「けっ。何が悲しくて俺様、S組の奴らの内輪揉めなんぞを見物しなけりゃいけねぇんだ」
「またそういうこと言う。S組の転入生の女子がレベル高いらしいから見に行こうって最初に言い出したのはガクトだからね」
「なんだよモロ、お前だって内心じゃ気になってる癖しやがってよ。やれやれ、これだからムッツリスケベは嫌だぜ」
「何でそこまで言われなきゃいけないのさ!……あ、噂をすれば。来たみたいだね」
現在時刻は午後一時ジャスト。昼休みの終了と第五限の開始を告げるチャイムが川神学園に鳴り響く。
その音とタイミングを合わせるように、決闘の舞台として指定した第一グラウンドに俺達は足を踏み入れる。
ざわ……ざわ……
噂の転入生、織田信長と森谷蘭。
その姿に、どよめきと共に不特定多数の視線が向けられた。
「おお、見ろ。どうやらヨンパチ情報は正しかったみたいだぜ。顔もスタイルも一級品、ありゃあ確かに結構な上玉だ。チェックしておこう」
「うん、そうだね。……でも、それよりも僕は、男の転入生の方が気になるかな」
「なんだ?モロお前、まさか―――、つ、ついに目覚めちまったのか!?」
「違うよ!無理矢理ヘンな方向に話を持って行くのやめてよね!しかも“ついに”ってどういう意味さ!……僕が言おうとしてるのはその、なんて言うか……」
「まあ、モロの言いたい事は分かる。あの転入生、雰囲気が明らかに普通じゃない。君子危うきに近寄らず、だ。軍師として意見するなら、あまり関わらない方がいいと思う」
「大和の意見に賛成だな、あいつは何だかヤバイって俺の勘が告げてるぜ。ってか見てるだけで普通にコエーもん、あいつ。いったい何者なんだろうな」
「安心して、キャップ。ファミリーのみんなには絶対に手を出させないよ。そして大和の貞操は私が頂く。じゅるり」
「助けてゲンさん!俺を強姦魔から守って!」
「アホか、てめえらの痴話喧嘩に俺を付き合わせんじゃねぇ。……しかし、早速騒ぎを起こしやがったな、信長の野郎。何考えてやがるんだか」
先程の校内放送で決闘の情報を知らされた所為だろう。俺達が到着した時は、既に相当な数の生徒が決闘の見物人としてグラウンドに集まっていた。
2-Sの生徒は勿論のこと、恐らくは他のクラスや学年が違う生徒達までもが挙って姿を見せている。
もはやちょっとしたお祭り状態だ。このまま全校集会でも始められそうな勢いであった。
「あわわわわ、す、凄いプレッシャーです。この学園はあんな強そうな方達ばかりなのでしょうか……うぅう~、松風、由紀江は入学したばかりなのに自信がなくなってきました」
『いやいやオラの見た感じ、アレはちょっとまともじゃねぇよ。自信持ってこうぜまゆっち!』
「ねぇ見て。黛さん、また携帯ストラップと喋ってるよ……」
「え、なにそれこわい……」
「なんて禍々しい気迫。間違いなくあの男が二年生のトップね。面白いわ、この川神学園のレベルがどの程度のものか、私のプッレ~ミアムな眼力で見極めてみせる!」
五限目がもう始まっている時間にも関わらず、この異常なまでの集まりの良さ。川神学園における決闘というイベントが、いかに全校生徒の注目を集めているか分かろうというものだ。決闘者の俺達が転校生である事も関係しているのだろう。
それにしても、こうも多くの人数に抜けられると、もはや授業が成立しなくなりそうなものであるが、その辺りはどうなっているのだろうか。
「はぁ。あいつ、転入早々騒ぎを起こしやがって。せめて学校の中でくらいは大人しくしていて欲しかったんだけどねぇ。オジサンは悲しいぜ、全く。……ところで梅子先生。どうですか、今晩一緒に食事でも」
「お断りします。予定がありますので。というかその誘いは幾らなんでも脈絡が無さすぎるでしょう、宇佐美先生」
「やれやれ、この巨人が女一人も口説けなくなっちまうとは。年月の流れってのは残酷なもんだ」
「成るほど……、彼が総代の言っていた転入生カ。己の目で確かめルまでは信じられなかったケド、確かに釈迦堂並みに危険な気配を漂わせてるネ。まだ百代よりも一つ年下のハズだというのに、末恐ろしい事だヨ」
