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No.13860の一覧
[0] 俺と彼女の天下布武 (真剣で私に恋しなさい!+オリ主)[鴉天狗](2011/04/15 22:35)
[1] オープニング[鴉天狗](2011/04/17 01:05)
[2] 一日目の邂逅[鴉天狗](2012/05/06 02:33)
[3] 二日目の決闘、前編[鴉天狗](2011/02/10 17:41)
[4] 二日目の決闘、後編[鴉天狗](2009/11/19 02:43)
[5] 二日目の決闘、そして[鴉天狗](2011/02/10 15:51)
[6] 三日目のS組[鴉天狗](2011/02/10 15:59)
[7] 四日目の騒乱、前編[鴉天狗](2011/04/17 01:17)
[8] 四日目の騒乱、中編[鴉天狗](2012/08/23 22:51)
[9] 四日目の騒乱、後編[鴉天狗](2010/08/10 10:34)
[10] 四・五日目の死線、前編[鴉天狗](2012/05/06 02:42)
[11] 四・五日目の死線、後編[鴉天狗](2013/02/17 20:24)
[12] 五日目の終宴[鴉天狗](2011/02/06 01:47)
[13] 祭りの後の日曜日[鴉天狗](2011/02/07 03:16)
[14] 折れない心、前編[鴉天狗](2011/02/10 15:15)
[15] 折れない心、後編[鴉天狗](2011/02/13 09:49)
[16] SFシンフォニー、前編[鴉天狗](2011/02/17 22:10)
[17] SFシンフォニー、中編[鴉天狗](2011/02/19 06:30)
[18] SFシンフォニー、後編[鴉天狗](2011/03/03 14:00)
[19] 犬猫ラプソディー、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:50)
[20] 犬猫ラプソディー、中編[鴉天狗](2012/05/06 02:44)
[21] 犬猫ラプソディー、後編[鴉天狗](2012/05/06 02:48)
[22] 嘘真インタールード[鴉天狗](2011/10/10 23:28)
[23] 忠愛セレナーデ、前編[鴉天狗](2011/04/06 14:48)
[24] 忠愛セレナーデ、中編[鴉天狗](2011/03/30 09:38)
[25] 忠愛セレナーデ、後編[鴉天狗](2011/04/06 15:11)
[26] 殺風コンチェルト、前編[鴉天狗](2011/04/15 17:34)
[27] 殺風コンチェルト、中編[鴉天狗](2011/08/04 10:22)
[28] 殺風コンチェルト、後編[鴉天狗](2012/12/16 13:08)
[29] 覚醒ヒロイズム[鴉天狗](2011/08/13 03:55)
[30] 終戦アルフィーネ[鴉天狗](2011/08/19 08:45)
[31] 夢幻フィナーレ[鴉天狗](2011/08/28 23:23)
[32] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、前編[鴉天狗](2011/08/31 17:39)
[33] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、中編[鴉天狗](2011/09/03 13:40)
[34] 幕間・私立川神学園第一学年平常運行中、後編[鴉天狗](2011/09/04 21:22)
[35] 開幕・風雲クリス嬢、前編[鴉天狗](2011/09/18 01:12)
[36] 開幕・風雲クリス嬢、中編[鴉天狗](2011/10/06 19:43)
[37] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Aパート[鴉天狗](2011/10/10 23:17)
[38] 開幕・風雲クリス嬢、後編 Bパート[鴉天狗](2012/02/09 19:48)
[39] 天使の土曜日、前編[鴉天狗](2011/10/22 23:53)
[40] 天使の土曜日、中編[鴉天狗](2013/11/30 23:55)
[41] 天使の土曜日、後編[鴉天狗](2011/11/26 12:44)
[42] ターニング・ポイント[鴉天狗](2011/12/03 09:56)
[43] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、前編[鴉天狗](2012/01/16 20:45)
[44] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、中編[鴉天狗](2012/02/08 00:53)
[45] Mr.ブシドー×Ms.キシドー、後編[鴉天狗](2012/02/10 19:28)
[46] 鬼哭の剣、前編[鴉天狗](2012/02/15 01:46)
[47] 鬼哭の剣、後編[鴉天狗](2012/02/26 21:38)
[48] 愚者と魔物と狩人と、前編[鴉天狗](2012/03/04 12:02)
[49] 愚者と魔物と狩人と、中編[鴉天狗](2013/10/20 01:32)
[50] 愚者と魔物と狩人と、後編[鴉天狗](2012/08/19 23:17)
[51] 堀之外合戦、前編[鴉天狗](2012/08/23 23:19)
[52] 堀之外合戦、中編[鴉天狗](2012/08/26 18:10)
[53] 堀之外合戦、後編[鴉天狗](2012/11/13 21:13)
[54] バーニング・ラヴ、前編[鴉天狗](2012/12/16 22:17)
[55] バーニング・ラヴ、後編[鴉天狗](2012/12/16 22:10)
[56] 黒刃のキセキ、前編[鴉天狗](2013/02/17 20:21)
[57] 黒刃のキセキ、中編[鴉天狗](2013/02/22 00:54)
[58] 黒刃のキセキ、後編[鴉天狗](2013/03/04 21:37)
[59] いつか終わる夢、前編[鴉天狗](2013/10/24 00:30)
[60] いつか終わる夢、後編[鴉天狗](2013/10/22 21:13)
[61] 俺と彼女の天下布武、前編[鴉天狗](2013/11/22 13:18)
[62] 俺と彼女の天下布武、中編[鴉天狗](2013/11/02 06:07)
[63] 俺と彼女の天下布武、後編[鴉天狗](2013/11/09 22:51)
[64] アフター・ザ・フェスティバル、前編[鴉天狗](2013/11/23 15:59)
[65] アフター・ザ・フェスティバル、後編[鴉天狗](2013/11/26 00:50)
[66] 川神の空に[鴉天狗](2013/11/30 20:23)
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[13860] 夢幻フィナーレ
Name: 鴉天狗◆4cd74e5d ID:3c988b27 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/28 23:23
 

―――私にとって、最強で在る事はあまりにも容易かった。



 思い返してみれば、この世に生まれ落ちたその瞬間から、世界最強の座は約束されていたようなものだった。敏捷性・瞬発力・筋力・柔軟性・持久力・動体視力・平衡感覚・反射神経、そして何よりも身に宿した“氣”の総量……全てが絶対的に圧倒的。現代の武神と謳われる最強の武人、川神鉄心の血は、才は、両親を介して余すところ無く私に受け継がれていた。鍛錬に汗を流すまでもなく、私の力は成長と共に膨れ上がっていった。

 勿論、だからと言って殊更に修行を怠ったつもりはない。武道の総本山・川神院の次世代を担う娘の務めとして、幼い頃から兄弟子達に混じり、厳しい鍛錬の中で毎日を過ごしてきた。同年代の子供達とは比較にならない修練を積んできた自負は、確かにある。しかし……それでも私は、幼心に疑問に思ったものだ。自分の隣で必死の鍛錬に励んでいる三十路の兄弟子の姿を眺めながら、『この人はもうここで何年修行を続けているんだろう?』『どうしてこんなに必死に頑張っているのに』『毎日毎日、私よりも早く起きて、私よりも遅くまで修行してるのに』『この人はどうして――私よりも、弱いんだろう』、と。

 そんな疑問に対する答を何となく理解できたのは、小学校への入学を控えた年齢の時だ。その頃になると、兄弟子達の中で私と満足に組み手が出来る人は一人も居なくなっていた。氣の殆どを抑えて、散々手加減して、それでようやく勝負が成立するかしないか、と言ったところだ。自分の両親ですらも、本気で闘えば打ち負かす事は十分に可能だった。武道家として数十年のキャリアを持つベテランを相手に、両手の指で数えられるような年齢の幼児が、勝ってしまう。それは、決して彼らが弱い訳ではなく――自分が強過ぎるが故に生じてしまった異常なのだと、やっと私は悟った。

 しかし当時、そんな私よりも更に上の力量を有する武道家が身近に居た事は幸いだった。全力を遠慮なくぶつけられる相手が不在だったなら、幼い私は力の捌け口を見失っていただろう。総代のジジイにルー師範代、今は川神院を破門された元師範代の釈迦堂さん。彼らと繰り広げる闘いは、いつも血沸き肉踊る、これ以上無く楽しいモノだった。本物の強者との力を尽くした闘いは何よりも私を充実させてくれた。何度地面に叩き伏せられても気にならないくらい、楽しくて楽しくて仕方が無かった。どんな遊びも決して与えてくれない、心の奥底まで染み渡るような満足感。私は他の何事よりも深く、武の道にのめり込んでいった。ジジイも両親も私が武に深い興味を示した事を喜んだ。自分の後を継いでくれる者が早くも半ば定まったとなれば当然の話だろう。

――何かが狂い始めたのは、今から十年ほど前の事だっただろうか。

 川神院での鍛錬を通じて私の武才は見事に開花し、その実力は既に師範代クラスに達しているとすら噂される程のものになっていた。実際、私の指導を担当していた釈迦堂さんも、苦笑混じりに噂を肯定するような発言を零していたような気がする。周囲の評価がどうであれそんなことは関係ない、楽しい闘いが出来ればそれでいい――私はそう思っていたし、釈迦堂さんも同意してくれた。

