人外の強さ。
それを単純に表現するならば『何に特化しているか』によって分類出来る。
例えば妖怪の中でも最強と謳われる隙間妖怪、八雲紫。人妖達は何をもって彼女を最強と評しているか、何故に彼女が
最強の座に君臨しているか。それは八雲紫だけが持つ特異過ぎる力、『境界を操る程度の能力』が根幹を為している。
無論、それだけが彼女の力かと言えば否である。彼女自身が特上級の妖怪としての力を持ち、配下に九尾の狐という伝説の
霊獣を従えているという点も彼女を最強たらしめている理由の一つに上がるだろう。だが、八雲紫という妖怪の強さを紐解いた時、
最終的に導かれる結論はやはり能力の強さ異能さに帰結する。八雲紫は誰にも触れられない世界を自身に内包する、他と一線を画した妖怪なのだ。
話を戻そう。八雲紫が特異な力に拠っているように、人外の強さとは大凡の大別を特化する方向性によって分類出来るのだ。
最強の鬼、伊吹萃香は霧化能力はあくまでおまけのようなもので、彼女の本質の強さはその恐るべき肉体能力にあるし、西行寺幽々子ならば
他の存在を己の気分一つで死に誘う恐ろしき能力を持っている。このように、『強者』と謳われる者は必ずカタチ在る『強さ』に拠って成り立っているのだ。
だが、そんな常識を覆す存在が一人だけ存在する。
――風見幽香。相対する妖怪の異質さに、拳を交えている美鈴は誰より早く理解し、内心で戦慄する。
美鈴は今でこそレミリアの為に生き、殺し殺されという世界から離れて生きているが、以前は数多の妖怪達の
屍の山を築き上げる程に濃密な血の香りに溢れる戦場を駆け抜けていた。恐らく、戦闘経験だけなら幻想郷でも指折りかもしれない。
そんな彼女だからこそ、風見幽香の異質さを理解し、その在り方に絶句する。
風見幽香は強い。そんなことは素人だって分かることだ。だが、彼女が『どのように強いのか』を語るならば、それは
まるで御伽噺の空想語りをするような気概で行わなければならない。それほどまでに美鈴は風見幽香の『強さの在り方』が信じられなかった。
風見幽香の強さ、それは何モノにも頼らぬ強さ。
もし、美鈴が誰かに風見幽香は何を持って強者と呼ぶかと問われれば、即座にこう答えるだろう。
――風見幽香は、全てが強い。
――力も、魔力も、疾さも、技巧さも。彼女の持つ全てが完璧によって成り立っている、と。
美鈴とて歴戦の強者、殺し合いにおいての駆け引き、自分より格上の存在との戦い方など遥か昔に体得している。一人では叶わなくとも、
彼女には遠距離のスペシャリストであるパチュリーと近遠と距離の出し入れが出来る咲夜が援護にいるのだ。八意永琳のときのように
自我を失ったときならまだしも、己の判断能力が生きている状況下で、他者に後塵を拝するような事態にはそうそう陥る筈がないと信じていた。
それを美鈴達の慢心と呼ぶには余りに酷過ぎるだろう。現に彼女達三人の連携は一匹の妖怪如きが堪え凌げるような生半可なモノではなく、
この幻想郷に彼女達を相手にして一体何人が生き残れるかという程の領域まで彼女達は達しているのだから。
美鈴が敵を引き付け、咲夜とパチュリーが後方から致命傷を与える戦術。逆に二人が敵の動きを封じ、美鈴が一点突破する戦術。
また、美鈴と咲夜が入れ替わり、時を止めて強襲することだってあるし、大胆奇抜な戦法なら、パチュリー一人で大魔力で滅させることだって在る。
数えるのも億劫な程に、この三人には戦闘に関する引き出しが存在する。実質三対一ではなく、群体対個体、それが彼女達の戦術。
一人一人だけでも強者と謳われる存在が、一同に三者揃って猛攻を繰り出すのだ。並の妖怪…否、例え特上の妖怪でも通常なら
膝を折るのも時間の問題の筈だった。だからこそ、美鈴達は悔しさを只管心で押し殺すしか無かった。
彼女達が突きつけられた恐ろしく無慈悲な現実――風見幽香には、自分達の攻撃が全く通用していないという現実に。
「っ、咲夜!」
「分かってる!」
風見幽香から距離を取る美鈴と呼応するように、咲夜は己が魔力を凝固させた紅血のナイフの雨を幽香へと解き放つ。
咲夜の弾幕を幽香は避けることなく、掌を翳して障壁を展開して受け止める。だが、片手暇で終わらせるほど彼女達は甘くない。
ナイフを受け止める刹那、美鈴の遥か後方から特大のレーザーが風見幽香目がけて疾走する。パチュリーの解き放つ膨大な魔力の塊に、
流石に受け止めるのは面倒だと判断したのか、幽香は咲夜とパチュリーの魔弾の交差しない方向へ身体を誘導する。その回避行動こそが
