<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[13860] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:84336b94 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/02/09 19:48
 私立川神学園、正門前にて。

「学園内に友人が多い大和ならば、あの男についても何か知っているんじゃないか?もしも知っているなら教えてくれ、どうしても気になるんだ」
 
 真剣な表情で言い募るクリスの問いに対し、大和は心の中で逡巡した。
 
 答えるべきか、答えざるべきか。彼女の言う“あの男”――すなわち2-F及び風間ファミリーの仇敵、織田信長に関する情報を、この異国からの転入生に伝えるべきなのか。数瞬の思考を経て、決断する。ここは自分が説明しておくべきだ、と。
 
 直江大和とクリスティアーネ・フリードリヒは未だ一日に満たない僅かな付き合いだが、しかし人間観察を得意とする大和は、既に彼女の人柄をある程度は把握していた。何事につけても価値観が真っ直ぐで、清廉潔白・正々堂々たる行動を好む。会話の端々に浮かぶ“義”の一字への拘りから考えても、その思想の根底には人並外れた正義感が存在している事は疑いないだろう。と言う事はつまり、だ――2-Sに君臨する織田信長という冷酷な暴君を、他クラスに侵略を行い思うが侭に蹂躙する明確な“悪”の存在を、クリスが容認する可能性は非常に低い。

 紛れもなく敵対関係にあるとはいえど、自分達2-F代表チームの奮闘が功を奏した結果、2-Fと織田信長の間には一種の休戦協定が結ばれている。現時点における彼との実力差を考慮すれば、この状態は実に有難いと言えるだろう。信長一党が宣言通りに他クラスの征服を終えるまでの期間、2-Fの面々は各々の能力を磨く機会を得られるのだから。

 自分以外のクラスメート達が現状をどのように感じているかは推察するしかないが、少なくとも軍師たる大和はこの状況を大いに歓迎している。感情を脇に置いて冷静に客観視すれば、現在の2-Fに勝算が皆無である事実は誰の目にも明らかだった。何せ前回の激突にて、信長陣営は幾多のハンディキャップを抱えた状態で自分達と三戦を闘い、それでも勝利をもぎ取っていったのだ。自他共に認める世界最強・川神百代をして自身と対等と認めさせた男――彼が初めから全力で勝負に臨んでいれば、まず間違いなく戦の趨勢は瞬く間に決していただろう。
 
 故に、暫くは織田信長の侵略の手が伸びないと保障されているこの現状は、是非とも守り通すべきだ。大和はそのような思惑を抱きつつ日々を過ごしていた訳であるが――しかし、ここにきてクリスという計算外のイレギュラーが登場してしまった。今までに交わした会話を通じてその性格を分析してきたが、大和の見立てでは彼女はどうにも“危ない”。下手にその正義感に火を点けてしまうと、猛烈な勢いで火薬庫へと突撃して大惨事を引き起こしかねない気がしてならないのだ。だからこそ信長に関する情報を正直に話すべきか否か、迷いを抱える羽目になっていた。

「……そうだな、俺の知っている事で良ければ」

 逡巡の末に大和が下した決断は、結局、“正直に話す”方であった。
 
 何故ならば、この場で自分が説明を拒んだところでさして意味は無い。織田信長という男は、もはや川神学園では知らぬ者の居ない有名人である。現在も学園制覇へと向けて活動を続けており、その動向は全校生徒の注目の的となっている。要するに、川神学園に籍を置いている限り、彼についての情報は嫌でも耳に入ってくるのである。後日、無責任な噂によって歪められた中途半端な知識を植え付けられるよりは、むしろ自身の手で解説を行い、クリスの意識を己の望む方向に誘導すべきだ――そういった意図の下、大和は語り始めた。
 
 新学年の始まりと同時に現れた二人組。有力者との決闘を通じての2-Sの掌握。2-Fと2-Sの確執、それを切っ掛けとした風間ファミリーと信長一家との小さな戦争。その結末と、信長の学年支配宣言。そして現在の学園を吹き荒れる戦乱。

「……なんという無法!むむ、そのような悪漢が学園にのさばっているとは、許し難いな」

 全てを聴き終えた時、予想通りの不愉快そうな顰め面を見せながら、クリスは険しい口調で呟いた。

「まあそういう訳で、今は2-Fと“彼ら”は停戦状態なんだ。和睦した訳じゃないけど、俺たちのクラスにはしばらく侵攻はしてこないだろうから安心していい」

「そういう問題ではないだろう!だいたい、それは要するに、他のクラスが悪漢によって蹂躙されるのを黙って見ている、という事じゃないのか?義を見てせざるは勇無きなり――真のサムライならば断固、立ち上がるべき場面だ。そんな腑抜けたことを言っていてどうする」

 頑固な芯の通った厳しい声音が投げ掛けられる。やっぱりこうなるよなぁ、と悪い予感が的中してしまった事にげんなりしながら、大和はクリスの勇ましい言葉に頭を振った。

「さっきも説明したけどね、悔しいけど今の俺達じゃ勝算が無いんだ。勝てないと分かっている戦に身を投じるのは勇気じゃなくて只の無謀なワケで。一応2-Fの軍師を務める身としては、そんな玉砕必至の策は却下させて貰う」

「勝敗は兵家の常、戦う前から臆していては勝利を呼び込める道理などないに決まっている!むぅ、大和丸と同じ名前のクセに、その弱腰はいただけないぞ。軟弱な」

 あまりにも歯に衣着せない率直な罵倒に、割と温厚な部類の人間であるところの大和も流石にカチンと来るものを感じた。そもそも今日学園を訪れたばかりで何の事情も知らないような人間が、偉そうに人様の主義と努力を否定するとはどういう了見だ――人脈作りの為に身に付けた愛想笑いが表情から剥がれていく。大和はこれまでと比べれば明らかにぶっきらぼうな口調で、クリスへと醒めた返事を返した。

「いや、俺はアレ、どっちかって言うと闇丸のファンだから」

「闇丸だと?金を貰って人を殺す外道ではないか。あのような悪党のファンなどと……自分には理解しかねるな」

「確かに道理には従わないが、筋は通す。自分なりの信念を持って日陰道を歩く姿、カッコイイと思うよ。って言うか俺的には大和丸の“義”マニアっぷりもどうかと思うけどね。二言目には正義正義って、病的だよ。幾ら何でも頑固過ぎ。闇丸に比べると柔軟さが足りないって常々思ってたね。もっと頭を使えと言いたい」

「な、彼の義を貫き通す天晴れな生き様こそが大和丸夢日記の見所だろう!大和は何も分かっていないぞ。闇丸なんて……」

「大和丸なんて……」

「むむむっ」

「ぬぬぬっ」

 往来にて足を止め、火花を散らして睨み合う二人。

 かくして誰もが羨む美少女留学生との楽しい放課後デートは終わりを告げ、後に残されたのは目を背けたくなるような険悪さに満ちた雰囲気のみであった。

 柔軟で在る事を常に心掛け、己に課している直江大和と、ひたすらに真っ直ぐで在る事を美徳と捉えるクリス――初めから相性は水と油の如く最悪であり、互いに相容れない事は自明の理であったと言えよう。遅かれ早かれこうなる事は定められていた。