 釈迦堂さんは私に似ていた、と思う。他の何よりも愉しい闘いを優先する武人としての在り方は、私にとって強い共感を誘うものだった。その頃から、私はジジイやルー師範代を始めとする川神院の武道家達の教えに反感を抱き始めていた。

『闘争こそが武人の本懐ならば、体得した武を揮うことを愉しんで何が悪いのか』

 武道に精神性を重視する傾向のある川神院の面々は、積極的な闘いを肯定する私の思想を危ぶみ、何かにつけて厳しく咎めてきたが、釈迦堂さんだけは違った。彼は私の考え方に同調してくれたし、私の闘争への想いを理解してくれた。院の掟で基本的には禁じられている、互いに本気の真剣勝負を私が望んだ時も、快く対戦相手を引き受けてくれた。院の中で思想的に孤立していた私が、鬱屈した悩みを相談できるのは釈迦堂さんだけだった。紛れもなく彼は私と同類だった――いや、ある意味では私以上に闘いを求めていたのかもしれない。

 その釈迦堂さんが、ある日、破門された。師範代の地位を剥奪され、院を追放された。

 理由は――武道家としての精神性の欠如。礼を重んじ、清廉な武を掲げる川神院には、彼の抱く過激な思想は相応しくないと判断されたのだ。当人はさほどショックを受けた様子もなく、普段同様の飄々とした調子で去って行ったが、それは当時の私にとっては相当に衝撃的な事件だった。何処かへと消えてゆく釈迦堂さんの背中を見送る皆の冷たい視線が、いずれは自分に向けられるのではないか、と思い悩んだのを覚えている。

 だが、釈迦堂さんが川神院を去った事で新たに生じた問題は、そんな悩みをも容易く押し潰してしまうものだった。その問題とはすなわち、“敵”の不在、だ。全力を発揮して死闘を演じられる好敵手が、気付けば私の周囲には誰一人として居なかった。数多くいる兄弟子達はとうの昔に相手にもならなくなっていた。師範代候補と目されるトップクラスの武道家ですらも例外ではない。まず間違いなく愉しく闘えるであろうジジイもルー師範代も、釈迦堂さんのように真剣勝負の申し込みを受けてはくれなかった。戦いたい、戦いたい闘いたい戦いたい――私の内に根ざした欲求は日に日に勢力を増して、甘美な闘争を求める焼け付くような想いが絶えず理性を焦がした。見かねたジジイが世界的に強者とされる武人達との戦いを幾度もセットアップしてくれたが、しかし残念な事に彼らは悉く、期待ハズレだった。私の全力を受け止めるには、あまりにも脆弱。大抵の相手は、奥義を放つまでもなく初撃で決着が付いてしまう。まるで、充たされない。時には揚羽さん……武道四天王が一人・九鬼揚羽のように、私の求める水準に達した実力の持ち主と出逢う事もあったが、そんな事はごく稀だ。その揚羽さんも高校卒業と同時に九鬼財閥の一員として本格的に活動を始め、武道からは遠ざかってしまっている。それに、私の知る中で最も優れた能力を有する武人の一人である彼女ですらも――正直に言えば、純粋な戦闘能力のレベルは私よりも数段劣る。私が川神流のあらゆる奥義を出し惜しまず、全力中の全力で戦えば、恐らく沈めるに数分と要さないだろう。それは思い上がりでも何でもなく、頂点に立つ武人としての極めて客観的な判断だった。

 加えて、私の武人としての成長は未だに終わってはいない。これから先もその力は伸び続けて、やがては誰の手も届かない領域に辿り着くのだろう。或いはジジイも揚羽さんもルー師範代も釈迦堂さんも、私の闘争本能を満足させられなくなってしまう程に。誰にも脅かされる事のない、唯一絶対の、天下無双の座。それを得る事は武人としてはこれ以上ない程の喜びである筈なのに――私は、酷く虚しい気分だった。

 孤高の王者は、居なくなった敵の代わりに今度は孤独と闘わなければならない。絶対的強者であるが故の、絶対的な孤独。そうなった時、私は自分の内に蠢くこの衝動を、一体どうすれば良いのだろうか。こんなにも狂おしく、闘いを求めていると云うのに。

 そうした将来への漠然とした不安が、常に私の脳裏に巣食っていた。溜まったストレスを闘争で解消しようとしても、全力を発揮するに相応しい相手は一向に現れない。世界のトップレベルと称される武人達が私の何でもない一撃であっさりと倒れ伏す姿を見る度に、却って胸中のモヤモヤは募っていくばかりだった。“世界のトップレベル”の実力が本当にこの程度だと云うのならば……もはや“これ以上”は無いのか、と。私は既に強くなり過ぎていて、真に好敵手と呼ぶべき者などこの世の何処にも存在し得ないのか、と。そこに思考が至る度に、私は腹立たしさと憂鬱の入り混じった暗澹たる気分に襲われた。風間ファミリーの仲間達と気侭に遊んでいる時間だけは自分のサガを忘れられたが、最近ではそれでもいまいち気が紛れなくなってきている。仲間と一緒にバカ騒ぎしている時も、気付けば頭の隅で闘いの事を考えている自分がいた。

 そんな悩みを抱えたまま川神学園にて三度目の春を迎えた時――私は、“見つけた”。

 一学年下の2-Sに転入してきた二人組。両者共に私の食指を動かすに十分だったが――特にその片割れは、極上の獲物と言うべき美臭で忽ち私を魅了した。胸中に積もり積もっていた幾多のフラストレーションなど、一気に吹き飛んでしまった。

 織田信長――それが男の名前。一見しただけで、私はその異常性を正しく認識させられた。全身より絶えず溢れ出ている凶悪な殺気は、釈迦堂さんの纏う気配と同質で、そして釈迦堂さん以上に凄まじい圧力を感じさせるものだった。間違いなく世界屈指の武人であり、川神院の師範代を務めた男をも凌駕する、桁外れにして常識外れの威圧感。なまじ比較対象が身近に居ただけに、その存在の滅茶苦茶さは痛いほどに感じ取る事が出来た。身体の芯がビリビリと痺れるような感覚に、私は武者震いを抑えられなかった。

 これは、強い。強い、などという表現だけでは到底形容し切れないほどに、強い。

 或いは最強の私と同じ舞台で競えるかもしれないほどに――強い!

 ようやく出逢えた好敵手の存在に、私は歓喜した。未だ実力の片鱗すら見せない、全てが謎に包まれた未知の達人との闘いを想像し、脳裏に描くだけで、私は堪らない充足感を覚えた。だが、すぐに充足感は更なる渇きへと形を変えて、私を苛む飢餓感は瞬く間に耐え難い強さへと達する。故に、気紛れで観戦に立ち寄った決闘にてその姿を捉えた後、私がすぐさま仕合を申し入れたのは当然だった。

『俺は、貴様のような半端者と死合うつもりなど、毛頭ない』

 しかし――結果は、拒絶。“精神の未熟さ”が、信長の告げた理由だった。

 それは川神院の皆に口を酸くして言われてきた小言や説教と、ニュアンスとしてはほとんど同じもので、普段の私ならば鬱陶しく思いながら適当に聞き流しているような類のものだった。しかし、いかにも清廉潔白な武人である川神院の面々に言われるならばともかく、傍目にも邪悪な闇の気配を、釈迦堂さんよりも禍々しい殺気を身に纏う男の口から告げられたそんな言葉は、私に少なからず衝撃を与えた。こういう種類の武人からも指摘を受ける程に、私は人間として不安定なのだろうか――そういった戸惑いが胸中に生じたからこそ、私は渋々ながらも信長の言葉に従って、決戦の日を先延ばしにする事にした。少しの間は闘いを我慢して、自分の内面を見詰め直してみるべきなのだと、そう思った。

 だが、生れ持ったサガとはそう容易く抑えきれるような生易しいモノではない。時を経れば経るほど、私の内に蠢く戦闘衝動は勢力を増した。悶々としている内に風間ファミリーと信長の一党が事を構える事となり、ワン子や京が強敵との闘いに身を投じる様子を観ていると、欲求不満の度合いは高まっていく。そして、大将戦にて繰り広げられた一騎討ちにて信長の発した規格外の殺気を目にした瞬間……自制という言葉が消し飛んだ。我慢という二文字が、酷く陳腐で詰まらないものに思えた。ビリビリと肌を突き刺す強烈な殺意を全身に感じながら、私は求め続けてきた死闘の予感に、哄笑を抑えられなくなった。

 そうだ。ファミリーの皆がこんなにも愉しんでいるのに――どうして私だけが仲間ハズレにされて耐え忍ばなければいけないんだ。誰よりも強く、誰より闘いを望んでいる、この私が。そんなのは、不公平だ。理不尽で、在ってはならない事だ。