美鈴達の真の狙い、風見幽香の移動を待ち侘びたように、美鈴は身体を人間体から竜体へと変化させ、獰猛な牙が垣間見える咥内から
恐ろしい程に闘気を圧縮した波動を幽香目がけて解き放つ。それは彼女が持てる最大出力による破壊の力、龍族たる彼女のみに許された暴力の嵐。
眩い閃光を放ち、美鈴の放った竜闘気は風見幽香ごと大地を大きく抉り、周囲が見えなくなるほどの砂塵を巻き起こす。
力を放ち、美鈴はすぐに人間体に戻り、戦闘態勢を取る。これで終わってくれると良いけれど、などと楽観的な気持ちを持ちたくなる美鈴だが…
「…世の中そんなに甘くはない、か。
あれで倒れてくれないなんて、一体どういう身体の作りしてるのよ…貴女、本当に不死身なんじゃないでしょうね」
「あら、そんなに悲観することはないわ。今のは少しだけ効いたもの。
メイドと魔法使いと貴女のコンビネーション、実に見事だわ。フフッ、生きが良くてそれでこそ殺し甲斐があるというもの」
砂埃の先、やがて開けた美鈴達の視界に、風見幽香は攻撃を受ける前と何一つ変わらぬ姿で悠然と笑みを浮かべて佇んでいる。
変わったところといえば、少しばかり服に砂埃が付着した程度か。息一つ乱れぬ風見幽香に、美鈴は大きな息をひとつ吐き、言葉を紡ぐ。
「…そう言えばまだ聞いてなかったわね。どうしてお前はフランお嬢様の命を狙う?」
「その質問は魔法使いが最初にしているわよ?そして私は答えを丁寧に返してあげたつもりだけど」
「私が直接お前から訊きたいのよ、風見幽香。お前がフランお嬢様に興味を示すことなんて私には全く想像すらしていなかった。
お前が興味を示すのはレミリアお嬢様…いいえ、『リア』だと思っていた。故にリアに近づき、無害を今の今まで装い続けた。違うかしら?」
「違わないわね。貴女の言う通り、私が興味を示しているのは他の誰でもない『レミリア・スカーレット』唯一人よ。
言ってしまえば、フランドールの命は目的地に辿り着くまでの余興に過ぎないわ」
「余興ですって…?貴様、フラン様の命をなんだと思っている!!」
「別に何も?そうね、言ってしまえば有効活用かしら。
そこの魔法使いにも言ったけれど、レミリアの妹の命は遅かれ早かれ消える運命に在る。どうせいつ死んでも変わらない命じゃない。
だから私がその命を有効活用してあげるの。私が望む、運命に抗うに値する鍵を目覚めさせる為に、私がその無駄に生き永らえている命を消してあげるわ」
「そんな勝手な理由で貴女はフランドールの命を奪おうと言うのね」
「勝手?フフッ、何を言うかと思えば…ええ、己が欲望、望み、私欲、全ては私の都合に拠って私はフランドールを殺すわ。
それの一体何がおかしいのかしら?妖怪とは自分の欲望のみに準じて生きる存在、生殺与奪の全ては強者だけに許された権利。
仕えている主に毒されているのか知らないけれど、貴女達は『ズレ』過ぎているのよ。妖怪が妖怪相手に理を説いてどうなる?道徳を説いてどうなる?
私達の間に存在する絶対不変のルールは唯一つ、強い者が正義で弱い者は悪。弱者は強者を止められない、フランドールは私を止められない。
それはフランドールが弱いから。私より弱いから、フランドールは死ぬしかない。弱者は強者に殺されるだけ、それが私達妖怪の在り方でしょう?」
感情を抑えきれず、飛び出そうとする咲夜を美鈴は手で制する。感情のままに怒りのままに力を振えば、自分達は間違いなく
八意永琳との一戦と同じ末路を辿ってしまうだろうから。必死に咲夜を押し留め、自身の感情をセーブし、美鈴は重い口をなんとか開く。
「…本当、誤算ね。こんなことなら、お前がリアに近づいてきたときに力づくで排除すべきだった。
自分の見る目の無さと、『アイツ』の適当さを呪いたくなるばかりよ。風見幽香、やはり最初に感じたようにお前はリアにとって有害な存在だった」
「有害だなんて酷いわね。私は貴女達の望むままに『リアのお友達』をしっかり演じてあげたじゃない。
少なくとも射命丸文が現れるまでは、リアは貴女達よりも私に心を置いていたわ。本当に無様ね、護りたい愛する者から貴女達は目を逸らしていた。
それに、貴女達は望んでいたでしょう?自分達が楽になる為に、リアと強者に『自分達以上』の新たな絆を作らせようとした。
幸か不幸か、射命丸文の登場で私のお役は御免になったけれど…もう少しで、貴女達の心の弱さによってリアが死ぬところだったわ」
「…どういう意味よ」
「そんなの決まってるじゃない。もしリアが射命丸文ではなく、私を選んで縋っていたならば――私は迷わずあの小娘を殺していたわよ?