全校生徒というか、教職員の皆様方も決闘に興味津々のご様子だった。これではもはや授業が成立するしない以前の問題である。
そんな群衆達が作る輪のド真ん中、即ち広大な第一グラウンドの中央にて。
既にウォーミングアップを終えたのか、堂々と腕を組んで待機している英雄とその従者の姿を確認すると、俺は蘭を従えて二人の元へと向かう。
直ぐそこに迫る対決の時に、否が応でも高まる緊張と心音、そして静かな興奮。じわじわと脳内麻薬が分泌され、身体に気が漲ってくる。
こうなると俺はいまいち加減が効かない。日常生活に支障が出ないよう、常に抑え込んでいる殺気が溢れ出してくるのだ。
「ひ、ひぃっ!?」
「ば、バカ、早く下がれ!目を付けられるぞ!」
「でも、あ、足が震えて動かないよぉ~」
「くそ、世話を掛けさせやがる!ほらエミ、掴まれって」
「あ、ありがとうケンジ……」
そんな状態の俺が近付くと、生徒達は一様に怯えながら慌てて道を空けた。
モーセの奇跡を再現するかの如く、進行方向を遮っていた人垣が自然と割れていく。その際に何ともラブコメ臭のする腹立たしいやり取りが聴こえたのは気のせいと言うことにしておこう。
そうして織田信長の為に造られた道を、俺は悠然とした歩調で進む。
「くくく」
ああ、なんとも気分がいい。俺にしては珍しく、勝手に口元が歪んだ。
何度経験しても、この瞬間は爽快だ。己という存在が如何に強く畏怖されているのか、全身を以て体感する事が出来る。
全世界に息づくありとあらゆる生命が、彼らと同様に俺を畏れてくれればいいのだが。そうなれば、俺自身は何も恐れる事無く気ままに生きていけるものを。
そんな下らない夢想を描きながら歩けば、気付いた時にはグラウンドの中央まで辿り着いていた。
「フハハハハ、良くぞ逃げずに来たな庶民よ!その度胸は感嘆に値するぞ。褒めて遣わそう!」
「俺を見下すな、と言った筈だ。お前の愚かしい思い上がりが何時まで続くか見物だな」
馬鹿笑いで出迎える英雄に冷たい語調で言葉を返し、真正面から向かい合う。
「…………」
「…………」
一方、蘭とあずみはそれぞれ無言で睨み合っている。決闘が始まるまでの僅かな間に、互いの実力を見定めようとしているのだろう。対戦相手の情報を事前に多く得れば得るほど、比例して勝機は増す。
あずみの両手には小太刀。九鬼英雄の専属メイドはどうやら二刀流の使い手のようだ。対する蘭の得物は、普段は教室に飾られているレプリカの日本刀である。
「そう言えば、九鬼英雄。お前は武器を所持していない様に見受けられるが?」
「フハハハ、我が鍛え抜かれし黄金の肉体はそのものが既に武器も同然。それに、我の刃はあずみ一人で十分であるからな!」
「ふん、成程。どうやら主義は俺と変わらぬらしい。気に喰わん事だ」
「ぬ、貴様も武器を持っておらんのか?庶民が我と同じ条件で競おうとは不遜である。が、その意気や良し!」
一見した限りでは完全な徒手空拳の俺に、英雄はむしろ好感のようなものを抱いたらしい。なかなかに愉快そうなご様子だ。
実際のところを言うなら、制服ズボンのポケットに護身用の匕首(レプリカ)を忍ばせていたりする俺だが、その事をわざわざ教えてやる必要はあるまい。
それに、この匕首を使用するのはあくまでも最終手段になるだろう。
不意討ちなどという姑息な手段で勝利を掴んだとしても、織田信長の名に傷が付くだけである。そんな勝ち方に意味は無い。ポケットから取り出さないままで済むなら、それに越した事はなかった。
逆を言えば、決闘の中で圧倒的且つ絶対的な余裕と実力を見せつける、その目的さえ果たす事が出来るなら勝敗はさほど問題ではないのだ。
「さて、お主達。そろそろ始めても良いかの?」
「ああ。問題はない」
「うむ、我は待ちくたびれたぞ。早く始めるがいい」
何時の間に現れたのか、俺と英雄の間に立った川神鉄心の問い掛けに、俺と英雄は頷いた。
それを見届けると、鉄心は俺達に向かって頷き返し、静かに息を吸い込んだ。
