自分が義を貫くための決闘なんだ、マルさんに任せるのは流石に筋が通っていないだろう。それに、もう既に決闘の儀は成されたんだ。賽が投げられた以上、今になって取り消そうというのは、騎士としていかがなものだろうか」

「しかしっ、お嬢様!」

「それに――さっきも言ったじゃないか、マルさん。自分はもう守られているだけのお嬢様じゃないんだ。自ら率先して義を示す事すら出来ない人間が、人の上に立つフリードリヒの家門を継ぐ事など出来るものか。私は偉大な父様の後継者として相応しい自分になるためにも、ここで退く訳にはいかないんだ!」

 明瞭に言い切るクリスの返答は、梃子でも動かせない頑固さを思わせた。フリードリヒ家のお嬢様は、一度こうと決めたら徹底的に前へ前へと突き進むタイプらしい。どう足掻いても説得は不可能だと悟ったのか、マルギッテはクリスから視線を逸らし、威嚇するような獰猛な眼光で蘭を睨み据える。軍人としての経験か、或いは猟犬としての本能が、何かしらの危険を蘭から感じ取ったのだろう。

 具体的な証拠が存在せずとも、長年を掛けて培ってきた“勘”こそが真実を教えてくれる事例はさほど珍しくない。俺もまたマルギッテと同様に、正体不明の不吉な危機感を覚えていた。すなわち、今の森谷蘭を放置すれば――何かが。何か、誰かにとって、良からぬ事が起きるだろう、と。

「…………」

 ならば、どうする。精神力を消費し尽くした俺は実質的な戦力としてはもはや使い物にならず、下手に決闘に首を突っ込んでも足手纏いにしかならない。弁舌を以って場を誘導するのは俺の得意分野ではあるが、しかしこの状況からクリスの頑固な意志を曲げさせるには材料が足りない。命令によって蘭を下がらせたとしても、場を取り繕う手段がない。故に、俺自身の手では状況を変えられない――それならば。

「そういうコトなら私が出れば一発解決!じゃっじゃ~ん、ご主人の心のお供、明智音子の参上だよん」

 もう一本の手足を用いて、己の意に沿う状況を作り上げるだけだ。

 能天気で陽気な声と共に、サイズの合わないロングコートを颯爽と翻し、ねねが俺の傍に現れる。ギャラリーの中に居たねねは俺達の会話の具体的な内容を聴き取る事は出来なかっただろうが、しかしこの見た目アホっぽい猫娘は常人以上に頭が回る。物事を委細漏らさず観察し、織田信長を取り巻く状況から判断した結果として、俺が何を望んでいるのか、何も言わずとも理解できる筈だ。

 ねねは理知を湛えた静かな眼差しでクリスとマルギッテ、そして蘭の姿を見渡し、最後に俺の方に向き直ると、ニヤリと不敵に口元を吊り上げた。

――合点承知、任せといてよご主人。

「黙って見てれば私を除け者にしてワイワイと、ちょぉーっと酷いんじゃないかな皆さん。ご主人の従者はランだけじゃないんだよ?クリス先輩、でいいのかな。くふふ、キミがご主人に喧嘩を売るのは自由だけど、そういう話ならまずは私を通して貰わなきゃ困るね」

「ん?ん?いまいち話が見えないが……お前もノブナガの家臣、という事なのか?」

 唐突なねねの出現に混乱しているらしく、クリスはクエスチョンマークを頭上に浮かべながら問う。

「そそ。頭脳明晰にして一騎当千、綽約多姿にして雲中白鶴。誰もが羨むパーフェクトサーヴァント、その名は明智音子!よろしくねセンパイ。んでもって、パーフェクトな私は当然ながら忠誠心もパーフェクトなワケで、ご主人に楯突こうって人間を見逃したりは出来ないんだよね」

「ん~、つまりお前もまた、忠義によって主君を守るサムライと言うコトだな!ならばノブナガに挑む前にお前も突破しなければいけないのだろうが……ひとまず今はダメだ、自分には先約があるんだ。また後で存分に仕合おうじゃないか」

「いやいや、そんなつれないコトを言わないで欲しいなぁ、センパイ。私だってご主人の為に闘いたくて仕方ないんだからさ。嗚呼、このやり場の見当たらぬ忠誠心を如何せん!うふふ、それにさ――そっちのおっかない軍人さんも、ちょうど私と同じ考えみたいだよ?」