私が欲するのは強き意志によって世界に抗う反逆者。ただ泣くだけしか出来ない無能な小娘なんて生きる価値すら無いわ。違って?」
「…もしも、もしもお嬢様を想う心が少しでも在るのならばと思っていたけれど、そんな考えは本当に不要だったみたいね。
――風見幽香、お前はここで殺すわ。我らが主、レミリア様とフランドール様を穢した罪、光ささぬ暗き地の底にて贖い続けるが良い」
美鈴の押し隠そうともしない殺気の開放にも、幽香は心地よいといわんばかりに妖しく微笑み返すだけ。
背中の四枚羽を悠然と広げ、今にも喉笛に爪を突き立てんと構える三人にも微塵も動じることなく楽しげに言葉を紡いでいく。
「獰猛な獣達の唸り声は何時聴いても心躍る。その牙が、憎む心が我が身に届くと信じて足掻く姿は心を打つ」
嗤いながら、幽香は幻想郷に己が心を溶け込ませ、『異界の扉』を解放する。
幽香の周囲を包むおぞましい程の空気の変貌に、美鈴達は警戒を引き上げ距離を取る。だが、今の幽香に美鈴達の動作など視界に入らない。
世界に生を産む喜び、世界に異物を産む悦び。抑えきれぬ愉悦を声に出し、高らかに笑い声を上げながら、幽香は幻想郷に
存在しえぬ異形達を産みつけてゆく。それはこの幻想には存在しない巨大な魔物植物群、それはこの幻想には存在しえぬ魂達。
紅魔館の庭、その大地から巨大な植物の蔓がまるで意志を持つように右に左に暴れまわる。その数は一本、十本、五十本、数えることを
投げ出したくなるほどの暴力。加え、幽香の周囲を飛び回るは形を持たぬ異界の魂達。恨み、妬み、悲しみ。負の感情を撒き散らす
死のカタチは幻想郷という生きた世界を餌にしているように飛翔する。
幽香の作り上げた『世界』に三人は息を飲み、そして理解する。自分達が対峙する妖怪がどれだけ化物であるかを、『真の意味で』。
風見幽香、彼女はまさに存在自体が死を形成していると言っても過言ではないだろう。触れる者には死を、逆らう者には最高の死を。
魂達を弄び、数多の妖怪植物達を指揮して。風見幽香は第二幕の開始を告げる為に言葉を紡ぐ。
「開幕の舞台役者を務めてくれた貴女達に最大級の賛辞と感謝を込めて、私から出来る最高の贈り物を。
それは恐怖、それは諦念、それは無力、それは無慈悲――この私が貴女達の心の全てを絶望に染め上げてあげる」
幽香の宣誓を皮切りに、紅魔館の上空にて、互いの命を貪らんと獣の牙が再び交錯し合う。
勝算、実力差、そんなモノは最早何の意味もない。ここに在るのは、互いの喉笛を狙いあう気高き殺戮者達の舞台劇。
より強く、より疾く、より心から相手の死を願う者こそ絶対強者。獣達の協奏はまだ始まったばかりだ。
三人が風見幽香と激突し合う同時刻。
美鈴達が去って行った人里の丘の上で文は小さく心の中で舌打ちをする。
それは自身の判断ミスを責める心から生まれた感情。腕の中にリアを抱きしめながら、文は幻想郷の空を見上げながら小声で毒づく。
「…幻想郷の風が震えている。空の大気が混濁してる。拙いわね…この風は、とても不穏な風だわ」
腕の中のリアを抱きしめ直しながら、文は美鈴達の帰還を待つという現状維持の選択を選んだ自身に呆れてしまう。
美鈴と咲夜がこの地を去る時、彼女達は戦闘者…闘う者の瞳をしていた。何が起こったのかは分からないが、彼女達がこれから
戦闘を行うという時点で、リアを任せられた文が取る選択は二人に代わってリアの守護役を務めること。ただ、それは選択ミスであったと強く痛感する。
幻想郷の恐ろしいほどに暗く濁り風荒れる空を見て、文は幻想郷が異常な状況に在ることをようやく確認する。平穏と平和によって
維持されていた幻想郷内に吹き荒ぶ風達、それは文が幼い頃に経験していた『戦場の空気』と酷く似通っていた。
まだ妖怪の山が幻想郷ではなく、外界に位置していた時代。妖と妖とが命のやり取りによって己が地位を確立していた時代。
そんな古き戦場の地を、文は幼いながらに駆け抜けていた。無論、当時は今ほど実力も持たず、闘う天狗達のサポートに徹するくらいが
席の山ではあったが、それでも文は若いながらに戦場の風を理解していた。その経験が、含蓄が今の文を形成し、その知識が現状の拙さを物語る。
暗い闇雲が空を覆う幻想郷、今この地は平穏な世界などではない。
世界の風が文に告げている。この地は戦場、血生臭い妖怪達の駆ける世界と化してしまったのだと。
故に、文は己が失策を悔やむ。
取るべき一手は『待つ』ことではなかった。取るべき一手は『正確な現状把握』、それが何より優先すべきだった。
リアを抱き、美鈴達の帰りを待つのではなく、よりリアの安全を考えるなら、この『不穏な風』の正体を突き止めなければならない。
見えないモノはカタチが理解できぬからこそ恐ろしい。だが、その素性さえ理解してしまえば幾らでも対処のしようは在る。
戦場で大切なのは情報、それを天狗である彼女は痛いほどに理解している。ならば今取るべきは行動、この異変の現況を知る為に、
美鈴達を追うこと、それが文のすべきこと。恐らく、美鈴達に起きた予想外のアクシデント、それが今回の件に関わっている筈だから。
自身の行動を決め、次に文が考えるのはリアをどうするか。美鈴達にリアを任せられた手前、いくらリアの安全の為とはいえ、文の情報収集という
危険事にこの無力な少女を付き合わせる訳にはいかない。今の幻想郷は何が起こっても不自然ではない程に風が騒いでいる、リアに対して
『まさか』を引き起こさせる訳にはいかないのだ。ならばリアをどうする。そこまで考え、文は美鈴達が先ほどまでリアを八意永琳のところへ
連れて行こうとしていたことを思い出す。文自身、八意永琳との面識はないのだが、リアは確実に在るだろう。
リアを彼女に預かって貰い、リアの安全を確保したうえで行動に移し、そこから次の一手を考える、これが最善なのではないか。
美鈴達の場所へ向かえば、彼女達の様子からみて十中八九戦闘が生じているだろう。その場を見て、流石に山の一員である文は
他者達の戦闘に介入は出来ないが、それでもリアに関する助力は出来る。美鈴達に退却を促すことは出来る。