 いや、そんな事はどうでもいい。もう何もかも、どうでもいい。

 私は……闘いたい。ただ、闘いたいだけなんだ。

 小難しい理屈なんて要らない。胸を焦がすこの想いがあれば、それだけで充分だ。

 だから―――










「次は勿論、“私”との愉しい闘いの番だよな?なぁ―――ノブナガぁッ!!」


 沸き立つような興奮と歓喜に彩られた叫びが、耳の中を反響する。

 
 川神百代―――“川神”の血脈が現代に産み落とした、歴代最強と謳われる武の申し子。


 未だ成人すら迎えない齢であるにも関わらず、既に天下無双の栄誉を欲しい侭にしている武神の名を、知らぬ者などほとんど居ない筈だ。少なくとも何らかの形で武の道に関わった者であれば、間違いなく誰もがその名を強く胸中に刻み込んでいる。いずれ到達すべき目標として、憧憬と共に。或いはいずれ打倒すべき標的として、野心と共に。他ならぬ俺自身もまた、その中の一人だった。

 だがしかし、俺に言わせてみれば……川神百代の保有する怪物じみた力を真に理解している者など世界でもほんの一握りの人間に限られるだろう。“世界最強”という肩書きこそ広く天下に知れ渡っているものの、その言葉が指し示す意味を正しく解釈出来ている者が果たしてどれだけいる事やら。

 所詮、百聞は一見に如かず、である。川神市には世界中より数多の武芸者が訪れ、世界最強の名誉を欲して彼女に闘いを挑み、そして自信と誇りを木っ端微塵に砕かれて悄然と去ってゆく。彼らの大多数はその時になって初めて気付くのだ。川神百代と云う存在を形容するに、言葉など何の意味も持たないのだ、と。実際に対峙し、その暴威に晒された者でなければ、決して彼女の力は判らない。否――例え拳を交えたところで、真に彼女を推し量る事が出来るのは、武の頂点に限りなく近しい屈指の武人のみ。

 それほどまでに、圧倒的。川神百代の力量は、他の人類とは決定的に隔絶した処に位置している。

 俺がその事実を多くの者よりも比較的正確に把握することが出来ていたのは、元・師匠の存在に拠るものが大きかった。かつての川神院師範代、釈迦堂刑部――未だ世界の広さを知らない昔日の織田信長にとって、あの男はまさしく最強の象徴だった。噂伝いに耳にする川神百代の非常識な武勇伝の数々などよりも、自分の眼前で確固たる現実として繰り広げられる凶獣の暴力こそを当時の俺は畏れ敬い、そして大いに憧れたものだ。だからこそ、そんな釈迦堂が修行の合間に零した何気ない台詞は、今でも俺の脳裏に鮮明な形で焼き付いている。

『百代かぁ?あー、アイツはな、俺が破門された時ですら十分アレだったからなぁ。今となっちゃあ間違いなく俺の数倍は強ぇだろうよ、うん。ま、お互い本気で闘り合ったら、ぶっちゃけ何分立ってられるかも分からねぇわ』

 当時の俺にとって、釈迦堂の語る言葉の内容は酷く衝撃的なものだった。自分では仰ぎ見る事すらも叶わない、究極の武と云うべき境地に立っている師匠をして、勝算が無いとまで言わしめる存在。それも川神院総代の鉄心ではなく、自身とほぼ同年代の少女が――?いまいち信じ切れず、半信半疑の内に修行を続けていた俺に、それが紛れもない事実だと教えてくれたのは、板垣辰子の存在だった。彼女の披露する桁外れの武才を目にした時、俺は自身の非才に絶望すると同時に、悟ったのだ。この世界には、凡人の常識如きでは括れない“本物の怪物”と云うモノが確実に存在するのだ、と。

 故に、川神学園への転入に際して、俺が川神百代を最大警戒対象として認識していたのは当然の話であった。何せ――どう足掻いても勝ち目が無い。現時点の織田信長が有する力では、戦闘という領分において彼女を打倒する方法など皆無だ。武力担当の“手足”である蘭をどれほど有効に用いたとしても結果は変わらない。普段ならば如何なる難敵が相手であれ、『信長さまが一の臣の誇りに賭けて、必ずや討ち果たしてご覧に入れます』と一歩も退かない心構えを見せる蘭も、川神百代を一目見た瞬間、たとえ天地が引っ繰り返っても彼女には勝てないでしょう、と早々に諦めていたものだ。戦う前から然様に腰を引くなど武人にあるまじき怯懦ではないか、とそんな風に蘭を責める者がいるなら、それはただ単に川神百代という存在の規格外さを理解していない愚者の証明に他ならない。言うまでもなく勇気と無謀は似て非なるもの、である。

 さて、純粋な戦闘能力に於いては当然ながら話にならず、ならば俺の最大の武器である“威圧”はどうかと言うと……これもまた、全くと言っていい程に通用しない事が既に判明している。九鬼英雄との決闘後に対峙した際、会話と併行して殺気を浴びせる事で実験を行った結果、精神・肉体の両側面からの拘束は、悉くが撥ね退けられて無効化されるという絶望的なデータが入手できてしまった。己が最強である事を自覚している故に心の内に恐怖は無く、その精神に付け入る隙は無い。そして内気功の練度も風間翔一の比ではない故に、肉体を縛る事は実質的に不可能――となれば、通用しないのも当然の話だ。とにかくそういう訳で、今の俺が殺気によって川神百代の身動きを封じる事は実現性が限りなく薄いと言える。

 では、“回避”はどうだろうか。俺が他者に誇れる数少ない戦闘技能の一つ、地獄の特訓で鍛え上げた自慢の回避能力を最大限に駆使すれば、勝てはせずとも負けることは無いのではないか?……そんな風に考えていた時期が、俺にもあった。結論から言えば、論外だ。

 俺の回避技能を構成している各種パーツの中でも最大のものとして、“情報収集”がある。対戦相手の戦闘スタイル・持ち技・思考・性格・癖などのデータを事前に収集し、頭の中に叩き込んで入念に分析する事で、戦闘時における相手の動きを徹底的に計算し、綿密に予測する。それが俺の回避の大前提だ。無論、川神百代は最優先で対策を講じるべき存在であるからして、当然の如く過去の戦闘データは可能な限り集めてある。それらを分析すれば、例えば彼女は『右ストレートで初撃を放つ』という癖、或いは拘りを持っている事が判るのだが――しかしそんな情報が僅かたりとも役に立たない事は、一度彼女と対峙した時点ではっきりと分かってしまった。攻撃が事前に読めたところで、何の意味も無い。何故なら、“例え判っていても避けられない”からだ。目で追う事すら不可能な瞬速の打撃――そんなモノを避けられるほど、俺の反射神経やら動体視力やら身体能力やらは神懸かってはいない。残念ながら、そういう理屈を超越した力業は氣をフル活用する人外の領分だ。氣による身体能力強化を用いず、あくまで突き詰めた“理”による回避を旨とする俺には、容易く音速を突破する彼女の一撃から逃れる術は無い。

 これまでに挙げた要素を考慮に入れた上で、改めて結論を出すとしよう。

―――織田信長は、川神百代に、勝てない。

 それは、水が高きより低きに流れると同様、決して覆せない現実だった。

 こと戦闘という領分に於いては、百代は正しく天下無双と言うべき力を発揮する。知力や観察力といった、俺の保有するあらゆる種類の力を余さず注ぎ込んだ所で、彼女の理不尽に圧倒的な戦闘力の前には全てが無力だろう。いかに頭脳を全力回転させて小賢しい策謀を巡らせても、問答無用の力押しで粉々に打ち砕かれてしまうに違いない。

 彼女と最初に相対した瞬間から理解していた――コレとは戦ってはいけない、と。

 だが、そんな俺の切実な事情は相手にとっては何ら無関係で、だからこそ、現状の如き忌むべきシチュエーションが完成してしまった訳だ。

 わざわざ姿をこの眼で確認するまでもなく、背後から伝わってくるのは総身に怖気を走らせる凶悪な闘気。このまま無視して真っ直ぐ歩き去っていけたなら俺はどれだけ幸せだろうか、と往生際の悪い思考を虚しく巡らせながら、俺は内心の動揺を漏らさない様に細心の注意を払いつつ、振り返った。

「…………」

 一瞬で振り返った事を後悔した。

 川神百代は、これまで遭遇した中では間違いなく最悪に危険な状態だった。餓えた獣を思わせるギラついた双眸は普段同様だが、今回はその度合いが突き抜けている。貪欲に光る紅の目と、全身から禍々しいオーラと変じて滲み出る戦闘衝動。長らくお預けを食らって限界まで腹を空かせた所に血の滴る高級肉を放り込まれた猛獣、そんな表現が相応しい。人間として、武人としての理性が彼女の欲望にブレーキを掛けてくれていなかったら、言葉を交わす間もなく問答無用で襲い掛かられていたに違いない。何とも、ぞっとしない話だ。

 世界最強の暴威を前にして萎縮しそうな心胆を鼓舞すべく、俺は敢えて不敵に口元を歪めた。

 そう、限界ギリギリとは云えど、まだ言葉は通じる。獲物を眼前に興奮し、荒ぶってはいるが、それでも相手は欲望に忠実な獣ではなく、一個の理性ある人間だ。会話の成立する余地は、ある。