 やがて不毛な睨み合いを終えると、大和はクリスに目線を合わせないまま、無愛想に声を掛けた。

「……ウメ先生に任されたし、案内は最後までする」

「……そうか」

 言葉少なに素っ気無い遣り取りを交わすと、二人は歩みを再開した。

 和気藹々とした空気は露と消え、不穏な沈黙を保ったまま、ただ足を前へと動かし続ける。

「おい」

 第三者がその場に居れば胃の痛くなるような雰囲気が数分ほど続いた後、おもむろにクリスが口を開いた。

 数歩分先を早足気味に歩いている大和を呼び止めると、刺々しい調子で声を掛ける。

「少し待て。大事な事を聞き忘れていた」

「……何?」

「名前、だ。件の悪漢の名前を、自分はまだ聞いていないぞ。名前を知らずしては成敗する事も出来ないだろう。それは困る」

「……あー……」

 ピタリ、と大和は足を止めて、意味の判然としない呻き声を上げた。

 無論のこと、名前を告げるのを偶々忘れていた――などという訳ではない。クリスに信長の事を説明する時には、代名詞をフル活用して意図的に名前を伏せていたのだ。何やら日本を勘違いしている節が随所に見受けられるクリスが、“その名”を耳にした時、どのような反応を見せるか……想像が付かなかった事が隠蔽の理由である。

 しかし考えてみれば姓名に関する情報も、必然的に後で誰かに聞かされる事になるのだから、それだけを隠し立てしても大して意味はない。むしろ何処で爆発するか分からない爆弾を放置するよりも、安全圏にて処理しておいた方が賢明だ。

 数秒ほど唸りながら思考を整えると、大和は背後のクリスを振り返り、一世一代の覚悟を決めて“その名”を口にした。

「あー、っと。……奴の名前は、織田信長」

「……ん?すまん、もう一度言ってくれないか?もしかしたら聞き違えただけかもしれない」

「姓が織田、名が信長。フルネーム、織田信長。オーケー?」

「…………え」

 一言一言にアクセントを込めて明確に言ってやると、遂に聞き違いでない事を悟ったのか、クリスは口をポカンと空けて硬直した。

 さて鬼が出るか蛇が出るか、とほとんど爆発に備えるような心地で反応を見守っていたところ――変化は劇的に生じた。

「そ、それは本当か!?」

 パァァ、と表情が光り輝き、頬に興奮の赤みが差し、口元は喜悦に緩んでいる。先程まで不機嫌さをこれ以上なく表現していた仏頂面は、溶けるように消えてなくなっていた。

 そのあまりの変貌振りに呆気に取られている大和に向かって、クリスは無邪気な笑顔で声を弾ませた。

「おおっ、彼がかの高名な信長公だったのか!あの天魔の如き気迫、常人ではないと一目で分かったが、そうかそうか、戦国の英傑ならばそれも当然だな!うわぁ嬉しいなぁ、日本に来てすぐに憧れのサムライの一人に会えるなんて!自分は祖国にいる時、彼をテーマにした戦記を何冊も読んだんだ」

「えっと、あの、クリスさん?」

 大好きな玩具に囲まれた子供のようにはしゃいでいるクリスに、思わず敬語が出てしまう程度に引きながら大和が声を掛ける。

「なんで普通に受け入れちゃってるんですかね?そこはキラキラネームの残酷さを噛み締める場面だと思うんですが……」

「いや~、信長公生存説は真実だったんだな。知っているか大和、没地とされる本能寺では彼の遺体はついぞ見つからなかったんだ。炎の中に果てることなく明智の軍勢から逃れ、生き延びていたという風説はやはり正しかったのか!これは父様にも報告しなければならないな。きっと羨ましがるだろう、ふふふ」

「OH……HEYクリス、今、西暦2009年。織田信長の没年、1582年。オーケー?」

「日本の武人はKIの扱いに滅法長けていると聞く。国技のSUMOUを見ればその技術が神業の域に達しているのは分かるし、現に学長のKAWAKAMIは数十年も昔から年を取っていないそうじゃないか。そういった例があるのだから、歴史に名を残す信長公ほどの英雄ならば、未だ若き日の姿を保っていても不思議はないだろう」

 胸を張って自信満々に断言するクリスに、大和は不覚にも反論の言葉を詰まらせた。SUMOUがどうこうに関してはどうせネット上のコラージュあたりを悪ふざけで見せられて勘違いしているのだろうが、川神院総代の妖怪爺の方は誤魔化し様のない事実である。

 しかしアレはそういう存在だから例外なのだ、と反駁し掛けた所で、いや待てよ冷静に考えてみれば信長(2-S所属)も十分以上に規格外の怪物だった、という現実に思い至る。そうなるとクリスの突拍子もないと思われた説が俄かに現実味を帯びて――、そこまで考えた所で大和は激しく首を左右に振った。何を馬鹿な事を考えてるんだ、しっかりしろ俺。クリスの言葉の持つ妙な説得力に飲み込まれないよう自身を叱咤しながら、出来る限り醒めた調子を装いながら大和は口を開いた。

「いやいや、有り得ない有り得ない、冷静に考えてみるんだクリス、戦国武将だぞ?過去の偉人は過去の偉人だよ。大体、現代社会に溶け込んでる戦国武将とかどんなギャグだよって感じだな」

「う~ん、そうか?……じゃあ百歩譲って、どこぞの研究所が遺伝子から再生した信長公のクローン――だったりはしないだろうか」

「はははっ、SF映画の見過ぎ。そんなぶっとんだ展開、それこそギャグそのものだ。もし現実になったら俺は姉さんに喧嘩売ってみせてもいいね」

「ふっ、そういえばお前はあの川神百代先輩の舎弟なんだったな。ドイツまで聞こえた武神に喧嘩を売るとはなかなか大きく出たものだが、自分は考えを曲げないぞ。きっと信長公は何か深い事情があって身分を偽り、学生として日々を過ごしているに違いない」

 信長が例の仏頂面で「やっておしまいなさい」と従者達に命じている光景が不意に思い浮かんで、大和は不覚にも噴出しそうになった。

「水戸黄門あたりに影響されてるのがバレバレな発言だな……ていうか素性を隠したいなら織田信長とか名乗らないから。これ以上なく目立ちまくりだから」

「むむむ、大和はそうやってすぐに否定ばかりする。面白くないヤツだ」

「現実的、と言って欲しいね。クリスみたいに夢物語ばかり追ってるようじゃ軍師なんて役割は務まらないからな」

「ふっ、軍師軍師と大層な。お前のはただ小賢しいだけなんじゃないのか」

「まあお前がそう思うんならそうなんだろう。――お前ん中ではな」

「むむむっ」

「ぬぬぬっ」

 歴史は繰り返す、とばかりに大和とクリスは再び睨み合う。

 しかし、その空気は先程と比べれば遥かに険の取れたものだった。勿論のこと和やかさからは程遠いが、あわや一発触発と言うほどの危うさを帯びてはいない。

 それも当然――不機嫌そうに口を真一文字に結んで唸るクリスの心中は別として、少なくとも大和の方は、この歯に衣着せない遣り取りを心の何処かで楽しんでいるのだから。

 直江大和の対人関係は、その趣味の在り方と同様に、基本的に浅く広く、を旨としている。真の意味での“友人”は風間ファミリーの仲間達のみに限定され、それ以外の者はほぼ全員が“知人”にカテゴライズされていた。それはすなわち、あくまでギブアンドテイク、利益を求めての打算的な付き合いが交友関係の殆どを占めていると言う事だ。

 常に愛想良く親切で、人付き合いの良い情報通の好青年――それが大和の用意した余所行きの仮面で、だからこそ腹を割って本音で誰かと話す事はごく稀だ。無論、ファミリーの皆は例外だが……彼らを除けば、ありのままの自分でぶつかるような相手は周囲に居なかったのだ。

 だが、クリスティアーネ・フリードリヒは――この融通の利かない真っ直ぐさを全身で主張する転入生は、良くも悪くも大和にとっての“例外”だった。未だ出会って一日と経っていないにも関わらず、大和の用意した笑顔の仮面を粉々に砕いてしまうような人物は、これまでの人生で初めてである。柔と剛、あまりにも対極な在り方は両者を衝突させるのが当然で、互いの価値観を認め合うのは容易ではないだろう。