それが最善だと判断し、早速文はリアに永琳の居場所を訊ねようとし、顔をリアの方に向けた時――文の表情は驚愕に染まる。
今までずっと押し黙っていたリア、彼女の異変に文はようやく気付いたのだ。
「リア…貴女、いつからこんなに震えて…」
文の服を必死に掴み、彼女の腕の中でリアは小さな体を過剰なまでに震えさせていた。
その震えの正体は、無論寒さなどによるものではない。リアの身体の震え、それは恐怖と言う名の感情。奥歯を振わせる程の震えに、
文は呆ける自分を蹴り飛ばし、慌ててリアに言葉をかける。医者でもなんでもない文がリアの現状を把握するには、言葉による判断しか出来ないのだから。
「ちょ、ちょっとリア!しっかりしなさい!身体の調子が悪いの!?」
「怖い…文、怖いよ…震えがさっきからずっと止まらないの…」
「怖い?怖いって、一体何が…」
そこまで話し、文は一つの心当たりが脳裏をよぎる。
リアの震えの根源、それは恐怖。では、その恐怖とは一体何から来ているのか。先ほどまでと今の状況では一体何が変わってしまったのか。
そんなものは問わずとも分かる。幻想郷中を包み込む重苦しい空気が先ほどまでとの決定的な差であることは明白だ。だが、それは
あくまで文達だからこそ気づけた変化だ。普通の人間には到底感じ取れぬ変化であり、記憶を失ったリアでは叶わぬことの筈。
けれど、リアは今現にこうして空気の変化に対し敏感に反応している。それも『恐怖』という正確な判断を心が下している。
すなわち、今のリアは『恐怖』という感情が鋭利に働いているということ。そして、その恐怖を感じ取ることの出来る信号は…
「…命の危険、か。死への嗅覚、直感が恐ろしいまでに研ぎ澄まされて、心知らず自衛本能を発揮してるのね」
震えるリアを見やりながら、文は答えを勝手ながら導き出す。どうしてここまでリアが命の危険に対し過敏になっているのか、その理由は
想像する必要もない。恐らくは、リアが一度死にかけてしまったことに起因しているのだろう。
リアは『レミリア・スカーレット』であった頃に、記憶を失う程の傷を受けて生死の世界を彷徨っている。恐らく記憶には残らずとも、
心にその記憶は刻み込まれているのだろう。知らず知らずの内に防衛本能が過剰に働き、自身の身体と心に必死に危険を訴えるのだ。
――成程、美鈴の話は確かだった。リアの心には死の記憶が、トラウマが刻みつけられている。それこそ、自分で歩くことすら出来ぬ程の
強大なトラウマがリアの心を縛りつけている。リアを活かす為に、リアの身体が二度と怖い目にあいたくないと訴える。
嫌だ。怖い。死にたくない。痛い想いはしたくない。そんな当たり前の感情が何倍にも過剰に増幅され、リアをその場から一歩足りとて
動くことを不可能にする。それはまるで呪いのように、強烈なトラウマがリアの心を縛りつけるのだ。
リアの様子から下した推測に、文はこのままでは拙いと判断する。リアの症状はいわゆるところの心の病だ。もし下手な手を打てば
心が壊れてしまうことは美鈴とも会話した通り、想像に難くない。加えて、文は医療に関して門外漢であり、適切な処置も出来ない。
だからこそ、文はリアを永琳の元に連れていくのを急がなければならないと考える。一刻も早くこの幻想郷を包む『空気』から
隔離させなければ、危険だと。文はリアを医者の元へ運ぶことを決め、少女を強く抱きしめて空を舞う。
「ど、何処に行くの、文…」
「安全なところよ。リア、貴女の知ってる八意永琳という人がいるでしょう?
その人のところに向かうから、その場所を教えて頂戴。知らないなら、人里でその場所を知ってる人のところでも構わないから」
「ま、待って文!幽香から貰ったお花がまだ下に置きっぱなし…」
「そんなのは後で私が取ってきてあげるから早く教えて!大体、あんな奴は今はどうでも…」
「――あら、どうでもいいとは酷い言われようね。妖怪とて心は傷つくものよ、射命丸文?」
「っ!」
突然背後から聞こえた声に、文はリアを抱きしめたまま、空を滑空しつつ背後を振り返る。
振り返る文達の背後には、声の主――風見幽香が笑みを湛え悠然と佇んでいた。
先ほど別れた幽香が再び突然目の前に現れたことに文とリアは驚きを示すものの、文は即座にその幽香の『不自然さ』に気づき、リアを
護るように抱きしめたままでつんけんと言葉を投げつける。
「…幻術だか妖術だか知らないけれど、用があるなら直接『本体』を差し向けなさい。失礼極まりない妖怪ね。
大体、こっちは忙しいから貴女の相手をしてる暇はないって言わなかったかしら?」
「あら、即座に見抜くのね。私が本物ではないということを」
「舐めるな。風見幽香が僅かばかりの存在感しか感じ取れないような、そんな希薄な妖怪な訳ないでしょう。
恐らくはリアに渡した黒薔薇に術式の細工を施していたんでしょうけれど…もう一度言うわ。今は失せなさい、風見幽香。
今、リアは貴女に構ってる場合じゃないの。一刻一秒早くこの娘を安全な場所に連れて行かないといけないのだから」
「それは困るわね。もしもその娘が何処かに逃げると言うのなら――その娘の家族は一人残らず無駄死にということになってしまうわ」
幽香が何気ない言葉のように放った一言に、彼女を見つめる文の瞳は獰猛な猛禽類のそれへと変化させる。
今にも射殺さんとばかりに睨む文の反応に満足しながら、幽香は楽しそうに愉悦を零しながら言葉を続ける。それは
幽香の一言で大筋を掴んでしまった文に対してではなく、未だ幽香の言葉を理解出来ないリアに対しての言葉。
「さあ、楽しい時間の始まりよ。この世界の運命は一人の少女を中心に廻っていた、ならば私がその運命を捩じ伏せる」
「ゆ、幽香、何を言って…」
「だけど、私の前に対峙するは今の貴女では三下もいいところ。私が求めるは、世界に定められた運命の輪を捻じ曲げた、未来を紡ぐ吸血鬼。
私はそんな吸血鬼に会いたい、心から会いたいの。だから、彼女に会う為に、最後の扉を抉じ開ける。故に私は貴女の大切な妖怪達を殺してあげる。
貴女に仕える紅竜を、貴女の愛娘たる吸血姫を、貴女の親友である魔法識者を――そして、貴女の何より大切な、たった一人の妹を」