 ならば……絶望するのはまだ早い。戦闘に持ち込まれれば希望が皆無だと言うのなら、戦闘というステージそのものを回避してしまえばいいのだから。川神学園への転入を決心し、川神百代と向き合う事を決意した際、収集したのは何も戦闘に関わるデータだけではない。人格・思想・経歴・嗜好に至るまで、そのパーソナリティは力の及ぶ限界まで調査を終えている。それは、まさに“こういう状況”に備えてのものだ。取り違えてはならない――あくまで俺の本分は威圧によるハッタリと、小賢しい口先を活かした話術なのだ。戦闘能力など所詮、織田信長の保有する中では最も劣る“力”の一種に過ぎない。

 攻撃を避けさえすれば負けない、と云うのは真理だろう。しかし、更に突き詰めて云えば――戦闘自体を避けさえすれば、負ける事など有り得ない。それこそが考え得る最上の護身であり、力無き俺の理想とする在り方だ。

 相手が誰であれ、例え天下無双の武神であれ、必ず乗り越えてみせよう。あの日掲げた夢を叶えるため、あの日交わした約束を果たすために――己の全身全霊を賭けて終点まで駆け抜ける。そう誓ったのだから。

 唇の内側を軽く舐めて湿らせる。

 爛々と輝く真紅の瞳を堂々と見返す。

 そして、俺は余裕綽々の態度を以って、悠然と口を開いた。








「ふん。先より処を弁えず獣の気配を漂わせているかと思えば……己を律する心神すら失ったか、川神百代」

 その声音は、あくまで傲岸且つ不敵。私を真正面から射抜く眼差しは氷海の様に冷たく、漆黒の双眸は感情の揺らぎを欠片も思わせない。

 それは、あまりにも“普段通り”の姿だった。現在と同じように、このグラウンドで最初に対峙した時からそうだ。川神百代という、紛れもない世界最強の闘士が発する闘氣を目の前にしても、織田信長は何一つとして揺るがない。私の存在などまるで眼中に無いのだと云わんばかりのその醒めた態度は、私が人生の中で初めて出逢う種類のものだった。己の実力にどれほどの自負を抱いていれば、あのような目が出来るのだろうか。僅かな畏れもなく、恐れもない――何とも生意気で腹立たしいのは確かだが、それ以上に、嬉しい。

 その類を見ない傲岸さと尊大さは全て、来るべき闘いの愉しさを証明しているのだから。

 自然と口元が綻び、高揚した気分のままに弧を描く。

「ははっ!相変わらず先輩への口の利き方がなってないヤツだな。そんな風にナマ言ってばかりなものだから、私は今猛烈に、お前をイジめたくてイジめたくて仕方ないんだ」

「下らん。俺は世の誰一人として敬う気は無い――そも、たかだか己より一年早く生れた、然様な理由で敬意を払わねばならぬなど、馬鹿げた考え方があったものだ。よもや人の価値を定めるのが、重ねた齢の数だとでも?実に、愚か。哂う価値すら見出せぬ程、下らぬ話よ」

「あー、まあその意見には割と同意するが、リアルに実行したらタダの社会不適合者だろソレ。……っていうかさ、そんな事はどーだっていいんだ別に。大事なのは、私が今、お前と闘いたいという、そのシンプルな事実だけなんだよ。なぁ、分かるだろ?分かるよな?」

「ふん。然様、か」

 野性の猛獣でも尻尾を巻いて逃げ出すような、強烈な威圧感を込めた台詞に対しても信長の冷徹な無表情は全く崩れない。何を考えているのかまるで判らない能面のような顔が、淡々とこちらを見返している。その様子を見ていると、私は自分が血の通った人間ではなく、機械仕掛けの人形か何かと対峙しているような錯覚に襲われた。この男――本当に、心というものが在るのだろうか。正真正銘のロボットであるクッキーですら、あれだけ感情豊かに見えると言うのに。

「貴様は。俺との闘いを、望むと?」

 やけにゆっくりとした口調で、信長は復唱した。

「あぁそうだとも。くどいぞお前、さっきから何度もそう言ってるだろうが」

「……其れが心からの言葉だとするならば、貴様は随分と記憶能力に難がある様だな。未だ二週間と経たぬにも関わらず、忘れたか?俺は貴様と死合う気は毛頭無いと、そう言い渡した筈だが」

「そうだったな。さすがに私だってそれくらいは覚えてる」

「最終的に貴様もまた合意したと記憶しているが、な。自身が“完成”に至るまで、俺と拳を交わす事は無い――と」

「あぁ覚えてる覚えてる。確かにそんなコト言ったなぁ。……で、それがどうしたんだ?」

「交わした約を違える心算か?紡いだ言は偽りであったと?――で、あるならば、武神の名が泣こうと云うものだな、川神百代」

「……武神の名、か」

 無機質ながらも何処か弾劾するような響きを帯びた信長の言葉に、私は思わず自虐的な笑みを漏らした。あまりにも突き抜けて最強だった私を、世間がそのように呼び始めたのは何時だったか。別に、望んで呼ばれる様になった訳ではない。自分の好きなように気侭に生きていたら、いつの間にか勝手に“そんな風になっていた”だけだ。何かしらの高尚な努力や高潔な偉業を成し遂げたからじゃない――ただ偶々、私はこの世界の誰よりも恵まれた武才を持ち、誰よりも恵まれた環境の中でそれを磨く機会を得た、それだけの話。

 だから、武神なんて大層な肩書きは、私にとってはそう重要なものじゃない。私が本当に欲して止まないモノは世間からの賞賛なんかじゃない。私の望みはいつだって只一つ。強者との死闘が与えてくれる、あの得も言われぬ充足感だけだ。

「どうだっていい。ああそうさ、どうだっていいんだよそんなコトは。私がその名に相応しくないなら、幾らでも返上してやるさ。今ここでお前と闘えるなら、何て呼ばれようが知ったことじゃない。だから、戦え。勝負しろ。私を、満足させてくれ」

「…………」

 懇願にも近い声に対する返答は、無言、だった。非難でも罵倒でも拒絶でもなく、沈黙。

 信長は何一つとして声を発さず、そして表情を動かす事もない。ただ、私をじっと見据える視線は、更に冷気を増している様に思えた。

「……何も」

「ん?」

「何も判っていないのだな、貴様は。俺が何故、貴様との死合を拒んだか。まるで、理解が及んでいないと見える」

 淡々と紡がれる平坦な声音は、しかしかつてない失望と侮蔑の念を孕んでいるように聴こえて、私は思わず言葉を荒げていた。

「私が何を理解してないんだ――お前が私と戦いたくないのは、怖気付いたからだろうが!私の精神が未熟だの何だのと上から目線でゴチャゴチャ言ってくれたが、結局は自分が怪我をするのが嫌なだけなんだろ?あぁそれも当然だ、本気の私と闘って無事で済む訳がないからなぁ!」

「……」

 またしても、無言。眉一つ動かす事もなく、反論の為に口を開こうとする気配すらない。

 耳に入る罵倒の一切を気に留めていない泰然たる態度を前に、私は、あたかも見下されているかのような不快な気分に陥った。かぁっ、と頭に血が昇っていくのを、自分では止められなかった。煮え滾る激情が闘争本能を煽り立てて、眼前の男を叩き潰せと激しく訴え掛けてくる。煩わしい問答など無用、ただ己の欲望に身を委ねろと、甘く囁き掛けてくる。

 最後に残されたリミッター、理性の枷が弾け飛ぶのはもはや時間の問題と思われた、その時――信長が、静かに口を開いた。

「否定は、しない」

「……何?」

「俺が川神百代との死合を厭う理由。些か的を外してはいるが。見当違いでは、ない」

 言葉の意味を解するに、数秒の時を要した。

 そして、冷水を浴びせ掛けられたかの如く、一度は平静を取り戻した頭が、再び湧き起こった激情に支配されるまで、更に数秒。

 否定はしない、だと?それはつまり、お前は本当の本当に――傷を負う事を恐れて、闘争を避けようとしていると。只の挑発で口にしただけの言葉如きが、お前の真実だったと。そういう事なのか?

「……。……ふざけるな……」

 辛うじて搾り出した声音は、押し込められた怒りで震えていた。

「お前、お前はそれでも、武人か?それほどまでに突き抜けた力を持ちながら、保身なんてちっぽけな、下らない理由で……!武人の真剣な闘いの申し入れを、私のたった一つの願いを、足蹴にするのかお前はッ!」

 それは、侮辱だ。

 私への、ではない。もはやそのような領域の話ではない――織田信長の吐いた台詞は、闘いと、それを生業とする全ての戦士に対する限りない侮辱に他ならない。凡百の者が如何に努力を積んでも得られない程の“力”を有する者が、そんな理由にもならない理由で闘いを放棄しようなどと考える事自体が、決して許されざる罪だ。

 世界の大多数を占める才無き者達が夢見て、必死で己を磨いて、それでも指先すらも届かない高みに平然と立っているお前のような人間が――力を揮わない理由が、ただの我が身可愛さだと?力を隠し、平穏に生きる事を望むならばまだしも……常日頃から己が力を誇示し、弱者を脅かす事を躊躇わないお前が、強者として果たすべき義務すらも放棄しようと云うのか?