 しかし、今まさにこの瞬間、大和は偽りなく、彼女と正面から向き合っていた。そのような体験は大和にとって相当に希少なもので、相手の愚かしいまでの頑固さに苛立ちを覚えながらも、ほぼ初対面の人間を相手に己を偽らずに済むという事の新鮮さを噛み締めさせるものだった。

 この先も絶対に気が合う事だけはないだろうが、やはり素の自分で気楽に話せるのは悪くないものだ。

「――おい大和、聞いているのか。おい、無視するな!」

「クリス、声が大きい。知らないのか?日本では往来で言い争うのは何よりもみっともない恥だと思われるんだ。例え周りに人がいなくてもね」

「むむ、そうなのか……知らなかった。人目があろうとなかろうと常に慎み深く、か。確かに日本人らしい美徳だ、自分も見習わねばなるまい。よし、お前の曲がった性根は気に入らんが、ひとまず外での喧嘩は自粛しよう」

 それに何より、実に操縦し易い。意見が食い違う上に口も達者となれば険悪な空気は避けられないだろうが、幸いにしてこのお嬢様は見た目よりも単純らしかった。こうも口先で丸め込むのが容易いと、むしろ苛立ちよりもイジる面白さが上回りそうだ――と大和は心中で意地の悪い笑みを浮かべた。そんな思考を悟れる筈もないクリスは素直に口を噤む。

 かくして口論の火種は取り除かれ、二人は比較的落ち着いた雰囲気で川神市内探索を続行した。

 そして、長閑な多馬川の川辺を歩く事暫し、川神の象徴とも言える武道の総本山、川神院に到着。クリス曰く、どうやら海外では川神院は“伝説の拳法寺、日本の最終兵器”として知られているらしい。

 参拝目的でもない限り門の内側に立ち入るには許可が必要なので、外から荘厳な門構えを眺めるに留まったが、それでも武に通ずる人間であれば奥から溢れてくる“闘気と品格”とやらを感じるらしく、クリスは楽しそうだった。朝の決闘以来、ライバル関係を結んだワン子(川神院在住)と遭遇し、騒々しい遣り取りを交わしてから、二人は次なるスポットへと向かう。
 
「む、何やらあちこちから甘い匂いがするぞ。う~ん、良い香りだなぁ」

「それも当然。ここは仲見世通り、和菓子好きのサンクチュアリって地元で言われてる通りだからね。店先で食べる和菓子が、また美味いんだ」

「和菓子か!素晴らしいな、自分は前から日本の食文化にとても興味があったんだ。それに、雰囲気もいいな。何とも風情のある通りだ……おお、あれはもしかして雑誌に紹介されていた――」

 ずらりと通りの左右に並んだ店舗の数々をキョロキョロと物珍しそうに眺めて、クリスはまたまた顔を輝かせていた。

 飴、餅、金鍔、饅頭、花林糖、羊羹、銅鑼焼き、落雁……この通りにはおよそ和菓子に分類される種類の甘味ならば大抵のものが揃っている。川神の観光名所の一つで、雑誌などにも紹介され、外国人観光客も数多く訪れているスポットなのだ。

「なあ大和、あれは何の店なんだ?」

「ああ、久寿餅だな。職人のお爺さんが良い腕してるって評判の店だ。俺も食べた事あるけど、あれは倍額を払っても惜しくないと思ったね」

「クズモチ……ううむ、知らないな。どのような菓子なのだろうか」

「ぷるんとした独特の食感が魅力だな。それに黒蜜ときなこをたっぷり掛けて食べるんだ。黒砂糖の甘みと、きなこの香ばしさが口の中でほどよく絡み合って――」

 かつて友人と一緒に食べた際の記憶を呼び起こしながら解説すると、返事の代わりに、ごくり、と唾を飲み込む判り易い音がはっきりと聞こえた。恥辱に顔を赤くするクリスをひとしきりからかって遊んだあと、大和はむくれてしまったお嬢様のご機嫌を取るべく、通りに面した店のカウンターへと向かって歩み寄りながら、注文の為に声を上げる。

「すみません、久寿餅二つ!」「久寿餅を二つ、だ」

 大和の張り上げた快活な声に、重々しく空気を震わせる重低音が被せられ、何とも言えない不協和音を奏でた。

「……」

「……」

 つぅ、と嫌な汗が額を伝うのは、必然である。

 聞き覚えのある声、だった。否、どう足掻いても忘れられない声――と言うべきか。

 想定外にも程がある緊急事態の到来に数秒ほど思考ごとフリーズした後、大和はギギギと擬音が付きそうな動作で首を巡らせて、今現在自分の隣に立っている存在へと視線を向ける。
 
 途端――凍て付くような絶対零度の黒い双眸が、無言の重圧を伴って大和を射抜いた。

 その凶悪なまでの存在感、他の誰と見間違える筈も無い。
 
 つい先程まで自分たちの話の種となっていた男――2-Sの暴君こと織田信長との、不意打ち過ぎるエンカウントであった。

「おっとこれは面白い事態だね。引く手数多に客が入るのは勿論非常に喜ばしい事ではあるけれども、しかし残念ながら今日は祖父の体調が思わしくなくてね――久寿餅の作り置きはこの二つがラストなのだよ。本当に済まない、お二方」

 そして、売り子の女性がおもむろに放った不吉極まる一言によって、大和に圧し掛かる重圧は更に膨れ上がる。

 眼前の信長は普段同様に鉄壁の無表情だが、しかしそれでも不機嫌な感情は雄弁に伝わってくる気がした。これは無言の内にお前が譲れと催促しているに違いない、と即座に推察し、持ち前の柔軟さを発揮して身を退こうと決断した瞬間――

「ちなみに第三者として公平な判断をさせて貰うとだね、そちらの少年の方がゼロコンマ二秒ほど早く注文を終えたという客観的事実が存在するよ」

 無造作な仕草で売り子が指差す先には大和の姿が。

 余計な事は言わなくていいから黙っていてくれ、という心の叫びも虚しく、硬直している大和を余所に彼女は機械じみた平坦な口調で言葉を続けた。

「常連客の貴方に優先権をあげたいのは山々だが、特定の客を贔屓した事が祖父に露見したら酷く絞られてしまうからね。ここは潔く退いてくれないか、殿」

「……ふん。言われるまでもない。和菓子を食するに際し、礼を失するような真似を、この俺が。万が一にでも為すと思うのか?サギ」

「無論、そのような事は間違っても思わないとも。罪も無いのに貴方に脅かされるという不幸を背負ったこの可哀想な少年の為に、事情を説明してあげたかっただけだよ」

「然様、か。……力を以って奪い取るは容易だが……同時に、無粋。此処は聖地、然様な振舞いは言語道断よ。安心するがいい、此度は譲ってやる。職人の見事なる業を称え、その妙技に慄きつつ美味を噛み締めるが良かろう――直江大和」

「……どうも」

 かくして、何やら良く分からない内に話が纏まっていた。

 呆然としている内に二人分の久寿餅を載せた紙皿が売り子の女性から手渡され、大和は近くの休憩所にて待機していたクリスの下へとフラフラした足取りで歩み寄る。

 未だ事態に気付いていないのか、クリスは訝しげな表情で戦利品を受け取った。

「む?どうした大和、顔色が悪いぞ」

「あー……いや」

 彼女に信長の存在を伝えるべきか否か逡巡していると、「おーい少年。お代を頂いてないよ」と先程の売り子に呼び掛けられ、慌てて店先へと駆ける事になった。動揺のあまり勘定を忘れるとは軍師・直江大和一代の不覚――と深く恥じ入りながらカウンターまで戻ると、売り子の微笑ましげな視線に迎えられてしまった。