「―――これより川神学園伝統、決闘の儀を執り行う!!」
張り上げられたその声は老人のそれとは思えぬ力強さを以て、グラウンド全体に伝播した。
途端に湧き上がる生徒達の歓声に包まれながら、俺と蘭、英雄とあずみは改めて名乗りを上げる。
「ワシが立ち会いのもと、決闘を許可する。勝負がつくまでは何があっても止めぬが、勝敗が決したと判断された後も攻撃を続けようとした場合は、ワシが介入させてもらう。よいな?」
「うむ。承知したぞ」
「元より一撃当てれば片の付くルール。無闇に追討ちを掛ける必要もない」
鉄心の確認に頷いてみせながら、俺はちらりと後ろに控える蘭に目を遣った。
予想通り、どうにも固い顔をしている。身に纏う雰囲気もいつもより多分に張り詰めていて、触れれば噛み付かれそうな危うい予感を見る者に抱かせた。
勿論、目前に迫る決闘への緊張もあるのだろうが、それはあくまで原因の一つであって、俺の見立てでは主な理由は別にある。
やれやれ。先ほど釘を差しておいたとは言え、この分だとやはり覚悟はしておく必要がありそうだ。俺の計算通りに事が進めば、確実に“そうなる”訳だし。
過去、幾度矯正を試みたところで遂に治る事はなかった我が従者の悪癖を思って嘆息していると、賑わっていた観客のざわめきが静まっていく。
「主、御用意を。どうやら始まるようです」
「心得ている。蘭。己が如何動くべきであるか、判っているな」
「ははーっ!この身を盾と為して主を守護し、この身を刃と為して敵将を討ち果たして御覧に入れます!」
「うむ。苦しゅうない」
さて、ようやく舞台の幕が上がる。
川神学園における最初の試練。初っ端から容赦なく過酷極まりないが、ここを無事に乗り越えて初めて、俺は本当の意味で学園生活を始める事ができるだろう。
ならば、精々気張らせてもらうとしようか。表向きは余裕綽々と手を抜いて、その裏側では常に全力全開。それが俺こと織田信長のスタンスである。
これまで幾度となく繰り返してきたように―――障害物は、排除するのみだ。
「いざ尋常に……」
あずみが小太刀を、蘭が打刀を鞘から抜き放った。各々の構えを取りながら、互いが互いの主君を庇う様に、前方へと踏み出す。
そして。
「――――はじめぃっ!!!」
決闘の始まりを告げる鉄心の声と同時に、両者の刃が激突し、火花を散らした。
九鬼家メイド長兼九鬼英雄個人のボディーガードを務める忍足あずみは、当然の如く素人ではない。
あらゆる戦闘術・暗殺術を身体に叩き込み、戦場を渡り歩いては傭兵として幾多の命をその手で刈り取ってきた、云わば殺人のプロである。
今では前線を離れ、メイドとして平和な日常に順応しているものの、その圧倒的な腕前は未だ衰えていない。
故にあずみにとって、平和ボケした島国の女子高校生などまるで相手にもならない、筈であった。
「さっさとやられちゃってください☆私には英雄様をあのおっかない男からお守りする義務があるんですよ~」
「左様な事は、私とて同じです!この身を以て盾と為す。そう主に誓った言葉を反故にするなど、絶対に許されません!」
鍔迫り合いの最中、激しい語調と共に蘭が力を込めると、あずみは舌打ちしながら飛び退さる。
既に決闘の開始から数分が経過していた。元々は十秒以内には片を付けるつもりでいたあずみにしてみれば、この結果は計算違いも甚だしい。
刀を正眼に構え、凛とした表情でこちらを見据えるおかっぱ頭の少女―――森谷蘭。
はっきり言って、その戦闘スタイルに特徴的な所はない。地味、と言ってしまってもいいだろう。
観衆の目を惹く様な派手さ、華々しさは彼女の剣には存在しなかった。見栄えの良い応用技には目もくれず、ただひたすらに剣術の基礎のみを徹底的に鍛え続けて来た。蘭の振るう剣は、そういう類のものだ。
あくまで基本に忠実。地味故に堅実。だからこそ、攻略の糸口がまるで見つからなかった。蘭はどのような場合においても無理というものを一切しないため、隙を見せる事も殆ど無いのである。