 ふざけるな。

 それは、誇り高き武人の在り方じゃない。私が闘いを望んで止まなかったのは、そんなつまらない外道じゃない。

 虚しさと怒りが綯交ぜになった遣る瀬無い感情が溢れ出す。先程までの高揚感は嘘の様に掻き消えて、代わりに憎悪にも似た想いが胸を満たしていた。質を変えた激情に任せて、私は眼前の男を睨み付けた。

「くく。“下らない理由”……成程、其れが貴様の感想か。世界最強の武神は、然様な了見である、か」

「っ!?」

 向けられた烈火の眼光に対し――信長が浮かべたのは、氷刃の哂い。自身の周囲を覆う空気が、急激に冷え込んでいくのを感じた。絶対零度の視線に射抜かれて、背筋に抑え難い悪寒が走る。

 これは、違う。信長が常に身に纏っている純粋な殺意とは、絶対的に性質を異にしている。様々な感情と想念が複雑に絡まり合った、粘つくようなおぞましさを内包したコレは、単なる殺気よりも遥かに混沌としたナニカだ。織田信長という男に抱いていた冷徹で無機質なイメージからは程遠い、人間味に溢れた想いの奔流に呑み込まれて、私は思わず言葉を失っていた。

「貴様に武人失格の烙印を押された所で、俺の価値が揺らぐ事など有り得ぬが……さりとて、殊更に誤解の種を撒く必要もなし。そして何より、気に入らんな」

「……何を言ってる?」

「だが……、ふん、面倒だな。実に面倒極まりない――言葉を以って伝える手間も時間も惜しい。やはり百聞は一見に如かず、か。で、あるならば……致し方あるまい」

 異様な気迫と、意味の判然としない呟き。怒りよりも戸惑いが先行して、私は身動きが取れなかった。

 信長は何事かの結論を出したと思いきや、おもむろに自らの制服へと手を掛けた。そのまま学園指定の白のブレザーを脱ぎ捨てると、それが地面の土に塗れて汚れるよりも先に、背後に控えていた従者が両手を伸ばして恭しく受け止める。

 突然の行動に呆気に取られている私を意に介さず、信長は次いでカッターシャツのボタンを手際良く外し、


――制止する暇もなく、一気に開け広げた。


「なっ……!?」

 
 言葉にならない驚愕の声が漏れたのは、しかし、その突飛な行為そのものが原因ではなかった。

 信長はシャツの下には特に何も着込んでいなかった様で、つまり今現在私の眼に映っているのは、言うまでもなく裸の上半身という事になる。唐突に異性の裸体を見せ付けられれば、驚き慌てるのは当然――などという、年頃の女子らしい浮付いた理由が原因でもない。

 私に言葉を失わせ、ファミリーの皆の顔色を青褪めさせ、ギャラリーに恐怖の悲鳴を上げさせたものは―――“傷”、だった。

 傷。正しくは、傷跡、だ。

 上半身の露出した肌を、縦横無尽に走る無数の傷跡。それも……単一の種類のものではない。切創、裂創、挫創、刺創。大小複数の傷跡が絡まり合い縺れ合い、元となった負傷の原型が判別出来なくなるまでに一体化している。傷、傷、傷傷傷。数える事も放棄したくなるような、途方も無い数の傷。その凄惨な様相を一度でも目にすれば、所詮は既に癒えた傷だ、などと呑気な事は決して言えないだろう。皮膚に刻み込まれた傷跡はあまりにも生々しく、グロテスクですらあった。酷いというより、惨い。そんなモノが―――顔面を除く上半身全体を、隈なく埋め尽くしている。腹も、胸も、背中も、腕に至るまで、露出している身体のパーツの中で完全に無事な部分は一箇所たりとも存在していない。もはや過去に塞がり終えて、流血も見当たらないというのに、それでも、直視に堪え得るものではなかった。

 絶句するのが、当然。恐怖するのも、当然。

 ……何だ。何だ、コレは。

 こんな人体を、私は知らない。こんなイカれた身体は、有り得ない。

 これだけの傷を負って尚、“生き延びている”人間など――居る筈がないだろう。

 一目見れば、分かる。それ単体で十分、致命傷に値するであろうクラスの負傷が、幾つも。幾つも幾つも幾つも、肉体に痛々しい爪痕を残している。例え同時期に負った傷では無いにせよ……いや、だからこそ、異常だ。それは、刻まれた傷の数と同じ回数だけ、死を垣間見ているという事実の証明なのだから。

 一体、どのような人生を送れば、こんなものが完成すると云うのだ。仮に死と隣り合わせの戦場で生まれ育っても、こうはならないだろう。“こうなった”時点で、命を落としているのが普通だ。平然と生き延びて、悠然と立っていられる筈が無い。生命として、歪だ。

 ならば――私の眼前に居る男は。本当に、人間なのか?

「……醜い。そう、思うだろう?」

 信長は、表情を変えないままに、淡々と呟いた。

 その問い掛けが誰に対するものであったとしても、回答は雄弁だった。錯綜する悲鳴と、忌避の視線。武家に生まれ育ち、闘争の中に身を置いてきた私ですら、内より湧き出ずる生理的嫌悪感を抑え切る事が出来なかった。理屈ではなく、本能が、ソレを拒絶していた。

「くくっ。全く以って、その感覚は正しい。否、と答える者が在れば、其奴は異常者か、或いは大嘘吐きの何れかに過ぎん。他ならぬ俺自身、この傷跡を美しいなどと勘違いした事は一度も無い。正視に堪えぬ、おぞましく不快極まる紋様よ」

「……」

「だが――これらは全て、俺の誇りでもある。万人が吐き気を催さずにはいられぬ程に醜悪。だからこそ、自らが征した絶望の深さを実感する事が出来る。身体に残る傷跡の一条一条は、即ち俺が克服した“弱さ”の証。かつて潜り抜けた、数多の死線が残影よ」

 自ら外気に晒した半身に目線を向けながら、信長は胸部に走る一際長大な古傷に指を滑らせた。

「判るか?もはや全ては、“古傷”だ。最後に傷を負ったのは、幾年の昔であったか。己の無力を赦せず、他者の優越を赦せず、強者たる事を選んだのは――果たして、何時の日であったか。……判るか、川神百代。俺は、全てを棄てて底辺から高みへと這い上がった。相応しき代償を払い、万人の届かぬ力を得た。故に」

 俺とお前は、違う。

 吐き捨てるような信長の言葉は、頭を殴打されるような衝撃を私にもたらした。

 違う――確かに、その通りだ。

 例え現在に立っているステージが同じだとしても、其処に至るまでの道程が、あまりにも違う。同じだと主張する事は滑稽以外の何物でもないような、全くの別物だ。私はその事実を、嫌というほど目に焼き付けられた。

 私にとって、最強で在る事はあまりにも容易かった。

 鍛錬には真面目に取り組んだ。武道に多くの時間を費やし、努力もした。だが、結局のところ、それらは所詮、人並みのモノでしかない。ワン子のように常識を遥かに超える修行量をこなしてきた訳ではなく、命懸けの特訓に寿命を削ってきた訳でもない。総合的な鍛錬の量も密度も、院の兄弟子達に劣っていただろう。であるにも関わらず、私は問答無用で文句なしの最強だった。他者の研鑽が虚しく思えるような速度で成長を遂げ、瞬く間に誰も追いつけない領域に辿り着いてしまった。

 早い話、私には才能が有り過ぎたのだ。才が突き抜け過ぎていて、世界の誰とも価値観を共有出来ない。武の頂上から見下ろす景色を、誰とも共有出来ない。高名な武人が生涯を費やして習得したとされる奥義を、一目見ただけで完璧に再現し、あまつさえそれを上回ってしまう――その時に胸を吹き抜ける寂しさにも似た感覚は、私にしか判らない。もしも私と同じ視点で物事を見られる人間がいるならば、それは自身と同種の“天才”だけだろう。

 私が常に自身と同等の好敵手を求めているのは、死闘を欲する本能とは別に、互いを理解できる同類の存在を望んでいるからでもある。だからこそ、この目を以ってしても実力の底が見通せない、織田信長という男の出現は、私にとって限りなく大きな意味を持っていた。

 ――だが、違うのだ。川神百代と織田信長は、決定的に違う。眼前に晒された肉体の壮絶な有様が、全てを物語っている。

 この男が総身に纏う禍々しい殺気の由来が、やっと理解出来た。信長の“氣”が冷厳な死を鮮明にイメージさせるのは、彼がその人生の中で幾多の死を踏み越えてきたから。死を危険な隣人として、しかし呑み込まれる事無く、悉く捻じ伏せて付き従えているから。

 釈迦堂さんも同質の気配の持ち主だが、信長は間違いなくそれすらも凌駕している。その域に達するまで、どれほどの死に目に遭って来たのか、どれほどの死闘を演じてきたのか――もはや私の想像の及ぶところではない。

 それ故に、違う。死闘に餓えている私と、死闘に飽いている信長。その差異は、決して埋められない程に大きかった。

 そして、“違い”は他にも在る。半身を埋め尽くす傷跡に注意を引かれるあまり、最初は意識が及ばなかったが――その肉体は、尋常ではない練度で鍛え抜かれている事が判る。やや細身な身体は、しかし軟弱さとは無縁で、一切の無駄なく極限まで絞り込まれていた。シャープなシルエットに、強靭な肢体。豹を思わせるその身体を完成に到らせるのは、一朝一夕で済む話ではないだろう。厳粛な鍛錬を己に課し、汗水を流し続けた者でなければ、あんな風には出来上がらない。

『織田の身体捌きが才能に依るものじゃなく、途轍もない努力と鍛錬の末に磨き上げたであろう、“理”に依るものだからだ』

 思えば、片鱗は既に見えていたのだ。キャップとの決闘で見せたあの回避技能は――私達の“武”の絶対的な性質の差を、明確に示していた。川神百代の武は才に依るもので、織田信長の武は理に依るもの。無論、そんな風に単純明快な線引きが出来るほど簡単な話ではないが……しかし、大筋としては、それが紛れもない真実なのだろう。

 私にとって、最強で在る事は容易かった。

 では、信長にとってもまた、最強で在る事は容易かったのか?