「黙れっ!!!」
リアの前でそれ以上口にするのは許さない、そのような意志を込めて、文は迷うことなく片手を幽香に向け、全てを切り裂く旋風を疾走させる。
文の放った疾風に僅かばかりの妖力で形成された幻影が耐えられる訳がない。風に切り裂かれ、幽香の幻はゆっくりと揺らぎ消失を始める。
だが、それも予定調和とでもいうように、幽香は口元を歪めながら最後に言葉を残す。
「待っているわ、吸血姫との再会を。そして未来を紡ぐ吸血鬼との対面を。
愉しみよ。貴女がフランドール・スカーレットの首を見たとき、どのような感情を私にぶつけてくれるのか…」
最後に笑顔だけを残し、幻の幽香は風に溶け、文の疾風によって切り裂かれた黒薔薇が大地へと落ちていった。
幽香の言葉から読み取れた内容…その全てに文は思わず唇を強く噛み締める。今、幻想郷を取り巻く現象の全てが
風見幽香にあることを文が悟った為だ。全てを知ってしまったからこそ、心の熱情が一つ残らず怒りへと変換されてしまう。
――リアを利用した。あの女は己の目的を達成する為に、この少女を利用した。
――その目的の為に、リアに近づき、友人を装い、そして最後はこの少女の家族を殺そうとしている。
その事実だけで、文は今すぐ紅魔館へ向かい、幽香に対し牙を突き立てたい衝動に駆られるが、それだけは決して出来ない。
文はあくまで妖怪の山の一員であり、これはいわばレミリア・スカーレットをはじめとする紅魔館と風見幽香の戦争である。そんなものに
自分が手を出すなんてすれば、一体どんな罰が与えられるのか分かったものではない。少なくとも山からの追放は免れないだろう。
だからこそ、文に出来るのは怒りを抑え呑み込み、リアを安全な場所に連れて行き、美鈴達の無事を祈ることだけ。本当にそれだけなのだ。
少なくとも、幽香はリアに対し何かを待ち望んでる。そんな幽香のもとにリアを連れていくことなど決してしてはならぬこと。
そう自分に言い聞かせ、リアに永琳のところへ向かうよう促そうとした文だが…その行動をリアの言葉が制止させてしまう。
「私の大切な人を殺すって…嘘よね?幽香は私の友達だもの、そんなことしないよね?
幽香が美鈴や咲夜を殺したり…そんなの、絶対嘘だよね?」
「っ…嘘、じゃないわ。あの女はそれが出来る女よ。恐らく、アイツにはそれが出来るだけの力が…在る」
「だ、だって幽香優しいのよ!?いつも私とお話してくれるし、会いに来てくれるし、花だって…」
「納得出来なくても理解出来なくてもいい。だけど、リア、今だけは頭に叩き込んで。
アイツは…風見幽香は、それが出来る妖怪だし、それをすることに何の躊躇もなく踏み込める、一線を越えた妖怪よ」
「嫌…そんなの嫌よ!美鈴も咲夜も私の大切な家族なの!殺されるなんて絶対に嫌よ!!
だって一緒にいるって誓ったもの!何があっても私は離れないって誓ったんだもの!美鈴も咲夜もパチェもフランもずっと一緒だって!」
「リア!?貴女、本当にもう記憶が…」
「嫌…死ぬのは嫌…痛いのは嫌…怖いのは嫌…でも、みんなと離れ離れになるのはもっと嫌…」
自身の腕の中で震える少女に、文は一つの岐路に立たされる。
――はたしてこのまま、リアを安全な場所に逃げさせることが正解かどうか、だ。
無論、戦う力がないリアが幽香に対し何が出来るという訳ではない。そして何より、『もしも』を仮定すれば
リアの目の前で少女の愛する者達の死体が並べられることになる。そんな現実に、この少女の心が耐えられる筈もない。
もっとも取るべき最善の一手は、リアを安全な場所へと遠ざけ、全ての苦しみ現実過酷から目を逸らさせること。そして『奇跡』を信じ、
他の者達の帰還を待つ。それが『今のリア』に取ることのできる最善の一手なのだろう。
だが、だがしかし、それが果たして正解なのか。それが本当にリアが心から望む選択なのか。
確かに今のリアでは何も幽香に対し手を打つことが出来ない。しかし、文の知らない『本当のリア』ならばどうか。
恐らく、風見幽香はリアではなく、リアの向こう側に存在する『もう一人のリア』に期待を寄せている。その登場の為に、
風見幽香は行動を起こしている。ならば、彼女が美鈴達を屠るより早くリアが自分自身を取り戻せたならば、状況はどうなるか。
最善とは言えない。むしろ悪化するかもしれない。リアの命の危険は遥かにウナギ登りするかもしれない。
だけど、それが成功すれば『リアの悲しむ未来』を防げる可能性がぐんと高まる。本当に、本当に僅かな可能性だけど、それでも
この少女が泣かずに済む未来が待つ可能性が生まれる。だけど、それは賭けだ。賭けに失敗すれば、リアの心は壊れるかもしれない。
けれど、それでも――
「――貴女は、誓ったものね。みんなが一緒なら、どんな未来でも怖くないって」
「文…」
――信じたい。この小さな少女が、幸せをつかみ取る未来を、幻想を。
自分に出来た、この儚い友達は他人に心配されてばかりいるほど弱い女の子なんかじゃない。リアは大切な人の為に行動出来る女の子だ。
文は全ての錯綜を捨て、心を決める。たった一人の少女の為に、決意をする。文はゆっくりと地に降り、リアを大地に下して言葉を紡ぐ。
「…リア、私は貴女と友達になれたことを誇りに思う。
貴女のような友人が出来て、最近の私は毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。『リア』という少女に出会えて、本当に良かった」
「文…?」
「…だけど、その幸せの時間はもう終わり。『リア』という少女の時間は捨てて、貴女は本当の姿を取り戻さなきゃいけない。
そうしないと、きっとこの運命は変えられない。美鈴達を救う為には…貴女の本当の力が必要な筈よ。だからこそ、風見幽香は貴女に執着している」
「分からない…文、貴女何を言って…」
「――リア、思い出して。貴女は本当は一体何者であるのかを。
貴女の名前は本当に『リア』だったの?貴女の家族は美鈴と咲夜の二人だけだったの?貴女の友達は私と風見幽香の二人だけだったの?