「フフフ、綺麗な彼女さんを一刻一秒でも早く笑顔にしてあげたいという甲斐性は素晴らしいが、生憎とこちらも商売でね。無償でサービスしてあげる訳にはいかないな」

 そう言って、売り子の女性はからかうような笑みを口元に浮かべる。

 先ほどは観察する余裕が欠片も無かったが、こうして改めて眺めてみると、川神学園にもそうはいないであろうレベルの美人であった。すらりと背が高く、整った顔立ちは理知的な雰囲気を窺わせる。腰元まで伸びた女性的な暗灰色の髪とは裏腹に、目付きは鋭く背筋はピンと張っていて、総身に男性的な格好良さを漂わせていた。年は正確には判断が付かないが、落ち着いた物腰から考えると恐らくは年上だろう。大学生辺りだろうか。

「す、済みませんでした、つい慌てて。ただ、彼女とかじゃなくて、ツレです」

「そうなのかね?ふむ、私はどうも男女の機微に疎くてね。年頃の男女が連れ立って歩いていると誰も彼もカップルに見えてしまうという救い難いスイーツ脳なのだよ。そう――和菓子屋だけにね」

 漫画ならばキリッ、という擬音が付くであろう無駄に凛々しい顔で言い放つと、売り子はチラリと横目で大和を覗った。あまりにも淡々とした口調なので分からなかったが、どうやら上手い事を言った(つもりらしい)ことに対する何かしらのリアクションを欲している様子である。ははは、と大和はどうにか捻り出した乾いた愛想笑いで対処した。日々磨き上げた自身の処世術に感謝の念を覚える瞬間だった。

「あの、そろそろ勘定をお願いできますか?ツレを待たせてるんで」

「おっと済まない。彼女としては当然、自分の恋人が異性と親しげに話していたら嫉妬してしまうだろうからね。これは私の配慮が足りなかったな。慙愧の念に耐えないよ」

「いやですから彼女じゃないですって。大体、アレと付き合ったら軍――じゃない、親御さんに殺されかねませんし」

「ふむ?ふむふむ、家庭の事情、身分違いの恋、禁断の愛というヤツか。おぉっと、いやいや無理に話してくれなくても結構だとも。その年頃ならば誰であれ詮索されたくない事情の一つや二つはあるものだ。おお若人よ、汝ら心の赴く侭に青春を謳歌せよ」

 勝手に納得して勝手にうんうんと頷いている女性に、大和は引き攣った笑みを返す事しか出来ない。間違いない、これは完全に自分の中に自分の世界を作ってしまっているタイプだ。何を言ったところでまともに聞いてはくれないだろう。話の通じない相手とは話さないに限る、早々に会話を切り上げて脱出しよう――という判断の下、大和は無言のままに千円札をカウンターへと置いた。

「どうも。久寿餅が二人分で、丁度千円だね」

「え?いや、でも、値段表には割引中って書いてますけど。ほら、一割引」

「む?確かに……、ああ済まない、祖父がまた私の知らない内に売値を弄っていた様だ。自営業なのだから気分次第で値を下げるのは勝手だが、それを売り子に伝えないとはどういう心算なのやら。年だ年だとは常々思っていたが、ついにボケが来たのか?全く、只でさえ和菓子作り以外には何の能も無い駄目人間だと言うのに、ますます介護が大変になるではないか。冗談ではない、冗談ではないぞ」

「はぁ」

「おっと。どうにも詰まらない愚痴を聞かせてしまったね。それで勘定だが、……ふむ、些かばかり待ってくれたまえ少年。……ん、定価が一人頭五百円で……一割引して二を掛けて、最後に千から引くと……、くっ、これは竹取物語に採用されても不思議の無い難題だ。久々に私の頭脳を限界まで酷使する必要がありそうだな」

「俺ひょっとしてからかわれてます?」

 大真面目な表情で懊悩している様子は、冗談なのか本気なのか何とも判り辛い。大和の疑惑の視線に対し、女性は重々しく頭を振った。

「残念ながら真剣なのだよ。私は子供の頃から数学という分野が壊滅的に苦手でね――アラビア数字を頭に思い浮かべるだけで不甲斐ない脳髄が拒絶反応を起こすのだ。お陰で現在に至るまで私がどれ程の苦悩を味わった事か。ああ何とも忌々しい、ピタゴラスなど糞喰らえだ。あのような分野の学問はこの世から根絶すべき害悪だと断言出来るね」

 全世界の数学者に真っ向から喧嘩を売って憚らない暴言である。実に恐るべき人物だった。

「大体、サインがどうのコサインがどうのと下らない。社会に出てから数学の公式が何の役に立つと言うのだね。なぁそうは思わないか少年?」

「エエ、ソウデスネ」

 アンタは病気をこじらせた中学生か、少なくともレジで会計をこなす役には立つだろう、そして四則演算で躓いている時点でそれは数学ではなく算数の領域だ――という魂の底から湧き上がる幾多のツッコミを、大和は自制心を総動員して抑えなければならなかった。

 これがモロならば躊躇わず絶妙のテンポでツッコむんだろうな、などと思っている大和の目の前で、売り子はフェルマーの最終定理に挑む数学者の如き気迫で小学生レベルの計算問題に取り組んでいる。どうやら理知的な雰囲気は見掛け倒しだったらしい。別に騙された訳でもないのだが、何となく詐欺に遭ったような気分の大和であった。

「よし、よしよしよし……うむ、キたぞ。この場合、私は君にこの百円玉一枚を釣銭として渡せば良いのだね。どうだ正解だろう、少年」

 そんな偉そうに胸を張って言われましても、という心の声をそっと胸にしまい込んで、得意の愛想笑いを見事に貫き通したまま、カウンターへと置かれた百円硬貨を財布に収める。何にせよこれでやっと解放される、と大和が安堵の息を吐き出した、その時である。

「――ふん、漸く片付いたか。会計一つに此処まで手間取る輩はお前位のものだな、サギ」

 聴く者の心胆を寒からしめる威圧的な音声は、カウンターの内側から響いたものだった。

 先程から意識しないよう全力を尽くしてはいたが――織田信長は、最初から店内備え付けの椅子に傲然と坐して、冷徹な目で大和達の遣り取りを眺めていた。サギと呼ばれた女性は振り返ると、相変わらずの機械的な調子で、特に怒った様子もなく淡々と言葉を投げ掛ける。

「殿は毎度毎度そう言うがね。壮健な肉体と類稀な才に恵まれたのだ、たかだか計算が不得手な程度、問題とするには値しない。天は二物を与えず、と言うだろう?それに、あまりにも完璧過ぎる女性は却って世の男性に敬遠される傾向があると聞く。私のように欠点が一つくらいあった方が可愛げがあるものなのだよ」

「ほざけ。お前の笑えぬ莫迦さ加減を“可愛げ”の一言で済ませられるのは、余程の阿呆か大物だけだ」

 恐らくは年上であろう相手に対しても、信長の辛辣な舌鋒は容赦が無かった。

 平然と店内に居座っていたり、信長が売り子の名前(?)を知っている辺り、どうやら二人は顔馴染みの様である。傲岸不遜にして冷酷非道、我が道を往く織田信長と和菓子屋の売り子、果たして如何なる繋がりがあるのか。“殿”とは一体……などと関心を惹き付けられる大和だが、しかしわざわざ彼らに自分から関わってまで詮索する気にはなれない。信長は言わずもがな、このサギなる女性も十分に、話しているだけで疲労の蓄積する相手であった。