下手に斬り掛かれば寸分狂わぬタイミングで正確無比なカウンターが返ってくるし、ならばと敢えて退いてみせ、誘いを掛けてみても決して自分から追ってはこない。
己の領分を弁えている人間は、己の力量を過信している人間と比べて何倍も厄介な相手となるものだ。森谷蘭には、文字通りの意味で油断も隙もありはしない。
立ち居振る舞いからして何かしら武道の類を嗜んでいるとは予想していたが、まさかここまでのレベルとは想像の埒外である。
「参りましたね~。正直な話、一秒でも早く英雄様の元へ駆け付けたいんですけど」
チラリ、と横目で己が敬愛する主人の姿を確認する。視界に映るのは、こちらの様子を見物しながら何事か会話を交わしている、主人ともう一人の男……織田信長の姿。
二人の主君はまずは従者同士の対決を見届ける事で合意を得たのか、互いに接近しながらも相争う姿勢は見せなかった。その事実にあずみはひとまずは安心を覚える。
あの男が主人に対して「何か」をやらかしはしないかと、あずみはそれを危惧していた。
そんな不安を抱かずにはいられない程に、信長という男の纏う雰囲気は危険極まりないものなのだ。かつて戦場という戦場で敵兵の血飛沫を浴びたあずみですらも、あの男が放つ高密度の殺気はかなり堪えた。
今のところは何も仕掛けてはいないようだが、あまり長時間、信長を主人の傍に放置する訳にもいかない。主人の身に万が一の事が起きる前に、不安の種は取り除いておかねば。
……ならば、早々にこの決闘に終止符を打つ必要があるか。
「果たし合いの最中に余所見、更に考え事とは!いい度胸ですねっ!」
やや苛立った様子で声を荒げながら、蘭が一歩を踏み込みつつ横薙ぎに刀を振るう。
「教科書通りの動きじゃ、防御は出来ても私に攻撃なんてムリムリ!ですよ☆」
その太刀筋はひたすらに早く鋭く、しかしながらあまりに真っ直ぐ過ぎる。フェイントすら碌に織り交ぜられていない蘭の判り易い動きを事前に予測するなど、百戦錬磨のあずみにとっては容易い事であった。
あずみは右手の小太刀を蘭の斬撃に重ねて受け流しつつ、同時に左手の小太刀による反撃を繰り出す。
「くっ!」
首筋を狙ったあずみの一撃必殺の刃は、蘭が咄嗟に上体を後方へ傾げた事で空を斬る。
しかしそんなやや無理のある避け方は、蘭の体勢を崩させる。彼女が後方へと僅かにたたらを踏んでいるその隙に、あずみはさり気なく立ち位置を移動させていた。
距離は目測にして五メートルと二十六センチ。充分に、狙い撃てる距離だ。
目標は、あずみから見た蘭の立ち位置の、その延長線上。角度修正は非の打ち処もなく、完璧。
予めグラウンドより拾い集め、メイド服のポケットに仕込んでおいた小石の一つを、その手の中にそっと握り締める。
――――従者が相手側の主に一撃入れれば勝ち。
例えそれがどれほど矮小で非力なものであったとしても、当たれば一撃は一撃である。
卑怯などとは言わせない。恨むなら、このルールを提案した自分を恨む事だ。
再び踏み込んできた蘭を先程と同様に片手でいなす。と同時に、残った片手が小太刀を手放して地面に落とすと、即座に握り込んでいた小石を流れるようなサイドスローで投擲した。
計算上、信長の視界からは、従者の身体が障害物となってその瞬間を捉える事が出来ない筈である。自らに飛来する小石の存在に気付いた瞬間には、手遅れだ。
更に言うなら、忍足あずみの投擲技術は随一。コントロールには絶対の自信がある。
これで決まりだ。
己の手を離れた石礫の行方を見守りながら、あずみは半ば勝利を確信していた。
それは、これ以上ないほどに的確な不意討ち。
完全な死角より突如として飛来する礫に反応する事など出来ず、為す術もなくその直撃を受ける――――という事はなく。
俺は軽く首から上を動かすだけの僅かな動作で、恐ろしい事に顔面を狙ったその一撃を回避する。
風切り音を立てながら、相当な速度で顔のすぐ横を通過する石礫。もし当たっていたら割と洒落にならないダメージを被っていただろう。そう思うと、少し肝が冷えた。
「……あれをこうも簡単に避けますか。冗談じゃないですね、これだから化物は困ります~」