違うでしょう?本当の貴女は大切なものをもっともっと沢山その胸に抱いてる筈よ。貴女の愛し護りたいと思ったモノは両手で抱えきれない程に
大きなものだった筈よ。貴女は誰を護りたいの?貴女は誰を愛したいの?貴女のその力は、私に護られる為に存在する訳じゃないでしょう?」
「うあ…知らない…私には、分からないよ…」
「いいえ、知ってる筈よ。貴女はさっき言ったじゃない。離れないと誓ったと、美鈴や咲夜…そして、パチェとフランって娘の名前を叫んだじゃない。
それは貴女を『本当に』愛する人々。貴女が護りたいと、失いたくないと想った人々。その人々が今、風見幽香に殺されようとしてるの。
だからリア、貴女は逃げちゃダメ!ここで逃げてしまえば、きっと一生貴女は後悔するわ。つらい記憶から逃げないで向き合って!貴女はそれが出来る強い女の子でしょう!」
「うう…でも、嫌だ…怖い、拒絶されるのが怖いよ…またあの娘に嫌われたら、私は…私は…」
頭を押さえて悲痛な叫びを零すリアに、文はリアの心を縛る『根源』を突き止める。
――成程、リアの心を縛っていた大本は『それ』なのね。結局、リアが心を閉ざしてしまった理由は、大怪我でもなんでもなく、
愛する妹に『拒絶』されたという現実。意図せずして妹の心を追いこんでいたという自責の念、それがリアの心を捕えていたのだ。
その少女は何処までも優しく、故に何処までも自分だけを責める。妹が自分を殺そうとした現実などよりも、妹を追いこんでいた
という認識が心を傷つけてしまった。故に少女は恐れる、孤独を、一人を、他人からの拒絶を、別れを。
…だけど、そう文は考えを一蹴してリアを見つめる。この壁を乗り越えないと、きっとリアは前に進めないから。この壁を自分の手で
叩き壊さないと、きっとリアは未来を紡げないから。だから、文は自分の取るべき行動を決めた。
迷いはない。その行動の重さは知っている。それは自分が過去の全てと決別することを意味する。
だけど、それでも構わないと思った。どうしてこの少女にそこまで惹かれるのかは分からない。けれど、護りたいと思った。助けたいと思った。
心から愛おしく思うこの小さな友人の為に、自分が出来ることがすぐそこに存在する。葛藤は在る。後悔はする。だけど、今は決して迷わない。
ただ一つだけの心残り…山に残したたった一人の可愛い後輩に『ごめん』と心の中で呟いて――文は山を捨てる決意をし、リアの背中を押した。
「勇気を出しなさい、リア!貴女は決して一人になんてならない!一人になんてさせやしない!」
「文…でも…」
「私がいる!例え貴女が他の誰に拒絶されても、私がずっと貴女の傍にいてあげる!
リアが決して一人になることなんてない、貴女の歩む道が私の歩み道なんだから!
だから、だからリア!…いいえ、レミリア・スカーレット!貴女は貴女の大切なモノを自分のその手で護りなさい!」
「――良く言った、射命丸文。お前の勇、しかと見届けさせて貰ったよ」
「っ、誰!?」
何も無い虚空に響いた声に、文は慌てて反応し――そこで身体を硬直させる。
我が目を疑った、と表現するには文の驚きを表すには不十分かもしれない。何故ならそこには予想すらしていなかった人物がいたのだから。
自分達の目の前に『現れた』少女――伊吹萃香。それは文にとって遥か天蓋の存在、自分達天狗が仕える鬼の中でも最強を謳われる一人。
意識を取り戻し、慌てて膝をついて跪こうとする文だが、それは萃香の一喝によって抑止される。
「頭を下げるな!!」
「え…」
「お前は我が友を救う為に己が意志を貫いた誇り高き妖だ。私はお前を敬すべき存在だと、勇ある者だと認めている。
そんな者が軽々に頭を下げ膝をつくな。お前は最早一介の天狗などではない、レミリアと肩を並べる一人の『射命丸文』なんだ。
今のお前は私にとって天魔よりも上に在る。勇と誇りの鴉天狗、お前は自分を誇り胸を張れ。私が認める射命丸文、お前はそれだけの価値が在る」
遥か雲の上の存在である萃香に褒め言葉を並べられ、文は言葉を失い呆然とするしか出来なかった。まるで夢物語の世界であるかのように。
そんな文とは反対に、萃香は落ち着き払ったままで、俯くリアの方へと視線を向け、ゆっくりと言葉を紡ぐ。それは何処までも優しく、そして
想いの込められた友人としての言葉。
「さて…誓いを果たす時だよ、我が永遠の友よ。
私はお前に敗れたとき、約束したね。お前の勇ある決断を尊重し、お前の信ずる道を歩き、
お前の迷うる心を断ち切り、お前の背を支える一人の友としてお前の傍にと。
鬼にとって友との盟約は永遠の誓い。お前の望みの為に、お前の取るべき未来を紡ぐ為に、私はお前の為に路傍の捨て石となることだって構わない。