 能動的に探りを入れないのであれば、これ以上この場に留まるのも不自然だろう――と判断し、今度こそ大和は踵を返した。そして、違和感を覚えさせないギリギリのラインを意識したスローペースな歩調で店から遠ざかる。

「さて、殿。このまま茶を点てながら和菓子談義と洒落込むのは私としては大いに歓迎なのだが、貴方の方は良いのかね?今も昔と変わらず、多忙の身なのだろう?」

「ふん――その筈であったのだがな。些か、想定外の事態が生じた。故に、忌々しくも本来のスケジュールなど既に見る影も無く崩れている。この上少々遅れた所で、今更よ」

「フフフ、その辺りの投げ遣りさは変わらないな。普段にも増して殺気立っているのはその所為かね?まあ何にせよ好都合ではある。私としても親愛なる殿には訊きたい事が幾つもあったのでね。風の噂に聞いているよ、暴君の傍に“新たな直臣”が現れた、と。私がその件について如何に多大な興味を覚えているか、貴方ならば容易に予想出来るだろう?それに当然、ラン君の件も気掛かりである事は言うまでもあるまい。折角の機会だ、殿には色々と聞かせて欲しいものだよ。何せ私は――――」

 残念ながら、二人の話し声を拾えたのはそこまでだった。元より大声で怒鳴りあっている訳でもなし、既に大和の常人並みの可聴領域からは出てしまっている。特に有益な情報は拾えなかったな、と軽く肩を落としながら、クリスが待機中の休憩スペースまで戻る。

「……やけに遅かったな。何か揉め事でも起きたのかと思ったが」

 見れば、クリスは未だに久寿餅に手を付けていない様子だった。律儀にも大和を待っていたらしい。

「あー、いや、何でもない。少し会計に手間取っただけ。って言うかそれ、別に先に食べてても良かったのに」

「バカを言うな。欲望に負けて、自分一人だけ先んじて手をつけるなどと……騎士の誇りに懸けてそのように卑しい振る舞いはできん。というかそれ以前にだ、まだ会計が済んでいない商品を食べる訳にはいかないだろう」

「うっ、それを言われると辛いな……的確な所を突いてくるぜ。クリスの癖に」

「おいちょっと待て、それはどういう意味だ!おい大和」

「まーまー、外で喧嘩、ハズカシイ。オーケー?いいから和菓子を頂こうじゃないか」

「むむ、お前から吹っ掛けてきたんじゃないか……」

 釈然としない様子でぶつくさと呟きながらも、クリスは素直に紙皿とセットの楊枝へと手を伸ばした。

 久寿餅に付属の黒蜜ときなこを適量以上にまぶして、育ちのよさを窺わせる行儀の良い仕草で口へと運ぶ。

「お――美味しい~~!甘い~!」

 途端に、クリスは童女のように歓声を上げながら顔を綻ばせていた。何とも感情が露骨に面に出るヤツだ、とその分かり易さにいっそ感心しながら、大和も久寿餅を口に放り込んだ。

 以前にも何度か食べているのでクリスほどの感動は覚えないが、しかしやはり美味いものは美味い。精神を磨り減らしてまで入手した価値はあったな、と感慨に浸りながら甘味を噛み締める。

「……ん?あれは」

 その時、視界の端に映った人影が一つ。

 仲見世通りの入口付近に佇み、和菓子入りと思しき袋を胸の前に抱えながらぼんやりと空を仰いでいる、黒髪をおかっぱに切り揃えた少女。大和にとっては一応、顔見知りと言える相手であった。

 まあ主君が居るなら従者が近くに居るのは当然か、と納得しつつ、大和は素早く思考を巡らせる。

 織田信長の懐刀、森谷蘭。基本的に彼女は主君とセットで行動しているので、これまで一対一で話す機会は得られなかった。だが、現在は信長が何やら取り込み中の様で、珍しく彼らは別行動中――考えてみればこれは貴重なチャンスと言えるのかもしれない。

 孫子曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからず、である。信長の股肱の臣と呼ぶべき彼女のパーソナリティを少しでも把握する為にも、今は行動の時ではないだろうか?

1.声を掛ける
2.無視する
3.そんな事よりクズモチ食べたい!

 ……何やら妙な選択肢が脳裏に浮かんだような気がするがスルースキルを発動。ここはやはり声を掛けるべきだろう。

「ちょっとここで待っててくれ、知り合いに挨拶してくる」

「ああ、行って来い。自分はじっくり和の妙技を味わいながら待っているぞ!」

 ご機嫌なクリスに快くお許しを頂けたところで、大和は休憩所から離れて目標の下へと向かった。

 しかし、森谷蘭――遠目で見ても少なからず憂愁を感じさせる立ち姿だったが、いざ近くに寄ってみると尚更、暗く沈み込んだオーラを全身から発している。これは少し早まったかもしれない、と後悔したが、だからと言ってここまで来ては引き返せない。

 そうこうしている内に相手の方も大和の存在に気付いた様子で、視線の行き先を茜色の空から地上へと戻していた。

「貴方は……2-Fの直江大和さん、ですね。私に何か御用でしょうか?」

「いや、特に用って訳じゃない。前から話してみたかった所に偶々見掛けたから、ね。って言うか俺のこと覚えてたんだ」

 無論、2-F代表チームの一員として何度も顔を合わせてはいるが、どうにも見せ場をことごとく他の面子に持っていかれた感があったので、もしや忘れられているのではないか――とやや不安だった大和である。そんな感情を込めた言葉に対し、蘭は柔らかい微笑みを見せた。

「直江さんはきっとご存知ないでしょうが、信長様は貴方を評価しておられます。主が目を掛けられた方の顔を、私が忘れる事はありませんよ」

「評価――そうなんだ。それは確かに、知らなかったな」

 複雑な感情を込めて、大和は呟いた。前回の戦いの中で主に活躍した面子と言えば、何といっても代表として決闘に臨んだ三名だろう。全員が2-Fの名を落とさない見事な戦いを演じて見せたし、特にキャップこと風間翔一は信長に意地の一撃を叩き込んだ勇者として賞賛されている。役割上、基本的に裏方で働いている大和がギャラリーに評価される事は殆どなかった。

 しかし――敵こそ最大の理解者、と言う訳でもないだろうが、信長は大和の存在をその視界に捉えていた様である。高いプライドと実力を有する彼に評価されている、という事実は、敵からの賞賛であれ嬉しいものだった。

「それに、椎名さんからお名前はかねがね伺っていますから。ふふ」

「ああ、そういえば時々、京と何か話してたっけ。俺が話題になってるのか……普段のノリで暴走して迷惑掛けてないといいんだけど」

「いえいえ、むしろ椎名さんにはお世話になっています。その、色々と、教えて頂いてますし……」

 何故か蘭は奥ゆかしく頬を染めながら、もにょもにょと語末を濁した。どうにも引っ掛かる不審な態度だが、まあ弓の指導でもしてるんだろう、と納得しておくことにする。下手に突っつくと何やら薮蛇になりそうな予感が大いにしていた。その点については触れず、大和は続けて口を開く。

「ところで。ちょっと訊きたい事が、――っ!?」

 ゾクリ、と不意に背筋に冷たいモノが走り、心臓が凍るような思いで反射的に身を翻す。

 自身の有する最大限の素早さで背後を振り返れば、僅か一歩分の至近距離にて、冷酷な視線が大和を射抜いていた。

「あはは、気付かれちゃったか。だけど遅いね、それじゃあぜんぜん遅いよセンパイ。お陰で、“暗殺”って手段で直江大和の首級を挙げるのはとぉってもイージーなミッションだって事が、よ~く分かっちゃったじゃないか」