 そんな筈は無い。本来であれば、“最強で在る事”が簡単な訳など無いのだ。規格外の才能を生れ持った一握りの人間達が、人生を費やし規格外の努力と研鑽を積み上げて、それでも手が届くとは限らない、至高の称号こそが“最強”であるべきなのだろうから。

 私は自分の武に誇りを持っているし、己の強さを卑下するつもりなど無い。ただ、恐るべき執念を以って私の領域まで這い上がってきた男の姿を前にして、当惑せずにはいられなかった。結果としてさしたる苦もなく最強の座を得た私には、己の命を磨り減らして“ここ”に到達する事を求めた信長を理解する事が出来ない。

「なぁ」

 ――だから、訊きたくなった。その身体を、心を突き動かすモノの正体を。

「お前は何故、そこまでして強さを求めたんだ?武人である限り、最終的に目指す先が“最強”だって事は判る。が、それにしても普通じゃないぞ。お前みたいに極限まで自分を追い詰めれば、確かに常識を超えて強くなれるかもしれないが……死んでしまったらお終いだろ。そこで道は途絶えてしまう。お前にとって、“武”とは――何なんだ?」

「……聞きたいか?」

 信長は、私を見た。氷のように凍り付いた、感情の欠落した瞳……では、ない。

「俺にとって、“武”は手段であり、目的だ。力無くして望みは果たせず、望み無くして力を得るは能わぬ」

 むしろソレとは対極の性質を有する瞳が、あたかも溢れ出る想念の炎で灼き尽くすような激しい熱を帯びた視線が、抉る様に私を射抜いた。その眼光の苛烈さに、戸惑う。これはまるで……別人だ。先程まで相対していた人物と同一の存在だとは、到底思えない。織田信長は冷酷非情の暴君で、人間らしい情動の殆どを有さない男ではなかったのか。あまりにも、日頃から抱いていたイメージと食い違っている。

 違う?

 ……否、そうではなく――こちらが、本質か。

 人間として不自然と云うべき機械じみた無機質さこそが、仮面。火炎の如く苛烈な心を己の内へと無理矢理に封じ込め、押し殺している事がその不自然さの由来だとすれば、何も不思議はない。人の手で造り上げたペルソナに熱が通わないのは当然だ。

「俺には、志がある。万難を排して到達すべき目標が、野心が、宿望が、理想がある。血に塗れ死に魅入られてでも――叶えるべき、夢がある」

「……夢」

「然様。俺の総てはその為だけに存在している。身を削り心を削り命を削り、己が往くべき道を往く。其れが、俺の抱える武の在り方だ」

 ギラつく様な意志が煌きを放つ双眸の奥には、不退転の覚悟が鮮明に見て取れた。他者の言葉如きでは、何が在ろうと絶対に曲がる事のない強靭な決意。それを支えているモノの正体こそが――夢、か。

 夢。ゆめ、ユメ。

 その言葉から私が連想したのは、ワン子の事だった。川神院の師範代になる事を“夢”として掲げ、気が遠くなるような努力を積み重ねている、私の可愛い自慢の妹。どんなに辛い鍛錬にも弱音一つ吐かず、笑顔と希望を振り撒いて毎日を全力で生きている姿は、いつだって眩しかった。

 そして、今の信長の目は……夢を語るワン子のソレに、良く似ていた。

 心に根を張る意志と意思は、世界最強の武を以ってしても、決して揺るがせる事は出来ない。

「俺は、夢の達成に己が総てを注ぎ込んでいる。才も時間も、文字通りに総てを、だ。其れが必然となる程に、俺の到るべき目標は遠い処に在る。故に、一刻一秒とて立ち止まっている暇は無い」

「……」

「貴様との死闘を終えた時、無傷で立っていられる保証は何処にも無い。傷を負えば、歩みは鈍くなる。歩みが遅れれば、伴って夢は遠ざかる。……断じて、赦せぬ事よ。判るか?この胸に抱いた大志は、総てに優先する。闘いの愉悦如きよりも、絶対的に価値の在るものだ。俺には譲れぬ意思がある。それを怯懦と謗り、“下らない理由”と蔑むと云うなら、好きにすれば良かろう。武人の名に相応しからぬと思うならば、幾らでも返上してくれる。――それを踏まえた上で、問おう」

 一切の嘘も誤魔化しも許さない、刺し貫くような眼光で私を見据えて、信長は言う。

「貴様には、理由が在るか?俺の道に立ち塞がり、俺の歩みを阻むに足る理由が。俺の、大望を追及する意志に匹敵するだけの意思が――貴様には在るのか?川神百代」

「…………」

 何も、言い返せない。

 信長の言葉が上っ面だけの偽物ならば、気にも留めなかっただろう。戦闘への欲求に歯止めを掛ける事は無く、私は湧き上がる衝動に身を任せる事を躊躇わなかっただろう。だが――私は信長の目を見てしまった。その中に宿る、真っ直ぐで力強い意志と覚悟が紛れもない本物である事を知ってしまった以上、私はもはや身動きが取れない。

 闘争への欲望を満たす。ただそれだけの為に、他者の掲げた志を妨げるなど、断じて私の望む武人の在り方ではなかった。それは、私が私であることを否定する所業だ。闘いを望む心が本物ならば、誇り高き武人で在りたいと願う心もまた、本物。

 私は、自分の心に嘘を吐いて生きるのは御免だ。“誠”の一字こそが、川神百代の掲げる志なのだから。

 認めなければならない。

 今の私には――織田信長との死合いを望む資格が、死合いに臨む必然が、無い。

「意志無き武は、獣の暴力と同義。命を砥石と為して磨き上げた俺の武は、餓えた獣の餌として呉れてやるほど安くはない。俺が云っているのは、最初からそういう事だ」

「……ああ。どうも、そうらしい。何というかこれはアレだな、頭から冷水ぶっかけられた感じの気分だ」

 大将戦の最中から私の心身を闘いへと駆り立てていた、あの沸き立つような歓喜と興奮は、気付けば何処かへと霧散していた。頭を冒していた狂熱が醒めて、心に日常の冷静さが戻って来るのが分かった。青空を仰ぎ、大きく息を吸い込んで、心静かに氣を整える。

 そうして再び前方へと向き直った私を、信長はじっと見つめていた。先程垣間見せた烈しい感情の渦は姿を消しており、今や常と同様に無感情な冷たい目をこちらに向けて、信長は口を開く。

「ふん。その様子を見る限り、漸く理解が及んだ様だな。成程、獣ではなく人であるならば、理を解するは道理よ。――ならば、もはや言葉は要るまい」

 淡々と言い終えると、信長は無造作にカッターシャツを羽織り直し、従者に手渡されたブレザーの袖に腕を通しながら、何の未練も見せずに踵を返した。既に語るべき事は語った。欠片も躊躇いの窺えない背中が、はっきりとそう物語っていた。

 その姿が、遠ざかる。戦々恐々たる面持ちのギャラリーが空けた道を、二人の従者を引き連れて、堂々たる足取りで歩み去ってゆく。

 呼び止める術はない。今となってはその理由も、無い筈だ。例え追い掛けたところで、私は織田信長と闘う事は出来ない。信長と繰り広げる、想像するだけで胸の躍るような愉しい闘争は、他ならぬ私自身の意志で諦めたのだ。私は、己に嘘を吐かない。だから――武神の名に恥じぬよう、潔く在ろう。その背中を、黙して見送ろう。

「はぁ。……儘ならないモンだなぁ」

 そう頭で決めたところで、胸中に渦巻くモヤモヤは少しも晴れない。ようやく届くかと思われた長年の望み、好敵手との血湧き肉踊る闘いが、かくもあっさりと手中からすり抜けていったのだ。いかに自分の意志に従って我慢したとは言っても、湧き上がる虚脱感は抑えられなかった。

 所詮、私の願いが叶う事は無いのだろうか――そう思うと、吐く溜息も重くなる。

 
 予期せぬ声が耳朶を打ったのは、その時であった。


「――ああ。一つ、言い忘れていたが」


 信長はこちらに背を向けたまま、振り返ることすらせず、無愛想に言い放った。


「俺は、“約束”は守る主義だ。其れを失念するな、川神百代」


 ……約束。約束?