そう…射命丸文にこれだけの決意をさせた今のお前になら、私は迷うことなくどんな望みだって叶えてやれる。
さあ、選択の時だよ!我が永遠の友――レミリア・スカーレット!恐怖を断ちきり運命に立ち向かうか逃げるか、その答えを私に聞かせておくれ!」
萃香の叫びはただ一人の友の為に。同格の相手と認めた莫逆の友の為に。
文の叫びと萃香の叫び。友人の声が、リアを戒める呪いから解放していく。最早恐怖も怯えも、少女の心には無い。
全ての糸は解れ、一つの未来を導いていく。何も知らず過酷な現実から目を背けた少女の姿は最早何処にもなく、在るのは愛する者の為に羽ばたく吸血鬼。
目覚めのとき、解放のとき。ばらばらになった心は一つのかたちを作り、全ての自分を取り戻す。愛する者の為に過去の全てから
解き放たれた紅悪魔、レミリア・スカーレット。全ての覚醒を遂げ、スカーレット・デビルは――思いっきり地面に向けてヘッドバットをかました。
「ちょっ!?な、何やってるのよ!?」
驚き叫ぶ文の制止の声も耳に入れることなく、少女は二度三度四度五度と何度も回数を重ねてゴンゴンゴンと大地に頭突きを繰り返す。
その光景に萃香は楽しげに笑うだけ。やがて十八回目の頭突きを大地にぶちかました後、少女はゆっくりと頭を上げ――言葉を紡ぐ。
「…本当、頭にくるわね。私は何時だって本当に大切なモノから逃げようとしてばかり。
どんなときでも楽になる道ばかりを選んで、残された者のことなんて微塵も考えない卑怯者」
「だが、今は違うだろう?時間はかかったが、アンタは間に合った。大切な者を護る為に立ちあがる決意をしたんだ」
「それは貴女達のおかげよ。特に文…貴女のおかげで、私は立ち上がることが出来た。手遅れにならずに済んだ。
貴女には本当に感謝してもしきれないわ…私の方こそ、貴女と友達になれて、本当に良かった」
「…そう、貴女が私の知らない…」
「…初めまして、文。私がレミリア――紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ」
そう告げ、大地から膝を上げて立ち上がる少女の姿に、文は思わず息を飲む。
身体から発される妖気は殆んど皆無に等しい。それでも少女の周囲から発される王者の気質、迫力、空気。それは明らかにリアとは異なる統治者としての風。
そんな少女に、文はようやく美鈴達が仕える主の大きさを知った。これが、レミリア・スカーレットか――これが、本物の紅悪魔、幻想郷の
パワーバランスの一角を担う、八雲達と肩を並べる絶対強者。文は呼吸を忘れ、レミリアに対し言葉を紡ごうとしたその時――
「――ごめん!もう無理!限界!」
「へ?あ、あれ、レミリアの風がまたリアの風になった?」
「馬鹿だねえ、格好付けたところでどうなるって言うんだい。
射命丸文には在るべきままのアンタの姿を見せてやんなよ、レミリア。きっと射命丸文もそっちの方が嬉しいだろうさ」
「え、えっと…どういうこと…?」
「つまり、本物のレミリア・スカーレットは『リア』同様、何の力も持たないヘッポコ吸血鬼だってことよ!あ、自分で言ってて泣きそう!」
「じゃ、じゃあさっきの威圧感とかプレッシャーとかは…」
「まだ私に力が在った頃の記憶も思い出したから、使ってみようかなって…でも空っぽの力でんなもん使える訳ないわよね。
それにほら、文ってレミリア・スカーレット=強い吸血鬼みたいなイメージ持ってただろうから、その演出…みたいな?」
てへりと茶目っ気たっぷりに告げたレミリアに、文はぶちんと心の中で色々と大事な何かがぶちきれたような気がした。
そして文はにこやかな笑顔と共に、両手でレミリアの頬を掴み、思いっきり引っ張りながら絶叫する。
「記憶を取り戻して早々アホな真似するんじゃないわよ!!このアホリア・スカーレットがあああ!!」
「ぴぎいいい!!!!ふぉめんなふぁい、ふぉめんなふぁい、ゆるひへ~~!!!」
怒り狂う文に対し、プライドもくそもなく全力謝罪するレミリア。そんな姿を見て、けたけたと笑う萃香。
きっと今の光景を美鈴達が見たら、涙を零すだろう。それは喜びの涙、彼女達が待ち侘びた本当のレミリアの日常がここに在るのだから。
文から解放され、頬を抑える涙目のレミリアに、文はハッと思い出したように言葉を紡ぐ。
「って、それじゃ美鈴達はどうするのよ!?私は記憶を取り戻した運命にも抗える『レミリア・スカーレット』の力を当てにしてたのに!
悪いけど、あの風見幽香は別格の存在よ!?例え美鈴達に私と貴女が力を貸しても何のプラスにもならないわよ!?