 にやにやと口元だけは楽しげに笑っているが、大和を見据える双眸に温度はなく、その言葉は乾いた酷薄さに満ちている。

 明智音子――織田信長の二人目の腹心。

 彼女は悠然と大和から離れると、背後の門柱にだらしなくもたれ掛かり、手元の銅鑼焼きに勢い良く齧り付いている。そんな彼女に対し、蘭は窘めるような調子で声を掛けた。

「もう、ねねさん。無闇に気配を消して人を驚かせてはダメですって言ってるじゃないですか。私達の“武”は、悉く偉大なる主へと捧げるべきもの。些細な悪戯の為に在るのでは無いのですから」

「あ~はいはい分かってる分かってる。……ねぇセンパイ、今はご主人の意向でキミたちに“何もしない”でいるけどさ――時期が来たら、もっと気を引き締めなきゃダメだよ?もしも軍師が真っ先に討ち取られちゃったら、その時点で全軍総崩れ間違いなしなんだから。一令を以って人を動かす身なら、常に自分の立場と責任を自覚しなきゃね。うふふふ」

「……ご忠告、どうも。胸に刻んでおくよ」

「あ、ちなみに本題。ランからご主人に関する情報を引き出そうとしてもムダだよ?センパイ的にはうっかり口を滑らせるのを期待してるのかもしれないけどさ、ランはご主人の不利益に働くようなミスだけはしないからね。あはは、残念で~したっ」

 胸の奥を見透かしたような鋭い目で言い放つと、一転、けたけたと屈託のない陽気さで笑う。その得体の知れない不気味さに思わず言葉を失う大和を脇に、彼女はゴクンと音を立てて豪快に銅鑼焼きを嚥下してから、再び飄々と口を開いた。

「そう言えば、センパイは島津寮で暮らしてるんだよね?だったらまゆっちの事をよろしくね~。まゆっち――黛由紀江は、私の大事な大事な“友達”だから、さ。うふふっ」

「友達……ね」

 黛由紀江。今年の四月から新たに入寮してきた、あの挙動不審な一年生――未だにまともな会話が成立した試しがないのでいまいち性格は掴めていないが、彼女もまた織田信長の一党だった、という事なのか?

 しかし仮にそうだとして、敢えてその事実をここで自分に告げたのは如何なる意図があっての事なのだろうか――と思考を巡らせる大和を、ねねは虫の生態を観察する様な醒めた目で見遣っている。

「ま、凡夫は凡夫なりに精々頑張って、力の及ぶ限りご主人を満足させてね、センパイ。あんまり期待ハズレだと、おっかない魔王様のご機嫌を損ねちゃうかも知れないよ?くふふ、じゃあね~」

 言いたい事は言った、とばかりに、ねねはひらひらと手を振りながら、悠然と通りの奥へと歩き去っていった。

 現れるのも突然ならば去るのも唐突である。キャップとは違った意味でフリーダムな後輩だ――とそのフットワークの軽さに呆れていると、残された蘭がやや決まり悪げに眉を下げながら、大和に向かって小さく頭を下げた。

「あ、あの、申し訳ありません。例え主に敵対する相手であれ、武人としての礼を失してはいけない、と日頃から言い聞かせてはいるんですが……ご覧の通り、ねねさんはああいう人ですから。お気を悪くされたなら謝ります……」

「いや、気にしてないから大丈夫。むしろいい薬になったよ」

「……お心遣いありがとうございます。それでは、私もそろそろ失礼しますね。……ねねさんの浪費癖は私が何としても抑えないとっ」

 深々と折り目正しく頭を下げると、何やら決意の色を宿した表情で、蘭はねねの後を追ってぱたぱたと駆け去っていった。

 こうして可笑しさと愛嬌を感じさせる後ろ姿を見送っていると、信長の傍に控える殺戮機械の如く冷徹な少女と同一人物だとは到底思えない。実際に言葉を交わしてみれば、愛想も良いし人並み以上に礼儀正しかった。その心根は、少なくとも悪人という形容からは程遠いように大和には思える。

「――噂は噂、か」

 日頃から築き上げてきた大和の人脈は学生の域を超えて広きに渡り、その情報網は危険な裏社会の一端にも及んでいる。そうした筋から、織田主従に関わる様々な情報を手に入れたが……中には裏の取れない無責任な“噂”も数多い。織田信長の懐刀として悪名高い少女に関しても、噂は付き纏う。当然ながら良い噂は皆無で、大和が伝え聞いた内容は全てが物騒な悪行の類だった。

 その中でも、最も大和の興味を惹いた、とある噂。
 
 それは、堀之外の闇へと葬られ、今となっては知る術の失われた、“十年前の惨劇”の真実。

 しかし、直に接して推し量った彼女の人格から考えれば、それも所詮は悪質なデマに過ぎないのだろう。他者の事に関してはどこまでも好き勝手に想像を膨らませるのが人間という生物の性なのだから。

 そもそも。当時、未だ齢十歳に満たない筈の少女が、“自身の両親を惨殺した”など――思えばあまりにも荒唐無稽だ。

 話題とするに好都合なドラマ性はあるのかもしれないが、少なくとも現実的とは言えない。現実主義者を自認する大和としては、そう容易く鵜呑みに出来る話ではなかった。

 そんな事より、と大和は思考を切り替える。根拠の無い妄想話の真偽を真剣に検討するよりも、現実として解決すべき問題は他にあるだろう。

 信長との繋がりが浮き上がってきた島津寮の新入り一年生、黛由紀江。“敵”が自分達のすぐ傍で寝起きしているとなれば、間違っても捨て置く訳にはいかない。そして、悩みの無さそうな無邪気な笑顔で和菓子を頬張っている、もう一人の新入りもまた、看過しがたい重大な問題だ。

「んー、気付いたらだいぶ遅くなったな。クリス、そろそろいいか?寮まで案内しようと思うけど」

「む、アレも食べてみたかったが……まあいい、楽しみは後に取っておこう。これから何度も機会はあるんだ、一気に全てを味わってしまっては勿体無いからな!うん、計画性は大事だ」

 この“義”を信条とする頑固な騎士様の手綱をいかにして握れば良いのか。具体的には、織田信長に対しすぐにでも問答無用の突撃を敢行しそうな彼女を、どう止めるべきなのか。今回は幸いにしてニアミスで済んだが、これから彼らと同じ学園で過ごす以上はいつまでも不確かな幸運に頼る訳にもいかない。

「はぁ。やれやれだ」

 前途は多難だな――と軍師・直江大和は小さく溜息を吐きながら、沈み往く夕日を目指して歩き出した。











 

 さて、直江大和が偶々立ち寄った和菓子屋にて慮外の相手と遭遇していた頃――川神学園の学長室では、二人の男が向かい合っていた。

 来客用のテーブルを挟んでソファーに腰を沈ませているのは、軍服を纏った初老の男性と、見事な髭を蓄えた老翁である。ドイツ連邦軍中将、フランク・フリードリヒ――そして川神学園学長、川神鉄心。双方共に老齢を欠片たりとも思わせない威圧感を総身に宿しており、その眼光は衰えるどころか、経験の重みを伴ってより強烈に研ぎ澄まされている。生半可な武人ならば踏み込む事すら躊躇われるような戦気が、室内に充満していた。

「さて、大体の事情は承知しておるが――幾らなんでも銃器を持ち出すのはやり過ぎじゃろう。もしも実際に学園内で発砲しておったなら、このワシが只では済まさん所じゃ」

 重々しい口調で、鉄心は切り出す。その声音には、紛れもない圧力が込められていた。

 鉄心にしてみれば当然の対応だ。川神学園という鉄心のテリトリー内で好き放題に振舞われるという事は、学園のみならず川神院の威光を蔑ろにされているも同義である。相手が他国の軍隊であろうと、総代として黙って引き下がっている訳にもいかなかった。