「ふん。斯様な下らぬ小細工が俺に通用すると、本気で思っていたのか。愚昧も過ぎれば嗤うしかないな」
今の一撃で仕留められる自信があったのか、苦々しげな表情を作るあずみに向かって、俺は嘲笑うように言い放つ。
「申し訳ございません、英雄様ぁ!決着を付けられませんでした」
「いや、あずみよ、お前に落ち度はない。あの奇襲、並の者ならば間違いなく決まっていたであろう」
あずみ本人と英雄、そして観客達の目には、俺が彼女の完璧な不意討ちを純粋な反射神経と身体能力だけでいとも容易く回避してのけたように映るだろうが、実際のところは勿論違う。
だからと言って偶然に頼った訳でも助けられた訳でもなく、この結果は云わば、定められた必然であった。
具体的に種を明かすならば。俺には最初から、あずみの行動が読めていたのである。
お互いの主に対して一撃でも入れれば勝ち、というルールがこの決闘の枠組みに存在している以上、間違いなくあずみはそれを利用しようとすると俺は踏んでいた。
今まで交わした会話から予想される彼女の性格を考慮すれば、確実にその方法を選択するだろうと。そして、その為の手段として最初に思い付くのは、飛び道具による奇襲である。
そこまで事前に察知できているなら、後はそう難しい話ではない。
彼女の一挙一投足に注意を配り続け、不意討ちの条件を満たしたと思われる瞬間に万全の準備で待ち構えておけば、俺の常識的な反射神経でも余裕を持って反応する事が出来る。それだけの話だ。
不意討ちとはあくまで相手の不意を討たねば成立しないからこその、不意討ちなのである。
従者が相手側の主に一撃でも当てれば決着―――。
決闘を申し込む際、わざわざ俺がこのルールを提唱した目的の一つが、この一連の流れによって「不意討ちを簡単に回避した」という客観的な事実を作り出す事である。
その事実によって、誰もが俺の実力を誤解し、過大に捉えてくれるだろう。
たった一度の回避行動、それも殆どが予定調和であるところの回避で、「織田信長の実力は紛れもない本物」という認識を周囲の者達に植え付けられるのだ。
その誤った認識は人々の間で俺に対する警戒心を呼び、警戒心はやがて畏怖に通ずる。
まあ、つまりは、そういう事だった。
それが目的の一つ目。一つ目とわざわざ表現するからには、当然二つ目がある訳で。
「面倒ですねえ。雰囲気からして只者ではないと思ってましたけど、本当に見た目通りですかぁ。私としては是非とも違ってて欲しかったですね~」
「ふん。……忠告しておいてやる、忍足あずみ。悠長に御喋りしている余裕など。お前には欠片も無い」
「はい?何を言ってるんですか~?」
「俺とは違い、“見た目通り”ではない人間も居る。それだけの話だ」
発言の意を掴めず、僅かに眉を潜めたあずみは―――次の瞬間、表情を凍り付かせた。
否、凍り付いたのは表情だけではない。俺とあずみの間に立つ我が従者、蘭を中心にして、周囲の空気が急激に冷え込んでいく。
「……わたしの、あるじに」
みしり、みしりと。思わず怖気が走るような音が、静まり返ったグラウンドにやけに大きく響いた。
蘭の手元。両の手で握り締められた模造刀の柄が、悲鳴の如く軋みを上げているのだ。
「わたしの、あるじに、投げましたね。石を、固い石を、角のある石を、あんなに強く、あんなに速く、あるじの、あるじの、あるじの、御顔に向けて」
地面に向けて俯いたまま、蘭はぶつぶつと呟く。怒りも憎しみもなく、どころか感情そのものをまるで感じさせない無機質な声が、淡々と言葉を紡ぐ。
「当たっていたら、もし当たっていたら、御怪我でもなさっていたら、御顔に御怪我でもなさっていたら、どうするんですか?どうしてくれるんですか?どうすればいいんですか?」
そして、ユラリと蘭は顔を上げる。地獄より這い上がった幽鬼を思わせるその動作に、観客達の誰かが息を呑んだ。
「あなたは敵です。あなたは敵です。あなたは敵です。あなたは敵です」
眼前のあずみを見つめる蘭の目は、ガラス玉のように虚ろ。