 吐き捨てられた二文字の言葉に、記憶の欠片が蘇る。


 同じような場所で同じように向かい合って、交わした会話。




『私もお前とは真剣で決着を付けたい気はするな。だから、私も今は我慢してやるさ。ただし―――私が真に“完成”したら、その時こそ私と戦うと約束してくれ。と言うか約束しろ。いいな』




「ふ、ふふふ」

 
 そうか。

 そうかそうかそういうことか。

 思い出した時には、既に信長の姿はギャラリーの輪を抜けて、グラウンドの外へと去る所だった。腹立たしい程に悠然としたその背中に向けて、私は心底からの哄笑を飛ばす。

「ふふふ、ははっ、はははははっ!ああ、たったいま再認識したぞ。本っ当に生意気な後輩だよ、お前はッ!」

 獣と組み合う気はない。俺と闘いたければ、人になってみろ。

 思えば初めて会話を交わしたあの時から、信長はそんな意味合いの事を云っていたのだ。世界最強の武神たるこの私に対して、何たる不遜。何たる傲岸。そして――何と愉しませてくれる男だろうか。

 面白い。本当に面白い。観客達の好奇の視線を集めている事を自覚しながらも、溢れ出る笑いは一向に収まらなかった。

「―――ジジイ!」

「何じゃモモ、うるさいのう。笑うか喋るかどちらかにせんか」

 先程から傍で私達の遣り取りを聞いていた祖父に、私は獰猛な笑みを向けた。

「はははっ、細かい事を気にするなよ。そんな事より、アレだ。普段から院の皆が散々口うるさく言ってるアレ、精神の修練がどうこうってヤツ。ジジイの指導に従えば、私は本当に抑えられるようになるのか?生まれてこの方ずっと付き合ってきたサガ、この戦闘衝動を。闘いを求める魂の叫びを、本当に鎮められるようになるのか?」

「……」

 すぅっ、とジジイの細目が更に細められ、私の内面を見通そうとするかのように鋭く光った。間違っても老人の放つレベルではない強烈な眼光と気迫を浴びて、しかし私は怯まずにその目を睨み返す。数秒の拮抗を経て、ジジイは神妙な面持ちで、静かに口を開いた。

「……どうやら、本気のようじゃの。ならば、無用な隠し立てはせぬが良かろうて」

「ああ。ハッキリ言ってくれ。誤魔化されても迷惑なだけだ」

「――正直に云うと、難しいじゃろう。お前の中に潜む戦闘への衝動は、その武の資質と同様、まさしく桁外れじゃ。克服するのは並大抵の事では不可能じゃろうな。それでも尚、打ち克とうと欲するならば、必ずや多大な苦痛と困難を乗り越えねばなるまい。己の内面と向き合い、闘い、勝利するのは、目に見える敵を打ち斃すより何倍も難しいのじゃよ。特にモモ、お前のような種類の人間にとってはの」

「ふぅん。要するに、滅茶苦茶しんどいが、やってやれない事はないってコトだな」

 それが訊ければ、十分だ。

 だったら、私は織田信長との闘いを諦める必要などない。私が自身の戦闘衝動をコントロールし、武人としての純粋な意志を以って闘争に臨める様になれば良いだけの話なのだから。その為ならば、私は修練を厭わない。私はゴール地点に何かしらのボーナスがあると俄然、意欲の湧くタイプだ。努力の先に強者との死闘が約束されていると言うならば、何を躊躇う必要があるだろうか。

 将来の闘争を求めて、現在の闘争本能を鎮める。前提からして矛盾しているような気がしないでもないが、それでこそ私らしいと言えるだろう。

「なぁ。ジジイの見立てじゃ、どれくらい時間が掛かると思う?」

「さて、それは何とも言えんの。お前、色々とムチャクチャじゃし」

「なんだ役に立たないな。ボケ老人はそろそろ引退した方がいいんじゃないか?」

「生憎とまだまだワシの後は任せられんのう。――そうじゃな、全てはお前次第じゃが……完全にサガを抑え切るとなれば間違いなく、長く辛い闘いになるじゃろうな。恐らくは、お前のこれまでの人生の中で、最も過酷な試練となるじゃろう」

「……」

 真剣な表情で厳粛に告げると、不意に顔を綻ばせながら言葉を繋ぐ。

「じゃがの、一つだけ言える事は――お前ならば必ず乗り越えてみせるであろう、という事じゃ。ふぉふぉ、何といってもこのワシの孫なのじゃからの。なに、武の頂点たる世界最強を名乗っておる以上、それくらいは出来て当然じゃろうて」

「……はっ、それもそうだ」

 年甲斐もなくウインクなんてふざけたものを飛ばしてくるジジイに、私は不敵に笑い返す。

 もはや視界の内から信長の姿は消えていた。だが、身に纏う膨大な“氣”が、その存在を明確に主張している。喰らえるものならば喰らってみろと、誘っているかのように。

 一切の理性を放り出して齧り付いてしまいたい程に魅力的な獲物だが――良いだろう、今はお預けを食らってやる。

 お前が常に進化を続けるならば、私もまた己を磨かなければ対等ではいられない。だから、今はまだ、我慢の時だ。


「ふふっ……、約束は、守らないとな?」


 いずれ、更なる武の高みに到った暁には――最高の舞台で、最高の闘いを演じよう。

 
 その時まで、命の灯を絶やすなよ、織田信長。

 
 瞳の奥に垣間見た、烈し過ぎて今にも燃え尽きてしまいそうな心は、多くの期待と、一抹の不安を私の心に残していた。

















 





 死ぬかと思った。

 今しがた川神百代との対峙を終え、観客達より一足先に2-S教室へと続く廊下を闊歩している織田信長の、これ以上無く率直な感想である。今更になって、心臓がバクバクと激しく脈打っている。全身から冷や汗が噴き出るタイミングも、遅れに遅れてやって来た。三歩後ろに控えていた蘭が大慌てでタオルを取り出して、甲斐甲斐しく俺の顔を拭っているが、その感触すらも現実のものとはいまいち実感できない。

 闘いに餓えて殺気立った川神百代を相手に平静を装ってハッタリを仕掛ける行為は、それほどまでに俺の精神力を削り取っていた。それこそ風間翔一との決闘より遥かに神経を磨り減らす闘いだったと云えよう。一歩でも間違えれば抵抗も許されず総てが終わっていた事を考えれば、最後まで動揺を漏らさずに演じ切る事が出来たのは奇跡に近い。

――だが、何にせよ、回避成功だ。俺は、未だ負けてはいない。

 暴発寸前の百代をクールダウンさせ、思考停止に陥らせる為に、用意していた切り札を何枚も切る羽目になったが――その程度の代償で希望を繋げたならば、全く以って安いものだ。何せ、川神学園における最大の障害たる最強生物を、一時的にとは言え実質的に無力化するという会心の成果を挙げられたのだから。

 主に利用したのは、織田信長という虚像と、俺という実像の間に生じる、巨大な“ギャップ”。そして何より心理的衝撃度が高かったのは、初めて衆目に晒した“傷跡”だろう。精神に刻まれた心的外傷ですら殺気に換える事で最大限に利用するこの俺が、肉体に刻まれた身体的外傷をハッタリに利用する事を躊躇う理由はない。そのグロテスクな醜悪さは、見る者に例外なくショックを与え、頭を冷やさせるに十分な外観だった筈だ。

 しかし――散々、無力な俺を苛め抜いてくれたあの女に感謝する日が来るとは、人生とは分からないものだ。釈迦堂のオッサンとの修行の中で刻まれた傷跡だけでは、どうしてもインパクトは不足していただろう。“服で隠されて見えない部分”を徹底的に痛め付けてくれたお陰で、俺の肉体は威圧の一環として利用できるだけの凄惨さを備える事が出来た。何一つとして母親らしい事はしてくれなかったが、その点だけは心から感謝しなければなるまい。子に何かを遺す事が親の存在意義だとすれば、あの女は確かにその役割を果たした訳だ。お陰でこうして、川神百代という障害を見事に突破することが出来た。

 もっとも、説得が成功した最大の要因は、恐らく――俺が本音を語ったからだろう。

 生粋の嘘吐きたる明智ねねをして大嘘吐きと言わしめた俺が、心の底より嘘偽らざる想いを語ったからこそ、猛る百代の心を鎮められた。

 本音。本心。

 それは、醜い嫉妬心だった。

 みっともない僻みと、つまらない嫉みだった。

 結局のところ、俺はただ――羨ましかったのだ。川神百代の生まれ持った、規格外と云うべき天性の才能が。

 その才、その力の一割。一部。否、一厘ですらも備わっていたなら、きっと惨めな幼少時代を送ることはなかった。絶望に塗れて、あいつを永遠に失うことはなかった。そして現在、夢を追い求める事は遥かに容易になっていただろう。それが嫌というほど理解出来るだけに、俺は川神百代に対して、完全な筋違いと知りつつも、日頃から絶えず昏い感情を募らせていた。

――そんな才能に恵まれておきながら、お前はなぜ何も成し遂げようとしない?俺にその才が在ったならば、お前の何百倍も有効に活用してやると云うのに。何故、何故、お前が選ばれた?俺はこんなにも力を欲し、必要としているのに!