 常人ならば泡を吹いて気絶しかねない武神の眼光を正面から受けて、しかしフランク・フリードリヒはあくまで平然たる態度を崩さない。彼は紅茶を注いだティーカップを悠々と傾けてから、静かに鉄心の目を見返しながら口を開いた。

「ああ、考えてみればそうだ。結局は最後まで一発も撃たなかったか――やれやれ、それでは確かに誤解されても無理はないな」

「誤解?どういうことかの」

「なに、いくら私とて、他でもないKAWAKAMIの保護下にある生徒に実弾をお見舞いしようとは思わんよ。私がこの銃の弾倉に込めているのは、暴徒鎮圧用の特殊加工ゴム弾……使い方を誤りさえしなければ、致死性は皆無だ。無論、部下の装備も同様だよ。私の目的はクリスの安全を脅かす危険因子を排除する事だ、命まで奪う気は最初から無い。精々が死ぬほど痛い目を見て貰うつもりだっただけなのだよ。その程度ならば何も問題は無いだろう?」

「その程度て……。ここ学校なんじゃがの、日本の」

 まるで悪びれた様子もないフランクの堂々たる態度に、鉄心は頭痛を堪えるようにこめかみを抑えて目を瞑った。殺しさえしなければ何をしてもいいという発想が既に理解の外である。流石に中将を務める男だけあって、色々な意味で只者ではなかった。

「まあ、仮に我々が実弾を用いていた所で、結果は変わらなかっただろうがね。“彼”の阿修羅を思わせる気迫、まさに規格外と言うべきものだ。私が“全力”を引き出していたとしても、果たして満足な勝負になっていたかは怪しい所だな。流石にKAWAKAMIの膝元、恐ろしい武士がいるものだ」

「あやつを基準に考えられても困るんじゃがのう。幾らなんでもアレは例外じゃよ」

 かつて鉄心が筆頭の弟子として目を掛けた男、釈迦堂刑部。彼の鬼才には度々舌を巻かされてきたものだが――織田信長という生徒は釈迦堂と同質の気配を有し、ある意味では彼をも凌駕している。二十にも満たない若さを以ってそこまでの境地に至る武人など、世界を探した所でそうは見つからないだろう。まさしく、末恐ろしい、と形容するに相応しい若者だった。

「率直に言うが、私は、今でも考えを曲げてはいない。あのような怪物と同じ学び舎にクリスを通わせるのは、あまりにも不安が大きいのだよ。生来、クリスは己の正義感に素直過ぎる部分があってね。彼の如き存在を容認できるかと問われれば、おそらく答えは否だろう」

「……」

「――そう、彼は危険だよ。底知れない力も脅威と捉えるに十分ではあるが、私が何よりも危険だと感じたのは……その内面だ。先の対話の中で、彼は一瞬だけ己の内を晒して見せたが――正直に言うと、私はぞっとしたよ。彼の目は、私など見てはいなかった。眼中に収めているのは、遥か遠方に映る巨大な野望のみ。断言してもいい――地獄の業火の如く燃え盛る彼の“野心”は、いずれ全てを呑み込み、焼き尽くす。例えKAWAKAMIと言えども、手綱を取って御し切れるような生易しい男ではないだろう。貴方ならばその程度は理解していただろうに、何故彼の入学を許したのかね?多くの生徒達の心身を守り、確実な安全を保障するのも、学長たる者の義務ではないのかね」

 射竦めるような視線と共に問い掛けられた言葉は、鉄心にとっては初めて耳にする類のものではない。

 織田信長と森谷蘭の両名を転入生として2-Sに迎え入れる、と鉄心が告知した時、多くの者がフランクと同様の諫言を述べた。彼が以前に籍を置いていた太師高校にてどのような振舞いに及んでいたか、僅かでも知る者ならば当然の反応ではある。圧倒的な恐怖による支配と統制――伝え聞く話を信じるならば、もはや問題児などというレベルではない。受け入れを忌避されるのは必然だったと言えよう。

「……確かに、あやつの野心は本物じゃろうの。ワシとてそれが判らぬほど耄碌してはおらん」

「ならば――」

「じゃがの、ワシは思うのじゃよ。あやつはある意味では――ワシの望む、“模範生”なのではあるまいか、と」

 あたかも自らに言い聞かせるような響きを伴う鉄心の言葉に、フランクは訝しげに眉を上げた。

「模範生……?彼は、そのような評価とは程遠いと思うがね。日本人の価値観は我が祖国とは大いに異なるようだ」

「安心せい、大多数の日本人はお主と同じ意見じゃろう。所詮、これはワシの個人的な価値観に過ぎん。じゃが――そもそもにしてこの学園は、他ならぬワシの思想の下に築かれた。即ち、生徒達が自ら競い合い、切磋琢磨する事こそが学園という環境にて成せる最上の教育。誰もが何かを望み、何かを求めて“闘い”を乗り越える事で、より強く逞しく、成長を果たせる……それがワシの掲げる教育理念じゃ」

 困難に打ち克って望むモノを己が手に掴み取ろうと云う、その意志こそが真に人を成長させる。胸に抱く野望が大きければ大きいほど、他者の上に立ちたいという気概が大きければ大きいほど、より優れた己で在る為の弛まぬ努力を続けられるのだ。

 そうした性質を持つ生徒を積極的に集め、学園という箱庭の内部にて引き合わせる事で互いの競争意識を刺激し、全体の質を向上させる――それが川神鉄心の旨とする運営方針だった。各学年に設置された特設学級、“S組”の在り方は、この学園の中で最も色濃く鉄心の思想を反映していると言えるだろう。決闘システムに代表される各種校則も、生徒達の競争を促進する為に設定したものだ。

――故に、織田信長の在り方は、ある意味で鉄心の理想を体現していると言っても良い。

「あやつには迷いが無い。恐ろしい程に固い信念を抱き、己が道を貫き通さんと努めておる。その道が“正しい”と呼べるモノではなくとも――その覚悟は疑いなく本物じゃ。そうした誇り高い在り方は、周囲の人間を否応なしに感化するものなのじゃよ」

 顕著な例としては、彼と矛を交えた2-Fの生徒達だろう。

 彼らは眼前に立ち塞がる織田信長という“壁”を前に、危機感を掻き立てられ――いずれは乗り越えようと言う意志の下、各々が何かしらの形で努力を始めた。天下五弓の一人に数えられながら弓道と向き合う事を厭っていた椎名の娘は、自らの意思で部活動に復帰し、学園一の自由人たる風間翔一は武術に興味を示し始め、孫娘の一子はいよいよ気焔を上げて日々の修行に励んでいる。その他の面々にも間違いなく、己を磨こうという意識が芽生えている様子だった。

 そして何より――鉄心が思うのは、もう一人の孫娘、百代の事である。

 百代は、変わった。ひたすらに闘いを求め、血に餓えた獣の如く贄を欲していた彼女は今、並々ならぬ決意を以って自らのサガと向き合おうとしている。修羅道に堕ちる将来を危惧し、師として祖父として幾度となく説得を試みても聴く耳を持たなかった百代は、信長という男の在り方に触れた事を切っ掛けに、確実な変化を遂げた。己の内面を見詰め直す事で、自身の誇りの在り処を再確認する――鉄心が後継たる孫娘に最も欲していた“心の強さ”を手に入れようとしているのだ。それがどれ程に大きな一歩であるか、当人はまだ気付いていないだろう。