いつしかその身体からは、禍々しい黒色の気が溢れ出していた。負の感情をそのままこの世に体現したかの如き不吉なオーラは、見る者全てを怯え竦ませる。
それは蘭の全身のみならず、手に携えた模造刀をも覆い始めていた。
元は六十センチ程度だった脇差の刃が、凝縮された気によって補強され、従来の二倍以上の刀身を有する黒い大太刀へと変貌を遂げていく。
「っ!ヤバイッ!」
異常な雰囲気を放つ蘭に呑まれ、硬直していたあずみが、我に返ったように小太刀を構える。
「敵は排除します。敵は排除します……主の“敵”は、老若男女一族郎党一切合切関係なく―――私が、排除します」
そして、一閃。
もはや俺を含む常人には視認すら難しい剣速で繰り出された、蘭の斬撃。
長大な大太刀と化した模造刀による横薙ぎは、今までのそれとは比較にならない程の“重さ”を伴っていた。
「なっ……!?」
そんな一撃を正面から受けた結果。
あずみの身体は文字通り、比喩表現でも何でもなく、“吹き飛んだ”。
咄嗟に身体の前で交差させた両の小太刀で受け止める程度の事では衝撃を殺すには足らず、グラウンドからあずみの両足が離れ、空中へと後ろ向きに弾き飛ばされる。
そのまま数秒間、あずみの身体は宙を舞い、そして重力に従って背中からグラウンドの地面に叩き付けられた。
「ぐぅっ……!」
衝撃と共に肺から空気が押し出され、あずみが苦しげに呻く。あまりに派手な倒れ方だったためか、珍しく英雄が焦った調子で声を上げた。
「あずみ!無事か!」
「大事ございません、英雄様あぁぁ!」
しかし、反射的に空中で小太刀を手放して受け身を取ったお陰か、致命的と言える程のダメージは負っていないようで、これにてK.O.と言う訳にはいかなかった。
あずみは俊敏な動作ですぐ傍に転がっている小太刀を掴みながら跳ね起きると、英雄へと叫び返しつつ、再び蘭の前に立ち塞がる。
この間、時間にして一秒にも満たない。呆れるほどの早業だった。
「…………」
そんな彼女に向かって、蘭は無言のままに下段から踏み込みつつ、容赦なく二ノ太刀を振るった。今度は足元から掬い上げるような荒々しい斬り上げ。
あまりにも長大過ぎる刀身の切っ先がグラウンドを抉り、地面に斬撃の軌跡を刻みながら迫る。
まともに受けるのは拙いと判断したのか、あずみは蘭が踏み込むと同時に素早く横に跳んでいた。メイド服の裾に掠ったものの、ギリギリのところで太刀筋から逃れる事に成功する。
が、その程度で蘭が攻撃の手を休める訳もない。外見からは想像出来ない凄まじい膂力を以て大太刀を縦横無尽に振り回し、次々と斬撃を放った。
最初の一撃にて派手に吹っ飛ばされた事で懲りたのか、あずみはそれらを決して正面から受けようとはせず、専ら驚異的な身の軽さを利用して回避し、二振りの小太刀を用いて巧みに受け流していく。
その技術の高さは全く以て大したものだと思うが、しかし防戦一方である事には変わりない。最大限の集中力を要する紙一重の回避行動の連続に、明らかにあずみは消耗し始めていた。
「うう……何なんですかぁ、この小娘。お利口さんの優等生かと思ってたら、とんだ狂戦士(バーサーカー)じゃないですか。酷い詐欺です」
小休止とばかりに一旦動きを止めて、ゆらり、と緩慢な動作で大太刀を構え直した蘭に、あずみが毒づく。
なるほど、狂戦士とはいい表現だ。どうしようもない“暴走癖”を抱える我が従者の特性を、実に的確に示している。
主、つまりは俺が絡むと何かにつけて暴走しがちなのは毎度の事だが、中でも取り分け俺に対して向けられる敵意・害意・悪意などに、森谷蘭は過敏な反応を示す。
ましてや、先程の石礫のように、直接的な攻撃が俺に加えられようものならば―――その結果は説明するまでもない。見ての通りである。
だからこそ。これが、“二つ目の目的”だ。
蘭の潜在能力を限界まで引き出す為には、暴走させるのが手っ取り早い。何処ぞの人型汎用決戦兵器だって暴走さえすれば大抵の相手に勝てる訳だし。……それは何か違うか。