萃香様の力を借りても、確実に勝てるかどうか…それほどまでに、風見幽香は別次元の存在なのよ!?どうするのよ!?どうするんですか!?」
「さあ?それを決めるのはレミリアの役割だから、私はレミリアに従うだけさ」
「勝てないか…それはちょっと困るわね。幽香の性格上、絶対に一度は転ばないとこちらの言うこと聞いてくれないだろうし。
かといってフラン達が殺されるのは絶対駄目だし…私達が三人、咲夜達をあわせても七人…これでも勝てない…」
「どうするのよ…レミリア、何か考えは…」
「フフッ、勿論あるわよ。他ならぬ私の大切な者達を助ける為の作戦ですもの、無い訳がないわ。
まず、私達がすべきは助力を得ること。この状況を打破する為に、確実に必要な力が在る。そしてその存在を私は知っている」
「その力って一体…」
文の言葉に応えず、レミリアは軽く瞳閉じて追想する。
現状を打破する為に、この場の三人と向こうの四人の力ではきっと足りない。それほどまでに風見幽香は別格の存在なのだ。
ならばどうする。足りない力はどうやって補う。勝つ為の力はどうやって増やすことが出来る。今から強くなることなんて不可能、
運命に期待を寄せても仕方のない。未来を切り開く為に必要なのは、何処までも意志を宿す者達の役割。
考えろ。考えろ。考えろ。答えは導いている、必要な考えはその後のこと。どうやったら風見幽香から勝ちをもぎ取れる。あの風見幽香を
打倒する為の欠片は己が身体に心に刻まれている筈だ。情報を探せ、欠片を繋ぎ合わせろ、それこそが自分の役割。大切な者達を護る為に為すべき仕事。
希望の光は決して消さない。諦めて膝を折ることなんて絶対にしない。約束したから、誓ったから。
どんなに怖くても、どんなに泣きたくても、私の大切な家族(モノ)は誰一人として他人に譲ってなんかやらない。それは絶対にしてかけがえのない大切な誓い。
幸せになる。今度こそ間違えない、誰も彼もが笑顔でいられる幸せな未来を紡ぐ。
そして誰より自分を想い行動し身を犠牲にした大切なあの娘を護る為に。フランドールの笑顔を誰より傍で感じる為に、レミリアは決して折れぬ
心を武器に未来を切り開く。少女が紡ぐは最後に待つ最高の結末の為に。
『――永遠に幼き紅い月、レミリア・スカーレット。必要な時は、他の誰でもなくこの私を頼りなさい。
紅月が闇を厭う時、私はその群雲を払い除ける敵無き牙となりましょう。最強の妖怪、八雲紫が貴女の力にね』
「――お願いよ、紫!!貴女の力が今ここに必要なの!!みんなを護る為に、貴女の力を私に貸して頂戴――!!!!』
少女の叫びは暗雲の空に。少女の祈りは暗き世界に。
全てを救う、全てを幸せにする為に、少女は願いを込めて空に祈る――愛する人々と、今度こそ幸せになる為に。
「――そう。諦めなければ必ず奇跡は起こるものよ。
この世界は幻想郷。非常識なモノ、存在し得ないモノによって生み出された残酷な楽園。
外の世界で失われた『想い』と『幻想』によって成り立つ、それはそれは不思議な世界なんですもの」
健闘したと言っていい。それほどまでに三人は荒れ狂う攻撃を凌ぎ続けた。
五十を超える魔植物と二百を超える魂達の暴風に、三人は何とか隙を探しては風見幽香に攻撃を仕掛けようと試みた。
だが、数の暴力に結局三人は捩じ伏せられた。これが後幾人かの手が在り、植物と魂を抑止する力が存在すれば、その拳は
風見幽香に届いたのかもしれない。けれど、彼らにはその数を覆す程の力も作戦も持ち得なかった。
一人、また一人と力尽き、やがて最後の一人である紅美鈴も大地に膝をつく。血の溜まった唾を吐き、美鈴は自嘲気味に毒づく。
「…参ったわね。ここまで…差があるなんて…ね」
「そう悲観することはないわ。貴女達は十分に私を楽しませてくれたもの」
膝をつく美鈴の前に降り立つ風見幽香に、美鈴は視線を叩きつける。
だが、それは最早彼女にそれだけしか反抗の力が残されていないという証。それを理解してる幽香は、余裕を崩さぬままに言葉を紡ぐ。
「予想より楽しめたわ、紅竜。三人が三人共に私の予想を遥かに超える力を持っていた」
「心にもない…慰めは要らないわ…」
「あら、心からそう思っているのだけど――特に十六夜咲夜、彼女は実に面白い素体だわ。
殺し合う時間が重なるごとに、十六夜咲夜は強くなっていった。恐ろしき程の成長速度だわ。正直、もう少し見てみたい気持ちもあった。
だけど、所詮十六夜咲夜は私にとって脇役に過ぎないし、成長を待つつもりもない…だからここですぐに殺してあげる」
愉悦を零しながら、幽香は一歩また一歩と気を失い倒れている咲夜の方へと足を進める。
そんな幽香の歩みを止めなければならない美鈴だが、彼女にはその力すら残されていない。幽香は笑みを零しながら咲夜の頭を鷲掴みにし、宙づりにする。
その光景を、美鈴は唇を噛み締めて睨みつける。美鈴は力なく、パチュリーもまた立ちあがる力は無い。そんな二人を眺めながら、幽香は
嗜虐心がそそられたか、嬉しそうに唾棄すべき言葉を発する。
「この娘は貴女達にとっても娘同然なんでしょう?人間でありながら、吸血鬼に成った小娘が、さぞや可愛いでしょう。
フフッ、そうね、まずは貴女達の前でこの小娘を殺すとしましょう。そして貴女達の叫びを愉しませて貰うとするわ」
「…この、下種が…」
「良い遠吠えね、負け犬らしくて実に素敵。
さて、吸血鬼とはいえ成り立ての身。首を落とせば、その身は自然と死んでしまうでしょうよ」
「咲夜…逃げて…」
美鈴の叫びは咲夜には届かない。必死に手を伸ばす美鈴の姿に満足し、幽香は咲夜の首元にその狂爪を迷うことなく疾走させる。
咲夜の首と胴体が離れたと思われた刹那、幽香の一振りは虚空に終わる。幽香が咲夜を掴んでいたその手の先に咲夜は存在せず、
在るのは己が腕に突き刺さった深紅の魔槍のみ。その魔槍を無言で引き抜き、幽香は滴る己が血液を舐めながら言葉を紡ぐ。
「…そう、そんなに死に急ぐのね。
逃げずに出てくるのは感心だけど…遅かれ早かれ、お前の死は確定なのよ――フランドール・スカーレット?」
「フラン…お嬢…様…どうして…」
幽香と美鈴が視線を向けた紅魔館の入り口――そこに立つは、心身ともにボロボロな少女、フランドールの姿。
眠り姫の目覚め、それは全ての終わりの始まり。運命と運命の交差するその刹那の時は、近い。