「超えるべき“壁”として他者の前に立ち塞がる者と、その試練を乗り越えるべく研鑽を積む者。これは紛れもなく切磋琢磨の一つの形と言えるじゃろう。お主の娘、クリスは確かにあやつとは相容れぬかもしれんが――しかし敵として相対し、ぶつかり合う事で得られるものは必ずあるじゃろうて。真に娘を想うならば、掛け替えの無い成長の機会を摘み取るべきではない、とワシは思うがの」

 鉄心の言葉を受けて、フランクは静かに目を瞑った。眉間に皺を寄せ、懊悩の声を漏らす。

「……確かに“彼”の存在はクリスの資質を磨くには都合が良いかもしれないがね。私はどうしようもなく心配なのだよ。もしも愛娘の身に万が一の事があったらと思うと、心安らかに軍務に励む事すら侭ならないのだ。貴方も子を持ち、孫を持つ身ならば、私の懸念を理解出来るだろう?」

「まあ、の。じゃが、お主の場合は少しばかり心配が過ぎておるようじゃ。この学園の中で、あやつがクリスに危害を加える事はあるまい。“決闘”の制度を何の為に敷いたのか、考えてみると良かろう」

 それに、鉄心の見立てでは、信長は外面の凶悪さに反して、極めて理性的な人物だ。

 一般に欠片の人情も有さない冷酷な男と認識されているが、事実は逆であろう――むしろその内面は、溢れ出んばかりの苛烈な感情の渦巻く、類を見ない程の激情家と言える。ただ、あらゆる感情を強靭な理性で抑え付け、その悉くを自らの管理化に置いているが為に、傍目にはあたかも機械人形の如く冷徹な人間として映る――そういった人物であるが故に、無用にルールを逸脱した行為は決して行わないと断言出来た。感情ではなく勘定を行動の指針としている以上、必要を超えて生徒を害するようなやり方は望まないだろう。

「それでも不安があると言うならば……川神院総代たるワシの名に掛けて、全生徒の確実な安全を保障すると改めて誓おうかの。この学園にワシがおる限り、生徒の誰一人として無法な暴力の牙に掛けさせはせん。それとも――武神と呼ばれた身とは云え、衰えたジジイの保障では、安心できぬかの?」

 鉄心は薄く目を開き、威を込めて真摯に語り掛ける。対するフランクは腕組みしたまま黙していたが、やがて決然と口を開いた。

「……余人ならばともかく、KAWAKAMIがそこまで言うのであれば疑う余地はあるまい。これで、私も幾分か安心して娘を預けられそうだ。貴重な時間を割いてまで足を運んだ甲斐があったというものだよ」

 一息に紅茶を飲み乾すと、フランクは軍人らしいキビキビした動作で立ち上がった。

「愛する娘の身を守るためとは言え、学園内で狼藉を働いた無礼は改めて詫びさせて貰おう。誠に、申し訳ない」

「……元はと言えば親の子煩悩から生じた振舞い、徒に騒ぎ立てて世間に波風を立てる事もなかろうて。この一件についてはワシの胸にしまって置こうかの。あやつが納得するかどうかが気掛かりじゃが、まあ過去の遺恨を女々しく引き摺るタイプでもないじゃろ」

「寛大な対応、心より感謝する。――さて、未だ片付けなければならない軍務に追われる身なのでね、そろそろ失礼させて頂こう。くれぐれも、くれぐれもクリスの事を頼んだぞ」

 何度も振り返って執拗に念を押しながら、フランクは部屋から退出していった。

「……やれやれ、じゃ」

 静けさの戻った学長室にて、鉄心は心中の疲労感を吐き出すように盛大な溜息を漏らす。

 嵐が去った、とはまさにこういった時に使うべき言葉なのだろう、としみじみ思いながら、迎賓用の柔らかいソファーに深々と身体を沈めた。

 体罰や決闘といった川神学園独自の制度に的外れな文句を付けてくる保護者、いわゆるモンスターペアレンツの類は日頃から数多い。故にそういった輩の捌き方にも手慣れている鉄心だったが、流石に相手がドイツ軍の英雄ともなれば普段同様の対応が通じる筈もなかった。本当に色々な意味で疲れる相手である。

「ま、何はともあれ一件落着、じゃの」

 信長がクリスに対して鉄心の予想を上回るような暴挙に出ない限り、再びあの親馬鹿がこの学園に襲来する事はないだろう。そう考えれば、この件はもはや解決したも同然である。

 何故ならば、信長が学生の領分を守る心算である事は既に“確認”しているのだから。

 彼は自ら定めた指針を曲げるタイプの人物ではない、と鉄心は見込んでいた。

 空恐ろしいまでの意志と信念を以って自身を完璧に制御している織田信長には、外観ほどの危険性は無い。

「…………」

 故に。

 真にその存在を危ぶむべきは――信長本人ではなく、その従者だ。

 常に主君の傍に控える刀遣いの少女。2-S所属、出席番号32番、森谷蘭。

 つい先程の闘いにて垣間見た彼女の在り方は、酷く歪で、累卵の如く危うい。

「あの“氣”、何とも……嫌な予感がするのう」

 彼女の剣には、鬼が棲んでいる。

 現世への怨嗟と赫怒に嘶く、煉獄の悪鬼が。


「――あの“森谷”の遺児……ならば、剣鬼と成り果てるも、或いは道理やもしれぬの」


 誰も居ない学長室にて、一人の老人が、疲れたように呟いた。
















~おまけのドイツ軍~


「――私だ。現在、手は空いているかね、少尉」

『はい中将、問題ありません。敵地にて征圧任務を遂行中ですが、私の能力を以ってすれば“片手”で十分に事足りますので』

「ふ、流石は少尉、頼もしい事だ。ならばそのまま聞くがいい。君には六月初頭より日本にて特殊任務に就いて貰う事になっていたが……事情が変わった」

『それは命令を撤回する、という意味でしょうか?』

「いや、そうではない。むしろ逆だな――君には本来よりも予定を速め、現在の任務を完了次第、急ぎ来日して貰いたい」

『……お嬢様の身に関わる事、ですね。ならば――Hasen Jagd(野ウサギめ、狩ってやる)!――失礼しました、浅はかにも逃亡を試みる愚か者が視界に入りましたので』

「ふふ、逃げ惑う獲物を前にしては狩人の血が抑えられんか。欧州最強の“猟犬”……この任務を託せるのは君だけだと、私は確信している」

『お褒めに預かり光栄です。――マルギッテ・エーベルバッハ、謹んで了解しました。必ず中将の期待に応えてみせましょう』

「うむ、それでは任務を続行したまえ。――全ては私の可愛いクリスの為に。打てる手は全て打たねばな、ふふふ」













 Aパートと今回の内容を一話分で収めようとしていた作者には間違いなく計画性が致命的に欠如しています。
 という今更過ぎる事実はさておいて。今回は後始末及び繋ぎの回という事で、動きが少なくなっています。必要に迫られて書いた説明的な内容が多いので、退屈に感じられたなら申し訳ありません。話としての重要さと面白さが比例しないのは反省すべき点ですね。
 
 ところで作者的に以前から気になっていたのが、原作未プレイの方に不親切な内容になっていないか、という点。原作からして登場人物が多いにも関わらず、更に幾人ものオリキャラをぶち込むという暴挙に出ているこの作品、読者が登場人物をまず把握し切れていないのではないか、と懸念しています。

 そろそろ人物表でも作った方が良いのだろうか……と検討しつつ、それでは次回の更新で。


・前回、信長が軍人達に放った殺気について

 これについては本文中で説明不足だった感がありますので、軽く補足を。

 奥義の“殺風”が文字通りの制御できる全力、フルパワーの放出である事に対して、前回用いたのは同様の“広域威圧”ながら、比較すると幾らか出力が劣っています。全力の一歩手前、と言った所ですね。判り難い書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.026651859283447