つまり、俺は敢えてあずみに自らを攻撃させる事で、蘭の強化を図ったという訳だった。強化ついでに狂化してしまったが、そこはまあ目を瞑るしかない。どんな場合であれ、力には代償が付きものである。
「確かに、パワーは今までとは比較になりませんね☆でも」
……しかし、暴走はあくまで暴走。
無表情の蘭は一見して冷静沈着だが、間違いなくアレは大部分の理性を失っている。
それは即ち、通常状態における嫌味なまでの隙の無さ、鉄壁の守りを放棄する事を意味していた。
紛れもない玄人であるあずみが、その隙を看過する訳がない。
「付け入る隙が出来てありがたいですよ、私としてはっ!」
あずみは両手の小太刀を同時に、蘭に向けて投擲する。
不意を突かれたのか、一瞬の硬直を見せた後、蘭は自らへと飛来する小太刀を無造作な動作で斬り払った。
気で強化された大太刀による凄まじい剣撃に耐え切れず、空中にて真っ二つにへし折れた小太刀の残骸が地面に落下を始める、その瞬間――あずみはがら空きになった蘭の懐へと無手で突っ込んだ。
固めた拳で顎を打ち抜こうとばかりに大きく腕を振りかぶるが、それすらもフェイント。直後、上体の防御のために重心が浮き、疎かになった蘭の足元に、あずみの強烈な足払いが決まった。
予想もしない衝撃に耐え切れずバランスを崩した蘭は、前向きに地面に倒れ伏す。
「わざわざあなたの相手をする必要もありませんからね~」
無防備な状態の蘭には目もくれず、あずみはそのまま一瞬たりとも動きを止めずに駆け出した。
当然の如くその標的は“主”である俺である。武器を失い、同時に蘭との戦闘を継続する手段を失った彼女に、他の選択肢などあろう筈もない。
姿勢を低くしたまま、一目散に俺の元へと直進するあずみ。その背後で地面から身を起こした蘭は、転倒の衝撃で我に返ったのか、狼狽した表情で俺へと視線を向けた。
「蘭。構わん。往け」
主の身を守るべく今にもあずみを追って俺の元へ駆け出そうとする蘭に、俺は静かに指示を出した。
時間が惜しかったので片言のような命令になってしまったが、蘭であれば俺の言いたい事は理解できているだろう。即ち、“俺に構わず無防備な英雄を仕留めろ”である。
どの道、今更追い掛けたところであずみを止めることが不可能な以上、致し方ない。
もう二秒も待たずして、彼女は俺を攻撃の射程範囲に収める。蘭がどう足掻いても間に合わないだろう。
「ふん」
まあ、だからと言って勝負を諦めた訳ではないが。蘭が足掻いても無駄だと言うなら、代わりに俺が足掻いてみせるだけの事だ。従者の尻拭いは主君の役割である。
幸いにして、全ての条件と準備は既に整っている。
暴走して隙だらけになった蘭が抜かれる事もまた、事前に予測されていた未来図の一つ。
事前に予測さえしていれば対策を練ることも、その為の覚悟を決めることも可能になるのだ。
あと一秒もすれば俺の身体に肉薄するであろうあずみの姿を、確りと視界に捉える。
全くと言っていいほど気が進まない方法だが。俺の選択できる唯一の手段である以上、文句を言っても仕方がない。
頭の中にイメージを描く。今回のテーマは“俺が殺意を覚えた瞬間”。
幼少の頃より体験してきた、忌まわしい記憶の数々が脳裏にフラッシュバックする。
―――その映像の中に、衣服を半ば引き裂かれ、恐怖に泣き叫ぶ幼い少女の姿を見出した時。
俺が放出する紛い物の殺気に、更なる殺意が上乗せされた。俺自身の保有する、正真正銘の殺意だ。
そうして絡み合い昇華した殺気を更に凝縮。今までのような広域を巻き込む面ではなく、一箇所を刺し貫く点の形へと。
眼前に迫るあずみに向けて、俺は極限まで高めた殺気を一切の手加減無く叩き込んだ。
「ぁ……っ!?」
その様はあたかも、蛇に睨まれた蛙。
コンセントを引っこ抜かれた電化製品を連想させる唐突さで、あずみの動きがピタリと静止した。
指先を俺に向って伸ばした、何とも不自然な体勢のまま、石像の如く硬直したあずみ。その顔色は幽霊を見たかのように真っ蒼に変わり、大きく目を見開いている。
「どうしたのだ、あずみ!なぜ動かん!……うぬぬ、おのれ、我の従者に何をした!」