 馬鹿馬鹿しい程に幼稚な、見当違いの怒りでしかない事は、言われるまでもなく理解している。力を有する者がその力をどう扱うか、それは当人が決める事だ。百代の武才は百代だけのもので、そこに他者が文句を付けるのはどう考えてもナンセンスである。しかし、神ならぬ身の俺には全ての感情を思う様に抑制することは出来なかった。聖人君子でもない俺には、世の中の不条理を完全に呑み込む事は出来なかったのだ。だから――吐き出した。己の内に溜りに溜まった鬱憤を、本人に向けてぶち撒ける事で処理した。勿論、やや婉曲な形を取って、ではあるが、心の底から言いたい事を言った。故に、それらの一言一言に込められた想いは、紛れもない本物だったのだ。

 俺の言葉に対して百代が何を思ったかは想像するしかないが、少なくとも想像は出来る。

 負けず嫌いで唯我独尊な天下無双の武神が、このまま言われっ放しで終わるとは思えない。あらゆる苦難を笑ってしまう程に軽々と乗り越えて、いつの日か再び俺の前に立ち塞がる時が来るのだろう。

 ならば――いよいよ以って、立ち止まってはいられない。俺は、ひたすら前へと歩み続けねば。2-Fとの決着の件もある事だし、まだまだ己を磨く必要がある。風間ファミリーの面々を“未熟”などと評しはしたが、それは俺とて同じ事。否、人間は生きている限り、誰もが未熟なのだ。それは即ち伸び代に満ちている証左で……、だから、俺は絶対に諦めない。

 天才だろうが凡才だろうが知った事か。俺は自身の意志に従って、俺の道を征くだけだ。

「ふん。差し当たっては、様子見、か」

 風間ファミリーとの小さな戦争を終えた事で、色々と動きが生じる事は間違いない。

 真の意味で風間翔一を打ち負かせなかった事や、川神百代との闘いを回避する過程で見せた“弱み”――素の感情の一部を曝け出し、古傷と共に弱者としての過去を晒け出した事で、大衆の抱く織田信長に対する畏怖と恐怖が、些かばかり薄れてしまう可能性が考えられる。そうした気の緩みに乗じて、調子に乗り始める輩も現れるだろう。

 ならば、改めて恐怖と絶望を与えてやらねばなるまい。叛逆の意志を根こそぎへし折り、刈り取ってやるとしよう。今回の一件でヒビの入ってしまった絶対的強者の偶像を補修する為には、少しばかり過激な治療行為が必要だろう。その際、生贄の子羊に選ばれるのは、果たして何処の誰になるのか。

「さて――」

 今回の結末は少しばかり計算と食い違ったが、次こそ同じ過ちは犯さない。失敗を教訓として、俺はどこまでも強くなってみせる。


 俺は僅か一日たりとも歩みを止めない。


 一分一秒の過ぎ去る度に、絶えず己を磨き続ける。


「征くぞ。前途は果てなく、辛苦に満ちているが――怖れず前へと進むのみ。勇往邁進、だ」

「ははーッ!蘭は何時までも何処までも、信長さまのお供を致します!」

「暑っ苦しいなぁ全くもう。そんなに叫ばなくたって、私達はどうしようもなく一蓮托生さ。ちゃーんと付き合ってあげるよ、ご主人」


―――いつか仰ぎ見た夢に到るまで。俺は、決して立ち止まらない。















~おまけの金曜集会~



「よっしゃああっ!いざ祝勝会だぁっ!――って、ありゃ?なんで俺は秘密基地にいるんだ?はっ、まさかこれが噂に聞く夢オチってヤツなのか!?」

「キャップの生存確認。というか気絶復帰直後のテンションとは思えない。頭に異常が出てる可能性は否定できない」

「おいおいそこは否定しとけよ京、俺はこの上なく正常だっつの。失敬なやっちゃな」

「あはは、相変わらずだねキャップは。でも安心したよ、元気そうで」

「おぉっ、目が覚めたのね!えっとね、ノブナガとの決闘が終わった後、倒れたキャップを一旦保健室に移して、放課後になっても目が覚めなかったから、おねーさまがここまで運んでくれたのよ」

「勿論、お姫様抱っこでな。ふふふ、頑張った男の子へのご褒美というヤツだ。大和が嫉妬して大変だったんだぞー」

「罰ゲームに嫉妬とか。どんだけM属性持ちなんですかねその俺と同名のヤマトさんとやらは」

「何を言うか、私のお姫様抱っこは女子には大人気なんだぞ。順番待ちの列が出来るレベルだ」

「ヘェソウナンデスカ。それで、俺の性別って何でしたっけ」

「私は大和が男でも女でも気にしないよ。愛は性別を超越するのだッ」

「人のズボンに手を突っ込むのはやめましょうね、愛でも法律は超越できないからね」

「あー、何だか記憶が曖昧だぜ。信長の野郎に勝利宣言してやったトコまでは覚えてるんだけどなー。で、結果はどうなったんだ?時間切れでルール的には負けちまったけど、イイ感じに“風評”では勝てたんじゃねーか、と俺は思ってるワケだが」

「うんまあそれは確かに。十分に俺の“策”を成功させるに足る戦功だったと思うよ。流石は我らがリーダー、やってくれるな」

「ああ、俺様もあのガッツは認めざるを得ねぇぜ。ただ、結果としてちっと妙な事にはなっちまったが」

「ん?どういう事だ?俺がチョウチョになって飛んでる夢を見てる間に何かあったのか?」

「色々あって、信長の奴と再戦することになった。勿論、これからすぐに、って訳じゃない。他のクラスの征服が終わってから、改めて――って事になるらしい」

「へぇ……いいじゃねぇか、今度こそ“風評”に頼らない、本当の勝利を取りに行けるって事だろ?わざわざチャンスをくれるなんてイイ奴だなアイツ!」

「やっぱキャップもそう思うわよね!あのにっくきネコ娘へのリベンジに向けて、アタシのトレーニング欲は超絶加速中よ!にぎにぎ」

「午後からずっと握りっぱなしだよね、ハンドグリップ。ホントに気合入ってるなぁ」

「んー、成程。そういうことだったら、いざ祝勝会!って感じでもないな。だけど、ちゃんと指令通り準備はしてるみてーだし、何もなしってのは勿体ないよなぁ。――よし、決めたぜ!皆の者、盃を持ていっ!」

「ちなみにこれは川神水(※ノンアルコール)であって酒ではない。念のため」

「飲むと気分が良くなったり体温が上がったりするけど、これは酒ではなく川神水(※ノンアルコール)なので何も問題はないのであった」

「二人とも何言ってんだ?これは川神水(※)だろ?さて、そんじゃ乾杯の音頭といきますか」

「おーいいぞー。やれやれー」

「何だか張り合いねぇなぁ。ま、いいか。――皆の者、三日間の務め御苦労!俺達は力を合わせて、信長の魔の手から自分達のクラスを守り抜いた。だが、俺達の戦いはまだまだこれからだ!脅威は去った訳じゃない、アイツはまた2-Fを狙ってくる。今回は、ほとんど手も足も出なかった……けどな、いつまでも舐められっぱなしじゃ風間ファミリーの名折れだろ?」

「まぁ、確かに。このまま終わるのは癪に障るかな」

「だったら、今度こそファミリーの底力を見せ付けねぇとな。再戦の時までに力を磨いて、アイツを驚かせてやるんだ。川神魂を舐めんじゃねぇ!ってよ。だから、この一杯は反省でも祝勝でもなく、宣誓の一杯にしようぜ」

「センセイ?えっと、ウメ先生にってコト?」

「ツッコまないからね。僕だってツッコミたくないボケはあるんだから」

「んじゃまーそんなワン子はほっといて、いくぜ。――――打倒、織田信長を誓って!乾杯ッ!!」

『カンパーイッ!!』

 

























 信長の野望+風間ファミリーの戦いはまだまだこれからだ!ご愛読ありがとうございました!
 
 ……というのはまあ冗談ですが、ひとまず今回を以って話は一区切りになります。原作で言うところの共通ルートが終了した感じですね。とは言っても時間軸としてはまさにこれから原作時期に入る訳ですが……ここで問題が一つ。言わずもがな、まじこいSの存在です。まず間違いなく新キャラ、新ルート、新設定のオンパレードで、このSSの中でどう扱うべきか測りかねているのが現状。当然ながら大体のプロットは無印の時点で組んだ訳で、下手に取り込もうとすると話が破綻しかねない――そんな悩みが絶賛浮上中です。さてどうすべきか。
 なんて愚痴はともかく、ここまで書き続けられたのはひとえに読者の方々の存在あっての事で、皆様には言葉に尽くせないほど感謝しております。続きを書くのが新作の発売後になるか否かは未だ分かりませんが、どうか引き続き今作をよろしくお願い致します。


>ムジカさん
 ご指摘ありがとうございます。
 そうですね、原作内にて公式の弓道の枠内における競技の描写が殆ど無いため、現実に照らし合わせてどの程度の腕前なのか、判断が付きかねている、というのが実情です。ただ、それ以外の部分での戦闘描写を見る限りにおいては常識の枠内に収まる腕ではない事は間違いないので、その異常性を表現する為に敢えて“通常よりも小さい的を用い、通常よりも遠い的を狙った射詰め”を決闘ルールとして採用しています。なにぶん素人の発想なので、弓道に詳しい方から見れば噴飯モノかもしれませんが、今作中ではそういうものだと思って受け入れて頂けると幸いです。


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