 悪戯っぽい笑みを湛えながら、ねねはマルギッテを顎で指した。クリスが釣られるようにして彼女へと視線を向けると、マルギッテは真面目な表情で深々と頷いて見せる。

「だからさ。こんなのはどうかな?」

 そう前置きしてから、ねねが提案したのは――タッグマッチ。蘭&ねね、クリス&マルギッテのコンビによる決闘だった。この提案に対し、騎士たる者は自分一人の力で道を切り開かないと云々、と最初は難色を示していたクリスだったが、ねねの思考を引っ掻き回すような小賢しい弁舌と、何よりマルギッテの強い要望に折れる形で渋々ながら承諾する事になる。もう一方の当事者たる蘭は終始、無言だった。何を考えているのか、或いは何も考えていないのか、それすらも俺には判らない。
 
 …………。
 
 何はともあれ、ねねは俺の望んだ通りの仕事をしてくれた。正確にはこれからより一層働いて貰う事になるのだが、こうしてタッグマッチ形式の決闘をセットアップする事に成功しただけでも十分な功績と云えよう。次なる問題は勝算だが――マルギッテとクリスは紛れもなく世界で通用するレベルの強者であり、それに引き換え、こちらの持ち札である蘭は不安定性の塊と化している。つまり必然として、戦の趨勢はねねの働き次第という事になるだろう。その小柄な身体に掛かる責任は大きい。果たして、どう転ぶか。

「――これより川神学園伝統、決闘の儀を執り行う!両者とも、名乗りを上げるが良い!」

 暫くの時を経て、川神鉄心の号が、清々しい青天へ届かんばかりに響き渡る。“織田信長当人が決闘に参加しない”と云う事でひとまずは安全だと判断したのか、遠方まで避難していた生徒達は再び賑やかなギャラリーを形成している。その集団へと新たに校舎から見物に訪れた面々が加わり、現在では全校生徒の半数を超えるであろう観客がグラウンドに集っていた。悪名高き織田信長の手足と、外国からの転入生の二人組――いずれの要素も、物見高い学生達を引き寄せるには十分な話題性を持っているのは言うまでもない。

「2-S所属、森谷蘭。私の刃は主が為に。いざ尋常に、お手合わせ願います」

「1-S所属、明智音子だよん。くふふ、久々に手応えのある闘いが出来そうだね」

「2-F所属、クリスティアーネ・フリードリヒ!ノブナガの野望を砕くためにも、自分は必ず勝つ!」

「2-S所属、マルギッテ・エーベルバッハだ。……“猟犬”の誇りに懸けて、お嬢様には指一本触れさせません」

 幾百の眼が見守る先では、四人の女子生徒が対峙していた。手には各々の得物を力強く握り締め、譲れない想いを闘志に換えて、鍛え上げてきた武を以って戦に臨まんとしている。弱卒は居ない。この場に立っているのは、一線を踏み越えた武人のみ。学生の域を遥かに通り過ぎた激闘の予感に、観客達の醸し出す興奮と熱気の渦は勢力を増すばかりだ。

「…………」

 俺はギャラリーの最前列にて、2-Sの面々と共に彼女達の様子を観察していた。否、正確には、蘭の姿だけを、じっと目で追っていた。礼儀正しく品のある挙措で対戦相手と向かい合う姿は、一見して日頃より見慣れた蘭と何も変わらない。しかし――


『わたし、どうして――“ここ”を、知っているんでしょう?』


 嫌でも脳裏を過ぎるのは、あの言葉。黄昏色に染まる公園で、蘭が垣間見せた異変の兆候。

 一体、何が始まろうとしているのか。或いは――何が、終わろうとしているのか。

 不吉な予感。俺の胸中を覆う暗雲とは無関係に、時間は進む。決闘者達は名乗りを終え、観客達の熱狂は加速する。

 
 そして今、川神鉄心の大音声が、死闘の幕開けを告げた。


「いざ尋常に――はじめぃっ!!」
















 



 

 購入二年目のPS3が天に召されました。まじこいRの購入を検討していただけにこれは辛い……これを機に新型に変えるべきなのか。
 という個人的事情はさておいて、後編をお送りいたしました。暴走中の信長の殺気は、DQで言うところのマダンテだと思って頂けると分かり易いかと思います。一時的にマルギッテとクリスを封殺出来る程の瞬間火力を誇る代わり、これ以上なく燃費が最悪という、正常に頭が働いている状態なら間違っても使用しないような技です。リスキー過ぎて。
 KYじゃないクリスはクリスじゃない、と改めて思う今日この頃。それでは、次回の更新で。


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