「さてな。俺が少し睨んでやれば、この様だ」
殺気を拡散させず、一点に凝縮したので、英雄には何が起きたのか分からなかったのだろう。それは観客達も同様だ。突如として不自然に動きを止めたあずみに、訝るようなざわめきが起きている。
あと十センチ。あずみの指先が俺の身体へと届くには、ただそれだけの距離を詰めれば良い。
しかし、それは無理な注文でもある。俺が練り上げた最大級の殺気をまともに浴びて、身体が動く筈はない。
強烈な“死”のイメージに囚われた身体は、意志とは無関係に身動きを拒絶する。そもそも、こうして気絶せずに意識を保っていること自体が既に異常なのだ。
「大体。お前に従者の心配をしている余裕があるのか?俺の従者が、何時までももたついている訳もあるまいに。何故逃げない」
俺の言葉通り、蘭は命令に従って行動を開始していた。もはや不要と判断したのか、模造刀を放棄して身軽になっている。あと数秒と掛からずして、その手は英雄へと到達するだろう。
しかし、英雄は一歩もその場から動こうとはせず、堂々と腕を組んで笑い声を上げた。
「フハハハ、馬鹿を言うな!王たる我が背中を見せる筈があるまい。心配せずとも、我はあずみを信じている。何をされたのかは判らんが、この我の従者がおめおめと敵に膝を屈する事など有り得ぬのだからな!」
その言葉、その表情に、虚勢の色は欠片も見受けられなかった。という事はつまり、この男は一切の偽りなく、一片の曇りもなく、心底から己が従者を信じ切っているのだろう。
「ふん。何とも、酔狂な」
根拠もないにも関わらず、この絶対的な自信。それは無謀と傲慢の産物でしかない、と言ってしまっていいハズなのだが。
主君として、一人の従者を抱える身として―――俺は、そういう風に考える事は出来なかった。
「ふぅ……、メイドも、つらい」
その時。囁くような小声が、目の前のあずみの口から発せられた。凍り付いた喉と舌を無理やりに動かして、あずみは言葉を紡ぐ。
俺に向かって伸ばされた指先が、ピクリと僅かに痙攣した。
「あたいはなぁ。どうあっても、英雄様を敗者にさせる訳には、いかねえんだよっ!!」
あずみが殺気による拘束に抵抗し、指先をゆっくりと進め始めるのと。
「左様なこと!私とて同様だと、言った筈ですっ!!」
蘭が英雄に向かって決死のヘッドスライディングを敢行するのは、ほぼ同時の出来事であった。
未だ殺気の影響から脱し切れていないあずみの動きはスローモーションが掛かっているように鈍く、その指先から逃れるのは簡単だ。
一方、英雄の身体能力がいかなるものかは知らないが、馬鹿正直に真っ直ぐな蘭の突進など、軽く横に跳ぶだけで回避は容易だろう。
しかし、俺も英雄も、自らに迫り来る攻撃に対して身動き一つ取らなかった。
決闘そのものに勝利したとしても、その方法が“逃げ”であればまるで意味はない。
主君としての器の差を競う。それが、この決闘のそもそものお題目だったはず。ならば、ここで選択を誤る訳にはいかないだろう。
織田信長は己が偽りの威信を守り通す為。九鬼英雄は己の勝利を信じるが故。敢えて動かず、その場に踏み留まる。
故に――――決着は、次の瞬間であった。
「それまで!!」
決闘の終了を告げる鉄心の声に、グラウンドは静まり返る。
あずみが俺に。蘭が英雄に。互いの従者が互いの主君にその指先を到達させたタイミングは、ほぼ同時。
少なくともギャラリーや俺達の観察力では、それ以上の判定を下す事は不可能である。しかし、武神と呼ばれる鉄心であれば話は別だろう。
故に観客達の誰もが固唾を飲んで、鉄心の次なる一言を待っていた。
そして、数瞬の沈黙を経たのち、川神鉄心は朗々と宣言する。
「――――勝者、なし!この試合、両者引き分けとする!」
戦闘描写に思いのほか手間取ってしまい遅くなりましたが、更新です。ようやく決闘が終わった…もっと短く纏めるつもりだったのになぁ。
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